GO HOME HOME     GO INDEX 作品別インデックスへ

Leafヴェルディ 「アッティラ」 (2005年9月21日〜2005年12月31日の日記より)


奴らが来る!

人物
アッティラ(フン族の王)、アエティウス(西ローマ帝国の将軍、軍総司令官)、ヴァレンティニアヌス(西ローマ帝国皇帝)、テオドシウス(東ローマ帝国皇帝)、ガラ・プラキディア(ヴァレンティニアヌスの母、テオドシウスの叔母、西ローマ帝国の摂政)、ホノリア(ヴァレンティニアヌスの姉)、ガイセリック(ゲルマン民族国家ヴァンダルの王)、そして人々。

  5世紀

場所  北イタリア及びその周辺

 「奴らが来る!」「あっという間にアルプスを越えたってよ!」「ローマ軍は何やってんだ?」「アクィレアの町が陥落した!」「難攻不落ってのはガセだったのかよ!」「俺たち、どうすれば?」「逃げよう!」「逃げるって、どこへ?」「ローマか?」「バカ言え!奴らが目指しているのがそのローマだ」「奴らの前を逃げてどうすんだよ!」「じゃ、どこへ?」「リアルト島はどうだ?」「あの干潟の向こうのちっこい島?」「奴らは馬と荷車だろ、干潟には入れない」「ここにいたって殺されるだけだ」「干潟の向こうなら・・・」「でも囲まれたら?」「そん時はそん時だろ!」「行こう、みんな急げ!」「干潟へ逃げろ!」

 「奴ら」、それはフン族、4世紀の歴史家アミアヌス=マルケリヌスに言わせれば、「その凶暴さ、野蛮さにおいて、あらゆる想像を絶する」「胴体はずんぐりしており、上肢は巨大で、頭も度はずれて大きい」「野生の草木の根を食べ、腐りかかった肉を食する」・・・、どうもこの洗練されたギリシャ人学者の目にはほとんどバケモノに映ったようで。このバケモノ軍団は、「出会うすべての物を破壊し打ち倒す」「矢を射る巧みさは比べるものもない」「その矢を驚くほどの距離から射かけてくる」というのですから、これはおっかない。
 ここまで詳細に悪口を書いているわりにはマルケリヌス先生、「彼らに、どこから来たのか、そこで生まれたのか、と訊ねてみたまえ。彼らは何ひとつ知らないのである」と、肝心のところを放り投げております。一説に東アジアの遊牧民である匈奴の一部族とも言われる彼ら、何かの理由でバイカル湖からアンガラ川に沿って東進、ウラル山脈を踏破して南下、目の前に次々と登場するゲルマン民族を片っ端からボコって前進、気がつけはローマ帝国が目の前・・・、というわけです。彼らにボコられたゲルマン民族はローマ帝国の防衛線を突破、なし崩しに帝国領内に定着、回れ右して初めてフン族と向き合います。
 怖いよぉ、怖いけど、ここで踏ん張らないと、俺らもう行くとこないし・・・。これが5世紀のヨーロッパの光景です。

 このフン族、ローマ人やゲルマン人にガン飛ばされたくらいで恐れ入るような愛嬌は持ち合わせておらず、彼らの目の前で着々と勢力を広げます。元々が遊牧民のフン族、持ち運び不可の土地に執着がなくて持ち運び至便の黄金が大好き、その入手方法は至って簡単、ただ分捕るだけ、強大な追い剥ぎ国家が忽然とヨーロッパに登場したのです。

 ことの発端は、この当時のローマ帝国の年中行事であったお家騒動でした。423年、西ローマのホノリウス帝が死去、東ローマのテオドシウス帝は我こそが唯一の皇帝と主張、夫コンスタンティウス帝を失って未亡人となったガラ・プラキディアとその幼い息子ヴァレンティニアヌスを抱きこんで、新皇帝ヨハンネスを泥棒猫呼ばわり。ヨハンネスは勇猛で知られたフン族を用心棒に雇おうと、腹心の将軍アエティウスを派遣します。このアエティウス、若い頃にフン族のところで人質になっていたことがあり、彼らとはツーカー。そうとも知らず皇女ガラの軍隊はアキレアに進軍、ヨハンネスをとっ捕まえて簒奪者として処刑したところに、フン族の援軍6万を従えてアエティウス登場。ヨハンネス一人が気の毒でしたが、異形にして異様な大軍を前にしたガラはアエティウスと手打ち、フン族は多額の「お駄賃」を貰って引き上げます。この気前の良さがローマ帝国の命取りとなります。フン族は、豊かなローマ相手なら「かつあげ」で充分食っていけると知ってしまったのです。

 432年、フン族の王ルアが死去。その跡を継いだのはルアの甥であるアッティラとブレダの兄弟、445年、弟ブレダを殺して唯一の王となったアッティラ、彼はルアから受け継いだ縄張りの拡大、そしてローマ帝国からせしめる「みかじめ料」の釣り上げを開始します。手始めに447年、東ローマ帝国に侵入、テオドシウス帝から多額の金品を奪った挙げ句、みかじめ料2倍アップに成功。

 西ローマの総司令官となったアエティウスは、アッティラを使って周囲のゲルマン民族に睨みを利かせ、アッティラは、アエティウスの目こぼしを良いことに東ローマからぼったくりを繰り返す、この際どい協力関係のバランスが崩れます。用心棒が親分の財布に目を付け始めたのです。度重なる戦いの結果、多くの町が無人の廃墟と化しました。そして、これこそがアッティラの狙いだったのです。広大な焼け跡は、騎馬兵しか越えられない自然の障壁となってフン帝国を守ってくれる、アッティラのやり方にアエティウスは警戒を強めます。二人の仲は急速に冷えこみます。
 当代一の策士と呼ばれたヴァンダルの王ガイセリック、周囲のゲルマン民族が次々とアッティラとその背後に控える西ローマに平定されるのを目にして、ガイセリックはアッティラに対アエティウス戦をそそのかします。彼らが争っている間に漁夫の利を頂こうというのが狙いです。

 アッティラは西ゴートに因縁をつけ戦争のきっかけを作ろうと動き始めます。そこに願ってもない出来事、皇女ガラの娘にしてヴァレンティニアヌス帝の姉ホノリア、母の剛毅を受け継がず父の好色だけを受け継いだ姫が、とんでもないことをしでかしたのです。ヴァレンティニアヌスとしては姉が有力貴族と結婚して自分の追い落としを計るのが怖い。母ガラも帝国の安定を考えれば「アウグスタ(女帝)」の称号を持つ娘に野心家の婿は困る、でもバカはもっと困る、お家の事情から未婚のまま30歳になっていたホノリアは、手近で摘み食い、侍従と関係を持ち、弟に対する反乱を企てたのです。計画が露呈して侍従は死刑、彼女は侍従の子を身籠ったまま修道院に軟禁されます。これに怒ったホノリア、何をトチ狂ったのか、アッティラに求婚したのです。彼女から指輪とSOSの手紙を受け取ったアッティラ、「ホノリア」はどーでもいいが、「アウグスタ」は放っておけない。ついては、女帝と結婚するに当たって帝国の半分を持参金として頂きたい!西ローマは慌ててホノリアを元老院議員と婚約させますが、ンなことで引き下がるようなアッティラではありません。

