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Leafヴェルディ 「シチリアの晩鐘」 (2008年1月5日〜2008年4月18日の日記より)


フランス人に死を!

 復活祭、十字架にかけられたイエスが三日目に蘇ったことを祝う祭りは、「春分の日(3月21日頃)を過ぎて最初の満月の次の日曜日」というややこしい日取り、その年、1282年の復活祭は3月29日と例年より早い訪れでした。シチリア島は穏やかな春を迎えていました。そう、空と海だけは穏やかでした。

 フランスの大艦隊がメッシーナ港に停泊中、シチリア王シャルル1世(フランス王ルイ8世の末っ子)の命を受けた総督エルベ・ドルレアン配下の役人たちは、その艦隊のための食料調達に奔走中、農村を廻っては小麦や豚を根こそぎ巻き上げるという悪代官ぶりを発揮しておりました。しかし、その艦隊の行き先がビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルであることをシチリアの島民たちは知っていました。南イタリアの各都市は古代ギリシャの植民地をそのルーツに持ちます。北国生まれのフランス人には決して引っこ抜くことなどできない強い根っこが地中海世界には張り巡らされているのです。シチリアの島民たちがフランス人に注ぐ視線は日に日に険しさを増していきました。
 パレルモでは大法務官ジャン・ド・サンレミが復活祭を祝っていました。街に点在する42の砦を守るフランス兵たちは、伝統的な歌と踊りで復活祭を祝うシチリアの民衆を城壁から見下ろし、しかし、彼らフランス人のうち誰一人、広場を覆う妙な熱気には気付きませんでした。
 パレルモ郊外のサント・スピリト教会では、復活祭の月曜日に祭りを行うのが慣わし、その月曜日の夕方、多くの人々が教会前の広場に集まりました。礼拝を待つ人々、突然、フランス人の一団が現れ、俺たちも祭りに参加させろと言い出しました。彼らのうちの何人かは既に酔っており、やがて女たちにちょっかいを出し始めました。ドローエという一人の下士官が若い人妻にしつこく絡み、それに激怒した彼女の夫はナイフを抜き、ドローエを刺し殺します。フランス人たちが犯人を追おうと剣を抜き、しかし、たちまち大勢のシチリアの男たちに取り囲まれてしまいます。サント・スピリト教会と近隣の教会で一斉に晩祷を告げる鐘が鳴り響いたとき、その広場には生きているフランス人は一人もいませんでした。
 パレルモの街を怒声が走ります、「フランス人に死を!」、フランス人の家屋敷や彼らが滞在する宿屋は勿論、修道院さえ安全ではありませんでした。夜明けまでに2000人のフランス人が命を落としました。騒乱を治める立場にあるはずの大法務官ド・サンレミは、何とかプロヴァンス行きの船に乗ろうと交渉中、城を包囲した島民の矢に射られて死亡、これを合図に、城内にいたフランス人全てが殺されました。

 パレルモに続いてその南のコルレオーネ、西のトラーパニ、騒乱は野火のように広まり、多くの町でフランス人は、運の良い者は身一つで逃げ、運の悪い者は殺されました。フランス人を一掃した街は次々と自治都市を宣言、メッシーナに停泊していたシャルルご自慢の大艦隊は火を放たれ、全て沈んでしまいました。この、フランス人から見れば暴動、シチリア人から見れば蜂起を、人々は「シチリアの晩祷」と呼びました。

 4月、「晩祷」の知らせを受けたシャルルは激怒します。生意気なシチリア人どもが、蹴散らしてくれる!シャルルは残った船舶と兵をメッシーナ海峡に集め、反乱鎮圧に討って出ます。シャルルを支持するローマ教皇マルティヌス4世は、キリスト昇天の祝日である5月7日に、反乱に加わった全てのシチリア人と彼らを支援する者に対して破門を宣告、シャルルの甥であるフランス国王フィリップ3世は、シチリアを後押しするアラゴン国王ペドロ3世に対して、シャルルのシチリア討伐を妨害すればそれを敵対行為とみなすと警告を発します。甥っ子の牽制の間にシャルルはシチリア侵攻を開始、シチリア人たちは男も女も武器を取り、交代で街の守りにつきました。フランス王に脅かされしらばっくれていたアラゴンのペドロ、彼はシャルル贔屓の教皇マルティヌスに対して十字軍に出るから我が軍に祝福を、と迫ります。十字軍なんて大嘘だということはお互いに百も承知、しかし、こう言われればマルティヌスはしばしの間は大人しくする他ありません。ペドロの時間稼ぎの間に、シチリアは苦慮を重ね、そして選択します、孤立するわけにはいかない、孤立とは大国のみが選び得る贅沢、ならば、フランスを捨ててスペインと組もう。ペドロの妻コスタンツァは前シチリア王マンフレディの娘、王位継承権を主張できないこともない。
 1282年8月30日、アラゴンの軍勢はペドロを先頭にトラーパニに上陸、その先に待っているのはシャルルの大軍、「晩祷」は全ヨーロッパを巻き込みかねない大事件に発展してしまいます。

 地中海の中央、イタリアの長靴のつま先に位置する三角形の島、シチリア島。西欧と中東、アフリカをつなぐ橋であり、キリスト教とイスラム教が対峙する最前線である島。温暖な気候、変化に富んだ地形、エトナ火山がもたらす肥沃な大地、そして、地中海を支配しようとすればどうしても手に入れなければならない要衝。
 紀元前700年頃、ギリシア人が都市を築き、オリーブと葡萄を植えました。ローマ帝国が衰退すると、ゲルマン民族のヴァンダル族が奪い、東ローマ帝国が奪い返し、9世紀、アフリカから進入したイスラム教徒は、レモン、オレンジ、綿、サトウキビを植えました。11世紀にはノルマンの王がこの地を征服、以来、12世紀にはドイツ(シュヴァーベン)のホーエンシュタウフェン家が統治、そこにフランス人を引き入れたのがフランス人教皇のウルバヌス4世。

 ウルバヌスの理屈ではシチリア王は教皇の家臣でなければならないのですが、当時のシチリア王マンフレディはそんなことチラッとも思っておらず、シチリアから東方へ十字軍をというウルバヌスの野望になんぞ何の興味もありませんでした。教皇はシチリアの王位を十字軍マニア揃いのフランスへ渡すべく画策します。
 教皇がフランスに提示した条件、新たなシチリア王となるフランス王子アンジュー伯シャルルは、教皇代理の地位、聖職者叙任権、教会への課税権を放棄した上、教皇がイングランドに借りている借金を肩代わりすること、誰がこんなド厚かましい案を受けるのか?受けちゃったんですね、シャルルは。父ルイ8世の死後に生まれた末っ子の彼は王座に対する執着心が人一倍強く、加えて彼の妻であるプロヴァンス伯の娘ベアトリスは、姉妹全員が王妃様なのに、私だけ伯爵夫人なんてイヤ、私も王妃になる!とシャルルを煽り立てます。シャルルは教皇のトンデモな条件をあっさりと飲みます。なぜって、約束を守るつもりなんて端から全然なかったから。そんなことを知るはずもないウルバヌスは、利用するつもりで利用され、全力でシャルルに入れ込みます。
 教皇のお墨付きを手にイタリアを南下するシャルル、ベネヴェントの戦いでマンフレディを破り、もう一人のホーエンシュタウフェン家の王子、16歳のコンラーディンの首を斬って誕生した新シチリア王シャルル、彼はシチリア政府の要職をフランス人で固め、全てをフランス流で支配しようとします。
 イタリア語を覚えようなんて気はさらさらなく、任期の間に出来るだけ私腹を肥やすべくこの島に上陸したフランスの役人たち、その島は、ギリシア以来の伝統への自負と島国特有の外国人嫌い、そして、大雑把なくせして頑固なギリシア気質とマッチョな南イタリア気質を併せ持ち、その豊かさゆえに、その地の利のゆえに、常に狙われ、何度も侵略され、しかし、余所者の王が長居することを許さない、決して甘く見てはいけない島だったのです。

