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ロッシーニ 「ランスへの旅」 (2002年10月4日〜2002年10月24日の日記より)
『凪』の風景
「歴史は繰り返す」、この言葉は名言と言われています。ある力が頂点を極める時、当然、その反作用は最も強くなります。やがて反作用は作用のエネルギーを凌駕し、物事は逆転を始めます。改革と反動、繁栄と没落、戦争と平和・・・。確かに歴史の流れは繰り返しているかのように見えます。しかし、そうであることとそう見えることは違います。敢えて言います、「歴史は繰り返す」、これは大嘘です。だって、繰り返していたら堂々巡りでどこへも行けないじゃないですか。
歴史は波です。うねりを重ね、上下左右に振れつつ、少しずつ前に進む波です。一つ一つの波形は同じ形をしています。波形だけを見ていれば「歴史は繰り返す」は正しい。しかし、その波の位置は一つ前の波よりも山と谷ワンセット分の長さだけ前に移動しています。歴史は細切れに捉えては分からない、全体を大きな一つの流れとして捉えないとその本当の姿は見えてこないのです。
1789年に始まったフランス革命、この革命は「ブルジョア革命」と呼ぶには、あまりに特異な性格を持っていました。資本主義体制の確立のためには大して役にも立たない王様は黙っていて欲しい、黙るよね、あんた?でないとうちらマジで怒るでぇ、ブルジョア革命の御本家イギリスの市民革命は、早い話が商売の邪魔になることしちゃダメ!と王様に制限を付けることが目的でした。当然、目的達成の時点で革命は終了、あとは思う存分商売に精を出せば良いわけです。
イギリスに遅れること約1世紀、フランスで起こった革命、取り敢えず無駄遣いばっかしている王様は要らない!で始まった革命ですが、誰もストップと言ってくれなかった。どこで止めればいいのか誰にも分からなかったのです。本来、ブルジョア革命は経済革命です。経済の自由が保障されればそこでお終い・・・のはずなのですが、寒冷なイギリスと違って豊かな農地に恵まれたフランスでは、この時代でも土地が一番の生産性を持っており、都市型ブルジョワジーだけでは革命勢力とはなり得ませんでした。では、誰と組む?貴族階級一つとっても、中世以来の旧家あり、最近になってお金で爵位を買った新興貴族あり、インテリの高級官僚である法服貴族あり、未だに剣が命の武闘派の帯剣貴族あり、農村では地主から土地を買って独立したいという富裕な農民あり、とてもじゃないけど買えないから全部没収!という貧農あり。はて、この革命の中心はどこの誰だ?何を達成すれば革命は終わりだ?そもそも革命の目的って何だっけ?
分裂を極める革命勢力は、国王を処刑した後は当然のこと内紛に明け暮れます。中流ブルジョアジーで構成されるジロンド派が立法議会を成立させますが、左派のジャコバン派がこれに反発します。気に入らない連中を片っ端からギロチンにかけたジャコバン派ですが、こんな恐怖政治では愛想を尽かされて当然。愛想を尽かしたは良いけれど、その後誰がどうする?この隙間に登場したのがナポレオンです。喧嘩の名人であった彼は、内部分裂にうんざりしていたフランス国民の関心を外に向けて発散させます。内輪のことは一時置いておいて、あの国ウザいからやっちまおうぜぃ!というわけ。よその国を侵略して戦争するぶんには、国土も荒れません、これっていーよなー。
