| 乱 舞 |
| 1966年1月〜1967年1月「マドモアゼル」 |
日舞の世界に取材した『連舞』の続編。家元夫人として、梶川流を陰で支えて来た秋子。
夫の急死にあって、彼女はどう対処して行くのか。
芸術家として、一人の人間として大成して行く、秋子の姿が描かれる。
| 感想 |
| 外に作った子供たちを押し立てて、我こそ梶川流の中心にとの野望を抱く弟子達の姿、母親と妹の身勝手さには腹が立つ。強くなった秋子はかっこいい!孤高の人という感じである。 日舞に限らず、精神の葛藤の中から、優れた芸術は生み出されるものである。日本舞踊をきちんと鑑賞してみたい。そう思わされる作品であった。 |
| あらすじ |
| 梶川流の家元の家内は、留守がちな家元に代わって、稽古の厳しい寿々と、踊り上手の千春と、怜悧な家元夫人:秋子のトリオが、見事な調和で守っていた。ところが突然の事故で家元の猿寿郎が亡くなってしまった。 同乗していた芸者:梅弥は助かり、猿寿郎の子を身ごもっていた。正妻の秋子には子はなく、家元の跡目を巡って騒動が持ち上がる。母親の寿々は、妹の千春夫婦を秋子の養子にするようにと言い出し、千春も自分しか家元になれる人間はいないと言う。 葬儀がすむとすぐ、流派の跡目を決めようと、古参の弟子が言い出して、秋子を驚かす。夫の猿寿郎が外に子を作っていたのは知っていたが、跡目を誰にしようというような具体的なことは聞いていなかったので、秋子は途方にくれる。そんな中で、跡目を託されたと同然の“梶川花”という名を付けられた娘がいたことが知らされる。そうかと思えば、家元と瓜二つの男子の存在も明らかになる。寿々はあくまでも千春を推す。無視された形の秋子は、最後に、梅弥の子が生まれる半年後まで、話を預からせてほしいと言う。 それぞれが水面下で、跡目相続のための運動を始める。寿々と千春夫妻も、どうするつもりかとしつこく言って来る。秋子自身の胸中にも、自分が家元になろうかとの野心も芽生えてくる。 秋子は梅弥を連れて軽井沢へ避暑に出かけ、そこで、芸術界の長年の保護者のひとりに相談に行くことにした。彼の声掛りで集められた、芸術界に影響の強い数名との話合いの結果、梶川流の後継者を誰にするかは秋子の一存に任せられ、秋の発表会も秋子中心に準備を進めることとなった。 心強い援軍も得られ、秋子は家元亡き後は、自分が家元だったのだとようやく自覚したと皆に言い放ち、梶川流から独立を希望する者は出てもらって構わないと言う。 秋の発表会では秋子の堂々たる勝ち名乗りに拍手が沸く。分家披露をしてもらった千春は、跡目相続のために動き回っていて稽古不足だったせいか踊りの方はさっぱり。母親にさえ腕が落ちたと言われ、秋子に泣きつく。しかし秋子の踊りには、これ以上はない程の賞賛が寄せられた。 梅弥の子供は死産だったと連絡が入るが、そんなことにも動ぜず、秋子は無心に踊るのであった。 |
| 本文より抜粋 |
*秋子の家元宣言*「はっきり申し上げておきますわ。家元の亡い後は、私が家元です。私はそのことに気がつくのが遅すぎました。そのために、皆さんに不安な思いをおさせしたことには責任を感じています。主人の子供は、どの子もあくまでもまだ子供で、先のことは分るものではありません。家元は今日ただ今の家元でなければなりませんのに、私は気がつくのに遅かったのです。でも、結果的には、その方がよかったのかもしれません。別れるものは、引止めたら出て行くでしょう。紋之助さんは率直に別派を立てて独立なさると仰言ったのですから、快く披露して上げるのが私の役目だと思いました。寿太郎さんが迷惑と仰言るのは、どういうことなのか、うかがいましょう」 |
| 収録書籍*〜*〜* |
| 『乱舞』集英社・集英社文庫 新潮社有吉佐和子選集第1期第5巻『連舞・乱舞』 |
| 参考情報*〜*〜* |
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