 さて、シチリアを巡って火花を散らすシャルルとペドロ、長引く戦いは双方の財布を直撃します。財布を守るためにシャルルが捻り出した解決策とは、国王二人で決闘して勝った方がシチリア王!というものでした。シャルル56歳、ペドロ41歳、決闘は1283年6月、場所はイングランド王エドワードの大陸の所領であるボルドーで。シャルルとペドロがどこまで本気だったかは分かりませんが、双方とも王として、騎士として、面子があります。若いペドロはシャルルより貧しかったので、手っ取り早く戦争を終わらせる決闘に乗り気でしたし、言い出しっぺであるシャルルは、ペドロが乗ってしまったおかげでもう提案を撤回することができなくなってしまいました。
 この決闘案、別の人物を直撃してしまいます、それは、これまたフランス出身の教皇マルティヌス。俺こそが神の代理人、現世での神の意思の代弁者のはずなのに、俺を置いといて決闘?もしも若いペドロが勝てば、その勝利は神の意思ということになり、教皇である彼はペドロを祝福する他なくなってしまうのです。ここまでフランスに投資してきた全てがパーになる、教皇は猛然と決闘反対を唱えます。しかし、シャルルもペドロも、全面戦争を避けるのであれば、もうこの「喜劇」を大真面目で演ずるしかなかったのです。

 1283年6月1日、決闘の日がやってきました。しかし、奇妙なことに開始時刻の取り決めをすることを何故か全員が忘れており、早朝登場したペドロは、誰もおらん!と宿に帰り、数時間後に登場したシャルルも、誰もおらん!と帰営し、二人ともそのままボルドーを後にします。シャルルもペドロも、相手が怖気づいて逃げた、だから俺の勝ち!と宣言したことは言うまでもありません。

 面目丸潰れを辛うじて回避した教皇マルティヌス、思えば、彼がフランスべったりで破門なんぞぶちかますもんだから、シチリアはアラゴンに頼らざるを得なくなってしまったわけですが、寛容というキリスト者の徳に全く縁のなかったパパ様は、自分のことは棚の上、アラゴン相手に聖戦を宣言します。教皇はペドロの領土をローマ教会が選んだ良きカトリック王に与えると宣言し、十字軍を募ります。
 また始まったよ、戦争好きだねぇ、そりゃそうだ、他人にやらせるだけだもん、しかし、ローマでじっとしている坊主ってのいないわけ?もう見ないフリね、下手に付き合うと後が怖いよ、ダンマリを決め込む諸王の中、謹んで頂きますですと名乗りを上げた、というか行きがかり上上げざるを得なかったのはフランス。

 長引く争いはシチリアの財政を押し潰しつつありました。何しろ、戦場はイタリアであり、「ローマ教会の敵」ペドロは海の向こうのアラゴンから、頑張れぇ、朕がついておるぞぉ!と声援は送るが金は送らず、というか送れず、戦費は全てシチリアの負担なのです。
 アラゴン貰います!と手を上げたものの、フランスのやる気は急激に失せ、もう誰もが止めたがっているのですが、誰にも止め方が分からない争いは、ようやくのこと、なし崩しの終焉を迎えます。
 1284年夏、やっとこさナポリを出発したシャルルの大軍ですが、シチリアの海軍提督ラウリアのルッジェーロのゲリラ戦に翻弄され、長期停滞を余儀なくされます。
 シチリアでは、アラゴン王ペドロの后コンスタンツァと大法務官アラーイモの妻マカルダの見えの張り合いがそれぞれの亭主に飛び火。結局、アラーイモはフランスと通じた罪によって失脚、シチリアはアラゴン派と反アラゴン派に分裂してしまいます。
 この敵失によるチャンスをシャルルは死の床で知ることになりました。1285年1月7日、フォッジアの地にてシャルル死去。シャルルマーニュの後継者たらんとビザンツ帝国からはるかエルサレムまでを手にすることを夢見た王、その最後の祈りの言葉は、「主よ、私が自身の利益や得のためでなくローマ教会のためにシチリア王国を引き受けたことを、あなたはご承知のはずです。ですから、私の罪をどうぞお許し下さい」、享年58歳。

 「シチリアの晩祷」から3年、自由と誇りのためには自分よりも遥かに強大な敵に向かって剣を抜く人々がいるとあの時学んでいれば、シャルルの王国の崩壊は防げたはずなのです。しかし、神は彼に頑固な信仰と大胆な行動力を与えはしましたが、謙虚な洞察と人を思い遣る心は与えてくれませんでした。

 そして、そんなシャルルにありったけを投資したローマ教会、その敗北は誰の眼にも明らか、取り繕うには大きすぎる傷となりました。同じキリスト教徒を相手に繰り返される聖戦、自分たちの都合だけで外国の軍隊を次々とイタリア半島に招き入れる聖ペテロの後継者、十字軍はもはやパパ様の傍迷惑な八つ当たりという意味しか持たなくなりました。神の代理人が神聖であった時代は終わったのです。

 ヨーロッパの人々は「シチリアの晩祷」を決して忘れませんでした。三世紀の後、フランス王アンリ4世はスペイン大使にこうぶちかましました、「余はミラノで朝食をとり、正餐をローマでとることができるのだ!」、大使は静かに言い返しました、「では、陛下は晩祷の鳴る時刻にはシチリアにおいでなのですね」

参考文献:「シチリアの晩祷 13世紀後半の地中海世界の歴史」(スティーブン・ランシマン著 榊原勝・藤澤房俊訳)
      :「シチリア “南”の再発見」(陣内秀信著)



第一幕 運命はその手の中に

 1282年春、パレルモ、広場にはシチリアの人々、そしてフランス兵。故郷の空よ、この思いを受け取っておくれ、勝者の勇気が報われるように、フランス兵たちが郷愁を歌えば、故郷の大地は侮辱に震える、復讐は疾風のように迫り、勇気を掻き立てる、シチリア人たちが恨み節で返します。士官のロベルトやテバルドは、既に相当の葡萄酒を聞こし召している様子。同志、酔っているのか?もちろん、酔っているさ、恋にね!止めとけ、シチリアの男は嫉妬深いし、シチリアの女は気が強いぜ。何言ってんだ?ロベルトがよろけつつ立ち上がります。まぁ、見ているがいい、俺になびかない女なんているもんか。亭主どもはどうするんだ?俺は勝者だと知ることになるのさ!