連勝街道まっしぐらのナポレオンがロシアでつまずきます。アイドルの人気は儚いもの。ナポレオンを追放した後、一種の虚脱状態に陥ったフランスは、なんか昔って良かったよなー、平和でさ、良い王様ならいてもいいかもしんない・・・とノスタルジックな雰囲気に包まれます。で、ブルボン朝の復活、ギロチンにかけられたルイ16世の弟ルイ18世が国王に即位。お兄ちゃんみたいに首を切られては堪らないと思ったのか、彼は取り敢えずイギリス型の立憲君主制を目指します。ところが育ちは争えないというか、選挙資格を極端に制限したために、出来上がった議会はギロチン怖さにフランスを逃げ出した亡命貴族ばっかりが当選。革命で奪われた富を取り返そうと王様本人よりも過激な王党派(ウルトラ)を組織します。これってやばい・・・お兄ちゃんの末路を思い出したのか、ルイ18世はこの議会を解散、再び総選挙。今度は立憲君主制賛成の議会が出来上がります。やれやれ、これで一安心、とはいかなかった。せっかく赤絨毯を踏んだのにたった1期でクビになってしまったウルトラ連中は、こんなんありかい!と大反発。ルイ16世とルイ18世の末っ子の弟アルトワ伯を大将に頂き、せっせと巻き返しを計ります。
ルイ18世の死後アルトワ伯はシャルル10世として国王に即位、彼は結局のところ、ブルボン朝最後の王様となりました・・・。
フランス革命勃発、第一次共和制、ナポレオンの登場、やかましいだけの第一次共和制の廃止、ただの喧嘩屋だったナポレオンが皇帝に即位、喧嘩屋は喧嘩に負けて退場、ルイ18世の即位によって王政復古、ナポレオンのつかの間の復活である百日天下、ルイ18世またまた復活、で、死んじゃって、反動勢力の親玉シャルル10世即位・・・。
大きな波が次々と登場し、作用と反作用の繰り返し、のたうち回るフランスは、しかし、少しずつ前に進みます。たくさんの犠牲を払い、周囲を引っかき回しつつ、右へ左へ大きく振れながら。
歴史には『凪』と言う他ない時があります。ちょうど打ち寄せる波がその頂点で、運動エネルギーと位置エネルギーが相殺されて一瞬静止するように。
1825年5月、ランスの大聖堂で明日シャルル10世の戴冠式が行われようとしています。なんでランスかというと、498年にガリア地方を統一したクロヴィスがカトリックに改宗して洗礼を受けたのがこの地だったからです。この時以来、ランスで戴冠しない限り正統なフランス王とは認められないことになっているのです。このシャルル10世の戴冠式まで全部で25人のフランス王がこのランスで王冠を戴きました。
シャンパーニュ地方の中心都市ランス、なだらかに続く葡萄畑、発泡性ワイン「シャンパン」の産地、この金色に泡立つ酸味の効いたお酒は、今でもお祝いの席には欠かせません。
革命以来延々と続く血生臭い内紛、ナポレオンの登場と彼による戦乱、ヨーロッパ中から厄介者扱いされて、さしもの誇り高きフランス人も少々疲れております。今度の王様はきっと良い王様だよ、良い王様であってほしい、平和が欲しいな、ギロチンも戦争もうんざりだ・・・。どんな時代でも「明日」に希望を持つことができるつかの間の静かな瞬間があります。それが『凪』なのです。
ランスにほど近い温泉地プロンビエールの旅館「金の百合亭」、百合はフランス王家の紋章です。ヨーロッパ各地から戴冠式に出席する名士たちがこの旅館に集まっています。このプロンビエールのあるアルザス・ロレーヌ地方は、ローマ帝国以来の長い歴史を持っています。アルザスはハプスブルク家の領土として、ロレーヌは神聖ローマ帝国の領土としての歴史が長く、フランス、ドイツ、様々な文化が混じり合う歴史の「混浴露天風呂」みたいな地方です。
さて、明日は戴冠式、黄金の百合を、豊かで平和な時代を夢見てこの地に集まった人々、なのですが・・・。
一期一会というにはあまりに賑やかですが
この作品、一幕です。しかし、登場人物の数は四幕物の大作に負けておりません。同じ宿屋に居合わせた様々な人間模様が短いコントのようにつながって、彩り豊かな飛びきり贅沢な作品に仕上がっております。
まず、登場人物を抑えましょう。これが結構厄介なのですが・・・。赤が女性、青が男性です。
コリンナ・・・ローマからやって来た有名な女流詩人
メリベーア侯爵夫人・・・ポーランド出身のイタリア貴族の未亡人
