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Leafヴェルディ 「群盗」 (2010年5月10日〜2010年8月10日の日記より)


コッテリ、ギトギトの物語

 精神的にも肉体的にもメタボリック・シンドロームにはまだ程遠い若者というのは、精神的にも肉体的にも「揚げ物」が好きなんであります。中でも彼らが好むのは「ミックスフライ」でしょう。トンカツだけじゃ飽きが来る、エビフライだけじゃ物足りない、ホタテフライも一個くらいいきたい、メンチカツ、大好き!エビは焼いてもいいんじゃないの?ホタテは刺身って手もありますよ、なんてこと、彼らは考えないのです。ぜーんぶコッテリと揚げてこんもりと盛りつける、これぞミックスフライの醍醐味です。

 そこいらにあるもの全部脂で揚げりゃいーの、脂ぎっていればいるほど美味いの、コレステロールも中性脂肪もどーでもいいの、そんな方々にお勧めしたいのがこちら、ミックスフライ・オペラとも言うべきヴェルディの「群盗」です。原作は、シラー18歳の処女作である同名の戯曲ですが、どこがどうコッテリギトギトかと申しますと、まず、シラーの「群盗」には、何とシェイクスピアの四大悲劇が全て盛り込まれているのです。

 父の後継者としての地位を約束されているのは全てに秀でた兄、その地位を奪うのに暴力と嘘以外の手段を知らない弟、これは「リア王」。領地を逃れて乞食に身をやつしたグロスター伯爵の嫡男エドガー、父である伯爵を破滅させるために裏切り者の汚名を被せる私生児エドマンド、エドガーはエドマンドに勝利しますが、時既に遅し、王の娘は暗殺され、王も狂気の中に命を落とします。

 嫉妬とは実によく効く毒薬、その毒は盛られた相手を破滅させるだけでなく、盛った己をも侵していく、これは「オセロー」。自分を副官に任命しなかった司令官オセローへの復讐のために、同僚キャッシオを利用してオセローの心に嫉妬の種を蒔き、丹念に育て上げていくイヤーゴ。やがて嫉妬は、全てを滅ぼすまでに成長していくのです、種を蒔いた本人をも当然のように呑み込みつつ。

 何故生きる?何を求めて、何を目指して?正しき後継者としてのアイデンティティを奪われた王子の自問自答、これは「ハムレット」。父を殺した叔父への復讐のために、己を偽り狂気を装うハムレットは、何故生きるのかを問い続ける偽装を突き抜けて、愛する女、忠実な友の命を代償に、死ぬ運命に向かって必死に生きる他ない人間の真実の在り方を暴き出してしまうのです。

 この世のものならぬ魔に唆されてその手を血に染め、気付けば周囲には敵しかいない、自分すら信じられなくなった男の断末魔、これは「マクベス」。野心が魅せる幻に心を奪われて、良心を、名誉を、安らぎを捨て、ようやくたどり着いた権力の頂点で人が見るもの、それは暗闇にぽっかりと口を開け、ただただ落ちていく自分を待ち受けている永遠の虚無。

 もうここまででお腹一杯、太田胃散用意してと言いたいところですが、この「ミックスフライ」のボリューム感の元の元、それはあの有り難き聖書に登場する兄弟間の争いなのです。

 旧約聖書の世界での人類最初の殺人事件、それはカインとアベルの兄弟間の殺人です。何故にかの世界では兄弟で殺し合うのか?こんなこと私が考えたって分かるわけないのですが、彼らの宗教が一神教であることが一つの重要な要素であろうことは想像できます。
 唯一絶対の神に倣う世界では、父の後継者はただ一人でなければなりません。兄と弟はどうやったって争わない訳にはいかないのです。そして、一度争いが始まってしまえば勝たねばなりません。かの世界においては、「負けたけどよく頑張った」とか「勝負に勝って試合に負けた」とか、「汚い勝利」とか「潔い敗北」とか、そんなもんありゃしないのです。
 先に生まれた方が自動的に跡継ぎという年功序列の制度は、兄弟間の果てしない争いに歯止めを掛けるために人が創造した「人のルール」であって、唯一絶対の神にはそもそもルールなどないのです。そして、人のルールが正しく稼働しない時、そこにルールなき争いが生まれます。
 八百万の神々を戴く我々の世界では、争わない人間を「偉い」とか「人間が出来ている」とか言いますが、唯一絶対の神を戴くかの世界では、ンなもんタダの負け犬なのです。それは砂漠で生まれた厳しい裁きの神が、イエスという大工の倅によって愛の神に変貌する以前の荒々しい本来の姿。
 その歴史をちょこっと紐解けば・・・。

 一人子を授けてやったアブラハムに、その一人子イサクを生贄に捧げよとメチャクチャなことを命じる神様、どこまでもその神に忠実なアブラハムの振り上げたナイフがイサクの胸を貫こうという瞬間、さすがにやりすぎたと思ったのでしょうか、神様は、天使を遣わしてアブラハムの手を止めるのです。
 その父に殺されかけたイサクに二人の息子が誕生しました。優れた狩人の長男エサウと座って考える人の次男ヤコブです。ある日ヤコブの煮ているレンズ豆が美味しそうだったのでエサウがこれをねだると、考えてばかりいるヤコブは長男の相続権と交換だと言い出し、考えることが苦手なエサウはこれを受けてしまうのです。こんな話、普通は冗談で終わると思うでしょ?これが冗談では終わらないのが有り難い聖書の世界なのであります。
 老い先短いと知ったイサクは長男エサウを後継者として祝福しようとします。ヤコブは母リベカの入れ知恵で自分の腕に山羊の皮を被せて父イサクに差し出します。イサクはそれを毛深いエサウの腕だと勘違い、ヤコブに家督を譲ってしまうのです。
 エサウはヤコブに殺意を抱き、それを察したヤコブは故郷から逃げ出します。途中で例の「ヤコブの梯子」を見たり、天使と取っ組み合ったり、色々ありまして、とうとう砂漠のど真ん中でエサウに見つかってしまうのです。エサウは手下400人を従える砂漠の「族」のアタマになっておりました。ヤコブ危うし!ところが、エサウはレンズ豆で相続権を巻き上げられたことも、山羊の毛皮で一杯食わされたこともキレイサッパリとなかったことにして、ヤコブと抱擁するのでありました。エサウ、偉い!大物!さすが長男だけのことは・・・、しかし、神様はヤコブの方を「義」とし給うです。