 侍女ニネッタと若者ダニエリと共にオーストリア公爵フェデリーゴの妹である公女エレーナが喪服をまとって登場。続いてフランス軍のヴァードモン伯爵とベチューン卿が登場。何という美しさ・・・、エレーナに眼を奪われるヴァードモン、斬首されたフェデリーコ公爵の妹君さ、今はこの島で人質同然、兄を悼んでおられる。なるほど、確かに我らが総督は無慈悲と言われても・・・、おい、兵士たちに聞こえる、口を慎めよ。

 お兄様、フェデリーゴ、悪が引き抜いた高貴な花、貴方の命を奪ったあの暴君に死を!私は貴方の復讐を成し遂げるでしょう・・・。祈るエレーナにフラフラと近寄るロベルトとテバルド、あぁ、飲み過ぎた、シチリアのお友達さんよ、俺たちの栄誉を歌ってくれないか?よう、そこの別嬪さん、あんたに頼もう、歌ってくれよ!姫様に何を・・・!気色ばむニネッタをエレーナが制します。歌うわ、聞きなさい!

     嵐に難破した船が見えるでしょう?水夫たちの嘆きが聞こえるでしょう?
     神よ、熱い祈りを聞き給え、貴方だけが頼りなのです
     神はこう答えられる、自らを信ずる者に天は微笑む、お前たちの運命はその手の中に!

     勇気を出して、海の子らよ、臆病は天に対する罪、挑むのです、神は守り給う

     蒼ざめた顔で祈りを聞くだけ?試練の中で恐怖に震えるだけ?
     力を出して、海鳴りに、雷鳴に答えるのです、その心は征服されたことなどないはず

 エレーナの歌に答えて広場のシチリア人たちの心は高ぶります。

 勇気を奮って立ちなさい、海の息子たち!そうとも、勇気を持って立つんだ・・・!シチリアの男たちの手には剣が、その視線の先には酔いつぶれているフランス兵たち、立ち上がれ、殺せ!・・・、奴だ、奴だ!
 人々が息を呑んだ刹那、広場に登場したのは、シチリア総督モンフォルテ、この男の前では誰もが震え上がる・・・、引き潮のように広場から引いていく人々。
 お兄様の仇、私の胸は憎悪に震えるわ、この島の支配者であり、兄を殺し、自分を捕らえた総督を睨みつけるエレーナ、その視線を跳ね返すモンフォルテ。憎むがいい、いずれその口を塞いでくれる。

 一人の若者がエレーナに駆け寄ります。公女様!アッリーゴ!牢から出られたのですね?そうです、僕は自由です、あのモンフォルテの意に反して、法廷は正しい判決を下したのです。今の僕には武器もないけれど、心に秘めた決意は変わらない、僕は復讐を果たします!
 怒りを抑えるくらいの礼儀をわきまえて欲しいものだ、この声はモンフォルテ、どこだ?ここにいる!公女様にはお引取り願おうか、私はこの若者に話がある。

 名は?アッリーゴ、父は?父はいない、母は?母ももういない、十ヶ月前にこの世を去った、天で僕を待っているはず。フェデリーゴ公爵の館にいたのか?そう、あの英雄のお側に、英雄だと?ならず者だ、あの方は僕を同志にして下さった、まるで父のように励まして下さった・・・、僕はあの方のために戦う、あの方のために死ぬ、お前に死をもたらしてやる!その無礼な言葉もお前の大胆さに免じて見逃してやろう、お前の勇気には気高い栄誉こそ相応しい。栄誉?どこで投売りしている栄誉だ?私の館で、どうだ、私の配下にならないか?殺されたって断る!なるほど、死も厭わぬか、行け!しかし、その前にあの館を見るがいい、モンフォルテが指差す先にはエレーナの館が。二度とあの館に足を踏み入れるな、なぜ?やがて分かる、お前はエレーナを愛している、だがお前の愛はやがて失われる、なぜ?私には分かっている、さぁ、行け!
 お前の命令など聞かぬ!この私を怒らせたいのか?僕は自由だ、お前の怒りが僕を殺そうとも、僕はお前を恐れない!

 覚えておけ、二度とあの館に足を踏み入れるな、さもないと死ぬことになる・・・、公女様のためになら死ぬ!

 エレーナの館の扉を叩くアッリーゴ、その後姿をじっと眼で追うモンフォルテ。

 独立で演奏されることも多い印象的な序曲で幕が上がります。スケールの大きさと方向性の確かさは、作曲家が新しい地平線を見渡す場所に到達したことを誇らしげに宣言するかのよう。しかし、まだ最初の一歩を踏み出したばかりですから、その後のフランス兵とシチリアの人々の掛け合いの合唱で書き込み過ぎる癖が顔を出す当たりは致し方ないのでしょう。が、その後の展開が少々辛いです。スクリーブの台本に無理が多すぎる上に人間関係が非常に分かり難い、つーか、全然分かりません。

 エレーナ公女、前シチリア王フェデリーコの妹となっておりますが、シャルルの前のシチリア王はマンフデレィ、別にこの名でいいじゃないですか。舞台の上に出るわけでもない書き割り人物にわざわざ史実に反する名前を持ち出す必要があるんでしょうか?

 推測ですが、これは、ホーエンシュタウフェン家のフリードリヒ2世(イタリア読みでフェデリーコ、在位は1197〜1250年)、シチリア生まれの母によって3歳で王冠を頂いた王、シチリア人よりもシチリア人らしく、その生涯をパレルモで過ごした王の名前に対するシチリアの人々の愛着ゆえでしょう。そして、このフェデリーコ2世、武力ではなく外交力で十字軍を成功させ、無血でエルサレムを回復し、異教徒を一人も殺さないなんて、ンなもん十字軍じゃにゃーわ!と、えらいご立腹の教皇様が嫌がらせに担ぎ出した対立王ホラント伯ヴィルヘルムをさらりと軽くいなし、裁判は「神意」ではなく「法」に委ね、基幹産業を国有化することで財政を安定させ、当時としては珍しい、まるでルネサンス精神を先取りしたが如き現実的な思考の持ち主でした。
 夢みたいなこと言っていても権力者が務まるのは脳天気な時代の脳天気な国家だけ、次から次へと侵略者を迎えては押し返し、戦争と平和を繰り返す、そんなタフな歴史を持つシチリア、彼らにとって信頼できる王とは、過酷な現実に当たって冷静に対処できるリアリストであって当然、シチリアの人々は決してフェデリーコを忘れませんでした。フェデリーコの名は、私たち日本人にとっては「どっかの王さん」ですが、シチリアの人々にとっては特別な響きを持つ名なのでしょう。

 簡単にキレそうな若者がいます、何やら訳あり風に語る男がいます、やり手の上司が少々気に入らないドンファン気取りの騎士たちがいます、そして、手弱女ぶりを見せつけつつ、どうも腹ん中はメッチャ物騒な雰囲気の姫様がいます。きな臭い空気が立ち込め、私たちは、この物語の結末が大殺戮であることを改めて思い出します。しかし、この幕で用意された導火線は、人物ではなく、エレーナが歌う一行の言葉なのです。
 「自らを信じる者に天は微笑む、お前たちの運命はその手の中に!」・・・自分の運命が自分のものなのは当たり前のこと、そこに「神の意志」が登場すると?

