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Leafモーツァルト 「ドン・ジョヴァンニ」 (2000年2月20日〜2000年2月21日の日記より)


純粋無垢な「悪の華」

 チョコレート・パフェの後は渋茶と梅干し・・・というわけで、甘いプッチーニの後は、愛なんてお呼びじゃない、ひたすら情事を追求する寝室の狩人、色事のリーサル・ウェポン、「ドン・ジョヴァンニ」を聴きましょう。

 舞台は、情熱の国にしてガチガチのカソリックというややこしい風土を持つスペイン、騎士ドン・ジョヴァンニがご婦人の寝室に潜り込んだのを表で待っているという可哀想な従者のレポレロ、そこにご主人様が当の女性に追っかけられて登場【ドンナ・アンナの謎】、ついでに女性の父親である騎士長まで登場。うちの娘に何をする!というわけで決闘になります。騎士長を倒してトンズラを決め込むドン・ジョバンニ、娘のドンナ・アンナは婚約者のドン・オッターヴィオと復讐を誓います。ドン・ジョヴァンニは、というと立ち直りの早い男で、旅の女性を早速ナンパ。ところがこの女、かつて捨てたドンナ・エルヴィーラ、今夜は全くついていません。後はレポレロに任せて再びトンズラ。レポレロの歌うご主人様の「カタログの歌」、女であれば何でもよし、冬はぽっちゃりが、夏は痩せたのがお好みで、これまでものにした女は、イタリアで640人、ドイツで231人、フランスで100人等々・・・(暇な方は足し算してみて下さい。合計で2065人です)。そして結婚式を控えた村娘ツェルリーナとお百姓のマゼットが登場すると、ドン・ジョヴァンニは早速ツェルリーナを口説きにかかります(「あそこで手を取り合って」)が、エルヴィーラが邪魔に入ります。ん、もう、あと少しだったのにー。ここでアンナとオッターヴィオ登場、なんとドン・ジョヴァンニに父の復讐の手助けを求めます(最初の寝室侵攻作戦の時は彼は変装していたんですね)。

 ここで再びエルヴィーラ登場、こんな男信じちゃダメ!さすがにアンナもなんか変・・・彼って寝室に入り込んできたあの男じゃない!一方、しつこくつきまとって邪魔をするエルヴィーラをなんとかまいたドン・ジョヴァンニは、レポレロと舞踏会の準備です(「シャンパンの歌」)。さて、婚約者がナンパされてマゼットはへそを曲げています。ツェルリーナは「ぶってよ、マゼット」とあま〜く絡みつき、この単純男を丸め込んでしまいます(小娘のくせして末恐ろしい・・・)。アンナとオッターヴィオの仇討ちコンビと警察犬並みの嗅覚のエルヴィーラは、ドン・ジョヴァンニの化けの皮を剥がしてやると気勢を上げます(「仮面の三重唱」)。舞踏会が始まり、早速ドン・ジョヴァンニはお目当てのツェルリーナを別室に引っ張り込みます【ツェルリーナの謎】。あ〜れ〜!ツェルリーナの悲鳴!一同が駆けつけて・・・しかし、ドン・ジョヴァンニはレポレロに罪をおっ被せます(都合が悪くなると秘書が勝手にやったと言い出すどっかの国の政治家と同じ・・・身につまされますねぇ)。またもや逃亡する色事師。いつも後始末ばっかりのレポレロは、こんな仕事もう辞めてやると言い出しますが、金貨であっさり腰砕け。