 時はちょっと流れてヤコブにも何人かの息子が誕生しました。その中でやけに小賢しいヨセフ一人をヤコブは依怙贔屓します(自分に似ているからかな)。他の兄弟が面白いわけがない。ある日、兄弟たちが野に羊を追っているところに現れたヨセフ、相変わらず生意気な口をきくもんで、アタマに来た兄弟たちは、ヨセフを素っ裸に剥いて通りすがりのキャラバンに銀貨20枚で売り飛ばすのです。ヨセフの衣装に山羊の血を塗りつけて父ヤコブに見せる兄弟たち、「わが子の衣なり。悪しき獣、彼を食らえり。ヨセフは必ず裂かれしならん」(創世記)、自分がヨセフにだけ特別に誂えてやった高価な衣装を握りしめ泣き伏す父ヤコブ、ぜーんぶお前のせいじゃん・・・。

 我が子を生贄に捧げようとするお父ちゃんのあり得ないおべっかも、、子供たちの中の一人を溺愛して兄弟間に諍いを起こすお父ちゃんのあり得ないバカっぷりも、神様がいーんでないとした途端に「義」とされてしまうのです。そして、神はその「過程」を決して開示しない、かくして、兄と弟は、自らの義を信じるが故に争わなければならない、譲歩は相手に対する敗北だけじゃない、神に対する背信を自ら認めることになってしまうのです。

 旧約聖書の世界観で下塗りを施したキャンバスに、シェイクスピアの四大悲劇を押し込んだシラーのこの「群盗」、当然ですが、200ページほどの作品中で4つの物語を1つの時間軸と空間軸で交差させ、限られた登場人物と限られた台詞で全てを賄わなければならない、考えるだけで胸焼け必至なのです。しかし、天才詩人も若干18歳、熱くなるなと言っても無理だったのでしょう。

 「人間のことも、人間の運命のことも、よく知らなかったわたしは、必然的に、天使とあくまのあいだの、中庸妥当な線を、えがくことに失敗せざるをえなかった。『群盗』に対する無数の攻撃文のうち、ただひとつわたしを正しくついているものがあるとすれば、それは、わたしがひとりの人間にも会わぬうちに、人間を描写しうるとうぬぼれた、という批判である」

 何でもかんでもてんこ盛り、盛り過ぎについては、ご本人が後年このように自己批判をしております。

 「もしシラーが『群盗』を書くと知っていたら、神はシラーを作らなかった」、大人たちがそう言って呆れかえったシラーの処女作、頭から湯気を立てている非難囂々の大人たちの傍らで、若者たちの熱烈な拍手と歓声は鳴り止まず、中には興奮の余り失神する者も出たそうです。その初演は、場所はドイツ南西部のマンハイム、時は1782年1月13日のことでした。
 シュトゥットガルトの連隊付軍医であったシラー(彼の父も軍医でした)は、この時22歳、無断でマンハイムの劇場に出掛けたことが領主にばれて、やがてこの若き軍医は勤めを放り出し、放浪の旅に出ることになります。

 そして、それから60年余りの歳月が流れ、失意のどん底で失った妻と子供の思い出と決別すべく、1847年に「マクベス」を亡き妻の父に捧げたヴェルディは、ジョゼッピーナ・ストレッポーニとの新しい人生に向けてイタリアを後にしロンドンへ、そしてこの異国の地で作曲家自ら指揮棒を振り、「群盗」の初演(1847年7月22日)を迎えます。聴衆の確かな手応えを受け止めたヴェルディは、愛する人の待つパリに旅立ちます。

 「疾風怒濤」の頂点に駆け上がろうと、敢えて全てを捨てて荒野に飛び出した若き詩人、長く険しい道のりを経て、豊かな円熟の時を迎えようとする男盛りの作曲家、それぞれの時代の先端を担った二人の芸術家が、この「群盗」で交差するのです。


第一幕 兄と弟

 ザクセンの国境に程近い居酒屋、薄汚れた店の片隅で一人の若者が本を読んでいます。プルタルコスを読めば今のひ弱な時代がイヤになる、先祖の精神の輝きはどこへ行った?俺はドイツを自由にしたい、そう、あの栄光のアテネやスパルタさえ鎖に繋がれた奴隷に見えるほどに自由に!店の奥からは酔漢たちの声が聞こえます。盗賊の仲間、街道筋の英雄、剣と酒じゃあ誰にも負けねぇ、・・・あの酔っ払い連中が今の俺の隣人だ、父上、いつになったらこの境遇から救って下さるのですか?故郷の城、永遠の緑の丘、もしも帰ることが叶ったのならこの魂はどれほど歓喜することか、アマーリア・・・、俺は君の元に帰るんだ、そして君はその汚れなき胸に俺を迎えてくれる、俺に再びの青春を!

 カルロ!お前さんに手紙が来ているぞ、手紙・・・、寄こせ!父上のお許しが届いたんだ!・・・弟のフランチェスコからだ、手紙をうち捨てて席を立つカルロ、その手紙を拾い上げた無頼の友ロッラ、何が書いてある?えーと、「父上は僕の口を借りて仰います、石牢に繋がれてただ一人パンと水で身を養いたくないのなら、帰郷の望みなど捨てることだと」。

 青ざめたカルロ、人間なんて獣だ!石よりも情を知らぬ、俺のこの熱い思いも通じないなんて、一声叫んで海や大地を奮い立たせ、人間の世と戦うことができたなら!蛇のような奴らを倒す剣はどこに?カルロの嘆きに一同が応えます、俺たちが持っている!お前は俺たちの仲間だ!俺が盗賊だと?そうとも、俺たちの首領だ!いいとも、やってやる、俺はお前たちの仲間だ、さぁ、誓いを、剣を抜け!
 俺の怒りでその剣を呪われた沼に沈めてしまいたい、俺の行く後ろには殺戮を、俺の行く前には恐怖を!復讐だ、お前たち、俺のこの手に誓ってくれ!我らが首領のその手に誓おう!

