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Leafベッリーニ 「夢遊病の女」 (2008年8月17日〜2008年10月15日の日記より)


夢を見ているの?夢に見られているの?

 人生は短い、人はそう嘆きます。しかし、その人生の三分の一は眠って過ごします。日本人女性の平均寿命である85.5歳で計算すれば、28.5年の間、眠っていることになります。生まれた赤ん坊が大学を出て就職して、そろそろ結婚というお年頃になるまでの時間、自分の来し方を思い出せば、途方もなく長かったような、あっという間だったような。
 ナポレオンは一日3時間しか眠らなかったといいますし、社会的に成功した地位にある方は大抵、若い頃は「寝る間も惜しんで」何ちゃらかんちゃら・・・とか仰います。眠りとはどうしても取り除くことのできない無駄なのでしょうか?眠りがなければ、人生はもっと豊かになるのでしょうか?

 星新一の「不眠症」、完全に一睡もできない男は、昼間働いている会社で夜警を始めます。24時間休みなしに働いても居眠りもできない、自宅が不要になったので引き払い、収入は倍に、しかし、残念ながらお金を遣う時間がない。いつかきっと眠れる時が来る、男は待ち続け、ある高価な輸入薬による治療に溜め込んだお金全てを注ぎ込む決意します。その薬の効き目たるや素晴らしいもので・・・。

 スティーヴン・キングの「インソムニア」、70歳のラルフ・ロバーツは、不思議な不眠症に悩まされています。睡眠時間が日に日に短くなり、ついには幻覚を見るようになってしまう、彼が「見る」もの、それは、人々を襲うオーラ、そして生命を奪ってゆく白衣の小人。俺はとうとう狂ってしまったのか?疑心暗鬼にとらわれ、怯える日々。一方、町では、人々はゆっくりと、しかし確実に、憎悪と対立に囚われ始めて・・・。

 どうも、人間、眠れないとロクなことにならないようです。

 昔々、人は夢に未来を見出しました。聖書の「創世記」、エジプトのファラオが不思議な夢を見ます。よく肥えた七頭の牛が草をはんでいると、痩せこけた七頭の牛が現れて、肥えた牛を食ってしまった、よく実った七つの麦の穂が出たところ、実の入っていない七つの穂が生えてきて、実った穂を飲み込んでしまった・・・。この夢が何を意味するのか気になって、ファラオはそれこそ眠ることができません。国中の魔術師を集めますが、誰もファラオの夢を読み解くことができません。そこに登場したのが囚われの身のヨセフ(侍従長の妻ポテパルの「据え膳」をご遠慮してしまったところ、逆にレイプ未遂の容疑でぶち込まれておりました)、恐れながら、陛下、肥えた牛と実った穂は七年の豊作を、痩せこけた牛と実の入っていない穂は七年の凶作を意味するかと、豊作の七年のうちに食料を蓄えて、凶作の七年を耐え忍ぶ、計画経済こそが国と民を救うかと。
 ヨセフの夢解きは的中、ファラオの信頼を得たヨセフは、エジプトのナンバー2にのし上がります。しかし、この夢解き、それほど難しいですか?誰にも分からないって、他の夢解きの連中がぼんくらだっただけじゃ?
 ともかく、大出世を果たしたヨセフ、ファラオから頂戴したナイル河畔のゴセンの地に一族を呼び寄せます。ところがこの一族がわらわらと増えてしまい、最初は70人だったのが、とうとう60万人を突破、ヨセフの四代目モーゼの時に出エジプトという事態に至るわけです。ファラオが見た夢が民族の運命まで変えてしまった。

 法隆寺の夢殿は、聖徳太子が斑鳩宮で勉学に励んでいた時、夢に現れた仏様から多くの教えを受けたという伝説に因むものだそうです。それがどんな夢であったのか知る術はありませんが、八角形のお堂は、「夢」という言葉がこれほど似つかわしい建物はないであろうという程に美しい。

 夢が未来を表すとすれば、少しでも良い夢を見たいもの、枕の下に七福神を乗せた宝船の絵を置いたり、夢見観音様にお参りに行ったり、悪い夢を見てしまった場合には、「獏(ばく)に上げます」と唱えてみたり、人は色々と涙ぐましいわけです。また、厚かましいというか、怠け者というか、他人の夢を買うという話もあります。

