花のいのち−小説・林芙美子
1958年1〜4月「婦人公論」

『放浪記』で有名な女流作家、林芙美子の半生を描いた小説。
苦労の多い人生が描き出されている。

感想
 出版社から企画を持ちかけられて書いたとあとがきにある。有吉さんが思いついた企画でないせいかどうか、あまり良い作品とは感じられなかったのが残念。いつもながらのリアリティーが乏しいのだ。遠い昔の人ではないので、かえって創造し難かったのだろうか。
 ともかく、林芙美子という人の半生は苦労が多かったのだと知った。極貧のなかで育ち、恋をしては裏切られ、捨てられて、という繰り返し。堅実な性格ではなかったようだが、いつも独力で前へ進んできたようだ。苦しいことばかり多くて、普通の幸せを掴むことはできなかったのだろうか。
 私は、彼女の作品はひとつだけ、『浮雲』というのを所持している。傑作だとは思うが、暗い話。このヒロインと、『花のいのち』に描かれた林芙美子は似ているなと感じた。
あらすじ
 文学少女の芙美子は、尾道の女学校へ通っていた時に、因島出身で、東京の大学に通っている岡野軍一と知り合い、二人して小説のような恋愛の虜になる。東京へ出て同棲し、芙美子は生活費を懸命に稼ぐ。しかし岡野は卒業すると、因島へ帰ってしまう。その後、両親や姉夫婦の反対を理由に、芙美子は彼に捨てられてしまう。尾道の貧しい母親と義父の元へ帰る気にもなれず、芙美子は東京で働き続ける。
 生きる目的を見失った彼女は、そんな寂しさを紛らわすために日記をつけ始める。困難な生活の中で、文筆がはじめて彼女の心の支えになっていく。いつの間にか、詩人たちのグループに加わるようになった芙美子は、そこで知り合った小川という役者と同棲するが男の浮気という形で裏切られ、次に結婚した野村には暴力を振るわれ、逃げ出して住込みの女給となったが、その間に男は別に女を作る。ようやく二十三歳のときに結婚した画家の手塚のみは、彼女を裏切らずにいた。優しい夫は、一緒に生活するなかで芙美子のこれまでの不幸の翳に気付き、慰めるが、勝気な彼女には通じなかった。
 その頃、親友と出した詩集から芙美子の才能を発見していた三上於莵吉の骨折りで「放浪記」が『女人芸術』誌に連載されることに。それはこれまでに書き溜めた日記をまとめたような作品であった。後に単行本として『放浪記』が出版されると、大きな反響を呼び、ベストセラーにまでなる。しかし彼女の成功を妬んで、悪口を言触らす旧知の人々に苦しめられることにも。
 『放浪記』の印税を手に、芙美子は中国を旅する。その後は売れっ子の作家として、大量の仕事をこなしながら、ヨーロッパやロシアなど、方々を旅して回るように。第二次大戦の終戦間際に、彼女は養子を迎えたが、物資の欠乏がはなはだしくなり、田舎で疎開生活を送る。その間の筆の休息が、彼女に筆力や情緒の健康を取り戻させることになり、戦後、最も需要の高い女流作家として再スタートを切ることができた。「晩菊」では日本女流文学賞を受け、彼女への原稿の注文はますます殺到し、過度の仕事量に芙美子の健康は蝕まれて行く。
 サインを求められると芙美子は、「花のいのちは みじかくて 苦しきことのみ 多かりき」と書きなぐることが多く、そんな彼女は度外れて絵画好きでもあり、ノワールのバラの絵を購入したと家人に見せるのであった。
本文より抜粋
「君は、前の亭主にどんな風に叱られていたんだ?」
「叱られたことなど、ありませんよ」
「無いことはないよ。きっときつい目に会っていたと思うね」
 芙美子は窓越しに風呂屋の煙突を見たまま茫然としていた。「どんな風に叱られていたのか」なんという乱暴な質問だろう。しかも善良な夫の善意の質問なのだ。野村の意地悪に悲鳴を上げた芙美子は、手塚との生活から善意のむごさという意外なものを発見しなければならなかった。胃の中に酸が詰まったような思いだ。
「どうして今更そんなことを云うの。私を苛めてみようと思うの?−−−ねえ、どんなに貧乏しても苛めないで下さいよ。これ以上私たち豊かになろうなんて見当もつかないけれど、これ以上に食えなくなる日は私たちの上に度々あるでしょう。でも、貧乏するからと云って私を打ったり蹴ったり、それだけはしないで下さい」
 芙美子は夢中になって哀願するのだった。緑敏は、いたわしげに見守っている。
収録書籍*〜*〜*
『花のいのち・・・小説林芙美子』中央公論社
参考情報*〜*〜*

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