 今度は嗜好を変えてレポレロと衣装を交換して、エルヴィーラの侍女を口説きにかかるドン・ジョヴァンニ(「さぁ、窓辺においで」)。そこにマゼットが現れますが、衣装のせいでドン・ジョヴァンニをレポレロと間違えます。マゼットに助太刀を約束しておいてボコボコにしてしまうドン・ジョヴァンニ、痛いよ〜と泣いているマゼットにツェルリーナの歌う誘惑の「薬屋の歌」(ホント、このコギャル、大したものです)。ご主人様に変装したレポレロはエルヴィーラにまとわりつかれて大弱り、そこにアンナ&オッターヴィオとツェルリーナ&マゼットが両方とも登場、レポレロ危うし!ですが、彼をドン・ジョヴァンニと信じているエルヴィーラが今度はレポレロを助けます【エルヴィーラの謎】。大混乱の中でレポレロは(もうやってらんない!)「おら、レポレロだってば」・・・。またしてもハメられた一同の「ただ一人暗いところで」。こうなったら、たとえ騎士だろうと何だろうとドン・ジョヴァンニを許せないと息巻く(なんか頼りないんだけど)オッターヴィオ(「私の愛しいひとを」)。しつこく色事の邪魔をしているのはドン・ジョヴァンニを愛しているからに他ならないエルヴィーラは、いや〜な予感がします(「神様、あの背徳者は」)。

 墓地でレポレロと待ち合わせたドン・ジョヴァンニは上機嫌ですが、決闘で倒した騎士長の石像が彼を咎めます【石像の謎】。レポレロは腰を抜かしますが、ドン・ジョヴァンニは一向に平気、石像を晩餐に招きます(「偉大なる騎士長様」)。さて、その晩餐会、エルヴィーラがドン・ジョヴァンニに改心を求めますが、そんなもの聞く彼ではありません。こりゃダメだと立ち去ろうとしたエルヴィーラの前に、約束通りに現れた騎士長の石像(義理堅い石像です)・・・。石なんぞに行いを諫められてもドン・ジョヴァンニは応じる訳はありません。それでは私からの返礼の招待だ・・・石像はドン・ジョヴァンニを地獄に連れ去ります。ぽか〜んとしているレポレロの前に一同集合、喪が明けたら結婚しようというアンナとオッターヴィオ、さ、帰るか・・・というツェルリーナとマゼット、修道院に入ろうとするエルヴィーラ、願った通りに失業しちゃったレポレロ、それぞれの明日を歌って幕です。

 さぁ、このドン・ジョヴァンニ、とんでもないワルに思えますか?私はどうしてもそうは思えないのです。彼ってすごく純粋なのではないかと思います。彼は愛はいらない、欲しいのはセックスだけです。その目的のためには驚くほど勤勉です。このお話、24時間の出来事なんですよ。その間にナンパした女は、アンナ、(間違えて)エルヴィーラ、ツェルリーナ、そしてエルヴィーラの侍女・・・ナンパもこれだけ熱心だと一種の芸術です。それに彼の動機は純粋です。彼には「愛し愛され」なんて甘い期待はありません。寝室を征服したら、はい、サヨナラ。なぜ登る?そこに山があるから・・・これと一緒で、純粋に征服することだけを望んでいるのです。そして女なら何でもいい、太っていても、痩せていても、美女でも、ブスでも。あれこれうるさく注文をつける世の殿方に比べると、これはもう博愛主義と言っていいと思います。何たってナンパするには相手を良い気分にさせないといけないわけで、これはたいていの殿方が大の苦手にしていることだと思います。

 詐欺師の中でも「赤詐欺」(結婚詐欺)は、ともかくマメな性格でないとできないと言われていますが、彼のマメ男ぶりはお見事です。そして当時の社会を縛っていたキリスト教的道徳観から全く自由、色事にかけてはマキャヴェッリも裸足で逃げ出す合理主義者。「汝、姦淫するなかれ」という十戒の教えが聖書にはあります。1632年、イギリスの出版社Barker & Lucasが印刷の際に「なかれ(not)」を忘れてしまい、「汝、姦淫せよ」という聖書を出してしまったことがあります(この会社、罰金で破産したとか)。聖書にわざわざそう書かれているのは、人間、放っておくとそうなってしまうから、欲望を枠にはめようということです。誰も絶対にやらないようなことを戒める必要はありませんからね。しかし、彼には「なかれ」なんて厄介な自己規制はありません。ひたすら勤勉、ひたすら純粋、そしてひたすら自由・・・人間には「願望憎悪」というものがあります。自分も本当はそうしたいのに、何かの規制があってできない場合、それを軽々とやってしまう人間を憎悪するというものです。ドン・ジョバンニに対する非難もそれに近いような気がします。もっとも彼は、他人になんと言われようと全然気にしないでしょう。何しろ言い訳というものを一切しない男です。

