私は忘れない
1959年8〜12月「朝日新聞」

鹿児島からの4日に一度の連絡船しかない不便な離島「黒島」。
スターへの夢を絶たれた門万里子が、この「忘れられた島」へ行き、二十日間ほどを過ごす話。

感想
 私は忘れない…読後の感想はズバリこの題名通りである。単純なストーリーであるが、それだけに強い印象を残す小説である。
 すっかり作品に入り込んでしまった所為か、泣けた〜。何回か読み返しているが、その度ウルウルしてしまう。「あしたよなァ…」という“さようなら”を意味する黒島の方言が心に染みた。
 解説によると、有吉さんにとって最初の新聞小説であるとのこと。もし、連載中に読んでいたら、星島校長の奥さんの発病のくだりなど、続きが気になって仕方がなかっただろう。朝、新聞を読んで、いきなり目を赤くしなければならなかったかもしれない。
 過酷な現実のなかで奮闘する黒島の人々の姿に、一生懸命生きることの意味を教えられるのは万里子だけではないだろう。著者の純粋な想いが伝わってくる、胸が熱くなる一書である。
あらすじ
 女優の卵:門万里子は、ようやく巡って来たチャンスをひょんなことから掴み損ねる。茫然自失の彼女は、思い切った気分転換にと「忘れられた島」と評される黒島へ旅立つ。
 鹿児島から乗り込んだ連絡船の中で、黒島の教員として赴任する赤間君雄と知り合う。黒島に着き、君雄は出迎えた星島校長と合流する。泊まるところが見つけられない万里子は途方にくれるが、大里村の星島の自宅へ泊めてもらえることになる。
 不便で貧しい島の様子は、万里子に来たことを後悔させたが、美しい自然と新鮮な魚介にこころを奪われ、たった4日で帰るのを残念に思うほどになる。
 ところが予定の日になっても船が来ない。台風である。島の半分は大風に、もう半分は大雨にやられ、美しかった島は無惨にも荒れ果ててしまう。食料も乏しくなり、海が荒れると魚すら獲れない。悪いことは重なり、星島校長の妻:松代が腹痛を起こし、生死の境をさまようが、医者はおろか薬もない。もうだめかと思われたとき、連絡船が寄航し、鹿児島の病院へ運ばれて行く。数日後、奇跡的に命をとりとめたことを、船が沖からスピーカーで知らせてくれた。
 復旧活動を手伝うために島に残った万里子は、すっかり島民に溶け込み、帰る前の晩、盛大な送別会を開いてもらう。
「島を忘れないで下さい」という星島の言葉に送り出されて帰京した万里子。相変わらず、女優へのチャンスはなさそうであったが、黒島へ行く前にカレンダーのモデルを依頼された会社から、今度はCMへの出演を依頼され、不承不承引き受ける。ある時、その会社の社長は万里子から黒島の話を感慨深く聞き、テレビを寄贈することを思い立つ。
 大里校での運動会の日、突然届いたテレビに驚く人々。映し出された画面からにっこり笑ったのは、他ならぬ万里子である。島の人々からのお礼の手紙に対し、万里子は自分のために黒島を忘れず、与えられた仕事を一生懸命やることで、運命を切り拓いていくことを誓うのであった。
本文より抜粋

*松代の無事を伝えるシーン*

 第二みゆき丸は、沖合いはるかに浮んで、これも波のまにまに浮いたり沈んだり揺れかたがひどい。
「大里の皆さん、大里の皆さん」
 第二みゆき丸から、スピーカーでこう呼びかけてくるのが聞こえた。
「大里の皆さん、聞こえますか」
 磯や桟橋の近くに出ていた人々は、一斉に両手をあげて振った。
「波が高くて、船はこれより、近づけません。・・・残念ですが、今回は、黒島には寄らずに、帰ります。皆さん、もう少しの間、がんばっていて下さい」
 スピーカーの言葉は、一語々々はっきりと発音されていたので、船と島との距離や、雨、風にもかかわらず、磯に立つ人々の耳は明確に聞きとることができた。
「大里の皆さん、これが聞こえた方は、大里校の、星島校長先生に、大至急お伝え下さい。奥さんは、御無事です。奥さんは、御無事です。鹿児島市内の病院で、すぐ手術したのが間にあいました。経過はすこぶる良好です。星島先生に、必らず、お伝え下さい。奥さんは、御無事です。奥さんは、御無事です……」
 酒匂教頭が、肘をあげて腕で顔を掩っていた。万里子は校長先生に抱きつきたい気持ちをじっとこらえて、声をあげて泣いていた。
 星島校長はみじろぎもせずに第二みゆき丸を見ていたが、雨にぬれた彼の顔にも、やはり涙が流れているのが見えた。
収録書籍*〜*〜*
『私は忘れない』中央公論社・新潮文庫・新潮社有吉佐和子選集第1期第2巻
参考情報*〜*〜*
「私は忘れない」映画鑑賞の記録

HOME