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ウェーバー 「魔弾の射手」 (2002年4月23日〜2002年5月15日の日記より)
『ドイツ国民に告ぐ』
1808年、真冬のベルリン・アカデミー、一人の男が講堂を埋めた聴衆に向かって熱っぽい声で語り始めます。「独立を失った国民は、同時に、時代の動きにはたらきかけ、その内容を自由に決定する能力をも失ってしまいます。もしも、ドイツ国民がこのような状態から抜け出ようとしないなら、この時代と、この時代の国民みずからが、この国の運命を支配する外国の権力によって牛耳られることになるでしょう」。男は政治家でも革命家でもありません、哲学者のフィヒテです。
ヨーロッパ史の中でもドイツの歴史の捉えどころのなさは別格です。ドイツとは?ドイツ人とは?というところから始めなくてはなりません。民族的な、地理的なまとまりとして捉えることができないのです。
コトの起こりは5世紀、ゲルマン民族の大移動から始まります。中央アジアの遊牧民フン族に追い立てられたゲルマン民族、当然必死に西に逃げます。ヨーロッパは地続き、流れ込んでくる連中を止めることは不可能です。一族郎党引き連れてわらわらと侵入するゲルマン民族は、最後にはローマ帝国の息の根を止めてしまいます。フランク王国を建設し国王に収まったカール大帝、これに目を付けたのが老獪なローマの坊主どもです。
あの連中じゃがじゃが増えるし、喧嘩強いし、このままほっといたらまずいじゃん?どーするよ?ここで登場したのがローマ教会の得意技、丸め込みです。800年、ローマにやってきたカール大帝のオツムの上に勝手にローマ皇帝の王冠を載っけてしまいます。カール大帝ばんざーい!ローマ皇帝ばんざーい!ゲルマンによって滅びたローマ帝国が、あら不思議、ゲルマンの皇帝によって蘇り、ローマ教会はゲルマンの取り込みに成功。その上王冠を「授ける」役を仰々しく演じることで、ローマ教会は権力を承認するという権限をモノにしてしまいます。これ以降、どこの王様も教会にうんと言って貰わないうちはもぐりの王様ということになってしまいます。962年にはオットー1世が神聖ローマ帝国皇帝に即位、この「神聖」とはキリスト者としてローマ教会を守る者という意味、ゲルマンはついにローマ教会のボディーガードに・・・、恐るべきは坊主の知恵です。
キリスト教世界に取り込まれることで、ゲルマン人の価値観は大きく変貌していきます。古代ゲルマンの世界では、時間は季節と同じようにグルグル巡って繰り返すものでした。生と死は表裏をなし、死者はいつも精霊として生きる者の側にいたのです。ところが、キリスト教の時間は後戻りなしの直線構造です。人生は一回、死ぬのも一回、死んだ後は天国か地獄が待っている。誰だって地獄には行きたくない、ローマ教会はこれを最大限に利用します。地獄に行きたくない?だったら善行を積みなさい、善行とは何かって?それは地上で神を代理する教会へ寄付することです!あらゆる町に教会が築かれ、そこを拠点に教会は寄進される土地を経営し、寄付を集めます。その教会の司祭のボスは国王ではなく法王、ローマ教会の長い腕がヨーロッパ中を覆い尽くします。完璧な集金組織の出来上がり、何もしなくたって、天国行きを目指す善男善女の寄付がローマに流れ込みます。
あれっ?俺って皇帝でなかった?皇帝ってエライんだろ?なのになんでお金が俺んとこ素通りしてローマへ行くわけ?と疑問を持ったのはハインリヒ4世。司祭は俺が任命する!と宣言。これにキレたのがローマ法王グレゴリウス7世、破門じゃ!破門された人間は即地獄行き決定、その言うことを聞く人間も地獄行き、というのがローマ教会の理屈。巻き添えはイヤ!「善男善女」はハインリヒに反旗を翻し、ドイツ国内は大混乱。慌てたハインリヒは、1077年真冬のカノッサでひたすら法王にヘイコラ、やっとこさ許して貰います。有名な「カノッサの屈辱」です。
変革は常に周辺から始まります。権力のど真ん中にいる人間は決して変化など求めません。ひたすら現状維持のローマ教会、何しろ集金組織は万全、皇帝まで下に置いて怖いモノなし、溢れるお金で贅沢三昧。ローマの太陽の下、教会が酒と薔薇の日々に酔っている間、どんより曇った空の下、ドイツではある疑問が生まれます。ワシらが一生懸命働いてせっせと教会に寄付してるのは何でだ?そりゃ天国に行きたいからよ。でも、ローマでは法王様がキリスト者にはあるまじき贅沢三昧してるって話だで。そりゃまずいわな、そんなんじゃ天国に行けねーぞ。ルターの声がドイツ中に野火のように広がっていきます。
300を超える諸侯の寄せ集めだったドイツは、この新旧の宗教対立に帝国として統一した方針を打ち出すことは不可能でした。もう面倒なんで、王様の信じる教会を信じようってことで無理矢理の妥協案(1555年アウグスブルクの和議)をでっち上げます。ところがプロテスタントが多数派だったボヘミアで事件発生、1617年にこの地の王となった皇帝フェルディナンド2世はガチガチのカトリック、プロテスタント弾圧を始めてしまったのです。ボヘミアの貴族たちは皇帝に反抗します、三十年戦争の始まりです。
