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Leafヴェルディ 「二人のフォスカリ」 (2002年8月4日〜2002年8月28日の日記より)


性悪説の国で

 初めて迎えたヴェネツィアの朝、今でもその時のことをはっきりと思い出せます。寝起きのぼんやりした頭に最初に感じたのは微かな違和感でした。何か変、どこかおかしい・・・。ホテルの部屋の窓を大きく開けて目の前のカナル・グランデ(大運河)を眺めつつ、この違和感は何だろうと考えることしばし、あっ、そうか、車の音がしないんだ!
 この海に浮かんだゲーテ曰く「ビーバーの共和国」には自動車がないのです。車と名の付くものは乳母車と手押し車くらいのもの。アドリア海の最も奥深く、ラグーナ(潟)に無数の杭を打ち込んで築き上げられた「ビーバーの巣」は、117の小さな島を400以上の橋で繋いだモザイクで出来上がっています。船の行き来に便利なように橋は全て太鼓橋、ですから自動車が走ることは不可能。中央をS字型に流れるカナル・グランデを中心として、そこから四方に伸びる150の小運河(リオ)を無数の船が行き来する、この町の道路は水なのです。

 水という非常に強固な「城壁」を巡らせたこの町には、ですから、いわゆる石の城壁がありません。どこもかしこも素通し。カナル・グランデに沿って並ぶたくさんのホテルはかつては貴族の館であったわけですが、どれもこれも無防備にその横っ腹を運河に向かって解放しています。ナポレオンが「ヨーロッパで一番美しいサロン」と呼んだ魅惑の島の優雅な佇まいは今もそのままです。

 干潮・満潮のたびに複雑にその流れを変える浅瀬の海に囲まれたこの町、外からの敵が侵入しようものなら、あっという間に船が座礁して立ち往生してしまいます。水を味方にしている限り、この町の守りは万全です。なるほど、外敵は水で防げるだろう、でも内なる敵はどうする?メディチ家のフィレンツェのように、シモン・ボッカネグラのジェノヴァのように、内乱が勃発したらどうする?城壁を持たない元首の官邸は、議事堂は、裁判所は、あっという間に反乱軍に乗っ取られてしまうでしょう。

 内なる敵から共和国を守る最強の防御策、それは「性悪説」でした。

 ヴェネツィアが「地中海の女王」として最盛期を迎えたルネサンスの時代は、その華やかさと裏腹に実に厳しい変動の時代でした。イタリアの周辺では中央集権化が進み、小さな独立国家の寄せ集めであったイタリアは絶えず大国からの干渉に脅かされました。ミラノ、フィレンツェ、そしてジェノヴァ、ヴェネツィアのライバル国は共和制から独裁制まで目まぐるしくその体制を変え、内乱は年中行事という有り様、その中でヴェネツィアだけが最後まで独立共和制国家として生き延びることができたのは、この国が頑なに信じた「性悪説」のおかげです。

 国会議員の中から元老院議員、軍の司令官、植民地の総督、そして元首と6人の元首補佐官が選任されます。元老院はさらにその中から10人を選んで「十人委員会」を構成します。これに元首と元首補佐官を加えた17人が中央政府に相当するでしょうか。これに対して国会から選ばれた40人の「四十人委員会」は総理府を構成し、ここから各地区の長が選出され地方を統括します。元首は一人ですが、それ以外の役職は全て複数人で構成される合議制、その元首すら元首補佐官の承認がなければ国会の招集すらできませんでした。この複雑な構造によって一人の人間に権力が集中することを徹底的に排除する、人間、権力を握ると必ずろくでもないことを始める、だから最初からそれを阻止する、これがヴェネツィアの共和制です。
 そして、この時代のもう一つの厄介な権力はローマ教会です。ローマ教会は、法王、枢機卿、大司教、司教、司祭と垂直構造の「君主制」です。おまけに神様関係は専売にしていますし、10分の1税と寄進という独自の集金組織を持っています。この教会の介入を如何に阻止するか?ヴェネツィアはサンマルコ寺院を元首の個人的な礼拝堂と定義してローマから切り離し、法王の任命した司教には潟の内側に住むことすら許可しませんでした。そして、親族の中から法王が出た一族は全て公職に就くことを禁止し、ローマの影響を見事に排除します。別に信仰の自由を信じていたからではありません。異教徒だって商売相手、金を払ってくれるなら何を拝むのもご自由に、これがモットーの商売人の国ヴェネツィア、石頭のローマ教会は商売の邪魔だったから排除したまでです。