フォルヴィル伯爵夫人・・・おしゃれ命!ブランド好きの若い未亡人
コルテーゼ夫人・・・物語の舞台「金の百合亭」の女将
騎士ベルフィオール・・・ドンファン気取りのフランスの若き士官、趣味は絵。
リーベンスコフ伯爵・・・メリベーア侯爵夫人に恋しているお堅いロシアの将軍
シドニー卿・・・コリンナを密かに慕う生真面目なイギリス軍大佐
ドン・プロフォンド・・・骨董品マニアの文学者でコリンナの友人
トロムボノク男爵・・・音楽マニアのドイツ陸軍少佐
ドン・アルヴァーロ・・・これまたメリベーア侯爵夫人を慕っているスペイン海軍提督
ドン・プルデンツィオ・・・「金の百合亭」のホテル・ドクター
ドン・ルイジーノ・・・フォルヴィル伯爵夫人の従兄弟
デリア・・・コリンナに引き取られているギリシャ人の孤児
マッダレーナ・・・「金の百合亭」のメイド頭
モディスティーナ・・・フォルヴィル伯爵夫人の小間使い
ゼフィリーノ・・・郵便配達
アントニオ・・・「金の百合亭」のベル・キャプテン
ジェルソミーノ・・・「金の百合亭」のボーイ
プロンビエールの金の百合亭、「早く!早く!しっかりして!」、マッダレーナが朝からハイテンションでまくし立てております。何しろランスで新しいフランス王の戴冠式が行われる、名士が大勢やってくる、粗相のないように。そんな彼女をからかいつつも、一同気分が浮き立ちます。お客様の健康管理が担当のドン・プルデンツィオが食事に気を配り、準備は万端。金の百合亭の女将コルテーゼ夫人、「麗しい光に輝いて」今日は遠出には絶好の一日、私もランスで王様を見てみたい、っと、こんなこと言ってられないわ、商売、商売。いいこと、みんな、一見様がご常連様になるもならないもサービス次第、また来ようって思わせるのがこの商売のコツよ。お客様の興味に合わせて話を盛り上げるのよ、何たって口コミが一番の宣伝なんだから。
フォルヴィル伯爵夫人登場。「何としても出発したい」のに、私のドレスはまだ届かないの?最新トレンドのドレスなしには戴冠式には行けないわ、ちゃんと催促したの?とモディスティーナに八つ当たり。そこへ夫人の従兄弟ドン・ルイジーノ、伯爵夫人、どうか気を確かに・・・何が?・・・実はドレスを載せた馬車が転覆致しまして、要するに全部おシャカに・・・、それを聞いて気絶する夫人。死んじゃったとドン・プルデンツィオ、ウソつけとトロムボノク男爵、むっくりと起き上がったフォルヴィル伯爵夫人は、何とか帽子だけは無事と聞いて「ありがとうございます、神様!」、その立ち直りの早さには一同唖然。
一行の会計係のトロムボノク男爵は、この世は「おかしな人間の入った大きな檻」と訳知り顔。ドン・プロフォンド、ドン・アルヴァーロとメリベーア侯爵夫人、そしてリーベンスコフ伯爵、名士が続々登場。侯爵夫人を巡ってドン・アルヴァーロとリーベンスコフ伯爵は恋のライバル、さっそく火花が散ります。アルヴァーロにエスコートさせるなんて冷たい女性だ、私が?ちょっと、それ僕への嫌みですか!その他の人々は、ワクワクドキドキで成り行きを見守っております。
美しい竪琴の調べが聞こえます。女流詩人コリンナの歌声、「優しい竪琴よ」、喜びと愛の音色を。私は願う、再び黄金の時代が訪れ、人々に愛が満ちることを。その歌は一同を和ませます、「平和と栄光の印として」十字架が輝く、誰もが幸せを感じる・・・。
シドニー卿登場、密かにコリンナを愛している彼は、毎日匿名で彼女に花を贈っています。「なぜ彼女と知り合ってしまった」、胸の奥に秘めた恋の炎が掻き立てられて、この苦しみ・・・。「あの気高い女神を目にした時」すぐに感じた、熱い恋を。この胸は休まることはあるまい・・・。
一人溜め息をつくシドニー卿に近づいたのはドン・プロフォンド。「ちょっとお話が」、英国の方にお尋ねしたい、フィンガルの剣とアーサー王の鎧はどこで手に入ります?・・・こいつ、アタマおかしいのか?お願いです、教えて下さい!博物館へ行きなさい!しょぼーん。
