海 暗
1967年4月〜1968年4月「文藝春秋」

自然は豊かであるが、これといった産業もなく、若者が少なくなる一方の伊豆七島の御蔵島。
そんな島に生きるオオヨン婆の姿を通して、離島の現実を考えさせられる作品である。

感想
 題名から受けるイメージ通り、あまり明るい話ではない。しかし著者はここに「オオヨン婆」という素晴らしいキャラクターを登場させる。昔の価値観そのままに生きる齢80にもなる老女。彼女の娘「オタネン婆」と共に、実にパワフルな活躍を見せる。すっとぼけた味が何とも好い。「文化だんきゃ」というセリフに、幾度クスリとさせられたことか。時子の結婚式で投げられたブーケを受け取ってしまったオオヨン婆の狼狽振りには、爆笑してしまった。
 彼女たちの思考は単純であるだけに、物事の本質をズバリと突いてくる。表面的な誤魔化しなど通用しない。そんなところに著者の潔い性格が感じられる。
 「オオヨン婆」に会いに御蔵島に行きたくなる作品である。
あらすじ
 豊かな自然と昔ながらの伝統が息づく御蔵島が舞台。主人公のオオヨン婆の孫:勘次郎と、東京で働いている曾孫:時子の結婚話が持ち上がる。連れ戻しに行った母親とともに、時子はしぶしぶ島に向かうが、海が荒れて手前の三宅島に足止めされてしまう。
 そんな時に突然、御蔵島が米軍の射爆場になるというニュースが伝わる。正式な連絡より先に新聞が報じたため、事の真相を巡って島は大騒ぎになる。御蔵島が一番良い所と信じて疑わないオオヨン婆は、島が射爆場になって集団離島しなければならないとは、とんでもないことだと真っ向から反対をする。しかし島民の多くは離島にあたっての補償金の噂に目がくらみ、口を噤んでいた。一日も早く真相を知りたいと焦る村長であったが、海は無情にも荒れ続け、連絡船の寄航を許さない。
 一方、三宅島にいる時子は射爆場の話を知り、ますます東京へ帰りたがる。
 決死の覚悟で船に乗り込み、ようやく上京した村長等は、離島の必要はなく補償金も出ないとの回答を得る。
 時子と母親もやっと帰島。勘次郎と時子はお互いに好印象を持つが、射爆場問題が気になる勘次郎は結婚どころではなく、態度を明確にしない彼に時子は焦れてしまう。話を聞いたオオヨン婆の取持ちで、二人は取りあえず婚約をすることになる。
 射爆場問題は島民の心配と周囲の喧騒を余所になかなか進展しなかったが、防衛庁の調査団が訪れた後、ようやく候補地から除外されることが決定した。そして、勘次郎と時子の結婚式も行われた。
 島に平安が戻り、射爆場問題がきっかけで郷愁の念を深めた人々が、夏祭りには大勢帰島した。ところが、彼等が再び本土へ戻る船には、時子と勘次郎の姿もあったのである。島が射爆場にさえできないようなところと見なされたことに、勘次郎が衝撃を受けたからであった。しかしオオヨン婆には、島を出て行く若者の姿は特に珍しいものではなかったのである。
本文より抜粋

*時子の結婚式で、曾孫:梅子とオオヨン婆の会話*

「オオヨン婆は嫁に行くだか」
と云うと大声できゃらきゃらと笑い出した。
「とんでもねえ、なして俺が嫁に行くか」
「それでも、その花束を受取った者が次に結婚すると時子さんが言っただんきゃ」
「俺は知ゃあねえぞ、花束の方で勝手に飛んで来ただけだんきゃ。それで、なして俺が嫁に行かねばなんねえか。無茶なことを云うでねえぞ」
「無茶でもなんでも受取ってしまっただから次はオオヨン婆の嫁入りだと、みな云ってるぞ、オオヨン婆。次は誰と結婚するか」
「妙なことを云うな。俺はもう三十年から後家をたててきた女だぞ。おかしげなことを云うと唯はおかねえぞ」
「わあい、わあい、オオヨン婆が怒った。わあい、わあい、オオヨン婆の嫁入りだ。わあい、わあい、オオヨン婆の結婚だ。わあい、わあい」
子供たちが囃したてながら駆け降りて行ってしまった後、オオヨン婆は青い花束を掴んだまましばらく羞恥心で胸が一杯になり、身体が動かなかった。なんということだろう。オオヨン婆が、こんな気恥ずかしさを覚えたのは何十年ぶりのことである。
収録書籍*〜*〜*
『海暗』文藝春秋・新潮社有吉佐和子選集第1期第13巻・新潮文庫
参考情報*〜*〜*

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