 こんな体制では内乱の起こしようがありません。クーデターを企てたとして、いったい誰を殺せば、どこを占領すればいいのでしょう?元首を暗殺して官邸を乗っ取ったとしても、十人委員会も四十人委員会も総理府も軍も健在です。その上、終身制の元首と国会議員以外の役職は全てその任期は6ヶ月から1年、さらに休職期間を経ないと再選不可、こうコロコロと変わられては買収すらままならない。そして、公務員の収賄に対してはヴェネツィアは死刑をもって臨みました(今の日本にこれを適用したらエライことになります)。

 人間のやることを徹底的に疑う、人間、放っておくと必ず悪いことをやる、悪いことが起きてから後悔するくらいなら、人間の本質を悪と決めてかかってタガをはめておく方が利口だろう、この「ビーバーの共和国」の基本方針は性悪説の上に成り立っていたのです。

 さて、このオペラのタイトル「二人のフォスカリ」とは、1423年から1457年まで元首の地位にあったフランチェスコ・フォスカリとその息子ヤコポ、どちらも実在した人物です。突出した人物を敬遠するヴェネツィアにおいて、この父フォスカリは異色の元首でした。ともかく気が強かった。地中海貿易で富を蓄えた経済大国ヴェネツィアは政治的にも軍事的にも大国であるべし、こう信じていた彼は、問題解決において官僚主導の政治よりも軍事を押し出す強気の姿勢で人気を集めますが、やがてヴェネツィア人の遺伝子に組み込まれた性悪説がその強気を警戒し始めます。1446年には「元首は補佐官の同席なしには誰とも接見できない」という法律を成立させ、その独走に歯止めをかけ、ついに1457年、廃位を言い渡します。

 優雅な水の都、様々な人種が行き交うエキゾチックな交差点、溢れる富があらゆる文化を花と咲かせ、信仰と出版の自由を謳歌し、高度な政治力と情報収集力によって固く守られた妖艶な地中海の女王、ヴェネツィア・・・。そのたおやかな姿は裏から見れば人間の本質を見据えた上での性悪説の国、そう、美女が美女であり続けるその裏には、絶え間ない戦いが存在するのです。



第一幕 表と裏

 さて、史実はどうであったのか?1423年の国会での元首選出選挙、ライバルであるピエトロ・ロレダーノを抑えて元首の地位に就いた父フォスカリですが、気の強い彼は政敵ロレダーノを議会の場で公然と非難します。その直後にピエトロとその弟が急死、毒殺の噂が流れます。ピエトロの息子ヤコポ・ロレダーノは父と叔父の死をフォスカリの仕業と信じて復讐を誓います。
 そして、1450年、今度は十人委員会の議長ドナートが暗殺されます。彼はフォスカリの息子ヤコポ・フォスカリを収賄容疑で海外追放した張本人、そのヤコポがこっそりとヴェネツィアに帰っていたという目撃証言から、彼が第一容疑者として逮捕されます。拷問を受けても自白しなかったヤコポですが状況証拠から有罪の判決、彼はカンディアに流刑になります。
 何度赦免を願っても無視されるヤコポ、とうとう彼はミラノのフランチェスコ・スフォルツァに共和国政府への口添えを頼みます。ところがこの手紙が十人委員会の手に渡ってしまった。あの元首の倅、今度は外国勢力を引き入れる気か?外部からの干渉を何よりも嫌うヴェネツィアは再度ヤコポを連行。祖国に帰りたかっただけだ!再びの拷問にもガンとして陰謀を否定するヤコポですが、事ここに至っては元首である父にも、過去に何人もの元首を出した名門コンタリーニ家の出身であるヤコポの妻ルクレツィアにも打つ手はありません。今度は赦免なしの終身流刑の判決。
 ある貴族の遺した遺言状が公開されます、ドナートを殺したのは私だ。これで少なくともドナート殺しの容疑は晴れたヤコポですが、望郷の念に苛まれた彼はその知らせを聞く前に流刑の地で一人息を引き取ります。
 息子に先立たれた父フォスカリ、失意と孤独に沈む彼、強気の政治姿勢が災いし、支持者達も一人また一人彼を見放していきました。1457年、ヤコポ・ロレダーノは念願の十人委員会に選出されます。彼はフォスカリに廃位を宣告します。終身制の元首が生きているうちにその地位を退く、その屈辱は80歳を超えた老人フォスカリを打ちのめします。
 1457年10月31日、新元首選出を祝う鐘の音が響いた時、絶望と怒りが彼の命を奪います。ヤコポ・ロレダーノは自分の帳簿にこう書き記します、「フォスカリ、債務を返済」・・・。

 短いながらも濃密な前奏曲で物語は始まります。

 第一場、バルコニーの向こうに運河の広がる元首の官邸、十人委員会のメンバーが静かに集まります。これから元首の息子の犯罪がこの場で裁かれるのです。「静寂、神秘、力・・・、サンマルコの獅子の目が注がれる」「力と知、栄光と勇気、静寂と神秘がヴェネツィアを永遠のものとする」、元首フォスカリを父の仇と信じるロレダーノが腹心のバルバリーゴと共に登場。「元首は?」「既に入られた、至って平静な様子で」、「では、始めようか、正義が待っている」

 元首フォスカリの息子ヤコポが牢獄から引き出されます。「生まれ故郷のそよ風よ」、海の女王、私のヴェネツィア、遠い流刑の地でずっと貴女を思っていました・・・。裁判の開始が告げられます。「慈悲と寛容を期待するがいい」、慈悲?寛容?この嘘つきめ!奴らにあるのは憎しみだけだ、フォスカリの名だけで奴らには十分なんだ!