皇帝軍(つまりカトリック)優勢で進んだこの戦争、デンマークのクリスティアン4世の横やりで国際紛争に発展してしまいます。デンマークは破れますが、後を継いだのは当時最強の装備と軍律を誇ったスウェーデン、カトリックを守れという名目でスペインが参戦します。スペイン嫌いのフランスはカトリック国なのにスウェーデンを援助します。スウェーデン・フランス連合対ドイツ・スペイン連合、もう宗教はどうでもよくて、ハプスブルク(ドイツ・スペイン)対ブルボン(フランス)の戦争です。ドイツはめっちゃくちゃです・・・。
やっとこさ戦争が終わったのは1648年のこと、ウェストファリア条約で一番儲けたのはフランス、国境がぐーんと東へ伸びました。スウェーデンもドイツ北部に領土を確保、オランダはスペインから独立、スイスはドイツから独立、で、主戦場となったドイツはというと、300以上の諸侯の領地が課税権、外交権などを認められ実質上独立してしまいました。この条約は「ドイツ帝国の死亡診断書」と呼ばれました。
ドイツの農村は徹底的に破壊され、その人口は3分の1にまで減少しました。その上バラバラのドイツがバラバラのまま固定されてしまったのです。踏んだり蹴ったりです。
コルシカ島生まれの小男がヨーロッパ中を引っかき回します。ナポレオン、彼はその軍事的才能によってのみ権力を維持できる人間です。当然、平和になっちゃ困るのです。というわけで、次から次へと遠征を行います。1806年、神聖ローマ帝国消滅・・・、ナポレオン率いるフランス軍の軍靴響く中、ドイツの屈辱の時代は続きます。
さて、冒頭に戻ります。「ドイツ国民に告ぐ」、ドイツ国民って何?神聖ローマ帝国なんて厄介な王冠を戴いてしまったせいで、その支配地域は実質、名目合わせてオーストリア、スイス、イタリアにまで及びます。しかし、実体は封建諸侯の寄せ集め、皇帝は単なる名誉職でしかなく、この帝国には中心がなかったのです。
フィヒテはドイツ民族の定義を教育に求めます。全ての教育はドイツ語による国民教育でなければならないと。ドイツ語で語り、ドイツ語で考える人間、これが即ちドイツ人なのです。
音楽の世界にも変化の波は打ち寄せます。オペラはイタリア語でなければならず、ドイツ語の作品はジンクシュピールであってオペラではないとされていた時代に、ウェーバーの「魔弾の射手」は登場しました。ドイツが舞台でドイツ語で歌われるオペラ、ドイツお得意の交響曲の響きを持ったオペラです。アリアが主張するイタリア・オペラではなく、オーケストラと合唱が主張するドイツ・オペラです。高らかに歌い上げるイタリア語でもなく、繊細な旋律に絡むフランス語でもなく、子音が多くてアクセントがはっきりしているドイツ語の音声をそのまま生かしたオペラです。
最もドイツ的なオペラと言われるこの「魔弾の射手」、舞台はボヘミア(当時はドイツ領でした)の暗い森、ゲルマン民族の故郷です。この森から糧を得て生きている人々、森を愛し森を恐れる感情、ドイツ人のためのオペラの誕生です。
「ドイツ国民に告ぐ」、フィヒテの声は、ウェーバーの五線譜の上にしっかりと書き留められたのです。
参考文献:「ドイツ国民に告ぐ」(ヨハン・ゴットフリート・フィヒテ 石原達二訳 玉川大学出版部)
「世界大百科事典」(平凡社)
「西洋の歴史」(ミネルヴァ書房)
第一幕 木漏れ日の中
アダージョからすっと入る序曲、ホルンが主題を奏でます。深い森、土と苔の香りが辺り一面に立ちこめます。緑色の風が吹き渡り、木漏れ日がちらちらと光っています。この美しい光景に不吉に立ちはだかるのは悪魔の主題、それに対抗するのは喜びの旋律、邪念と歓喜が絡み合い、豊かな音はまさにロマン派の真骨頂。
村の射撃大会は最高潮、農夫キリアンの放った弾丸が見事に的を射抜きます。本命の猟師マックスはスランプ、みすみす農夫に勝ちをさらわれてしまいます。キリアンと村人がマックスをからかいます。「勝利だ!勝利だ!どうか帽子をとって貰えませんかね」、若いマックスはその頬を真っ赤に染めて、黙れ!それともやるってのか?森林保護官のクーノが止めに入ります。ウソは言いません、一発も当たりませんでした・・・落ち込むマックス。射撃の名手と言われたお前が?何という恥さらし。やはり猟師のカスパールがマックスに囁きます、お前、呪われているんじゃないか?こんなんで明日の試験射撃は大丈夫か?と不安に思うクーノ。マックスにとってこの試験射撃はクーノの娘アガーテと結婚するための大切な試験でもあります。こんなことじゃ娘はやれないとクーノ、上司の娘に惚れるってのは何かと大変です。
クーノが語る昔話、私のご先祖様が射た一発の弾丸は、鎖に繋がれた罪人を傷つけることなく鹿を射止めた、これが試験射撃の由来。しかし人々は噂した、あれは魔弾だと。魔弾!そりゃまたおっかないもんを、6発は全部当たるが最後の7発目は悪魔のもの・・・。というわけで、殿様は森林保護官に試験射撃を義務づけられた、マックス、しっかりしろよ、明日はがんばれよ!
