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オッフェンバック 「ホフマン物語」 (2000年6月22日〜2000年7月13日の日記より)
男が酔い潰れるとき
お酒の席で自分がモテると自慢する男というのがよくいます。う〜ん、悔しい、ひょっとしていい目見ていないのは俺だけか?なんて思う必要は全くありません。だって、そんな男は本当はモテるはずないからです。女というプライドの高い生き物は、モテる男なんてどうだっていい、恋の終わりが訪れた時に上手に振られてくれる男こそが女の理想なのですから。
酒場ですっかりほろ酔い加減、自分の恋物語を問わず語りに話し出した詩人のホフマン君、彼は3つの恋を話しますが、全部彼の失恋で終わっています。うまくいった他人の恋なんて全然面白くない、失敗した恋こそがお酒にはぴったりの素敵なおつまみでしょう。ホフマン君の語り口は絶妙、それにその3つの恋物語がどれもこれも摩訶不思議とくれば、ビールもワインも美味しく進みます。好きなお酒を傾けつつ、ホフマン君の話を聞きましょう。
第一幕【酒場】 ホフマンは恋人の歌姫ステラが出演中(演目はモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」)の歌劇場の隣にある酒場で時間潰し。しかし彼には何とも迷惑な取り巻きがおります。それは詩の女神ミューズと悪魔!この強引でお節介な女神様とドジで悪戯好きの悪魔のおかげで彼の恋愛運はこれまで最低。どんな風に最低かというと・・・。
第二幕【オランピア】 マッド・サイエンティスト風のスパランツァーニの家を訪れたホフマンは、美しいオランピアの寝姿に一目惚れ。人形師コッペリウス(実は悪魔)から魔法の眼鏡を手に入れてオランピアを見ればまるで天使のような美しさ。ワルツをご一緒に・・・スパランツァーニに不渡り手形を掴まされたコッペリウス(悪魔が不渡り掴まされるかぁ?なんともドジで可愛い)が怒ってしまったことから、美しいオランピアは恐ろしい速度で回転を始め、振り回されたホフマンは倒れてしまいます。スパランツァーニとコッペリウスの子供じみた喧嘩の結果、オランピアはバラバラ・・・ホフマンが恋したのは自働人形(ロボットでしょうか?)だったのです。
第三幕【アントニア】 今度の恋人は歌の上手なアントニア。彼女は病気で、歌うと興奮してしまい体に触ることから、父親から歌を禁じられています(ったってちゃんと歌いますよ、何しろオペラですから)。そこへ登場したホフマン、恋を歌い上げる見事な二重唱(とても病気とは思えない)、息が切れてしまったアントニアにホフマンはもう歌ってはいけないと諭します。そこにミラクル医師(実は悪魔)登場、歌えと迫りますが、ホフマンを愛しているアントニアはイヤよと拒否。悪魔はアントニアの亡き母親の肖像画に魔法をかけ娘に歌うよう迫らせます。ついに歌い始めるアントニア、力一杯の三重唱の挙げ句(何しろ死んだママも悪魔も歌がうまいんです、オペラですから・・・)彼女は死んでしまいます。
第四幕【ジュリエッタ】 娼婦ジュリエッタのもと、ホフマンは大いに楽しんでいます(有名な「ホフマンの舟歌」)。そこにまたまた悪魔ダッペルトゥット登場、ジュリエッタに大きな宝石を見せびらかし、ホフマンの影を奪うようにと持ちかけます。実はこのジュリエッタ、影泥棒の常習犯。何たって彼女は男を陥落させるプロ、ホフマンは影を奪われてしまいます。鏡に姿が映らないホフマン。影は盗んだもののホフマンに心を惹かれたジュリエッタは、真実の愛を知ってしまったようです。大事な右腕に裏切られた悪魔はカンカン、彼女に毒を飲ませ殺してしまいます。
第五幕【酒場】 無事に舞台を終えたステラが登場、しかしホフマンは完全に酔い潰れてベロベロ状態。愛想が尽きたステラは彼を置いて出ていってしまいます。またまた振られてしまったホフマン・・・。
実は、オランピア、アントニアそしてジュリエッタは全て同じ女性の別の姿、それは現在ホフマンが恋しているステラなのです。女にうつつを抜かして詩作をおろそかにしているホフマンを心配した詩の女神ミューズが、いい加減に目を覚ませと登場します。恋に才能を浪費するなんて詩の女神から見れば立派な冒涜行為でしょうが、これではホフマンが可哀想。次々と現れる素敵な女たちへの愛は全く実らず、詩の女神なんかに愛されたところで、幸せにはなれません。神様相手に恋をして楽しいわけありませんよね。「偉大な詩人にして不幸な男」になるよりも、「ヘボ詩人にして幸せな男」になりたいのが普通の男というものでしょう。ホフマンは詩の才能があったばっかりに、よりによって一番の性悪女(男の自由を奪い、思うように支配しようとする女神なんて、これじゃスティーブン・キングの「ミザリー」と同じじゃないですか)にひっかかってしまったようです。そりゃ酔い潰れたくもなるよね、ホフマン。
ステラとは何者か?
