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Leafドニゼッティ 「アンナ・ボレーナ」 (2003年6月24日〜2003年7月18日の日記より)


A・R、もっとも幸多き者

 1534年にイギリスで作られたメダルがあります。アン・ブーリン(イタリア語ではアンナ・ボレーナ)がイギリス国王ヘンリー8世の王妃として戴冠したのを記念して作られたものです。アンの肖像の裏に刻まれた文字は「A・R(アン王妃)、もっとも幸多き者 1534年」・・・。このメダルが世に出てから1000日の後、アンの首が「カレーの剣」によって切り落とされることになると、誰が思ったでしょう。

 アンの夫ヘンリー8世、「ばら戦争」(名前はきれいですが実に凄惨な内戦でした)を収拾し絶対王政を確立した父ヘンリー7世の後を継ぎ、次女エリザベス1世の時代のチューダー朝最盛期を用意した王様です。彼のした仕事の一番の目玉は英国国教会を拵えて神(ローマ教会)とカエサル(王様)の分業体制にあったイギリスを文字通りカエサルのものにしたことでしょう。ところが彼、実は大のプロテスタント嫌いで、今でもミサの形式や教義においてはカトリックと英国国教会はほとんど同じです。ヘンリーがローマと大喧嘩した原因は、神学論争でもなく経済戦争でもなく、離婚問題でした。その原因がアン・ブーリン。

 事の発端はヘンリーの兄アーサー皇太子とスペインのイサベラ女王とフェルナンド王の娘キャサリンの結婚にまで遡ります。16歳のふくよかな美少女キャサリンと15歳の発育不良の青白いアーサー、セント・ポール大聖堂での結婚式で花嫁をエスコートしたのは10歳の弟ヘンリー。10歳なのに兄よりも背が高くガッシリとしていたヘンリーはキャサリンの目にはどう映ったのでしょうか。それから僅か4ヶ月後、ひ弱なアーサーはインフルエンザみたいな症状であっさりと死去。16歳と3ヶ月の未亡人キャサリンを巡って騒動が持ち上がります。二人の結婚に当たって両家が交わした契約書には、キャサリンは持参金20万クラウンをイギリスに払う、アーサーは自分が先に死んだ場合、その領地の上がりの3分の1を未亡人に支給するとありました。ところがケチなフェルナンドは10万クラウンしか支払っておらず残金の支払をばっくれるつもり、それに輪をかけてケチなヘンリー7世は嫁いでたった4ヶ月の嫁に領地の上がりを払うのがイヤだった。この二人のケチじじいにとって一番の解決策は、キャサリンが未亡人じゃなくなりゃいいってことです。で、目を付けられたのが弟のヘンリー。ところが聖書に厄介な一文があったんですね。レビ記「人もしその兄弟の妻を取らばこれ汚らわしきことなり」、兄嫁だった女性とは結婚できないんです。で、ケチじじいは知恵を絞った。結婚してなきゃいい!ひ弱だったアーサーは短い結婚生活の間、コトに及んでおらずってことにしちゃわない?真相は闇の中ですが、これで逞しい美男ヘンリーと「優雅な美少女」年上のキャサリンはめでたく結婚。

 この二人の間には7人の子供が生まれますが、ただ一人後のメアリ1世以外は全員が早世、どうしても男の世継ぎが欲しいヘンリーは次第に「ふくよか」ぶりを増していく姉さん女房に不安を覚えます。とうとう、ベッシー・ブラントとの間にヘンリー・フィッツロイという私生児まで作ってしまうのですが、いくら「フィッツロイ(王の息子)」と名付けたところで庶子は庶子。ライバルのフランス国王フランソワ1世にもスペイン国王カルロス5世にも男の子がいるのに何で俺んとこだけ!そのヘンリーの視線の先に一人の「溌剌とした若い乙女」がおりました。キャサリンの侍女アン・ブーリン・・・。

 後の歴史家から「馬の骨」扱いされるアンですが、エドワード1世をご先祖に持つ王家の血筋です。遣り手外交官だった父トマスからその場に相応しく立ち回る才を受け継いだアン、ハプスブルク家、そしてフランス王家と、当時最も洗練された宮廷で磨かれた彼女は「田舎」のイギリス宮廷では一際目立つ存在でした。
 金髪色白ポッチャリが美人の条件だった時代にあって、黒髪、浅黒い肌、ほっそりとした身体のアンは、決していわゆる美人ではなかったのですが、彼女の武器はまるで誘うが如く物問いたげに輝く黒い瞳、長く美しいうなじ、そして何よりも相手を退屈させない溌剌とした生気でした。そしてアンは信心深いキャサリンとは違って情熱的な女でした。大貴族パーシー卿ヘンリーや詩人サー・トマス・ワイアットを相手に物怖じすることなく浮き名を流しています。ヘンリーはイチコロです。王は勝負に出ます。この気まぐれで魅力的なブルネットと結婚して男の子を作るぞ!

