| 二代の生けり |
| 1969年5月「文藝春秋」 |
有吉さんがニューギニアから帰り、マラリアを発症して入院していたときに、見舞いに訪れた足袋屋の主人の思い出話。
『女二人のニューギニア』とあわせて読むとおもしろい。
| 感想 |
| 「何でまたニューギニアなんてところへいったのか?」なんて尋ねられるところから始まっており、著者が実際にマラリアに罹ったとき、このような話をする人がいたのだろうか。 足袋屋の修行の厳しさ、戦場での体験、自分は「二代の生けり」なのだと逞しく生き抜いた戦後の話。 最後の方に「戦争のとき、戦後のころを思い出すと、これでいいんだろうかって足袋屋でも考えちまいますよ」というセリフが出てくるが、著者の思いも同様なのであろう。 なお、有吉さんがニューギニアに行った話は『女二人のニューギニア』に結実している。 |
| あらすじ |
| 後で足袋屋の主人と判明する男の一人語り。 マラリアで入院した人の所へ見舞いに来て、マラリアから、戦時中、南方へ行っていたときのことを思い出し、さらに出征する前の、足袋屋での丁稚奉公時代までさかのぼって話をする。 厳しかった修行の内容、先輩の技を盗むように懸命に学んだこと、店のお嬢さんへのほのかな憧れ、そして過酷な戦場での体験。敗戦後、日本に帰るにあたり、戦友から聞いた「二代の生けり」という話。「二代の生けり」は運が強い、死んだと思えば、どんなことだってできるはずだと、戦後の混乱期を生きぬく様子が語られる。腑抜け同然の元の主人を助け、闇商売をするなどして、足袋屋再開の糸口をつかむ。そして、憧れていたお嬢さんと結婚もする。そんな半生を振り返りながら、今の日本はこれで良いのだろうか、と疑問を投げかけるのであった。 |
| 本文より抜粋 |
*鈴木軍曹から聞いた話*「俺は筏師の息子なんだが、激流を筏操って材木運ぶ途中で、筏がほごれたり、岩に突き当たったり、筏師の命は戦争に出たと同じくらい危険なものなんだ。足でも手でも一度滑ったら命がねえ。材木に揉み砕かれて死骸も出ないくらいのものだ。それが、やっぱり奇跡的に助かる運の強い筏師もいて、俺たちの土地ではそういうのを二代の生けりって言うんだ。 足が滑って肝が冷えた瞬間で、その男の一代は終ってるわけだから、助からねえ筈が助かったのは二度目の人生が始まったってことだろう。 俺も貴様も二代の生けりだ、運が強いんだ。もう死なねえぞ。日本がどうなっていようと、俺は生きる。なかった命で助かったのが不思議なんだ。どんなことだって出来ようじゃないか」 |
| 収録書籍*〜*〜* |
| 『孟姜女考』新潮社・新潮社有吉佐和子選集第2期第3巻 |
| 参考情報*〜*〜* |
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