R・シュトラウス 「エレクトラ」 (2003年5月15日〜2003年6月15日の日記より)
呪われた系譜
紀元前5世紀のギリシアのアテナイ、季節は春、抜けるような青空、目映い太陽、その光を跳ね返し銀色に煌めくエーゲ海からアクロポリスの丘に向かって吹く甘く心地よい潮風が人々の心を浮き立たせます。待ちに待ったディオニュソス神を讃える春の祭典、7日の間、町中が祭一色に染まります。
アクロポリスの南側にその壮麗な姿を誇る円形劇場では、祭の半ばの3日間、毎日詩人たちの新作劇が奉納されます。一日のうちに悲劇3作と喜劇1作が上演されるわけですから、市民たちは一日中劇場に詰めっきりです。運命の悲劇に涙し、恐ろしい復讐劇に震え上がり、エロティックな喜劇にニヤニヤ笑い、拍手喝采、口笛を吹き、時には野次り倒し、合間に瑞々しいオレンジに歯を立てて、塩漬けのオリーブを囓っては葡萄酒を啜り、今年の劇の出来具合を侃々諤々論じ合う・・・、何しろ「議論」が国技と言われているお国柄、その興奮は天まで届いたことでしょう。
毎年、新作悲劇が3×3で9作登場したわけですが、現存しているのは、アイスキュロス7作、ソポクレス7作、エウリピデス19作の33作のみです。これら悲劇の主題は、オリュンポス山の上に住んでいると信じられていた神々(これがやたらとたくさんいる)が、何とも迷惑なことに、その超自然的力でいちいち人間たちに絡むことから生じる狂った運命の歯車です。
エレクトラ、彼女を主人公とした悲劇は3つあります。アイスキュロスの「供養する女たち」、ソポクレスの「エレクトラ」、そしてエウリピデスの「エレクトラ」。エレクトラの家系図は以下の通りですが、このアトレウス王家の一族の血生臭さときたら、もう鼻が曲がりそうです。
ゼウス−タンタロス−ペプロス ┌メネラオス ‖ ┌アトレウス−−−−−| ‖−−| └アガメムノン ‖ | ‖ ┌♀イピゲネイア ‖ └テュエステス−−アイギストス‖−−|♀エレクトラ ♀ヒッポダメイア ‖ ‖ |♀クリュソテミス ‖ ‖ └ オレステス ┌♀クリュタイメストラ (ゼウス) | カストル ‖−−−| ポリュデウケス ♀レダ └♀ヘレネ (♀は女性)
この「ギリシア版犬神家」のそもそもの原因を拵えたのはタンタロスです。神ゼウスの血を引くタンタロスは神々の力を試そうと息子を料理して(!)もてなしの食卓に乗せます。怒り心頭の神々はタンタロスを地の底に閉じ込め、息子ペプロスを蘇らせます。ヒッポダメイアと結婚したペプロスは、アトレウスとテュエステスの双子の兄弟の父となります。
発端は神様のミスコンです。「最も美しい女性へ」と書かれた林檎を巡ってヘラ、アテナ、アプロディテの3女神がガチンコ対決。ジャッジに選ばれたトロイアの王子パリスは世界一の(人間の)美女を約束したアプロディテを選びますが、その賄賂の美女が人妻だった・・・。スパルタ王メネラオスの后ヘレネ(クリュタイメストラの妹です)がその美女、賄賂はきっちり貰うもんねーとヘレネをさらったパリスですが、愛妻を奪われたメネラオス、それ以上にアタマに来た兄のアガメムノンがヘレネ奪回作戦を展開。しかし、逆風が吹いて船を出すことができません。風担当の神様の要求は、アガメムノンの長女イピゲネイアを生け贄に捧げること。散々迷った挙げ句娘を殺して何とか出航したアガメムノンは10年間すったもんだした挙げ句、今もコンピュータ・ウィルスにその名を残す「木馬作戦」でトロイア攻略に成功します。
戦争には勝ったものの、呪われた一族の因縁が吹き出します。アガメムノンの父アトレウスと双子のテュエステスはその昔王位を巡って骨肉の争い、結局テュエステスは追放されるのですが、彼が実はアトレウスの妻とできていたことが判明。寝取られ男の怒りたるや凄まじいものでして、和解しようとテュエステスを呼び出したアトレウスは、テュエステスの息子を料理して彼に食べさせた(さすがタンタロスじっちゃんの血を引くだけのことはある)。
