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Leafバルトーク 「青ひげ公の城」 (2006年10月31日〜2006年12月30日の日記より)


その扉の向こうには・・・

 木をどこに隠しますか?森の中です。盗んだ手紙をどこに隠しますか?状差しです。人に見つかりたくなければどこに隠れますか?大都会です。では、死体はどこに隠しますか?戦場?確かに死体だらけですが、身近にあるとは限りませんし、自分も死体になる確率も高い。墓地なんてうってつけですね。実際、霊廟に一族を葬る習慣がある西欧や南米では、改葬が必要となって棺を開けてみれば定員オーバー、「これ、誰?」っていう遺体が入っている事態がたまにあるそうです。
 どうしても死体を手放すことができず、自宅に死体を置いたまま平然と食事をとり、睡眠をとる殺人者たちもいます。彼らは、自分の犯罪が露見する恐怖よりも、自分の犯罪の成果を身近において触れていたい、誰にも見せられないものを持っている自分を脳内で密かに誇示したいという欲求に逆らうことができないのです。この手の殺人者の多くは、その動機が性的な嗜好ですから連続殺人犯になる確率が非常に高いです。一度味わった快楽の虜になってしまうので、理屈で分かっていても生理的に止めることができないのです。そして、その動機が外部からは見えず被害者との接点も薄弱で、犯人の特定が非常に難しく、だから、ますます犯罪を重ねてしまいます。彼らが逮捕された時、そのおぞましさに人々は、驚愕し、戦慄を覚え、そして・・・時に眩惑されます。神の似姿であるはずの人間の心の奥にいったい何が潜んでいるのかと。

 この手の快楽殺人者の元祖にして現代に至るまでその代名詞となった男、それが「青ひげ」。まずは、シャルル・ペローの「青ひげ」

 昔々、大きな屋敷、金の盆と銀の皿、総金塗りの馬車まで持っている金持ちの男がおりました。けれど、恐ろしい青い髭のせいで女という女は逃げてしまいます。この男のお隣のご婦人には二人の娘がありました。男はどちらかを妻にと望むのですが、娘二人は首を振ってばかり。青い髭もそうですが、この男、これまで何人かの妻を持ちながら一人残らず行方不明になっているのです。青ひげは毎日毎日、狩にダンス、夜会にお茶会で一家をもてなしましたところ、とうとう妹の方が結婚を承知し、婚礼の儀は滞りなく済みました。
 一ヶ月後、青ひげは大切な用事で6週間の旅に出ることになりました。これは大切な鍵だ。一つは金銀の皿を入れた戸棚のもの、もう一つは金貨と銀貨の詰まった金庫のもの、そして・・・この小さいのは地下室の一番奥の小部屋の鍵だ。どれをどう開けても勝手だが、この小部屋だけは開けても入ってもいけない。万一背けば俺は何をするか分からないぞ、そういい残して旅立つ青ひげ。
 豪華な館には興味津々でも青ひげが恐ろしくて寄り付かなかった知り合いたちは、チャンスとばかりに片っ端から品定め、高価な家具や金銀細工に溜息ばかり。しかし、奥方は小部屋が気になって仕方ありません。夫の言いつけに背いたらどうなるの?でも、誘いの手がグングンと強く引っ張るの、ブルブル震えながらも、奥方はとうとう小部屋の扉を開けてしまいます。
 窓が閉まっていて何も見えません。目が暗闇に慣れると・・・、床は一面の血の海、5、6人の女の死体が壁に並んでいるのです。青ひげが一人また一人、結婚しては殺してしまった女たち、その手から鍵が落ち、我に返った奥方は急いで居間に駆け戻ります。鍵に血がついています。水で洗っても、石鹸と磨き砂で擦っても、その血は消えません。それは魔法の鍵だったのです。
 その夜、青ひげが帰宅しました。用事が早く片付いたという青ひげは、預けた鍵を求めました。おや、小部屋の鍵がないぞ、きっと置き忘れたのでしょう、そんなやり取りの後、とうとう奥方は小部屋の鍵を取り出しました。この血は?知りません・・・、俺はよく知っているよ、お前は小部屋に入ったな?ならばあの女たちの仲間になるがいい!
 奥方は青ひげの足元に突っ伏して、もう二度とお言いつけには背きませんと詫びました。けれども青ひげの心は、岩よりも金属よりも固かったのです。あなたは死ななければならない、今すぐに。せめてお祈りをさせて下さい、では7分と半だけ待ってやろう。一人になった奥方は、お姉さま、塔のてっぺんに上がって、お兄様たちが見えたなら大急ぎで来るように合図して下さいと頼みました。
 ねぇ、まだなの?埃が立って草が青いだけよ、下りて来い、さもないと俺が上がって行くぞ!まだなの?埃が立って草が青いだけよ・・・、あぁ、大きな砂煙が、それはお兄様たちよ、いいえ、羊の群だわ、下りて来い!お姉さま、まだなの?二人が馬に乗って来るわ、それこそお兄様たちよ!
 青ひげは家が震えるほどの大声で怒鳴りました。奥方はしおしおと下に下りると夫の足元に突っ伏しました。早く死ね!青ひげは奥方の髪を掴んで剣を振り上げました。せめて身繕いする間待って下さい!ならん、ならん!
 表の扉が開いたと思うと、騎兵が二人入ってきました。奥方の兄弟たち、一人は竜騎兵、一人は近衛騎兵でした。慌てて逃げる青ひげを兄弟は一突きで殺してしまいました。