 「宇治拾遺物語」、パッとしない学者だった吉備真備は、ある日「夢あわせ」(夢占い)に出かけます。自分の前に夢を見てもらった若者の夢を夢あわせの女が大絶賛、あなたは絶対に大臣になります!それが羨ましいもので、夢あわせの女にあの若者の夢を買い取らせて貰いたいと頼み込みます。それでは、さっきの若者の夢を自分の夢として語ってご覧なさい。真備は若者と同じ夢を語り、女は同じく大絶賛。そのお陰で、真備は右大臣にまで出世したとか。そして、自分でも知らないうちに彼に夢を売った(といっても代価は何も受け取っていないのですが)ことになってしまった若者は、何の官位も得られぬまましょぼい人生を送ったとか。大切な良い夢を人に買い取られないように(というか盗まれないように)、その昔、夢はうかつに人に聞かせてはならないものでした。

 徳川家康も、家来が下女から買った夢をさらに買い取ったことがあるとか。その夢とは、「富士山の天辺で、笠を被って蓑を被って、お粥を食べた」というスケールが大きいんだか小さいんだかよく分からない夢。家康公の夢解きは、「蓑=美濃」「粥=甲斐」「富士山頂=天下」というものだったそうです。そういえば初夢に見ると縁起が良いとされている「一富士、ニ鷹、三茄子」、これも家康の好きなもの三つだそうです。この茄子は「成す」に通じるそうで、神君もオヤジギャグがお好きだったのかも知れません。

 人が夢をみている時、その人にとってはその夢が現実です。人は夢というもう一つの世界でもう一人の自分を生きるのかも知れません。「この自分」ではなく「あの自分」を生きることで、束の間、現実から解放され、自分を遊ばせているのかも知れません。それとも、この現実の「この自分」は、実はあの世界を生きている「あの自分」が見ている窮屈な夢なのでしょうか?

 「あの無心の眠り、心労のもつれた絹糸をときほぐしてくれる眠り、その日その日の生の終焉、つらい労働のあとの水浴、傷ついた心の霊薬、大自然が用意した最大のごちそう、人生の饗宴における最高の滋養」(シェイクスピア 『マクベス』 小田島雄志 訳)
 今日の自分を解きほぐし、明日の自分に引き渡す、一日の間に溜まってしまった澱を洗い流し、心を清流に泳がせる。あるいは、辛抱強い肉体を、意識という我が儘かつ苛烈な暴君から解き放ち、無意識という自由な詩人に委ねて遊ばせる・・・。寝苦しい夜が続くこの頃だからこそ、眠りの甘さを思います。人は眠りなくしては生きられません。

 さて、19世紀の初めの頃、アルプスの麓、スイスのある村に、眠りに少々(じゃない、相当に)問題のある一人のお嬢さんがおりまして・・・。


第一幕 愛しい大地、懐かしい大地、でも、出るんです

 19世紀初頭、スイスのある村、村人がこぞって水車小屋の女主人テレーザの養女であるアミーナの結婚を祝います。皆してはしゃいで・・・、私は惨めだわ、宿屋の女主人リーザは一人沈んでいます。リーザ!農場を経営するアレッシオ、おい、逃げるのか?誰にも会いたくないの。君にも婚礼の日は来るさ、あぁ、むかつくわ、恋敵の婚礼を見せられるなんて!
 スイスにはアミーナより美しい娘はいない、勇敢な若者よ、君は王様よりも幸せ者だ!人々の歌声と共にアミーナ登場。皆さんの歌は心に染みこみます、孤児だった私を守って下さったお母さん、お仲間の皆さん、お友達、今日は私にとって再生の日、地上は美しい花で満ち、愛の喜びがそれを彩ります。アミーナは義母テレーザを抱きしめます、ほら、私の心臓、嬉しさで止まってしまいそう。
 アレッシオがアミーナを祝福します。親切なアレッシオさん、貴方がリーザの旦那様になる時が待ち遠しいわ。聞いたか、リーザ?いいえ、そんなの先の話よ、私は恋なんてしないの、自由が好きなの。

 公証人さんだ!花婿は、エルヴィーノはどこだ?来た、エルヴィーノ!愛する人、遅くなってごめん、母の墓に祈っていたんだ、僕の妻を祝福してくださいって、嬉しいわ!公証人が結婚契約書を用意します。さて、エルヴィーノ、花嫁に何を贈りますか?僕の農場、僕の家、僕の名前、僕の持ち物全てを!アミーナは?私の心だけを・・・。
 心が全てだ!エルヴィーノがアミーナの手に指輪をはめます、母の形見だよ、僕たちの信頼の証として。今、僕たちは花嫁花婿になったんだ、何て甘い言葉かしら!愛する人、神様が結んで下さった、私の心は貴方に留まり、君の心は僕から離れない・・・。誓いは為された、おめでとう!もう我慢できない・・・、リーザ一人そっぽを向いています。

