| 黒 衣 |
| 1961年4月「オール読物」 |
「目立たない」ということが特徴で、長年、黒衣(くろご)を務めた役者の話。
| 感想 |
| なんとも健気な役者の話。地味で不器用な筆十郎には、ちょっと苛々させられるほど。しかし台詞もないのに、立派な衣装を着て、自分の旦那より偉い人の役だということで、病気を我慢してまで、舞台に立つことに固執し続けた彼の心情には、ホロリとさせられた。彼にとっては、はじめての晴れ舞台だったんだな。 |
| あらすじ |
| 歌舞伎役者の中村筆十郎は、まったく目立たない役者で、黒衣としては適していたかもしれない。黒衣というのはプロンプターで、稽古日の少ない歌舞伎の舞台では、役者がセリフを覚えられないので、黒衣が舞台の物陰に潜み、役者にセリフを渡すのだ。 しかしある日、ちょっとした失敗をしでかし、舞台に立っている役者である旦那に大恥をかかせてしまう。以来、黒衣は別の若い弟子が受け持つようになる。旦那は筆十郎が謝っても黙したままだったが、半年もたってようやく周囲に言うには、いつかは起きると思っていたことで、十分な稽古をした上で舞台に立ちたいと常々思っていたということだった。そういう趣旨に賛同した周囲のお膳立てで、シェイクスピアの劇を上演することになる。筆十郎も出演者の一人だと旦那の奥さんに知らされる。 旦那からそのことを聞かされるのは、かなり後の衣装の採寸のときだったが、いったい何の役なのかは知らされない。舞台稽古の日に旦那に聞くと呆れられ叱られたが、相変わらず何の役なのか分らず終い。それでも指示に従って稽古に参加していると、筆十郎の前にいろいろな人がやって来ては頭を下げるので恐縮してしまい、腹痛を覚えるほど。ところがそれは実際に病気であり、初日前に数日入院もすることに。 舞台に立つ筆十郎を周囲は心配するが、思いもかけず立派な衣装・立派な役をもらった彼は、舞台を降りようとしなかった。セリフはないが、旦那より立派な役なのだ。しかし本来、安静にしていなければならない身体のはずで、周囲も旦那も説得するが、筆十郎はどうしても出演させてほしいと泣く。とうとう最終日まで舞台に立った筆十郎であったが、続演が決まった大阪の舞台に立つことは出来ず、病院で静かに息を引き取ったのであった。 |
| 本文より抜粋 |
| 「旦那、後生です」 皺の顔に古びたドーランが、涙でぬれてぎらぎら光っていた。中で二つの黄色く小さな眼が、必死で彼を見上げていた。 「やらせて下さい」 台詞もない、ただ芝居の背景だけを飾る役なのだ。この老人が、そんな役に、こんなに執念こめてしがみついていようとは、旦那は気がつかなかった。茫然としている旦那の傍らで、おかみさんも目を瞠ったまま、ぼろぼろと涙を流していた。 |
| 収録書籍*〜*〜* |
| 『三婆』新潮社・新潮文庫 新潮社有吉佐和子選集第1期第9巻『ぷえるとりこ日記』 |
| 参考情報*〜*〜* |
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