GO HOME HOME     GO INDEX 作品別インデックスへ

Leafプッチーニ 「ジャンニ・スキッキ」 (2002年5月21日〜2002年6月6日の日記より)


花の都がまだ蕾だったころ

 1299年、イタリアはフィレンツェ、春まだ浅い日曜日の朝、街の北の外れにひときわ高く天を目指してそびえるのは、サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会。少し前に完成したばかり、中庭をぐるりと取り囲む回廊には、フィレンツェ市民の書き記したたくさんの願いのお札、多くの信仰を集めている様子です(今日、私たちが見るのは、15世紀にミケロッツォによって手を入れられた建物です)。ミサを終えて三々五々扉から出てくる人々、一人の男が足早に南に向かいます。スラリと伸びた肢体、大股の歩き方、若い男のようですね。空は抜けるように青く、光がふんだんに降り注ぐとはいえ、春はまだ訪れたばかり、男は頭から足まですっぽりと覆う毛織りのマントをまとっています。さすがはフィレンツェ、毛織物産業で頭角を現しつつある新興の共和制国家、彼のマントもしっかりと目の詰んだなかなかの上物です。男はさっと天を仰いで時刻を計り、広場からバティスタ通りへ。彼の左手にはこの後1419年に名匠ブルネッレスキの設計によるヨーロッパ最初の孤児院「捨て子養育院」が建つのですが、現在はただの原っぱ。さて、彼はそんなに急いでどこへ?後をつけてみましょうか。

 通りの左、今はまだ羊が草をはんでいる空き地には、後に「アカデミア美術館」が建つことになります。共和国の敵を打ちのめす象徴として26歳のミケランジェロが渾身の力で刻んだダビデの像は、当初ここに置かれていました。静かな姿勢に力をみなぎらせ、敵を見据える若き野生児ダビデ、ゴリアテの額に当てることになる石を握りしめた右手が大きすぎてアンバランスなのですが、それが一層若々しい。その先はサン・マルコ広場、後に修道僧サヴォナローラが火のような説教で人々を震え上がらせることになるドメニコ会のサン・マルコ修道院の建設は14世紀のこと、フィレンツェ中が修道院と化し、虚飾の篝火が天を焦がすのはまだまだ先のことです。サン・マルコ広場の先を左に折れればカヴール通り、男は真っ直ぐ南に向かって足を早めます。高く昇った太陽が眩しく、少し暑く感じたのか、マントのフードを跳ね上げます。栗色の豊かな巻き毛、浅黒い肌、真っ直ぐ通ったローマ風の鼻筋、なかなかの美男です。歳の頃は18歳ってところでしょうか。

 通りの右手にはやがて1444年、メディチ・リッカルディ宮殿がそのいかめしい偉容を誇ることになるのですが、今は低層の石造りの建物が無秩序に建っているだけ。フィレンツェ中にちりばめられることになる6つの球体をあしらったメディチの紋章、ご先祖の一人が巨人ジェルロと闘った時、その盾がボコボコになった様を表していると宣伝されることになるのですが、これは大嘘、元々はいー加減な薬で財をなしたことを示す丸薬をかたどったものです。そのメディチ家もまだ駆け出し、あと100年もすれば法王庁から各国の王様まで、あらゆる権力者のメイン・バンクとなるフィレンツェの実質的な支配者も、この1299年にはグッチョ・メディチが「正義の旗手」(市民の中から抽選で選ばれる元首)に当選したというだけの新参者、この正義の旗手の任期はたった2ヶ月、共和国フィレンツェは独裁者の登場をまだ許してはいないのです。

 ディ・プッチ通りとの交差点、いつもはロバを引いた商家の小僧や買い物そっちのけでおしゃべりに花を咲かせるおかみさんたちで賑やかな通りも今日は安息日、静かなものです。この先には、フィレンツェ最初のルネサンス様式のサン・ロレンツォ教会が見えます。その起源は4世紀にまでさかのぼるという教会も、メディチ家をスポンサーに迎えてマネッティが現在の姿に完成させるのは1460年のこと、男が見ているのは粗い石を積み上げただけの質素なたたずまい。勿論、その脇にそびえる壮麗なメディチ家の礼拝堂は影も形もありません。