 誰か来る!他所の人か?従者を従えて馬に跨ったロドルフォ登場、城はまだ遠いのかね?3マイルはありますわ、その上道は険しい、今夜はうちの宿屋にお泊りを、リーザが答えます。水車、泉、そして森、少年の日を過ごした場所、懐かしい・・・、さて、今日は祝い事が?婚礼が行われるのです、あの娘さんが花嫁?とリーザを見るロドルフォ、いいえ、あの娘です、一同がアミーナを指差します。優しくて愛嬌があって、見惚れてしまう、あの姿は私の思いを呼び覚ます・・・。皆してアミーナだけ持ち上げて、リーザがカリカリ、あんなお世辞にいい気になって、エルヴィーノがヤキモキ。

 旅のお方、貴方はこの村をご存知なの?若い頃、あの城の主と共に過ごしたことが。立派なご領主様、4年前にお亡くなりになって、御子息も姿を消し、何の便りも・・・、ご子息は生きておられる、いつか会えますよ。

 日が落ちるわ、テレーザが人々に帰宅を促します、幽霊が現れるわ、幽霊?馬鹿な!人々がロドルフォに語ります。夜の闇に、白い布をまとって髪を振り乱し、燃える目をした女が現れるのです。ならば是非とも見たいものだ、とんでもない!
 さて、旅の疲れを癒すとするか、さようなら、可愛い娘さん、貴女が愛するように貴女の夫は貴女を愛しているのかな?僕の愛には誰も勝てない!エルヴィーノが言い返します。君は幸せ者だな、さて、おやすみ。
 エルヴィーノ、お休みの言葉は?あの旅人がとっても優しく言ったろ、彼と握手して抱擁したじゃないか、おまけに見詰めあって・・・、私の目も心も貴方だけのもの、そう誓ったでしょ?焼き餅は止めて。ごめんね、アミーナ、僕は君に触れるもの全てに嫉妬してしまうんだ、風や太陽や小川にまで。貴方が私の風、太陽、そして小川よ、もう決して疑わないよ、愛しい人!さぁ、おやすみ。

 宿の一室にてロドルフォ、人々は親切だし、あの若い娘も魅力的だ、宿の女将は少々内気、しかし、気に入った、おぉ、女将さん、お入りなさい。失礼致します、伯爵様、しまった、ばれたか?村長さんが歓迎の準備を、私はご挨拶を申し上げに参りました。リーザ、美しい・・・、おからかいに、恋人は?いいえ、私では?伯爵様、そんなお言葉信じませんわ、おや、誰か来た。

 リーザは小部屋へ隠れますが、ハンカチを落としていってしまいます。そこに登場したのは白い寝巻き姿のアミーナ。眠っている!・・・エルヴィーノ、まだ妬いているの?私は貴方一人を愛しているのに、私の手をとって・・・。リーザはアミーナを認めると素早く部屋を出て行きます、アミーナ、裏切り女め!起こした方がいいのか?ロドルフォは迷っています。
 ・・・神様、私の夫に永遠の貞節と愛を誓います、エルヴィーノ、私のもの、そっとソファーに横たわるアミーナ。ここから立ち去らないと私は自分を抑えられなくなる、ロドルフォは窓から外へ。

 伯爵を歓迎する村人たちが登場します。お休みかな?そーっと覗いて・・・、あれっ、アミーナだ、アミーナがどうしてここで寝ている?嘘だ!エルヴィーノが叫びます。自分の目で見ても?リーザがソファーを指差します。・・・私、なぜ、ここにいるの?目覚めたアミーナ。エルヴィーノ、愛する人!裏切り女!私が何を?自分がどこにいるか見るがいい、私・・・、なぜ?誰が連れてきたの?不実な女!私は何をしたの?お願い、私を信じて!僕の心は涙に濡れている、裏切りは明白だ!テレーザがリーザのハンカチを手にとってアミーナの喉に結びます。

 婚礼は止めた、僕はお前と別れる!私、何もしていないわ!いいから僕の前から消えろ!もう婚礼はない、あるのは軽蔑と非難だけ、不愉快だ、立ち去れ!可哀想な娘、母はいつだってお前の味方よ・・・、テレーザの腕に崩れかかるアミーナ。

 アミーナの義母テレーザは水車小屋の経営者、アミーナの恋敵リーザは宿屋の女主人、モテモテのエルヴィーノと片思いのアレッシオは農場経営者、登場人物は男も女も自立した実業家です。質実剛健というか、働かざる者喰うべからずというか、如何にもスイスです。
 水車小屋の経営者と聞くと何やら肉体労働者のような感じを受けますが、かつてのヨーロッパでは、水車小屋の経営者は川の水利権を握り、主食のパンの原料を握り、かなりの影響力を持つ実業家でした。「フランダースの犬」でも、ネロの友達のアロアは水車小屋の娘、その父は村一番のお金持ちでしたし、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」で、さすらいの若者が恋い焦がれたのは、やはり高嶺の花の水車小屋のお嬢さんでした。