 この作品にはいくつかの謎があります。これをどう解釈するかでドン・ジョヴァンニの性格も違ってきます。これを解きながら、さらに聴いてみましょう。



勝負師に言い訳は似合わない

 この作品に登場する3人の女性像はどこかしら捻れを感じさせます。矛盾し、あるいは混乱しているのです。

 まず一番「?」なのがドンナ・アンナです。ドン・ジョヴァンニに襲われた状況を彼女はこう説明しています。「夜更けに一人で部屋にいると男が入ってきたので、あなた(オッターヴィオ)かと思いました。ところが別人で、私を抱きしめようとして、逃れようと大声を上げても誰も来ません。抑えつけられましたが何とか逃れて、大声で救いを求めつつ、逃げ出した彼の後を勇敢にも追いました。」・・・。はい、こんな話誰も信用しませんね。腕のいい弁護士ならあっという間にひっくり返すでしょう。信用するのは間抜けのオッターヴィオくらいのもんです。この時代、彼女のような身分の女性が夜たった一人で家にいるなんて絶対にあり得ません。電話をしたらすぐに警察が来る、アラームが鳴ってセ○ムが駆けつけるような時代ではないのです。まして内戦がお家芸のスペインです。当時の貴族の家は同時に城塞でもあったのです。もし本当に誰もいなかったとしたら、それは他ならぬアンナが人払いをした以外にあり得ません。そうだとするとそれはなぜ?オッターヴィオを待っていた?これはおかしい。もうじき結婚する婚約者ですよ、なぜ使用人の目を避けて会わなければならないのですか?これはもうアンナはドン・ジョバンニをこっそり待っていたとしか考えられません。しかもその後に逃げる彼を追いかけているのです。大声を出して助けを呼ぶまではいいでしょう。そこから後がおかしい。普通の女性がたった一人で武器も持たずに暴漢を追いかけるでしょうか?助けが来るまで待つのが当然です。第一幕で彼女はこう歌いました、「望まない方がいい、私を殺さない限り、私はあなたを逃がさない。」、これが暴漢に対して言う言葉でしょうか?状況証拠は明白です。アンナはドン・ジョヴァンニを待っていた、そして楽しい密会のはずが何かがあって(おそらく手に入れた女には急速に醒めるドン・ジョヴァンニが「んじゃ、さよなら」とでも言ったのでしょう)、逃げ出す彼をアンナが追いかけた、真相はこうでしょう。

 ところが、父である騎士長と婚約者オッターヴィオの手前、彼女はドン・ジョヴァンニを見知らぬ暴漢に仕立てる他なかったのです。しかし、ドンナ・エルヴィーラが現れます。「その薄情者は私を裏切りました。だからあなたも裏切るつもりです」、このエルヴィーラの言葉が鍵です。普通に聞けば、彼は仇討ちの助太刀を頼んだあなたの願いを裏切る、ということでしょうが、アンナにはそうは聞こえません。一度は愛した私を裏切ったのだから、あなたの愛も裏切られる、と聞こえたのです。彼はこの女を愛していたのね?アンナの心に嫉妬が燃え上がります。ここでもう一度思い出して下さい。「私を殺さない限り、私はあなたを逃がさない。」・・・、アンナの独占欲に火がつきます。ここで初めて彼女はドン・ジョヴァンニが暴漢であるとオッターヴィオに告げます。他の女に渡すくらいなら、バカのオッターヴィオを利用して殺してやる、げに恐ろしきは女の執念、というのが私の推理ですが、いかがでしょうか?