 マルデッリ通りを抜けるとドゥオーモ広場、フィレンツェを象徴するサンタ・マリア・デル・フィオーレ教会(花の聖母寺)の建築がやっと始まったばかり、完成するのは1436年のことですから、道を急ぐ若い彼もその華麗な姿を見ることはありません。しかし、その向かいの洗礼堂は1202年に完成しております。彼もそこで洗礼を受けたのかも知れませんね。但し、ギベルディの傑作「天国の扉」が設置されるのは1401年のコンクールでのこと、「ジョットの鐘楼」(1334年)もまだありません。彼の足腰が丈夫だったら、高さ85メートルの鐘楼の上から子供達と一緒に花の都の全貌を楽しむことも期待できそうです。

 カルツァイウォーリ通りを南に、右手には小麦を売る市場が1240年に焼け落ちたままの空き地が広がっております。ここにディ・カンビオの設計によるオルサンミケーレ教会が完成するのは1337年のことです。さて、共和国の中心シニョーリア広場です。この年1299年にヴェッキオ宮殿の建設が始まったところ、設計はこちらもディ・カンビオ、素っ気ない石の壁面がルネサンスの都フィレンツェの自信の程を窺わせてくれることになりますが、今はまだ基礎工事中、石工たちの粗末な宿舎が大きな空き地を取り囲んでいるだけの工事現場。その先はウフィツィ美術館、この建物は1559年にお役所として建てられたもの、一日中観光客が取り囲み、チマブーエ、ジョットからマルティーニ、ボッティチェッリ、ラファエッロ、そしてダ・ヴィンチ、世界の至宝がここに集まることになるなんて、道を急ぐ彼には到底想像もつかないようなお粗末な建物が並んでいるだけです。ここを右に折れるとポルタ・ロッサ通り、そういえば・・・、何やら彼は微笑みを浮かべております。何か嬉しいことでも待っているのかな?

 通りの向こうにゆったりとした姿を見せたのはアルノ川、男はヴェッキオ橋を渡ります。今では左右にぎっしりと貴金属店が軒を並べ、世界中の女性の憧れの橋ですが、この当時は僅かばかりの食料品を扱う店が並んでいるだけです。橋の上で商売するなんて考えたものですが、地代は誰に払うんだろ?橋の上に地主はいるのか?因みに今私たちが渡るヴェッキオ橋は1345年のもの、男が渡っているのはもっと粗末なものです。川から吹き上げてくる風で男のマントが開きます。ビロードの胴着は鮮やかな赤、白いシャツの袖口には凝った縫い取り、どうやら彼はかなり裕福な様子です。

 橋を渡ればグイッチャルディーニ通り、その先、左手に見える新緑に覆われたなだらかな丘、ここにはこの後15世紀に大富豪ピッティの宮殿がそびえることになります。成金趣味のボーボリ庭園、ネプチューンの噴水も男が見ることはありません。

 さて、左に折れてサン・フェリーチェ教会、現在の美しいファザードの優雅な容姿はありませんが、11世紀に建てられた清潔な姿が男の目に飛び込んで来ます。彼は走り出します、さっ、後をついていかないと。

 人気の失せた教会前の広場、木陰に立っているのは若い娘です。年の頃15、6歳、深緑色のビロードのドレスはミサのためなのか、男のためなのか、浅く刳った襟元、艶やかな喉には小さな金の十字架、丁寧に梳かれた漆黒の長い髪がアルノ川からの風になびき、ばら色の頬と白い額を引き立てています。

 「ラウレッタ!」、男が駆け寄ります。「ごめんね、待ったかい?一生懸命歩いてきたんだ、道中ずっと君のことを考えながら。途中でポルタ・ロッサへ寄ろうかと思ったんだ。君が欲しがっていたあの指輪、売れちゃったんじゃないかって心配でさ。でも、早く君に会いたくて急いで来たんだよ」「リヌッチオ・・・ミサの最中もあなたのことばっかり心に浮かんで、神様はきっと焼き餅焼いていらっしゃるわ、会いたかった・・・。なかなか会えないんですもの、一週間が長くって」「僕もだよ。早く結婚しようよ、君がいない毎日なんてまるで牢獄さ。口うるさい叔母さんたちに囲まれて、もう気が狂いそうだ。」「でも、ご家族が結婚を許して下さるかしら?」「大丈夫、伯父さんの遺産が手に入れば堂々と結婚できるよ。君のためにきれいな家を買うよ」「うれしい!私、そのおうちをあなたのためにきれいに飾るわ」

 やれやれ、お熱いこと、この熱気はここまでかれこれ4キロほど彼をつけてきたせい?それともこの若いご両人のせい?