 今日、離婚というのは「結婚していたけど止める」という意味ですが、ローマ教会によって離婚が禁じられていたこの時代の離婚は、「結婚していなかった」という意味です。結婚が無効でなければなりません。ヘンリーとお抱え官僚は知恵を絞ります。しかし、キャサリンは一筋縄ではいきません。何しろガチガチのカトリックで貞淑ぶりは折り紙付き。おまけに彼女の甥であるスペイン国王カルロス5世はローマ教会の最大のスポンサー、神聖ローマ帝国皇帝でもあります。姉さん女房のあら探しが徒労に終わったヘンリーは、再びレビ記の文句を引っ張り出します、兄嫁と結婚しちゃまずいっしょ?さらに続きにこう書いてある、「その二人(兄弟の妻だった女とその旦那)は子無かるべし」、ほら、俺に息子ができないのはこのせいだってば!ヘンリーは兄アーサーとキャサリンは実はコトに及んでおった、だから自分の結婚は聖書に反する行為であった、よって反省してます、神様ごめんなさい、結婚は取り消し!と主張します。ところがキャサリンは、あんた、今更何言ってんの?結婚した時の理屈忘れたわけ?(ごもっとも)と反論、さらに聖書の別のところにはこうあると来た、申命記「これ(兄弟の未亡人)の所に入りこれを娶りて妻となし、兄弟の名をイスラエルに絶たざらしむべし」・・・、ん?どうすりゃいーんだ?

 こうなりゃ話は神学じゃなくて政治です。ヘンリーは離婚裁判を起こしますが、ふて腐れた姉さん女房はこれをボイコット。時のローマ教皇クレメンス7世はのらりくらりと逃げ回り(何しろヘンリーも怖いが姉さん女房の甥っこカルロス5世はもっと怖い)、埒があきません。形式上は未だに夫婦、王様ですから公式の席にも王妃同伴です。女房になじられ、愛人にせっつかれ、ヘンリーはほとほと参ってしまいます。もうローマ教会は当てにはできません。彼は議会に自分に「イングランドの教会と聖職者の首長」という肩書きを与えよと迫り、先手を打ってカンタベリー大司教の首をすげ替えます(これは教皇にしか許されない人事です)。続けてカルロス5世と敵対するフランスに接近、アンを「妻」として伴い派手にデモンストレーションを打ち、結婚を既成事実化します。

 男たちの外交がちんたら進行する間に決定打を放ったのはアンでした。彼女は妊娠したのです。今度こそ元気な男の子か?離婚していないヘンリーですが、是が非でも結婚しなくてはなりません。でないと皇太子(かも知れない子)が庶子になってしまう。大司教がヘンリーとキャサリンの結婚無効を宣言し(というか、させられ)、1533年6月1日、妊娠6ヶ月のアンは正式にイギリス王妃となります。

 占い師も国王の侍医も国王も、そして王妃本人も生まれる子は男の子だと信じていました。9月7日、元気な「女の子」が生まれました、後のエリザベス1世です。アンは公式書類に間違えて「Prince」と書き後から慌てて「s」を一つ書き足しました、本当は二つ要るんですが。運命の歯車が狂い始めます・・・。

 ローマ教会を蹴飛ばしたヘンリーは、国王の至上権に異議を申し立てるローマ寄りの聖職者を片っ端から断罪します。サー・トマス・モア、ロチェスター司教ジョン・フィッシャー、この二人は王に楯突いて良心を守ったとして後に聖人に列せられます。人々の怒りはヘンリーではなくアンに向かいます。国王の色狂いを非難するのは命がけです。カトリック両王を両親に持つホンモノの王女キャサリンを追い出した商人の血を引く奔放なアンを非難する方がずっと安全だったからです。誰だってそりゃ自分が可愛い。

 王子を産まなければ・・・、アンはヘンリーの離婚騒動やキャサリンの取り巻き連中の嫌がらせに手を焼きつつも、持って生まれた魅力でヘンリーを絡め取りその後二度妊娠します。しかしいずれも死産。三度目の妊娠中に、離婚された後もイギリスに居座っていたキャサリンが世を去ります。アンは名実ともに王妃となったのです。目の上のたんこぶが消えた今、何が何でも王子を産んで先妻の娘メアリをチューダー朝から消し去らねば・・・。しかし、アンは流産してしまいます、男の子でした。
 ヘンリーはこの災難をアンの「魔法」のせいでキャサリンを捨てた報いだと信じます。自分には責任はない、悪いのはアンだというわけ。ヘンリーの思考回路の特徴は悪いことは全部他人のせいというパターンです。この手の人間は懲りないので同じコトを繰り返します。堅物のキャサリンから情熱的なアンに乗り替えた国王は、次におしとやかで取り澄ましたジェーン・シーモアに目を付けます。塩昆布を食べたら甘いケーキが食べたくなって、で、ケーキを食べたら次は酸っぱいミカンが食べたくなって・・・性欲の悪循環です。ハプスブルク、そして神聖ローマ皇帝という後ろ盾があったからこそヘンリーの宮廷で天寿を全うできたキャサリンと違って、アンには頼るべき身内がいません。機を見るに敏感な宮廷人は一人ずつアンを見限っていきます。