 自分の目標の実現のために全力を尽くす、それ自体はとても尊い行為です。たとえその目標が「悪」であったとしても、何かしら人の心を惹きつけます。多くのピカレスク小説や悪党が主役を張る映画が人気を博しているように、どんな形であれ、懸命に努力する人というのは、ある種の美を持っています。しかし、自分のために頑張ることが神の意志であるとなれば、話は全く違ってきます。自分の意志と神の意志との区別が曖昧になっていく、これを冷静な人は「狂信」と呼びます。
 オイラ頑張るから、神様助けて「下せぇまし」が、頑張っているんだから神は助けてくれるに「決まってらぁ」になり、そして、おぉ、俺って頑張ってるから神が助けてくれて「いるんだもんねぇ」に至る道のりは、意外に短いものなのです。
 そして、自分が頑張っているように相手も頑張っているのでしたら、さて、神はどちらに味方しますか?八百万の神を戴く日本人でしたら、双方の到達点のちょい下辺りでコトを落とすという知恵があります。しかし、一神教にはそんな知恵はありません。相手の息の根を止めないうちに頑張りを止めること、それはつまり神に見放されても構わないという背信の意思表示になってしまうのですから。
 自分のことは自分でやれ、誰もやってくんないよ、この自己決定、自己責任という概念が登場するまで、まだまだ先は長い、シチリアの晩鐘が鳴り響いたのはそんな時代でした。

 ヴェルディは未だ物語をそのまま五線譜に叩きつけており、余白を使いこなせておりません。書き込み過ぎの熱気がそのまま独善的に響いてしまっております。余白のない人生、余白のない音楽、どちらもいささか息苦しいものです。


第二幕 我等にはナイフと心が

 長く外国に亡命していた医師プローチダが再びシチリアの土を踏みしめて歌います。祖国よ、かくも長い不在の後にお前に口づけしよう、パレルモよ、熱愛する大地よ、輝きを取り戻せ!シチリア人たちよ、かつての勇気はどこへ?勝利と名誉のために立ち上がれ!
 同志に知らせてほしい、私の帰国を、それから、アッリーゴを探してくれ、彼とそして公女様に私が待っていると、急げ!・・・闇の中で復讐の機は熟しつつある、愛する大地が救われたなら、その時、私は幸せに死ぬだろう!行け、静かに、慎重に、そして大胆に!
 プローチダ、僕らの友!私たちの希望!エレーナとアッリーゴが登場し、プローチダとの再会を喜びます。アラゴンのペドロ殿との盟約は?残念ながら・・・、彼はシチリアが蜂起することを望んでいます、シチリアにその用意は?何もない!アッリーゴが吐き捨てます、未だ民衆は迷い躊躇っている!それでも我らは成し遂げねばならぬ、民衆に武器を取らせねばならぬ。婚約者たちの誓いの儀式、町が一つになるその機に訴えれば、エレーナが提案します。そう、民衆の情熱は瞬く間に燃え上がる、その代償は高価なものとなろう、そして、お前の助力があれば、僕の?何なりとご命令を!

 アッリーゴ、貴方の勇気に私は何を持って報いれば・・・、僕の褒美は貴女のお側にこの身があることです、僕は貴女だけが怖い・・・、公女様、僕は貴女を愛しています、貴女のために死ぬこと以外何も求めないほどに・・・!胸がときめく、止められないわ、お兄様、私をお許しになって!僕が素性の知れぬただの兵士だからといって、僕を蔑まないで下さい!どうか兄の復讐を!そうすれば、貴方は私にとっては王より尊いお方!そして私は貴方のもの!復讐を!誓って?誓います!

モンフォルテの使いが登場します、そこの若者、舞踏会への招待状だ、僕は行かない!滅多にない厚遇なのだぞ、行かないと言っているだろ!命令する、一緒に来い!行かないったら、放せ!

 プローチダ殿、兵士たちが彼を連れ去ってしまいました!何ということ・・・、彼を救わねば!

 6組の婚約者たちが着飾って登場、祝賀のダンスが始まったところに、ロベルトとテバルドを先頭にフランス兵たちが登場、美しい花嫁たちじゃないか?女たちを見詰めるフランス仕官にプローチダが囁きかけます、おい、お見通しだぞ。お前、誰だ?君のお友達さ、みんな美人だ、でも亭主どもが、馬鹿馬鹿しい、君たちは征服者だろう?何でも思いのままだろう?二人を唆すプローチダ。あの絵、覚えているか?「サビーネの略奪」?フランス兵は向かうところ敵なしさ、戦も恋も!
 おい、別嬪さん、お前さんは俺のもの、逃がしはしないぞ、放してよ!エレーナの侍女のニネッタが叫びます。いいじゃないか!ロベルトはニネッタを放しません。非力な女たちに手を出すのか?それでも騎士か?人々の怒りを無視して花嫁たちを連れ去るフランス兵たち。

 何という恥辱!恐怖を打ちのめす恥辱!怒りに震える男たちにプローチダが訴えます、略奪者たちを殺さないのか?この恥辱を黙って受けるのか?エレーナが加わります、彼らが貴方たちの花嫁を陵辱しているのよ!・・・その通りだ、報復を!俺たちの胸には獅子の如き怒りが!

 海岸線に船が現れます。船上には着飾ったフランスの貴族たち、優雅な歌が聞こえます、三美神と共に、来たれ、愛の神よ、今日という日を喜びの日とするために・・・。
 あの船はどこへ?宮殿へ、今宵は舞踏会が開かれるのです、絶好の機会、逃す手はない、でも、どうやって?亡霊のように静かに、稲妻のように素早く、祝宴に紛れて怒りを叩きつけるのだ!でも、フランス人たちは武装していて・・・、我らにはナイフが、そして心がある!

 三美神と共に、来たれ、愛の神よ、今日という日を喜びの日とするために、風は爽やか、もう日も暮れます・・・。

 この作品における唯一の歴史上の実在人物が登場します。ジョヴァンニ・ダ・プローチダ。1210年サレルノ生まれ、ヨーロッパ最古の医学校を優秀な成績で卒業、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に侍医として仕え、ナポリ湾に浮ぶプロチダ島を賜ったことからその名がつきました。フリードリヒが世を去るまで10年の間、「玉座に座った最初の近代人」と賞された皇帝がこじ開けてみせたルネサンスの精神を、医者として、科学者として分かち合ったプローチダ、皇帝亡き後、彼は己の全てをフリードリヒの実家であるホーエンシュタウフェン家の再興に捧げます。

 我が身に国家の全てを集約させようとしたフリードリヒ、役人や裁判官に皆等しく皇帝に対してのみ義務と責任を負うことを徹底させ、家柄、人種、宗教とは無関係に優れた人材を官僚として登用し、正確に課税し(不動産の登記制度を発明したのはフリードリヒです)、計画的に生産する、それは彼の後、ルネサンス君主たちがこぞって目指した強力な中央集権国家です。フリードリヒが夢見たもの、それは、教皇に干渉されない自由な古代ローマ帝国の再現でした。対するシャルル、彼が夢見たもの、それはローマ教会によって祝福された西ローマ帝国でした。この二人の思い入れがガチでぶつかったのがシチリアなのです。