 青ひげには跡継ぎがありませんでしたので、その財産は残らず奥方のものとなりました。奥方はそれを使って姉を貴族と結婚させ、兄たちには大尉の位を買って上げました。そして、残ったお金で誠実な男と再婚し、青ひげのことは忘れたのでした。

 何か、娘は最初から金目当てだし、お姉さまはトロ臭くて役立たずって感じだし、いきなり登場した騎兵二人も、妹を殺し損ねて逃げた青ひげを追いかけて、その時点では過去の殺人なんて全く知らないのに、問答無用で殺しちゃうし、シリアル・キラーの残した得体の知れない財産で幸せを買っているし、娘一家って青ひげに負けず劣らずアコギでないか?
 ペローが末尾に付けた6行の説話、「好奇心は人の心をそそるけれど、後で後悔のタネになる、必ず高いツケが回ってくる。」、これ、無理がありますよね。青ひげの秘密は暴露されることを今か今かと待っている、開けられて困る扉の鍵を渡す人間はいません。好奇心の問題ではないのです。第一、高いツケを払ったのは青ひげの方です。ペローの青ひげには、一旦は不純な欲望から宜しからぬ男になびいた娘が勇気を持って立ち直りました、という青少年更正物語の要素が強く、さすがにこれでは読者も引くと思ったのか、「こんなのただの昔話だと誰にだって分かる。みんな、奥さんの言いなりだよ。たとえ髭の色が何色であれ、どっちがご主人やら、よくわからない。」と、第二の説話を加えています。

 そして、グリム兄弟の「青ひげ」。

 「お隣のご婦人には二人の娘」が「森に住む男に一人の娘と三人の息子」となっており、いきなり登場する兄たちに伏線が張ってあります。また、娘は結婚前から嫌な予感がして仕方がないので、兄たちに「私が叫ぶ声が聞こえたら、どこへいらしても、何を差し置いても私を助けに来て下さいね」と言い残しています。また、娘は鍵を干草の中に入れて血を吸い取らせようと試みます。そして、ラスト、殺された青ひげは妻たちの死体と一緒に壁に吊るされます。

 グリム兄弟には、これと大変良く似た「人殺し城」という作品もあります。

 靴屋には三人の娘がありました。ある日立派な身なりの大金持ちが現れて娘の一人を好きになりました。娘は幸運を喜んで男と一緒に旅立ちました。後悔はなさっておりませんか?なんで後悔など致しましょう、ところが娘は不安で一杯でした。あれが私の城だ、男の城は本当に素晴らしいものでした。
 翌日、男は2、3日用事で出掛けることになりました。城の中をくまなく見られるようお前に鍵を預けて行こう。お前がどれほどの富の持ち主か、とくと見たらいい。城を隅から隅まで見て回った娘はすっかり満足し、最後に地下室に来ました。そこには一人の老婆が座っていて、死体からはらわたを掻き出しているのです。お嬢ちゃん、明日はあんたのも掻き出すんだよ!驚いた娘は鍵を血の中に落としてしまいました。血はいくら洗っても落ちませんでした。老婆は、命が助かるには干草を積んだ荷馬車に隠れて城を出るしかないと言いました。娘はその通りにしました。
 男が帰宅し、娘はどこかと老婆に尋ねます。今日は仕事がはかどったので明日の分も始末しときましたよ、これがあの娘の髪の毛、心臓、温かな血も、男は娘が死んだと聞いて安心しました。
 娘は干草を買った貴族の城に着きました。娘の話を聞いた城の主人は近隣の貴族を集めて宴会を催しました。あの人殺し城の男も招かれました。一人一人なにかお話をしよう、変装した娘は自分の番にあの話をしました。何とかそこから逃げ出そうとする男ですが、城の主人は全て手配を済ませておりました。男は牢へ閉じ込められ、男の城は根こそぎ壊され、男の財産は娘のものになりました。娘は城の主人の息子と結婚し、長く生きました。

 共犯者にして正義の味方という老婆は、青ひげの理性なのでしょうか?荷馬車に隠れての脱出劇、変装してのどんでん返し、娘もなかなかどうして頼もしい。

 そして、メーテルリンクにも「アリアーヌと青ひげ」という作品があります。

 青ひげは五人の妻を殺したと噂されていました。アリアーヌはそれを確かめたくて彼と結婚します。アリアーヌが地下室を見たがりますと、青ひげはお前も従順ではない!と彼女を詰りますが、アリアーヌも夫婦に秘密があってはなりませんと応酬します。言い負かされた青ひげが地下室を開けると、そこには青ひげの先妻たちが「生きて」いました。アリアーヌは自由を求めて、青ひげと先妻たちを残して城を去ります。

 初めて娘に名前が付きます。そして、自立した個人である彼女は、好奇心ではなく論理で青ひげに立ち向かいます。青ひげは既に彼女を押さえつけるだけの恐怖を持つことを許されてはいません。
 この作品は、フランスの作曲家ポール・デュカ(1865〜1935、代表作はディズニーの「ファンタジア」でお馴染みの「魔法使いの弟子」でしょうか)が1907年にオペラにしているのですが、残念ながら私は聴いたことがありませんし、録音もないみたいですね。

 髭が青くて恐ろしがられるんなら、髭剃ればいーだろうに。ところで、人間で毛が青いってあり得ないですよね、青ひげってどんな髭?答えは、日本中央競馬会にありました。「サラブレッドの毛色」、鹿毛(かげ)=赤褐色、黒鹿毛(くろかげ)=黒っぽい赤褐色、芦毛(あしげ)=灰色、栗毛(くりげ)=茶褐色、栃栗毛(とちくりげ)=黒っぽい茶褐色、白毛(しろげ)=白、青鹿毛(あおかげ)=ほとんど黒に近い褐色、そして、青毛(あおげ)=黒。つまり、青ひげとは真っ黒な髭のことですね。漆黒は光の当り具合で青光りして見えることがあります。普通に「青毛」だらけの日本と違って、西欧では漆黒の髪と漆黒の髭という組み合わせは、どこか恐ろしげに見えるのでしょうか?