 孤立無援のアンの周囲で少しずつ網が絞られていきます。マーク・スミートンという美男の宮廷楽師が拷問の挙げ句王妃と不義を犯したと自白。続いてアンも逮捕されます。罪状は姦通、近親相姦、そして国王暗殺未遂、ずいぶんと派手にブチ上げたもんです。アンが幾多の王族の血を吸ってきたロンドン塔に連行された時、ヘンリーはジェーンといちゃついておりました。彼は自分の妻の運命を他人に丸投げして平気な男でした。

 奇妙な裁判が始まります。罪状は何でもいい、ともかく判決が死刑であれば・・・。だいたい、スペインの王女でも神聖ローマ皇帝の伯母でもないアンが自分の唯一の権力基盤であるヘンリーを殺して何の得がある?肝心の動機がないのです。しかし、次から次へとアンと「寝た」男が登場します。アンの弟ロシュフォード卿は姉と寝たと痛ましい証言をします。絶対権力者がその妻の死を願っている以上、誰に何ができるでしょうか?裁判は醜悪な茶番劇でしかありませんでした。

 この頃からアンの支離滅裂な行動が目立ち始めます。陽気にはしゃいだかと思えば突然泣き伏す、死にたいと言ったかと思えば生きたいと叫ぶ。父親譲りでケチなヘンリーですが、大枚24ポンドをはたいてカレーから剣の名人を処刑人として呼び寄せました。この当時の斬首には斧を使うのが通常なのですが、下手な処刑人の手にかかると凄まじい場面になってしまいます。それではアンに同情が集まってしまう。それを知らされたアンは、「私の首は細いから」と長くて美しいうなじをさすってケラケラと笑いました。

 1536年5月19日、白イタチのマントを羽織ったアンは、「とても陽気で、死にに行くようではない」足取りでタワー・グリーンの前の芝生を踏みしめ、笑みを浮かべつつ膝をつきました。ヘンリーが大枚はたいて呼んだ処刑人はさすがに見事な腕前で、「あっという間に首切り人の剣がひるがえり、首が飛んだ」と記録されています。1000日の間王妃であった女の死を悼んで、イギリス中で野ウサギ(魔女の化身)がはねたと伝えられています。

 19世紀、無人のチャペルに灯りがともっているのを不審に思った衛兵長が明かり取りから中を覗き、取り巻きを引き連れて優雅に歩くアン・ブーリンその人を見たと証言しています。細身の身体に鮮やかなドレスを着こなしたアンは、聖歌隊の席の前ですっと消えてしまい、後には暗闇と静寂が残るだけだったとか。
 「もっとも幸多き者」がロンドン塔を彷徨う幽霊になるまでの愛と憎悪と葛藤・・・。

参考文献:アントーニア・フレイザー 「ヘンリー八世の六人の妃」(創元社)


第一幕 どんなに美しい首だとて容赦しない

 ベルカント・オペラのお約束といえば、ジャンジャカジャンジャカって感じの序曲なのですが、少々勝手が違います。細やかに震える弦の旋律は不安と絶望に満ちています。幕が上がれば舞台はウィンザー城のアンナ(アン)のアパートメント。「王様は来ておられないか?」、家臣たちがエンリーコ(ヘンリー)を探しています。既に冷え切っている王と王妃の関係を彼らは知っています。この先の悲劇が既にしっかりと感じられる合唱、それに続いて今やエンリーコの愛人であり次期王妃候補であるジョバンナ(ジェーン)登場、王妃を裏切る秘密の恋の罪深さにすっかり震え上がっています。

 アンナは宮廷楽師のスメトン(アルトが歌うズボン役)に歌を所望します。密かにアンナに想いを捧げるスメトンは「あなたの憂いはあなたの微笑みを思わせる、夜明けの美しさが、青白き月の美しさが雲に隠されたとしても、初恋の・・・」、「止めて!」、初恋という言葉にアンナが思わず声を上げます。初恋・・・、その炎が私の中で今でも燻っているの、この華麗にして虚しい日々の中でも・・・。ジョバンナ、私の哀しみが分かる?王座に惹かれたなら私を思い出して、孤独な打ちひしがれた女を。図星を指されたジョバンナ、まさか私の罪をご存じなのでは?心が締めつけられるよう、容赦のない運命が迫る・・・。

 ジョバンナ、震えているのか?エンリーコが登場します。王様!アンナは?お休みです、なるほど、しかし私は休めはしない。私も・・・、これを最後と致します。もう二度とお目にかかりません!何と、私を愛していないのか?愛?では王様は私を愛しておられると?もちろん!ではお分かりのはず、天が見ておられます。アンナは私を愛し王冠を得た、お前とて同じこと。
 違います!私は王妃様よりも辛い!嘆き、苦痛、そして拒絶、私の愛にはこの恐ろしい報いが相応しいとでも?お別れ致します!別れる?この私、お前に王座を与えることのできる男と別れると?アンナはどうなるのです?裁きの日が来る、何を裁くのです?罪をだ!この恐ろしい男は神に対する罪を犯すに値するの?もちろん、王座はそれに値するさ。

