第八戒
1956年「遍路」

長崎で、安女郎をしていたおげんの話。
遊女の哀れな姿が、キリシタン禁制という歴史を背景に描かれる。

感想
 花魁が切支丹の話を聞き、救われたように幸せになっていく様子をうらやみ、自分も切支丹の真似をしてみたが、火あぶりに遭っている最中に、守らねばならない第八戒「いつわりの あかし なすべからず」を破っていることを思い出し、自分は切支丹ではないと言い出すが、時すでに遅しとなってしまう。苦界で生きてきた女なら、こんな気分になってしまうこともあったかもしれないとも思うが、それにしても哀れな話だ。
あらすじ
 長崎丸山の遊郭にある紅綺楼の仲居おげんは、裏階段を上がる客の相手もする安女郎。いつものように華鶴花魁の部屋を片付けに行くと、内緒の話だと言って、徳右衛門という客が実は切支丹で、でうす様の十のお戒めというのを教えてもらったのだと話す。これだけ守ったら、切支丹になれるのだと言い、花魁はその教えの虜になって、どういうわけか驚くほど美しくなっていったが、おげんにはそう魅惑的な話には思えなかった。
 それから一ヵ月後、切支丹の発見のための絵踏みが行われ、花魁は捕らえられ、なぜかおげんも絵を踏まずに捕らえられることになった。牢に入れられ、拷問を受ける。入牢している他の女たちは幸せそうにしていたが、おげんは浮いた存在。
 いよいよ火刑の時が来た。足元の薪が燃え始めてからいきなりおげんは、自分は切支丹ではない、なれると思ったが、なれないのだと役人に訴える。役人は切支丹をやめるのかと聞くが、おげんは、自分は最初から切支丹ではないのだと答え、話が噛み合わないままに、火刑は執行されてしまう。
本文より抜粋
---この期に及んでは転ぶと云うか。
---いいえ。考えてみると私は始めから切支丹ではなかったのです。私は切支丹になれないのでした。なりたいような気がして、なれると思い、なれたかと思いましたが、なれませんでした。私だけ切支丹ではありません。なれないのです。
 おげんは必死で云った。いさへる以下十二人は死んでも目指す方途がある。自分だけが行方知れず宙に迷うのだ。
収録書籍*〜*〜*
『ほむら』講談社
参考情報*〜*〜*

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