コリンナ登場、何てきれいな花かしら、あの方の慎ましい胸の内の愛が伝わってくるわ、コリンナがシドニー卿から贈られた花を愛でているところに、これまた彼女を慕う騎士ベルフィオールが絶対に口説き落とす!と威勢良く登場。芝居がかったセリフをまくし立てます。貴女こそ理想の女性、私を拒まれるのなら私は死にます!何て厚かましい男!いえ、だからこれは愛ゆえで、あっちへ行かないと人を呼びますよ!騎士殿、完敗です。
やーい、色男め、フラれちゃってとなぜかご満悦のドン・プロフォンドは、一同の持ち物の目録を作り出します。「私、ドン・プロフォンドは」何たって学士院会員だから、鑑定眼も超一流。スペイン人のお宝は家系図に十字架、南米産の真珠。ポーランド人のお宝は色付きの豪華本、フランスのご婦人のお宝は宝石箱にリボンとレース、ドイツ人のお宝はギリシャ古典の論文、楽譜にホルンとトロンボーン、イギリス人のお宝は紀行文、中国産のお茶、手形、権利章典、フランスの騎士のお宝はリトグラフと絵筆、ロシア人のお宝は地図帳と黒テンの毛皮・・・、目録を作りながら一人で盛り上がる骨董マニア。
フォルヴィル伯爵夫人が騎士殿を探しています。えっと、彼はですね・・・詩を読んでおられましたよ、ウソのようでウソでない骨董マニアの答えに、さてはあの女流詩人と一緒ねと伯爵夫人はおかんむり。
トロムボノク男爵が大慌てで登場、一大事!恐ろしい災難!火事?泥棒?殺人?いえ、だから、そうじゃなくて・・・。ゼフィリーノがやって来ます。馬が一頭も確保できなくて、つまり、皆さん、ランスへは行けないということに。
何ぃー?「思いも寄らない成り行き」に一同騒然。そこへ手紙を手にコルテーゼ夫人登場。「パリからの手紙」によれば、国王様は数日中にパリに戻られ、そこでも戴冠式をなさるんですって!良かったー!パリなら私にお任せあれとフォルヴィル伯爵夫人、皆様を自宅にお招きしますわ!やったぁー、みんなでパリへ行こう!「胸が高鳴る!」、善は急げ、パリなら乗り合い馬車で行けるし、さっそく出発しましょう。じゃ、お預かりした旅行代は?と会計係のトロムボノク男爵。うーん、じゃここでぱぁーって宴会やって使ってしまいましょう!棚ボタで大口の商売が入ったコルテーゼ夫人は舞い上がります。さっ、みんな、支度よ!
メリベーア侯爵夫人とリーベンスコフ伯爵の言い争いが始まります。原因はドン・アルヴァーロ、伯爵の焼き餅も侯爵夫人の毅然とした態度の前に呆気なく消滅。後悔しています、ホントに?恭しく侯爵夫人の手を取って求婚する伯爵、比類なき喜び!雨降って地固まる・・・。
マッダレーナたちが宴会の用意に大わらわ。今宵を盛り上げるにはどうしたらいい?旅の一座が来ているの、音楽好きのトロムボノク男爵が余興に音楽会をなさるんですって。歌って踊るの?ダンス大好き!と有頂天なのはアントニオ。今夜は素敵な一夜になるぞ!
「天が下さるお恵みのうち」楽しみこそ最高のもの、今夜は楽しみましょう、一同がテーブルに着きます。各国から集まったのも何かの縁、お国の歌を歌いましょう。
トロムボノク男爵の「ドイツ賛歌」、メリベーア侯爵夫人の「ポロネーズ」、リーベンスコフ男爵の「ロシア賛歌」、ドン・アルヴァーロの「スペイン民謡」、シドニー卿の「イギリス賛歌」、そして騎士ベルフィオールとフォルヴィル伯爵夫人の「フランス賛歌」、地元代表コルテーゼ夫人の「チロル民謡」、最後を締めくくるのはコリンナの即興詩です。
「黄金の百合の心地よい陰のもと」、喜びが心を酔わせる。フランスはただひたすら感謝を込めて新王を讃える、何百年も何百年も、幸せであるように、麗しのシャルル!
みんな心から楽しそうに歌います、黄金の百合が咲き誇り、天が恵みで満たすよう、フランス万歳!