 アンの兄ロシュフォード卿は思いがけない人物に驚きます。ペルシ(パーシー卿)!ペルシこそアンナの初恋の人、亡命生活を送っていた彼はなぜかエンリーコによって呼び戻されたのです。アンナは幸せなのか?彼女を失い、海を渡り、絶望のうちに彷徨った日々、でも僕は今では王妃であるアンナを片時も忘れたことはなかった。
 狩りの始まりを告げる角笛が響きます。ロシュフォードがそっと耳打ちします。お静かに、誰が聞いているか分からない、今やこの城はそういう場所なのだ・・・。

 狩りの支度を調えて家来たち、エンリーコ、そして最後にアンナが登場します。ペルシじゃないか!何ですって?彼が戻ったの?親しげにペルシに近寄るエンリーコ、私を祖国から遠ざけたその手が私を手招きしたのです。手?私の手でないことは確かだが。男二人の白々しい言葉もアンナのざわめく心を静めることはできません。アンナの前に跪き思わずその手に口づけするペルシ。

 思った通りの展開、その仕草、その言葉、どれもこれも願った通りとエンリーコ、アンナは私を忘れてはいない、希望が再び息を吹き返すとペルシ、何てコトを・・・思ったことが全部顔に出ている、この城は恐ろしいところと言っただろうがとロシュフォード。王様はなぜにご機嫌なの?なぜに笑みを浮かべているの?何かが起こる、人々の視線の真ん中でペルシを狩りに誘うエンリーコ、何かが起こる・・・。

 城内のアンナの居室、スメトンが忍び足で登場。黙ってアンナの肖像画を持ち出してしまった彼、ばれないうちに返そう、この愛しい顔にキスをして、誰も来ないうちにそっと・・・、っと、誰か来る!慌てて衝立の陰に隠れるスメトン。
 アンナと兄が登場します。しつこいわ、お兄様、自分がどんな危険な立場か分かっているのか?心が震えているの・・・、彼が帰ってきた、彼が・・・、ペルシ登場。アンナ!駆け寄る彼をアンナが制して、リッカルド、聞いてちょうだい、慰めは要らない、私が自分でしたことよ、王冠が欲しかった、そして、この茨の王冠を手に入れた、それだけのことよ。君を見れば怒りは消える、君を忘れるなんて僕にはできっこなかったんだ、君は僕を導く光。
 何を望むの?私は彼の妻、王妃なのよ。僕にとって君はただのアンナ、君にとって僕はただのリッカルド、王は君を嫌っているが、僕は君を愛している!私には王妃としての義務があるの、だから愛しているのなら二度と、二度と・・・、ここから去って。イヤだ!お願いよ、もう一度会える?いいえ、もう会えないわ。ならば、僕は死のう、剣を抜くペルシに思わず叫び声を上げるアンナ。隠れていたスメトンが飛び出します。王様が来る!王様が?王様が!

 これは、これは、王妃の部屋に剣を持った男とは、衛兵、彼を捕らえろ!エンリーコの声が辺りを圧倒します。何があったか一目瞭然、王たる私は裏切られた!違います!そんなんじゃないんです!思わずひれ伏すスメトンの懐からアンナの肖像画が・・・、何だ、これは?ああ、神様!

 何てこと・・・、アンナがエンリーコに訴えかけますが、エンリーコは聞く耳を持ちません。証拠は挙がった、泣いても無駄だ、居丈高のヘンリーを前にして、ペルシも、スメトンも、ロシュフォードも、己の首筋にひやりと冷たい刃を感じます。全員を捕らえろ!全員って・・・一言お聞き下さい!申し開きは裁判まで取っておけ!裁判?、このアンナを裁くと!そうとも、行け、そして死ね!

 運命は決したのです。

 アンナとジョバンナ、二人の女の運命が交差します。スメトンの初恋の歌に心を揺さぶられたアンナがそっと呟く「私の初恋」。既にエンリーコの愛を失ったアンナが過去のものとなった愛を美化するのに対し、エンリーコの愛を得て近い未来の王座を約束されたジョバンナは愛を恐れています。スッキリとまとまった旋律、過ぎていったものは、もう戻ってこないものは、全て美しい。