 第二場、フォスカリ邸の広間、召使い達が止めるのも聞かずヤコポの妻ルクレツィアが走り込んでいます。「お止め、放しなさい!」あの方に会います!元首となる前は父親だったお方、私の声を聞いて下さるわ、私が求めるのはただ公正な裁きだけ。侍女ピザーナが泣きながら登場、何の知らせ?ヤコポ様は再度流刑の判決を、十人委員会は寛大な措置だと・・・。寛大?まだ不正をやり足りないと見える、天が見ておられるわ・・・、きっと天が・・・。

 第三場、再び元首官邸、裁判を終えた十人委員会のメンバーが会議室から出てきます、「罪人は口を割らなかった」、だがミラノに宛てた手紙がある、流刑の地へ一人で戻れ、世間に知らせよう、サンマルコの獅子は誰であれ裏切り者を逃がしはせぬと。

 第四場、元首の執務室。フォスカリがその身体を椅子に投げ出します。「やっと一人になれた」、私は元首、そして惨めな父だ。苦しむ息子を見ながら何もしてやれない。私の目は涙を忘れてしまった・・・。
 お義父様!ルクレツィアが走り込んできます。娘よ、泣いているのか?泣く他に何ができます?あの冷酷な連中を前にして!国家の法は重たいものなのだ。法?今では憎悪と復讐が法の代わりです。お義父様も彼らと同じ、涙も見せずに息子に罪を宣告された。夫をお返し下さい!
 誰よりも傷ついている父が分からないのか?息子の自由のためなら全てを捨てよう。だが、手紙がある。ヴェネツィアを見たい一心で書いたもの、そしてなくしてしまったもの、それが罪ですか?そう、それが罪なのだ。ではせめて私と一緒に彼のために嘆願して下さい!私の涙とお義父様の白髪で彼を救うの、あなたは父でしょう?
 フォスカリの目から涙がこぼれます。元首であるが故に我が子を守ることすら出来ない・・・、泣いておられるの?希望があるのですね?

 このオペラの原作を書いたのはバイロンです。バイロンの時代、ヴェネツィアはとっくに大国ではなくなっており、過去の遺産である観光資源で悠々自適の「余生」という状況でした。しかし、情熱の人バイロンは、華やかな歴史の裏側の冷たい官僚国家ヴェネツィアの本質を見抜いていました。そして、ヴェルディも・・・。

 バイロンの原作はおよそオペラ向きではありません。華麗な言葉の名人芸は堪能できますが、そもそもドラマがない。これをオペラに書き直した台本担当のフランチェスコ・マリーア・ピアーヴェ、そしてヴェルディの悪戦苦闘ぶりは、コロコロと場面の入れ替わる第一幕から十分に伝わってきます。それでもヴェルディは史実に忠実であろうと頑張りました。フェニーチェ劇場から、ヴェネツィアでこんなん上演できるわけないっしょ!とスコアを突っ返されてもなお、頑張りました。史実をドラマに沿わせてはならない、ドラマが史実に沿うべきなのだ、彼の鋭い歴史感覚がそうさせたのでしょう。

 物事には表と裏があります。土地も資源もないヴェネツィアが地中海の女王であるためには、冷徹な国家運営が要求されました。商売人の国ヴェネツィアから見れば、イタリア半島に色気たっぷりのフランスもスペインも、キリストの説く寛容なんて欠片もないローマ教会も異教徒の国トルコも、右も左も全部お客様。偽善者と言われようがキリストの敵と言われようが、どこのご機嫌を損ねても商売に差し障る。そしてお客様同士のいざこざも困ります。マーケットが縮小するし流通経路が寸断されるからです。この曲芸じみた政治の現実の前にあっては、甘い理想など何の意味も持ちません。現実、現実を生きよ、たとえそれがどれほど醜くとも。

