ケイトンズヴィル事件の9人
1972年1月「世界」

ベトナム戦争に反対して徴兵書類を焼き払うという事件を扱った裁判劇の翻訳である。
動きはないが、描出されたアメリカの良心に喝采を送りたい。

感想
 ダニエル・ベリガン著、有吉さんとエリザベス・ミラー共訳の戯曲である。著者自身が、9人の被告のうちの一人で、彼が裁判を劇に仕立てた作品なのだ。裁判の供述が書き並べられているだけなので、何らかの話が進んでいくような内容のものではない。
 これを読むと、被告たちがいかにアメリカのあり方(ベトナム戦争への参加を始めとして)を憂いているかがよく分かる。アメリカの良心が描かれているのだ。本日、来日するブッシュ大統領に、この本を読んでいただきたいものだ。そしてアメリカが自国で、また他国でどんなことをしているのか、その客観的な評価を認識して欲しいものだと思う。
 しかしここで扱われる問題は、アメリカだけのことではない。社会奉仕活動のなかで、真に人々のため、社会のためを思って行動しようとして、法律や行政組織の壁にぶつかった被告たちの姿は、どこの国にでも見られるものであろう。有吉さんも『恍惚の人』の印税1億円を老人福祉施設に寄付しようとしたら、税金を9千万取られると知り・・・ということを経験している。法律や行政組織は、いったい何のために存在するのか?そういうことをあらためて考えさせられる作品だ。法律は強者に甘く、弱者には厳酷である。それが今に至るも変わっていないことがたまらなく悔しいと思った。
 ちなみに、アメリカが北ベトナムへの爆撃を開始したのは1965年のことである。大統領はジョンソンであった。ケイトンズヴィル事件が起きたのは1968年。この年、アメリカではルーサー・キングが暗殺されたりといった暗いニュースもあったが、11月に北爆が停止されている。この事件が影響を及ぼしたのであろうか。著者のダニエル・ベリガンはノーベル平和賞の候補にもなったそうだ。
あらすじと抜粋
 まず有吉さんによる「まえがき」で、ケイトンズヴィル事件のあらましが以下のように紹介されている。
ケイトンズヴィル事件というのは、1968年にアメリカ合衆国メリ−ランド州のケイトンズヴィルという町で実際に起こった事件である。兵役事務所へ9人のカトリック教徒が白昼堂々と出かけて行き、徴兵書類を外へ運び出してガソリンをふりかけ、火をつけて燃やしてしまった。事前にマスコミに通告しておいたから、彼らはテレビカメラの前でそれだけのことをやっておいて、それからパトカーが駆けつけるのを待ち、逮捕連行されたのであった。
「ガソリンをふりかけ・・・」となっているが作中では、
書類はナパーム弾で焼き払いました。・・・ベトナムで人間の肉体を焼き爛らせているナパーム弾を、戦争と暴力に残酷な合法性を与える書類にふりかけて焼いてしまうのは、まさに相応しいことだと考えたのです。
と語られている。そして、
もし我々が書類を焼き捨てるのだけを目的としたのなら、夜中に簡単に出来たのですよ。・・・我々の目的は国中に訴え、国民の良心に訴えることにありました。
そのために彼らはまず法律を破り、彼らの意見を開陳する機会を得ようとしたのだ。法律を破り、裁判にかけられれば、裁判の記録・判決内容を裁判長が最高裁判所へ、つまり行政のトップへ報告することができる。
 このようにして起こされたケイトンズヴィル事件の裁判は、5景にわたって描かれる。
第1景 陪審詮衡(選考)の日
第2景 訴訟事件の事実内容に関する日
第3景 九被告の日
第4景 綜合する日
第5景 評決の日
第1景では陪審が選ばれ、第2景では証人が事件の内容を証言する。そして、この裁判劇のメインは第3景である。ここで被告たちは、事件を起こしたことを認め、その動機とそう考えるに至った様々な体験を縷々語るのである。
・・・我々は、裁判官、検事、そして私たちの国に訴えたいのです。・・・我々はこの戦争のみに反対しているのではないのです。世界におけるアメリカの権力、南米もそうです、西南アジアでも同じことです。・・・我々の国を握りしめているマニキュアをした手の持ち主たちに、私は一言しか言うことがありません。我らを導け、我らを正しく導け、そうすれば法律は守られる。大統領は、これまでの大統領たちの出来なかった仕事をしてほしい。財界人の指示だけに従わず、一般人民の指図にも少しは従ってください。特権階級のことばかりでなく、貧乏な人のことをよく考え、アメリカのことばかりでなく世界のためにも尽くし、政治家、裁判官、法律家たちは法律のことのみ考えず、もっと正義について考え、法的儀礼にとらわれず人権を尊重してください。・・・
(管理人注:欧米の上流階級の男性はマニキュアをするらしい)
我が国が年間八兆ドルを費やして仮想敵を追いかけている愚かさに対して反対したかったのです。去年、私が貧民街に住んでいたとき私は多くの子供たちが飢えに苦しんでいるのを見ています。子供たちにパンとミルクを与える金を集めることの出来ない国が、一方では一万マイルをへだてた外国に死の雨を降らせている。実に理解に苦しむことではありませんか。
・・・私は罪のない人間たちの生命を気にしていたのです。・・・焼き捨てた書類に含まれている青年たちは、まだ徴兵令を受け取っていません。彼らはもう決して招集されませんように。彼らが大砲の餌食になるためにベトナムに送られることがありませんように。私があそこに出かけた理由は人々の生命を救うためでした。人の命を救うためなら、人間の法律は破っていいのです。