 モール伯爵の城、フランチェスコが物思いに耽っています。爺さん、僕はあんたから大事な長男を引き離した、兄からの泣き言だらけの手紙を破り捨て、僕なりに脚色を施した手紙を読んでやった、僕に次男という運命を与えた罰さ!今度は親父であるあんたに罰を与えねばならない。正義だの良心だのは意気地無し連中の御託に過ぎぬ、さぁ、やるんだ、フランチェスコ!あの骨と皮ばかりの爺さんを片付けるんだ。今にも死にそうなくせして長持ちし過ぎているあの命、自然がゆっくりと進むつもりなら僕が急かしてやろう。心臓を一突きにして、しかもそれを握った手、それを憚った手が誰のものか分からぬような剣を見つけるのだ、そうとも・・・、誰だ?アルミーニオ、入れ。

 伯爵家の家令であるアルミーニオ登場、若様、お呼びでしょうか?お前は僕に忠実か?何かお疑いでも?ある計画の手助けをして貰いたい。まず誰にも分からぬ姿に変装しろ、それから父上の寝所に行って、プラハの戦場の死者の中にカルロの死体を置いてきたと話せ。仰せの通りに、しかし、殿様は信じて下さるでしょうか?大丈夫、父上はお前の言葉を鵜呑みにするさ、賢明な人間が過ちに陥るという例をお前に見せてやろう。

 フランチェスコよ、お前はもうすぐここの領主になるんだ、恐れおののくがいい、哀れな奴ら、弱々しい老人の支配は終わる!笑いと喜びの後に嗚咽と恐怖が始まる、飢餓と牢獄と汚辱と苦悩がお前たちを覆うのだ・・・。

 伯爵の寝室、眠るマッシミリアーノにそっと寄り添うのは彼の姪であり孤児の身の上のアマーリア。お父様、安らかにお休みになれますように、眠りが人の世の苦しみを遠ざけ、慰めてくれましょう。貴方は私のカルロを追放なさった、貴方は私の喜びを奪われた、でも、私はお父様に怒りを感じることができません。
 あの人は天使の瞳をしていた、あの人の口づけは天国の雫だった、あの人の腕の中で二人は同じ火に溶かされて魂と魂は結ばれた、天も地も溶けるかと思われた・・・。聖なる夢は消え失せてもう決して帰って来ないのね。

 カルロ・・・、夢を見ておられるのね、可哀想に、フランチェスコよ、夢の中でもお前は私からあれを奪うのか・・・、お父様、目を開けて。アマーリア、カルロの夢を見ていた、お前の春を私は消し去ってしまった、私を呪わないでくれ。そんなこと決して!カルロ、私は死ぬ、最後の時にお前はいない、誰が私のために泣いてくれるのか。私だってカルロと永遠に結ばれるものならば、こんな人生捨ててしまいたいわ・・・!

 フランチェスコと軍人に変装したアルミーニオ登場。父上、嫌な知らせが届きました、お聞きになりますか?話せ。見知らぬ軍人が語る嫌な知らせ。カルロは私の戦友でした、王は乞食同然だった彼を採用なさり、彼も勇敢に戦いました。そして全身に傷を負って、最後に私に言い残しました、「その血塗れの剣を父に、貴方に遠ざけられた息子は絶望して死んだと伝えてくれ」と。私は呪われた父親だ・・・、マッシミリアーノの呻き声。そして、最後に一言「アマーリア」と。私はただ泣くために生きるのね・・・、アマーリアの絶望。
 フランチェスコが剣を示します。カルロの血で書かれています、「アマーリア、死が俺たちを誓いから解放する、フランチェスコ、アマーリアの夫になってくれ」。何てことを、カルロ!貴方は私を愛したことなんてなかったのね!

 老伯爵が叫びます、罪深きこの頭に天の怒りが落ちればよい!フランチェスコ、お前があれを悪く言うから・・・、あぁ、返してくれ、息子を返してくれ!お父様、アマーリアが老人を慰めます、神があの方を生贄に選ばれたのでしょう、でも、お心を鎮めて下さい、星々と太陽の間にあの方が見えることでしょう。

 悪魔よ、感謝しよう、こちらはフランチェスコの胸のうち。苦悩と悔恨が老いぼれを苛んでいる、最後の呪いよ、絶望を加えてやれ、あの心臓が裂けて命が消え失せれば・・・。その傍らで自分の嘘がもたらしたものに青ざめるアルミーニオ、この恐ろしい嘘は永遠に俺について回るだろう・・・。

 伯爵の身体がへなへなと崩れ落ちます。亡くなったわ・・・、アマーリアが泣きながら走り去ります。

 父が死んだ!僕はとうとう領主だ!

 スッキリとした型どおりの前奏曲から力強い男声合唱、そしてヒロイックな響き(しかし、転調が多すぎてまとまりには欠けます)のカルロのカヴァレッタ「僕の怒りでそれらの剣を」、続いてフランチェスコの悪魔的響き(しかし、トリルが上滑りしており印象は薄いです)の恨み節「恐れ戦くがいい」、そしてアマーリアの思い入れたっぷり(しかし、音域が少々高すぎて、旋律が少々軽すぎて、歌詞と旋律の間にすきま風が)のカヴァティーナ「あの人は神が微笑みから作られた」、さらにマッシミリアーノの重たいバスがソプラノに絡む(しかし、バスに少々重石が足りません)二重唱「カルロ、私は死ぬ」、それぞれ一長一短という微妙な仕上がり。ヴェルディの筆は若きシラーの熱いペン先にどう寄り添うのか戸惑っているという印象です。またある部分では逆に気負い過ぎてしまって、言葉の放つ熱がストレートに伝わらないもどかしさ。ただ、これは作曲家より台本家の問題かと・・・。

 原作の第一幕第一景にあるマッシミリアーノとフランチェスコの場面、弟が兄の不逞無頼ぶりを報告する偽手紙を読み上げます。「御令兄は放埒の限りを極め尽くされ」、その内容は、莫大な金を騙し取ろうとした試みた挙げ句、銀行頭取の令嬢の貞操を奪い、その恋人である立派な若者に決闘の末に瀕死の重傷を負わせ、子分を伴って逃亡、今では賞金首というお見事なもの。そして、一人になったフランチェスコの長大なモノローグ、「なぜこのおれは、長男となって、母の胎内を這い出なかったのだ?」、「なぜまた自然は、おれに醜さの重荷を背負わせずに置かなかったのか?」、「自然は、おれに何一つくれなかった、おれがおれをどんなものに仕上げようと、こっちの勝手だぞ」、執拗に繰り返されるのは父の愛情と期待をたっぷり注がれた兄カルロへの凄まじい憎悪。
 
 そして、原作の第一幕第二景にある場末の居酒屋でのカルロのモノローグ、「何のざまだ!何のざまだ!このだれ切った、去勢された一世紀は」、「靴磨きにさえお世辞を使って、殿様へおとりなしを頼むくせに、相手が弱いと見てとれば、罪もないやつをこっぴどい目にあわせる」、「法律とは何だ、荒鷲のように飛び駆けろうとするものを、堕落の底へ誘い込んで、蝸牛のように匍せるのだ」、18世紀のドイツの惨憺たる状況を嘆くカルロなのですが、悲しいことにお育ちがよろしいものですから、そんな社会から放り出された若きアウトローたちへの嫌悪も否定できない。彼自身が革命家たろうとする情熱と特権階級としての血筋の間で藻掻いている、しかし、性急な理想主義者であるカルロは自分がなぜ藻掻かなければならないのかを冷静に見据える目を持てないのです。