 19世紀初頭、スイス、そしてヨーロッパは、一人の男によって引っかき回されていました。ヨーロッパの要衝スイスを狙うナポレオン、19のミニ国家(カントン)によって緩い同盟体を構成するスイスは、ナポレオン体制下においてはフランスの衛星国家でした。何しろ皇帝様は戦争が得意、というか、それっきゃ出来ない。そして、耕地に恵まれず、昔から傭兵稼業が主幹産業だったスイス、頑健な肉体と素朴な精神、粗食に耐え、苦痛を厭わない生真面目さ、スイス軍はナポレオンのお気に入りでした。気に入られてしまったのが運の尽きというか、1812年のロシア戦役の折、スイス軍は、冬将軍から命からがら逃げてきたナポレオン軍の退路を守る「殿軍」を仰せつかります。敗走する軍隊の殿軍は即ち死を意味します。9000人のスイス兵のうち、故郷に帰ることができたのは僅か300人でした。
 ナポレオン体制崩壊の後、スイスはカントンの同盟を組み立て直し、1815年、ウィーン会議において、懸命の外交を繰り広げました。「会議は踊る、されど進まず」と揶揄されたウィーン会議、しかし、スイス外交団は踊っちゃいなかった、スイスの中立こそ全ヨーロッパの安全保障である!と熱弁を振るって回ったのです。この結果、スイスは敗戦国扱いだったにもかかわらず、国境を守り、永世中立を認めさせることに成功しました。どっかの国の外務省にその爪の垢を頂きたいものです。

 こんな大変な時代に、伯爵様が4年も不在でも村の衆が平気ってところが、まず、すごい。水車のように経済が軽やかに回っていれば、殿様なんぞいてもいなくてもどーてもいい、これぞ近代国家・・・と無理矢理まとめてしまいますが、実はこの台本、もともとはバレエ=パントマイムのためのものだったんですね。これでピンと来ますが、そう、要するに、フラフラ、ユラユラの「夢遊病」が大事であって、後ははっきりいってどーでもよかったんでしょう。眠ったまま夜を彷徨う美しい娘、彼女が今いる世界は我々には見えません、我々が今いる世界を彼女は見ていません。手探りで求め合い、無音ですれ違う緊張感、その舞台ならば牧歌的でのどかな山村が効果的でしょう。

 そののどかな村に夜な夜なお化けが出る、それもずーっと出ている。今日、村にやってきたばかりのロドルフォだけがお化けの正体をあっさりと知ってしまいます。テレーザは大事な箱入り娘が夜中にネグリジェ姿で館を出て行くところを一度も見なかったんですか?目が覚めたらとんでもないところで一人、これが一度や二度じゃない、アミーナは私って何かおかしいって思わなかったんですか?村人の誰一人として、あれって水車小屋のアミーナじゃないか?って思わなかったんですか?
 お化けの出る時間もちゃんと皆の予定表に載っている、日常がしっかりと根を張っている村、何にしろ(結婚を祝うにしろ、お化け時刻に帰宅するにしろ、嫁入り前の娘が男の部屋に!と非難するにしろ)ばっちり全員一致です。そんな強固な日常に刺激を持ち込んだのはロドルフォ、彼が立てた波紋は、見る見る間に広がっていって・・・。



第二幕 「寝覚めの悪い」エンディング

 アミーナとテレーザ、そして村人たちが城を目指して歩きます。伯爵様がお目覚めになる前に城に行って申し上げよう、可哀想なアミーナは村の誇りでありました、殿様のお部屋で眠っているところを見つけられてしまって・・・、もしも彼女が潔白ならお守り下さい、もしも彼女に罪があるならお救い下さい。こう言えばいくら殿様だって、そんで、俺たちは満足して村に帰れると。
 アミーナが立ち止まります。ここ、エルヴィーノの農場のすぐ近くだわ、私たち、一緒に木陰に座って小川の音を聞いたの、風はあの時と同じ・・・、それなのに、彼は私を棄てたわ!テレーザが娘を慰めます、大丈夫、まだお前を愛しているわ、ご覧、彼が一人でやって来る、あの憂い顔を。見られたくないの、ここにはいられない、彼、あんなに悲しそう・・・。
 全てがおじゃんだ、僕は愛を永遠に失った・・・、アミーナがエルヴィーノに歩み寄ります。聞いて、エルヴィーノ、何を?落ち着いて聞いて、失せろ、嘘つき女!私を信じて、私、何もしていないわ、ふん、僕が嘆くところをみて満足か?僕は誰よりも悲しい、全部君のせいだ。