 さて、様々な形で伝えられている青ひげ伝説、そのモデルは、1404年、フランスの小さな町、シャントセ=シュル=ロワールで生を受けた一人の男、王をも凌ぐ富を持つ資産家、フランス王国元帥、ジャンヌ・ダルクの戦友、そして1500人の少年を殺害し、火刑台に消えた殺人鬼、大貴族ジル・ド・レ。


参考文献:「ペロー童話集」(シャルル・ペロー/天沢退二郎訳、岩波書店) 「メルヘンの深層」(森義信、講談社)
       日本中央競馬会ホームページ



聖なる怪物

 イングランド相手の百年戦争の真っ只中、1404年11月、フランス、ブルターニュ一の名門ラヴァル=モンモランシー家のギ・ド・ラヴァルと、これまたブルターニュからアンジュにかけての大地主クラン家のマリ・ド・クランの間に待望の長男が誕生しました。その赤ん坊こそ、ジル・ド・レ。彼がその姓を名乗ることになるレ家はブルターニュの有力貴族でしたが、後継者問題で揉めに揉め、パリ高等法院で訴訟係属中、その争いに乗じてジルを相続人に捻じ込んだのは、マリの父、ジルの祖父であるジャン・ド・クランでした。
 当時の習慣に従って両親から離されて乳母や召使に育てられたジル、父のギは教育熱心、ジルも優秀な子で、「流暢なラテン語を話し、学問、音楽、そして造形美術に情熱を燃やし」、父の期待に答えました。ギの不安はジルの祖父、自分の舅であるジャンの強欲でした。土地所有にとり憑かれたジャンにとって、眉目秀麗、頭脳明晰な孫のジルは願ってもない「駒」でした。
 1415年の初めに母マリが世を去り、後を追うかのように9月には父ギも事故死、11歳で両親を失ったジルは、グラン家、レ家、ラヴァル家の相続人として、将来はフランス国王を凌ぐ大富豪となることが約束されました。そんな孫を手中に収めたジャンは、更なる領地拡大を画策します。当時の地上げの方法は結婚か戦争です。資産家の貴族の娘を見つけては、その豊富な資金をバックに武力行使も辞さないと脅して、孫の嫁にと迫ります。ジルの最初の婚約は12歳の時、お相手はノルマンディの大富豪ペーネル家の娘、4歳のジャンヌ。しかし、ジャンヌは病死、婚約は解消。2年後にはブルターニュ公の姪であるベアトリス、しかし、彼女も病死、婚約は解消。ジルはこれ以外にも何度か婚約をしましたが、何れも相手が死んでしまいます。死亡率の高かった当時のこと、さほど珍しいとも言えないのですが、これらの事実が後の青ひげ伝説に繋がります。

 領地拡大に熱中する祖父ジャン、孤独なジルは陰気なクラン家の城の図書室に閉じ篭ります。彼が特に好んだのはスエトニウスの「ローマ皇帝伝」、ティベリウス、カリギュラ、ネロ、歴代の皇帝たちが繰り広げた酒池肉林、特に残虐な遊戯にジルは興奮を覚えるようになっていきます。そして、粗野で無教養な祖父ジャンは、孫が何を読んでいるのか知るよしもありませんでした。

 やがてジャンは格好の獲物、つまり孫の嫁を見つけます。レ家の隣に広大な所領を持つトアール家の娘カトリーヌです。しかし、この結婚には障害がありました。両家は親戚同士で、ローマ教会が禁じている近親婚に当るのです。ジャンは兵と孫を引き連れてカトリーヌを拉致、剣を突きつけられた司祭によって結婚した二人ですが、ジルは新妻には何の関心もなかったし、妻も冷淡な夫に愛情を持つことはありませんでした。ジルは同性愛者だったのです。

 1420年代のフランスは終わりの見えない混乱の中にありました。百年戦争に加えて、ブルゴーニュ派とアルマニャック派の王冠を巡る内戦は激化する一方。北部のノルマンディーはブルゴーニュ派が引き入れたイングランドによって占領されており、1422年にシャルル6世が亡くなって以来、国王は不在のまま。シャルル6世には王太子シャルル(後の7世)という世継がいたのですが、1420年にイングランドのヘンリー5世との間に結ばれたトロア条約に、「ヘンリー5世はシャルル6世の娘キャサリンと結婚し、シャルル6世が亡くなった時は、フランスの王位は彼らの子が承継する」という条文があったためです。しかし、ヘンリー5世の世継ヘンリー6世はまだ幼児、フランス王家の伝統に則ってランスで戴冠式を行うことができないでいました。フランスはこの一点に逆転を賭けます。