 ジョバンナとエンリーコの場面、王座は全てに優越すると信じているエンリーコの氷のような冷たい「求愛」、その冷気に身震いしつつも、この国で最高の権力者を夫に持つ誘惑に揺れるジョバンナ、かつてのアンナとエンリーコの恋を思い起こさせる場面ですが、決定的な違いがあります。スペイン王女、神聖ローマ皇帝の伯母、敬虔なカトリック、慈善事業に熱心で「美徳の鑑」と国民に尊敬されていたキャサリンを追い出したアンナと、母方こそ王家の血筋ですが、父方の先祖は絹織物商人、奔放な恋愛遍歴と気まぐれな言動で宮廷を引っかき回したアンナを追い出そうとするジョバンナ、狙っている王冠は同じでも、それを求める熱量が全然違っています。
 第一エンリーコが「別人」です。アンナとの結婚の時はローマ教会を、神聖ローマ帝国を向こうに回した彼ですが、今や英国国教会の首長、妻をすげ替えるのに何の遠慮も要らない立場なのです。
 この二人の女の熱量の違いが第一幕のラストでくっきりと浮かび上がります。ペルシの口説き、ジョバンナ、スメトン、ロシュフォード、エンリーコが加わっての六重唱、最後に裁判を言い渡すエンリーコの言葉に続くコンチェルタート、追い詰められるアンナは主張し、哀願し、そして怒りを爆発させます。この先に待っているのは王冠だというのに、終始罪におののき運命を恐れるジョバンナに対し、この先に待っているのは死だというのに、アンナは昂然と頭を高く上げて運命に挑みます。この二人の女の対比がこの作品の鍵です。アンナを歌うソプラノはここで一気に聴く者を自分の側に引き寄せなくてはなりません。

 ペルシとアンナの恋は史実にあります。パーシー卿ヘンリーはイギリスでも指折りの名門の御曹司。先王妃キャサリンの部屋へ気晴らしに出入りしているうちにアン・ブーリンと恋に落ちました。当時の記録には「二人は固く結ばれた」と記されています。ところがアンに目を付けたヘンリーが二人の中を裂こうと画策。若きパーシー卿は男らしく反論、アンの件についはどんなお歴々の前でも我が良心に背くことはしない!しかし、黒幕は国王なのです。結局、パーシー卿は父親からこってり怒られてレディ・メアリ・タルボットと結婚。1536年にアンの裁判が始まった時、怯えきった哀れなパーシー卿は聖書に誓って自分とアンの間には何もなかったと証言しています。
 当のアンはパーシー卿との仲について最後まで一言も話さなかったようです。相続人ではない(兄弟がいた)アンにとってパーシー卿は願った通りの玉の輿、しかし、そこにヘンリーが現れた以上、パーシー卿との恋は邪魔でしかありませんでした。しかし、捨てた男の名誉を守って最後まで沈黙を貫いたアン、彼女は大胆で、強い意志を持ち、そしてどんなに大きな秘密でも素知らぬ顔で飲み込める女であったようです。

 キャサリンとの離婚、アンとの再婚、国中に渦巻く非難の声、ヘンリーは反対意見が増えれば増えるほど、その苛立ちと怒りを募らせ、アンに固執しました。彼のアンへの愛が醒めた時、ヘンリーは思い出すでしょう、全ての噂と陰口を、誰のおかげで散々な目にあったのかを。幸せな未来と王子誕生を願って、ローマ教会、そしてキャサリンという敵に対して共に戦ったはずのヘンリーとアン、その絆が今憎悪に変わります。「君主の怒りは死」(ヘンリーの側近であるノーフォーク公爵の言葉)、キャサリンとの離婚に7年も費やしたヘンリーは今45歳、時間が王を駆り立てます。

 1528年11月、離婚騒動の最中に訪れたブライドウェル宮での晩餐会、些細なことで癇癪を起こしたヘンリーは怒鳴りました、自分をとやかく言う人間には誰が主人か教えてやる、「どんなに美しい首だとて容赦はしない!」、アンはこのヘンリーの言葉を覚えていたのでしょうか?


第二幕 神がすべてご存知です

 舞台はロンドン塔、女官たちがアンナの運命を嘆きます、「彼女に渦巻くようにへつらった者はどこへ行ったのか」。今は静かに運命を待つアンナは、「わが心を見たまう神よ」、私の心をご覧になればお分かりでしょう、私を裁くことができるのはあなたのみ。

 ジョバンナが登場、ジョバンナ、私を覚えていてくれたのね、優雅に恋敵を迎え入れるアンナ、抱える秘密の大きさに押し潰されそうな彼女は、アンナに必死で訴えます、忌まわしい絆を断って下さいませ、罪を認め王座を下りればお命だけは助かります!罪?何を言っているの?恥辱でもって命を買えと?王が次の王妃を選ばれた以上、他に生きる手だてはないのです。次の王妃・・・誰なの?不幸な女です・・・。神がその女の首をはねて下さるわ!そんな、お聞き下さい!聞くもんですか、穢れた夫婦め!呪われるがいいわ!お止め下さい・・・、その女は、その女は私なのです・・・。
 あなたなの・・・?何てこと、あっちへ行って・・・。ジョバンナが必死に食い下がります、お許し下さい、既に十分罰せられております、こんな辛い愛があっていいものでしょうか、泣き伏すジョバンナにアンナがそっと手を差し伸べます。可哀想な人、神があなたを許して下さるように祈りましょう、そうすれば私をも許して下さることでしょう。