 451年春、ラインの河畔にフン族の大軍が突如現れます。浮き足立ったローマ守備隊はバラバラに退却、抵抗らしい抵抗も受けないままアッティラの軍は凄まじい速度で南下します。ローマ軍は既に形だけ、ゲルマン民族の傭兵を頼りにするしかない状況で、一年前に母ガラを亡くしたマザコンのヴァレンティニアヌスは噂通りの無能ぶりを発揮、帝国は固まったまま動けず。ただ一人、アエティウスだけが動きます。彼は周囲のゲルマン民族に対してフン族の脅威を説いて回り協力を取り付けます。狼に一人一人食われていくのなら、団結して狼を食っちまう以外に生き残る道はない!
 「カタラウヌムの戦い」として記録される決戦は、451年6月20日のことでした。アッティラがフン族の騎兵と共に中央に陣取り、右翼にはゲルマン諸族、左翼には東ゴートという布陣のアッティラ軍。対して、中央にゲルマン諸族、右翼に西ゴート、そして総大将アエティウスはローマ正規軍を従えて左翼に展開という布陣のアエティウス軍。
 アッティラ率いるフン族が中央を攻撃する間に、西ゴート軍は正面の東ゴート軍を速攻で撃破、そのまま旋回して中央で激戦を繰り広げるフン族を横から攻撃、勇猛で鳴らしたフン族の騎兵隊も、正面と横からの二面攻撃には耐えきれず、戦いはアエティウス軍の勝利で終わりました。アッティラは命からがら撤退、西ゴートのテオドリック王は戦死、二大蛮族が大打撃を被り、ローマ正規軍は無傷、アエティウスは笑いを噛み殺すのに苦労したことでしょう。

 自分の都に逃げ帰ったアッティラはすぐに軍を再編成し、リベンジ開始。戦果を過大評価していたアエティウスは全ての部隊をイタリアから引き上げており、がら空き状態のイタリア半島北部に再びアッティラ登場。ヴェネツィアからミラノ、次いでパヴィア、パドヴァ、ヴェローナ、ベルガモ、マンドヴァ、次々と落ちていく町の名前を数えつつアエティウスはじっと耐えました。劣勢が明らかである以上、戦端を切ることは帝国の終わりを意味します。
 アエティウスの我慢が天に通じたのか、この452年のイタリアの夏は例年になく暑かった。アッティラ軍は夏バテ、通る先々で略奪を繰り返して膨れ上がった荷物を抱え、思うように食料が調達できず、悪い病気も流行り始めます。アッティラは決心します。アペニン山脈を無理にでも越えてローマへ、そこでアエティウスと決着をつけよう。アッティラ全軍はローマに通じる街道に集結、「神の鞭」が振り下ろされる!ローマの人々が必死に祈る中、西ローマ帝国特使がアッティラの元を訪れます。地方総督トリゲティウス、元執政官ゲンナディウス=アヴィエヌス、そして時のローマ法王レオ一世。この時の話し合いの詳細は不明です。ただ、休戦協定は締結されました。アッティラは多額の年貢金を条件にイタリアから撤退することに合意します。但し、ホノリアの「持参金」はいずれ必ず貰いに来る・・・。しかし、これはウヤムヤになってしまいます。なぜなら肝心の花嫁ホノリアが、忽然と消えてしまったからです。彼女のその後は誰も知りません。

 このイタリア遠征によってアッティラは多くの兵を失いました。特に無敵と謳われた騎兵隊は壊滅状態、既にアッティラに往年の力はなく、周囲のゲルマン民族にも押さえが利かなくなり・・・、そんな453年、アッティラはイルディコという美しい女を何番目かの側室に迎えました。盛大な婚礼の宴もお開きとなった深夜、初夜の床でアッティラは急死します。寝ている間に鼻の辺りの動脈が切れ、多量の出血、その血が気管に詰まっての窒息死でした。
 偉大な王を失ったフン族は茫然自失、「神の鞭」の亡骸は秘密の場所に埋葬されました。彼の勝利をあの世にも伝えるための沢山の戦利品と愛用の馬具、そして秘密の場所を知ってしまった全ての葬式関係者の死体と共に・・・。

 アッティラが残した広大な帝国は、その死後、瞬く間に地図から消えていきました、まるで「神の鞭」など一夜の悪夢であったかのように・・・。アエティウスはその実績に相応しい傲慢をかました挙げ句、その力に嫉妬したヴァレンティニアヌスによって455年に暗殺され、そのヴァレンティニアヌスも同年、元老院議員マクシムスの妻に横恋慕、夫が雇った殺し屋に暗殺されます。帝位に就いたマクシムスは、ガイセリック率いるヴァンダル族のローマ襲撃の際、逃げる途中で名無しの傭兵によって殺されます。
 そして、476年、ゲルマン人の傭兵隊長オドケアルによって最後の皇帝(奇しくも最初の皇帝と同じロムルスという名前でした)が退位、西ローマ帝国は消滅します。

 で、干潟に逃げ込んだ人々です。そんな連中のこと、もう忘れていたでしょ?アッティラも彼らのことを忘れたというか、気がつきもしなかったようで、おかげで彼らは、この「神の鞭」とその後の帝国崩壊を何とか生き延びました。彼らが干潟に築いた都市こそ、その後ルネサンスのイタリアをリードし、「第二のアッティラ」ナポレオンの登場によって1797年に金と緋色のサン・マルコの旗を降ろす日まで、地中海を「我らの海」と呼んで憚らなかったイタリア最後の共和国、ヴェネツィアです。


参考文献:
「西洋の歴史」(ミネルヴァ書房)、「ローマ帝国衰亡史」(エドワード・ギボン、岩波書店)、「アッティラとフン族」(ルイ・アンビス、白水社)、「物語 イタリアの歴史」(藤沢道郎、中央公論)


プロローグ 憎悪に震える剣と恋に戦く剣と

 アクィレラの町の広場、明けようとする空よりなお赤々と燃え上がる松明が、この町が過ごした眠れぬ一夜を物語っています。フン族とゴート族が勝利の雄叫びを歌います。怒号と略奪、悲嘆と血、虐殺と炎がアッティラのお遊び、ヴォータンよ、これがヴァルハラだ、英雄のために扉を開けよ、アッティラ万歳!ズラリと親衛隊を引き連れて「神の鞭」アッティラ登場。戦士よ、立て、死者よ、塵にまみれよ、アッティラの息子たちは一撃で勝利する!上機嫌の王に、家臣たちは虫歯になりそうな甘い賛辞を雨あられと降り注ぎます。ヴォータンの祭司、預言者の王、その剣は血塗られた彗星、その声は天の雷!