ホフマンの恋人である歌姫ステラ、この物語に登場する3人の女性は全てステラの分身ということになっています。では、ステラとはどんな女性なのでしょうか?
第一幕のオランピア、彼女は自働人形です。彼女はスイッチを入れると何とも珍妙な歌(コロラチューラは超絶的だけど歌詞が最高に下らない)を歌いますが、どうやらバッテリーではなくゼンマイで動いているらしく、じきに止まってしまいます。そして彼女は何を聞かれても「はい」としか言いません。外見がどれほど美しかろうとアタマの中は空っぽであることは誰にも明らかです。ホフマンが彼女に恋してしまったのは、魔法の眼鏡をかけたから。ホフマンの目には、何も考えず、自分からは動くことも止まることもできないオランピアが天使に見えるらしいのです。オランピアと彼女を見る眼鏡を作ったのは人形師コッペリウス、そして彼は実は悪魔です。悪魔が作ったにしてはオランピアは出来が悪いですね、専用眼鏡がないと天使に見えないし、第一、ゼンマイ仕掛けなんて。ま、不渡り掴まされるようなドジな悪魔ですから、仕方ないか・・・。オランピアを生み出したものは、スパランツァーニのねじくれた父性愛とコッペリウスの金銭欲(悪魔でもお金の苦労ってあるのね・・・)、そしてホフマンの恋への憧れです。オランピア、それはそれぞれの男にとって都合のよい道具でしかありません。
第二幕のアントニア、彼女は病気、つまり弱くて守られるべき存在であり、事実、父親に守られています。しかしこの庇護には条件があります。「歌うな」です。なぜなら歌うと死んでしまうから。そしてホフマンもアントニアに歌ってはいけないと諭します。生き死にというのは究極の個人的な問題です。たとえ死んでも歌いたいという人間を止めることは誰にもできません。そしてアントニアは本当は歌いたいのです。但し、この場合の歌は命懸けの選択です。アントニアはそれを自分で選べなかった。彼女は自分を守っている父とホフマンから、自分を死なせてしまう悪魔の手に移っただけなのです。アントニアに歌うよう迫るのは亡き母(この母もアントニアと同じ、歌いまくって死んでしまったらしい)の肖像画です。アントニアは「歌った」のではなく「歌わされた」わけです。そして思う存分歌って(とっても幸せだったと思いますよ)、その結果死んじゃった・・・と。アントニアには、ホフマンとの約束を守って歌うことを拒み通すこともできませんでしたし、死んだっていい、私は歌いたいの、と主張することもできませんでした。アントニアはオランピアと違ってちゃんとアタマがあり、恋だってしましたが、自分の意志ではなく他人の意思で自分の運命を決めてしまったのです。
第三幕のジュリエッタ、彼女は娼婦です。そして男の影を盗む女です。盗んだ影は悪魔が高く買い取ってくれる(らしい)。そんな娼婦ならアッという間に悪い噂が広がって商売上がったりになるのかというと、世の中には(ホフマンのような)バカな男というのは無尽蔵に存在するらしく、ジュリエッタも悪魔もホクホク顔をしています。今夜のお相手は情熱的なロマンチストであるホフマンくんですから、これはもう、カモがネギ背負って鍋と一升瓶抱えてご祝儀持ってやって来たようなもんです。アッという間に影を盗られてしまったホフマンですが、そんなことはどうでもいいらしく(鏡に自分が映らないというのは何かと不自由だと思うのですが・・・朝どうやってひげを剃る?)、それどころかジュリエッタを巡って元気に決闘までやってくれます。そこまで大奮闘したのにジュリエッタは(どの版でも)手に入らない。彼女はホフマンなんぞには太刀打ちできる相手ではありません。ジュリエッタは自分の力を知り抜いており、それを効果的に使うノウハウを持っており、何よりも自分の欲望(大きな宝石)を満たすためには、悪魔とだってビジネス・パートナーになれる女です。恋に目が眩んで影を盗まれても気づかないホフマンとは役者が違います。それより、ホフマン、影返してもらったの?