参考文献:「フィレンツェ」(高階秀爾・中公新書)
       「メディチ家はなぜ栄えたか」(藤沢道郎・講談社選書)
       「フィレンツェ」(クリストファー・ヒバート・原書房)
       「フィレンツェ・マップ」(JTB)



頭と金は生きているうちに使いましょう

 大金持ちのブォーソ・ドナティの屋敷、たった今ブォーソが息を引き取りました。可哀想な従兄弟、可哀想な伯父さん・・・涙に暮れる親族たち。毎日泣き明かすだろう!毎日?私は何ヶ月も!こっちなんか何年もよ!いいえ、全生涯かけて泣き明かそう!やけに大袈裟な涙声に混じって漏れてくるヒソヒソ話を聞いてみれば・・・。
 ほ、ほ、ほんとに?マジでぇ?街の噂になっているわよ、みんな言ってる、遺言書によればブォーソの全財産は修道院に寄付されるって。こうなると泣いてなんかいられない、というか、みんなして泣いていたのは財産欲しさなのですから。一同顔をつきあわせて状況確認に一生懸命です。
 どうなるの?遺言状が公証人の手にあればもう打つ手はないな、ってことは、そうでなければ打つ手あるってこと?大変だ!みんな、遺言状を探そう!そう、探すのよ!遺体そっちのけでガサ入れ開始。

 あったっ!あれ、違うや、タンスの中?この箱が怪しくない?部屋はメチャクチャです。あった、見つけたぞ!と叫んだのはブォーソの甥のリヌッチオ。みんな、僕が見つけたんだ、だから愛しいラウレッタと結婚してもいいでしょ?5月の花祭りの日に・・・。ま、それはそれとして何て書いてあるのよ?一同で遺言状をのぞき込むと・・・。
 何これ?信じらんない・・・ガックリと肩を落とす親族たち。噂は本当だったんだ、全財産が修道院へ。坊主太らせてどうすんのよ、バッカみたい。町中からバカにされる、ほら、あのドナティの連中を見てみろよ、坊主に財産とられた間抜け揃いさって。さっきとは違って一同本気で嘆いております。死んじゃったブォーソにはもうお金はもう用無しだけれど、生きている人間はそうはいかない。
 これ、何とかできない?何とかって?だから、書き換えちゃうとか・・・。あの、僕に名案が、とリヌッチオが切り出します、ジャンニ・スキッキに頼もう!スキッキもその娘も知ったことかい!そこに、そのスキッキがやって来た様子。なんで来るのよ?僕が呼んだから・・・。お前何考えてんの?ドナティ家の人間がスキッキの娘と結婚する?ダメ!だって、みんなこの遺言状を何とかしたいんでしょ?スキッキさんは頭が良いし法律にも詳しい。田舎者だっていいじゃない、ここはフィレンツェだよ、豊かな街はあらゆる人間を引き寄せるんだ、ジョットだって山出しだし、メディチだって元々はよそ者じゃないか。

 スキッキ登場、美しい娘のラウレッタも一緒です。ブォーソの具合はいかがかな、って燭台が灯っているってことはあの世へ行っちまったんだ、道理でみんなで猿芝居しているわけだ。でも遺産がたっぷりあるでしょう?ない?坊主にとられた?それはまたお気の毒に(ざまー見ろ)。うちの大事なリヌッチオは持参金もない娘とは結婚させないよ!遺産が消えてしまった今、若くて美男のリヌッチオの資産価値は急上昇、お金持ちの娘と結婚して貰わないと、みんなが干上がってしまいます。
 上等だぜ、この強突張り!大切なラウレッタを誰がお前の甥っこなんかに!さっ、ラウレッタ、帰るぞ!ラウレッタ、愛を誓ったよね?そう誓ったわ、僕たち、5月に結婚できないなんて・・・、お父さん、彼と結婚したいの!叔母さん、彼女と結婚したいんだ!ダメ!こっちもダメ!でも、遺言状はどうするの?それを忘れてた、スキッキさん、これを読んでおくれよ、何とか力になってくれないか。誰が!いやなこった!
 「お父様、お願い」、私、リヌッチオが好きなの、ステキなヒトなの。ポルタ・ロッサに指輪を買いに行きたいのよ。行ってもいいでしょ?もしダメならヴェッキオ橋から身投げしちゃうから。お願い、お願い・・・。