贅沢の極みの「使い捨てオペラ」
とうわけで、大騒ぎした挙げ句に誰もランスには行けなかったんですね。
この作品は、シャルル10世の戴冠式のために作られた「使い捨てオペラ」です。1825年5月29日、ランスで盛大に挙行された戴冠式、王権の復活を目論むシャルル10世は、ここぞとばかりに派手なイベントを次々と打ち上げます。この後新国王は6月6日にパリに帰還、これに合わせて全ての劇場が特別プログラムを上演しました。オペラ座はベルトン、クロイツァ、ボイエルデュー合作の「ファラモン」、オデオン座はモーツァルトの旋律を拝借した「ルイ12世、あるいはランスへの途上」、そして、この「ランスへの旅」はトリを飾って6月19日にサン・ルーヴォア劇場で上演されました。戴冠式の熱に浮かされた間に合計4回上演されましたが、熱が冷めればお役御免、ロッシーニはスコアを回収し、その後1970年代にバラバラに離散していたスコアが復元されるまで、この作品が上演されることはありませんでした。
たった一度の祝祭のために作られたオペラ、何とも贅沢、まるでロッシーニが愛した美味しい料理のよう、一時の陶酔と甘い記憶と共に消えていってしまいます。
希代の美食家であったロッシーニは、いかにも彼らしい贅を凝らした音作りを披露しています。14声というおそらくオペラ史上最高の厚みを持つアンサンブル、登場するソリストは18人、コロラチューラとアジリタに最高レベルの技巧を要求し、それぞれの性格に合わせて凝りに凝った装飾音を与え、ソロとソロの間を複雑な重唱でつなぎます。フィナーレの「声の万国旗」のお見事な構成(各国の国歌と民謡が鮮やかに個性を発揮します)、物語自体は「バカ丸出し」なのですが、そんなもん、もうどーでもいいと感じさせる祝祭に相応しい華やかさとまろやかさ、極上の一品に仕上がっております。
馬車の車輪の軽やかな揺れを感じさせるイントロに続く、各国からやって来た名士たちの個性の扱いがお見事です。お宝目録をまくし立てるドン・プロフォンドのアリアが各人の背景を端的に表現します。
ポーランド人のメリベーア侯爵夫人のポッテリとしたスラブ的暖かさ、大事なお宝は色付きの挿し絵が鮮やかな豪華本、外見よりも中身を重んじる思慮深さとイコンの伝統を持つ民族性。ドレス紛失で卒倒し、帽子発見で息を吹き返すフランス女フォルヴィル伯爵夫人、常に世界の流行をリードするフランスの誇り、お宝は当然宝石箱とリボンとレース。パリス気取りの騎士ベルフィオール、恋に生きるフランス男のお宝は、後年、迫力ある画風の戦争絵画で名を為すヴェルネのリトグラフ。調和を何よりも重んずるリーベンスコフ男爵、凍らない港を求めるロシアに相応しいお宝は、地図帳、そしてロシアの宝石である毛皮の数々。いかにもアングロサクソン的、感情を表に出すよりもじっと耐えるストイシズムに価値を見出すイギリスのシドニー卿、彼の大切なものは、世界を駆けめぐる大英帝国の証である紀行文とイギリス人には欠かせないお茶、そして議会制民主主義の母国の誇りである権利章典。常に世界最強と詠われてきたドイツ陸軍のトロムボノク男爵、彼のお宝は法則性を記したギリシャの古典と緻密さの象徴である和声論。情熱の国スペインのドン・アルヴァーロ、「良きキリスト教徒」の乞食は「改宗キリスト教徒」の貴族よりも偉いというお国柄に合わせて家系図と紋章、そして新大陸の富であるところの大きな真珠・・・。
そんな鮮やかな万国旗の中にあって一人浮いているというか、現実離れした魅力を放つのがローマの女流詩人コリンナです。無理もない、ロッシーニの祖国イタリアは未だ小国に分裂した状態、「イタリア」という国は存在していなかったからです。ロッシーニとしては「イタリア国歌」を織り込みたかったのでしょうが、国がないんじゃ仕方ない。その代わり・・・なのでしょうか、コリンナにはヨーロッパを一つにまとめる象徴としての役割が振られています。コリンナのアリア「優しい竪琴よ」と「黄金の百合」は、ハープの清らかな伴奏をまとっただけでアカペラに近い、純粋に旋律と声の美しさだけを聴かせる曲に仕上がっています。「永遠の都」ローマ、ヨーロッパ精神の故郷、オープニングのいざこざ、そしてフィナーレでそれぞれ自己を主張する各国の旋律、それらをまとめ上げ人々の心を和ませるコリンナは、この戴冠式に人々が寄せた平和への願いを象徴しています。
