紫 絵
1956年5月「新思潮」

大高白滋という画家の話。芸術を生み出す苦闘が描かれる。

感想
 実在の人物なのだろうか?愉快な話ではないが、実話のようで、とても興味深く読めた。義理の妹の結婚祝に描いた屏風の絵についての描写を読むと、本当にそのような絵があるように感じられ、見てみたいと思うことしきりである。
 それにしても、有吉さんは絵画にも造詣が深かったんだなあと感心してしまった。
あらすじ
 彼は幼い頃からひねくれていたが、絵がうまく、弟子入りした先でも、実家の財力がものを言って、めきめきと頭角を現していった。先輩にも後輩にも嫌われ、孤立していたが、自分で配合した紅を印象的に使った画風が受けて、大高白滋と号した彼の絵はかなり売れていた。
 父と継母によって、同様に大店の娘:葉と結婚させられるが、その葉が実家から連れてきていた女中に手を出して妊娠させてしまい、葉は実家へ帰り、彼は勘当されることに。しかし絵が売れていたので、実家から開放されたことを喜ぶほど。孕ませた女中が、そのまま後妻として残り、彼の面倒を見ていた。
 ある日、実家から使いが来て、継母の連れ子に婿を取り、店の跡取とすることを知らせてくる。そしてその祝いに屏風に紅を使った絵を描いてくれるようにと、代金を前払いで置いて行く。ぜいたくな暮し振りで金に困っていた折から、妻はその代金を貴重なものと喜ぶ。彼は、拒否すればしたで、継母に悪口の種を与えるだけと分っていたので、仕方なく、見事な絵を書き上げる。しかしそれ以降、紅は一切、彼の絵に用いることはなくなってしまった。
 紅を使わなくなったことで、彼の絵はめっきり売れなくなり、生活も困窮を極めるように。そんなところへ、昔、付き合いのあった版元が、彼の絵を大量に買い上げてくれることになり、紫絵と名づけたところが大当たりして、どうにかまた生活が成立つようになった。しかし、その頃には、彼の健康は相当に蝕まれていた。
 幼い息子が描いたという絵を見せられたある晩、彼は、昔使っていた紅を飲み込み、服毒自殺を図ってしまう。吐瀉物で書いたと思われる言葉が後に残された。「絵をもって生業となすべからず」
本文より抜粋
 清澄な泉水一面に百日紅の花が散って目も覚めるような美しさなのである。得意の紅で花弁の一枚一枚が鮮血のしぶきのように赤々と彩られて点在していた。花弁が塗り洩らした処々から池の底を泳ぐ緋鯉と真鯉の姿も垣間見えている。銀屏風全体が水で、魚の鰭に揺られて水面には漣波がそよぎ立ち、それが花の紅鹿の子をたえまなく躍らせている。そんな構図なのである。
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 緋鯉は小柄で美しいだけ蒲柳の質と見えた。それを追う黒い肌の真鯉の眼の獰猛さ。百日紅の花の蔭で弱者と強者の、美と醜の対照が露骨に描かれているのだった。
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 水面に散り舞う花びらに紛れて、ともすると見失いそうに薄く淡く、水鏡する女の首が映っているのだった。池の縁に坐って身をのり出しているのだろう。その顔は屏風の右よりの天に近く、逆さに描かれていた。漣波めかした線描だから特に着色していないにも拘らず、ひどく蒼い顔に思え、その顔半面に百日紅が赤いアザになって貼りつき美女の輪郭を凄惨に強調している。まさに紅は白滋の面目躍如たるものであった。
収録書籍*〜*〜*
『ほむら』講談社
参考情報*〜*〜*

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