 形だけの裁判が進行しています。エンリーコが廷吏に命じます、アンナとペルシをここへ、スメトンがすべてを自白した、ヤツはもう用済みだ、私は欲しい証言を手に入れた。その場を立ち去ろうとするエンリーコにアンナの声が絡みつきます、殺したければ殺せばいいわ、でも王妃を裁くことは誰にもできないはず。
 ペルシが声を上げます、真実を知りたくないのか?真実?真実なら明らかだ、スメトンがすべて喋った!あなたが罠にはめたからよ!黙れ!黙りません、私の罪?私の罪は王冠に目がくらんで大切なペルシを捨てた、それだけよ。アンナ、僕を愛してくれているんだね・・・。ペルシが捨て身の抗弁に出ます、僕とアンナは結婚していたんだ。茫然自失のエンリーコとアンナ、そうだろ、アンナ?この男が君から奪った名誉を僕は取り戻す!ペルシ・・・、私のせいでこんなことになったのに、あなたは私を愛していると?
 うるさい、何を今更ごちゃごちゃと、エンリーコは裁判を進めようとします。この呪われた汚らわしい女をとっとと裁け!ペルシと結婚していただと?嘘だ、嘘だ・・・。

 ジョバンナが思わず膝をつきます。王妃様のお嘆きを見た以上、私はお別れするしかないのです。別れる?このエンリーコと?私の王冠のために王妃様が死ぬ、天は許しては下さいません!
 法廷の扉が開かれます。判決に至りました、満場一致で王妃は死刑、もちろんその共犯者も。泣き伏すジョバンナを前にエンリーコはやっと一安心、正義は王の第一の美徳。

 ロンドン塔のアンナの監房、女官たちの合唱がアンナの運命を嘆きます。当のアンナはというと、「泣いているの?どうして?」、婚礼の日だというのに。王様が私を待っているの、誰かペルシに話した?お願い、彼には言わないで・・・、有名な「狂乱の場」です。
 ペルシはきっと怒っているわ、私を許して、許してくれる?笑っているのね?うれしいわ。私、このまま見捨てられて死ぬの?そんなはずないわ、そうでしょ?ペルシが笑っている!何てうれしいこと!私を連れて帰って、あの故郷のお城に、緑のプラタナス、静かな小川・・・、帰りたいのよ、あの場所に。

 時間だ・・・看守が冷たく告げます。アンナはつかの間正気を取り戻します、汚らわしい夫婦よ、でも、私は呪いはしない、だって神がすべてをご存知だから、墓穴に下りる道筋で神に許しを請うわ・・・。お兄様、ペルシ、私のために死んでしまうのね。アンナの正気は、しかし長くは続きません。スメトン!ここで何してるの?いつものリュートはどうしたの?弦が切れてしまったの?

 弦が切れたのね・・・、そう、弦が切れたのよ、だからこんな悲しい音しかしないんだわ・・・。処刑を告げる太鼓の音が響きます。あれは何?何の音?ロシュフォードが、ペルシが、スメトンが、声を振り絞ります、あれは・・・、あれは国民が王妃様を讃える歓声です!

 そうなの・・・、黙るように言って。歓声は要らない、だってこのアンナの血がどうしても必要なんでしょう?いいわ、私の血を流すがいいわ。

 処刑場への扉が開きます。

 「狂乱の場」の張りつめた緊張感、アンナはつかの間正気を取り戻してしまいます。彼女の王冠への野心が彼女の愛するすべての者に死をもたらします。ペルシ、兄、そしてスメトン、彼らがアンナのために良かれと思ってとった行動がすべて裏目に出ます。
 私は呪いはしない、アンナはそう歌うのですが、「Coppia iniqua!」(邪な夫婦よ)が繰り返されます。呪ったも同然です。呪わずにおられるものか。

 国王から離婚を言い渡され、妻がそれを拒絶する、状況はアンが王妃の座を得た時と全く同じ、しかし、キャサリンの首は飛びませんでした。ヘンリーにとってアンの死はどうしても必要だったのです。なぜなら彼は「リセット」したかったから。最初の妻キャサリンの死はつい数ヶ月前、ヘンリーとアンの短い結婚生活の大部分に「元妻」が陰を落としていました。同じ過ちは繰り返せない。

 アンの処刑の前にある茶番劇が繰り広げられました。ヘンリーとアンの結婚は大司教クレンマーの宣言によって無効とされたのです。アンは王妃としては死ねなかった。しかし、結婚が無効であったなら、アンの姦通も無効です。亭主がいない女がどうやって姦通するんですか?法律的に見てヘンリーの行動は滅茶苦茶です。
 ヘンリーには「妻」を処刑する度胸がなかったのです。キャサリンを離婚したのは魔女であるアンにたぶらかされたせい、男子が産まれないのも魔女であるアンのせい、私生児ヘンリー・フィッツロイが今や結核で死にそうなのも魔女であるアンのせい、ヘンリーはすべての不幸をアンに押しつけ、しかし、いえ、だからこそ彼女が妻のまま死んでは困るのです。ヘンリーは自己憐憫のためには、自己正当化のためには何でもやる男でした。そうすることで彼の誠に都合のよろしい「良心」は痛みを免れます。