 可愛い娘にこうまで言われては仕方ない、どれどれ?うーん、ブォーソが死んだことを知っている人間は?いない、となると死ぬの少し延ばして貰いましょうか。一同、仏様をベッドから追い出します。医者が登場、患者はどんな具合かな?もうすっかり良くなって!先生は名医でいらっしゃる!隠れていたスキッキがブォーゾの物まねで医者を追い返します。さて、次は公証人、遺言を作りたいって伝えてくれ。部屋を暗くして、ナイトキャップを被ってベッドに潜り込んでいれば誰だか分かるもんか。さて、新しい遺言を作るとしましょうか。
 一同は大感激、スキッキ、スキッキ!とうとうお宝が手に入る!俺には農園、私には農場、それからロバとこの屋敷、粉ひき場、全員口々に欲しい物をまくし立て、スキッキを味方につけようと必死です。はいはい、皆さんのお望みの通りに。但し、遺言状のねつ造は重罪だ。もしばれたら手を切り落とされて街を追放されるってことを忘れないように。花のフィレンツェともこれっきりってこと、そこんとこヨロシク。

 公証人が現れてスキッキの一世一代の大芝居の始まりです。以前の遺言状は全部破棄する(いいぞ!)、葬式は質素に(いいぞ!)、坊主には寄付として5リラ(いいぞ!)、あれこれの財産を適当に親族たちに分配するスキッキ、さて、屋敷は親友のジャンニ・スキッキに。何だって?このならず者!一同ブチ切れです。さらば、フィレンツェ・・・、清らかな空、別れの挨拶を・・・、スキッキの「いまわの際」の歌声に一同はギクリ。粉ひき場は、これもスキッキに。なに〜?傷ついた手で別れの挨拶を・・・するかい?みんな。
 たんまりとお礼を貰った公証人がほくほく顔で引き上げます。何てことすんのよ、この泥棒!裏切り者!、一同は口々にスキッキを罵ります。俺の家で何してる?出て行け!今すぐ出て行け!一人残らず出て行け!事態は既に手遅れ、一同は泥棒と悪態をつきながらも渋々部屋を出ていきます。

 そんなこんなはどうでもいいのはラウレッタとリヌッチオ、黄金のフィレンツェ、何てきれいなんだ、あそこで愛を誓ったわね?あそこで君にキスしたんだ、楽園、この街は僕たちの楽園だ、黄金のフィレンツェ・・・。
 やれやれ、銭の亡者共を追っ払ってやった、我ながら見事な財産処理、いー仕事したもんだ、皆さんもそう思うでしょ?

 この喜劇、舞台が1299年のフィレンツェであるという点が肝心です。フィレンツェの街自体がもう一つの主役なのです。ルネサンスがこの街で花開いたのは偶然ではありません。古代の美と精神の復活というルネサンスの意味からすれば、ローマで花開く方が自然でしょ?なぜフィレンツェだったのか?
 ルネサンスとは単なる古代の復興ではありません。それでは時代が逆戻りするだけです。ルネサンスとはローマ教会に覆われる前の自由な精神で事象を見ること、その精神の在りようなのです。目の前に古代の遺跡がゴロゴロしていたローマですが、長い中世の間、聖書以外に読む本はなく、異教徒には文化がないと決めつけてきたローマ教会にはその目がありませんでした。
 教会の使うラテン語を嫌ってイタリア語で「神曲」を書いたダンテ、人間の肉体を知り尽くすために死体の解剖までやってのけたダ・ヴィンチ、ビジネスのためなら異教徒との取引も何とも思わなかったメディチ、フィレンツェにはその目が、目の前にあるものをそのままに見つめるその目があったのです。