 伯爵様、万歳!おーい、みんな、良い知らせだよ、伯爵様は仰った、アミーナは正直で潔白だって、もうすぐここにおいでになるよ。あの野郎、怒りがぶり返してきた!エルヴィーノはアミーナの指から婚約指輪を引き抜きます。私の指輪・・・、僕は君を軽蔑したい、この心から君を消し去りたい、なのにできないんだ、裏切り者!エルヴィーノ、せめて伯爵様のお話を聞けって、人々の言葉を無視して立ち去るエルヴィーノ、テレーザはアミーナの手をとって村に引き返して行きます。

 村ではリーザとアレッシオが何やら揉めています。放っておいて、貴方にはイライラする!エルヴィーノと結婚なんてとんでもないよ、彼はすぐにアミーナに引き戻されるに決まってる!リーザ、お願いだ、ただの当てつけで君と結婚する男に何を期待するんだよ?馬鹿よりマシよ!君がそうなら、俺は伯爵様を巻き込んで一騒動だって起こすからな!

 花嫁はリーザ!村人の声が聞こえます、エルヴィーノがアミーナの代わりにリーザにプロポーズするよ!私、愛されているのね、うれしいわ、花嫁に幸あれ!エルヴィーノ、貴方に相応しいのは私と分かってくれたのね?リーザ、見せかけの美徳に騙された僕を許して、許すわ、私のところに帰ってきてくれたんですもの、過去は忘れて未来を見ましょう。僕の愛する人、神聖な儀式が教会堂で用意されている、行こう!
 待ちなさい、伯爵が登場します、皆でどこへ?教会へ!私の話を聞きなさい、アミーナは君の尊敬に値する娘、私が彼女の美徳の証人になろう。殿様、僕はこの目で見たことを否定できません、君は思い違いをしているよ、殿様の部屋で彼女が眠っているのをこの目で見たんです!そう、それはアミーナ、でも目覚めて現れたわけじゃないんだ、はぁ?
 皆、よく聞け、眠っている間にまるで目が覚めているかのように歩き回る人がいるんだ、話もできるし、歩き回る、でも、眠っている、夢遊病と呼ばれるものだ。そんな話を信じろと?私を疑うのか?
 おいで、リーザ、教会へ行こう、こんな馬鹿な話って聞いたことあるかい?眠っている人間が歩くんだとさ。

 皆さん、お静かに、テレーザ登場、可哀想に、アミーナは泣き疲れて眠ってしまった、だから、お静かに・・・。あらっ、リーザとエルヴィーノ、どちらへ?結婚式を挙げに、何ですって、リーザが花嫁?そうよ、夜、殿方と二人きりのところを見られたこともない私よ。この嘘つき!このハンカチが分かる?伯爵様の部屋にあったのよ、ほら、赤くなった。エルヴィーノがリーザの手を放します。リーザまで僕に嘘を、この世には愛も信頼も名誉もないのか?私の娘と同じように苦しむがいいわ。
 もう一度繰り返す、伯爵が皆に語ります、アミーナは潔白、彼女を侮辱することは美徳を侮辱するに等しい。誰がそれを証明する?彼女自身が、ほら、見るがいい。
 アミーナが水車小屋の窓から出てきます。目を閉じたまま、水車の上の梁で綱渡り、梁の下では大きく重たい水車が回っています。もし、何かに躓いたら・・・、一同、息を呑んで見守ります、神様!
 私、もう一度彼に会うことができるのかしら、彼が他の花嫁と結婚する前に・・・、鐘が鳴っているわ、あの人は教会に行く、私は潔白なのに・・・。神様、私が不幸でも、彼が幸せでありますように・・・、指輪、私の指輪、指輪はこの指からなくなったけど、彼の面影は消えないわ。花が咲いている・・・、でも、すぐに萎れてしまうのよね、私たちの愛みたいに・・・、帰ってきて、エルヴィーノ・・・。

 エルヴィーノがアミーナの手をとって指輪をはめます。私、また貴方のもの?貴方は私のもの?アミーナはゆっくりを目を覚まします。私、どこにいるの?何を見ているの?神様、この目を覚めさせないで下さいませ!君は眠ってなんかいないよ、君の花婿がここにいるよ、エルヴィーノ!

 教会へ行こう、その祭壇から喜びが始まる!清らかな乙女、美しい乙女、教会へ行こう、その祭壇から喜びが始まる!