 アンの処刑から24時間後、ヘンリーはジェーンと正式に婚約を交わします。

 アンの呪いが成就したことは歴史が教えてくれます。ジェーンは待望の男の子(エドワード6世)を産みますが、その出産直後に24歳で世を去ります。ヘンリーの死後即位したエドワードですが、生来虚弱で影の薄かった彼はまもなく両親の後を追います。続いて最初の妻キャサリンの娘メアリ1世が即位、母を追い出した父を憎んでいたメアリは大のプロテスタント嫌い、がちがちのカトリックであるスペイン国王フェリペ2世と結婚し、プロテスタント弾圧に熱中、「ブラディ・メアリ」(二日酔いに効くカクテル)の渾名を頂戴します。この夫婦に子供が生まれていればその後のヨーロッパ史は違ったものになったでしょう。しかし、メアリも即位後5年で世を去ります。そして、アンが魅入られた王冠はアンの娘エリザベス1世に回ってきます。エリザベスは英国国教会を復活させ、50年にわたってイギリスを支配します。
 「処女女王」と呼ばれたエリザベスですが、実際は何人もの愛人を持っています。しかし、彼女はただの一度も結婚しませんでした。エリザベスにとって結婚は外交上の道具に過ぎませんでした。あちこちの王様や自国内の大貴族に「自分と結婚してくれるかも」と思わせるだけで十分な牽制効果がありました。
 次々と愛人を拵えてはその愛人を妻にするために必要もない血を流した父、その娘は愛人を愛人のままにしておくことに何の躊躇いもありませんでした。自分勝手な「良心」を宥めるために結婚が必要だった父ですが、娘の方は最初からそんな厄介な良心など持ち合わせていませんでした。自己を哀れむ良心など、自己を欺罔する良心など、母を殺した父を持った女には必要なかったのです。
 アンがあれほど焦がれ、結局その命を失うこととなった王座、その娘は王座を守るにあたって男など必要としませんでした。エリザベスにとって愛は激務の合間の息抜きであって人生の目的とはなり得ませんでした。父に殺された母を持った女には男などペット以上の意味を持たなかったのです。

 ヘンリーは生涯で6人の妻を持ちました。しかし、彼があれほど固執したにもかかわらず、その血筋は現存していません。
 「神がすべてご存知です」、アンはこう言い残して「うれしそうに喜んで」死んでいったと記録にあります。神は本当にすべてを知っていたのかも知れません。


絶望の果ての至福

 狂乱の場で歌われる「私の生まれたあのお城」には、非常に馴染み深い旋律が登場します。「ホーム・スウィート・ホーム」、1823年にロンドンで上演されたオペラ「ミラノの乙女」で歌われたアリアで、作曲はヘンリー・ロウリー・ビショップ、作詞はジョン・ハワード・ペイン。ドニゼッティの「アンナ・ボレーナ」はそれから遅れること7年、1830年の作品ですが、この時既にこの「ホーム・スウィート・ホーム」はイギリスを代表する歌曲として知れ渡っていたようです。
 日本では「埴生の宿」と呼んだ方が通りが良いですね。「ビルマの竪琴」で僧侶となってビルマに残る水島上等兵に向かって帰国する兵士たちが歌った、あの「おーい、水島、一緒に日本へ帰ろう!」のシーンで有名です。

 埴生の宿も我が宿 玉のよそい うらやまじ
 のどかなりや 春の空 花はあるじ 鳥は友
 おお 我が宿よ たのしとも たのもしや  (訳詞 里見義)

 ペインの原詩は、

 快楽の巷、豪華な宮殿を彷徨ったとて 粗末な我が家に勝るところはない
 天の聖霊が我らを清め給うその場所は 世界のどこにも見出せぬ
 我が家、我が家、優しき我が家 我が家に値する場所は地上のどこにもない  (すずめのいー加減訳)

 日本語と英語の歌詞が微妙に違っているのに気づいて頂けますか?

 土壁の粗末な家だって最高さ、春には花が咲き、鳥が歌う、何たって我が家が一番・・・、日本語の詩は故郷の風景への郷愁に満ちた素直な望郷の歌です。
 ペインの詩の「ホーム」は聖霊の守る「神の家」であって、「自分んち」じゃないのです。日本語の歌詞が帰りたくても今は帰れない故郷を想う歌ならば、英語の歌詞は神の教えを忘れて彷徨っていた「子羊」が信仰に立ち返る歌なのです。
 遠い異国の地で、遙かな故郷の里山の緑萌える春に思いを馳せる・・・、里見義はペインの詩から日本人の心を揺さぶる原風景を見事に引き出しました。しかし、ドニゼッティが「埴生の宿」を知っていたわけはないので、彼の心に響いた「ホーム・スウィート・ホーム」は、望郷の歌ではなく懺悔の祈りだったはずです。

