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Leafワーグナー 「ジークフリート」 (2005年2月4日〜2005年4月21日の日記より)


第一幕 森の中のちょっとトホホなアナキスト

 暗い森に囲まれた空き地で、この世に指環をもたらしたアルベリヒの弟ミーメが一人頭を掻きむしっております。いくら懸命に鍛えた剣でも、あの小僧ときたらすぐにへし折っちまう。ノートゥングを鍛えなおせれば、あのお宝の上にとぐろを巻いたファーフナーの奴を殺せるのに、そうすればあの指環は俺のものになるのに、肝心の伝説の剣は俺の手には負えやしない・・・。森の中から熊を追い立てつつ飛び出してきたのはジークフリート、ほら、役に立たない鍛冶屋を食っちまいな!止めてくれ、剣なら、ほら、そこに!おっ、今度はちっとはましな剣かい?ジークフリートが鉄床に叩きつけると剣は呆気なく折れてしまいます。ほら、やっぱりお前は役立たずのチビさ、いっそお前をぶった切りたいよ。何て口をきくやら、この恩知らずが。乳飲み子だったお前を育てたのは誰だ?寝床も玩具も角笛も拵えてやった、苦労してこんなに大きく育てたってのに、何て仕打ちだい。

 おいら、お前を見ていると何かむかつくのさ、で、森へ行くだろ?でも何故かお前のところに帰って来ちまう、お前よりも獣の方がずっとマシだってのに。それはお前が俺を好いているからさ。おいらがお前を?そうとも、なんたって俺はお前の親だからな。ミーメ、小鳥や鹿や狐たち、みんな雄と雌がいて、つがいになって子を育てるだろ?でもミーメには奥さんがいない、おいらの母ちゃんはどこだ?うっ、だから、えー、俺がお前の父ちゃんで俺がお前の母ちゃんさ。
 嘘こけ!おいらは川の水でちゃんとこの顔を見たんだ、おいらとお前は全然似てない、ヒキガエルの子が魚ってことがあるかい?つまりさ、おいらがお前んとこに帰ってくるのは、父ちゃんと母ちゃんのことを聞き出すためさ、こんなふうにしてね!ミーメの喉を締め上げるジークフリート。痛い!放せったら!いいとも、教えてやるさ、俺とお前は赤の他人さ。ある日、一人の女がこの森で子供を産み落とした、えらい難産で、俺もできるだけのことはしたが女は死んじまった、ただジークフリート、お前は助かった。おいらのせいで母ちゃんは死んだのか・・・?おいらは何でジークフリートなんだ?お前の母さんが付けた名だ。その母ちゃんの名は?確かジークリンデといったな、じゃ父ちゃんの名は?そいつのことは知らん、殺されたと彼女は言ったっけ。おい、チビ、その話の証拠はあるのか?砕けた剣の欠片を手にするミーメ、この剣の欠片はお前の父さんの形見だ、そう母さんが言っていた。

 おいらのためにこの剣を接ぐんだ、やり損なったらただじゃ置かないぞ、今日中にその剣をおいらの手に!今日中?そうとも、その剣を持ってこの森を出て行くんだ、おいらは自由に行っちまう、ミーメ、お前を二度と見ないですむようにさ!森の中に走り去るジークフリート。おい、待てよ!行っちまった・・・。今日中ったって、どうやったってこの剣を接ぐことはできないってのに、小人のハンマーじゃノートゥングは鍛えられないってのに、途方に暮れる鍛冶屋。

 そんなミーメの前に長いマントを羽織った長身の男が登場します、帽子のつばに片目は隠れていますが、もう一つの目には狼さながらの蒼い光。誰だ?私はさすらい人と呼ばれている。だったらさっさとここからもさすらっていきな!たいていの人間は己が一番利口と信じている、肝心なことは何も知らないくせに、もてなしの礼にお前の一番知りたいことを教えてやろう。火の側に腰を下ろすさすらい人、知恵比べをしないか?お互いに首を賭けて。シツコイ野郎だな、よし、遠慮なく問うぞ!問いは3つだ。

 第一問、地面の下に住んでいるのは誰だ?深い深い地面の下にはニーベルングが住んでいる、かつてアルベリヒが指環で地下を支配した、奴は山ほどの財宝を積み重ねて世界を手にしようとした・・・、次は?第二問、地上に住んでいるのは誰だ?巨人たちさ、ファーゾルトとファーフナーの兄弟が指環を巡って争った、弟は兄を殺して今や大蛇となってアルベリヒの財宝の上にとぐろを巻いている・・・、最後の問いは?天上に住んでいるのは誰だ?神々だ、光り輝くヴァルハラ城に集う神々を治めるのはヴォータン、世界樹の枝から作った槍を持ち、その槍に刻まれたルーン文字がこの世を統べる・・・、さて、小人よ、私の首はまだ私のものか?あぁ、あんたの首はあんたのもんさ、さっさと行きな。お前は何を問うべきかも知らないようだな、せっかくの機会を無駄にしおって。では、今度は私がお前に問おう、もちろんお前の首を賭けて、いくぞ、ミーメ。

 第一問、神々の長ヴォータンが一番愛している種族は?そりゃヴェルズング一族さ、ジークムントとジークリンデの双子はジークフリートの両親、最も強い連中さ。第二問、大蛇となったファーフナーを倒すにはジークフリートは何を手にすればいい?ノートゥング、かつてヴォータンがトネリコの木に突き刺してジークムントが引き抜いた剣、ヴォータンがその槍で砕いた剣、ファーフナーを倒せるのはこの剣だけだ。では、第三問、いったい誰にそのノートゥングを鍛え直せるのか?あぁ、畜生、それだけがどうしても分からん、世界一の鍛冶屋の俺にも分からん、誰も教えてくれぬ!