残された息子のアイギストスは、父に食べられちゃった兄と息子を食べちゃった父の復讐のためにアトレウスの息子アガメムノンの殺害を企てます。これに乗ったのが風を吹かせる代償に娘を殺した夫アガメムノンが許せない妻のクリュタイメストラ。
R・シュトラウスのオペラ(台本はホフマンスタール)の元ネタはソポクレスの「エレクトラ」ですが、その背景がおっそろしくややこしく、ここは併せてアイスキュロスの「オレステイア三部作」を知っておいた方がいいです。
第一部「アガメムノン」。アガメムノンのトロイア進撃はミスコンの審査で不正を働いたパリスを懲らしめる正義の闘いなのですが、正義のために我が子を殺した父がそのままで済まされる訳がない。凱旋した夫を迎える妻クリュタイメストラは、神々にしか許されない紫貝で染め上げた敷物を夫の前に広げます。畏れ多いと遠慮する夫に「海がございます、海の命を枯らすことなど誰にできましょう」(命を踏みにじるのがあなたにはお似合いなのよ)と艶やかに微笑みます。アガメムノンがトロイアから側室として連れてきたカッサンドラ、予知能力を持つ彼女は、王宮に立ちこめる血の臭いと己の死の予感に錯乱状態。
その夜、闇を切り裂く悲鳴、アガメムノンとカッサンドラの死体、父と兄の復讐を成し遂げたアイギストスとそれを非難する民の論争にクリュタイメストラが割って入ります。争いのために娘を殺した夫は当然の報いとして死んだ、なすべきことがなされたのです・・・、しかし、これで終わるわけがない。
第二部「供養する女たち」。アガメムノン暗殺から8年後、幼い息子オレステスは叔父のところに預けられ、王宮に残ったエレクトラは実母と義理パパに冷たく扱われています。父の墓前で祈るエレクトラの前にオレステスが現れます。涙、涙の姉弟再会、オレステスは、父を殺した者を殺せ、さもないとお前は恐ろしい目に遭うとアポロンから神託を受けたと語ります。古き血で穢れたこの王宮に、その穢れを清めるため、オレステスを連れ戻すは正義の神、復讐の神!旅人を装ったオレステスは、母クリュタイメストラに自分の遺骨だと偽って骨壺を渡します。夫に殺された娘に続いて息子まで!母の嘆きを顧みずアイギストスを殺し、返す斧で母に迫るオレステス。あなたは父を殺した!それは運命なのよ、ならばあなたが死ぬのも運命だ、殺すのですか?この母を?あなたを殺すのはあなた自身だ!そう、この蛇を生み育てたのはこの私・・・。
母(とその連れ合い)を殺し父の仇を討ったオレステスに喜びはありません。復讐の女神の幻に正気を失った彼、悪夢はどこまで続くのか?
第三部「恵み深い女神たち」。幻に怯えるオレステスの前にアポロン登場、アテナイでアテナ女神にすがれ、その言葉通りにアテナイに向かうオレステスですが、クリュタイメストラの亡霊が復讐の女神であるゴルゴン三姉妹を急き立てます。アテナ神殿でオレステスの審理開始、オレステスは肉親を殺した!確かにクリュタイメストラは夫を殺したが、夫は肉親ではない、それにそもそも彼は肉親である娘を殺した!と所詮夫婦は他人なのよ説でオレステスを責める復讐女神。オレステスの仇討ちは正義だ!母は「父の子を産むために」その子宮を貸すだけだ!と今ならトンデモ説、父権社会の当時のアテナイではオッケー説でオレステスを弁護するアポロン。
市民の評決は五分五分でドロー、裁判官のアテナが最後の一票を投じます。私には父ゼウスはいるが母はいない(アテナはゼウスの頭から生まれたとされています)、よって、被告人オレステスは無罪!