 この幕では表と裏が端的に表現されます。しかし、ギリギリのところまでそれを見据えているのはフォスカリだけです。ヤコポは自分を断罪する裁判の裏に復讐があることを知りながら、私のヴェネツィア!と甘く歌います。彼にとって美しい祖国とその政府は別物らしい。ルクレツィアは名門貴族の出でありながら政治が分かっていません。フォスカリの父性愛に訴えれば法も覆ると思い込んでいる。この夫婦は政治の現実が全く見えていません。だから、こんなことになっちゃったんだけど。
 それに対して目の前で拷問を受ける息子を見ながら何もできない元首フォスカリ、彼が素顔の自分になれるのは一人でいる時だけです。平然と裁判を見守り、息子を見殺しにした父は、「やっと一人になれた」とその心中を吐き出すのですが、嫁であるルクレツィアの前ですら元首としての表の顔を捨てません。そんな彼の目から溢れ出た涙、ルクレツィアはそれを父の涙だと希望を託します。それは父の涙ではない、引き裂かれてなお表の顔を通さなければならない孤独な権力者の涙なのに。



第二幕 誇りか、愛か


 地下の薄暗い牢獄、冷たい石の上、ヤコポがぐったりとしています。ヴィオラとチェロが奏でる素っ気ない旋律は、ヤコポの苦しみを端的に描き出します。「ここを支配する無窮の夜よ」、隠してくれ、惨い結末を、彼らの復讐を・・・。あれは?切り落とされた自分の首を持ったおぞましい姿、カルマニョーラ!ヤコポが見ているのはこの牢獄の先住者、反逆罪で処刑されたかつての英雄の亡霊です。「勇者よ、呪わないでくれ」、恐怖の頂点で気絶するヤコポ。

 ルクレツィアが登場します。あなた?倒れている・・・、まさか暗殺?思わず夫を抱きしめる彼女、よかった、息をしているわ、なんて冷たい汗・・・、私が分かる?まさか・・・ルクレツィア!何をしにここへ?首切り役人が待っているのか?最後の別れを言いに来たのか?「いいえ、あなたは死にません」、死よりももっと恐ろしいことが、あなたは再び流刑地へ、私たちは引き裂かれたまま果てるのかしら。
 運河から陽気な歌が聞こえてきます。あれは何だ?カーニバルです、船頭たちがゴンドラ競争に興じているのでしょう。笑っている・・・、私は死ぬというのに。家族と故郷を奪われて、でも希望が捨てられない。まだ君の愛がある・・・。

 マントに身体を隠してフォスカリが現れます。息子よ!父上!父の涙を信じてくれ、愛しているとも、我が子、ここでは私は元首ではない。身を寄せ合って親子が歌う三重唱「父上の腕に抱かれると」、どんな悲しみも忘れます。永遠の正義がある、息子よ、いつか父とその正義の前へ出ていこう。
 すがりつくヤコポの体温を愛おしみながらフォスカリはそっと立ち上がります、行かなくてはならない・・・。父上、また会えますか?会える、だが、その時の私は元首だ・・・。

 ロレダーノが十人委員会と共に登場します。罪人よ、お前をクレタ島へ送る船が出る、行け!なるほど、伝令役がお前には似つかわしい、息子に与えられた屈辱に皮肉でやり返すフォスカリ、口に気をつけられよと睨み返すロレダーノ。火花を散らす二人の前でお互いを抱きしめるヤコポとルクレツィアが叫びます、「あぁ、どうか」お前の最後が私ゆえに苦しみに満ちたものであるように、この人でなし!宿敵ロレダーノの前でフォスカリは必死で表の顔を貫きます、「この国では正義は躊躇しない」。そうとも、元首とて何もできない、ついに復讐の時が来た、「この国では正義は躊躇しない」!

 予定が遅れているぞ!と十人委員会が急かします。ドナートを殺したフォスカリよ、他国の君主に与したフォスカリよ、ヴェネツィアは復讐を忘れない。
 「諸君」、正義には正義の法がある、私はその尊厳を守らねばならぬ・・・、既に父はなく、そこに立っているのは元首です。勝ち誇ったロレダーノがヤコポに判決文を突き付けます、命だけは助けてやる、十人委員会の慈悲だ。父上、なぜ黙っておられる?私は無実です!委員会に恩赦を願って下さい!もはやヤコポには誇りも意地もありません。そんな息子を突き放す父、いえ、元首フォスカリ、天国で会おう、この地上ではもう会えぬ・・・。
 ルクレツィアが二人の子供を連れて来ます、もう破れかぶれの哀願です。ヤコポにすがる幼い子供達にさしもの十人委員会の面々もしんみり。
 父上、あなたの孫が涙して願います!私も一緒にひれ伏します!ですから、お慈悲を!泣き崩れるヤコポ。委員会の皆様、その胸に愛をお持ちでしたら、どうかお慈悲を!誰彼なく懇願するルクレツィア。ロレダーノの腹心バルバリーゴさえ心が揺れます。しかし、ロレダーノはこの日こそを待っていたのです。血を流す心を押し隠してただ立ちつくす元首の前でロレダーノが勝ち鬨を上げます、罪人は出て行け!