 アミーナとテレーザ、そしてその友人たちは、ずーっと不在、昨日帰ってきたばっかの伯爵の「鶴の一声」を求めてお城へ向かいます。ロドルフォは、村の衆が彼の部屋で寝ているアミーナを発見する前に窓から逃亡しておりますので、その後の顛末を知りません。しかし、エルヴィーノや村人がアミーナを非難しているのは、「夜中に出歩いていた」からではなく、「結婚前なのに他の男の部屋に居た」からであって、その「他の男」が当の伯爵、彼はアミーナの婚前不倫事件(変・・・ですよね?)の第一容疑者なのです。「潔白なら守って下さい」は分かります、「罪あるなら救って下さい」ってこれ、責任とってアミーナと結婚しろってことですか?エルヴィーノに詫び入れろってことですか?どちらもあり得ません。しかし、村人たちは、どちらもありと信じ切っています。伯爵様が純情な村娘にンなことするわけないという信頼のようでもあり、殿様さぁ、俺たち、全部知っちょるけんねという厚かましさのようでもあり、ナイーブ、かつ、したたか、ドン百姓の真骨頂ここにあり。

 しかし、エルヴィーノの大人気ないこと、アミーナ、棄てられて正解だよって言いたくなります。「君は僕からあらゆる慰めを奪った」「僕はあらゆる人間の中で最も悲しい人間だ」、人の話を全く聞かず、自分のことばっか。そーかい、そーかい、そんなに悲しいのかい、悲しいのが得意なんかい、だったらずーっと悲しんでいられるように、他の男見つけてあげるわ!こう言いたくならない女性っています?
 しかも、第一容疑者にして村一番の権威である伯爵がアミーナの潔白を証言したというのに、それでも耳を貸さない。要するにこの男、誰の言うことも聞きたくない、ただ一人、悲嘆に暮れる色男役を熱演することで、アミーナをいびっているようにしか見えません。アミーナ、テレーザ、そして村人相手にせっせと毒づいているエルヴィーノ、その声は結構楽しそうに響きます。毒づくに十分な正当性が自分にあると思えれば、言いたい放題はこれでかなり楽しいものです。

 で、その「世界一悲しい男」、おっそろしく立ち直りが早い、さっさとリーザにプロポーズ、勿論、アミーナへの当てつけ、それ以外の何モノでもない。女に裏切られた怒りの持って行き所に他の女を選ぶ、この男が5歳児なみの自己チュウであると分かります。アレッシオが懸命に止めるのも当然です。しかし、リーザ、こちらもまた全く聞く耳持ちません。案外、エルヴィーノとリーザ、お似合いかも知れないな。

 花嫁はリーザだ!と歌う村人たち、神聖な儀式が教会堂で待っている!とリーザをエスコートするエルヴィーノ、アミーナとの婚礼のための用意を使い回していーのか?そういうのって縁起悪くないのか?それともせっかくの準備は無駄にしないというスイス式合理主義なのか?

 ちょっと待った!と登場するロドルフォ、夢遊病について人々に解説しますが、伯爵様の仰せだというのに誰も信じない。アミーナを救って貰いに出かけた時とは打って変わって、村人は全員ガチガチのリアリスト、今度は伯爵様の言葉より自分の目です。そこに登場するテレーザ、リーザが落としたハンカチを披露して、伯爵との仲を疑います。真っ赤になって俯くリーザ・・・ってね、リーザは村人のリクエストで伯爵の部屋に挨拶に行っただけでしょ?そもそも、その宿屋、リーザの宿屋でしょ?アミーナ可愛さにテレーザが因縁つけている、これが昨今流行のモンスター・ペアレントってヤツか・・・と思いきや、村人全員、そして、花婿のエルヴィーノ、口を揃えてリーザに「裏切り者!」。特にエルヴィーノ、今や十八番となった「裏切られた可愛そうなボク」の嘆きにいよいよ磨きがかかっております。

 論より証拠、眠ったままフラフラとアミーナ登場、水車小屋の上でアクロバティックな妙技を披露。花は萎れてしまったわ、こんなに早く萎れてしまうなんて・・・、ベッリーニの筆は最高潮を迎えます。誤解が解けて、眠っているアミーナの手に指輪をはめるエルヴィーノ、目覚めたアミーナは、またまたとんでもないところにいる自分に混乱しつつも、エルヴィーノの再度のプロポーズを喜びます。人々は歓喜のうちに教会へ、めでたし、めでたし、って、ンなわけないでしょ!

 アミーナはエルヴィーノに棄てられて泣き疲れて眠ってしまいました。つまり、エルヴィーノがリーザにプロポーズしたことを知りません。アミーナが嘆くのは、あの人が「別の花嫁」を祭壇に連れて行く前に、であって、「リーザを」ではありません。はて、これでこの二人の新婚生活、無事で済むのでしょうか?何しろ。エルヴィーノのたった一夜での立ち直りと花嫁乗り換えを村人全員が知っています。

 そして、リーザ、彼女は、エルヴィーノに婚約破棄される理由がありません。自分の経営する宿屋でハンカチ落としただけ、伯爵との間には、アミーナ同様、彼女だって何もないのです。なぜ黙っているのでしょうか、あのきっついリーザがなぜ?