夜が明けなければ良いのに・・・「おお、この太陽」、アガーテと結婚できなかったらどうしよう、スランプの上に強いプレッシャー、若いマックスは押し潰されそうです。そんな彼を皆が励まします、迷えば失敗するぞ、希望を持って!この手の言葉はたいてい逆効果なんですよね。
酒場では皆が陽気に飲んで歌っています。キリアンがマックスを誘いますが、彼はそれどころじゃない、明日への不安でもう胸がいっぱいです。「森を越え、野を越え」獲物をしとめて帰れば、アガーテが待っていてくれて、なのに、大切な時にこのスランプ・・・神様、なぜです?アガーテはいつも僕の足音を待っていて、マックスはいつだって良い知らせを持ってくるわって、明日失敗したら・・・お先真っ暗・・・。
カスパールがそっとマックスに近寄ります。ま、一杯やろうや、「この悲しみの浮き世は」酒とサイコロと娘っこがいなきゃやってらんないよ。おっと、待ちなよ、マックス君。俺が手助けしてやるよ、アガーテも喜ぶぜ、お前のせいで俺を捨てたアガーテちゃんもさ。カスパールは銃口を天に向けて引き金を引きます。大きな鷲が落ちてきます。すごい・・・これってどうやった?なにカマトトぶってんだよ、これが魔弾さ。魔弾・・・伝説は本当なのか・・・魔弾ってまだあるのか?今夜狼谷に来いよ、教えてやるよ。あの谷は不吉だと躊躇うマックス、魔弾が欲しくないのか?明日、国中の笑い者になってアガーテを失ってもいいのか?分かった・・・、今夜12時、狼谷で・・・。
引っかかった・・・、「黙っていろ!」何も言うな。地獄の網がお前を捕らえた、復讐はなされる。カスパールの声が暗い森に吸い込まれていきます。
上司の娘に惚れちゃったマックスくん、射撃の成績に全てがかかっております。射撃ヘタなんですけど、お嬢さん愛しているんです、だからそこんとこ何とか大目に見て貰ってですね、と言えないところが生真面目で純情です。生真面目な人間にはよくあることで本番を前に大スランプ、マックスをからかう人々が懐かしく暖かい。おめめ明いてるかい、坊や?農夫が猟師に勝っちゃ具合悪いわな、散々からかいつつも、落ち込んでないで一杯やろうぜ、とマックスを誘うキリアン、希望を持てよ、運命に立ち向かえと彼を励ます人々。そして、彼らのリーダーとして、試験射撃の伝統と意義を力強く説き、苦しみも喜びもこの銃に込められている、と森の民族の誇りを歌うクーノ。
彼らを大きな家族としてまとめているもの、それは森に対する畏怖です。底知れぬ暗い森は無条件には糧を与えてはくれません。そこで生きていくには、森に足を踏み入れる勇気とそこで育まれた生き物の命を頂くための技量と、そして何よりも自分の力を信じる強さが必要です。農耕であればお天気は神様次第、実りの季節までじっと待つ忍耐があれば生きていける、狩猟は違います。狩猟は自分の力量次第なのです。その自分を信じる力をマックスは失いかけています。
そんなマックスに、悪魔ザミエルに魂を売ったカスパールが罠を仕掛けます。確実に標的に当てることができる魔弾、それを操るのは悪魔であって射手ではない。森の民族が魔弾を否定するのは当然です、それは彼らの生きる術を悪魔に委ねることと同じなのです。百発百中の魔弾よりも百発十中の自分の弾丸で生きる、この意志がなければ、森で生きていく技術を守り伝えることはできません。ところが、追いつめられたマックスは、自分の力を信じることができず、魔弾ゲットに心が動いてしまいます。
カスパールはなぜマックスに魔弾を勧める?彼はマックスにアガーテをさらわれてしまいました。そのマックスが試験射撃で合格してしまえばアガーテとマックスは結ばれる、なぜ魔弾を?6発は的に当たるが7発目は悪魔のもの、マックスが欲しいのは6発の方で、最後の7発目のことは彼は全然考えていません。カスパールが見つめているのはその7発目の弾丸です。悪魔はそれを何に当てる?