 シラーは、兄と弟が実はそっくりであることの悲劇をしっかりと描いております。兄弟は揃って行き詰まったこの世界に対する怒りに燃えています。兄は変革によって、弟は復讐によって、兄は持っているものを捨てることで、弟は持っていないものを奪うことで、共に自分たちを育んだ揺りかごを、兄は外から弟は内からぶっ壊そうとしているのです。

 しかし、マッフェイの台本は、どういうわけかこの似た者兄弟の煮えたぎるような長台詞をさらりとやり過ごし、どーでもいい背景を説明しようとやっきになっております。まず、兄弟の登場する順番を入れ替えてしまった。フランチェスコの陰謀の凄まじさがあってこそ、父に見捨てられたと思い込むカルロの獣じみた叫びが引き立つのですが、先に兄を手紙一通で盗賊稼業に転職させてしまいました。しかも原作は手紙の内容には触れていないのに、帰ってきたら投獄するからねという腑抜けた内容の創作のおまけ付き、これではカルロの苦悩もフランチェスコの残忍も引き立ちません。

 確かに幕開け直後、悪党が呟く陰険な呪いの言葉よりタイトルロールの盗賊たちの力強い合唱を、というのも分からないではありません。しかし、そうならば、カルロのシェーナとカバレッタにフランチェスコの冷たい息を感じさせるべきなのです。兄弟の相似性を旋律で印象づけるべきなのです。それを可能にするのは「ライト・モティーフ」、しかし、作曲家は未だそれを手中に収めていないのです。ここがちょっと悔しい・・・。

 貶しっぱなしは申し訳ないので、ただ一点、己の嘘によって伯爵を死に追いやってしまうアルミーニオからその背景(貧乏貴族であるアルミーニオ、彼の恋人がカルロに岡惚れした挙げ句に彼は振られてしまった、「あいつをすり潰して、粉にしてやりたい」)を剥ぎ取ったこと、これは正解だと私は思います。アルミーニオはここから先の物語でただ一人「まともな人間」として聴く者を導いていくことになります。


第二幕 男と女

 モール伯爵の城、礼拝堂の前、真新しいマッシミリアーノの墓の前にアマーリアが跪きます。破廉恥な宴会から逃れてお父様に会いに来ました・・・。城からは新しく伯爵となったフランチェスコとその取り巻きたちの笑い声が聞こえます。楽しもう、笑いの時は束の間、人生は短い、急いで楽しめ!なんという悪党たちかしら!お父様の亡骸の上で喜ぶがいいわ、もう誰もお父様の平和を乱すことはできはしない、お父様はカルロの元に旅立たれた、この世の苦しみも天上では喜び、でも、私は見捨てられ涙に暮れています、お父様のお墓が羨ましい・・・。

 お嬢様・・・、アルミーニオ、何の用なの?私の過ちをお許し下さい、お下がり!どうか聞いて下さい、カルロ様は生きておられます。何ですって!そして貴女の叔父上様も生きておられます、そう言い残して走る去るアルミーニオ。カルロが生きている?神は私の嘆きをお聞きになったのね、カルロが生きている!今、天と地は再び微笑み、星も太陽も覆いを逃れた、世界は愛に浸っているの!

 宴会から逃げ出してどこにいるかと思えば、フランチェスコ登場。お父様への敬虔な祈りが心に響きましたの、永遠に泣いていたいのか?私を苛立たせるような真似は止めて貰おう、私はお前を愛している、計り知れぬ愛で愛している、私と共に王座についてこの領地を治めておくれ、私は君主ではなく奴隷として貴女に乞い願う・・・。愛しい人を死に追いやっておいて私を妻に招くのですか?私が不名誉の新床に上がるとでも?私を拒むのならお前を待っているのは牢獄の壁だけだ、貴方から離れられるなら、どこであろうとそれだけで幸せよ。そうはいかない、妻の座が気に入らないのなら、お前は私の愛人として召し使いとしてここに残ることになる、その淫らな名を聞くだけで人々は顔を赤らめるだろう、その髪の毛を掴んで引き摺り回してほしいのか?
 下がって、この人でなし!アマーリアの手にはフランチェスコの腰にあった剣が握られています。心臓を突き刺して欲しいの?お父様の魂が私にこの剣を振るう力を下さるわ!あばずれが!この侮辱は血で償ってもらうぞ!

 遠くにプラハの街を望むボヘミアの暗い森、盗賊たちがたむろしています。そこに男が駆け寄ります、ロッラが捕まった!捕まった?吊されちまうな、お頭は何と?プラハを燃やしてやると。誓いは守られる、プラハは燃え上がるだろう、哀れなロッラ、もうすぐ・・・、火だ、火が見える!お頭は誓いを守った、火だ、何が起こったんだ?

 子どもを抱えて女たちが走ってきます。地面が震えて日が陰って、助けて、この世の終わりが来たんだわ!続いてロッラと仲間が登場。ロッラ、お前、化けて出たのか?俺は生きている、絞首台から逃げてきたのさ、誰か酒をくれ。町の連中が祭りに浮かれているところに、俺たちは火縄を投げて火事だと叫んだ、もう辺りは大混乱、火薬庫が吹っ飛んで衛兵どもが右往左往、その隙にロッラの首から縄を外したってわけさ。俺たちの勝利、お頭万歳!そうとも、お頭が俺を墓場から連れ戻してくれたのさ!

 そのお頭であるカルロが登場、お頭、悲しそうだ、何を思っている?明日の夜明けに俺たちはここを出る、そのつもりでいろ、そう言い残すと一人森に消えるカルロ。何と雄大な夕陽・・・、英雄の死に相応しい、自然はこんなにも美しい、なのに俺はひどい有り様だ、俺だけが天国に地獄を見る・・・。泥棒に囲まれ、罪に繋がれ、地から追われ、天から呪われている、愛しい乙女よ、この思いが君の許に走る時、俺の心は更に苦しむ・・・。

 お頭!俺たち、囲まれちまった!追っ手は?千人の兵隊が!兄弟たち、奴らを恐れるな、狼のように戦おう、虐げられた奴隷の勇気を振るえ、自由の剣を掲げる者は右手一本で軍隊を組み伏せる、奴らを葬るには俺たちの誰か一人で十分だ!