さて、ステラです。この通りだとすると、ステラという女性は、「アタマ空っぽのお人形さん」で「他人にコントロールされる幼い女」で「男を手玉に取るくらい朝飯前の切れ者」・・・んな女いるわけないじゃん!これじゃステラは多重人格です。どう考えてもこの設定には無理があります。私としては、オランピア、アントニアそしてジュリエッタはやはり別の女性であると思います。あるいは、そもそもステラなる女は実在しない、彼女は女というものの象徴であると解釈するか・・・。この「ステラ象徴説」をとると、ホフマンの恋も何かの象徴になってしまいますが、それにしてはホフマンという男は存在感が強く(何たって酔いつぶれ方がお見事です)、青年詩人のしっかりとした体温を持っています。この説、私は採用しません。物語の通りに「ステラ一人説」を採用するならば、この設定に時間軸を加える必要があると思います。つまり、この3人は「ステラの歴史」を構成しており、過去の結果としての現在のステラがホフマンの前に存在するというわけです。お分かりですか?お人形、そして幼い女、最後にしたたかに自立した女・・・そう、ホフマンの恋する女性は成長しているのです。それにつれてホフマンだって成長します。彼はただの惚れっぽい男じゃない、何しろ詩の女神が見込んだ成長株ですから。
めげない男が成長する
ホフマンは振られ続けています。それも決定的に振られています。オランピアは壊れちゃったし、アントニアは死んじゃったし、ジュリエッタは(版によって違いますが)死んでしまうか、悪魔と一緒に高笑いしつつ彼の前から消えてしまいます。ここまで徹底的に修復不可能に振られてしまった男というのは、立ち直りが大変だと思うのですが、我らがホフマンはそんなことではめげません。
第二幕でホフマンがスパランツァーニの家を訪れたのは「科学者になりたかった」からです。彼は現在は詩人ですがこの時は理科系志望だったようです。つまり彼は自分が何者なのかも分からない若者だったんですね。そしてお人形のオランピアに一目惚れしてしまいますが、その惚れ方が何とも不器用。(不細工な眼鏡をかけて)美しさを讃えるのみです。そしてワルツを踊ってみれば散々に引っ張り回された挙げ句に息を切らしてダウンしてしまいます。不器用な若者の不器用なりの一生懸命の恋はあっけなく終わってしまいます。
第三幕でホフマンは愛するアントニアとの仲を彼女の父親に反対されています。それでも負けずにアタックする彼、ここでのホフマンには前を向いた愛する意思がはっきりとあります。そして、病気のアントニアを気遣う優しさがあります。
第四幕でのホフマンは、何ともお見事な遊び人風。ヴェネツィアの優美な風景の中、高級娼婦のジュリエッタと船遊びをするというお大尽ぶりです。ヴェネツィアにはルネサンス以来コルティジャーナという高級娼婦の伝統があります。彼女たちは各国語を自由に操り(国際商業都市ヴェネツィアではあらゆる言葉が飛び交っていました)、詩を詠み、楽器を演奏し、ギリシャ哲学、古典劇から政治情勢まで、幅広い教養を持ったレディーたちでした。娼婦としての第一の仕事だけがお目当てなどというゲスな客は軽蔑され、場合によっては彼女たちの優雅な客間から追い返されることもあったようです。そんな伝統を誇る高級娼婦の中でも一番人気のジュリエッタの元でくつろいでいるホフマン、う〜ん、大人の遊びができるようになったか・・・。
