| 日本の島々、昔と今。 |
| 1980年1月〜1981年1月「すばる」 |
離島めぐりのルポルタージュである。主に漁業の現状について調べているが、それだけに留まらない。
日本の隅々に位置する離島の歴史や当時の状況が、興味深く描かれている貴重な資料だ。
| 感想 |
| 漁獲高云々の話は、正直言って興味がないので、そういう点では読みづらい本である。それで、下のあらすじ紹介にも、漁業の話は割愛してしまった。 しかし、ほとんど場所はおろか、名前も知らないような離島の歴史には、かなり興味をそそられた。よく調べられていて、有吉さんの書く歴史の説明はとても分りやすい。 この本を初めて読んだ頃、離島にとても憧れて、行ってみたいと切実に思ったが、どこかの島で地震か噴火かの大災害があって、あえなく挫折してしまった。今回読み直してみて、有吉さんも気に入っていたように、私も屋久島に行ってみたいなと思った。 なお、父島のところで紹介している、甲子園の優勝校の投手とは元中日(その前はロッテ)の愛甲選手である。私もこの時の中継は見ていて、よく覚えている。有吉さんも同じの見ていたんだ〜、と何だか感無量だ。 |
| あらすじ&本文より抜粋 |
| 以下、章ごとに印象に残った内容を列記。 <その1>海は国境になった・・・焼尻島・天売島 石油の不足、韓国船、二百海里の問題等の苦悩をレポート。 韓国の漁民も日本と同じように二百カイリで苦しんでいるのですよ。それが分るから私は、やはり韓国を恨みません。日本政府ですよ、おかしいのは。どんなに陳情に行っても受付けてくれないんです。理由は分っていますよ。西の漁民が、韓国沿岸へ密漁に行って、タイやフグを釣っていますから、韓国にしてみれば、日本は文句が言えまいというところでしょう・・・ <その2>鉄砲とロケットの間に・・・種子島 この離島ルポにあたって、日本の歴史に深い関わりを持つ種子島には、ぜひ行こうと思い、それも外国船が打寄せられるような島の状況を見たいから、台風の時期にと訪れたが、台風はもう15年来、来なくなっていた。 風が吹けば桶屋が儲かるのたとえと逆の循環が種子島では十五年前から起こっていた。台風が来なくなって、磯の岩が動かず、ホンダワラが生えなくなった。海水汚染も原因の一つではないかと合成洗剤追放運動が起こり始めているという。 <その3>二十日は山に五日は海に・・・屋久島 新井白石が書き著した『西洋紀聞』の素となったイタリア人シドッティは、1708年、四国と間違えて屋久島に上陸した。 平家の滅亡とともに、壇ノ浦で3歳で亡くなったとされる安徳天皇は、実は逃げおおせて、屋久島の西にある硫黄島で60歳まで生き、屋久島の鰹節を食べたという伝承が残っている。 山歩きのベテランというタクシーの運転手とともに、片道4時間かけて縄文杉を見に行った。 私は来た道を引返すのだから、マイペースでどんどん山を降りた。途中で私より十五も若い運転手さんは何度も水を飲み、息を切らし、遂に不審に耐えかねたらしく質問してきた。 <その4>遣唐使から養殖漁業まで・・・福江島 種子島に漂流し、鉄砲伝来の糸口になったとされる南蛮人の来航の際、通訳として働いた中国人は、実は中国出身の貿易商人。彼は種子島の3年も前に、この福江島に来て、殿様から町までもらって住み着いていた。彼の貿易品目の主なものには火薬の原料があり、彼の出身地は鉄の産地であった。後に南蛮人とともに種子島に漂着したとき、彼は鉄砲や火薬の製造を詳しく教えることができたことは想像に難くない。それゆえ、伝来から瞬く間に全国的に広まったに違いない。 ・・・種子島渡来以前すでに日本には鉄砲に関してかなりの知識と技術が入っていたことが察せられる。ムスケット式火縄銃が種子島と呼ばれるようになった理由は、種子島が鉄を産出し、刀鍛冶がいてすぐ鉄砲鍛冶に衣がえできたからではなかったろうか。 <その5>元寇から韓国船まで・・・対馬 島めぐりに入ってから、初めて本格的に漁船にのせてもらう。 白波を蹴立てて豆酘港に帰ると、組合長さんが船に酔わなかったかと一方ならず心配してくださっていたらしい。 <その6>南の果て・・・波照間島 耕地面積が極めて少なく気象条件もきびしい島に、江戸時代、人頭税が課せられる。それまで水稲栽培は行っていなかったのが義務付けられたが、収穫高は低く、ゆえに人減らしに懸命にならざるをえなかった。 波照間の行事の多さは、民俗学の宝庫といった観があるが、内容を見れば島人はただ祈ることで現世の苦役をなんとか楽にさせてもらおうとしていたのではないかと胸が痛む。 <その7>西の果て、台湾が見える・・・与那国島 この島でも過酷な人頭税に苦しめられた歴史があった。 女の場合は久部良に妊婦を集め、岩の裂け目である割を跳ばせた。三メートル先へ跳べても流産は免れなかったろうし、七メートル下の裂け目に落ちれば妊婦の生命さえ助からなかっただろう。命がけの産児調節だった。 <その8>潮目の中で・・・隠岐 律令制の時代から江戸末期まで流刑の島であった。柿本人麻呂、小野篁、後鳥羽院などが流されている。あまり知られていないようだが、後鳥羽院は安徳天皇の弟であった。 安徳天皇といい後鳥羽院といい、なんという兄弟だったろう。一人は短く、一人は六十歳まで生きても、十九年は島で閉されて暮らしたのだ。今はフェリーで中ノ島の菱浦港から島後の西郷港まで一時間で楽に着くが、小さな釣り舟しかなかった七百年前には、文武百般に通じたスーパーマン後鳥羽院もなすすべがなかったのだろう。 <番外の1>日韓の波浪・・・竹島 隠岐の島の先に浮ぶ竹島は、以前は松島と呼ばれていたなどの多少のややこしさはあったものの、終戦までは特に問題になることはなかった。しかし戦後、マッカーサー・ラインが引かれ、日本人は竹島に近づけなくなり、やがて米軍の海上爆撃演習地区となる。ラインが撤廃され、昭和28年にはようやく爆撃訓練地域から外されるが、それよりも前に韓国が海洋主権を宣言し、竹島を韓国領土と主張するようになる。その論拠はマッカーサー・ラインの外だということ。米国は竹島が韓国の領土だと認めてはいないと発表したが、日本の領土とも言わなかったので、日韓で争われることになってしまった。 反日と抗日をスローガンとしていた李承晩の時代が終っても、竹島問題は日韓交渉のガンになっていた。なにしろバーグの国際司法裁判所に日本が提訴しても、韓国が応訴しなければ話にならないのである。 <その9>遥か太平洋上に・・・父島 太古には人が住んでいたようだが、中世、近世を通して無人島であった。18世紀には幕府で、小笠原諸島に巡検に出かけている。その後、19世紀になるとアメリカ、イギリス、ロシア等が訪れ、初めての定住者はイタリア人が連れてきたカナカ(現ハワイ)の人々だった。日本人が本格的に移住するのは明治に入ってから。外国人の定住者たちは日本に帰化させられた。戦時中は大半が強制的に本土へ引き上げさせられ、戦後もなかなか帰島することができなかった。 百年もの島での暮しから、本土に縁故のない人たちが殆どだった。もとより資本もない。間もなく敗戦を迎え、本土にいた日本人でさえ食糧難と窮乏生活で苦しんだものであったのに、小笠原島民は住む家も、売り喰いするものもなかったのだ。それに、いつか島に帰れるものという判断があって、本土で恒久的な職業に就こうとする者が少なかった。ただでさえ働く場所もない時期で、棟今日は焼野原を占領軍のジープがGIを乗せて疾走していたのだ。島民の生活がどんなものだったか。 <番外の2>北方の激浪に揺れる島々・・・択捉・国後・色丹・歯舞 終戦間際、日ソ不可侵条約がまだ有効であった時期に突然、ソ連は参戦してきて、戦後間もなく、武力で北方の島々を占領した。住民は残留を希望するなら、ソ連国籍に変えることを強要され、そうでなければ強制送還という形で追い出されてしまったのだ。終戦の年の暮れには、すでに北方領土返還運動が始められていたのに、未解決のまま。日本の各政党間の意見がバラバラなことが悪影響を与えている。 自民党の言い分通り、南千島だけで処理すべきです。社会党は北千島も返せ、共産党は樺太まで返せでしょう?北千島は日本の軍隊が行って、人間が住めると自身を持ったのですが、どうも普通の日本人には住めないんじゃないかと思います。・・・ <番外の3>そこに石油があるからだ!・・・尖閣列島 昭和36年に、東シナ海と南シナ海の大陸棚に石油が埋蔵されている可能性があるという論文が発表されたことがきっかけで、尖閣列島を巡って、日本、韓国、台湾の三つ巴の闘いが展開されることになった。後に中国も領有権を主張し始めた。 尖閣列島には日本人の地主がいて、許可がないと行くことが出来ないのだが、その許可を取るのがたいへん難しい。それでヘリコプターで上空を飛ぶことにし、それを話すと尖閣列島は日本の領土だというキャンペーンをやっている青年から、ちょっと上陸して、島を蹴飛ばして来てほしいと言われる。彼はそのキャンペーンのために地主に幾度も上陸願いの手紙を書いたのだが返事がもらえず、仕方なく船で行って、ただ島を見て帰ってきた。それなのに後日、その地主から内容証明郵便が届いた。断わりもなく出かけたのがいけなかったらしいが、上陸してもいないのだ。 ・・・長距離電話かけて、何通も手紙を出したのに返事をくれなかったじゃないかと抗議しました。すると、本人の秘書と称する男が、手紙や電話でなく、会いに来て頼むべきではないかと言うんですね。僕は、こんな人の将来の利益のために尖閣は日本の領土だという運動をしているのかと思うと、今でも腹の中が煮えくり返ります。これは冗談ですが、地主に対する面当てだけでも、中国に渡してしまいたくなるくらいです。 |
| 収録書籍*〜*〜* |
| 『日本の島々、昔と今。』集英社・集英社文庫 |
| 参考情報*〜*〜* |
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