 そりゃフランチェスコは悪党でございます。しかし、悪党なりに頑張ったわけですよ。兄についてのあることないことをでっち上げては父と兄の間に波風を立てる、それも父には良き息子と思われなくてはならないわけですから、非常に高度な二股膏薬が要求される作業、それを延々と続けて兄を家から追い出し、その後も手を緩めることなく、良き息子を演じつつ父の心臓にダメージを与えるようなショッキングなニュースを捏造しては、親切かつ無邪気な顔で父の耳に吹き込んできたのです。そんな壮大な計画がこの幕の冒頭でいきなりおじゃん、ネタバレが早過ぎます。もうちょっと引っ張ってくれないとカタルシスの気が抜けてしまいます。アルミーニオにしてみれば早いとこゲロって楽になりたいということでしょうが、おまいさんの忠誠心はそんなもんかい?ちょっぴり情けない。

 そして、更に不可解な展開が続きます。アマーリアは愛するカルロと父と慕う叔父が二人とも生きていることを知ったわけです。「宇宙はすっかり愛に浸されているわ!」ってくらいに舞い上がったわけです。そうするとその後のフランチェスコの口説き文句に対する切り返しが、何ともおかしなことになってしまうのです。「お父様をあのお墓に導いた敬虔な祈り」(その墓は空っぽだと知っているだろ?)、「愛しい方を死に追い遣った貴方が私を妻に?」(愛しい方は死んでいないと知っているだろ?)、アマーリアの切り返しは全部嘘、それも必要のない嘘なのです。精一杯深読みしてみて、二人が生きていることをフランチェスコが知ったらエライことになるから反対方向に陽動した、自分の言動から真相を気取られてはならないと思って必死で突っ張った、こじつけは可能なのですが、どうやっても不自然なのです。
 愛しいカルロが死んだと思い込んで私を口説いている、この醜男の得意顔の何て滑稽なことかしら、叔父様が生きているとも知らずに取り巻きに囲まれて領主気取り、お前にはブリキの王冠がお似合いよ、どうしたってお腹の中でフランチェスコを嘲笑っているような展開、アマーリアの人物像が混乱し、なおかつ傷つけられていると思います。お許しを・・・と膝を屈しておいてフランチェスコの腰から剣を奪い取る場面も、カルロの死を信じていればこそ、カルロを愛しているの、死んでも愛しているの、生きているあんた何かよりずーっと愛しているの、そんな喪服の乙女の大胆不敵にして痛ましい自暴自棄・・・であるはずが、振った男を更に煽っている高飛車女になってしまっております。「心臓に突き刺さる刃が嫌なら下がりなさい!」、トスカばりの決め台詞がこの展開では生きてこない。勿体ないこと・・・。

 それもそのはず、この第二幕前半、台本を書いたアンドレア・マッフェイは、何を考えたのか、あるいは何も考えなかったのか、シラーの原作の場面を入れ替えてしまっているのです。原作では、墓の前で一人祈るアマーリア、そこにフランチェスコ登場、甘くかき口説くもピシャリと振られ逆ギレ、アマーリア、剣を手にフランチェスコを追い払う、アルミーニオ登場、実は・・・となっているのです。なるほど、これならアマーリアの言動に筋が通ります。今や当主となったフランチェスコを命懸けで退けて、この世にはいないカルロを慕う、一途です、健気です、そして、切ないです。はて、マッフェイはなぜこの筋を入れ替えたのか?これが分からない、なんぼ考えても分からない、おそらくヴェルディも分からなかったのではと思います。命などどうでもいいとフランチェスコに食ってかかるアマーリアですが、音程が妙に高い、歌詞は雌虎、音域は子鹿、ヴェルディの懸命さは伝わってきても、結果が付いてこないもどかしさ。

 対するフランチェスコ、果たして彼は本当にアマーリアを愛していたのか?何しろ第一幕での彼は、兄カルロへの恨み、長男カルロを溺愛した父への恨みをじっとりと歌い上げましたが、アマーリアへの愛など一言も口にしていないのです。フランチェスコは兄の陰からずっとアマーリアを見つめていたのでしょうか。アマーリアに恋い焦がれ、彼女の愛する兄が許せなかった、恋敵を追い出したかった、そのためには嘘だろうが何だろうが全く厭わない、自分の熱い視線に一顧すら与えない冷たい女、その女の愛を独り占めしている兄を目の前から消し去るためなら何だってやる・・・。あるいは、二番目に生まれたというだけで父から疎まれて育った男は、兄が愛した女の胸に抱かれることで一夜だけでも兄になりたかったのでしょうか。しかし、ヴェルディがこの愛を知らない弟に与えた旋律は妙に上機嫌で軽く、はて、この男は何でアマーリアに迫るのか、良く分からないし、分からなくても別にいーかという投げやりな雰囲気。ただ、台本の「?」のお陰でアマーリアはカルロの生存を知っていることになっており、フランチェスコは死者にも劣るからと振られたわけではないというのが、まぁ救いではあります。反面、悪魔の申し子たるべき彼がみーんなによってたかって騙されている間抜け男になってしまっておりまして、ホント、マッフェイの台本は「謎」なのであります。

 さて、盗賊のお頭となったカルロです。町中を火の海にして手下を救うなんぞ、立派な親分ではありますが、ご本人は自己嫌悪の塊です。俺はこんなに酷い姿で、俺の鎖は一層俺を苦しめ、俺の苦悩はさらに苛酷なものになる・・・、カルロは死にたがっているのです。何かもうわーって派手な事態を引き起こしてどさくさ紛れに死にたがっているのです。周囲を捕り方に囲まれた途端に憂いは吹っ飛び、異様な興奮が彼を包みます。当然ですが手下たちは道連れです。何かカルロってやっぱり弟フランチェスコに似ているんだと思いますね。目的のためなら手段を選ばない、それどころか極端な手段を好むところなんかそっくりです。
 そーかい、そーかい、そーまでして死にたいかい、でも一人で死ぬのは嫌ってか?みんな一緒でないと嫌ってか?そのみんなのことはどーでもいーんかい?と思う私ですが、物語はこの後意外な方向に展開するのです。


第三幕 父と子

 モール伯爵家の居城の近く、暗い森、アマーリアが祈ります。神よ、感謝いたします、あのおぞましい毒牙から逃れることができました!でも・・・、ここはどこ?荒れ果てた地、道もない、枯れ木と石ころだけ。森の中から男たちの雄叫びが聞こえます、奪って、踏みにじって、火をかける、俺たちにはただの暇つぶし。あの声は何?この森には盗賊たちがいるの?神よ、お助け下さい!誰か近づいて来るわ・・・、あれは・・・?
 アマーリア!私の名を知っている貴方は誰?僕の顔を見忘れたか?カルロだよ、あぁ、天使のお導きだわ!貴方を抱き締めます、私を抱き締めて下さい、人も神ももう決して私たちを引き離せない!カルロ、逃げましょう、恐ろしい声が聞こえたの、僕が一緒なのに何を怖がるの?・・・今の僕がどんな連中とつるんでいるかを君が知るくらいなら、いっそ!どんな海が、どんな荒野が私たちを引き裂いたのかしら?そんな酷い質問は止めておくれ、貴方が死んでしまったと嘘の知らせを受けて、あぁ、僕は墓の中にいた方が良かったんだ・・・、カルロ、貴方も苦しんだのね?僕の苦しみを君が知ることが永遠にないように・・・、私、ずーっと貴方を求めて泣いていたの、僕のために天使が泣いてくれた・・・。虹が嵐を拭い去り、苦しみは終わった、愛しい人、天上の喜びが苦い思い出を消し去っていく!