 父上、子供達を頼みます。私はまもなく土に帰るでしょう・・・、衛兵達に引き立てられるヤコポ、二度と会えない息子を渇いた瞳で見送る元首フォスカリ、そして崩れ落ちるルクレツィア。

 高度な政治的駆け引きを繰り広げるフォスカリとロレダーノ。バリトンとバスの熟した声がその静かな決闘を描きます。ロレダーノは復讐の鬼ではありますが、決して計算を忘れません。十人委員会の議長であるドナート殺害の容疑、そして元首の息子でありながら軽率にもミラノに援助を請うた手紙、命だけは助けてやる、これは慈悲だ、彼の言葉はその通り、正しいのです。普通ならヤコポは当然に死刑なのですから。
 ロレダーノの「慈悲」がフォスカリを苦しめます。元首である父は、政敵の突き付ける判決文を非難することができない、どこにも隙がないのです。それと同時にフォスカリはロレダーノの底知れぬ悪意も知っています。息子を処刑すれば父は手負いの獅子となる、生きながらにその間を裂くことでフォスカリの首を真綿でもってジワジワと締め上げる計算なのです。

 こんな二人の「政治家」の前で何とも幼いヤコポとルクレツィアはただただ涙に暮れるばかり。子供まで連れ出して必死に懇願します。ヤコポには家族と故郷への愛はあっても、元首の息子としての誇りが既にありません。敵の目的が復讐である場合、苦しむ姿を見せた時点で負けなのです。苦しむほど、泣き叫ぶほど、相手は喜ぶ。たとえ心が張り裂けようと平静を装うことができれば、復讐は不発に終わります。しかし、ヤコポとルクレツィアにはフォスカリにはあるその強さがない。彼らの泣き声はロレダーノにとっては快感でしかありません。

 泣き崩れる息子を前にしたフォスカリの孤独・・・、父上、お慈悲を!たとえ我が子とは言え法を曲げることはできない、それをやれば冷徹なヴェネツィアは元首と言えども容赦しません。ロレダーノはそれこそを狙っているのです。ヤコポとルクレツィアの声がロレダーノの声以上にフォスカリを苛みます。ここで涙を流せばロレダーノは自分の与えた傷に小躍りして喜ぶだろう、だから父は泣かない・・・。ここでお前を助ければ共和国はフォスカリの一族を裏切り者と呼ぶだろう、だから父はお前を捨てる・・・。
 息子への愛を捨てて父は誇りを守ろうとします。元首の一族としての誇りを捨てて息子は愛を守ろうとします。ここで対立しているのは、実は父と子なのです。

 素っ気ない前奏曲で始まったこの幕は、ヤコポのドラマティックな独唱、ルクレツィアとの甘い二重唱、フォスカリが加わったつかの間の家族愛の三重唱、そしてロレダーノが登場し、フォスカリとロレダーノの「政治」の前に呆気なく押し潰されるヤコポとルクレツィアの「希望」・・・、次々と重なり合う声が大きなうねりを形成します。しかし、終始伴奏を務めるのは、必死で平静を装い、息子を、嫁を捨てて見せることで、ロレダーノに苦しむ自分を見る快感を与えまいと一人立ちつくすフォスカリの孤独です。誇りか、愛か・・・、誇りを選んだ父、捨てられた愛はじっと待っています、復讐の時を・・・。


第三幕 「父」は「元首」に復讐する

 第一場、サンマルコ広場を染める夕陽、人々がカーニバルの余興に酔いしれて歌います、「楽しもう!」ヴェネツィアは海の女王、そして愛の微笑み、月が夜を銀色に染めて、太陽が落ちたとて、楽しもう!カーニバルの仮面で顔を覆ったロレダーノとバルバリーゴが登場。皆楽しんでいるな、そうとも、連中には元首がフォスカリであろうと誰であろうと関係ないのさ、民衆の本質を冷たく見据えるロレダーノ。「風は凪ぎ、海は穏やか」、船頭よ、勝者となってあの娘のところへ帰りな!ゴンドラ競争に興じる人々の前に厳めしい大法官、そしてサンマルコの獅子を掲げたガレー船が姿を現し、ゴンドラは慌てて走り去ります。臆病な群衆が引いていく様を冷たく見つめるロレダーノ。

 ヤコポが衛兵に連れられて登場、傍らにはまだ諦めきれないルクレツィアの姿が。私ゆえに不幸な女よ、まもなく海が私たちを引き裂く、いっそ船を引きずり込んでひと思いに死なせてくれれば・・・。それでは子供達は、お義父様は、私はどうなるのです?「不幸な老人には」慰めを与えておくれ、子供達には強い心を。君はコンタリーニの娘でフォスカリの嫁だ、泣いてはいけない、君が泣けば誰かが喜ぶ。