 打倒シャルル!まぁ、確かに、フランス人のくせしてシャルルのヤツ、イタリアでデカイ面して調子こいとるわねぇ、プローチダは、シャルルのシチリア支配を面白く思わない勢力を何とかまとめようと奔走します。アラゴン王国(国王ペドロのお后はシャルルに敗れて戦死したフリードリヒの庶子マンフレディの娘でした)、ビザンツ帝国(皇帝ミカエル8世は、第四回十字軍が残したインスタント国家ラテン王国をあっさりと潰し、何すんだぁと騒ぐカトリック国家を寄せ付けなかった「最も狡猾なギリシア人」)、ジェノヴァ(地中海貿易を独占するために第四回十字軍のスポンサーを務めたヴェネツィアのライバル)を説き伏せるために、彼の弟アンドレア、彼の息子フランチェスコは、密使兼スパイとして、書簡や運動資金を懐に危険な旅に明け暮れました。

 しかし、オペラの台本に目をやると、プローチダの人物造形のお粗末さが目に付きます。「革命家でもあり得る人間なのに、『単なる謀反人』のように描かれている」、ヴェルディも不満に思っていたように、どうも作家スクリーブはプローチダに興味がなかったようです。

 この幕、「あぁ、祖国よ、パレルモよ、熱愛する大地よ」、プローチダの熱いモノローグが終わってみれば、何でこーなるの?の連続です。アラゴンのペドロが求めているもの、それは自分のシチリア出陣にシチリア島民が呼応することの保証。二階に招かれた挙句に梯子を外されては堪らない、何しろシャルルの後ろにはフランス、そしてローマ教会が控えているのですから。しかし、プローチダはアッリーゴを鉄砲玉に指名しただけ、何の作戦もないらしい。指名されたアッリーゴは、何をどうするのか訊こうともせずに手の届くはずもない高値の花に告っている。告られたエレーナは仇討ちをしてくれれば私は貴方のもの、とてもじゃないがやんごとなき姫君が口にするとも思えない台詞で誘惑。三人して全く噛み合っていないので、聞いている方は何が何やら、「缶詰の中の缶切り」のようなイラっとする感覚はどうしようもありません。
 結局、エレーナの発案で島の若者たちの婚約の祝宴で何かすることになるのですが、誰が何をするのかさっぱり分からないので、緊張感なし。分からないまま鉄砲玉のアッリーゴが拉致されてしまい、しかし、その「何か」はそのまま実行されてしまうのです。で、その「何か」の正体とは、フランス兵をそそのかして花嫁たちを攫わせ、シチリアの男たちを怒らせること・・・だったのです。熱愛する大地はどーした?神聖なる愛はどーした?偉大なる時はどーした?世界征服を唱えつつ幼稚園バスの乗っ取りとか造成地での乱闘とかに精を出している変身ヒーローものの悪の組織みたい、ちょっと情けない。

 何よりも台本は、決して両立しない復讐と恋を無造作に並べて、どちらにもチャンスを与えてしまい、結果としてどちらにも失敗しています。アッリーゴは口が裂けても自分の想いを打ち明ず、ただ黙って己の命を差し出す、エレーナは自分の恋心を痛いほど感じつつも、アッリーゴに兄の復讐を命ずる、語られなければならなかった想いと語られるべきではなかった言葉、しかし、二人は踏み出してしまった、なぜなら、この恋にも、この復讐にも、死以外の結末はないと知ったから・・・、こう持って行った方がヴェルディにはずっとずっと似合ったでしょうに。
 幕切れ、短調のタランテラ、弾むリズムと呻く旋律、無理矢理ねじ切ったような切り口を晒すフィナーレ、何やら作曲家の微かな苛立ちが感じられるように思います。

 さて、プローチダとロベルトたちが語る「サビーネの略奪」です。ローマ帝国建国の父ロムルスがサビーネ族の女たちを攫ったという故事、ニコラ・プッサンの絵画やジャン・ボローニャの彫刻が残っておりますが、1954年のハリウッドのミュージカル映画「略奪された七人の花嫁」の元ネタ、というのが一番有名でしょうか。


第三幕 お前たちに恥辱を、我等に勝利を

 モンフォルテの宮殿、執務机を前にした総督の独白。そうとも、あの女は俺を心底嫌っていた、俺の罪だ、あの女を拉致してきたのだから。15年もの憎悪!息子を隠し通して死んでいった女、残されたのはこの手紙だけ・・・、『たとえ血に飢えた斧が祖国の勇者アッリーゴの頭上に振り下ろされようとも、その無垢な頭を落としてはならない』、俺の息子なのだ!

 総督閣下、かの若者は来ることを拒みましたので力づくで連れて参りました!よろしい、彼をこちらに。・・・富も名誉も手に入れた、しかし、俺はいつも虚しかった、お前を取り返すことができるだろうか?この館で父親としてお前を愛せれば、お前と一緒に暮らせれば!
 お前!モンフォルテの前に現れたアッリーゴ、僕はお前の死以外に何物も要らぬ!私を罵るのも、死を企むのもお前の自由だ。しかし、お前は闇の中、震えているではないか、私の顔すら真っ直ぐに見られぬではないか、さぁ、見るがいい、私は丸腰だ。慈悲をもって命を救ってやったのに、恩を仇で返すのか?アッリーゴ、お前の心はお前に何も伝えないのか?何と不幸なことか、お前にだって見えるだろう、私の目に浮んでいる涙が。・・・私の苦悩では足りないというのなら、母の言葉を読むがいい。母上?そうとも、お前のその愛らしい顔、私は喜びを感じる、何故なら・・・、母上の字だ!神よ、何が明らかになるのですか?
 息子よ!・・・あぁ、ぞっとする!公女様、僕は貴女を失ってしまった!私の息子よ、何を望む?富、称号、名誉、何でも与えよう!僕の運命のままに放っておいてくれ、モンフォルテの名が欲しくないのか?憎悪すべき名だ!何という侮辱、息子は父を呪うのか?運命よ、僕は父を呪うぞ!
 待て、アッリーゴ、落ち着け、放せ!僕を苦しめるな!仮にも僕を愛しているのなら、どうか遠くへ行かせてくれ!なぜ父と認めぬ?母上の思い出がそうさせない、天の母上、僕のために祈って下さい。父の祈りはお前には通じないのか?アッリーゴに手を差し伸べるモンフォルテ、しかし、息子はその手を払い除けて走り去ります。

 大広間、華やかな仮面舞踏会がたけなわ、踊り子たちがギリシャ神話の神々を演じ、着飾った人々は皆上機嫌。アッリーゴが仮面をつけたエレーナとプローチダを連れて登場。公女様、どうしてここへ?貴方を助けによ、そして、人々の復讐のために!同志たちは仮面に顔を隠してこの場に、胸のリボンが味方の印、刃が光れば、暗殺は為される!・・・アッリーゴ、なぜ蒼ざめている?誰かが貴方のことを見抜いているのではと、誰が?彼です。
 モンフォルテ登場、息子に近寄ります。今宵の喜びもお前には足りないのか?運命の風が吹いています、ここから去って!自分の館から?僕にはそれ以上言えません、でもお願いです、ここから去って!私を心配してくれるのか?何と嬉しいことか、さぁ、抱かせてくれ!用心して、今宵の貴方は標的に過ぎない、この印を見て、僕も誓いました。愚かな!アッリーゴの胸のリボンを引きちぎるモンフェルト。お願いです、逃げてください!何を言っても無駄だ、だって、ほら、刃が光った!プローチダたちが静かに総督を囲みます。
 止めろ!エレーナの手に握られた刃の前に飛び出すアッリーゴ、立ちすくむエレーナ、フランス兵たちがたちまち暗殺者たちを取り囲みます。胸につまらぬ飾りを付けた人間を全員捕らえろ!
 裏切り者!エレーナ、プローチダ、そしてシチリア人たちがアッリーゴを指差します。卑怯者!あぁ、祖国よ、我らは死んでも勝利を諦めません!僕は何ということをやってしまったのか・・・、祖国を裏切ってしまった!公女様、同志たち、どうか僕にお慈悲を!卑怯者、裏切り者!お前には恥辱の烙印が押される、我らに勝利を、お前に死を!