 花の都フィレンツェを築き、支え、守った者、それは、たくさんの有名無名のスキッキのような男たちだったのだと思います。


確かな明日などないのだから

          青春とはかくも美しきもの  しかし、瞬く間に消えてしまう
          楽しみたいのなら今すぐに  確かな明日などないのだから

 フィレンツェの実質的な支配者メディチ家、その中でも「イル・マニフィーコ(偉大な人)」なる、王様だってなかなか貰えない渾名を頂戴したロレンツォ・メディチ。彼が書いたこの「バッカスの歌」は、フィレンツェ中、イタリア中で流行し、遠く日本にまで伝わりました。黒澤明監督の「生きる」、癌に冒され余命幾ばくもないと悟った冴えない初老の小役人志村喬が、小さな公園のブランコに揺られながら口ずさんだあの「ゴンドラの歌」です。
 どんな君主よりも君主らしいと讃えられたロレンツォがリュートをつま弾きつつ歌ったであろう歌、疲れ果てた志村喬が震える声でそっと自分に呟いた歌、およそ正反対の二人を繋いでいるもの、それは現実を見据えた上での虚無感です。

 フィレンツェの北東に位置する片田舎ムジェッロからノコノコ出てきたメディチ、彼らは数々の修羅場をくぐり抜け、金融業で財を成し、花の都を実質上支配します。主要な役職は全てくじ引き、今どき小学校の学級委員選挙だってやらないような手段に固執したほど独裁を嫌ったフィレンツェを一族で支配する、この離れ業を可能にしたもの、それはメディチ一流の現実感覚です。
 フィレンツェ政府の役職は、資格ある市民の名前を書いた札を袋に詰め込み、そこから無作為に選出されます。名札を入れた袋は役職の数だけ用意されます。役職が30なら袋も30。袋に入る名札が偏ってはいけないので、名札振り分け係という仕事があります。これがアッコッピアトーレ、これを自分たちの派閥で押さえてしまえばいいんです。ライバル一族の名札をどうでもいい役職用の袋に入れてしまえば、彼らを少なくともしばらくの間は閑職に追いやることが可能です。そして仕事をさぼっていればいいんです。まだくじ引きの準備できないんですよねー、何しろこのところフィレンツェってバブル経済で人口急増でしょ?こっちも大変なんですよー。こうやって引き延ばしている間、ライバルはずっと閑職についたままです。
 こうして時間を稼いでいる間にメディチは対民衆工作に専念します。被選挙権のない民衆を味方につける、彼らには金はなくても数がある、いざという時に一番頼りになるのは民衆であるとメディチは知っていました。「パッレ!パッレ!(メディチの紋章である玉を意味する)」の叫び声が何度この一族を救ったことか。

 法律を破るのではない、その欠点を利用すれば良い、構造改革なんて時間もかかるし面倒なんでイヤ、今の制度を自分の都合の良いように使えばいーじゃん、というわけ。このイタリア特有の合理精神(というか、刹那主義というか)を最大限に発揮したのがメディチなのです。

 民衆を味方につけることで、「共和国の独裁者」という摩訶不思議な地位を確立したメディチですが、彼らは民衆の本質も知り抜いていました。どうしようもなく気まぐれだということです。ともかく批判精神が旺盛、口喧嘩の強さではイタリア最強と言われるフィレンツェ人、「パッレ!パッレ!」と叫んでいるからといって安心はできません。何かの拍子ですぐにメディチ追放に走るに決まっている、そして現実にそうなりました。メディチは民衆の実態を憂うにはあまりに現実的でした。変わりやすい民衆を捕まえようとしたところで無駄、今日は白、明日は黒なんて連中相手にどうしろってんだ?メディチが選んだ方法、それは私財を投じてフィレンツェの街を美しく飾ることでした。豪華な建造物、その壁面を美しく飾る絵画、中庭を飾る彫刻、金払いが良ければ当然に優秀な人材が集まる、優秀な人材が集まれば競争が生まれ、一層優れた作品が出来上がる、天才達の作品でフィレンツェを飾ることをメディチは選びました。メディチが消えても芸術は残る、この街のルネサンスの本質は、そんなおよそロマンチックとは程遠い虚無感ゆえの産物です。