 大法官殿、いつまで出立を延ばされる?時間ですぞ!と辺りを威圧する声。誰?私だ・・・、仮面を外してロレダーノがヤコポとルクレツィアを睨み付けます。何てヤツ、私たちの苦しみをそれほど見たいか?
 いつか天国で・・・、いえ、生きて下さい、辛くとも、私たちの愛のために!この世での最後の抱擁に涙する二人の声にロレダーノの歓喜の声が覆い被さります、苦しめ、待ち望んだ復讐が果たされる!そして、ヤコポは衛兵に囲まれて船へ。

 第二場、官邸のバルコニーからじっと海を見つめるフォスカリ。「息子が出ていく」、私は息子を救えなかった、たった一人残された我が子を永遠に連れ去られ、それでも私は生きている・・・。元首の印である被り物を頭から脱ぎ捨てて、こんな重たい物!人生の最後になってたった一人の老人に何の意味がある。
 バルバリーゴが手紙を手に走り込んで来ます。エリッツォの遺言状です、ドナートを殺したのは自分だと!天よ!私に息子を返して下さるのですね!

 青ざめたルクレツィアが登場します。いいえ、お義父様、もうあなたに息子はおりません・・・。何だって?「あの方はもう生きてはいない!」、祖国ヴェネツィアの優美な姿が遠ざかる中、船上のヤコポは息を引き取りました。フォスカリ一族の悲しみに勝る復讐を!彼が待っています、流した涙と同じほどの血を!恐ろしい言葉をフォスカリに投げつけて退場するルクレツィア。
 茫然自失のフォスカリの元に十人委員会が登場します。再び元首の印を頭上に載せて威厳を保とうとするフォスカリ。ロレダーノの口から委員会の決定が告げられます。あなたの老齢とお苦しみに対して国家から感謝を込めて申し上げる、元首の地位から身を引いて頂こう!何を言っている?さぁ、その元首の指輪を委員会に返して頂こうか。私からこれを奪うことはできない!私は元首として死ぬのだ!フォスカリを倒すことは誰にもできぬ!
 諦めなさい、さもないと無理矢理ということになる、十人委員会の声に必死で抗うフォスカリ。「これが非道な報いなのか?」、この国を守り、強大にし、無実の息子を犠牲にした報いなのか?最後にはこの胸から名誉まで奪うのか?
 家族と平安を楽しまれよ。家族と?ならば息子を返せ!死んだ息子を返せ!誰か、息子の嫁を呼んでくれ・・・。くれてやる、指輪を抜き取るフォスカリ、頭上の被り物にロレダーノが手を伸ばします。私に触れるな!自分で脱ぐ・・・。事態を知らされたルクレツィアが走り寄ります。お義父様、国を統べる方・・・、いや、今はそうではない、おいで、一緒にここを出ていこう・・・。サンマルコの鐘が響きわたります。聞くがいい、フォスカリの後継者マリピエーロに人々が喝采を上げている!
 もう私には息子も元首の座もない、死をもたらすあの鐘の音だけ・・・。あの鐘の音が復讐を告げる、何と甘い響き!勝ち誇るロレダーノの前でフォスカリが突然倒れます。息子よ・・・。
 亡くなった・・・、ロレダーノが手帳に書き記します、フォスカリ、ここに債務を清算する。


 カーニバルに興じる民衆を冷たく見つめるロレダーノ、彼は彼らの本質を知っています。日々の暮らしがそこそこに安定し、たまの息抜きがあれば、元首など誰でもいい、政治になど関心はないのだと。ロレダーノのフォスカリ追放の陰謀は自分の復讐のため、ここで民衆がフォスカリ!と叫べばいかに彼でも手の打ちようがない。民衆が政治に無関心でいてくれるからこそ、彼が政治に利己を織り込む余地が生じます。移り気で享楽的で無関心、これこそがいつの世でも為政者が民衆に求める「理想像」です。当時としては異例の成功を収めた「共和国」ヴェネツィアですが、その根本は「性悪説」、民衆の英知だの理性だのを信じるほどおめでたくはありません。そんなものを当てにしていては生き延びられない時代だったのです。「やつらには勇気などないのだ」、ロレダーノの言葉は冷酷な政治の現実を端的に言い当てています。