滅茶苦茶な判決に復讐女神が怒ります(というか、誰でも怒ると思う)、この地を呪ってやる!アテナが丸め込みます、評決はドローだったんだからそっちの面子も立つでしょう、これ以上復讐の連鎖反応が起こらないようにお互いにアテナイを見守りましょう・・・。
長い長い復讐劇にやっと幕がおります。
ソポクレスの「エレクトラ」は、「供養する女たち」の筋書きをエレクトラの視点で描いたものです。単なる仇討ち物語ではなく、弟の帰還を唯一の生きる理由として王宮の片隅でじっと耐えていたエレクトラが、弟の死を知らされ、その後再会を果たすという天国と地獄を行き交うジェットコースターのような感情の起伏がテーマです。最後にはめでたく仇討ちの本懐を遂げたオレステスも正気を失わず、クリュタイメストラも化けて出たりせず、復讐女神も登場せず、あるがままにストンと終わる物語です。
が・・・、R・シュトラウスとホフマンスタールの手にかかると、この話も違ってきます・・・。
参考文献:「ギリシア悲劇Ⅰ〜Ⅳ」(ちくま文庫)
「ギリシア悲劇入門」(中村善也 岩波書店)
「はじめてのギリシア悲劇」(丹羽隆子 講談社)
「ギリシア・ローマ演劇」(ピエール・グリマル 白水社)
汝を胸に抱く者はすなわち狂う
エレクトラは電気関係の英語「electro-何とか」の語源です。ギリシャ語の「elektron」は琥珀という意味、琥珀を擦り合わせると発生する電気に由来するそうです(琥珀を擦り合わせるとどうなるのか、私は実際には知りませんが)。
舞台は古代ギリシアの都市ミケーネ、辺りは深い闇、今宵、その暗黒を切り裂いて火花が飛び散ります。
序曲はなし、幕が上がると下女たちがエレクトラの野良猫のような様を噂します。「毎晩父上を嘆き悲しんで」「私たちを睨みつけ」「蠅どもよ、出て行け!って」「女王様はどうして放っておくの?」「自分の娘だってのに」「あの方は王女様の威厳に満ちている」「何だって?」「あの方への仕打ちを思えばあんたたちは殺されて当然さ」「お黙り!」
ボロをまとって髪を振り乱したエレクトラ登場、長い長いモノローグ。「父はいない・・・、アガメムノン!どこにいるの?あなたが浴場で殺された時間なのに。お父様、あなたに会いたい!」「いつかその時が来る、星は落ち、人殺しどもの血が河のように流れる時が。あなたの息子オレストが、あなたの娘エレクトラとクリソテミスが復讐を遂げた時、私は踊るわ、屍を越えて足を高く上げて、アガメムノン、アガメムノン!」
妹のクリソテミスが登場、エレクトラの視線が妹を射抜きます、「私の顔がそんなに嫌いなの?」、あっちへ行って、私を一人にして!私、聞いたの、お母様とエギストが私たちを塔へ閉じ込めようって相談しているのを。もうイヤ、ここは我慢できない、閉じ込められているのにどこにも居場所がない。お姉様、私はここから出たいの、ここから出て男を愛して子供を産みたいの。お父様は死んだし弟は帰ってこない、私は復讐なんていらない、女の人生が欲しいのよ!
王宮から生け贄の動物を捧げた一団が登場します。あらゆる宝石で身を飾り、しかし、やつれ果てたクリテムネストラの嘆き。「神々よ、私の身体は荒れ野のよう」、生け贄も儀式も眠りを取り戻してはくれない。エレクトラ・・・、娘と二人にしておくれ。
母娘の対話、「お母様、夢を見るの?」「そう、宝石の魔力でも防げない恐ろしい夢を・・・。生きたまま腐っていくよう、骨の髄がとろけるような夢を見て目覚めても、時はちっとも進んではいない。終わらせたいのよ」「正しい生け贄を捧げれば」「知っているのかい?」「それは人間の女よ」「どんな女?どうすればいいの?誰がやればいいの?」「一人の男よ、遠くからやって来る、でもこの家の男」「あれのことは言わないで」「息子が怖いの?」「怖いものか、あんな出来損ない」「殺したがっているくせに」「私は女王よ、誰も手を出せない」「血が流れるわ、弟は斧を持ってあなたを追うわ、あなたとあの男がお父様を追ったように。そして、私はそれを見るの、あなたが死ぬのを見るの!そうすればあなたは夢を見なくなる、私は夢は要らない、だってその歓喜で満たされるから!」
侍女が駆け寄って何ごとかをクリテムネストラに囁きます。途端に満ちるのは勝ち誇った笑い声、何を喜んでいるの?何があったの?
クリソテミスの叫びが響きます、「オレストが死んだ!」「黙って!」「みんなもう知っているのよ!」「誰も知らない!」「余所者が伝えに来たの、馬に引きずられて死んだって」
「こうなったら私たちでやるのよ」「何を?」「今夜がいい」「だから何を?」「あの女と亭主を殺すの!」「この手で?」「そう、この手にお父様を殺したあの斧を持って」「できない!」「できるわ!あんたは強いもの」「放してよ」「放すもんか、あんたの中に私の根を生やすまで」、エレクトラを突き飛ばして走り去るクリソテミス。いいさ、一人でやるさ!