ホルンの四重奏が昔々の物語を語り始めます、それに続く悪魔ザミエルの旋律、そして若々しく猛々しいマックスの旋律、喜びを奏でるアガーテの旋律、絡み合うオーケストラ、この序曲は革命と言って良いと思います。ホルンの四重奏はこの後の劇中では登場しません。ウェーバーは出だしで一気に聴く者をドイツの暗い森に誘います。主人公は純情な若者でも悪魔でも、美しい娘でもない、森なのです。
「森を抜けて、野を越えて、僕は楽しくさすらった」・・・、森を抜けたマックスを待っていたものは悪魔です。「天は僕を見捨てたのか?」「闇の力が僕を襲う」、森は怖い、でも森から離れることもやはり怖い、森を離れては生きられない、ウェーバーは森に生きる民族の心を音にすることに成功しています。
第二幕 担保と借入・運命の貸借対照表
軽やかな序奏、クーノの館、アガーテの従姉妹エンヒェンがご先祖様の肖像画を壁に掛けようと景気よくトンカチを振り回しています。もう、このやくざな釘ときたら!言うことお聞き!陽気なエンヒェンに対してアガーテは物思いに沈んでいます。何だか胸騒ぎがする、マックスはまだ来ない、遅いわ・・・。もうすぐ来るわよ、こんなカビ臭い館ですもの、「すらりとした若者がやってきたら」そりゃ見とれてしまうわよね、彼と目が合えばちょっと赤くなったりして、彼は言うわ、麗しい人、彼女が答えるの、愛しい方、美男美女でお似合いよね。私が気が重いのはね、とアガーテ、森の隠者様がこう仰ったの、注意しろ、大きな危険が迫っているって。そしたら壁からあの絵が落ちてきた・・・、何だか怖くて。もう寝ない?とエンヒェン、いいえ、マックスを待つの、やれやれ、恋人さんたちは扱い難いこと。
アガーテは、かつては「すぐにまどろみはやってきたのに」、マックスを知ってから眠れないわ。嵐の気配がする、森の上に黒い雲が、主よ、お守り下さい。マックスはどこにいるのかしら?足音?森の中から聞こえるわ、マックスよ!寝ないで待っていたの、あの人きっと射撃大会で優勝したわ、そして明日はいよいよ・・・、私たち幸せになるわ、主よ、私の感謝の涙を受け取って、私に希望を下さい・・・。
マックス登場、ごめんよ、起きていたんだね、おっと、ランプを壊しちまった。最初は絵が落ちて、次はランプ・・・。悪いけどまた出かけるよ、どこへ?狼谷の近くへ。「あの恐ろしい谷へ?」、あそこには悪魔の狩人がいるわ、あんな恐ろしい所へ何をしに?何も恐れることはないさ、とマックス、行かないで!とアガーテ、そうよ、彼女のためにも行かないで!とエンヒェン。しかし、マックスは行かなければなりません、他ならぬアガーテのために。銃を手にドアへ向かったマックスはふと振り向いてアガーテを見つめます、僕を許してくれるね?私の警告を忘れないで、そうよ、アガーテの言葉を忘れないで・・・、見送る二人の娘。
真夜中の狼谷、「月の乳は草に落ちた!」、精霊たちが花嫁アガーテの死を予言します。カスパールはナイフを髑髏に突き立てて叫びます、ザミエル!・・・悪魔登場、なぜ呼んだ?明日の期限を延ばしてくれ、新しい生け贄を連れてくるから。ヤツは魔弾を求めている、7発目はザミエル、お前のもの、彼の花嫁に当ててくれ、そうすればヤツは死んじまう。ヤツをお前にくれてやるから、だからあと3年待ってくれ!ザミエルが答えます、よかろう、明日はお前か彼か・・・。助かった・・・、しかし、マックスのヤツはどこだ?
