複合汚染
1974年10月〜1975年6月「朝日新聞」

さまざまな毒性物質の複合汚染によって、私たちの環境は恐ろしいことになっていた。
著者はストーリーテーラーとしての能力を遺憾なく発揮し、分りやすく、読みやすく、その問題を描出してくれている。

感想
はじめに解説より一文を紹介。
「有吉佐和子は今日の工業生産中心の科学技術が、自然を、農業を、生活を、健康を、精神を、そして人間を手ひどく汚染し破壊し滅亡の淵まで追いやっている現実に、文学者として人間として黙って見過ごしていられない危機を感じ、心の底から憂いかつ怒り、そして叫ばずにはいられなかったのである。」

 教師の薦めで、初めてこの作品を手にしたのは高校生の時。しかし、米を食べることによって体に水銀が蓄積されて行くなどの衝撃的な内容に恐れをなし、読了に至らなかった。以後、長い間、鬼門であったのだが、このホームページを開くにあたり、まさかこの代表作を読まないわけにも行かず、渋々購入したというわけである。
予想に反して、あっと言う間に読み終わってしまった。面白かった!高校生の時、なぜあんなにも嫌悪感を持ってしまったのか、我ながら不思議である。口うるさい横丁の御隠居とのやり取りなど、実に愉快である。
 しかし日本が、公害の人体実験先進国だなんて、まったくぞっとする。背景にある行政の怠慢や、大企業の利益が優先される仕組みは、今もって変わっていない。紹介されているエピソードは、どれも興味深いものであった。レイチェル・カースンより早くに農薬に対する警告を発した日本人がいたことや、低公害エンジンの開発のくだりなどは気分爽快。日本人も捨てたもんじゃないとホッとした。有吉さんは、深刻な状況を描くとき、いつでもこういう読者を元気づける要素を忘れないでいてくれる。そこが有難い。
 この作品には、有吉さんの正義感が脈打っている。これが朝日新聞に連載された折の反響は想像に難くないし、罵詈雑言の類もかなりのものであったに違いない。しかし、それを承知で書いた有吉佐和子という人を、どのような言葉で賞賛すればよいのか・・・取りあえず、こういう優れた作家に惚れ込んだ自分を褒めてあげようかな。
あらすじ
 冒頭、市川房枝と紀平悌子の選挙の支援活動から話は始まるが、紀平の選挙演説で語られた環境汚染の話題をきっかけに、そうした汚染の問題へとテーマが移り変わる。
 「米に虫がわかなくなった」という身近な現象を取り上げて、「複合汚染」という現象が説かれる。複合汚染とは二つ以上の毒性物質の相加作用および相乗作用のこと。以後、野菜や果物、畜産、養鶏などにも視点を広げ、農薬と化学肥料に頼った近代農法の恐ろしさが語られる。
 途中、著者を感動させた人物が紹介される。一人は京都の漬物屋の主人。毒を売ってまで儲けたくはないと、20年も前から防腐剤を拒否し、商売を縮小してまで昔どおりの安全な製法にこだわり続けている。もう一人は奈良県五条市の開業医。彼はカースン女史より1年も前に「農薬の害について」というパンフレットを自費出版していた。
 自然と人間との関わりについて歴史的な考察をした後、今度は、合成洗剤、PCBなどの水の汚染につながるもの、さらには大気汚染につながる排気ガスの問題へと展開して行く。アメリカで排気ガスの規制に関する法律が次々成立し、世界中の自動車業界が騒然となっていたとき、低公害エンジンの開発の先陣を切ったのは、ホンダとマツダであったことを紹介。最後、フランスへ有機農業の視察に出かけたことが語られ、日本の農業を再度、振り返って終わる。
本文より抜粋

*フランス人が製作した映画「カシマ・パラダイス」を見るシーンより*

 カルチエ・ラタンにある小さな映画館は満員だった。驚くべきことに「カシマ・パラダイス」という映画の冒頭は、青い稲田の上をヘリコプターが低空飛行して、まっ白い煙を噴霧している光景で始まり、私は映画館の椅子から思わず腰を浮かしていた。農薬散布!
 水銀農薬だろうか。いったい何時の日本の農村風景だろうと見詰めていると、画面は一変して大阪の万博に群衆がひしめいているところになった。日本の大企業のパビリオンがクローズアップされ、日本語のナレーションが聞こえてくる。
「美しい空、美しい海、二十一世紀の日本は自然と人間の美しい調和をめざしています」
 日本語のナレーションが、フランス語になって字幕に現れると、客席に詰まったフランス人たちが声をあげて笑い出した。私は胸が押し潰されるようだった。パリの人たちは、日本には美しい空も美しい海もなくなっていることを知っているのだろうか。二十一世紀の日本が自然と人間の調和だなどと考えることもできないと嘲笑しているのだろうか。
 万博のパビリオンが、めくるめくように交錯して映し出された後で、画面は再び農村に移り、今度は田植の風景点描である。万博の頃ならDDTはまだ禁止されていない。あのヘリコプターで空中散布していたのは、DDTだろうか、BHCだろうか、と考えているうちに、田んぼの畦道がクローズアップされ、ひょうきんな顔をした蛙が一匹、ピョンピョンピョンと飛び出してきた。その蛙は、そのままの速度で水田に勢よく飛び込んだ。
 ポチャンと水音をたてて飛び込んだ蛙は、水田の中で二回はねたが、水から顔をあげて喉をぷーとふくらませると、そのまま四肢がすーッと伸びてしまった。客席は水をうったように鎮まり返った。いつまでも動かない蛙の背中に、苗代から運ばれてきた小さな苗束が投げつけられたが、蛙は身動きもしない。
 そのすぐ傍で黙々と手も休めずに田植を続ける男女の姿が、なんの説明もなく、いつまでも映写されていた。
 蛙が溺死する水田・・・。
 私は身体が総毛だつようだった。友だちが私にこれを見ろと言った理由が、やっと分った。
収録書籍*〜*〜*
『複合汚染』上・下巻 新潮社・新潮社有吉佐和子選集第2期第12巻・新潮文庫
参考情報*〜*〜*

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