| げいしゃわるつ・いたりあの |
| 1958年5〜12月「週刊東京」 |
芸者たちで一団を組んで、アメリカで公演をしようという話。
発案者のイタリア系アメリカ人の秘書となった若いOL能村勢子の目で、芸者の世界が暴かれて行くのが傑作な小説である。
| 感想 |
| どうやら芸者は自らを芸術家として誇りも高く生きようとしているようだが、実際には旦那を持ち、身を売ることによって生活をしているのだ。彼女達にとってそれは仕事であって、色事ではないという独特の論理が根付いている。だから、芸妓学校の科目を考えるときに「お床」の勉強はいつするのかなどという珍妙な質問が出て、笑わせてくれたりもする。当人達のプライドは高いが、周囲はしょせん売春婦ではないかとの蔑視の目を向けていて、そこに芸者の悲哀も感じられる。 芸者の世界の内実をこんなに白日の下にさらけ出しちゃって、良かったのかしら?と思うけど、軽妙で面白い作品である。作中に言及されるアヅマ・カブキを主催する吾妻徳穂さんと著者の交流はかなり深かったことが知られている。花柳界の事情通になったのは、この人の助けに依るらしい。 |
| あらすじ |
| フラメンコ・フランチョリーニはイタリア系アメリカ人。あるお座敷で芸者の踊りを見て、ゲイシャガール・ダンシングチームのアメリカ公演を思いつく。話を持ち込まれた芸者屋の綾津川と亀津川は大騒ぎ。フランチョリーニは、かねて知り合いの能村勢子に通訳兼秘書を依頼する。興味を持った勢子は協力することに。政府の援助金を貰って、素晴らしい芸術としての芸者の踊りを見せに行くのだという説得で、綾津川と亀津川も大乗り気になって行く。若い芸者たちも初の洋行に浮き足立ち、そのうち新聞にも「海を渡る芸者ガール」などと書かれ、土地を上げての興奮状態。 そんな中、ニューヨークの興行会社から、フランチョリーニの打診に対する返事がようやく届く。手紙を読んだ勢子は土地の姐さんたちに説明し、最も問題になるのは「芸者がアメリカでは売春婦だと思われており、婦人団体の反発が心配だから、そうではないというデータを示せ」ということではないかと言う。すると土地の有力者で料亭「絹の家」の女将は、芸妓学校を創ろうと言い出す。それならばアメリカに説明しやすいだろうと言うのだ。 一方、公演の演目の資料の準備のため、フランチョリーニと勢子は、以前にアメリカ公演の許可を貰うため、綾津川と亀津川と訪問したことがある梶川流の家元に連絡を取る。稽古の現場を見に行って、大いに触発されたフランチョリーニは梶川流に入門してしまう。するとそんな彼の熱意に打たれたのか、家元の猿寿郎もかなり協力的になって、アメリカ公演の顧問になる。猿寿郎は勢子にも興味を持ち、デートに誘ったりする。 ところで芸者たちの事情もいろいろ絡んでくる。綾津川の花形:千々代は、ようやく初めての旦那が決まったというのに、別に貧乏な若い恋人をつくって結婚したいと言い出し、勢子の仲立ちで、とにかくアメリカ公演が終るまで保留ということになる。亀津川の花形:花奴は土地一番の売れっ子。芸に箔をつけるために、是非ともアメリカに行きたいと念願しているが、新しい旦那が決まったばかりで、亀津川は行かせたがらない。そこで勢子の男友達:新也に恋人役を頼み、亀津川に楯突くようなことをして見せる。 さて、演目がほぼ決まり稽古に励む中、ニューヨークの興行会社からフィン夫人が視察に来る。彼女は歓迎会で座敷舞踊を幾つか見せてもらったのに、もっと見たいと言い出す。急いで設けたお座敷で芸者の仕事振りを見て満足した彼女は、フランチョリーニと勢子と共に所用のために途中で退座するが、会う予定の相手からキャンセルの連絡が入り、お座敷に引き返すことに。そしてそこで芸者の何たるかを見てしまったフィン夫人は卒倒してしまう。 これまでの準備がすっかり御破算になって、慌てふためく芸者たち。しかしどうにもならない。周囲の混乱をよそに、フランチョリーニはフィン夫人とアメリカに帰る、ハネムーンだと浮かれて言うのであった。また、猿寿郎もアメリカ公演が中止になっても、勢子が得られれば良いと彼女にプロポーズするが、勢子は芸者に子供まで産ませている猿寿郎の身勝手な物言いに怒る。 後日、花柳界の舞台に招待されて出かけた勢子と新也は、華やかな舞台を見ながら、どうしようもない芸者の悲哀を感じて中座してしまうのであった。 |