何も知らないマックス登場、「陰気な谷が口を開けて」、怖いよぉ、でも行かなきゃ、僕の将来が懸かっているんだ。遅いぜとカスパール、早くこっちへ来いよ。行けない・・・怖い、ママの霊が見える、僕に行くなって言っている・・・。この臆病者!ようやく谷へ下りたマックス、やれやれ、何をすればいい?カスパールが魔弾の鋳造の用意を始めます。鉛、教会の壊れた窓ガラス、水銀、一度命中した弾、ヤツガシラの右目、山猫の左目・・・次は呪文だ。ザミエルよ、聞いてくれ!弾に力を!
ひとつ、ふたつ、みっつ・・・黒い雲が月を隠します、空は真っ暗、稲妻が光り、激しい嵐が吹き荒れます。七つ!嵐に飛ばされそうなマックスは必死で木にしがみついています。ザミエルの声が響きます、私はここにいるぞ!恐ろしさの余りマックスくん、十字を切ってそのまま失神・・・。
ご先祖様が壁から落っこちても釘を叱り飛ばして平気のエンヒェン、対してアガーテは何を見ても何を聞いても不安が募ります。恋とはこんなもの、星占いの結果に一喜一憂し、相手がデートに遅れれば、忙しいのねと割り切れなくて、事故にあったんじゃないかとか、浮気してるんじゃないかとか、誰にも覚えがありますよね。
アガーテのアリア「すぐにまどろみはやってきたのに」、我が祈りよ天に届けと静かに始まる旋律は、あの人よ!待っていたの!明日は幸せになれる!と熱い恋心の吐露へ、マックスの足音だけでこんなに幸せになれるアガーテ、不安から祈り、そして歓喜へ、恋する女の心の移ろいが鮮やかに描かれます。
「あの恐ろしい谷へ?」、美しい旋律に恐れと不安が垣間見えます。マックスだって本当は怖い、しかし、アガーテが優しく心配すればするほど、マックスの恋心は燃え上がります。何も怖くない!若者らしい意地と見栄、女二人の制止を振り切って走り去るマックス、やせ我慢ができなくなったら男は終わりです。
狼谷の場、ザミエルは歌いません。音楽にセリフが絡むジンクシュピールの形式が用いられています。そして悪魔とカスパールの契約のシーンから魔弾の製造へ、数を一つ数えるたびに吠える風、真っ暗な空を切り裂く稲妻、揺れる大地、ウェーバーの音は、荒れ狂う嵐が暗い森を揺さぶるさま、恐ろしさに心臓が口から飛び出しそうなマックスのパニックをリアルに表現しています。
さて、疑問が一つ、カスパールはザミエルに魂を売りました、で、何を手に入れた?これが分からない。3年の期間延長を頼み込んでいるからには、最初の契約は3年前でしょう。この3年間にカスパールはいったい何を手に入れたのか?悪魔と魂のやりとりをするからには王様くらいにはなっていて当然だと思うのですが、彼は猟師のままです。アガーテはマックスにさらわれてしまうし、魔弾を持っているくせして射撃大会でも勝っていないし、酒場でツケを頼めばイヤな顔をされ、金回りも悪そう。3年前の彼は破滅寸前であったと解釈するほかありません。何かすごく悪いことをしでかして、それを帳消しにするために悪魔の力を借りたのでしょう。しかし、借りたものは返さなくてはなりません。期限が迫り、カスパールは追い詰められます。この悲しみの世では全てが嘆きと苦しみだ、生まれてからイヤなことばかり・・・、酒とサイコロに逃避するカスパールですが、悪魔の取り立てからは逃げられない。そこで、魔弾でマックスを誘惑し、彼の命をザミエルに差し出して返済の猶予を求めます。完全な自転車操業です。また3年後には誰かを引っかけるつもりでしょう。
アガーテ、主よ、私の感謝の涙を受け取って、私に希望を下さい・・・、彼女も神様と取引をしています。感謝の涙を担保に差し出して希望を求めています。
悪魔に魂を担保として差し入れて何とか破滅を逃れようとするカスパール、神様に涙を担保として差し入れて幸せな未来を願うアガーテ、運命のバランスシート、第一抵当権者は神と悪魔です。