 これに比べてエルヴィーラの心理は分かりやすいと思います。今でもドン・ジョヴァンニを愛しています。相変わらずの女漁りに嫉妬しています。その嫉妬を認めることができない彼女は、道徳を使って自分を正当化します。つきまとっているのは、彼が忘れられないのは、嫉妬じゃなくて彼を立ち直らせたいと願っているから、と。ドン・ジョヴァンニに変装したレポレロに対する彼女の何て可愛らしいこと。もう私から逃げない?ずっと私のもの?そしてレポレロを救うために必死で訴えます。私の夫です、お情けを!これが彼女の本心なのです。自分の本心を理解することは、特に恋をしている時は難しいものです。嫉妬や不安を、どうしても何かもっとましな名前の感情にすり替えてしまいがちです。エルヴィーラがそうだからと言って、とても責める気にはなれません(まつわりつかれる方はそりゃ鬱陶しいでしょうが)。


 そして恐ろしいコギャル、ツェルリーナ。これはもう天然の戦略家です。マゼットはちょこっとおつむが弱くて単純だけど、わたしのこと好きだっていってるし〜、わたしも結構彼のことイケてると思うし〜。でもなんか急に出てきたこのおじさんもお金持っていそうだし、気前良いみたいだし、渋くてかっこいいし〜、ちょこっと遊ぼうかと思ったんだけど、なんかおじさん急にマジになっちゃって、変なおばさんまで出てくるし〜、で、わたし少し怖くなっちゃって、でもって、マゼットったら、ンなんでもトサカ来てるんで、いい子、いい子ってやってあげたらご機嫌直って〜、マゼットってチョー扱いやすいんで、わたし向きかも・・・。こんなところでしょうか?

 この3人の女の謎が心理的なものだとして、物理的な謎が一つあります。騎士長の石像です。死んだ翌日にはもう石像になっている。これが分かりませんね。もうすぐおっ死ぬだろうと思って用意してあった?まさか・・・。

 しかし、このオペラの一番の謎は、ドン・ジョヴァンニその人です。彼には3つのアリアがあります。しかし彼は作品中一度として自分の心情を歌ってはいません。「シャンパンの歌」は要するにナンパの作戦司令ですし、「窓辺においで」はナンパ決行中の単なる恋の戯れの歌、そして最後のアリアでは、彼は自分ではなくレポレロに扮しています。ナンパに関しては、そしてレポレロを罵ることに関しては饒舌な彼が、自分のことは一切歌わないのです。私はそんな彼が好きです。勝負師は言い訳なんかしません。黙って勝負に出ます。そして負けた時は黙ってカードを伏せてテーブルを去ります。結果的に彼はドンナ・アンナでしくじりました。しかし、あれこれ言い訳をしたところで、終わった勝負は元には戻りません。唇の端に微かな笑みを浮かべつつ、黙って地獄まで堕ちていくのが彼の美学なのです。そして、孤独な勝負師は自分の力しか信じません。神に祈って勝負に勝てるなら、そんなもの面白くもなんともないですからね。謎めいて、不敵な、そして孤独な、凄腕の恋の勝負師、それがドン・ジョヴァンニです。

 この色事師、大勢の歌手が憧れる役です。バリトンばかりでなくテノールのホセ・カレーラスまで一度歌いたいと言っています(似合わないと思う・・・)。良い録音がたくさんあります。お薦めは、1979年のマゼール指揮、パリ・オペラ座のもの、ルッジェロ・ライモンディのドン・ジョバンニが良いですね。1987年のザルツブルク・ライブはカラヤンの指揮です。主演のサミュエル・レイミーが素晴らしい声を響かせてくれます。カラヤンに比べてテンポの良さでグングン飛ばすのは、同じく1987年のリッカルド・ムーティー指揮のスカラ座ライブ、トーマス・アレンのドン・ジョヴァンニが決まっています(アレンには1984年のハイティンク指揮のロンドン・フィルの録音もあります。私としてはムーティー盤の方が好きです。)。新しいところでは、1997年のクラウディオ・アバド指揮、主演はサイモン・キーンリサイド、若々しいドン・ジョヴァンニです。あなたの好きなドン・ジョヴァンニは?

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