オレストの友人と名乗る男が登場します。「伝えに来たのだ、オレストが死んだことを」「あっちへ行け!あっちならみんなその知らせに喜ぶから。あんたは生きている、あんたの千倍も値打ちのある男が死んだというのに」「あなたは誰なのだ?」「アガメムノンの血そのもの、エレクトラが私の名」「エレクトラ!」「何を見ているの?」「オレストは生きている!」「あんたいったい誰?」「番犬にさえ分かったのに姉さんには分からないの?」
「オレスト!オレスト!オレスト!」、私の夢!見ないで、汚らしくて恥ずかしいから。これが王女様だったあなたの姉よ、私は羞恥心を犠牲にしたの、過去の姿を捨てるために。やるつもりなのね、一人で・・・。
「やる!私はそれをやる!」
オレストに付き添ってきた老人が二人を諫めます。「何をしている?彼女は王宮の中、ここには今、男はひとりもいない。オレスト!」
オレストは侍女たちに導かれて王宮へ。一人残されたエレクトラが突然慌てます、「斧!斧を渡せなかった!」・・・、王宮からクリテムネストラの恐ろしい叫び声が上がります。クリソテミス、そして女たちが走り寄ります。何があったの?家の中に男が!人殺しがいる!エレクトラ、なぜ黙っているの?
エギストが登場、「誰か明かりを持ってこい!エレクトラ・・・なぜここにいる?」「明かりを照らして差し上げようと」「奴が死んだというのは本当か?」「疑いもなく」「なぜ私に口をきく?」「とうとう利口になったからです、ほら、足下を照らしましてよ、どうか転びませんように」。エレクトラの仕草に従って扉の奥に消えるエギスト、「助けてくれ!殺される!」、断末魔の叫び、アガメムノンがこの声を聞いている!
お姉様、オレストがやったわ!聞こえないの?オレスト!オレスト、人々の声がうねりを上げます。「聞こえないかって?」、あの声は私から出ているの、みんな私を待っているの、私が踊るのを待っているの。お姉様、命が、新しい命が始まるわ!
松明に照らし出されてエレクトラは踊ります。足を高く上げて、突き上げる歓喜に身を任せて。突然倒れるエレクトラ、その身体が冷たい地面に触れた時、既にその命は失われています。
オレスト!オレスト!閉ざされた扉に向かってクリソテミスが叫びます、しかし、返事は返っては来ません・・・。
序曲なしのオープニングで登場するアガメムノンの動機が物語を最後まで支配します。エレクトラがモノローグで亡き父に呼びかける長いため息のような動機は、ラストでは王宮の扉を固く閉ざすかんぬきとなります。死んだ人間が生きている人間を支配する、すべてが屍衣に覆い尽くされ、人物はその赤黒い血で汚れたボロ布で全身をすっぽりと覆われて、お互いに絡み合ったまま暗闇をのたうち回ります。
あちこちで調子が外れ、甘さも心地よさも微塵も感じさせない旋律、王宮の中庭から一歩も動かない舞台、時計の通りに進行する時間、聴く者をがんじがらめに絡め取る鳥もちのように濃密な空気、しかし、不思議と閉塞感がないのです。なぜならこの作品は平面的、時間的には広がりは皆無なのですが、深く深く一点に穴を穿つことで、縦軸においては無限の広がりを持っているからです。
「無敵なる愛の力よ・・・汝を胸に抱く者はすなわち狂う」(ソポクレス『アンティゴネ』)・・・、今宵、エレクトラがその胸に抱いた「愛」とは?