もしその青年たちが戦場に送られなかったとしても、その代わりには行かない筈だった他の青年たちが派兵されることになるじゃありませんか。

しかし裁判長、なぜそうならねばならないのですか。あなたは、もしこれらの青年たちが行かなければ、他の青年たちが行くときめてかかっておいでになる。あなたは、そうした殺人を止めるのにどうすればよいかを考えないのですか。大量殺人を黙って受け入れていたドイツのナチスのように、あなたはそのことを受け入れる。それは気違い沙汰です。
我々は最後になぜケイトンズヴィルに行ったかを申し上げます。アメリカ人は皆この国が血の中に誕生したことを知っています。我々は国境を血で拡げました。インディアンを血で服従させたのです。

・・・私は我らの大統領が偉大さを力と勘ちがいしているのを知っています。彼はまた富を善と、希望なしに黙従していることを平和と勘ちがいしています。支配者たちは財力を崇拝し、苦しみを黙殺し続けています。

他の国の侵略や罪悪を図々しく指摘して、自分たちの手を他人のよごれの中で洗い、だから私たちの侵略や罪悪がゆるされるべきだとでも言うのでしょうか。(太字は管理人による)
ベトナム戦争は不法行為です。なぜなら国会だけが宣戦布告できるのであって、大統領の権限で我々を戦場に狩り出すことは出来ない建前になっているからです。我々は大統領にそうさせるべきではなかった。彼こそ今日この法廷で裁かれるべきでした。
 以上のような話を聞き、裁判官は彼らの心情には共感する。しかし、彼が裁かなければならないのは、被告たちがケイトンズヴィルで書類を焼くという犯罪を犯したかどうかであることを忘れはしない。その動機がもっともなことであると認められたとしても。
 被告たちが法律を破っていることを問題にする一方、法律を破ってベトナム戦争に加わっている大統領については、「大統領が法律に従わなかったとしたら、どうしようもないでしょう」と矛盾したことを言い放つ。被告たちはまさにこれを問題にしたかったのであるが、この裁判は夢物語ではないので、最後は有罪が確定してしまう。
収録書籍*〜*〜*
『ケイトンズヴィル事件の九人』新潮社
参考情報*〜*〜*

HOME