| まっしろけのけ |
| 1956年10月「文藝」 |
役者の顔に化粧を施す専門職:顔師の物語。顔におしろいを塗りたくったら「まっしろけのけ」!
| 感想 |
| 初期の作品でテーマがこなれていないせいか、理解しにくい感じがした作品。しかし、著者の古典に対する強い興味は十分に伝わってくる。 |
| あらすじ |
| 梶川流の発表会の楽屋で、耀子は顔師の源吉の仕事振りに感心している。自分の化粧をしてもらう番になって、顔をつくることが予想以上に難しいことを知り、秋に予定している学生芝居に向けて、舞台用の化粧をする講習をしてほしいと頼み込む。 夏休みの午前中、耀子は源吉の家に通って、顔師講座を受けることになったが、やはり自分たちでやるのは難しいということになり、当日、源吉が手伝いに来てくれることになった。顔師の技術は習得できなかったが、源吉の話を聞いて、何か感得するものがあったらしく、耀子の踊りの腕が上がっていた。 学生芝居の後、耀子は源吉が脳溢血で倒れたことを聞く。見舞いに行った耀子の話がきっかけで、源吉は自分の顔に白粉を塗りたくり、「まっしろけのけ」と言って、昏倒してしまう。 |
| 本文より抜粋 |
| 古い新しいということが、近頃は最も重大な価値判断の基準のように思われているようである。それが耀子には解せなかったのだ。この簡単な割切り方に用いる物差は、単純が過ぎて愚かしく、耀子は物事の寸法を計るのに屡々当惑したのだ。その物差では、三味線とか、長唄とか日本舞踊などは、古い方の関脇ぐらいに位置づけられた。踊りを習うことが、現代人を気負う彼女の胸に聊かの含羞を覚えさせ、同好の娘ばかりが集まって歌舞伎サークルを結成した折も、その物差への気がねで誇らかには発表できなかった。 それが、源吉の顔の講釈を聴いて、というより鈴木源吉という既に命枯れたような老人の平和な顔を見守っているうちに、古典を強く肯くことができるようになったのだった。かつて伝統が継承された法は、現代、生活にすでにない。源吉の世界と、耀子の世界は、世代に於いて全く隔絶している。が、耀子には「受取る」ことが出来るように思えたのだ。源吉が習い覚えた技術の手順や修行の法は、これ以後に伝えられることは恐らくあるまいが、耀子に語った源吉の声は、世世の生命の流れのように耀子の身体に流れ込んでいるに違いないのだ。 |
| 収録書籍*〜*〜* |
| 『まっしろけのけ』文藝春秋新社 新潮社有吉佐和子選集第1期第3巻『女弟子』 新日本文学全集4『有吉佐和子』集英社 |
| 参考情報*〜*〜* |
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