 王に献上されるべく、この戦いの戦利品であるアクィレラの娘たちが連行されてきます。どれもこれも皆美しい・・・が、皆殺しにせよと言ったはずだ。奴隷のウルディーノが王の前に跪きます、同胞を守ろうと戦った女たち、王様に相応しいかと。戦っただと?
 そうです!ひときわ美しい一人の娘が「神の鞭」を昂然と睨みつけます。アクィレアの領主の娘オダベッラです。異国の王よ、あなたのお国では女は泣くだけでしょうが、このイタリアの女は祖国のために戦うのです!何という眼差し・・・、アッティラは勇者を敬い、卑怯者を憎む、勇敢な娘よ、この王に何なりと望むがいい。私の剣を!剣を返してください!お前には俺の剣を授けよう、アッティラが腰から外した短剣をある決意を持って握り締めるオダベッラ、至高の正義よ、お前は誰の胸に突き刺さることになるのか分かるかしら?復讐の時は来た、神がそれを示された・・・。
 戦場でもないのに胸がときめく、これはどうしたことだ、あの高貴な顔立ちとそれに似合わぬ大胆さ、俺の心に優しく傷をつけるかのような・・・。退場する娘たちを見送るアッティラの目に宿る感情、それはこの男にとって未知のもの。

 西ローマ帝国の将軍エツィオとローマ軍士官たちが登場。お互いに知った中のアッティラとエツィオ、大仰に抱擁した後は人払いをして本音の話。和平の話なら聞かないぞ、勝利に、そして未知の感情である恋に酔う独裁者アッティラ。しかし、雇われ将軍であるエツィオはそうはいきません。全世界が欲しいのだろう?東ローマの皇帝は既に老いぼれ、西ローマの皇帝は未だ愚かな子供だ。私と君が手を組めば・・・、全てが治まる、そうだろう?全世界を手に入れるがいい、しかし、イタリアは私に!裏切り者、偽善者が英雄では民も浮かばれないな。俺はお前たちの無力な神を追い出すためにヴォータンが遣わした鞭だ!君がそう出るなら私もお役目を果たそう、易々とローマへ行かせるわけにはいかぬ、ローマ帝国の皇帝閣下におかれては・・・。無駄だ!誰にも俺を止められはせぬ、俺の駿馬はお前たちの町を踏みしだく。ローマへの道筋にはこのエツィオの剣があることを忘れるな!お互いに進む道が違うのなら、戦うまで!

 同じ頃、アドリア海の干潟、泥に打ち込んだ杭の上に建ついくつかの掘っ立て小屋、その中で泥亀よろしく縮こまっている一団。太陽はそんな泥亀連中にも平等に朝の光を注いでくれます。晴れ渡った空、海からの風、ゆっくりと鐘の音が響きます。すっぽりと法衣を纏った修道士たちが朝の祈りを捧げます。神の怒りのつむじ風、その名残に海が震えている、神を讃えよ!神は海を逆立てて、そして鎮められた。神は我々の心のうちの平和を試みておられる、祈ろう、創造主を讃えよ!

 干潟の浅瀬を縫うように続々と小船が到着します。あれは、アクィレラの船だ、フン族から逃れた同胞たちだ!難民たちを引き連れて干潟に降り立った一人の騎士、その名をフォレスト。やっと着いた・・・、ここに留まろう、見ろ、主の十字架が我らを見守って下さっている、ここで生きよう!それぞれに無事を喜び合う人々。

 オダベッラ・・・、あの化け物の餌食に・・・、死んだと聞かされれば、いっそこの魂も静まるのに、天使となった君を讃えられるのに。許婚とはぐれてしまったフォレストを一同が慰めます。懐かしい祖国、我らの母よ、我らの女王よ、今は瓦礫の廃墟と成り果てて・・・。しかし、僕らは諦めない、祖国よ、不死鳥のように蘇れ!誇らしく、美しく、今一度蘇れ!

 前奏曲、そして合唱、その旋律は情緒的というにはいささかゴツゴツしており、ところどころで力みが目立ちます。このオペラの原作はドイツの劇作家ツァハリアス・ヴェルナーの戯曲「フン族の王アッティラ」、喧嘩は強いが単純無垢な蛮族の王が、復讐に取り付かれた女にストーキングされるハメに。ノイローゼになるまで追っかけ回され、最後には息子共々殺されるという非常に血生臭い物語。ゲルマン・サーガ独特の世界観(血筋を根絶やしにするまで止まらない復讐、神秘の言葉で人を惑わす運命の語り手、「闇」と「光」が対立しつつ表裏をなす世界構造)が色濃く漂うドイツ・ロマン主義の作品。要するに、いかにもヴェルディが好きそうな素材ではあるのですが、お仕事の場合はワーグナーに任せた方が良かったんでは・・・という気がしないでもない作品です。
 さらに途中で台本作家が交代する等の紆余曲折がありまして、最終的な出来上がりはというと、まぁ、何と申しましょうか、金髪碧眼のゲルマン男にバイオレットのジゴロ風シルクシャツとコンビのエナメル靴を無理やり着せてみたというか、オリーブオイルとニンニクたっぷりの細打ちパスタの上にソーセージと茹でたジャガイモを乗っけてみたというか、おとぎ話の登場人物に「時事放談」をやらせてみたというか、すんなりと耳なり喉なりを通るには少々無理がある仕上がりとなりました。
 台本作家ソレーラの受け狙いのいささか安っぽい愛国アジテーションも、ゲルマンのファンタジーだってともかく喰らいつきゃ何とかなるという若きヴェルディの楽観主義も、ソレーラが途中で放り出した台本を押し付けられたピアーヴェの無理を丸め込むお馴染みの手腕も、残念ながら全部少しずつずれてしまっています。造形は力強いのですが色彩がちぐはぐなのです。よって、この作品、一番出来がいいのはこの序幕、ここから先は少々きついです・・・。
 しかし、単純でありながら重厚なカバレッタ、伸びやかなカンタービレ、力任せに押しまくる二重唱、白黒くっきりと塗り分けられたオーケストラ、その音楽は荒削りではありますがズシンと聴き応えがあります。精緻な懐石料理とはいきませんが、味付け濃いめのカツ丼(少々卵に火が通り過ぎ)といったところでしょうか。

 冒頭、ゲルマンの神を讃える合唱と共に登場するアッティラ、彼だけは神を讃える言葉を口にしません。独裁者の傲慢か、実力者の自信か。たっぷりとおだてたところで王の前にアクィレアの女たちを連れ出すウルディーノの気配りも、オダベッラの豪胆の前には余計なお世話。自分の前では地べたに落ちた視線しか知らないアッティラにとって、真っ直ぐに瞳に突き刺さるその視線は初体験。征服者の王と被征服者の女は共に勇気を尊ぶことで共通しています。しかし、勇気は善にも悪にも姿を変え(強盗の勇気も、警官の勇気も、それぞれの仲間からは讃えられるものでしょう)、だから善と悪の本質には関係がありません。
 勇気という共通の価値観を持ちながら、アッティラとオダベッラはそれぞれ自分の側の善と相手の側の悪に何の疑問も持たず、苦悩することもせず、似た者同士でありながら理解に至りません。