電撃姫の脳内宇宙
さて、エレクトラと言えばフロイト先生の「エレクトラ・コンプレックス」です(実際の命名者はユングですが)。このフロイト先生っていうのは何でもかんでも「性的」に解釈する傾向があるように思われて、私としては少々眉唾なんですが、それは置いておいて、父を殺して母と契ったエディプスに対して、母を殺して父と契ることを夢見たエレクトラ。
で、フロイトの解釈によれば、男の子は母を最初の異性として愛し、女の子は父を最初の異性として愛し、当然、恋敵として父、そして母を憎むというものです。つまり、人間にとっての無意識の初恋は三角関係の不倫、それもとんでもない近親相姦願望の不倫ってことです。
この解釈でソポクレスの原作を読むことについては何の違和感もありません。エレクトラは母を殺すことで父に対する愛を全うします。オレストのエディプス・コンプレックスはどうなったの?と感じないでもありませんが、彼はエギストを殺すことで母を奪い返し、そして、無意識の恋人である母を殺すという代償を払うことで、「王の後継者」となります。エレクトラの無意識の不倫愛とオレストの意識的な苦渋の選択の結果として、正統なる者が悪しき簒奪者を滅ぼすというハッピーエンドを迎えます。
ところが、このオペラはソポクレスの原作からすべての背景を剥ぎ取ってしまいました。そこに生まれるのは、光も逃れられないほどぎゅっと圧縮されたブラックホール・・・。この暗黒の中では、残念ながらフロイト先生の理論は通用しません。エレクトラ・コンプレックスなる無意識世界が存在するのは事実であっても、このオペラはそんなもの関係ないのです。なぜなら、恋の勝者であるエレクトラが踊りながら死んでしまうからです。R・シュトラウスはもっともっと深遠な暗闇を見つめています。
エギストがアガメムノンを殺したのは父と弟の無念を晴らすため、クリテムネストラが夫を殺したのは戦争という男の面子の不毛な張り合いのために娘を殺したから、どちらにも至極真っ当な理由があります。というか、これじゃ、アガメムノンは殺されたって化けて出られた筋合いじゃない。ソポクレスが描いたのは欲望と衝動に駆られるまま愚行を繰り返す人間の営みのありのままの姿、そして、それを乗り越えた時にもたらされる解放です。神々の気まぐれに翻弄される登場人物は、運命をトコトン受け入れた時、呆気ないほど簡単に調和に至ります。アガメムノンに死をもたらしたエギストとクリテムネストラは死者の列の最後尾につき、彼らに死をもたらしたエレクトラとオレストは、やがて彼らにも順番が回ってくるまで、つかの間、明日をも知れない生を与えられる、神々が運命を弄ぶ世界で、それ以外にいったいどんな生がある?
R・シュトラウスの作品には神々の出番はありません。舞台の上に繰り広げられる宇宙の支配者は神ではない、エレクトラなのです。登場人物は誰一人エレクトラ以外との対話を許されません。エレクトラが不在の場面も一切登場しません。肝心のオレストの仇討ちシーンすら、エレクトラが直接関与しないというだけで舞台の上には乗せて貰えないのです。
エレクトラはひたすら父を求めます。「お父様、どこにいるの?」「お父様、私はあなたに会いたい!」「アガメムノン、あなたの日は来るでしょう!」、その父がなぜ殺されたのかは彼女の思念の外側に追いやられています。子が親を思うのは当然でしょう。しかし、エレクトラは死んだ父に熱い愛を注ぎますが、生きている母には憎悪しかありません。死んだ父がなぜこれほどの熱い思慕の対象となるのか?それはまさしく「死んでいる」からです。なぜなら、死んだ人間は愛しやすいから・・・。死んだ人間はイヤなことを何も言わない、気に障ることを何もしない、年もとらず醜くもならない、それどころか時の流れがさらに美しく磨いてくれます。エレクトラは心地よい父の虚像に恋しているのです。
さらに恐ろしいのは、エレクトラに「苦悩」がないことです。父を殺した母と母に殺された父を両親に持つ、想像するだけで脳みそが煮えたぎりそうな状況なのですが、エレクトラは苦しまない。母とエギストを殺すという単純な希望に渇きを覚えこそすれ、その希望が成就した時の喜びに舌なめずりこそすれ、今ある状況には何の苦悩も感じないのです。同じ境遇にあるクリソテミスが苦悩しているにも関わらず。
