鬼怒川
1974年1月〜1975年8月「新潮」

鬼怒川のほとり、結城の里に住む紬織りの名人:チヨの悪夢の物語。
黄金埋蔵伝説にとりつかれた男たちの姿を通して、戦争の悲惨さが描かれた作品である。

感想
 主人公のチヨ自身は働き者で、紬織りに精進する毎日であるのだが、彼女の夫も子供も孫さえも埋蔵金伝説の虜になり、不慮の死を遂げる。せっかく戦争から生きて帰ってきたのに、彼等の関心を呼び覚ましたのは、埋蔵金を発掘するという途方もない夢であったのだ。戦争というものの恐ろしさ、害悪を思い知らされる。戦争は、真っ当な精神を奪ってしまうものなのだろう。
 テーマは暗いが、背景に描かれる紬織りの話は興味深いものであった。チヨは有吉作品にふさわしく、困難にもめげず、逞しく生き抜く女性として描かれている。読後は重いため息と共に、平和である現在がいつになく有り難く思えた。
あらすじ
 織物の産地として名高い結城の里が舞台。貧農の娘:チヨは紬織りの腕を見込まれて、隣村の日露の勇士:三平のもとへ縁付けられる。裕福ではないが、働き者で気の良い舅姑に恵まれ、幸せな生活が始まるが、三平は戦争から帰って以来、腑抜け同然。自発的に働くことはなく、毎晩悪夢にうなされて大声を上げる。
 ある日、三平の戦友:重田という男が訪ねて来て数日逗留するが、突然、高熱を発し死んでしまう。三平は重田の死を身内に知らせようと持ってきた荷物を調べているうち、彼が埋蔵金を探そうとしていたことを知り、三平自身が埋蔵金探しに血道をあげるようになる。そして、幼子を残したまま、土砂崩れであっけなく死んでしまう。
 時が立ち、成長したチヨの息子三吉に赤紙が届く。「帰って来いよ」と泣く泣く送り出したが、電報によって戦死を知らされる。しかしチヨは信用せず、息子の帰りを待っていると、本当に三吉は生きて帰ってくる。喜んだチヨは、村長に頼んで三吉の嫁を見つけてもらう。
 良い嫁が来てくれたのに、帰還後、ぶらぶらしてばかりいる怠け者の三吉がチヨは気になって仕方がない。三吉は、ある日仏壇の掃除をしていて、妙な紙片を見つけ、埋蔵金探しに関心を抱いてしまう。やがて東京から大勢の人数を引き連れてきて、ボーリングを始めるが、出てくることもなく、三吉は腹膜炎とマラリアを併発して死ぬ。しかし近隣の人々は、いくら掘っても埋蔵金が出ないので、苛立った仲間達に殺されたのだと噂した。
 戦後の憲法の改正で、孫の三郎は戦争に取られる心配はなくなったのに、彼は東京の大学に在学中、学生運動に加わり大怪我をしてしまう。退院後、帰って来た三郎は周囲の心配を余所に埋蔵金探しを始める。
 長年紬を織り続け、結城の宝と称されるチヨも年老いてボケが始まっていた。三郎を重田と勘違いしたチヨは、ある晩、追い払おうとして、三郎が掘った穴に、二人して落ちてしまうのだった。
本文より抜粋

*三郎と伯母(チヨの娘)との会話*

「俺のお爺も、俺のお父も、戦争から帰って惚けてしまった。それで埋蔵金を掘ったという話だろう。・・・みんな俺のお爺や、俺のお父を碌でなしの恥さらしみてえに言ったがらな。ひょっとしてお爺やお父みてえになっては大変だと思ったりしたものよ」
「そげに分かってりゃ、なんで今になって掘るだか」
「俺の考えが変わったのは病院でだった。鉄パイプで叩きのめされて、てっきり死んだと思っていたのが、息を吹き返したときだな、きっと。今から思えば、あんときだ、うん」
「どういうわげだ、そりゃあ」
「人間は一度死ぬとよ、あとはやけに美しいものが好きになるんだ。お爺も、お父も、それだったでねべか」
「金掘りが、なんで美しい。馬鹿こくな」
「ひょっとして出るかもしれねえ。いや、万に一つも出ねえ埋蔵金だ。それを掘るというのは、お伽噺だぞ。そう思わねえか」
「何がお伽噺だ」
「埋蔵金は浦島太郎の龍宮城なんだ。桃太郎なら鬼ヶ島だ。裸の王様が着たがった目に見えねえ織物は、結城紬よりファンタスティックじゃないか。お爺も、お父も、それに熱中したんだ。・・・・・」
収録書籍*〜*〜*
『鬼怒川』新潮社・新潮文庫・新潮社有吉佐和子選集第2期第13巻
参考情報*〜*〜*
結城つむぎセンター

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