 1425年初夏、ロレーヌのドンレミ村、農家の娘ジャンヌは、その「声」を聞きました。「オルレアンの包囲を解いてフランスを救え!」。ジャンヌは「声」に従って旅立ちました。ロレーヌからシャルル7世の拠点シノンまで600キロを僅か11日で走破したジャンヌは、家臣の一人と衣装を交換して取り巻きに紛れていたシャルルの前に真っ直ぐ歩み出て膝をつきました。その謁見の場には祖父ジャンの代理としてのジルの姿がありました。シャルルの信頼を得たジャンヌは、王から送られた白馬に跨って颯爽とオルレアンに向かって進軍を開始しました。ジャンヌ・ダルク伝説の始まりです。
 全てはアンジュ公ルイの母、ヨランダによって仕組まれたことでした。劣勢にあるシャルル派にとって、神懸りの少女は十分な利用価値がありました。行く先々で救国の処女が現れたと噂を振り撒いたのも、シャルルの変装劇を仕組んだのもヨランダでした。しかし、軍事作戦となれば百姓の娘など使い物にはなりません。ジルに与えられた任務は、ジャンヌが軍を率いているかのように見せながら、包囲網を突破してオルレアンに入ること、フランス軍の実際の指揮官は、猛将ラ・イールとジルでした。
 「歓声をあげて勇敢な戦士たち、とりわけ『処女』ジャンヌの功績を声高くほめたたえ」る人々に迎えられてオルレアンに入城したジャンヌとジルたち、シャルルの胸にある不安が芽生えました。ジャンヌがオルレアンを解放するなど彼は予想していなかった、ジャンヌを奉って武闘派が勢いを増すことをシャルルは決して望んではいませんでした。
 そんなシャルルの思惑とは関係なく、「処女の赴くところならどこへでも」という兵士たちは進撃を続け、1429年7月17日、シャルルはランスの大聖堂でシャルル7世としてフランス王に即位、同時に24歳のジル・ド・レはフランスの騎士にとって最高の名誉である王国元帥に任命され、王家の紋章である百合の花の使用が許されます。そんな戴冠式の陰で、新たな外交政策を打ち出そうとするシャルルは、あくまで武力でイングランドをフランスから追い出すべしと主張するジャンヌたち武闘派を排除する準備を進めていました。

 日に日に孤立していくジャンヌ、1430年5月23日、ブルゴーニュ派に捕らえら、イングランドに引き渡された救国の処女を救うべしと主張する者は、シャルルの宮廷ではオルレアン以来の戦友であるジルとラ・イールだけでした。1431年2月21日、ルーアンで始まった異端審問裁判の結果、ジャンヌは魔女として死刑判決を受け、5月30日、火刑に処せられました。そして、王国元帥ジルもジャンヌ処刑の翌年、戦場から身を引きます。

 1432年11月15日、孫の将来を不安に思いつつ祖父ジャン・ド・クラン死去。この頃からジルの桁外れの浪費が始まります。フランス国王の直轄領をはるかに凌ぐ領地を相続したジルは、その遺産をひたすら浪費していきます。例えば、「オルレアン解放のための神秘劇」のプロデューサーを務め、5ヶ月間の公演の間、チケットがタダなのはともかく、全ての市民に高価なワイン付の食事を提供したり、家臣たちに揃いの豪華な衣装を誂えて大名旅行に興じたり。もう浪費を諌める祖父ジャンはいません。これでは相続財産がキレイサッパリ消えてしまう、親族たちの申立で禁治産者に指定されてしまったジルは、差し迫った金の不自由を解消しようと錬金術に熱中します。城内に精錬窯や蒸留器を備え付け、自称錬金術師、実は詐欺師を次から次と高給で雇い入れ、しかし、当然ですが一向に金は出来ません。今度は、ジルは降魔術にはまります。金が出来ないのは魔力が足りないからだと考えたのです。今度は自称降魔術師、実は詐欺師がジルの城の居候に加わります。
 ジルが城の地下室で詐欺師どもと壷を覗き込んでいた頃、国王シャルルは着々と改革を進めました。新しいフランス王国軍が創設されたのです。それまでの戦争は、国王との間に契約のある貴族がそれぞれ自腹で雇った傭兵を率いて戦うというものでした。貴族たちは自分の所領を守り、あわよくば広めるために、騎士たちは名声を得てより良い条件で転職するために、傭兵たちは純粋に食うために戦う、戦争はイデオロギーではなくビジネスでした。だから死んでは元も子もありません。数千の軍が数日に亘って戦って死者一名、それも戦死じゃなくて馬に蹴られて事故死、という戦闘も珍しくありませんでした。安全第一の軍隊では国は守れない、シャルルは、国王の直接指揮下の常設軍が必要だと痛感したのです。つまり王国元帥は飾り物に過ぎなくなります。

 そして、この頃、ジルの所領では少年たちの失踪事件が多発するようになります。

 1440年5月15日、ジルの城の売買契約を巡ってトラブルが発生、カッとなったジルは司祭と徴税請負人を拉致します。7月29日、ジルに対する告発状が公布されます。その内容に人々は驚愕しました。「騎士にして領主、男爵にしてわれらが主の僕、われらが教区の住民ジル・ド・レ殿は、数名の従犯者とともに、多数の無垢なる少年を殺害し、その喉笛を掻切り忌まわしき手段で惨殺したうえ、それら少年に対し自然に悖る淫らなる行為とソドミーの悪徳を行った。」・・・、9月15日、召還されたジルは、眩いばかりの王国元帥の正装で城を出て、再び帰ってくることはありませんでした。
 起訴状によればジルの罪状は、1426年以降140名の少年を殺害、同じく1426年から錬金術と降魔術という異端行為を繰り返し、教会から司祭を拉致し、云々かんぬんで49項目にも上りました。
 「自分の想像力のおもむくままにおこなったものであり、誰の意見にしたがったこともなく、ただ自分の意思で自分の快楽と肉体の悦びのためにおこなったのであって、それ以外のいかなる意図も目的もなかった」、ジルは全てを認めます。