 この森に君一人で?城から逃れてきたんだね?カルロ、お父様が亡くなったの、では父上は涙からも不名誉からも逃れられたんだ・・・、新しい領主となったフランチェスコが私の命と名誉を脅かしたわ、あの悪党め、でも神が私を貴方に巡り合わせて下さった!一緒においで、愛しい女、貴方と一緒にこの人生を、そして貴方と一緒に天上へ!僕はこの純な魂を裏切ってしまった・・・。天上で私たちの愛の星が輝く、天上で私たちは全ての苦しみを忘れる!

 森の中、朽ち果てた砦に盗賊たちがたむろしています。奪って、踏みにじって、火をかける、俺たちにはただの暇つぶし、明日には処刑台に吊される身なら今日の退屈を追い払え、俺たちは森をねぐらに自由に生きる、月が俺たちの太陽、殺された父親の喘ぎも、妻や母親の叫びも、俺たちには何の意味もない、ただの音楽、処刑人が鐘を鳴らす時、俺たちは最後の酒を飲み干して短い人生の終点にたどり着く、ほんのひとっ飛びであの世!

 お頭のお帰りだ!夜も更けた、お前たちは眠るがいい、俺が起きている。・・・僕は君を欺いた、アマーリア!君は僕と共に永遠にと信じている、でも僕たちは永遠に離れ離れなんだ、盗賊どもにすら眠りが訪れるのに、僕は眠れない、暗い神秘の生、死と永遠・・・、カルロはピストルを抜きます。これで大きな封印を打ち砕くことができるなら、そして、ピストルに弾を込めます。苦しみから逃れるために僕はこうするのか?・・・イヤだ!カルロはピストルを放り出します。僕は苦悩を望む、誇りは苦悩に勝らねばならないんだ!

 アルミーニオがこっそりと現れます。格子戸まで出てきて下さい、夕食をお持ちしました。お前か・・・?砦の地下から声が聞こえます。私です、さぁ、召し上がって、また参ります、墓穴に下りて下さい、ここにおられること自体危険なのですから。待て、どこへ行く?お前は誰だ?カルロがアルミーニオの行方を塞ぎます。どうかお許しを・・・、あの地下の声は誰だ?どうかお見逃しを、離れろ、さもないと・・・。アルミーニオは逃げ去ります。カルロは砦の格子を揺さぶって壊すと、中からやせ細った老人を引っ張り出します。
 私を救ってくれるのは誰だ?・・・父上!モールの亡霊、どうしてこんなところに?私は亡霊ではないし死んでもいない。死んで埋められたと聞きました、そう、埋められたも同然の穴の中で私は生きている、どんな地獄の魂が貴方をこんな目に?息子のフランチェスコが・・・。
 3ヶ月前、一人の男が私のカルロが死んだと告げた、私は気を失い、死んだと思われた。気がつけば柩の中、身体を動かすと蓋が上がって、フランチェスコがそこにいた、生き返ったのか?そう言うなり再び蓋が下ろされて、私はここに。その幽霊を埋めてしまえ、ヤツは長生きし過ぎた、息子がそう叫んで私は閉じ込められたんだ。そう、この扉を閉ざしたのは我が息子、そういうなりマッシミリアーノは気絶してしまいます。

 カルロが夜空に向けてピストルを撃ちます、目を覚ませ、石ころども!何ごとだ?誰か攻めてきたのか?その老人を見るがいい、極悪非道な息子によって生きながら墓地に埋められた老人を、俺の父を!お頭のおとっつぁん?

 復讐だ!天の神よ、俺は復讐を要求する!もし夜明け前にヤツの血を注がないのなら俺の目は闇に覆われよう、お前ら、お前らは今日から聖なる裁きの執行官だ、全能の神に跪いて祈れ、そして怒りの天使の如く立ち上がれ!お頭、俺たち、何をやれば?この老人の復讐を誓うんだ、俺たちは誓う!親殺しの悪党を俺の前に引きずり出すと誓うんだ、俺たちは誓う!殺すなよ、生きたまま俺の剣の前に連れてくるんだ、俺たちは誓う!今日、俺たちは神の怒りをも溶かすお頭の剣となる!

 フランチェスコの元を逃げ出してきたアマーリア、死刑台からロッラを奪還し官憲に追われる身のカルロと盗賊たち、伯爵家の墓所に匿われるマッシミリアーノと匿うアルミーニオ、お嬢様のアマーリアの徒歩圏内ですからせいぜい城から数キロの墓所付近に、まぁ、皆してごちゃごちゃと固まっちゃって。このごちゃごちゃ感が妙に作品とマッチしているのが何かおかしいというか。しかし、お尋ね者のカルロ、追っ手から逃れるうちに無意識に故郷に引き寄せられたのか、自分を拒絶する父の城を今一度遠目にでも見たかったのか、その心情を思うと哀れではあります。

 すっかり面変わりしたカルロとの再会をただただ喜ぶアマーリア(喜ぶ余りなのかどうか、「お父様が亡くなられて・・・」って、おい、アルミーニオの言葉忘れたんかい、「お父様」に冷たいやないか)、盗賊の頭であることを気取られまいと自分を偽るカルロ、二人の二重唱は見事にすれ違ってしまい、哀しいを通り越して愚かしいというか苛立たしいというか。
 故郷の森でカルロは偶然にもアマーリアを発見、第二幕の台詞を借りれば、「愛しい無垢の乙女」と「天から呪われている」男が再会してしまったわけです。そして、カルロはその場からそっと離れるべきだったのに、大した葛藤もなくスルスルとアマーリアに接近し、自分から名乗りを上げ、狂喜するアマーリアを目の前にして「俺が奈落の怪物と結託していることを知らせてはならない」と独りごちて、そこからずーっとアマーリアに調子を合わせて嘘を「歌い上げ」ます。このカルロの中途半端さが些か気持ち悪い。なぜアマーリアが先にカルロを発見し(「あの抱擁の中では天と地も溶けるように思われた」男を、日焼けしようがやつれようが女は見誤ったりはしません)、思わず逃げようとしたカルロが自分の名を呼ぶアマーリアの声に抗いきれずに振り返る、という設定にしなかったのか。