 私の剣を!俺の剣を・・・、言葉では呼応しながら心は遠くすれ違う二人。アッティラはオダベッラたちの命を助けます。彼の心の広さゆえか?心の広さとは、自分の自由を知っており、その自由を「正しく」使おうと努力すること、しかし、アッティラは自分の自由を知っており、その自由を「愛」のために使ってしまった・・・。愛は意のままにはならず、人には愛することを選択することはできない、愛はその主体者に左右されない、愛は唐突で驚きに満ちた恩寵・・・。愛が自分の意思を超えた理不尽で避け難い宿命であるとすれば、この時点で既にアッティラは剣と一緒に主導権を放棄してしまっています。
 そして、オダベッラ、アッティラが自分の腰から外して与えた剣(この男にとってこれ以上の贈り物があるでしょうか?)を手にしながら、それが意味する彼の「放棄」が理解できない女。女とはどんな状況でも愛されていることだけは嗅ぎ付ける生き物です。アッティラの前のオダベッラは女ではなくあくまでも憂国の士、だからアッティラの贈り物の意味が伝わらないのです。

 「神の鞭」から何とか永遠の都ローマを救おうとするエツィオ。「世界を手にするがいい、だがイタリアだけは私に」、初演当時、この場面は観客総立ちの大喝采を浴びました。1848年のフランス2月革命に端を発する「諸国民の春」はまだ先ではありますが、その機運は充分に高まっていたのです。
 エツィオの提案の先にはローマとフン族の平和共存があります。しかし、オダベッラと勇気という価値を共有したことを愛と錯覚し、愛ゆえの運命の放棄の承認として己の剣を与えたアッティラには、ここで正しい判断ができません。彼は勇気を過大評価し、自らが率いる民族の未来を「勇気」というお門違いの価値観で決定してしまいます。「英雄が裏切り者であっては民衆は道に迷う、そこでの王は卑怯者だ」、民族を殺戮に駆り立てる英雄よりも平和をもたらす裏切り者の方がいい、そのためなら敢えて卑怯者の汚名に甘んじる王がいい、忠誠を誓った皇帝を悪し様に罵ってまで和平のために手段を尽くすエツィオの「臆病に良く似た勇気」と、「闘いの神、ヴォータンの司祭、預言者」であることを止められないアッティラの「勇気に良く似た臆病」がすれ違います。

 やがて「地中海の女王」と呼ばれることになるヴェネツィア誕生の時、全てを捨てて干潟に逃げ込んだ人々、アッティラの手に落ちたオダベッラの身の上を思うフォレストの嘆きは、やがて祈りの声に昇華していきます。
 己の剣の成し遂げることだけを信じ、ただの一度も神を讃えないアッティラ、その剣を贈られたことを復讐のサインと受け止めるオダベッラ、そして、和平へのあらゆる手だてを失った今、暴力以外に道はないと腹をくくったエツィオ、祈ることだけはしない三人にその声は届くはずもなく・・・。


第一幕 言葉ではなく剣を!運命ではなく意志を!

 夜も更けて、水面の上で月が粉々に砕けて輝いています。オダベッラが一人、粉々に砕けた希望をかき集めています。自由に泣きなさい、全てが寝静まっている、私だけが彷徨っている・・・。雲があんなに急いで飛んでいく、あれはお父様?違う、フォレスト?あぁ、せせらぎよ、黙って、そよ風よ、静まって、死者の声が聞こえるように。

 足音?誰か来る・・・。足早に登場するのは蛮族の服装の男。愛しい女!とうとう見つけた・・・、あなたなの?フォレスト!僕が怖くはないのか?怖い?全部知っているんだ、全部探ったんだ、君への愛が僕を狂わせた、危険などどうでもいい、こんな女を見ることになるなんて!何を言っているの?僕は裏切られた!君は瓦礫と化した祖国を忘れて、死んだ父上も忘れて、人殺しに微笑むのか!私を殺したいのなら剣で殺して、言葉で殺すなんてあんまりよ!お父様、天上で聞いておられるなら彼に私の真実を告げて!さぁ、あの男に言うがいい、獲物が一人ここにいると!私の言うことを聞いて、さもなければ殺して!

 フォレスト、イスラエルを救ったユディトをご存知ないの?このオダベッラはユディトになると神に誓ったのよ、何だって?見て、これがあの怪物の剣よ、これは神の意思なのよ!オダベッラ、君の足元に跪く、許しておくれ、いいえ、私の胸に!無限の喜び、全ての苦悩は消え去って、不幸な二人の命が一つの命に、一つの希望に、一つの誓いに!僕たちは蘇る!

 一方、アッティラの天幕では・・・。ウルディーノ、ウルデイーノ!王様、何ごとですか?お前は見なかったか?お前は聞かなかったか?何をです?歩き回っていた、声がした・・・、王様、これほど静かな夜ですのに。
 聞け、ローマを前にして俺の魂は高ぶった。その時一人の老人が現れて、俺の髪を掴んだ、俺は剣を抜こうとしたが手が言うことを聞かないのだ、老人は笑って言った・・・、お前は人を鞭打つが良い、立ち去れ!道は閉ざされた、ここは神の地だ・・・、恐ろしい夢だった。
 恐ろしい・・・なんと恥ずかしい言葉を!神官と将軍を呼べ、ローマへ急ぐぞ!このアッティラを止めることが誰にできる?俺が恐れをなして退くか、世界が俺にひれ伏すか、見ているがいい!

 ウルディーノに伴われ神官たち、武将たちが登場。アッィテラは命じます、全軍にラッパを吹き鳴らせ!ヴォータンが栄光へと誘う、今すぐ進軍だ!ヴォータンに栄光を!我らは血を求める!進軍ラッパが夜の闇を切り裂き響き渡ります。我らはいつなりとお供を!王よ!

 来たれ、創造主よ・・・、待て、あれは何だ?進軍ラッパの向こうから微かに聞こえる声。命の宝をお与え下さい・・・、あれは何だ?我らのラッパではない、あれは何だ!
 天幕の外に飛び出したアッティラが見たもの、それは復活祭の棕櫚の枝を掲げる少年少女たち、彼らを率いる老人を見てアッティラは思わず声を上げます。ウルディーノ、あれだ!亡霊め、何者だ!お前は人を鞭打つが良い、立ち去れ!道は閉ざされた、ここは神の地だ!神々よ、助けたまえ、あの悪夢と同じ言葉を聞くとは。違う、夢ではない、二人の巨人が、燃える眼、燃える剣、切先が俺の方に・・・、神秘の者よ、来るな!人間はここで退く、王は神々の前に跪く!
 兄弟の嘆きさえ聞かず、血と闘争だけを求める我らの王が、あの消え入りそうなか細い声を聞くとは!フン族の王が地にひれ伏すとは!呆気にとられる神官たち、武将たち、そしてウルディーノ。

 神の御業だ!一人の羊飼いが巨人ゴリアテを打ち倒した、一人の卑しい娘が人々を救った、名もなき人々が神の教えを広げた・・・、今、異教徒の王はこの地を退く!歓喜に沸くオダベッラたち。
 
 憎っくきアッティラの前で張り詰めていた緊張が一人になった途端に解けてしまったオダベッラ、こちらも天空で一人ぼっちの月が聞き届けたのか、婚約者のフォレストが登場。しかし、その再会がこれほど痛ましいものとは。
 オダベッラを払いのけ、いきなりキレるフォレスト、「君がどんな有り様が分かるか?」と生きていることを詰った上に、「君は殺人者に微笑んでいる」と、死ななかったなら殺してやると宣言。灰と化した祖国も死んでいった同胞も、君の父上も君は省みない・・・、「神の鞭」の前で風前の灯火であった同胞の娘たちを肝っ玉一つで救った「戦士」オダベッラ、しかし、フォレストは彼女の「恋人」としての有り様が許せない。で、このまますれ違ってしまえばいいものを、この二人は再び強引にお互いを見出してしまうから困った。

