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Leafレオンカヴァッロ 「道化師」 (1999年8月30日の日記より)


8月の美しく「残酷な」太陽

 レオンカヴァッロの「道化師」で、ドサ回りの道化師カニオが若い妻ネッダを刺し殺したのは、8月15日のことでした。この日は、日本では終戦記念日ですが、キリスト教世界では聖母昇天祭です。イタリアの南部、カラブリアの乾いた大地、カラカラの空気、抜けるような青空の下で、惨劇は起こりました。

 ドサ回りの道化芝居の一座がやってきます。当時のイタリアにはこの手の一座は数多くありました。美人のコロンビーナ、その間抜け亭主のパリアッチョ、色男気取りのアレッキーノ、ボケ役のタデオ、この4人の登場人物が即興で少しばかりエロチックな寝取られ男のドタバタ劇を演じて回ったのです。村の広場に馬車を据えて出し物の準備を始めた一座には、どうしようもない倦怠感が漂っています。来る日も来る日も同じ出し物、同じ顔ぶれ、区別すらつかない同じような日焼けした観客の顔・・・。しかし、その倦怠感は、イタリア南部の8月の太陽のせいで、一気に緊張感を帯びてしまいます。真夏の太陽が登場人物全ての上に照りつけています。みんなその毒気に当てられたかのように異常な熱気を帯びてきます。

 醜いせむしのトニオ(劇ではボケ役のタデオ)は、若く美しい座長の妻ネッダ(コロンビーナ)に日頃から抱いていた欲望をもう抑えられません。座長のカニオ(パリアッチョ)もギラギラした太陽の下で気分が高ぶっています。若い妻を持った彼に対する村人のからかいの声を、笑って受け流すことすらできなくなっているのです。そして、ネッダが高らかに歌います、あぁ、なんて美しい8月の太陽、私は自由・・・。ネッダのその興奮は、村の若者シルヴィオとの恋を一気に駆け落ち話にまで運んでしまいます。それを聞いたカニオは、怒り狂い、執拗にネッダに詰め寄ります。この緊張感は、ただ一人現実的なペッペ(アレッキーノ)の「座長、幕が開くんですよ」という一言によって、はけ口を失い、深く深くくすぶることになります。鏡の前のカニオは、幼いころから繰り返してきたおかげで無意識に動き出す手によって白粉を塗りたくります。「衣装をつけろ」、客は金を払って笑いたがっているんだ、だから女房を寝取られたら・・・、笑え、道化師!笑え、お前の破れた愛を、笑え、お前の惨めさを・・・。彼はこのあまりに悲痛なアリアによって、自分の怒りと悲しみを押さえ込んでしまいます。押さえ込んではいけなかったのです。芝居なんかどうだっていい、ネッダをひっぱたいていれば、そして、ネッダを抱きしめていれば、この後の惨劇は避けられたはずなのに・・・。


 舞台が始まります。寝取られ男のパリアッチョを演じるカニオはやがて芝居と現実の区別がつかなくなってしまいます。コロンビーナをアレッキーノに寝取られる芝居の自分とネッダをシルヴィオに奪われる現実の自分とが分からなくなってしまうのです。白塗りの道化師の化粧が冷たい汗によってまだら模様に変わるにつれて、カニオの中に狂おしい嫉妬の炎が燃え盛ります。カニオの手にナイフが握られるのは当然のなりゆきでした。そして、ネッダを助けに飛び出したシルヴィオまでも手に掛けたカニオは、唖然として呟きます、「道化芝居はお終いだ」。


 カニオはネッダを愛していました。大金持ちが愛する女に宝石を贈るように、気の利いた男が詩を贈るように、どちらでもない普通の男が花を贈るように、ドサ回りの道化師カニオは、愛するネッダに3度の食事と暖かい寝床を与えてきたのです。彼はそれ以外に愛の表現方法を知らないのです。彼はそういう価値観の世界で生きてきた男なのです。彼にとっては、飢えたり凍えたりする心配のない生活こそが、愛する女への一番の贈り物だったのです。しかし、若く美しいネッダにはそれが理解できませんでした。彼女はカニオが与えてくれないもの(それが果たして何であるのか、ネッダはちゃんと分かっていたのでしょうか)をシルヴィオに求めます。今持っているものは欲しくない、欲しいものは持っていない・・・これはネッダの若さの故の焼け付くような欲望です。この欲望に火をつけたのはどう見ても8月の太陽以外にありません。これが冬の寒さの中だったら、カニオのいささか弛んだ身体だって十分な温もりをネッダに伝えてくれたはずなのです。ネッダはその温もりを愛おしいと思ったはずなのです。でも、季節は不幸なことに8月でした・・・。緑が萌え、空はどこまでも青く、残酷な太陽が彼らの上に輝いていたのです。

 レオンカヴァッロは裁判官の息子でした。この手の三面記事を賑わせる事件については、おそらく「耳年増」であったろうと想像します。みんな懸命に生きている、貧しさを嘆き、労働に汗を流し、単調な毎日を黙々と生きている、その何でもない日常にふと悪魔が手を伸ばす、何かが狂い出す、歯車に飛び込んだ小さな砂の粒がやがて機械を丸ごと破壊してしまうように。
 「これは人生の一こま、現実の物語」、冒頭でトニオが語る前口上、現実の物語、ヴェリズモ・オペラが誕生した瞬間です。

 カニオには激しい言葉を、これまた激しいオーケストラに負けずに響かせるだけの力が要求されます。声を響かせるのではなく叩きつける歌唱、これは非常に特殊な役柄で、テノールにとっては発声も表現も最高難度の役の一つです。
 伝説のカニオ、カルーゾの後継者と言えばまずデル・モナコ、録音がたくさんあります。どれも鳥肌もんです。未だに日本のオペラファンの語りぐさになっている第三回イタリアオペラ日本公演の映像を見ることができます。嫉妬にのたうち回る姿はまさに「神懸かり」、是非一度ご覧下さい。1964年のMETのライブ録音(サンティ盤)のコレッリはモナコほどの激しさはありませんが、初老の男の悲しさはひとしおです。ドミンゴ(1982年プレートル盤)、カレーラス(1979年ムーティ盤)も個性こそ違いますが、うまいです。

 ネッダはテレサ・ストラータスが好きです。少しぱさついて響く声も、かえってネッダの焼けるような焦りを伝えてくれます。ドミンゴと競演したプレートル盤、パヴァロッティと競演したレヴァイン盤(どちらも映像盤)、そのか細い身体、粗末なブラウスがはだけて、肩口からのぞく子供のように細い鎖骨、裸足ではね回る小さな足・・・、その折れそうに細い身体一杯に8月の強烈な太陽を浴びているネッダに、私は命と死の両方を見ます。



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