 いっそ死なせてくれ、祖国と家族から引き離される悲しみに死を願うヤコポ。生殺しの流刑よりもいっそ瞬時の死を、そうすれば彼らの憎悪も私の願いも共に叶う・・・。ヤコポは奇妙なことにロレダーノの復讐の成就を口にします。共和国を代表する「政治家」である父に捨てられたヤコポは、ここに至って初めて現実を認めます、「貴女を愛する乙女と見立て」「誰にも増して忠実であった」地中海の女王である祖国の現実を。彼の愛したヴェネツィアは彼の心の中にしかなかったのです。彼を殺したもの、それは政治の前にはあまりに無力な愛の現実、そして彼から「父」を奪った「元首」フォスカリその人だったのです。

 夫を見殺しにした義父を許せないルクレツィア、あなたの息子はもうおりません、だってあなたが殺したのよ。「彼が待っています、流した涙と同じほどの血を!」、あなたは涙を流さなかった、ならば敵の血を流しなさい。それが父ではなく元首であるあなたには相応しい、あなたは愛には値しないのよ。フォスカリは息子と同時に嫁を失ってしまいます。

 重すぎる・・・、一度は頭から下ろした元首の印を十人委員会の前で再び頭上に戴くフォスカリ、彼はあくまでも元首であろうとします。当然です。そのために息子を、家族を失ったのですから。そんな彼に退位を宣告するロレダーノ。長年の「功績」への「感謝」を込めて、家族と平安を楽しまれよと宣言する十人委員会、フォスカリが家族を捨てたのは元首の座のため、彼にとってはそれこそが第一なのです。それを奪っておいて、冷たい息子の骸を返すというのか?
 「ならば息子を返せ!」、元首である間は一度も口にしなかった言葉を、元首の座を奪われて初めて叫ぶフォスカリ、息子を返せ!その言葉を何よりも聞きたかったヤコポがそれを聞くことはありません。そしてルクレツィアもその場におりません。彼が初めて公然と口にした「父の言葉」を聞くのはロレダーノと十人委員会、彼の敵だけなのです。待ちきれず彼の頭上に手を伸ばすロレダーノ、権力は空白を嫌います。フォスカリのいない共和国は既に何ごともなかったかのように動き始めているのです。

 「ここに債務を清算する」、フォスカリが清算した債務、それは権力の座の虜になった「元首」が、忘れていた愛情豊かな「父」に対して負っていたものだったのかも知れません。


ヴェルディ、ただいま脱皮中

 この作品は1844年のものです。前年に「ナブッコ」で大成功を収めたヴェルディ、売れっ子になった彼のもとへフェニーチェ劇場から依頼が入ります。よっしゃー!と取りかかったのがこの作品、ヴェネツィアが「悪者」です・・・。これが通ると思ったんですか?まだまだお若いですね、ヴェルディさん。
 この作品は当然にフェニーチェから蹴飛ばされ、かの水の都の優雅な劇場を満たした旋律は「エルナーニ」でした。しかし、ヴェルディはフォスカリを諦め切れませんでした。ドラマのないバイロンの原作に何とかドラマを織り込もうと悪戦苦闘、ローマでの初日を迎えます。観客の受けはそこそこ良くて、その後あちこちで上演されることになります。その理由は、残念ながら傑作だったからではありません。上演時間が短くて(約100分)旋律が単純なせいで、何かの時の「穴埋め」作品として便利だったから・・・です。その短い上演時間がその後災いします。バレエを取り入れたグランド・オペラが主流となるにつれ、100分ではお客がぶーたれるようになってしまい(せっかく楽しみに来たのにもう終わりかよー)、「二人のフォスカリ」は静かに忘れられていきました。

 用意して頂くもの、それは「ナブッコ」と「リゴレット」、そしてこの「フォスカリ」のCDです。時間がたっぷりある時に順番に聴いてみて下さい。
 最初は「ナブッコ」、荒々しく書き込みすぎのオーケストラ、破天荒なストーリー、えぇ!って事態が発生する度にどかーんと響く和音、壮大な合唱・・・、派手です、そして過剰です。
 次が「リゴレット」、緊張感を最後まで失わないオーケストラ、ストーリーを押し進めるのは精緻に編み上げられた数々の重唱、愛と憎悪が表裏一体となって、運命に翻弄される人間たちを鮮やかに立体的に描き出します。

 さて、最後はこの「二人のフォスカリ」、問題山積みです。なぜロレダーノが復讐の鬼になったのかが全然分からず(実に不親切な台本です)、その彼は第二幕の牢獄で復讐を遂げた喜びを歌った上、第三幕では仮面を付けて再び登場、またまた、ざまぁみろとしつこく歌います。あまりにしつこいんで、父と叔父を殺された彼に全然同情できません。元首官邸の地下牢に、元老院議員でもなければ十人委員会でもない「専業主婦」が子供連れて乗り込んできます(誰か止めるだろう、普通は)。