しかし、ローマ的なるものがヨーロッパを一つにまとめる時代はもう決して帰っては来ませんでした。ドン・プロフォンドのまくし立てるお宝目録の軽やかさとは裏腹に、ヨーロッパ各国はそれぞれのアイデンティティを確立し、それぞれの利益を求めて、それぞれの道を歩み始めています。その歩みを止めることはもう誰にも、神様にも出来ません。この作品から180年を経た現在、経済共同体としての一つのヨーロッパが実現するまでの長い長い時代、かの地を覆ったもの、それは果てしない争いです。
つかの間の凪の風景・・・、シャルル10世の王政復古は所詮時代の流れに抗ったアナクロニズムでしかありませんでした。コリンナの象徴する永遠の都は既に精神的支柱としては何の力も持ち得ませんでした。しかし、それは後になって初めて分かること、この1825年、人々は本当に平和を願い、ランスの地に平和を託したのです。結局誰もランスへは行けなかったわけですが・・・。
ヨーロッパが一つになって食卓を囲み歌うフィナーレ、祝宴に相応しい料理に腕を振るったロッシーニ、各国の素材が見事に調和するお皿の数々に舌鼓を打つ人々、にこやかに笑みを交わし、お塩をとって頂けませんか?はい、どうぞ。お国の珍味は素晴らしい、いえ、あなたのお国のお料理も実に美味ですね・・・。人々が優雅にナプキンで口元を拭ってテーブルを立った時、雲がわき上がり風が渦巻き、人々は凪が終わったことを知ります。平和への希望は呆気なく消えてしまいます。戦争の時代が始まります・・・。
宴のあと
金の百合亭でのどんちゃん騒ぎの後パリを目指した御一行様、フォルヴィル伯爵夫人のお屋敷でのもてなしを堪能し、多くの楽しい思い出と少しのいざこざと、それぞれの住所を交換した手帳を手にして故郷へ帰っていったであろうと想像します。「同じ宿に泊まったばっかりにランスに行き損なったのも何かのご縁、機会があればまたお会いしたいですね」・・・。さて、彼らのその後に少しばかり思いを馳せてみましょうか。
めでたく結婚した熟年カップルのメリベーア侯爵夫人とリーベンスコフ伯爵ですが、夫人はイタリアの将軍の未亡人、陽光溢れるイタリアから寒いロシアへのお輿入れは一悶着あったことでしょう。寒い寒いを連発する新妻、伯爵はずいぶんたくさんの毛皮のコートを買わされたはずです。
この後のロシア、1825年にニコライ1世が即位します。1829年にはトルコを相手に第一次バルカン戦争、後進国のトルコ相手に楽勝。1830年にはポーランドの大反乱、伯爵率いるロシア軍は奥様の故郷ポーランドへ侵攻するはめになります。夫婦の危機!そして、1853年にはクリミア戦争、今度の敵はシドニー卿率いるイギリス軍、この戦争によって母国の後進性を痛感した新皇帝アレクサンドル2世は「大改革」を断行します。但し、皇帝の鶴の一声による上からの改革でした。皇帝の専制制は維持しつつ近代化を図る・・・最初から矛盾しているような気もするのですが。
コリンナとシドニー卿の恋はどうなったのでしょう?おそらく、お互いに相手の心を知りつつもそれぞれローマとイギリスへ帰っていったような気がします。山ほどの手紙がドーヴァー海峡とアルプスを越えて行き来したことでしょう。シドニー卿の故郷イギリスは産業革命のラストスパート、「世界の工場」の誕生です。機械化された工場が唸りを上げ、原料と石炭を運ぶ蒸気機関車が目まぐるしく行き交い、彼らは霧だと言い張りますが、上空はスモッグに覆われてタダでさえどんよりした空が一層暗い。資本を倍々ゲームで増やしつつ商売に精出す中産階級、その反面、自らの労働力以外に売り物がなかった労働者たちは小さな子供までが3K職場での長時間労働によって辛うじてパンを手にするという状態。心優しいシドニー卿にはこの光景はどう映ったのでしょう。