 「あなたたちは泣いているの?どうして?」、理性を失ったアンナに涙はありません。「誰が悲しんでいるの?ペルシに話したの?お願い、許して・・・」「私を一人で死なせないで」、愛と王冠を天秤にかけて王冠を選んだあの日の自分、その結果としての今日の死、人生は選択の連続です。そしてその選択が間違っていたとしても、それが分かるのは選択した後なのです。もう決して戻れない「あの瞬間」、戻れたら違う選択をする、絶対にする、でも戻れない、ならば、なぜ私は苦しむの?苦しんで何になるの?
 アンナの心はその選択の時を飛び越えます。「私の青春の一日を返して、たった一日のあの愛の日を返して」、今、アンナは己の生涯と引き替えにたった一日を返してと願います。それがアンナの最後の、そして不可能な希望。
 最後の希望が失せた今、アンナは不思議な静謐に満たされます。「歓声は要らない、だってこのアンナの血がどうしても必要なんでしょう?」、王冠への野望が満たされた時から1000日の間、アンナは戦い続けました。希望が叶ったんですもの、私は幸せになるはず、幸せになれなければおかしい、何が間違っているの?誰が悪いの?
 アンナは知りませんでした、幸せになりたいと躍起になっている人間は決して幸せにはなれないということを。幸せこそが誰もが求める「王座」ですが、幸せを諦めることでしかその「王座」に辿り着けないことを。

 もし・・・・・であれば(たとえば男の子を産めば、あるいはペルシを選択すれば)、私は幸せになれたのに。過去は失望に変わり、未来はその恐ろしい口を開ける。アンナの絶望はすべて希望が生み出したもの、その希望の最後のひとかけらが消えた時、アンナは初めて「幸せ」を知るのです。

 グリーンタワーから処刑場まで約46メートルの道のりをうれしそうに歩んだアン、その様をデ・グアラスは「まるで悪魔」と記しています。幸せでありたいという希望をすべて捨てた人間は、それ故に幸せになれる、絶望の果ての至福に包まれたアン、希望に囚われている人間には死を前にして微笑むアンはまさに悪魔に見えたことでしょう。

 サーンキヤ経典の中の一文にこうあります、「あらゆる希望を失った者だけが幸せになれる」、原始仏教が見抜いた幸せの本質が、神の家に迎え入れられる彷徨える子羊の懺悔と安堵が、遠い故郷を想う異郷での孤独が、一つに解け合う永遠なる至福の一瞬。「ホーム・スウィート・ホーム」の旋律は、時代と国境を越えて、失われたものの失われたがゆえの美しさと優しさ、安らぎと幸せを伝える奇跡の旋律となったのです。

 晩年、精神を病んだドニゼッティは、まだ正気が残っていたにもかかわらずパリの精神病院に強制入院させられます。そして、その病室で本当に正気を失ってしまいます。知人たちの尽力によって故郷ベルガモに戻ったドニゼッティは、認識できない友人に囲まれ、誰だか思い出せない幼友達に看取られ、この世を去りました。彼の耳はその時、「ホーム・スウィート・ホーム」を聴いたのでしょうか。

 このオペラは狂乱の場一つにかかっています。ここで「狂乱」を強調しすぎるとアンナがその生涯の最後にたどり着いた「静かな一瞬」が伝わりません。正気と狂気の狭間で懺悔と呪いの言葉を繰り返すアンナが最後の一言「寛容と恩寵を」に至るまでの濃縮されたドラマ、コロラチューラの軽さとドラマティコの力が要求される実に「壮大」なアリアなのです。

 アンナといえばマリア・カラスです。1957年のスカラ座ライブ、伝説の公演が残っています。熱狂した客席の「フライング・ブラヴォ」がその熱気を伝えてくれます。指揮はカヴァッゼーニ、ジョバンナをシミオナート、エンリーコをロッシ−レメニ、ペルシをジャンニ・ライモンディ、カットが多いにも関わらず、この後これがスタンダードの「アンナ・ボレーナ」として定着してしまいました。カラスの歌唱がドニゼッティの源譜を飲み込んでしまったのでしょう。
 「このアンナを裁くと?」と凄みを利かせるところ、そして狂乱の場の音符の一つ一つを際だたせるテクニック、カラスの声自体はいささか不安定なのですが、それが逆に魅力的に感じられるほど。カラスとアンナの境界線がぼやけてしまい、まるで自分が1536年のロンドン塔に居合わせているかのような臨場感。
 1972年のロンドンでの録音、指揮はルーデル、カットもなく一番楽譜に忠実な一枚。シルズのアンナは少々メソメソが過ぎる、好き嫌いの別れる歌唱です。
 1994年のウィーンでの録音はボンコンパーニの棒、アンナはグルベローヴァ、実に達者なのですが、全体的に声が高止まりしており、悲劇性がいささか物足りないか。



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