エレクトラは孤独を訴えます。「一人だ、なんて悲しいこと、一人だ」、ところが彼女はどう見たって一人ではありません。クリソテミスは姉と自分の将来を案じ、ここから出て行こう、出て行って自由になろうと訴えます。クリテムネストラは母である自分を「蛇のように睨む」娘と「二人だけにしておくれ」と命じます。オレストは「私の姉上」とその正体を自ら明かします。エレクトラは「家族」に囲まれているのです、たとえそれがおぞましい怨念に血塗られた家族だとしても。
エレクトラの孤独はエレクトラが作り上げたものです、まるで蚕が絹糸を吐いて繭を拵えるかのように。その証拠に、エレクトラは孤独を訴えつつも自分に語りかけてくる家族の話を全く聞いていないのです。クリソテミスの女らしい夢を無視し、クリテムネストラのエゴの固まりのような願いを嘲笑い、懐かしいオレストの容貌すら見分けがつかない。エレクトラは虚像の父と自分だけの小さな宇宙に自分を閉じ込め、死者と自分の冷たい吐息でくぐもった繭の中で胎児のように丸まっています。
ですから、この作品で最後にエレクトラが死ぬのは当然です。エレクトラは、母とエギストを殺害するという希望が成就した瞬間、死んでいきます。なぜなら彼女の閉ざされた世界には、外部を拒絶する以上他の希望が入り込む余地はなく、当然、希望はたった一つしか存在し得ないのです。普通は、人は希望が実現したからといって死んだりはしません。希望が実現しなかったからといって死ぬことはあるにしても・・・。しかし、エレクトラの小さな宇宙においては、希望はただ一つです。唯一の希望が実現してしまったら、そこには絶望しか存在しません。
エレクトラは孤独を嘆きつつ実は孤独の意味を知りません。孤独とは他者(家族も含めて)を排斥するから生まれるのではない、他者を受け入れることで生まれるものなのです。私はこうなの、でもあなたはそうなのね・・・、そこから孤独が生まれ、その孤独が愛を生むのです。「お互いを守りあい、補いあい、限定しあい、尊敬しあう二つの孤独」(リルケ『若い詩人への手紙』)、エレクトラの作り上げた「宇宙」にはエレクトラと死者しか存在せず、それはそもそも孤独ですらない(他者が存在しない世界には孤独はありません)、他者には見ることも感じることもできない、つまりは存在を証明することもできない、限りなく存在しないのに等しい宇宙なのです。
エレクトラはオレストに父の命を奪った斧を渡すことを忘れました。彼女はこの期に及んでも、父の血を吸い込んだ斧をオレストに渡すことを無意識に拒んでいるのです。なぜならその斧は彼女だけのものであり、父が最後に流した血に触れることは彼女以外には許されないからです。
エレクトラは父の仇討ちなど望んではいない、父の仇討ちという唯一の、しかも「望んではいない希望」によって、父の流した血の臭いに満たされた自分の宇宙の天空を支えていただけなのです。
この世界に「エレクトラ宇宙」しか存在しなければ、それは完璧な宇宙だったでしょう。しかし、現実に他者は存在します。オレストが死んだとされた後生きて登場し、クリソテミスが「新しい命が始まる」と宣言した以上、エレクトラの宇宙は弾け飛ぶしかありません。
R・シュトラウスとホフマンスタールは、一切の背景を剥ぎ取ることで、エレクトラの脳の中にしか存在しない暗黒の宇宙を描き出しています。
炸裂する不協和音、絶叫するソプラノ、攻撃的なオーケストラ、剃刀の刃のような子音の切れ味(ドイツ語であることをここまで生かし切ったオペラも珍しいと思います)、血生臭く残酷な作品です。じゃ、醜いのか?聴きづらいのか?これがどうして凄絶で硬質な美しさを持っています。
フロイト先生はともかく、この作品にはもう一つ、重要な縦糸が織り込まれているのです。
為したる者は受けるべし
このオペラで最初から最後まで伴奏を務めるもの、それは性という何とも単純で原始的で、そのくせ厄介な人類永遠の葛藤です。
クリソテミスは、父を殺した母への復讐はどうでもいい。ただ、自分と姉を塔に閉じ込めようという企みに恐怖を覚えます。彼女は女です、男と違って女の生殖能力には時間制限があります。彼女の体内で時計が容赦なくチクタクと時を刻んでいます。「私はここを出たいのよ、私の身体が萎んでしまう前に子供を産みたいの。私に子供をくれる男なら百姓だって構わない」「誰もこないわ、使いの使いさえ来ないわ!私は女の運命が欲しいの!」。城の外の世界にはたくさんの男がいます。ところがこの城にいる男と言えば、父を殺したエギストと死んだアガメムノンの亡霊だけ。若さが失せないうちに好ましい男と巡り会い子供を産みたい、脳ではなく子宮が訴える言葉です。男は暴力的な存在です。闘いを好み、命を軽んじる、産むことをしない性・・・。ところがその男がいなければ女は産む性ではあり得ないのです。クリソテミスはそれを知っています、脳ではなくその子宮で・・・。