「答えてくれ、ブルータス、君は自分の顔が見えるかい?」「見えないよ、キャシアス。自分の姿は、何かに映った影でしか自分の目には見えないのだ。」(シェイクスピア 「ジュリアス・シーザー」)・・・鏡に映る影が唯一自分で自分を見るための手段であるとすれば、影を盗まれたホフマンは自分を見失った男ということになります。恋に溺れて我を忘れ、それでも我らがホフマンは元気に恋敵と決闘を演じてくれます。オランピアの作り物の美貌に惑わされ、振り回されたホフマンは、たとえどんな障害があっても、それを乗り越えてアントニアを愛し、気遣う男になり、そして、我を捨てても恋を勝ち取ろうとする男へと変貌したのです。彼はずいぶんと成長しているでしょう?これだけ鍛えられれば当然ですね。そして現在彼が恋しているのは、歌姫ステラ。そもそも彼が酒場で飲んだくれて自分の恋愛遍歴を披露することになったのは、ステラと喧嘩してしまったかららしいのです。第一幕でのステラからホフマンに宛てられた手紙(ステラに恋するリンドルフに巻き上げられてしまいますが)には、「私を愛しているなら私を許して、楽屋の鍵を同封します、会いに来てね。」と書かれていることから明らかです。我らがホフマン君はたとえ喧嘩をしても彼女の方から謝ってもらえる男になったのです。女というプライドの高い生き物は、滅法喧嘩が強い生き物でもあります。特に対自分の恋人となった場合は、まず負けません。なぜなら男は理由があって怒っているわけですが、女は「怒りたいから怒っている」ので、男の理屈では到底歯が立たないからです。そして膠着状態に陥った場合、女は自分からは滅多に謝りません。根負けした男が仕方なく謝るのをいつまでも待っていられるものだからです(古来、戦争が男の仕事であったことは幸運でした。女が戦争を担当していたら、人類はとっくに絶滅しています)。でもホフマンはステラにとって自分から折れてでも失いたくない男なのです。喧嘩をして彼女の方から謝ってもらえた場合、あなたは間違いなく、とっても、とっても愛されています。やったじゃない、ホフマン!
と、ここまではいいのですが、ホフマンはやっぱりステラにも振られてしまいます。なんでって、この物語の真の主役である悪魔と女神のせいです。ホフマンの恋愛遍歴は、実は悪魔と女神の代理戦争なのです。
酒に身を、恋に心を漂わせる快感
このオペラの特徴は紗がかかったかのような曖昧さです。登場人物の設定が非常に複雑、オランピア、アントニア、ジュリエッタそしてステラは同じ女性とされていますし、コッペリウス、ミラクル、ダッペルトゥットそしてリンドルフは全て同一の悪魔と解釈されています。この曖昧さの原因は何といっても語り手の我らがホフマンが酔っぱらっていることにあると思います。彼の話は面白いけどめちゃくちゃ、何が何だか…という辺り、酔っ払いのとりとめのない話の特徴が見事に出ています。その象徴が美しい「ホフマンの舟歌」でしょう。この娼婦ジュリエッタと女神の化身ニクラウスの二重唱、この歌は物語とは全く関係ないのです。筋書きに関係なく登場するフワフワした、まさに水面を漂う月の光を思わせる美しい舟歌、霧に煙ったような虚とも実ともつかない世界を彷徨う快感、「ホフマンの舟歌」はこの作品の魅力をぎゅっと凝縮させています。
悪魔は次から次へと魅力的な女性たちをホフマンの前に登場させます。オランピアは悪魔の作った人形ですから彼の所有物(小切手が不渡りだったので所有権は移転しておりません)ですし、アントニアは結局彼の力に屈してしまい、妖艶なジュリエッタは彼のビジネス・パートナー。何よりもステラ(ステラはラテン語でお星様、見えているのに決して手には入らない恋の象徴でしょう)も最後にはホフマンを捨てて悪魔と一緒に去ってしまいます。