 少年たちが死ぬ前にも死んだ後にも、また死にかけているときにも、その腹の上にかぎりなく罪深い方法で射精しました・・・、首を短剣で切り裂き、あるいは頭を杖や棒で殴りつけ、その屍体を切り開き、内臓を掴んで喜びに耽りました・・・、判決は死刑。

 フランス王国元帥が快楽殺人犯に変貌する過程を知ることはできません。しかし、共に戦ったジャンヌの処刑は決して無関係ではないでしょう。聖女だった女が魔女として処刑される、そこにいるのは、少しも変わらないあのジャンヌなのに。ジャンヌの死によって、ジルの中で何か取り返しのつかないものがはじけ飛んだことは想像に難くありません。同性愛者であったジルにとってジャンヌは愛の対象にはならなかったでしょうが、傭兵しか知らなかったジルにとってジャンヌは初めて出会った真の「戦士」だった、彼女は自分が聞いた「声」にのみ忠実でした。ビジネスではなく使命として命を賭した者が、用済みになった途端に「異端」として捨てられる。忠誠とは、義務とは、信仰とは何だ?ジルは今まで必死になって押さえつけてきた己の中の怪物が目覚めるのを感じ、それを抑制する意志を持続させる意味を見失ってしまったのでしょう。

 ジルの生きた時代、それは子供とは「出来損ないの大人」であり、その半数は大人になる前に死んでしまう時代でした。森にキノコ取りにやれば狼に食われてしまい、町にお使いにやれば人買いに拉致され、奉公に出せば主人に売られてしまう、そんな時代に貴族が平民の子を何人殺そうが死刑にはなりません。裁判の当初、ジルはそう確信していました。しかし、裁判の真の目的は、既に役に立たない王国元帥が持つ莫大な財産を、ブルターニュ公と国王と教会が山分けするためのものだったのです。現に、まだ裁判が始まってもいないというのに、ジルの領地の売買契約書が用意されていました。
 ジルは悟ります、何がどうなろうと死刑以外の判決はないのだと。ジルは己の罪を雄弁に語り始めます。人生の最後を恐怖と戦慄で飾るために、誰よりも華やかに破滅するために、そして永遠の伝説となるために・・・。

 ジルの望みは叶えられたと言って良いでしょう。戦友ジャンヌが救国の処女として語り継がれたように、彼、ジル・ド・レは「青ひげ」という快楽殺人犯の代名詞となりました。一つの時代を象徴するポジとネガとして。

 処刑後のジルの遺体は、数名の貴族の婦人方によって、ナントのノートルダム教会の内陣の地下に正しき貴族として葬られました。ジルが愛なき結婚によって得た娘マリが父のために立てた碑は、「恵みの乳の聖母」として人々の信仰を集めました。ジルの被害者たちの数が140人から1500人へどんどん増えていく傍らで(おそらく、一帯の村々での病死から事故死から行方不明から、全部、ジルにおっ被せたものと思われます)、人々は王国元帥のジルを忘れなかったのです。そう、おそらく人々は知っていたのでしょう、救国の処女ジャンヌがそうであったように、ジル・ド・レもまた権力の犠牲者なのだと。こんな人々の思いが何時しかジルから少年大量殺戮を拭い去り、幼い頃の婚約のエピソードによって、誘惑した女を次々と手にかける「男らしい」殺人鬼へと変貌させたのでしょう。

 しかし、歴戦の武将であったジルにとって、妻の兄弟に殺される青ひげはあり得ませんし、当時の西欧で五指に入る大富豪であったジルにとって、メルヘンの青ひげの田舎貴族らしいショボさは耐え難いものでしょうし、王国元帥であったジルにとって、妻と城主の仕掛けた罠にまんまと引っかかる青ひげも、到底受け入れがたいものであろうと想像します。
 そんなジル・ド・レに贈りましょう、孤独な牢獄を血で飾り、愛する女を恐怖で愛撫し、永遠の闇を優雅に彷徨う、「理性とは正反対の極点に位置」する「聖なる怪物」(バタイユ)、バルトークの青ひげを。 

参考文献:「青髭ジル・ド・レー」(レナード・ウルフ/河村錠一郎訳) 「青髭ジル・ド・レの生涯」(清水正晴)
       「中世の秋」(ホイジンガ/堀越孝一訳) 「英仏百年戦争」(佐藤賢一)


二人だけの物語

口上

 吟遊詩人が登場し、口上を述べます(歌いません)。このお話は神秘と象徴の世界に属するものであると同時に、皆様方お一人お一人に関わるものでもございますこと、お心にとめて頂きまして、とある古城にまつわる、さて、密やかな言い伝え・・・。

広間

 七つの扉に囲まれた円形の広間、小さな鉄扉が開いて男と女が登場します。眩い外光が闇を切り裂きます。

 さぁ、これが青ひげの城、ユディトよ、お前は私についてくるか?ついてきます、青ひげよ。お前の母は喪に服し、父は剣を帯び、兄は馬に鞍を置き、お前に警告しているぞ、ユディトよ、まだ扉は開いている。青ひげよ、私は、父母も兄弟も許婚も捨てました!ならば・・・、鉄扉が閉ざされ、再びの闇。窓は?露台は?日光は?何もない・・・、いつも寒いの?いつも暗いの?いつも寒くて暗い・・・。壁が濡れている、城が泣いているのね。ユディトよ、やはりお前は帰れ。バラも日の光もいらないわ!いらないわ・・・。
 湿った壁を乾かすの、冷たい石を暖めるの、二人で窓を開けましょう!七つの扉を開けましょう!誰も中を見ることはできない、この城にまつわる人々の噂を知っているだろう?開けて、開けて!開けて!