 この中途半端というか無責任というか、そんなカルロを叱責するかのような盗賊たちの合唱、略奪も暴行も殺人も、俺たちにはただの気晴らし、歌詞は過激ですが旋律がちんまりとまとまってしまっており、今時のどこぞの国道脇のコンビニの駐車場でたむろしている馬鹿ガキどもが粋がっている雰囲気なのがちょっと残念。彼らは粋がっているのではなく本当の人殺し、本当の強盗なのです。歌詞と旋律が今ひとつシンクロしておりません。

 そして、一人仲間の元に帰ってきたカルロ(あのぉ、アマーリア、どしたの?)の痛烈な自己嫌悪、さらに痛烈な仲間嫌悪。アマーリアに今の稼業を知られるくらいなら死んでしまおう、カルロにとってもはやアマーリアは愛の対象ではなく自分を責め苛む鞭なのです。カルロはアマーリアを愛していると言いながら、トコトン彼女を欺き通し、そして、アマーリアはカルロを愛していると言いながら、彼の苦悩に無関心です。この二人は互いに互いを全く見ていない、カルロは見せることを頑なに拒み、見ることに臆病であり、アマーリアは見せることに無頓着で、見ることを無意識に拒んでいる。彼らがどれほど強固に言い張ろうが、彼らの愛は既に決定的に損なわれているのです。
 カルロは愛ゆえの死を拒みます。僕は永遠に君と別れた、僕は死ぬことよりも苦しむことを望む、愛はもはや生死を決する力を失ってしまいました。

 そして、唐突な(全部唐突ですが)父と子の再会、目の前の若者が我が子とも分からないまま運命を嘆くマッシミリアーノ、如何にもヴェルディらしい重厚な旋律、私はここまで来ると、何というか私の知っているヴェルディと(まるでモールの父と子のように)再会したような気分になってホッとします。その男は「私のカルロ」が死んだと私に告げた、ただこの一言でカルロは父を取り返します。正当な息子が、モール家の跡取りが帰ってきたのです。そこにはもう盗賊の頭はおりません。
 しかし、カルロは手下たちに自分の弟が犯した自分の父親への仕打ちに対する復讐を命じるのです。カルロ一人が城に乗り込んでフランチェスコと対峙すれば済む話、盗賊たちには何の関係もないモール家の内輪の話なのに、なぜ?
 「殺された父親たちの最後の喘ぎは俺たちのお楽しみだ」と歌う彼らに、「聖なる裁きの執行者」たれと命じるカルロ、カルロは悪に報復する悪を求めています。暴力で満ちている世界を暴力で洗い清め、蔑ろにされている法を無法によって救おうとしています。

 薬、これを癒さざれば、剣、これを癒す。剣、これを癒さざれば、火、これを癒す(ヒポクラテス)。


第四幕 生と死

 モール伯爵家の城、フランチェスコが右往左往しています。裏切りだ、死人が生き返って俺に叫ぶ、人殺し!と。アルミーニオが駆け込んできます。騒ぎを聞いたか?いいえ、聞こえないだと?行け、司祭を連れてこい!いや、待て、他の者をやれ、お前は残れ。殿、如何なさったのですか?言ってくれ、死者は生き返るのか?それともこれは夢なのか?俺は今恐ろしい夢を見た・・・。
 宴が終わって俺は木陰で微睡んでいたんだ、目が覚めると大地は炎に包まれ、そして叫び声が、大地よ、懐から死者を投げ返して下さい、海から死者を投げ返して下さいと。無数の骨が辺り一面を覆っていた・・・。次の瞬間、俺はシナイの山頂にいて、輝くばかりの三人の姿が、目が眩んだ・・・。
 それは最後の審判の光景です。
 一人は法典で武装し、信仰を持たぬ者は不幸だと。もう一人は鏡を持ち、偽証に恥じ入れと。三人目は秤を掲げ、アダムの息子たちよ、来たれと。雲間から俺の名前が聞こえた、秤は罪で重くなり、片方の皿には購いの血が。痩せこけた老人がやって来て白髪を毟りとると皿に載せた、秤は軋みながら下がり、そして、聞こえたんだ、呪われし者よ、お前のためには神の子は苦しまなかったと・・・。

 司祭モーゼル登場、こんな時間に何用です?幻影だ。貴方は恐れ戦いておられる、何にだ?貴方の魂の中で咆えている神にです。神?俺のために神に何ができる?魂が不滅であるならば俺は魂を破壊してやろう、どんな罪が神を怒りに駆り立てていると?親殺しと兄弟殺しです。黙れ!人にとってあってはならない罪です。

 殿!アルミーニオ登場、無頼の輩が城に迫っております!皆、礼拝堂へ、俺のために祈れ!司祭よ、俺に免罪を!それは神のみに可能なこと、私にはできません。永遠の神よ、俺の言葉をお聞き下さい、俺が祈るのはこれが最後・・・、違う!地獄が俺を嘲笑うはずはない!怯えるがよい、罪人よ、モーゼルが呟きます。稲妻と雷鳴がその頭上に、震えるがいい、神は貴方をお許しにはならない、貴方の前にあるのは奈落のみ!

 夜明け近く、マッシミリアーノとカルロ、フランチェスコ、私の息子!彼に同情するのですか?天は復讐をしているのではない、私を罰しているだけだ、カルロの魂よ、父を許してくれ。彼は貴方を許すでしょう、私はカルロを永遠に失った、そうです、永遠に!私はまだ生きるのか?さぁ、ご老人、貴方を助けた私を祝福して下さい。神がお前に慈悲深くあられるように!父としての接吻を受けてくれ、貴方の優しさが僕に伝わりました、永遠に失った輝きが一瞬僕を幸せにしてくれました・・・、誰だ!
 お頭!ヤツはここにはいない、逃げやがった。

 素敵な戦利品だ!盗賊たちがアマーリアを引っ張ってきます。離して!カルロはどこ?アマーリア!お父様、生きておいでなの?あぁ、カルロ!貴方、私を助けて下さるのね!運命よ、お前は僕に勝った・・・、何を仰るの、私の夫よ、アマーリアの言葉にマッシミリアーノが驚きます、お前の夫?あぁ、誰か、この老人を殺せ、この女も殺せ!生きている者皆を殺せ!お頭、気が狂ったのか?