 ユディトを知らないの?このオダベッラはユディトになるのよ!「ユディト記」は旧約聖書の外典にあります。紀元前150年頃のこと、アッシリアの王ネブカドネザルからイスラエルを救った女傑ユディトの物語。ネブカドネザルはヴェルディの「ナブッコ」の主人公でもありますが、彼はバビロンの王であり、つまり、この「ユディト記」はいくつかの史実を巧みに利用して構成されたフィクションです。

 さて、ネブカドネザルは自分に非協力的な諸国を罰するために遠征軍を派遣します。その総大将はホロフェルネス。ベトリヤ(架空の町)を包囲したホロフェルネスは町の水源を断ちます、34日続いた包囲に町はパニック、長老たちは白髪頭を寄せ集め、歯抜けの口をもごもごさせた挙句、5日間奇跡を待とうと決定、もちっとマシなこと思いつかんのかい。
 アホ言ってんじゃないよ!一人立ち上がったのは夫マナセを失って以来未亡人の絶世の美女ユディト。5日間の神頼み?それがダメなら降伏?んなことやってる場合?町は干上がってんのよ!うー、そらもっともだ、けど、どーすれば?恐れ入る長老たち、ユディトは夫が死んで以来初めて念入りに化粧をして、4日分の弁当を持ってホロフェルネスの陣営に乗り込みます。その美貌に大将から足軽までクラクラ、ユディトはウッフンと語り始めます。あの町の連中、揃いも揃って腰抜けばっか、もううんざり、あんな連中くたばった方が神様だって喜ぶわ。で、私が来たわけ。私には神の声が聞こえるの、だから私の言う通りに出撃して、そうすればあの町どころかエルサレムまで簡単に落ちる、玉座に座ってみたくないの?私のホロフェルネスぅ。
 4日間、持参の弁当で凌ぎ異教徒の食物に手を触れなかったユディト、4日目の夜、ホロフェルネスは今宵こそと息巻いてユディトに酒を勧めます。あら、うれしい、頂くわ、でも、あなたも酔ってぇ、夜は長いわ・・・。酔わせるつもりが泥酔してしまったホロフェルネス、ユディトは彼の短剣を抜き放ちます。イスラエルの神よ、私に力を!ユディトはホロフェルネスの首を切り落とし、胴体は寝台から蹴落として首だけを空の弁当箱に入れて悠々と陣営を後にします。ベトリヤの人々はこの大胆な未亡人を町を上げて賞賛し、大将が首なしになってしまったアッシリア軍は逃げ出します。

 「全能の神は女の腕をもって彼らを退けられた、ただ、主を畏れるその人こそ、常に偉大なり。」、たった一人で町を救ったユディト、その後彼女は、大勢の言い寄る男を片っ端から袖にして、ただの一度も死んだ夫以外の男の腕に抱かれることなく、105歳で大往生を遂げました。

 で、フォレストは愛する女がユディト、暗殺者になると聞いて喜んでいるわけです。「オペレーション・ユディト」の色仕掛けも、敵の陣営の真ん中では実行犯の逃亡の可能性がゼロに等しいことも気にならないらしいのです。死んでくれと願ったのに生きていた女に、どうしても彼の脳内ストーリーの通りに死んで欲しいらしいです。何ちゅー男だ。

 ヴェルディはこの二人の二重唱をキビキビしたユニゾンで何とか盛り上げようとしていますが、いかんせん二人の重量が違い過ぎ・・・。焼き払われた祖国と殺された同胞を嘆く言葉、貞操の疑わしい許嫁を詰る言葉、彼女の決意に感激する言葉、フォレストは実に雄弁なのですが、その主張の根拠が薄っぺらで自己中心的、どころか支離滅裂な自己愛コテコテなもんですから、華麗な言葉はオダベッラの心を素通りしている感がどうしてもぬぐえません。
 そして、そんなことお構いなしに暗殺者として奮い立ち、血の予感に高ぶるオダベッラは、剣を介してお互いを認め合った、ここには不在のアッティラとこそ強く結びついていることが感じられるのです。

 ところが、そのアッティラは、時の教皇レオーネの幻に怯え、あろうことか、衆人環視の中で跪いてしまうのです。この強引な展開をどうしたものか?「神の鞭」と恐れられた男が、いくら何でも敵方の坊主の姿を見て震え上がるわきゃないっしょ?
 オダベッラが我が身をなぞらえるユディトは、神頼みの連中にこう言い放ちました、「あなたがたが瀬踏みをしている相手は、全能の主です」。当然にアッティラには、その神を踏みにじる傲慢さが要求されるのに、何というしおらしさ。第一、撤退ってことになれば、ここから先どーするの?
 アッティラが跪いたのは異教の神などではなく、どっかの年寄りのお化けでもなく、初めて知った愛という感情、その感情が彼に教えた死への恐れなのかも知れません、と強引に持って行くしかない・・・。

 史実としてのアッティラと教皇レオ一世(在位は440年から461年)の会見の内容は記録されてはいませんが、レオとしては、軍事的には圧倒的に不利、交渉の材料は何もなかった状況で、これはもう「時間稼ぎ」しかできなかったでしょう。で、その時間稼ぎがまぐれ当たりでアッティラが急死してくれた、「お祈りして後は神様任せ」、レオはユディトが詰ったような男たちの一人であったのです。
 このパパさん、本当に蛮族との喧嘩が怖かったみたいで、ゲルマン民族の移動につれて発生する民族紛争を平和解決すべく奮闘しました。反面、異端者の弾圧は大好きだったみたいで、ローマ教会の中央集権化に励みました。どちらの功績によってか定かではありませんが、後に「大教皇」と称されました。


第二幕 それぞれの野望、それぞれの代償

 アッティラの陣営を見下ろし、遠くにローマの七つの丘を望むローマ軍の陣営。手紙を手にイライラと歩き回る総司令官エツィオ。「皇帝バレンティニアンは貴下に命ずる、フン族と休戦し、ローマに帰還されたし」、命令?あのひよっこ皇帝がこの私に命令?お前が恐れているのはアッティラか?それともこの私か?百戦錬磨の兵士たちが臆病者の皇帝に従わねばならぬのか?この力で祖国を救うことこそ私に相応しい。先祖の霊よ、あの惨めな町が永遠の都と知って恥じ入っておられるのか・・・。誰か来る・・・。
 アッティラの奴隷たちがエツィオの前に登場、大王から将軍にご挨拶を、そして、どうかご足労を。身支度を始めるエツィオに一人の奴隷が擦り寄ります、それはフォレスト。将軍、僕にはあなたの勇気が必要です。お前は誰だ?今知っても無駄なこと、それより今宵、あの野蛮人は死にます、だから手を貸して欲しいのです。あの山に明かりが見えたなら、兵士たちをフン族の陣営に突入させて下さい。急いで立ち去るフォレスト。
 見送るエツィオは決断します。賽は投げられた、闘おう!私の体が死んでも私の名は残る、愛する大地が踏みにじられるのを見ることはあるまい・・・、イタリアの民よ、最後のローマ人の死に涙を流すがいい・・・。