で、何も分からないうちにカスパールの借入の担保物件となってしまったマックスですが、彼はアガーテの幸福な未来への鍵であり、アガーテの涙は彼への愛ゆえです。マックスは神様の方でも担保物件になっております。恐怖を必死で押し殺し深夜の森に分け入った若者は、魔弾を手に入れてしまいます。7発目の弾丸が全てを決します。神も悪魔も取り立てはきっちりとやってのけるはず・・・、何しろ人間の運命という債権回収に関してはどちらもプロですからね。
第三幕 森に響くは歓喜の声
空はからりと晴れ上がり、絶好の射撃日和、間奏曲は狩人のテーマを高らかに歌い上げます。狼谷に悪魔が出たってよ、おぉ、怖!おっと、本命のマックスくん、幸運を!あ、あの、どーも、と気もそぞろのマックス、おい、カスパール、魔弾はちゃんとあるんだろうな?3つは俺、4つはお前、大丈夫だって。僕あと1発しかないんだ、君の3発目をくれないか?ダメ!カスパールは何が何でも7発目をマックスに撃たせなければなりません。早いとこ残りを撃ってしまおう、そうすれば7発目はマックスの弾、花嫁アガーテの健康を祝して!っと、ズドーン。
アガーテの部屋、花嫁衣装をまとった美しいアガーテは神に祈ります、主よ、私を花嫁とお呼び下さい、神の目が私たちをご覧下さるように。エンヒェン登場、あなたが泣いているって聞いたけど?イヤな夢を見たのよ、私は白い鳩になって、マックスが、愛するマックスが私を撃ってしまうの。あら、鳩で良かったじゃない、鷲なら婿様逃げ出すわよ。つまらないこと気にしちゃダメよ。「亡くなった伯母が見た夢は」、怖い怪物が迫ってくる夢、でもね、目が覚めたらそこにいたのは、可愛い子犬のネロだったってわけ、夢なんてそんなもんよ。花嫁は泣いちゃいけないわ、あなたは幸せになる、その幸せが私たちを照らすのよ。
介添えの少女たちが登場します。「花嫁の冠を編みましょう」、すみれ色の絹で飾って!エンヒェンが冠を持って来ます。お待たせ!さぁ、もっと歌ってちょうだい、これが花嫁の・・・何、これ?お葬式用の銀色の花じゃない!誰が箱を間違えたの?アッタマ来ちゃう!アガーテは森の隠者がくれた白い薔薇を差し出します、これで私の冠を編んで。
「狩人の合唱」が森に響きわたります。この世に狩りに勝る喜びはない、森や岩山が我らを迎える時、喜びが溢れる!狩りの女神ディアナは夜を照らし昼に涼やかな影を落とす、狩りこそが王者の喜び!
領主オットカールはマックスとアガーテのご両人がいたくお気に入り、お似合いの二人はどこだ?そう、花嫁はどこだ?カスパールもアガーテを探しています。最後の7発目の魔弾を握りしめてマックス登場。オットカールは命じます、あの白い鳩を撃て!
止めて!撃たないで!アガーテの叫び声、しかしマックスの引き金は既に絞られています、放たれた弾丸はどこに?倒れたアガーテに一同騒然。自分の花嫁を撃つなんて、恐ろしい・・・、マックスがアガーテに走り寄ります。生きている、花嫁は生きている!じゃ、弾丸はどこに?血塗れで倒れているのはカスパール・・・。私、生きているわ・・・、私のマックス!アガーテ!生きているんだね!
カスパールの目にはザミエルの姿が見えます。畜生、悪魔め、さぁ、持ってけ!息絶えるカスパール。最後に悪魔を呼ぶなんて、何て悪党だ。オットカールがマックスを糺します、これはいったいどうしたことだ?僕は・・・魔弾を手に入れました、僕が撃った4発は魔弾なんです・・・!なんだとー?追放だ!
森の隠者が静かに現れます。一つの過ちに過酷な罰を科す者は誰だ?領主オットカールさえ隠者の前では頭が上がりません。愛と恐れが徳を破った、失望が掟を破った、それを誰が責める?彼に1年の猶予を、彼が正しき男であればアガーテの手を彼の手に・・・。
隠者の言葉によかったー!と一安心の村人たち、僕はきっと僕の誠意を証明するよ!とマックス、皆さんありがとう!とアガーテ、結婚式やり直さないとね!とエンヒェン、緑の森に人々の声が木霊します、天を仰げ!永遠を見よ!父なる主は清き者を慈しんで下さる!