第一の扉

 赤い・・・、鎖、杭、真っ赤に燃えている鉄串・・・。ここは拷問部屋なのだ。壁は血だらけ、あなたの城は血を吹いているわ!怖いのか?いいえ、だって、ほら、明るくなってきた、見えるでしょう、光が?それは血だ。他の扉も開けないと、風が通るように、日が差すように、全部!さぁ、鍵を下さいな!なぜ鍵を欲しがる?あなたを愛しているから!

第二の扉

 武器、戦の道具・・・。ここは武器庫なのだ。あなたは強くて残酷な方なのね?怖いのか?どの武器にも血がこびりついているわ・・・、他の鍵も下さいな!城が揺れる、石から喜びが湧き出す、ユディトよ、まるで傷から血が流れ出すように。あなたを愛しているの、だからここに来たの、全部開けて!全部見るがいい、しかし、何も聞くな。

第三の扉

 金貨・・・、ダイヤモンドに真珠、何て見事な沢山のドレス!全部お前のものだ、真珠もダイヤモンドも全て。でも、血が付いている、一番立派な王冠にも血が・・・。さぁ、次の扉を開けるがいい、日の光を呼び込むがいい!

第四の扉

 花!花園よ!固い石の奥に隠れていたのね!ここは秘密の庭なのだ。何て見事な花々!どんな花もお前の望み通りに咲くだろう。血・・・、一面血の海だわ、誰が血を蒔いたの?ユディトよ、聞くな、ただ愛するのだ、さぁ、ご覧。

第五の扉

 あぁ!これが私の領地、美しくて大きな国だろう?絹のような野原、ビロードのような森、銀色の川、青い山々!雲が赤い・・・、血のように赤いわ。私の城は輝いている、さぁ、おいで、この胸に抱かせておくれ。開かないドアがあと二つ、さぁ、おいで、キスしておくれ。あと二つの扉も開けるの!私の城をあまり明るくするな、どうなってもいいの、青ひげよ、開けて、あと二つのドアを開けて!なぜ見たいのだ、ユディト、ユディト!開けて、開けて!
 
第六の扉

 白い湖が見える・・・何一つ動かない、青ひげよ、これは何なの?涙だ、ユディトよ、涙なのだ。最後の扉だけは開けないぞ!私を愛しているの?お前はこの城の光だ、だからキスしておくれ、そして何も聞くな。教えて、青ひげよ、私の前に愛した女性のことを。第七の扉を開けて!分かっているの、何が隠されているか、武器が、王冠が、花園が、雲が血に塗れていた・・・、あの涙は誰が流したものか分かっているの、あの部屋の奥で女たちが殺されたのでしょう?あの噂は本当なのでしょう?ユディト!私は知りたいの、第七の扉を開けて!・・・受け取るがいい、最後の鍵を、見るがいい、女たちを・・・。

第七の扉・・・そして、静寂

 私の愛した女たちを見るがいい・・・。生きている、生きているわ!この人たち、生きているわ!美しい女たち、類なく美しい女たち、私に宝をもたらし、私の庭を花で満たし、私の国に富をもたらせた女たち、全ては彼女たちのもの。何て美しい人たち、私はみすぼらしいわ・・・。
 第一の女と出会ったのは夜明け、芳しく麗しい深紅の夜明け、だから夜明けは彼女のものだ。第二の女と出会ったのは真昼、金色に燃え上がる静寂の真昼、だから真昼は彼女のものだ。第三の女と出会ったのは夕暮れ、物憂く穏やかな薄暗い夕暮れ、だから夕暮れは彼女のものだ。
 三人とも私より美しい、私より立派だわ・・・。第四の女と出会ったのは星の瞬く真夜中・・・、青ひげよ、止めて!青白い顔は星の輝き、亜麻色の髪は夜の雲、夜はお前のものだ・・・、星のように輝く夜会服もダイヤモンドの王冠も、私の一番大切な宝も、お前のものだ。青ひげよ、いりません、いらないの、止めて、止めて・・・。

 お前は美しい、類なく美しい、一番美しい女なのだ、もう永遠に夜、夜、夜・・・。

 ユディト、旧約聖書の外典に登場する古代イスラエルの「ジャンヌ・ダルク」の名です。アッシリアの王ネブカドネザルは、対メディア王戦の際に協力を拒んだイスラエルに鉄槌を下すべく、軍を進めます。「されば、まず汝行きて、我がためにその全ての領土を占領せよ。彼ら汝に降伏せば、我がために処刑の日まで、これを捕らえ置くべし」、王の命令を受けた総司令官ホロフェルネスは、最初にベツリアの街を包囲し、その水源を絶ちます。このままでは日干しになってしまう、ベツリアの指導者オジアは降伏を決意しますが、実力者だった夫を失った寡婦ユディトが立ち上がります。
 妖艶に着飾ったユディトはホロフェルネスの陣営を訪れます。あの街も、あの街の男どもも、もうウンザリ、攻め入るのなら私がご案内しますわ。喜んだホロフェルネスは下心いっぱいで4日の間、ユディトをもてなします。しかし、正しいユダヤ教徒であった彼女は異教徒の差し出す食べ物には口を付けませんでした。4日目の夜、しこたまきこし召して泥酔したホロフェルネス、ユディトは彼の剣を手に取るとその首を切り落とします。
 敵の総司令官の首を手にベツリアに戻ったユディト、ユダヤ人たちは動揺する敵に乗じてアッシリア軍を破ります。ユディトは、105歳で死ぬまでベツリアで人々の尊敬に包まれ、静かに暮らしました。