復讐して何になる、平和が欲しい、女として生きたい、クリソテミスとエレクトラの二重唱は、強烈な不協和音から穏やかな全音階に変調し、クリソテミスの子宮がエレクトラの脳を押さえ込んだかに思えます。しかし、その調和を破壊するのは、クリテムネストラ登場の不気味な行進の旋律。
クリテムネストラは、徹底的に女であり続けます。アガメムノンが娘を殺してまで欲した戦争での勝利、それは我が子の命を犠牲にしても不正を諫め、自分の支配下にある多くの民の安全を守る「英雄的行為」でもあります。しかし、クリテムネストラにとっては子殺しでしかない。しかも彼女は夫殺しに当たって次の男を利用しました。産んで育む性であるクリテムネストラにとって、男とは、自分に子供を産ませてくれる存在であると同時にその我が子を自分から奪う存在であり、自分の色香によって言いなりになる便利な道具であり、戦争という厄介な、しかし支配者として為さねばならない力仕事を代わりにこなしてくれる存在であり、そして自分が女であるためにはなくてはならない、二律背反の存在なのです。そして、クリソテミスは無意識のうちにその母に同調しています。彼女と母の対立は一切描かれず、ラストで歓喜するクリソテミスは「自由」を喜ぶのであって、復讐の成就を喜びはしません。クリソテミスはクリテムネストラの後継者であり、だからこそ彼女は命を繋いで生き続けます。
この女性原理に対してオレストが立ちはだかります。ソポクレスの原作では父の仇を討たないとえらい目に会うぜぃと神様に脅かされて登場したオレストですが、このオペラでは父の後継者たらんとして満を持して登場する凛々しい若武者です。父から息子に受け継がれるはずの権力を横取りした母とその愛人、オレストにとって母は自分がアガメムノンたらんとする野心を妨害する存在でしかないのです。母は母であるというだけで子に対して圧倒的な支配力を持っています。それが今のオレストには通用しない、オレストは登場した時から既に権力の亡者なのです。
そんなオレストは女であるクリソテミスとは一切接触を持ちません。彼は女の性に対する畏怖を敢えて無視しない限り、王とはなり得ないのです。登場の場面で、もしも彼を待っていたのがクリソテミスであったなら、物語は違った方向に流れてしまいます。彼にとっては、咲こうとする蕾であるクリソテミスではなく、咲くまいとした挙げ句に枯れていくエレクトラこそが、自らの母殺しの証人には相応しいのです。
そんなオレストをひたすら待ち望むエレクトラ、彼女には死んだ父以外の男は必要ありません。「私は美しかったと思う、私の髪は男たちを震わせるほどだった。それが今はボサボサになり汚れて・・・。私の羞恥心を私は犠牲にした、女の身体を包むこの月の乳のような羞恥心!」。エレクトラの言葉には無意識の嘘があります。彼女は羞恥心を犠牲にしたのではない、羞恥心が不要だったのです。自分と死者だけの宇宙に棲むエレクトラにとって、男の舐め回すような視線は意味をなさない。彼女の宇宙には「性」は存在しないのです。
産む性である母は、産んだ子を男によって奪われた女です。悪夢に悩む母とその悪夢の実現こそを願う娘の対話、低音域の母に管楽器が不協和音を添えます。悪夢を追い払う生け贄をなかなか教えない、弟の母殺しへの期待に陶酔するエレクトラ、散々焦らされた母は二重唱のクライマックスで息子の死を知ります。わが子の死を喜ぶ母、これはエレクトラが拵えた「幻覚」です。エレクトラには我が子を殺された母、我が子に殺される母は見えず、権力のためには夫など子供などどうなろうと知ったことかという男まがいの女しか見えない。なぜならエレクトラには女の性がないからです。
性のないエレクトラの宇宙は清潔かも知れません、完璧かも知れません、しかし、そこには未来がない。性だけが限られた時間しか持たない人間に無限の未来をもたらすのですから。
女の性を持たないエレクトラは、女であろうとするクリソテミスにしがみつき迫ります。「私の哀れな干涸らびた腕はあんたの身体に巻き付く!私はあんたの中に私の根を生やし、この意志をあんたの血に注ぎ込む!」。エレクトラはクリソテミスから女を奪おうとし、そして突き放されます。
踊り狂って息絶えるエレクトラ、女でありながら女性原理を持てず、性を持たない父の亡霊に恋い焦がれたエレクトラ、性を排除した彼女には当然、死しかありません。性はおぞましい因縁かも知れません、醜い欲望かも知れません、しかし、それがなければ命は生まれないのです。