 フォスカリ以外の人物造形が単純すぎます。ヤコポは最初から最後まで「僕は無実です」とメソメソ、ルクレツィアはずっと無駄に怒っています。舅に嫌みを言うヒマがあったら、十人委員会の買収くらいやってのければ良いのに。ロレダーノは終始陰険な復讐鬼であり、最後にはヤコポが無実であった事実を教えて貰えません。彼は見当違いの仇討ちをやってしまったわけですが、フォスカリもルクレツィアもなぜかこの事実をロレダーノに言いません。何で?これが一番「効く」ヤコポの復讐だと思うのですが。

 余計なものは要らないと刈り込みすぎた結果、あっさりとしたオーケストラでわずか100分の旋律が出来上がりました。歴史ドラマにフィクションは要らないと史実に忠実でありすぎた結果、人物に膨らみの足りない作品が出来上がりました。ヴェルディ、ただいま脱皮中・・・なのです。伝統的な型に溢れる情熱を何とか詰め込もうと努力し続けたヴェルディですが、彼の表現は型には収まり切りません。彼は、型を壊せばどんな複雑なドラマだっていくらでも入るんだ!という発見に至るその途上にあったのです。人物に振られたテーマがオケによってシンプルに奏でられ、ストレッタとアリアは最低限しか登場しません。そのギリギリの「節約」ぶりにも関わらず、全体を通せば「悲劇」が伝わって来る、ヴェルディの変化を窺い知ることのできる作品です。

 この作品はヴェルディにとって早すぎたのだと思います。陰謀、復讐、父と子の、権力と愛の対立、後の彼にとってお得意の材料がありながら、それを手際よく料理することができなかった。円熟したヴェルディがこの作品を手がけたとしたら・・・。

 ヤコポは十人委員会以上に父を恨みます。我が子を救えない父を呪います。当然、第二幕の牢獄では父を冷たく拒絶します。親子は背を向けたままで歌います。「これが父だと?いや断じて父ではない、今の私には愛するヴェネツィアよ、母なるあなたしかないのです」「息子を救えるか?いやできない。息子を失うか元首の座を失うか、天よ私をお許し下さい。私はフォスカリ、元首なのです」の二重唱が欲しい。
 ルクレツィアは子連れで哀願するなんて今時乞食もやらないようなことはしない。彼女は名門の出なのです。彼女はバルバリーゴを買収します。なんなら「女の武器」を使ってもいい。そして夫の無実の証拠を探させるのです。「あなた、私はあなたのためにこの手を泥にも血にも染めて見せます!そしてあなたを救います!神よ、お許し下さい」のアリアが欲しい。
 しかし、時間は無情に流れていきます。船へ引き立てられるヤコポは最後の最後になって父に子供達を託します。「あの世で見守る私の腕となって、この子らを守って下さい。息子には下さらなかった愛でこの子らを包んで下さい」、しかし、フォスカリはその場にはいない・・・。父と子は結局和解できないのです。
 一人バルコニーから船を見送るフォスカリ、「息子よ、いつか父と一緒に正義の前に立とう」、遠ざかる船影に一人呟く老いた父、このセリフは第二幕の牢獄のシーンよりもこの場の方が効果的でしょう。
 そして、ラスト、退位を迫るロレダーノとフォスカリの激しい対立の旋律、ここでバルバリーゴを伴ってルクレツィアが登場します。「夫は無実でした、そして夫は死にました・・・。サンマルコの獅子を体現するお二方、これでご満足ですか?」、激しいルクレツィアの言葉。「天よ、息子を救えなかった父への、これが報いでしょうか?冷酷な父はここに債務をお返し致します」と息絶えるフォスカリ。呆然とするロレダーノの耳に新元首誕生を祝うサンマルコの鐘の音が突き刺さります。「何を祝う?何を喜ぶ?臆病者共、黙れ!黙らないか・・・、天よ、私に与えられたこの債務は重すぎて到底負うことができません」、自分のやったことの結末に絶望し立ちつくすロレダーノ。広場から明るい民衆の合唱が響きます、「サンマルコの獅子は永遠に!地中海の女王は永遠に!」

 うーん、書いているうちにこれを猛烈に聴きたくなってきました。困った・・・。

 さて、録音ですが数が少ないです。1976年のガルデッリ盤、フォスカリをカップッチッリ、ヤコポをカレーラス、ルクレツィアをリチャレッリ、ロレダーノをレイミー。この手の性格描写はお得意のカップッチッリ、ヴェルディ・バリトンの本領発揮、ラストの「息子を返せ!」の表現は思わず涙する出来です。若きカレーラスのメソメソぶりも決まっています。
 1988年のガヴァッツェーニ盤、ブルゾンのフォスカリは余裕たっぷりで聴かせてくれるのですが、クピートのヤコポがちょっと一本調子で辛いです・・・。



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