| 赤猪子物語 |
| 1957年4月「新女苑」 |
帝の言葉を信じて、召し出されるのを80年も待った、赤猪子という女性の物語。
| 感想 |
| 理想をテーマにした寓話という感じかな。古事記あたりに材を得ているのだろうか。男って昔っからいい気なもんだったのねという程度の感想しかない。有吉さんも若い頃であったから、つまらぬ男に煩わされず、理想を持って生きるということに関心が強かったのだろう。 |
| あらすじ |
| 後に雄略天皇と呼ばれることになった若建命は、稀代な長命で治世百年に近い。歳の割にかくしゃくとしていたが、目の前に蹲っている嫗に身覚えがなく、当惑している。名を尋ねると「引田部の赤猪子」と答える。80年前、彼女が16歳のときに帝に声を掛けられ、将来召し出すと言われたのでずっと待っていたのだと言う。帝はそのことを思い出せなかったが、80年も待っていたことにいたく感動し、「引田の 若栗栖原 若くへに 率寝てましもの 老いにけるかも」(もっと若かったら抱いて寝たものを、そう歳をとってはなあ)と歌った。 これを聞いて、赤猪子は笑い出した。80年をただ待っていたと喜んでいる帝も可笑しければ、御歌もいい気なものだった。赤猪子は長い間、ただ帝を待っていたのではなく、帝の言葉があったから、つまらぬ男に引っかかるような過ちを犯さずにすんだので、その礼の意味で訪れたのであった。 昔の若建命であったなら、こんな無礼は許さなかっただろうが、老いた帝には、赤猪子が泣いているように見え、笑い声が耳に届くこともなかったのだ。 |
| 本文より抜粋 |
| 省みて、心ならぬ男に身を汚される誤ちを犯さなかったのは、偏にこの言葉があればこそであった。その意味で、帝に感謝の意も示したく訪れたのである。 だが、それは、帝を慕っていたからでは決してなかったのだ。この場合、帝の言葉はあくまで赤猪子に理想という生き甲斐を持たせたに止まっていた。 それが帝には通じなかったらしい。帝もまた、赤猪子の慊りなかった男たちに等しく、どうしようもない倨傲を芯にひそませていたのだった。 自分の老醜は棚にあげて、赤猪子の嫗ぶりに憐憫をかける−−−涙がこぼれるほどおかしかった。 |
| 収録書籍*〜*〜* |
| 『ほむら』講談社 新潮社有吉佐和子選集第1期第11巻『華岡青洲の妻』 |
| 参考情報*〜*〜* |
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