 僕にはもう何も見えない、聞こえない、僕は何をした?同志たちに勝利を、僕に死を!

 人々から恐れられる独裁者が誰にも見せたことのない素顔、かつて恋したシチリア女、無理矢理モノにしたその女は最後まで俺を憎んでいた、その胎内に宿った命を、俺の息子を、15年もの間、憎悪でもって隠し通した、そして、今、立派なフランスの敵に育った息子の首を打ち落とすことなきようにだと?あの女の嘲笑が聞こえるようだ、モンフォルテのレチタティーヴォの厳しい美しさは圧倒的です。
 自分を憎んでいた女が産んでしまった息子、それも反フランス派の鉄砲玉、それなのに、この父は、息子の傍らに過ごすことができればと願わずにはいられないのです。シチリア島最高の権力者に忍び寄る老い、時の流れは、誰一人見逃すことをせず、死に向かって追い立てていく、モンフォルテにはその足音が聞こえるのです。
 殺してやる!と心に決めた男が父親、顔を知らない父であったからこそ、あれこれと思い描く自由もあったでしょうが、今、その父は現実です。アッリーゴは驚き、嘆き、そして後ずさりをします。父無し子の暗い境遇を返してくれ、それが適わぬならどこか遠くへ行かせてくれ、それも適わぬなら、母よ、貴女のあの憎悪を僕に与えて下さい!若者は父を否定しつつ、父に惹かれている、惹かれているからこそ、そんな自分が恐ろしくて、後ろに下がりながら母に祈っている、父が老いを自覚するのに対して、息子は子供に返りたがっています。

 しかし、敵の大将のお命頂戴という大作戦だというのに、やったことと言えば味方の目印のお洒落なリボンを誂えただけですか?んで、実行役はやんごとなき姫君ですか?こんな行き当たりばったりのテロが成功するはずわけありません。エレーナの振りかざす刃から父モンフォルテを守ったアッリーゴ、愛する公女様の手が血で汚れるのを、そして、父が殺されるのを座視することなど出来るはずもなく、しかし、彼の「正義」は誰にも理解されないのです。

 プローチダ、エレーナたちが「お前たちに恥辱を、我等に勝利を!」と叫べば、モンフォルテたちも「お前たちに恥辱を、我等に勝利を!」と袋のネズミのシチリア一派を睨め付けます。そして、ただ一人の若者が「あなた方に勝利を、僕に恥辱を!」と自分を苛んでいます。プローチダには政治的野心があります、エレーナには兄の恨みがあります、モンフォルテには自分の名誉と富がかかっています。彼らは皆、自分の立っているその場所から、自分が正しくて他者が間違っているのだと主張します。ただ一人、自分の立つべき場所がどこなのか分からない、フランスとシチリアの血を受け継いでしまった若者だけが自分自身を呪っています。そして、この場で彼だけが「罪なき人」なのです。
 シチリアとフランスが正義を叫び、その両方の血を体内に持つ若者だけが苦悩する、ヴェルディは物語の本質をフィナーレのアレグロでしっかりと掴み取っています。


第四幕 この驚き!この喜び!

 フランス軍の砦の中、牢獄の扉の前にアッリーゴ登場、モンフォルテ様のご命令だ、僕を彼らに会わせてくれ。・・・僕のせいだ、全部僕のせいだ!愛する人たちが鎖に繋がれ、裏切り者の僕の足には足枷はない・・・、何て言えばいいんだ、僕は皆に恨まれている、皆のために死にたい!愛が微笑んでくれたのに、天は僕の全てを奪ってしまった、エレーナ様、貴女の蔑みが僕には何よりも恐ろしい、誰か来る、彼女だ!僕は自分を告発する、そう、僕は軽蔑よりも死を選ぶ!

 兵士に伴われてエレーナ登場、裏切り者が目の前に!貴方の裏切りの報いはその心にあるわ、私が貴方を許す?裏切り者が何を望む?僕は・・・、ただ不幸な人間でした、でも、もう決して僕の心を裏切りません!運命のせいだと?天に願うがいい、このならず者!私たちに何をしたのか分かっているの?私の手から刃を取り上げたのよ!その男は、僕の父なのです!父・・・?
 恐ろしい運命、永遠の絆、それが天が僕に与えたもの、僕はあの父のために僕の名誉を棄てました・・・。何てこと、何て残酷なこと、でも、僕は父が僕にくれた命を返しました、僕は自由です、僕は彼に対する憎悪を取り戻しました!しかし、家名は、財産はどうなるの?そんなもの要らない!僕は貴女と共に生き、貴女と共に死にます!アッリーゴ、貴方を憎むことが私にとってどれほど辛かったか、貴方を愛します、この言葉は私の死に喜びを与えてくれるでしょう、さようなら、天が私を待っています、私は貴方を思いながら死にます。僕を思いながら・・・、僕は闘います、貴女の傍らで死ぬために!

 兵士に伴われてプローチダ登場、アッリーゴは命令書を見せて兵士たちを立ち去らせます。公女様、同志がこの手紙を!「武器と黄金を満載したアラゴンの船が港に接近」、プローチダが嘆きます、それなのに、私は鉄格子の中、一日、いえ一時間でも外に出られれば!・・・アッリーゴ、私は誰を見ている?なぜここにいる?新しい裏切りを持ってきたのか?ほら、お前の共犯者のお出ましだ!

 モンフォルテ登場、僧を呼べ、懺悔が済んだら全員処刑しろ!しかし、閣下、民衆たちが何やら騒いでいて・・・、用意はできている、反逆者たちの最初の叫びが合図、皆殺しにしてくれる!そんな命令を・・・、奴らは皆死ぬのだ、そんな!アッリーゴがモンフォルテに訴えます。お慈悲を、さもなくば僕も一緒に殺して下さい!裏切り者が何を言う、プローチダの罵りにモンフォルテが激怒します、こんな奴に辱めを、アッリーゴ、お前には私の血が!・・・何だと?
 モンフォルテの息子?終わった・・・、さらば、祖国よ、私は死ぬ、失望のうちに、苦悩と共に!がっくりとうなだれるプローチダ、そうとも、シチリアは正しく守られるのだ!勝ち誇るモンフォルテ。僕のせいで公女様は祖国の土に還ってしまう、僕は一緒に死にます!とアッリーゴ、さようなら、私の愛する祖国、私は悲しみと共に天に参ります!とエレーナ。
 アッリーゴは再び父にすがります、お慈悲を!お願いです、お慈悲を!情けない、お前も彼らと同じか?その上命乞いか?不肖の息子、しかし、私はお前に全てを譲る、私を父と呼べ、そうすればお前も彼らも許してやる。止めて!エレーナが叫びます、決してその言葉を口にしてはなりません、私のために!僕は、どうすれば・・・。父と呼ばぬと斧が降るぞ!・・・私は死ぬわ、勝利のために!