 さて、ご存じの通り、ネブカドネザルはバビロニアの王であってアッシリアの王ではありません。紀元前586年にイスラエルを攻めた王は、エルサレムを陥落させ神殿を破壊し、多くの捕虜を首都バビロンへ連行、この「バビロン捕囚」は旧約聖書の「列王記」に記されている通りの史実としてあります。またベツリアという街がどこにあったのか、そもそも存在したのかを証明するものもありません。ユディトの物語は、限りなくフィクションに近い。
 若くして寡婦になったのに貞淑、国難にあって自己犠牲を厭わず、4日も断食するほど信仰強固、そして、敵に対して勇敢にして苛烈。おそらくユディトという後家さんはどこかに実在したのでしょう、そしてありふれた小さな出来事が斜面を下る雪玉のように膨れあがり、救国のヒロイン、ユディトを作り上げたのでしょう、そう、ジャンヌ・ダルクのように。

 そんなユディトに対峙する青ひげには名前がありません。伝説の烈女の名を頂く花嫁によって全ての扉を開かれてしまう、全ての秘密を失ってしまう、名のない花婿・・・。ユディトが現実に存在する世界を、その世界を構築する枠組みを表現していることは明らかです。そして、その力が次第に強まることで一つ一つこじ開けられている扉、扉が一つ開くたびに、さらに高ぶる言葉、さらに強まる力、ユディトの力は枠の中、オーブンの中のカップケーキのように、上に上に膨らんでいく。
 押されっぱなし、何度も何度も土俵を割ってしまう青ひげは、最後の最後に枠組み自体を破壊することで、己の世界を解き放ちます。しかし、その世界はユディトの世界を支配する法則とは全く別の力によって瞬く間に閉じていきます。

 歌うのはたった二人、誰がどうだとか間違えようがありません。そして、オペラでは当たり前の(  )に入る心の中を表現する言葉がありません。全ての言葉は外に対して、でも、二人しか登場しませんので、相手に対して真っ直ぐに語られる言葉です。秘められた思いは聴く者の想像に委ねられます。

 これ以上単純になりようのない物語を紡ぐのは、少し饐えた香りを放つ濃厚で芳醇な言葉、そして、中世のバラードの静かな冷ややかさを縦糸に、現代音楽の捻りを横糸に織りなされる旋律。
 言葉は次々と唇を離れ、空気を震わせて相手に伝わり、そして消えていきます。耳を澄ませて下さい、ありったけの力で耳を澄ませて下さい。流麗な言葉と硬質な旋律が隠し持つ甘くて苦い毒を味わうために。誰も死なない、死体の全く登場しないこの青ひげの物語がどれほど恐ろしいかを知るために。


掌の上の宇宙

 閉ざされた空間に二人きりの男と女、次々と開くけれどどこへも通じていない扉、ミニマリズムの極地であるこの作品は、角度を変えると次々と全く違った物語が見えるのです。掌の上の得体の知れない極小の宇宙・・・。

たとえば、ユディト

 ユディトは、閉ざされた空間でただ一人無謀な膨張を続けます。「うまく、そっと開けてみせるわ」、一つまた一つ扉が開くごとに、ユディトの声は高ぶり、言葉は強さを増します。その扉の中には苦痛と悲しみしか入っていないというのに、ユディトは次を、また次を求めます。ユディトにとって大切なのは扉の中に何があるかではない、青ひげが自分に扉を開けることを許すことなのです。ユディトは、自分の愛と青ひげの愛ではなく、自分の愛と扉の鍵を交換していく。
 ユディトは、愛されている証拠を灼かれるように求めていながら、しかし愛を直接問うことを恐れているのです。この要求が、次の要求が、その次の要求が叶えられれば、私は愛されているはず。万能である自分を構築する作業に没頭するユディトは、持てる以上のものを手にしようとその要求を募らせていき、愛を見失います。時として欲望は宇宙を満たす・・・。

 全てを持ちながら全てを厭う青ひげ、誰にも見られることのない美、何も生み出さない富、己の全てが無意味であると知り、それを恥じるかのように寡黙な青ひげ、そんな彼を愛したユディト。「お前は美しい、美しい、類なく美しい、一番美しい女なのだ!」、ユディトは、青ひげが振り絞った言葉の代償として、一つ一つ開けてきた扉を一つ一つ閉ざし、孤独に病んだ青ひげを受け入れることで、彼の孤独を共有するのです。
 朝、昼、夕暮れ、今、青ひげの時は夜にたどり着きました。その夜は永遠です。もうユディトは決してどこも行かない、もう青ひげの城の中では時は進まない、もう青ひげは何者も失わない、何者も得ない、何一つ動かない世界、それは当然に無に堕ちていきます。ユディトが己の存在全てをもって満たした青ひげのための豊潤な無・・・。

 ユディト、それは正義の殺人者、救国の暗殺者の名前です。彼女が体現する世界は、秘密を許さない、なぜなら秘密は孤独を育み、孤独は思索に力を与え、思索は疑問を生み、疑問は秩序を脅かす反抗の苗床となります。甘美な秘密を閉じこめて底なしの孤独の中にある青ひげ、ユディトはその秘密の全てを暴いていきます。秘密は秘密であるからこそ人を惹きつける、日の下に晒された秘密にはもう何の力もありません。
 世界はユディトの言葉を高く掲げます、闇には光を、涙には微笑みを、死者には慰めを・・・、しかし、青ひげの言葉が青い影のように付きまといます、闇には苦痛を、涙には諦めを、死者には虚無を。