悪魔には階級があるってご存知でした?一番上のサタンから下っ端の使い魔までなかなかシビアな世界なんですよ。その悪魔の力関係を決定するのは人間から騙し取った魂の数と言われています。魂をたくさん持っている悪魔が偉いというわけ。それも「優れた魂」がお値打ち(最高値はローマ法王の魂だとか)なんだそうです。絵画に登場する悪魔というと角を生やしていたり半分動物だったり、異様な姿のものが多いのですが、私は悪魔というのはとびっきり魅力的な姿をしていると思っています。だって、怪物みたいなのがいきなり現れて「魂くれ」なんて言ったら、あなた、逃げません?古来より多くの人間が悪魔に魂を奪われたのは、彼が思わず引き込まれてしまうほど素敵だからに決まっています。彼はどんな女性だって思いのまま、何しろ「天使のように美しい」(悪魔と天使は元々は同じですからね)オランピアを拵えることもできるし、アントニアには母親(つまり彼女の生命の根元です)の姿を見せ、高級娼婦のジュリエッタには彼女に相応しく大きな宝石をちらつかせるわけで、この女のあしらい方はドン・ジョヴァンニも裸足で逃げ出すお見事さです。
これに対してニクラウスの姿を借りた女神様(ニクラウスとはギリシア語起源で「勝利者」を意味します)ですが、いささか苦戦しています。何しろホフマンは彼女のいうことなんかちっとも聞きゃしない。止めても止めても美しい女性にアタックすることをやめません。女神様は、振られっぱなしで傷心のホフマンに「たくさん愛してたくさん泣いて、それが詩を生み出す」と諭します。女神様は一生懸命愛してコロリと振られるホフマンの中に、未来の偉大な詩人を見ているのです。
さて、ホフマンはこれからどうなるのでしょう?女神様の仰せの通り、流した涙を言葉に変えて美しい詩を生み出すことができるのでしょうか?それともある日とうとう悪魔の誘惑に負けて女神様を振り切り、その輝く詩人の魂を悪魔に売り渡すのでしょうか?ホフマンの恋愛遍歴はまだまだ続きそうですね。何しろ魅惑の悪魔はどんな女も思いのまま、ホフマンの魂を手に入れるまでは諦めてくれそうにありません。(どっちにしろ)がんばれ、ホフマン!
設定重視となるとオランピア、アントニア、ジュリエッタは同じソプラノが、コッペリウス、ミラクル、ダッペルトゥット、リンドルフは同じバリトンが歌うのが筋でしょう。しかしこれは至難の業です。オランピアではコロラチューラの技法が、アントニアでは可憐で清潔な響きが、そしてジュリエッタでは妖艶さが要求されます。対して悪魔の方はというと何しろ出ずっぱり、歌いっぱなしという重労働になります。ここはそれぞれ歌い手が違っても良しとするべきでしょう。
ホフマンはやはりプラシド・ドミンゴの当たり役、真摯で情熱的な恋人ぶりです。小澤盤(1989年)ではドミンゴのホフマンに対してエディタ・グルベローヴァがソプラノ3役で奮闘しています。テイト盤(同じく89年)のフランシスコ・アライサはいささか声の線が細い分、恋する男よりも詩人にウェートのかかった表現です。この録音では魅惑の悪魔としてサミュエル・レイミー(悪魔を歌わせたら当代一)が4役をこなしています。ナガノ盤(94年)でもヴァン・ダムが4役に挑戦(ホフマンはロベルト・アラーニャ、初々しくてちょっと痛々しい)、いささか甘い優男風の悪魔です。
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