 この作品、実は、最初の台本では、ロドルフォは、村娘との間に私生児を作ってしまい、先代伯爵に勘当されたという設定だったのです。そして、その村娘の忘れ形見がアミーナ、という筋書きでした。ベッリーニはこの部分をカットしたわけですが、ところどころが直しきれておりません。時間がなかったのか、作家がいい加減だったのか。そして、この消し残りがこの作品を妙にアンバランスなものにしています。そう、まるで、明け方に見た奇妙な夢のように。



夢の続きは夢・・・じゃない

 静かな山村の若き農場主と美しい水車小屋の娘が、いくつかの行き違いを乗り越えて皆の祝福を受けて結婚する、そんな干し草とクローバーと牛の落とし物の匂いが似合いそうな「のどか」なお話になるはずが、この作品には妙に突っ張ったような緊張感があります。

 エルヴィーノを巡ってアミーナと対立するリーザ、やけにキツイ性格に描かれています。城を目指すという身なりの良い旅人をきっちりと引っ掛けるやりての経営者、その旅人が伯爵と知って挨拶に登場する場面では、貴女は美しい、さぞかし多くの男が、と艶かしいロドルフォをさらりとやり過ごしつつも、「誠実な心」を持っていると自分を売り込む厚かましい自信家、フラフラと登場したアミーナの姿を見た途端に、エルヴィーノは私のもの!と即決する強引さ、そして、何よりも、一生懸命プロポーズするアレッシオに対する不必要な冷たさ。これだけキツイ女に仕立てておいて、ラストは、濡れ衣である逢引疑惑に反論しないという捩れ加減が妙に気に障ります。

 それに対して、ヒロインのアミーナ、全く自己主張がありません。プロポーズされて受諾し、祝福されて喜び、婚約を破棄されて泣いて、伯爵に口添えを求めて出かけたところ、エルヴィーノにばったりの場面でも、メソメソと同じ言葉を繰り返し懇願するだけ、全然相手にされていません。アミーナが自分の心を率直に雄弁に語るのは「眠っている」間だけなのです。そして、眠っている間のアミーナは、これまではあちこちに登場しては村人をおっかながらせていたらしいのですが、ロドルフォが登場してからは、彼のいるところにピンポイントで登場します。まるで、アミーナの無意識が求めているのは、現実の花婿としてのエルヴィーノではなく、仮想の父親としてのロドルフォであるかのように。

 モテ男のエルヴィーノ、かくも偏屈な自己チュウ男が何でモテるのか、謎です。農園がよほど儲かっているのでしょうか?彼を巡る二人の女は正反対のキャラクター、きっついリーザと頼りないアミーナ、この二人の間を揺れ動く色男、女の趣味のストライクゾーンのあり得ない広さというか、いい加減さというか、結局、この男が一番愛しているのは「自分」なんだろうな。エルヴィーノは、ロドルフォが登場した時からこの伯爵に対して敵意を持っています。それぞれが分相応の幸せと不幸せを抱えて生きている小さな世界、そこに外の世界から登場した「権威」である伯爵によって、村に、特に女たちの間に立ったさざ波を、エルヴィーノは無条件に、本能的に嫌っている、彼の嘆きに感情移入しづらい原因はこの辺りにありそうです。何か、こうなるのを待っていたっていう印象なんですよね。

 そして、4年ぶりにご帰還の伯爵家の跡取りであるロドルフォ、彼もまた非常に中途半端な男になってしまっています。アミーナとリーザ、どちらにも秋波を送りながら、どちらにも踏み込みません。アミーナの濡れ衣は夢遊病のせいだとハラハラドキドキの派手な仕掛けで晴らしておきながら、リーザの濡れ衣を晴らすことはしないままエンディング、これでは居心地悪いでしょうに。ロドルフォは、アミーナを父親の目で、リーザを遊び人の目で見ているように感じます。泣き疲れた娘はしっかりと救うが、ちょこっと気になった女は落としたまま。この伯爵様、花嫁の父なのか、権威ある領主様なのか、女好きの殿様なのか、そっと身を引く世慣れたドンファンなのか、全部当てはまるようでもあり、全部違っているようでもあり、一度、歌っているバス歌手に役作りの方法を聞いてみたいものです。