性を拒み通した姉が死んだ時、クリソテミスは叫びます、「オレスト!オレスト!」、それに対するオレストの答えは沈黙・・・。権力を得て満たされた男性原理には女など無意味なのです。権力に抱かれて眠る快感は、性の快感を超えるものなのでしょう。
残酷な言葉に溢れた台本です。しかし、舞台の上では実は一滴の血も流れません。殺人はすべて舞台の向こう側で起こります。聴く人間に次の音を予測させないオーケストラ、めまぐるしく色彩を変える旋律、極限の声とこっちの心臓止める気かい!という時折の大音量、残酷さを音で表現しつつも、固定されて動かない舞台の奇妙な静けさ、殺す側と殺される側、どちらに身を置いて聴くかで、全く違った作品になってしまうというオペラです。
「為したる者は受けるべし」(ソポクレス「オイディプス」)、これがギリシア悲劇の原点です。良いことをした者はその褒美を、悪いことをした者はその報いを黙って受け止めよ。たいていの人間はこれを両方やってしまうので、その運命は波乱に満ちたものになりますが、それが人生なのですから仕方ない。その時々で甘い褒美と苦い報いを黙って飲み干す以外にないのです。
クリテムネストラは我が子を殺した夫を殺し、我が子に殺されました。オレストは父を殺した母を殺し、王位を得ました。クリソテミスは姉を突き飛ばすことで自由を得ます。彼らはそれぞれ為すべきことを為し、その代価を払いました。エレクトラは何をした?何もしていません。彼女は復讐を願っている(と信じている)亡霊と作り上げた閉ざされた宇宙で踊っただけです。しかも、彼女はその宇宙の外を否定した、クリソテミスのように外があると知っていながら閉じ込められたのではない、外を最初から知ろうともしなかった。為した者と為さなかった者、閉じ込められた者と閉じ籠もった者、運命がその境界線をくっきりと引きます。為さなかった者には受けるべきものは何もないのです。
何も貰えないだけじゃない、この作品ではエレクトラは歓喜の頂点で命を失います。それはエレクトラの存在自体が命の営みとは全く無関係な、閉ざされた世界の閉ざされた妄想に他ならなかったから。命は命を否定する存在の命を繋ぐことはしません。人間はともかく、宇宙は矛盾を嫌います・・・。
エウリピデスの「エレクトラ」に触れたいと思います。邪魔者扱いされて城を追われたエレクトラは貧しい農夫と結婚します。武人と結婚して仇討ちでも企まれては大変とクリテムネストラとエギストが仕組んだ結婚です。しかし、この貧しい農夫が実に素晴らしい男なのです。エレクトラの苦悩を知る彼は彼女に決して触れません。貧しいながらも懸命に働き、名目上の妻を身を挺して守る男です。そして、母殺しを前にして躊躇い苦悩するオレスト、母の血に染まった手を見つめて狂乱する弟と、あれほど望んだ復讐の成就に何の喜びも感じられない姉、神の正義(夫殺しの女に制裁を与える)と身勝手さ(娘殺しの父はどうなのよ?)は到底生身の人間には受け入れられない・・・、聖なる神と人間の間の深い溝を浮き立たせた不条理劇です。私は、この「エレクトラ」が実は一番好きなのです(できればこれをオペラにして欲しかった・・・貧しい農夫に清潔で美しい旋律を与えて)。
エレクトラは超弩級の難役です。最初から最後まで、まさにドラマティック・ソプラノ。しかし、クリテムネストラ、そしてエギストとの絡みには王女に相応しい傲慢さと優美さも求められます。マジで取り組むと歌手生命にかかわる役です。1967年のショルティ盤、ニルソンのエレクトラが鳥肌もんです。1990年のサヴァリッシュ盤、エヴァ・マルトンのエレクトラ、リポヴシェクのクリテムネストラ、ヴァイクルのオレスト、キャストは強力なのですが、オペラとしては少々バランスが悪いかも、但しオケは抜群です。1981年の映画版はフリードリッヒの演出、リザネクのエレクトラ、ヴァルナイのクリテムネストラ、リゲンツァのクリソテミス、そしてフィッシャーのオレスト、全編を覆う激しい雨、ラストで固く閉ざされたオレストの籠もる城の扉、その映像は女性原理と男性原理の対立を見事に絵にしております。1989年のアバド盤、マルトン、クリテムネストラのファンスベンダー、ステューダーのクリソテミス、舞台の上にどんと鎮座ましますのはアガメムノンの足、アバドらしく胃にもたれない音が心地よいです。
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