| 本文より抜粋 |
*フランチョリーニと綾津川の会話*フラメンコ・フランチョリーニは、その後毎日のように綾津川と亀津川を訪問して、熱心に執拗に口説き続けた。「わたし、大変誤解していました。芸者というもの、外国人の考えているゲイシャガール、これ大変違います。芸者さん、立派です。芸術家です。そのこと外国人に知らすべきです」 綾津川には専らこの調子である。 「そうですよ、そうなんですよ。売春禁止法が芸者を相手にしないのが怪しからんとかって云う人がいるそうですけどね、芸者は昔っから芸で身を立ててた女のことなんですからね。芸者といえば客と寝るもんだと思われては大迷惑ですよ。はばかりながらこの土地には枕芸者はただの一人だって居やしないんだから」 *花奴の話を聞いての新也の心情*花奴の論理の矛盾はともかくとして、花柳界の倫理のあまりにも奇矯なのに新也は愕然としていた。旦那を持つことは芸者の稼ぎであって、それが色事ではないという信条。料亭の女将や、芸者屋の主人に可愛がられるのは、その芸者に芸者としての稟質があればこそである。取柄のない芸者には女将も主人もハナさえひっかけない社会なのだ。一流料亭の女将から旦那を持つことの采配を受けるのは、この世界では名誉なのだった。花奴は誇らしげに自分が持った旦那の名を新也に数えあげてみせた。その大部分を、新也は知っていた。財界の知名人であったり、元国務大臣であったり、某会社社長であったり、それらが総て花奴の輝しき履歴かと思うと、新也は唸るばかりだった。 *綾津川といっしょに入浴する時の勢子の感想*喋りながら、もう風呂の湯を桶に汲んで一浴びする綾津川の姿を、勢子は吃驚して見惚れていた。美しいのである。肌は白くて、シミ一つなかった。そして姿態は、まるで浮世絵のそれであった。 勢子は歌麿などが描いた女の裸体画を見たことがあるが、こんなプロポーションがあるものか、何が歌麿だ、と呆れたものだったのに、今彼女の目の前に、その絵が現出されているのだ。長い胴、小さい尻、すんなり細い足と足首のくびれ方まで、綾津川はすっかり浮世絵だった。 *フィン夫人と勢子の会話*「ミス能村、私は本国に帰ったら、すべての日本婦人は売春婦だと宣伝するかもしれませんよ」「なんということをおっしゃるのです!」 「昨夜見たものを、あなたが女の正しい職業と見るのならば、です。男に媚を売る職業から芸術が生まれると、あなたのような婦人まで信じているのならば、ですよ。フジヤマ、ゲイシャガール、ハラキリ、これだけが一般アメリカ人の日本に関する知識だと云えます。そして、日本人が芸者を国の誇とする限り、私の考えは訂正されないでしょう」 *勢子の心理描写*華美に装い、贅沢の中で生きながら、人間として格を下げられている同性を、勢子はどう考えたらいいのか悲しいのである。彼女の知った限りでは、綾津川はいい人だった。・・・短い期間だったが、その間に触れた芸者たちに、勢子は好意を持ち、それを育てていた。その人々の踊りにかけた熱意を、フランチョリーニやフィン夫人の云ったような正しくない芸術意欲とは考えることができなかった。みんな、立派な芸を持ちたいと真剣に考えていた。真摯な態度で芸に臨んでいた。・・・フィン夫人たちが云ったように、正しくないのだとすれば、それは芸者のいる花柳界を許している世の中が正しくないのだ。 |
| 収録書籍*〜*〜* |
| 『げいしゃわるつ・いたりあの』中央公論社 |
| 参考情報*〜*〜* |
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