悪魔も神もお見事な取り立てです。ザミエルは契約通りにカスパールの魂を手に入れ、神はアガーテの涙を手に入れて彼女に幸せを与えました。担保物件だったマックスくんですが、執行猶予付きの温情判決、めでたし、めでたし。
アガーテを死の運命から救ったもの、それはアガーテ自身です。花嫁の花冠の代わりに届けられた葬式の銀色の冠、アガーテは恐れ戦いて泣き言を言ったりはしない、森の隠者から貰った白い薔薇で咄嗟に冠を編みます。アガーテには不吉な前兆に立ち向かう意志があります。壁からご先祖様が落っこちて、マックスがランプを割って、そしてこの縁起でもない冠、アガーテの周囲では次から次へと不吉なことが起こりますが、彼女のマックスと幸せになるんだという意志は揺らぎもしません。
花冠を入れ替えたのは誰?彼女が差し入れた感謝の涙の担保価値を確認したかった神でしょうか?私は、これはザミエルの仕業だったと思います。悪魔はアガーテの意志を挫こうと試みますが、彼女は隠者のくれた白い薔薇というより強力な防具でザミエルに挑みます。これでは悪魔も手を出せません。
7発目の魔弾は悪魔のもの、アガーテには手が出せなくてもマックスくんがいます。彼に当てても良かったんでない?ところがマックスは自分が持っているのが7発目だとは知りません。カスパールの手の内に残っていると信じているのです。何も知らない善意の第三者とは取引はしない、というかできない、この辺り、悪魔と言えども契約に縛られる、悪魔だから何でもありなんよ、とはいかないドイツ的思考が面白い。イタリアオペラの悪魔だったらこうはいかないでしょう。
最後に登場する森の隠者、領主様さえ彼の言いなりです。いきなり登場して勝手に全てを仕切ってしまう彼ですが、誰も逆らわない。彼は人間というよりも森の象徴です。森に生きる民族にとって、森の掟は王様の掟よりも大切なのです。
おめでたく幕を下ろす物語、真面目なマックス、清らかなアガーテ、快活なエンヒェン、そして、マックスが許されたことを我がことのように喜ぶ村人たち、みんな愛すべき隣人たちです。ただ一人疎外されているのは血塗れの死体になり果てたカスパール、この悲しみの浮き世では全てが嘆きと苦しみだ・・・、喜びも苦労も分かち合う人々の間にあって、誰とも分かち合うことのできない秘密を抱えたまま地獄へ行ってしまった彼、3年前にザミエルと契約を交わした時からおそらくずっと孤独だった彼、誰も彼の死を嘆きません。彼が共同体のメンバーを悪魔に売ったからです。共同体は裏切り者には居場所を与えはしないのです。
この幕のハイライトは勿論「狩人の合唱」です。シンプルな管楽器にシンプルな声が重なり合い、単純な繰り返し、誰でもすぐに覚えられる素朴な旋律、脳天気な歌詞、後半はトララララと掛け声。全てが至って簡単な道具立てなのですが、その声が重なり合った時の力強さ、一人一人は(マックスのように)弱い人間でも、団結することで生まれる強大な力が音のうねりとなって聴く者に迫ってきます。
団結する共同体は二つの作用を持っています。内を守ることと外を排除すること、マックスとカスパールの間に線を引いたもの、それは神でも悪魔でもない、森の民族の共同体としての本能です。
魔弾が射たもの
空を舞う白い鳩に向かってマックスが撃った魔弾は、どういうわけか隠れていたカスパールに命中。この『JFK』も真っ青の魔法の弾丸は、ドイツ人の魂の奥深くにも「命中」しました。
ジンクシュピールの伝統を踏まえたドイツ語の作品は、この「魔弾の射手」以前にもいくつか存在します。まずは天衣無縫の天才モーツァルト、「後宮からの逃走」と「魔笛」です。流麗な旋律に乗って歌われるドイツ語のアリアは、ドイツ語が決して音楽に向かない粗野な言語ではないことを証明しました。そして、交響曲の巨人ベートーベンの「フィデリオ」、少々もたついてはおりますが、堂々たる存在感を持った作品です。しかし、「後宮からの逃走」の舞台はトルコ、「魔笛」の舞台はどこだかよく分からない魔法の国、そして「フィデリオ」の舞台はスペインです。ドイツ語で歌われるのに舞台がドイツでない、なんで?エキゾチックな異国であるトルコ、エジプト風でもあり、東洋風でもある摩訶不思議な魔法の国、そして赤と黒に塗り分けられた情熱の国スペイン、これらの舞台に比して、質実剛健の生活者の国ドイツはドラマの舞台としてはいささか魅力に欠けていたのかな?