 アッティラの陣営では煌々と松明が燃え上がり、宴会の席を照らし出します。果てしなく青い空、敵から奪った大地、そして燃え上がる空気がアッィテラの宮殿、今宵は夜が明けるまで楽しもう!従者を従えたエツィオ、今度は兵士の扮装のフォレスト、そしてウルディーノが登場。エツィオ、よく来た!今宵の宴が休戦の証だ、楽しんでくれ。アッティラ、君の寛大さに感謝しよう。
 大王様、神官たちが囁きます、異邦人と宴を持つのは危険かと、ご覧下さい、空には血の色の雲、そして鳥たちの叫ぶ声、不吉です・・・。うるさい!そんなことしか言えないのなら去れ!女たちよ、気分直しに何か楽しい歌を歌うがいい。誰が心に光を点すのでしょう、空に星はなく、月も輝かず、風が吼え、雷が響き、そしてラッパの音だけが・・・、突風が松明を吹き消し、一同の驚きの声が女たちの歌を遮ります。今の風は?あれは彷徨う霊の仕業・・・?一瞬の暗がりを利用してフォレストがオダベッラに、エツィオがアッティラに近寄ります。
 アッティラよ、エツィオの味方となってくれ、手遅れにならぬうちに決断してくれ(急げ、今宵お前は死ぬのだから)、エツィオが親しげにアッティラに語る間に、フォレストはオダベッラに囁きます。喜んでくれ、時が来た、あの杯は毒で満たされている、ウルディーノがあれを捧げれば復讐はなされる!何ですって?アッティラの奴隷が私たちの復讐を果たすの?私は神に誓った・・・この剣であの男を殺すと!

 エツィオよ、君は俺を苛立たせる、突然の休戦、何を企んでいる?俺が恐れるとでも?風も雲も俺の宴では余興に過ぎぬ。・・・待て、これは強がりでは?このアッティラは強くこそあれ強がる必要などなかったではないか、俺はどうしてしまったんだ・・・。
 ウルディーノが杯を捧げ持ってアッティラの前に進みます。怖いのか?僕はブルターニュの子、この暴君に蹂躙された祖国を忘れたのか・・・。嵐が通り過ぎ、アッィテラは我に返ります。踊れ、歌え、今宵は楽しむぞ、ウルデイーノ、酒だ!杯を受け取ってアッティラが一同に呼びかけます、偉大なるヴォータンに乾杯!

 待って!王よ、待って下さい、それは毒です!オダベッラが叫びます。杯を叩き割って怒り狂うアッティラ、誰だ?誰の仕業だ!僕だ!フォレストが一歩前に出ます。フォレスト、何をするの!オダベッラの驚きをよそに名乗りを上げるフォレスト、その胸に剣を突きつけるアッティラ、よかろう、死にたいのなら殺してやる!
 王よ!オダベッラが進み出ます。私はあなたを助けました。だから褒美にその男を頂きたいと思います!

 お前にその男をやろう、しかし、それ以上のものをやろう、お前にはその価値がある。明日、お前は俺の后となる。皆、明日は、明日だけは喜びの日、そして明日が終わればアッティラの怒りが振り下ろされる!エツィオよ、ローマに知らせるがいい、アッティラが目覚めたと、休戦はないと!
 フォレスト、怒りを静めて!私を罵ってもいい、恨んでもいい、逃げて、生きるのよ!明日になればきっと分かる・・・、オダベッラ、僕は生きる、君に復讐する日まで永遠にだって生きる!
 恋か?恋に落ちたのだな、アッティラよ、いいとも、楽しむがいい、しかし、明日はこのエツィオがお前を討つ!

 大王よ、その心を奮い立たせなさいませ!フン族の兵士たちが雄叫びを上げます。血と炎こそ大王に相応しい、さぁ、裏切り者を叩き潰すのです!

 皇帝からの命令書を握りつぶすエティオ。無能な権力者に仕える有能な武人の苦悩。エツィオの本領は、皇帝ではなく帝国に仕えるべき自分を知っていること、そして、帝国を守るためならば、いきなり湧いて出てきた得体の知れない男(フォレスト)の思わせぶりな言葉であろうが、誰が見たってガッチンガッチンで見え見えの痛ましい暗殺者(ウルデイーノ)の「万が一」であろうが、試すことができる柔軟さ、オダベッラによってその「万が一」が「万がゼロ」になった場にあっても、その目を曇らせることなくアッティラの恋を見抜くことができる冷徹さにあります。

 かくも沈着冷静なローマ軍の総司令官、変装が得意な(というか、変装だけが得意な)命知らずの若者、いつもターゲットの近くに侍る内部協力者、こんだけ揃えておいてなお失敗する暗殺計画というのも珍しいです。勿論、直接ぶっ壊したのはオダベッラではありますが、原因はフォレストでしょう。フン族の陣営とローマ軍の陣営を唯一自由に行き来できる(というか、それしかできない)男が、コスプレだけは熱心ですが何のプランもないのです。つーか、「オペレーション・ユディト」、もう忘れているし・・・。マジで仕事間違えています。俳優になればよかったのに。
 エツィオの前では勿体付けて毒殺計画を伏せ、オダベッラの前ではその計画を得意げにひけらかし、彼女の神経を逆撫で、計画が露見した途端に、僕がやった!ウルディーノ一人を助けたつもりで、アッティラの注意を干潟の奥で懸命に生き残ろうともがいている同胞に引き寄せ、愛する女に思いかけず命を救われたアッティラの激情によって辛うじて身元は暴かれなかったものの、危なっかしいったらない。「逃げて!」、オダベッラの言葉がどうしたって厄介払いに聞こえてしまうのが二枚目役としては辛いです。

 そして、毒殺じゃ納得がいかず、全てをぶち壊すオダベッラ、どうしても血を見たいらしいです、それもアッティラの剣によってアッティラの胸から吹き出す血を見たいらしいです。やっとこさ再会してやっとこさ仲直りした婚約者を再び激怒させても自分の手で殺したいらしいです。このオダベッラの憎悪に求婚で応えるアッティラ、逆説の愛が燃え上がります。
 命を救った女に褒美として妃の地位を与える、アッティラは愛を一度も言葉にしません。その未知の感情が既にフン族の王としての自分を蝕み始めており、彼はそれを自覚し恐れています。だから恐れている感情に別の意味を与えることで封印しようと足掻きます。
 憎む男の命を束の間長らえさせる、毒ではなく彼自身の血でその喉を塞ぐために。なき父のため?瓦礫と化した祖国のため?オダベッラをかくも残忍にしたもの、それはアッティラの愛です。アッティラは愛を剣に託して彼女に与えた、その愛にオダベッラは剣で応える、これ以外の愛がこの二人にはないのです。