 彼ら4人は、想いと行動のすれ違いを楽しむ軽いストーリーを演じつつ、何故か4人ともうっすらと哀しみを纏っています。アミーナは、その哀しみから、起きている時には幼稚に逃げ回り、眠っている時には執拗に問い掛けます。エルヴィーノとリーザは、自分のためにだけ哀しみ、人のために哀しむことをしない、そんな哀しさを自覚できません。そして、ロドルフォは、哀しみがそこにあること、それをやり過ごすことに馴染んでしまって、全てを哀しみと一緒に元の引き出しに戻してしまいます。

 アミーナは持っているイノセンスを失うことを無意識に恐れ、本当のエルヴィーノを見ることを、彼と結婚することを拒んで夢に逃れているようにも思えます。最初からイノセンスを持っていないエルヴィーノとリーザは、二人ともその立場と主張に不安も疑問も持ちません。自分たちがよーく知っている一夜の過ちには恐ろしく不寛容で、自分たちには何のこっちゃらサッパリの未知の病気には妙に寛容で、小さな世界で既に熟知していることを繰り返して生きる、それでもなお起こってしまう予期せぬ出来事は、自分たち以外の誰かのせいだと嘆くのです。そして、彼らにはその嘆きを共有してくれる人たちがいつだっているのです。何という幸せな人たち、そんな彼らが不幸を嘆く様をたっぷりと見せる、無意識の底意地の悪さとシニカルな笑い、これがこの少々塩気の足りない作品を唯一ピリリと引き締めるビターな隠し味となっています。
 そして、ロドルフォ、だた彼一人がかつてイノセンスを持ち、そしていつしかイノセンスを失った自分を知っています。ロドルフォはアミーナとリーザ、どちらにも心惹かれ、しかし、どちらとも距離を置き、彼女たちを自分が帰郷する前の状態に戻してしまうのです。おそらくは、「臆病者!」とそっと自分に呟きつつ。

 夢遊病の患者は精神的に何らかの問題を抱えていることが多く、欲求不満や心の葛藤が無意識の行動となって出てしまうことが発症の原因とされています。さて、全てはきれいに元通りになってしまったわけで、アミーナの欲求不満が、葛藤が何であれ、全く解決していないことは間違いありません。
 アミーナはこれからもこの村の「幽霊」であり続けるでしょう、イノセントなままで、真っ白い夜着をまとって、光と闇の間の無意識の世界で、ただ一人、ふわふわと。

 例えば・・・、幽霊の噂を聞きつけたイカサマ坊主が、「我こそは高名な霊媒師」とか言いつつ登場して、本人の間抜けぶりに反して幽霊の正体はアミーナであると暴いてしまうコメディとか、実はテレーザはアミーナが夜な夜な眠ったまま歩き回っているのを知っていて、しかし、それが何故なのかが分からず、ただただ娘の名誉を守るために村人が彼女に近づかないように幽霊話をでっち上げていたという人情話とか、台本の持って行きどころはいくつかあると思うのですが、どうにも収まりが悪いままです。
 しかし、ベッリーニの手練れの筆は、装飾唱法を駆使し、華やかに儚げにアミーナのイノセントを描き出し、もう、どうでもいいや、みんなしてこれを幸せと呼ぶのならそれでいいじゃん、と聴く者を丸め込んでしまうのです。
 幼いアミーナと「僕って可哀想」のエルヴィーノの新婚夫婦は果たして上手くやっていけるのでしょうか?リーザはアレッシオと大人しく一緒になるのでしょうか?それとも、これからもせっせと元カレにちょっかい出すのでしょうか?せっかく帰ってきたというのに村人から権威として認められないロドルフォ、この後暴君に変貌したりして・・・。村の前途には色々あるでしょう、でも、いーんです、大円団のたわわに豊潤にしてキリリと引き締まったカバレッタ、結局、この作品の最後で勝ち誇っているのは、誰でもない、「声」なのですから。

 お勧め盤です。古い録音ですが、スカラ座、マリア・カラス、ニコラ・ザッカリア、ニコラ・モンティ、そしてコッソット、指揮はアントニーノ・ヴォットー。ライブではなくスタジオ録音ですが、カラスがあの「スの入った」声を駆使して清純なヒロインを歌い切っています。この人は、本当に、どうしようもなく上手い人だと改めて溜息の出る表現力です。オケも気持ち良さそうに歌っていて、いかにもベッリーニって感じが良く出ています。
 リヨン国立歌劇場、ナタリー・デセイのアミーナ、カルロ・コロンバーラの伯爵、フランチェスコ・メリのエルヴィーノ、ヤエル・アッザレッティのリーザ、指揮はエヴェリーノ・ピド。デセイが儚く可憐、ふわふわと夜の空気に溶けてしまいそうなくらい、しかし、まだ発展途上の感があります。対して、コロンバーラの分厚く逞しい声が頼もしく、「親子」感が強い録音です。



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