約1時間のテレビ番組。ビデオ録画してあったものを、見せていただくことができた。これまでテレビ放映された有吉さんについての特集番組は観たことがなかったので、たいへん興味深かった。
番組は、有吉さんのことを「あらゆるものに対して怒り続ける作家」という切り口で紹介していた。彼女は、書くことで時代に怒りをぶつけたのだと言う。「虚栄だけの男、口先だけの女、馬鹿げた社会・・・もう許せない!」その怒りがベストセラーを産み出して行った。
そして怒りを表した具体例をいくつか紹介。『恍惚の人』の印税1億円を寄付すると表明したが、これは免税の対象にならず、したがって9千万円もの税金が掛かってしまう。これではやって行けない!このような税制のゆがみに怒りを表し、前代未聞の新聞広告で抗議。その他、日本ペンクラブ脱会の経緯、舞台の演出家としても怒った様子が紹介される。
こんな彼女の「怖いもの知らずで一本気な性格」は、幼少期から育まれたとして、有吉さんの生涯が映し出される。ジャワでの生活。豪邸で召使にかしずかれたお姫様のような暮らし。日本や日本人について教師から与えられたイメージは、戦時中の日本に帰国してことごとく崩れてしまう。理想の日本を見出すことができたのは、女子大時代に歌舞伎に出会ってからだった・・・。
うん?歌舞伎に理想の日本を見つけたのは、小学生のときのはずだけど?ちょっと引っかかったけど、有吉さんは女子大時代、歌舞伎にはまって演劇評論家を目指したが、舞踊家の吾妻徳穂と出会って、作家としての道を歩むようになって行ったそうだ。
「地唄」で文壇に登場した有吉さんは25歳と若く、あっという間にマスコミの寵児となる。この辺り、まるで人気タレントにされてしまう様子はよく分かった。資料を読んでいるより、はるかに実感できる。
その後、母親の叱咤激励を受けて『紀ノ川』を著し、本格的な作家活動に入っていく様子が紹介され、やがて彼女の結婚・出産・離婚の話になって行く。結婚して2年目、興行師である夫が事業に失敗して、有吉さんが著作活動に集中できないほどの莫大な借金を作ってしまい、これがきっかけで離婚となった。元夫は、後の手記で「有吉の中には百匹の蛇が巣くっている。文学という百匹の蛇である。書くことはこの百匹の蛇との闘いであり、その闘いは一時も休むことはない」云々と書いているそうだ。
ここは何だか、夫の事業の失敗で、自分の大事な作家業に支障を来たすから、有吉さんの都合で離婚となったような紹介の仕方と感じた。しかし、有吉さん自身の手記によればそうではない。夫の借金の穴埋めのため、有吉さんは仕事をたくさん引き受け、原稿料などの前借をしていた。さすがに心労で母乳が止まってしまったときは夫をなじったそうだが、それでも離婚はせず、助け合って生きて行きたかった。しかし、夫の方が、たくさんの人に迷惑を掛けているのに、自分だけが流行作家:有吉佐和子の庇護の下にぬくぬくとしていることはできないこと。妻子がいては、思い切った行動ができないことを理由に離婚したがったそうである。詳しくは『作家の自伝』をご覧ください。
さて、『恍惚の人』などの大ベストセラーも著したが、彼女を認めようとしない文壇に苦しみつつも、そんな些細なことに拘っていられないほどの強い怒りが『複合汚染』に結実し、社会に大反響を巻き起こす。
ところが昭和50年の「四畳半襖の下張り裁判」では言論の自由をめぐって、裁判に負けたら自分もポルノを描くと公言し、結果、初のポルノとなるはずの『油屋おこん』を新聞に連載し始めた。しかし、主人公のおこんと娘の年齢が同じで、どうしてもポルノが描けず、途中で連載を終了するという、初めての敗北を期してしまう。
このころから体調が悪く、入退院を繰り返し、書くこともできない入院生活の中で、TVでの野球観戦に熱中することになる。ご贔屓はTV中継の多い巨人軍。
あるとき巨人軍での講演会に招かれ、話し始めるが、途中から選手一人一人へのお説教になってしまったそうで、槍玉に挙げられたのは当時のエース江川卓。本人がインタビューに答えていたが、当時、彼が家を持つことについて報じられたことについて、有吉さんに「マイホーム志向ではなく、もっと真面目に野球をやれ」と言われたそうで苦笑していた。しかしその江川が巨人に入団した当初は、彼に世間の非難が集中していて、その頃、有吉さんは各種のインタビューで「尊敬する人」を聞かれると、江川卓と書いていたそうなのだ。江川サンはそのことはご存知だったのかなあ?詳しくは『有吉佐和子と7人のスポーツマン』をご覧ください。
とにかくこの経緯、マスコミには「有吉さん、巨人軍を叱る」と取り上げられたそうで、けっこう笑えた。毎日、巨人軍を応援していた有吉さんには、選手たちが家族のように感じられたらしい。情が深すぎたようだ。
その後間もなく迎えた早すぎる死。ゲストの利根川裕氏は「生き急いだ。死に急いだ」と言う様に表現し、娘の玉青さんは「書かないといられないけど、書くことによって命を削る。そんな業を背負っていた」と述べていた。
この時のゲストは、利根川氏の他には司葉子さん。彼女はそう多く語ったわけではないが、コメントの内容が私の感じ方とほとんど一致していて嬉しかった(笑)。
インタビューに答えていたのは、玉青さん以外に丸川賀世子さん。彼女たちのコメント内容は、それぞれの著作物に記載されていることとほぼ同じであったと思う。
山田五十鈴さんは、厳しい演出家としての有吉さんに言及していた。たとえば「華岡青洲の妻」の時は、出演者が当初、うまく機織りができず、そんなことは事前に練習してきてくれなければ困ると叱られたり、青洲の母役と妻役の女優が楽屋で仲良くしていると、楽屋でも喧嘩しているくらいでないと良い舞台にならないと叱られたそうだ。
作家の橋本治氏は、有吉さんとかなり親しくしていたようで、親身なコメントが多かった。最初に彼女の死を知ったとき「戦死」だと思ったと語っていたのが印象的。もう少し、文壇が正当に彼女を認めていれば、もう少し楽に(長く)生きられたのではないか。有吉さんには、自分一人がこんなに時代に対して格闘しているのに、そのことをどうして認めてくれないのかという怒りがあったと思う。しかし彼女は文壇に殺されたのではなく、しいて言えば彼女の「良心」に殺されたのだと思うし、そう言っても有吉さんは怒らないと思う。彼女は強くなりたい人だったから・・・と語っていた。
私は「有吉文学」の源が“怒り”とは感じていないので、この番組のテーマにはかなり違和感を持ったが、要領良くまとめられていて興味深い番組であった。有吉さんは世の中のタブーにとらわれないと言うのか、精神性の自由度が高いと言うのか、そんな方だったんだなということを強く感じた。
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