 レオーネ(キリスト)が説いた十字架に託された自己犠牲は、毒杯によって跡形もなく消え去りました。後に残るのは剣に託された自己実現のみ、アッティラは弟を殺し、目の前に立ちはだかる者全てを殺して自己を実現してきた男です。その身体を熱く駆け巡る血は、大地に流れる他に行き場を失いました。


第三幕 野望が潰えて、愛が残った

 大王の毒殺未遂によってフン族とローマとが決定的に決裂した夜も、もうすぐ明けようとしています。アッティラの陣営とエツィオの陣営を冷たい霧が隔てていますが、それもやがて朝日が昇れば消えてしまい、代わりに大量の血が流れるでしょう。フォレストが一人、フン族の陣営を睨みつけます。ウルディーノが忌まわしい婚礼を告げにやってくる、落ち着け、時が来れば僕は雷鳴となる!
 フォレスト!ウルディーノが走り寄ります。花嫁の行列が新婚のテントに向かって動き出した!何という・・・、ウルディーノ、君はエツィオの陣営に走ってくれ、攻撃の準備をと伝えてくれ。不実な女よ・・・、このフォレストを待つがいい!僕はオダベッラに全てを差し出したのに、その見返りが・・・、神よ、これほど邪悪な女をあなたはお許しになるのですか?
 甲冑に身を包んでエツィオ登場。兵士たちはいきり立って合図を待っているぞ、そうとも、野蛮人は一人として生きてこの地を離れることはない。

 歓喜に包まれて、乙女よ、天幕にお入りなさい、王の威光が貴女に注がれ、貴女の美しさは朝日のように穢れなく、落日のように優しい・・・、聞こえるか?婚礼の歌だ。じきに弔いの歌になる・・・、卑劣な女め!落ち着けよ、フォレスト、・・・オダベッラは野蛮人の花嫁だ!嫉妬を鎮めろ、今は冷静さこそ必要なのだ、地獄の悪魔の全てが僕の心に蠢いている・・・!

 婚礼のマントの裾を乱してオダベッラ登場。止めて、こっちに来ないで!お父様の怒れる霊よ、あなたの娘は婚礼の床から逃げ出しました、でも、復讐は為されます!遅いぞ、アッティラの花嫁、オダベッラを睨み付けるフォレスト、合図を!この機を失うなとエツィオ。二人の男の前で息を切らすオダベッラ。フォレスト、あなたがここに?聞いてちょうだい、私のあなたへの愛は汚れてはいないの!その舌で何度僕を騙した?この期に及んで愛だと?おい、ご両人、今は嫉妬や涙にかまけている事態じゃないんだ、ことを進めようと躍起のエツィオの前に、アッティラ登場。
 これほど愛しているのにどうして逃げるのだ、花嫁よ?・・・なんで皆してここにいる?かつての奴隷、今は俺の花嫁の女、俺に毒を盛って、しかし俺が許してやった男、ローマ人まで・・・、悪党ども、何を企むか知らないが王の復讐が降りかかるぞ!

 新婚の床の傍らで血塗れのお父様を見たわ、父はお前に殺されたのよ、こんなもの!冠を放り投げるオダベッラ。呪われるがいい!お前は僕から祖国と婚約者を奪った、僕の全てを苦悩に変えた、この憎悪は死によってしか鎮まらない!お前に天罰が下るのを待っている人々の声が聞こえないのか?天の怒りが降りかかりローマは救われる!三人から三通りの呪詛の言葉を浴びて呆然とするアッティラ。そしてフン族に襲い掛かるローマ軍の雄叫び、不意を突かれてパニックに陥るアッティラ軍の悲鳴、運命は決まった!フォレストが剣を構えた刹那、それを制してオダベッラの剣、かつてアッティラのものであった剣が、そのアッティラの胸に突き立てられます。

 お父様、あなたへの供物です!オダベッラ・・・、お前・・・、アッティラの体が崩れ落ちると同時に、ローマ軍が突入、復讐は為されました、人々の叫びは祈りに転じ、昇る朝日がローマ帝国を震え上がらせたアッティラ、そして、その潰えた夢の屍を照らし出します。

 まったく、許嫁を信じたり疑ったり、抱きしめたり突き飛ばしたり、忙しいフォレストですが、ロマンツァ「哀れな男がオダベッラに」の自己憐憫は鼻につきます。「哀れな男がオダベッラに差し出さないものがあっただろうか?(ありはしない)」、はい、分かっていないみたいですから教えて上げますが、ありました、「信頼」です。しかも、ここでのフォレストは、「憂国の士」としてのオダベッラの捨て身の決意も、「許嫁」としてのオダベッラの清らかな愛も、両方をいともあっさりと否定しています。挙げ句に「かくも邪悪な心を持つ者を天使と同じに扱うのですか?」と神様を引っ張り出します。己の恨みは己で背負うべきもの、神を詰るなんて厚かましいこと、レオーネだってやっていません。

 そこに登場するエツィオ、彼に必要なのは正確なタイミングを知ることだけ、彼は神など必要としません。今宵の奇襲の幸運すら祈りはしません。自己憐憫に浸りきって大仰に嘆くフォレストを諫める言葉と旋律には、密やかな軽蔑が感じられます。アッティラに対しては立場を超えて真摯であったエツィオですが、フォレストには心の一片すら覗かせません。彼にとってフォレストは「スイッチ」でしかない、正しく機能してくれればそれで良いわけで、この手の男が一番嫌うのは「思いがけない」ってやつです。

 その「思いがけない」が息を切らしてやって来ます。アッティラの寝室で亡き父の亡霊を見たと思いこんでいるオダベッラ、再会するなりお互いに罵りと言い訳を繰り返すご両人、それを懸命に宥めるエツィオ。リアリストは、相手もリアリストであると想定して行動した時、滅多にない失敗を犯すものです。今がその時、天下分け目、祖国の命運を賭けた決戦を前にして、フォレストもオダベッラも痴話喧嘩に夢中、奇襲の「スイッチ」はウンでもスンでもなく、誤作動を起こして喚いています。

 花嫁を追って登場したアッティラ、およそ彼には相応しくなく、剣ではなく言葉でその場の3人を詰る大王、しかもその言葉はまるで虚け、アッティラは既に死者として登場しているとしか思えません。そんな「死者」に思い思いに勝手な言葉をぶつける3人、お父様を殺した!祖国と恋人を奪った!お前の罪は限界を超えた!そして、ローマ軍の奇襲の前に次々と惨殺されているアッティラの兵士たち。この大虐殺を神の名において正当化する人々、これほど寒々しいラストも珍しいかと。

 物語の寒さとは裏腹にヴェルディの旋律は固く引き締まって力強く、このエンディングをただ音楽の力のみで救ったと言えると思います。ヴェルディには、現在の視点で過去を断罪し、自己を正当化するような卑小さはありません。台本に何と書かれていようが、ヴェルディの五線譜は揺るぎません。アッティラは愛する女によって殺された、エツィオも、フォレストも、ウルディーノも、アッティラにとっては意味を持たない、ただ一人、剣を握りしめたオダベッラだけに意味がある。愛する女に愛の証として与えた己の剣で果てる・・・、恋する男にとってこれ以上の本懐があるでしょうか?