ウェーバーは物語の舞台としてボヘミアの深い森を選び、昔から狩人に伝わる魔弾の伝説を選びました。ドイツ人にとって身近な森、そして、そこに伝えられる狼谷の悪魔伝説、勤勉で善良な猟師、純情な娘、口は悪いが根は優しい人々、彼らが織りなすこの物語はドイツ語以外では語ることができません。ドイツ語で作ってみました、じゃない、ドイツ語でなければならなかったのです。
そして斬新なオーケストラと合唱、母音をはっきりと発音するイタリア語のオペラは、当然に声の響きを第一に考えます。それに対して子音の多いドイツ語は、艶やかさにこそ欠けますが、単純な旋律に乗せた時、その簡素な響きが力強さを生みます。声の名人芸を聴かせるのではなく、親しみやすい旋律に積み重なる声の厚みで聴かせる山場には、嫋々と絡む弦の響きではなく、おおらかに伸びるホルンの響きこそが相応しい。
「ウェーバーは・・・ドイツにおいてのみ、彼は愛されるのである」、ワーグナーの言葉です。自らのオペラを獲得したドイツ人の強烈な自負を感じさせますね。
さて、ここから先はとりとめのない私の独り言・・・。
ドイツで生まれたプロテスタント、腐敗したローマ教会は、まだ目の開かない赤ん坊にまで原罪を押しつけ免罪符を売りまくりました。これにアッタマ来たルターの怒りは当然の反応でしょう。しかし、物事には二つの側面があります。ローマ教会は要するに「神様関係は神の代理人である教会に任せなさい」というスタンスです。難しいことは坊主に任せておいてオッケーなんです。人間ですからどうしたって悪いこともする、そうしたらあれこれ悩まずに教会に行って坊主に懺悔をすればいい、坊主はこっちの話をテキトーに聞いた上で「ロザリオの祈りを10回唱えなさい」とか、これまたテキトーなことを言います。これできれいさっぱり、簡単ですよね。これで話が済むなら寄付くらい安いもんかってところがローマ教会の底力の源なのです。人間、何かよく分かんないことは考えたくないんですよね。そうでなくてもあれこれ忙しいしさ。
ルターの主張から生まれたプロテスタントは、神と人間の直接の対話を主張します。神様がちゃんと指導してくれればいいのですが、この神様というお方、昔から無口でずぼらで通っているんですよね、こちらの問いに答えてはくれないのです。つまり、自分が正しいのか正しくないのかは自分で決めなければなりません。判断基準は聖書です。ところがこの本がまたいー加減でして、読み方によってはどうにでも解釈できるというファジーなシロモノ。自分の是非を自分で決める、選手がレフリーを兼ねているボクシングの試合みたいなもの、いかさまじゃん!と言われたくなければ自然と自分にも他人にも厳しくなってしまいます。
愛と寛容を説いたはずのキリスト教は厳しい内部対立の時代を迎えます。いー加減でいーじゃんのローマ教会の総本山イタリア(何しろお偉いさんの腐敗に関してはローマ帝国以来慣れっこですから)は問題外。異端なんてとんでもねー!何だよ、やるってのかぁ?と血の気の多いスペインと、ともかく他と同じはイヤなの!自分とこは特別でないとイヤなの!のフランスはカトリック、王様(ヘンリー8世)が何が何でも離婚したかったイギリスは、カトリックとプロテスタントの中間的な英国国教会を作って独自路線(生真面目な清教徒たちは新天地アメリカを目指して出ていってしまいましたが)、これらの国は中央集権を押し進めることで国家としてのまとまりを維持することができました。
しかし、中央集権を押し進めようにも、どこが中央なのかも分からなかったドイツ、彼らは常に民族のアイデンティティを模索し続ける運命にありました。ドイツとは何ぞや?ドイツ人とは何ぞや?と生真面目に問い続けるドイツ人、ここから先は、近代史の方にお任せ致しましょう。
この作品、ラストで悪魔ザミエルは負けてはおりません。彼はじっと待っています、次の獲物を。生命力に満ちている森は、同時に悪魔の住処でもあるのです。そこに分け入ることで糧を得るならば、そこに悪魔がいることを忘れてはいけません。たとえ、それが「コンクリート・ジャングル」であっても・・・。
1968年のヘーガー盤、派手さはありませんが、隅々まで力がみなぎる健康優良児的な音。1979年のクベリーク盤、ルネ・コロのマックスが最高!ワーグナーで鍛えた力のある声が奏でるリリカルな若者、聞き惚れること請け合います。スピードと躍動感、触れれば火傷するような熱い音作りはクライバー、1973年の録音です。黒澤明の「羅生門」をご覧になったことありますか?あのモノクロ画像、きらめく木漏れ陽、揺れる木々、枝を渡る風が見える、フルカラーよりも鮮やかな色彩感、イメージとしてはこれに近いと思います。森を抜けて走る若者の荒い息づかい、踊る光、全てが命に満ちています。ペーター・シュライヤーのマックスが実に端正、グンドゥラ・ヤノヴィッツのアガーテの健康美、そしてテオ・アダムのカスパールは闇に生きる男の哀しさを滲ませて、あと一歩で暴走になりかねないギリギリのところで踏ん張ったクライバーの棒はお見事。
この作品のポイントはカスパールだと思います。ふとしたことで魔が差してちょこっとグレちゃった素朴な猟師という解釈、社会への憎悪で胸を一杯にした若々しい悪魔という解釈、これで作品の印象が全く違ってしまいます。これだ!ってカスパールには未だに出会えない私です。
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