 何かを手に入れようとするのなら、待っていてはダメ。遺言で遺産が転がり込んでくるのを他力本願でただ待っているドナティの連中をまんまとはめるスキッキ、やったことは立派な法律違反(公正証書不実記載)なのですが、誰も被害届を出せないという点に着目したところがすごい。見事に財産を手にしたスキッキ、彼は気前よくお金を使うでしょう。お金とアタマは使わないと錆ちまうからなとか何とか言いながら。金は使えばいい、使ってなくなったら稼げばいい、これこそフィレンツェを支えた精神なのです。
 ラウレッタと結婚したいリヌッチオ、伯父さんの遺産をただ待っていた彼ですが、遺言を発見するや、見つけたのは僕だと切り出します。ところが踏ん張りが利かない、叔母さん連中に丸め込まれてしまいます。人が良いのがちょっと心配。
 お父様、お願い、彼と結婚できないならヴェッキオ橋から身投げしちゃうから・・・、甘く父親に迫るラウレッタ、彼女はさすがにこの父親にしてこの娘、相手の弱点を知り抜いており、それを利用することに何のためらいもありません。この手法をパパ以外にも応用できるようになれば将来は有望です。

 さて、ラウレッタとリヌッチオがめでたく結婚した後のフィレンツェ、1348年にはペストが猛威を振るい、市民の3分の1が死んでしまいます。1434年にはリヌッチオがその実力を早くも見抜いていたメディチのコジモが独裁者の地位に就きます。その後を継ぎ冒頭の詩を書いたロレンツォは天才政治家として辣腕を振るいますが、傾いたメディチ銀行を建て直すことができず、1492年に世を去ります。金の切れ目が縁の切れ目、芸術家達はこの花の都から次々と流出していきます。メディチが建てたサンマルコ修道院から、全く新しい反メディチ勢力が生まれます。共和国の敵である独裁者を非難するのではなく、キリストの敵である快楽主義を非難するサヴォナローラです。政治の混乱に神様が乗り出す、この事態に直面し、自信を失っていたフィレンツェ市民は動揺してしまいます。彼らはメディチを追放し、フィレンツェには一種の神権政治が生まれます。そのサヴォナローラは気まぐれな民衆の心を見誤り、自滅します。復活したメディチですが、既に都市国家の時代は終わり、中央集権の巨大国家の時代、時代は量より質から質より量へ変化していきます。アツアツのご両人ですが、その子孫の前途は多難です・・・。

 1299年のフィレンツェ、若い野心に満ちたルネサンスの都の産声が、神の与える幸運を待つのではなく、自分の意志と力で未来を切り開くのだという人間の時代を告げる叫びが、そして、人間の時代だからこその見えない明日への期待と不安の入り交じった声が、確かに聞こえてくるこの作品、原作を書いたのはダンテです。そのダンテもやがてフィレンツェを追われることになります。無数のスキッキたちがひしめき合うフィレンツェ、油断も隙もあったもんじゃない。しかし、この厳しさこそが花の都を支えていたのです。
 
 ラウレッタ、指輪が欲しいなら明日まで待っていてはいけない、今日、今すぐに買いに行きなさい。確かな明日などないのだから・・・。

 軽やかな喜劇ですから、バッソ・ブッフォがおもしろおかしく歌っても十分に楽しめます。しかし、私はどうしてもフィレンツェの運命を一緒に聴きたい。ですから、性格バリトンの声が欲しいのです。1977年のマゼール盤のティト・ゴッビが一押しです。1998年のボローニャ歌劇場の日本公演、ファン・ポンスのスキッキもお見事でした。多くのソプラノが録音している「お父様、お願い」、単独でも楽しめる美しい歌です。イレーネ・コトルバス(マゼール盤)は本当に素直、これ、マジで身投げするかもって感じの真摯な表現の可憐なラウレッタ、これじゃパパもとろけてしまいます。意外ですが、マリア・カラス、あの強靱な声がてんで似合っていないのですが、その表現ときたら、うんうん、そんなに彼が好きか、だったら結婚しなさい、指輪欲しいのか?買って上げるよ、なんならポルタ・ロッサごと買ってやる、聴いたこちらが援助交際オヤジに変身してしまいます。



GO HOME HOME     GO INDEX 作品別インデックスへ