 父上!アッリーゴが叫びます、父上!・・・何とうれしいことだ、処刑は中止だ!全員に恩赦を与える、そして、友情の証として、アッリーゴと公女の結婚を神に捧げよう!決して・・・、プローチダがエレーナの言葉を遮ります、お受けにならねばなりません、祖国も兄上もそれを望んでおられます。

 何と言えばいいのか分からないわ、この喜び、この幸福!この心は愛に花開き、友情の証となる!息子に父と呼ばれて感激するモンフォルテ、結婚を許されて歓喜するエレーナとアッリーゴ、しかし、プローチダの呪詛の言葉、その喜びはすぐに苦悩に変わる、愛に覆われた復讐が喜びを破壊する・・・。

 父上、聖なる結婚式を明日!今日という日があるではないか、では、今すぐに!いいとも、熱い太陽を夕べの風が和らげる晩鐘の時がよかろう。公女様、信じていいのですね?貴女は僕のものだと?私は貴女のものよ!

 そうはさせぬ!プローチダが呟きます。

 愛する女性が父を殺す、それを止めたことで自己嫌悪に苛まれるアッリーゴの痛ましさ・・・なのですが、妙に元気な前奏曲が空気読めてないというか、そもそも読む気ないというか、そんな少々ぎくしゃくした雰囲気を醸し出すこの幕、物語の方もモノの見事に空中分解。

 皆に憎まれている、僕はもう死ぬしなかい、アッリーゴのアリアは、死刑を宣告されたエレーナたちを救えないのなら、僕も同志として一緒に死のうという熱い思いよりも、もうアタマぐちゃぐちゃで堪らんので一切合切終わらせたいという甘えが勝っている印象、少々緩い感じはあるものの、それなりに立派なアリアです。台本がもうちょっと力強い主張を盛り込んでいれば、ヴェルディはどれほどのアリアを書き上げたでしょうか、ちょっと残念。
 エレーナを前にして、家名も財産も、そして命もいらないと涙する若者、その言葉に、それならば私も命をもって報いようとする女、宿命を乗り越えるためのただ一つの武器である死を手にする恋人たち、ここはもうこのまま心中モノでいいのに、何故か死は訪れないのです。台本は、この後の大虐殺の印象を強めるために、ここで死に出番を与えるのをよしとしません。しかし、死ぬ以外にお互いに結ばれないと納得している男と女という設定の勢いを、わざわざ削いでしまっていることは事実でしょう。

 何が何でもアッリーゴに父と呼ばれたいモンフォルテ、その老いの一徹が物語をひっくり返してしまいます。父と呼んでくれれば反逆者全員を許す、シチリアと交換してまで父と呼ばれたい、しかし、哀しいことに、この父はここに至っても高圧的な接し方しかできないのです。エレーナを救えるのならば・・・、モンフォルテの物言いがどれほど上からであろうが、アッリーゴの心は揺れ動きます。そして、エレーナはそれを強く拒みます。アッリーゴの「父上!」の一言で彼も自分も命が助かるにも関わらず、です。エレーナは生きるアッリーゴよりも死ぬアッリーゴを愛している、兄の敵の老人が死ぬほど欲している「息子」をくれてやってなるものか、憎っくきモンフォルテに対して、アッリーゴの死以上の復讐がありますか?しかし、この書き方によってはいかにもヴェルディ好みに仕上がったであろう強く、恐ろしく、そして美しい姫君が、何故かトホホなことになってしまうのです。

 決して!とはねつけておいて数秒後に「言い表す言葉もない喜び!この心はこの上ない愛に花開き、友情の印となるのだわ!」と来たもんだ。どう聴けばいいんっすか?「言い表す言葉もない喜び!」が真実ならば、エレーナはモンフォルテへの恨みもアッリーゴの裏切りもきれいに忘れ、シチリアとホーエンシュタウフェンを捨てたいかにも軽い女になります。そして、これが嘘であれば、エレーナはプローチダの言葉に応えて一瞬のうちに仮面をつけて、ついさっき裏切り者と罵ったアッリーゴを自ら平然と騙す無機質なテロリストになります。どっちに転んでも、エレーナという女のイメージは救済不可能な深みに沈没してしまいました。何でこんな台本書くかなぁ、ヴェルディの困惑顔が見えるようです。

 プローチダは、今日の夕方には両者手打ちのめでたい婚礼というコトここに至っても、まだ何やら企んでいる様子、しかし、彼が何をどう企もうが、物語は幕切れへ、最初から決められていた大虐殺へ、無理難題てんこ盛りのまま突入してしまうのです。


第五幕 晩鐘・・・、喜びの?復讐の!

 モンフォルテの宮殿は、突然現れた総督閣下のご子息がこれまた突然に死刑囚と結婚、しかも、婚礼の儀は今夜という、もう何が何だか、しっちゃかめっちゃか。しかし、何にしろめでたい!ということで、人々は嬉しそうに歌います。このご婚儀は苦しみの終わり、平和の虹、愛の証、永遠に輝け、この栄光、この愛!
 花嫁衣裳を纏ったエレーナ登場、娘たちは彼女に花を捧げます。ありがとう、綺麗な贈り物、愛が幸せをもたらし、怒りは消え去った、シチリアの海!雲ひとつない空!恐ろしい復讐が引き裂いた心に喜びが満ちる・・・!
 花婿アッリーゴ登場、オレンジの香り、緑の草原、皆、僕が愛されることを知っていたかのよう、私は永遠に貴方のもの、永遠に貴方を愛しましょう!何という優しい言葉、僕の天使、僕の太陽!

 プローチダ登場、あぁ、公女様、貴女様には感謝申し上げねば、なぜ?敵は既に我々を信頼し盾を下ろし、喜びに浮かれている、・・・何が起こるの?婚姻の誓いが為され聖なる鐘が鳴り響く時、パレルモの至るところで殺戮が始まるのです!・・・では、神に誓った婚姻は?貴女の祖国に捧げられるのです、出来ないわ!出来ない?ヤツは独裁者の息子です!いいえ、私の夫です!

 エレーナ、アッリーゴが駆け寄ります。見て、フランスの旗が風に翻って、ラッパが木霊している、祭壇へ行こう!・・・なぜ蒼ざめているの?・・・彼を犠牲にするの?彼らを裏切るの?お兄様、私はどうすれば・・・。祖国の大地への神聖な愛を問うのです!プローチダが迫ります。

 アッリーゴ、私たち二人・・・、許して、私は貴方のものにはなれないわ、何だって?結婚できないの、僕を騙した?偽りの誓いを?僕はもう死んでやる!違うわ、私の嘆きがお分かりでしょう?あの鐘が鳴るのを止めなければならないの、殺戮と恐怖の鐘を!公女様、我らを裏切ると?その罪深い恋人を選ぶと?アッリーゴとプローチダの間でどうにもならないエレーナ。

 父上!フランスの貴族たちを伴って登場したモンフォルテにアッリーゴが訴えます。公女様は兄への復讐ゆえに誓いを破りました!エレーナ、モンフォルテが花嫁の手をとります。彼を信じてやってほしい、貴女は彼を愛している、彼も貴女を愛している、そして、私は二人のためにこの島を支配しよう、さぁ、結婚の誓いを!