たとえば、青ひげ

 ユディトは青ひげを見てはいない、彼女が見るのは七つの扉です。ユディトは青ひげを求めてはいない、彼女が求めるのは扉の向こうの秘密です。そして、血塗れの過去を、その血によって購った富を、人知れず流れた涙を、青ひげの隠したもの全てを次々と暴き立てる花嫁。最後の扉が開いてその秘密が全て明らかになった時、それでも、やはりユディトは青ひげを見ようとはしません。「私はみすぼらしい」「私よりも美しい」、花嫁は自分を見ている、自分しか見ていないのです。裏切られた花婿、青ひげは、しかし、伝説のようにユディトの命を奪うのではなく、その前に跪き彼女を崇めるのです。
 暴力によって贖った富の血は決して乾かず、力によってもぎ取った領地は誰一人耕す者もなく、秘められた花園を共に歩く人も現れず、そんな富で贖った宝石を我が身に飾りたがる女たちがいるのです、次から次へと引きも切らずに。青ひげはそんな女たちの欲望を映す冷たい鏡に過ぎないのかも知れません。

 ユディトは最後に悟ったのでしょうか?全ては最初から仕組まれていたのだと。第一の扉が明かした青ひげの残忍さ、第二の扉の暴力、第三の扉の強欲、第四の扉の秘密主義、第五の扉の空虚、そして第六の扉の悲しみ・・・、しかし、どれもが目眩がするほどに富の香りを放つのです。一つを開けてしまえば、さらに渇く、そして、青ひげは開けるなと懇願し続けます。開けるな、それは開けよという誘惑です。青ひげは狡猾に冷酷にユディトを追いつめていきます。最後の扉が開いた時、青ひげは全てを明かしたことの代価を求めます。拒絶し続けておきながら与え続けた青ひげ、当然、ユディトの拒絶の言葉は無視されます。
 永遠・・・、時間はメビウスの輪となって回転します、決して前に進まず、決して誰も死なず、決してどこへも通じない世界、死んだ時間が循環するだけ、花婿が花嫁に贈る完璧な棺。

 青ひげは犯していない殺人の疑いを否定しません。青ひげは城を満たす富のおぞましい正体を隠しません。彼は一人でこの世の苦しみと悲しみを背負っている、原罪を負った一人の人間として。「生きている、生きている、この人たちは生きている!」、ユディトは彼の無実を知っても、彼女の前に跪く青ひげに対して、愛どころか許しすら与えません。人は罪から逃げられないのか?
 青ひげは罪の城にユディトを引きずり込みます。許されないと分かっていて許しを請う、それは偽善でしかない、自己満足でしかない、ここに罪があるというのなら、その罪は決して消えないというのなら、それに溺れる以外に何がある?青ひげとユディトを飲み込んだ城は、まるで最初からこの世には存在しなかったかのよう。何しろ、幕が下りた時、観客は、結局自分が何を見たのか全く分からないのですから。

 バルトークが青ひげを書いたのは1911年のこと、彼は30歳でした。1904年頃から、若きバルトークは、ハイドンやブラームス、そしてリストが書いた「ハンガリー風」ではなく、本当のハンガリー音楽を再構築しようと、音楽院の級友コダーイと共にハンガリーの民謡を集めることに没頭していました。そして、バルトークと同じベラという名前を持つ、彼より3歳年下の劇作家バラージュ、彼もまたハンガリーの農民詩や説話を研究していました。新進気鋭の音楽家ベラと劇作家ベラが出会ったのがこの青ひげの物語。中世のバラードに則ったバラージュの台本にバルトークが現代的なアクセントを加え、さて出来上がったのは良いのですが、初演まで7年も待つことになります。これがオペラだとは誰も認めてくれなかったのです。

 民衆の中にこそ真のハンガリーがあると信じて疑わなかった二人のベラ、しかし、彼らがあと10年年齢を重ねていれば、今ある「青ひげ公の城」は存在しなかったでしょう。民族の矜持、祖国への思い、若き野心と行動力、そして、第一次世界大戦がそっと忍び寄る時代の奇妙に高揚する熱気と悪寒、そんなこんなが偶然にも一つ所に集まって出来上がったオペラ、「青ひげ公の城」。
 1918年、「かかしの王子」と二本立てでやっと初演を迎えたこの作品は、なぜか大受け、一番不思議がっていたのは当のバルトークだったとか。

 お勧め盤、孤独であることに慣れてしまった男と己の欲望と彼の救済を重ねてしまった女がもつれ合うドラマ、あるいは、光すら脱出できない魂のブラックホールが出来上がる様を突き付けられるゴシックホラー、あるいは少女が大人に変貌する瞬間のために全てを捧げる究極のハンバート・ハンバートの告白、この作品の解釈には際限がありません。どの立場で演奏するか、どれを選んで聞くか、悩ましい作品です。
 ポルガールの青ひげ、ノーマンのユディト、シカゴ交響楽団のブーレーズ盤、ノーマンの声に圧倒されます。クリスタルの透明度の高音部から鉄の強さの低音部まで、滑らかに上昇し下降する声、怪物と呼ぶに相応しい歌唱、ポルガールもぶっとい声で果敢に応戦し、ヘビー級の対戦を堪能できます。ブーレーズの棒は折り目正しく控えめ。
 フィッシャー=ディスカウの青ひげ、テッパーのユディト、ベルリン放送交響楽団のフリッチャイ盤、ディスカウの青ひげは青白い凄みを湛えてスタイリッシュにして重厚、フリッチャイの棒も端正にして知的でありながら、途中から指揮棒が剣に思えてくるような破壊力。原語のマジャール語で聞くのが正しいのでしょうが、ドイツ語版のこの録音は是非とも聞いて頂きたいです。



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