 「お前もか、オダベッラ?」、蛮族の王が最後に放った言葉は、愛と死、それぞれ北極と南極に住む双子ともいうべき人間の本質の一番深いところを的確に射抜いています。


「神の禍」が残したもの

 アッティラの死後、フン族の帝国はあっけなく消え去りました。アッティラの長男エラック、455年、ネダオ川の戦いで戦死、次男デンギジック、469年、東ローマに侵攻して失敗、捕らえられて斬首に、その首はコンスタンティノープルの闘技場に晒されたと伝えられています。三男イルナック、ドナウ川の河口付近に小さな王国を築きますが、その王国も560年、アヴァール族に侵略されて消えていきました。

 アッティラの時代、ローマ帝国とその周辺は奇妙な小康状態を保っていました。いくつかのゲルマン部族が親帝国派、反帝国派に分かれて牽制しあい、その危ういバランスの上に腐りきっていた西ローマ帝国が辛うじてぶら下がっている状態。
 どん詰まりの病の床で既に死臭すら漂わせながら、なぜか死神からお声がかからない西ローマ帝国、そして、それを知りながら統一行動に出ることができず、勝手にその腐肉に齧り付いているゲルマン民族、そんなヨーロッパに突如現れた「神の禍」。人口が少なかった当時にあって、アッティラは常に70万人の騎馬軍団をただ一人で維持し、統率していました。それを支えたのは至って簡単な二つの原則、「悪い報告をもたらした兵を褒めよ」「悪い報告をしなかった兵を罰せよ」。アッティラは自分にとって耳の痛い報告を進んで聞き、隠し立てを嫌いました。これは優れた指揮官には必要不可欠な要素ですが、独裁者が一番不得手とする要素でもあります。

 私たちはローマ帝国側が書いたアッティラ像しか知りません。当時の絵画に登場するアッティラは、大きくてテラテラ光る褐色の顔、潰れた鼻、釣り上がった目、そして短足、ガニマタ。気に入らない部下の首を片っ端から刎ねてはそれを余興に酒を煽り、動くもんなら何でも取り敢えず押し倒す、そんな「いかにも暴君」的な容貌で描かれております。まー、歴代ローマ皇帝のとんでもない愚行と狼藉をかぶりつきで見ていたローマ人にとっては、少々のことじゃ「暴君認定」は出せなかったことでしょうし。
 しかし、お上を適当に担ぎ上げておいて、時間稼ぎの間に甘い汁をチュパチュパ吸って郊外に豪華な別荘建てるもんね、という官僚、彼らに担ぎ上げてもらうために多大な現ナマをばら撒いたのだから、まずそっちの回収が先ね、という皇帝、よく分かんねけど、パンとサーカスはタダだから難しいことはどーでもいーんだ、という民衆、彼らの怠惰なもたれ合いの上に成り立つローマ帝国とは違って、アッティラの帝国は彼一人の力量にかかっているのです。アッティラは敵から見れば暴虐の限りを尽くす恐ろしい王であったでしょうが、フン族にとっては命を預けるに足る力強い指導者であったのです。アッティラの下でのみ勇猛であったフン族のその後の消息がそれを教えてくれます。

 そして、善にでも悪にでも自由自在、非常に捉えどころの難しいエツィオ。アッティラの侵略を辛うじてかわした後の西ローマ、450年に母后ガラが亡くなり、ただ一人統治に当ることになった皇帝ヴァレンティニアヌス。その無能ぶりを心底軽蔑していたエツィオは徐々にその本音を隠す努力を怠り始めます。そして、455年、皇帝の刺客がこの救国の将軍を刺殺。これで安心してしまったヴァレンティニアヌスは、元老院の大物マクシムスの妻に欲望を掻き立てられます。イカサマ賭博でマクシムスに勝った皇帝は、借金の担保として彼自慢の指環を巻き上げ、それを使いの者に持たせてマクシムスの妻を騙して呼び出し、無理やり我が物にしてしまったのです。愛妻を陵辱されたマクシムスは皇帝を暗殺、名君と讃えられたテオドシウスから始まったテオドシウス朝は、結局、初代以外は全員ぼんくらという体たらくで途絶えます。
 
 「全世界を手に入れるがいい、しかしイタリアは私の手に」、初演当時のイタリアの観客を熱狂させた決め台詞、多くの観客は、蛮族の王に媚びることなく堂々と欲しいものを主張する姿に、イタリアは残りの全世界に匹敵するという傲慢な言葉に酔いしれたのであろうと思います。しかし、この男に感傷的な言葉は似合わない、彼は救国の英雄になるつもりはなく、しかしそうなり、簒奪者であるつもりはなく、しかしそう見え、そして、おそらくどちらでも気にしなかったでしょう。彼が唯一信じたもの、それは己の才能と野心だけであったろうと思います。

 全ヨーロッパを恐怖のどん底に叩き込み、ローマ帝国に引導を渡した男の圧倒的な暴力と圧倒的な愛、冒頭で干潟の中に命からがら逃げ込んでアナグマ状態、やっと出てきたと思ったらイイとこ全部ヒトに持って行かれてしまった男の小さな暴力と小さな愛・・・。
 勿論、現実を制するのは後者です。フォレストの子孫たちが干潟の上に築き上げたヴェネツィアは、神様ではなく悪魔が、愛ではなく憎悪が、理想ではなく野心が支配する世界を知り尽くした上で、嘆くこともなくその世界を最後まで全力で生き抜きました。格好良くはないけれど、夢見ることをせず、したたかに、現実を現実のまま生き抜きました。

 平和は空想の産物、概念でしかない、あるのは安全のみ、アッティラがヨーロッパに残したものを一番生真面目に承継したのは、皮肉なことにヴェネツィアであったと思います。
 そして、ヴェルディ、彼の描くアッティラは、愛した女に敗れる一人の男であって、決してキリスト教の前に、ローマ帝国の前に敗れた蛮族の王ではありません。ヴェルディは「強い男」の本当の意味を知っていた数少ない男です。

 さて、録音、私は一つしか持っていません。1972年のガルデッリ盤、ロンドン・フィル、アッティラをライモンディ、エツィオをミルンズ、オダベッラをドイテコム、フォレストをベルゴンツィ。ライモンディが素晴らしい、ローマから見れば暴君、フン族から見れば英雄というアッティラの二面性を見事に表現しています。ドイテコムの女戦士ぶりも迫力満点。アンサンブルもかっちりとまとまって、良い録音だと思います。
 少々荒削りではありますが心を揺すぶる力強い旋律、歌というより雄叫びに近い歌唱、特にアッティラとエツィオの二重唱「東方の支配者」「虚栄心の強い奴ら」は、お互いに野心、それも半端じゃなく、壮大な世界を視野に入れた野心を秘めた二人の武人が渡り合う声の決闘、聞き応えあります。
 
 この作品の真の主役はエツィオであろうと思います。彼がええ役(祖国のために己のプライドも命も擲って闘う将軍)であるのか、悪い役(アッティラを利用して綺麗な手のまま皇位を狙う逆臣)であるのかで、作品が全く違ってしまいます。ミルンズのエツィオは、そのどちらでもありどちらでもないという綱渡りを見事にこなしています。


GO HOME HOME     GO INDEX 作品別インデックスへ