 幸せの合図、鐘よ、鳴るがいい!プローチダが手を上げます。止めて、鳴らさないで!殺されるのよ、逃げて、さぁ、逃げて!聞こえないの、あの叫び声が!あれは我らを祝う民衆の声・・・、あれは合図の晩鐘なのよ、喜びの?復讐の!

 プローチダとシチリア人たちがフランス人たちに襲いかかります。復讐だ!怒りが我らを導き、憎悪が我らを駆り立てる、殺せ!殺せ!

 ここまでの台本のグダグダぶりにも関わらず、婚礼を喜ぶ騎士たちの合唱は美しい。満面の笑みでそれに答えるエレーナのボレロ、転調を繰り返し、清々しい中にも悲劇に突き進むここから先の物語を暗示し、ヴェルディ頑張っているのです・・・が。

 「恐ろしい復讐がその胸を引き裂いてしまいました」、何だか分からないうちに復讐がさらっと過去形になっている。「私は永遠に貴方のものになりましょう」、第二幕では、「兄の復讐を果たして下さい、そうすれば私は貴方のもの」と歌ったエレーナ、今は復讐抜きで「貴方のもの」、短剣を握り締め、唇を固く結び、蒼ざめた頬で復讐を誓った美しき姫君が何という体たらく。今、兄の仇にしてシチリアを踏みつける独裁者の命と引き換えになるはずだった愛が、その仇の息子を己もろとも地獄へ引きずり込む代償となるはずだった愛が、特別ご奉仕、先着一名様限り無料です。

 そして、これまた不思議なのがプローチダ、「婚礼の鐘を合図に、パレルモの至るところで殺戮が始まるのです!」ってね、あなた、数時間前まで牢獄にいたはず、いつ仕組んだんですか?最初は、取り敢えず娘たち攫ってもらって民衆を怒らせよう(その後どうするかは不明)、次は、舞踏会でよりによってやんごとなき姫君に暗殺者やってもらおう(その後どうするかは不明)、ここまで万事およそ計画性のない、行き当たりばったりの革命リーダー、プローチダ。多数の民衆を秘密裏に配置し、一斉に蜂起する「晩鐘作戦」なんて絶対に無理だと思う。
 しかし、彼の致命的な「はぁ?」は、コトここに至って何の必然性もなくエレーナの気持ちに、無神経かつ無意味に踏み込むことです。婚礼の鐘が殺戮の合図なんでしょ?結婚式ぶち壊しなんでしょ?それを何で花嫁に告げる?エレーナが飛び上がって喜ぼうが、わめき散らして反対しようが、ここから先起こることはもうどうしようもない、プローチダの性格付けが底意地が悪く浅はかなものになってしまい、それがそのまま、史実としての「晩鐘」を小さなものにしてしまっているのです。

 一度父上と呼んだだけですっかり権力者の息子の立場に馴染んでしまったかのようなアッリーゴ、「ご覧、フランスの大きな旗がそよ風に翻って」、フランス国旗がシチリアの空に翻るのがそんなにうれしいか?暗殺のターゲットが父と知って亡き母に祈った若者、そんな父の命を己の名誉と引き換えに救った若者、背負いきれない憎悪を背負って死を願った若者、その死によって愛が成就することに狂喜した若者、皆どこへ行った?

 唯一、モンフォルテだけが辛うじてマトモに見えます。「貴女は彼を愛し、彼も貴女を愛している、独裁者と呼ばれた私はお前たちのためにもそうありたい」、かつての自分、嫌がる女を愛も無しに抱いた若き野心家と、現在の自分、その結果が与えてくれた息子との失われた絆を取り返したい老いた父、どちらもがモンフォルテです。死と恐怖でもってシチリアを支配してきた権力者の何という幼稚で身勝手な言い分、それが却って孤独な老独裁者を浮かび上がらせています。

 台本を書いたスクリープは、「晩鐘」を用意周到な陰謀(らしきもの)にしてしまいました。しかし、それに相応しい筋書きも、説得力のある人物も造ることができませんでした。結果、陰謀を企てた人物たちがそのまま陰謀に巻き込まれ、それを嘆くという、自分で自分の背中を刺すかの如き台本が出来上がりました。そして、劇的効果を狙ったのでしょうが、散々焦らした挙げ句ラストに大殺戮を持ってきたものの、あっという間に幕が下り、ここまでの人物造形がいい加減なものですから、この後誰が死ぬのか生きるのか、はっきり言ってどうでも良いって感じで、「溜め」が不発に終わってしまっています。

 そんな台本を貰ってしまい、書き直してくれという要望も聞き入れて貰えず、でも、どげんかせんといかん!と一人頑張ったヴェルディの力こぶに少々的外れな健気さがあり、結果、この「晩鐘」は、何か切って捨てることもできないという微妙な作品になりました。

 私の聴きたい「晩鐘」は・・・、エレーナは兄を悼む気持ちに深く沈みつつも一途に恋する女でいい、ヒロインに革命戦士と悲劇の花嫁と両方おっ被せるのは、「ナブッコ」でアビガイッレとフェネーナが合体してしまうようなもので、土台無理です。彼女はただ拉致されたアッリーゴを助けようと舞踏会に居合わせてしまい、それ故にプローチダは暗殺に失敗してしまうのです。エレーナはプローチダとその同志たちに死んで償いをしようとし、アッリーゴはそんなエレーナと一緒に死のうとする。モンフォルテが迫ります、この父の息子として生きるより反逆者として死ぬことを選ぶのか!アッリーゴは黙ってその首を差し出します。その時、晩鐘が響き、ホーエンシュタウフェン万歳!シチリアに自由を!と叫びながらシチリアの男たちが雪崩れ込んでくるのです。剣を受け取ったプローチダがモンフォルテめがけて振りかぶった時、アッリーゴが父の前にその身体を投げ出します。何ということ・・・、アッリーゴは「父上」と言い残し息絶えます。俺の息子、俺の息子を!プローチダに掴みかかるモンフォルテ、フランス人に死を!シチリア人の剣が独裁者の胸を貫きます。折り重なった息子と父の亡骸をピエタのように抱くエレーナ、復讐はなった!と叫ぶプローチダ、シチリアは自由だ!の合唱にエレーナの祈りが掻き消されていく・・・とか何とか、もうちっと書きようがあったように思います。

 さて、録音ですが、タイトルが有名な割に録音も上演も少ないです。1989年スカラ座公演、指揮はムーティ、キャストは、モンフォルテにザンカナーロ、プローチダにフルラネット、エレーナにチェリル・スチューダー、アッリーゴにクリス・メリット、第三幕のバレエもちゃんと入って、決定版というべき録画です。スコアも正確なら時代考証も正確、いかにもムーティらしい厳しい仕事ぶりで、重厚な歴史絵巻に仕上がっています。



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