コリンナが帰ったローマ。イタリア統一(リソルジメント)の機運がやっと高まります。ずいぶんのんびりしているように見えますが、何しろイタリアという国がこの半島にあったためしがないのですから仕方ない。かつての地中海貿易の中心地は今ではイギリスやフランスに農産物を提供する辺境の地。1831年、マッツィーニが「青年イタリア」を組織し、民族の創造は神が与えた使命であり義務であると主張します。理念としてはフランス革命を見習っているのですが、この期に及んでも神様が登場するあたりがイタリア的です。民族解放統一戦線を結んでオーストリアに戦いを挑みますが、あっさりと敗北。それにも懲りずに1858年に第二次独立戦争を仕掛け、1860年にはガリバルディがシチリアに上陸、勢いに乗ってナポリも征服、すったもんだの挙げ句にヴィットリオ・エマヌエーレ2世を頭に頂いて、1861年、イタリア王国成立(因みにイタリアが戦争に強かったのはこれが最後、ここから先は、食べるのと歌うのと恋するのが専門となります・・・良い国です、はい)。しかし、コリンナのローマは、すっかりいじけて引き籠もりになってしまった法王ピウス9世のおかげで置いてきぼり、ローマがイタリアになるのは1870年のことです。しかし、かつて存在したことのないイタリア、北と南ではあまりに異なる風土、ダゼリオ曰く「イタリアは出来たが、イタリア人を作る仕事が残っている」・・・。
音楽マニアのトロムボノク男爵のドイツ。1814年のウィーン会議で出来上がったドイツ連邦ですが、それぞれが自治権を持った寄り合い所帯の連合体。プロイセンとオーストリア、二大勢力の政治的綱引に揺れ動きます。デンマークから奪ったシュレースヴィヒ・ホルシュタインの行政を巡って遂にプロイセンとオーストリア激突(普墺戦争)、北を中心とするプロイセン軍が圧勝、北ドイツ連邦が成立しますが、オーストリアも領土を保持、南ドイツのバイエルンやバーデンは反プロイセン。これにじれたのは鉄血宰相ビスマルク、1870年、反プロイセンの黒幕フランスに侵入、名前負けしていて喧嘩に弱いナポレオン3世を下し、ドイツ帝国の創設にたどり着きます。ただビスマルクのおっさん、少々悪ノリ致しまして、ナポレオン3世がギブアップした後も勝手に戦争続行。パリ・コミューンを踏みつぶし、アルザス・ロレーヌ地方を分捕り(「金の百合亭」はどうなった?)、フランス人の記憶に「ドイツ人ってやなヤツ」というこれから先の歴史を大きく左右する置き土産を残してしまいます。
メリベーア侯爵夫人にフラれちゃったドン・アルヴァーロのスペイン。こちらはもう、よそ様の改革やら統一やらとは一切無関係にお得意の内乱に熱中しておりました。トラファルガー海戦でイギリスへの野望を絶たれたナポレオンは、イギリス包囲網強化のためにスペインとポルトガルを征服。超のつくお人好し(早い話がバカ)の国王カルロス4世と強欲婆の王妃マリア・ルイーサ率いる王族ご一行様(ゴーティエ曰く「(その容貌の品のなさときたら)富くじに当たった乾物屋一家」)を追い出します(ポルトガルの王様の方は追い出される前に逃げ出しました)。王様はヘタレでしたがスペインの民衆は勇敢でした。1814年にはナポレオンを追い返します(ドン・アルヴァーロも頑張ったのでしょう)。ところが亡命先から帰ってきた新国王フェルナンド7世は何をやったかといえば、異端審問所の復活・・・、今さら「ドン・カルロ」ですか?何考えてんだ?1833年、この大バカがくたばった時、かつての「陽の沈まぬ国」スペインはキューバ以外の全てのアメリカ大陸の領土を失っていました。王位は王女イサベル2世に移りますが、当時のスペインにはサリカ法という女子の相続を否定する法律があり、これを盾にしゃしゃり出てきたのがカルロス5世。この時から1858年まで、スペインでは首相が47回、大蔵大臣が78回、軍務大臣が96回交代しています。こんなもん、国家じゃありません。ドン・アルヴァーロもいったい何回お役御免になったことやら・・・。