 ご老人、貴方の呪われた息子は神から拒まれました、天から奈落へと僕を引きずり下ろした奴らめ、アマーリア、聞くんだ、父上、貴方を助けたのは盗賊たち、人殺しの群れ、そして彼らを率いるのはこのカルロなんだ!喜びの夢よ、永遠に去れ、足枷、牢獄、処刑台、それが僕たちの愛の介添えだ。カルロ、貴方が天使でも悪魔でもいいの、私は貴方から離れない、全ての喜びと全ての苦しみを貴方と分かち合うの!僕を愛している・・・?私のカルロ!時は死に絶えて世界が崩れ去っても、私たちは一緒よ!

 アマーリア、この罪深い父は慈悲深い光りを汚すのか?地はこの年寄りを呑み込んではくれぬのか?

 お頭、誓いを忘れたのか?俺たちの誓いは取り消しなどできぬ!見ろ、この傷跡を、お頭のために戦った俺たち、誓いは永遠だ!良かろう、僕は天から真っ逆さまに落ちていこう、カルロ、貴方の鎖が断ち切れないのなら私の前から去って、いえ、私を殺して!貴方のいない生しか残されないのなら、最後に私に貴方の愛の証を見せて!

 聞け、悪魔ども、僕はお前たちにこの天使を捧げよう!カルロは剣をアマーリアの胸に突き立てます。さぁ、死刑台へ向かって!

 ここに至って、マッフェイの台本はもう何が何だか、何とか話を終わりにもっていかんと、えっと、誰がどこにいるんだっけ?全員集合でいーのか?つーか、誰と誰がどーなってんだっけ?脂汗かきつつペンを走らせる様が目に浮かぶようなじたばたぶりです。まぁ、オペラの台本なんてたいていはじたばたしておりますが。マッフェイの残念なところは、度胸がないという点です。

 シラーの原作では、ラストの第五幕はエライことになっております。

 「やつらが上がって来やがったな、戸を壊しにかかったな、なぜ、この切っ先が恐いのだ?戸が破れたか、倒れたか、ああ、絶体絶命だ!おう!この上はきさまの慈悲にすがるぞ!」、ダニエル(アルミーニオ)に自分を殺せと命じて逃げられてしまったフランツ(フランチェスコ)は、剣を捨てて帽子の金の飾り紐を引きちぎり、それで首をくくります。

 「父上、何も聞かないで下さい!わたしはあなたの呪いを思い違えて!誰が俺をこんなところへ誘き寄せたのだ?死んでしまえ、アマリア、お死になさい、父上も!わたしのために三度お死になさい!あなたを救ったこいつらは盗賊に人殺しだ、あなたのカールはその隊長だ!」、カール(カルロ)の言葉はマッシミリアーノの老いた心臓を止めてしまいます。

 「あなたはただ幸せな人だけをお殺しになるのですね、生きているのが嫌になった人間には見向きもなさらないのですね!どうかわたしを哀れに思って殺して下さい、あなた方は人殺しのお弟子でしょう?誰も親切にして下さらないの?」「待て!おれがやる、モールの恋人はモールの手で殺してやる!」、カルロはアマリア(アマーリア)の胸に剣を突き立てます。

 「おれは生きながら捕らえられるのだ。進んでこの体を司直の手に引き渡すのだ」「何のためにこのおれが、盗人のように命を隠すのだ?とうの昔に、おれの命は、天の監視人の審議によって死罪の宣告をうけているではないか?」、こう言い残すと、カルロは自分の首に懸かっている千ルイの賞金を道中で出会った貧しい日雇いにくれてやろうと、一人街道目指して走り去ります。

 登場人物全員死亡・・・、シラーもすごいもの書いたもんです。これをこのままドーンと台本に載せてしまえば良かったのに、マッフェイにはそれをする度胸も技量もなかったようです。下手な小細工と逃げ腰の結果、訳の分からない幕が出来上がってしまいました。
 フランチェスコはいつ何処でどうなったのか分からないまま舞台から消えてしまい、我が子が盗賊の頭だと知ったマッシミリアーノは、何故かその盗賊たちと一緒になって歌っております。
 全てが崩壊するカタストロフィー、しかし場面が細切れ、それぞれが死に際に熱く吐き出す決めの台詞を削っておいて、今更不要な愛の言葉を繰り返す台本、この幕に必要なのは死だけであり愛など要らない、いえ、あってはならないのに。

 どうせ原作をぶっ壊すのなら、ここはドーンとオペラ的に、マッシミリアーノ、カルロ、フランチェスコの三人が会する場面を作って良かったと思います。父が自分を殺そうとしたフランチェスコを許すのは、父がかくも寛大になったのは、カルロを取り戻したから、長男が帰ってきたからなのです。フランチェスコは正に次男だからこそ父に許されてしまうのです。せめてラストくらい、父と兄の目の前で帽子の飾り紐じゃなくて切っ先鋭い剣で、見事、悪の本懐を遂げさせて上げたかった。

 フランチェスコの自殺の場面をカットしてしまったことで、彼とモーゼルの二重唱も意味不明なものになってしまっております。フランチェスコを詰るモーゼル、しかし、彼の父殺しは未遂ですし、兄殺しに至っては「口で殺した」だけです。そして、やっていないことで裁かれるというのに、フランチェスコは神に対して異議を申し立てない。彼にはもうこの世でやることがない、全身全霊をもって悪魔に尽くした男は、神以外に楯突く相手がいない自分に気付いてしまうのです。キリスト者には禁じられている自殺、それは神を蔑ろにして生きてきた男が最後に己の命を代償にして神を嘲笑う行為、これを無視したマッフェイ、私には理解できません。

 台本のせいか、ヴェルディはその持てる力の25%くらいしか出していないという印象があります。この台本では力の出しようがなかったのでしょう。美しい箇所は沢山あるのですが(目まぐるしく変わるレチタティーヴォはとても印象的です)全体像が見えてこない、もどかしい限りです。

 ヴェルディのアタマん中は、パリで待つストレッポーニで一杯だったのかも知れません。

 録音、残念ながら一つしか聴いたことがありません。1974年のガルデッリ指揮、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の録音、カルロをベルゴンツィ、フランチェスコをカプッチッリ、アマーリアをカバリエ、マッシミリアーノをライモンディ、ヴェルディの初期の作品を得意とするガルデッリ、ばらつきが目立つ旋律を巧みに操る技はさすがです。歌手も豪華、特に第二幕「あなたは私のカルロの胸に」でのカバリエの祈りは聴き応え十分、ライモンディもカプッチッリも健闘しております。

 ヴェルディのキャリアの真ん中にポツンと登場して今では殆ど忘れられているこの「群盗」、その出来は決してよろしいとは言えないのですが、作曲家の誠実さが伝わってくる愛しい作品です。



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