さて、フォルヴィル伯爵夫人、騎士ベルフィオールのフランス。派手に登場したシャルル10世ですが、最初にやったことは亡命貴族たちの失った財産を補償する「10億フラン法」を成立させることでした。これじゃ革命はなかったも同じです。その後も「革命シカト法案」を次々と提出するのですが、ことごとく議会で否決され、それがシャクに障るもんだからめったやたらと首相の更迭と議会の解散を繰り返します。選挙ばっかりでは政治なんてやっているヒマありません。そして、1830年7月25日、7月勅令、地主以外は選挙権なし、言論と出版の自由は停止という内容。当然、パリ市民が蜂起します。ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」に描かれた7月革命です。8月2日、シャルル10世退位、オルレアン家の自由主義者ルイ=フィリップが即位、「人民の王」による7月王政が始まります。
1848年2月24日、再び革命の炎がフランスを覆い尽くします。発端は1846年にメリベーア公爵夫人の故郷ポーランドで起こった列強による分割支配に対する反乱です。あっさりと鎮圧されたこの反乱は、他の国の民衆には自由に対する抑圧として映りました。デンマークに飛び火した炎は、スイスから南下してシチリアへ、そこから北上してパリに至ります。
気候不順による凶作で生活苦に喘いでいた民衆をそっちのけで選挙ばかり繰り返しているフランス政府、その選挙のスキャンダルが致命傷になります。1848年2月22日、パリのマドレーヌ広場に集まった民衆はバリケードを築いて内閣打倒を叫びます。慌てたルイ=フィリップは首相ギゾーを罷免しますが、軍がデモ隊に発砲したことでデモは蜂起に変わります。24日、ルイ=フィリップ退位。成り行きで成立したデモ隊の寄せ集め内閣には何の統率力もなく、4月の総選挙(普通選挙)で大敗、反動議会が成立します。これに反発した労働者は6月22日再び蜂起。しかし、この時の敵は、制限選挙ではなく普通選挙で選ばれた右から左までを網羅した「秩序」でした。市街戦の挙げ句、労働者は敗北、第二次共和制の始まりです。
そして、1852年、ナポレオン3世皇帝に即位、第二次帝政。1870年、ナポレオン3世退位、翌年パリ・コミューンの成立と崩壊、そして第三次共和制。1875年、ようやくのことで共和政憲法の制定。議会は王党派が多数を占めていました、大統領も王党派でした・・・、じゃあまた王政復古?いえ、フランスは二度と王政に戻ることはありませんでした。
革命と反動を繰り返し、1世紀の間揺れに揺れたフランス、ここに至るまでの代償は実に高価なものでした。
コロコロと体制が変わる度にモディスティーナを怒鳴りつつ大量の衣装ケースと宝石箱を抱えて亡命と帰国を繰り返したであろうフォルヴィル伯爵夫人、傍らには「ねぇ、君は裸だってヴィーナスのように美しいよ、こんなにたくさんの衣装をもって亡命することないって」とぼやきつつも、まんざらでもないパリスこと騎士ベルフィオールがいたりして・・・。
かように、御一行様の前途は波乱いっぱいですが、私としては是非とも「ランス行き損ない組同窓会」をやって欲しいですね、勿論あの「金の百合亭」で。「ご無事でしたか!」「あなたもお元気そうで」、「相変わらずお美しい」「あなたのお世辞もご健在ね」、そんな平和な会話を是非とももう一度聞きたいものです。ドン・プロフォンドの新たなお宝目録に乗せて・・・。
録音なんですが、今のところアバドの独断場、1984年と1992年の録音があります。出演者が被っていて息もぴったり、どちらも楽しい仕上がりです。アバド一流の色彩の豊かさとこの作品の持つ「ハレ」の雰囲気が良く調和しています。どちらの録音もドン・プロフォンドはライモンディ、真面目くさったお宝目録のおかしさは聴き応え十分。シドニー卿のレイミーもクールな美声が役に合っていますし、トロムボノク男爵のエンツォ・ダーラと来たら、第一声から楽しい。リーベンスコフ伯爵は1984年がアライサ、1992年がマテウッティですが、このマテウッティの「ハイE」にはビックリですよ。そしてコリンナ、1984年がチェチーリア・ガスディア、1992年がシルヴィア・マクネアーなのですが、どちらも確かなテクニックでロッシーニの旋律の素材の良さを引き立てています。私はマクネアーの清純な声の方が好みですが。
参考文献:「西洋の歴史」(ミネルヴァ書房)
「プラド美術館・絵画が語るヨーロッパ盛衰史」(中丸明・新潮選書)
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