 三回質問させてやったのに、つまらぬことばかり尋ねるからだ。さて、三問目の答えを教えてやろう、ノートゥングを鍛え直せる者、それは恐れを知らぬ者だ。というわけで、お前の首は私のものだが、その恐れを知らぬ者に預けよう。高笑いと共に片目の男は森の中に消えて行きます。

 ミーメがへたり込んでいるところにジークフリートが帰ってきます。よぉ、おいらの剣はできたか?剣?剣・・・、恐れを知らぬ者だけが鍛えることができる・・・、で、俺の首は今じゃその恐れを知らぬ者のもの、待てよ、恐れを教えてやればそいつから逃れられる、そうとも!おい、ジークフリート、お前に大切なことを教えてやろう、それは恐れだ。恐れ?何だ、それ?お前の母さんの言いつけだ、恐れを知らないうちは森を出てはならん。だから、恐れって何さ?
 真っ暗な森、何かがざわめいて、うなり声が近づいて、ほら、ぞっとしたことあるだろう?心臓がどきどきしたことがあるだろう?おいらの心臓はいつも同じさ、その恐れってのを感じてみたい、それはどんなもんなんだろ。邪悪な大蛇が教えてくれるさ、そいつの名はファーフナー。その大蛇はどこにいる?東の森のずっと外れの欲望の洞窟に。よっしゃ、そこで恐れを知ったならおいらは世界へ出て行く、だから、剣をさっさと作れよ、世界でそいつを振り回すんだから。だから、その剣が俺にはどうにもならんのさ。
 役立たずのチビめ、その欠片をおいらに寄こしな。おい、ハンダを使うんだよ、こら、やたらヤスリをかけるな、ミーメの口出しに耳も貸さず剣の欠片を粉々に砕いて鍛え直すジークフリート。出来ちまう、このままじゃ剣が出来ちまう、俺の首はどうなるんだ?ファーフナーがこいつに恐れを教えてくれれば・・・、でもそうなると誰がファーフナーから指環を奪うんだ?おい、ミーメ、この剣の名はなんだ?その剣の名はノートゥング。

 ノートゥング、どうして折れちまった?おいらが溶かしてやる。ふいごで吹いて炎で熱して、火花が飛んでどんどん溶けて、ホーハイ、ホーハイ、ホーホー!

 ほんとに出来ちまう、あいつはあの剣でファーフナーを倒す、あいつは指環を手に入れる、あいつは宝も手に入れる・・・、考えろ、ミーメ!あいつが大蛇を倒したら薬を盛った飲み物をくれてやろう、で、哀れ、あいつは自分で鍛えた剣でお陀仏・・・、そうとも、さすらい人よ、この俺が馬鹿だと?

 ノートゥング、ノートゥング!火が熱して水が冷やす、さぁ、もう一度だ!鎚が鍛える硬い剣、その青白い刃はかつては血に染まって、その冷たい刃はかつては温かい血を浴びた、ハイアーホー、ハーハイ!
 ファーフナーを殺す剣を作るがいい、お前を殺す薬は俺が作る・・・。兄貴の作った指環、世界を支配する指環はもう俺のものだ、俺が全てを支配する、ニーベルングの王となった俺に神々や勇士がへつらう、ミーメは王だ、全ての支配者だ!

 出来た、ノートゥング、父の形見を息子が鍛え直した、ほら、光っているだろ?宿望の剣は蘇ったのさ、これがジークフリートの剣さ!ジークフリートの腕から振り下ろされたノートゥングは分厚い鉄床を真っ二つに切り裂きます。斬鉄剣、誕生!

 長丁場に登場人物はたったの3人、満を持して登場したジークフリートは、神々の長ヴォータンとアルベリヒの弟ミーメの両方にとって大事な切り札であり、戦乙女ブリュンヒルデが自らの神格を捨てて守った希望の命であり、悲痛な叫びを残してあの世とこの世に引き裂かれたジークムントとジークリンデの忘れ形見・・・なのですが、その割に扱いが雑というか何というか。
 少年の祖父であるヴォータンは初手から養育を拒否、カッコウよろしく宿敵ミーメに預けっぱなし。そりゃ、手塩にかけて育て上げ、苦難を与えることで強さを、孤独を与えることで勇気を、愛を与えることで歓喜を叩き込んだ少年の父ジークムントを自らの手で死に追いやってしまったヴォータン、もう子育ては真っ平なのかも知れませんが。
 コツコツと鍛冶屋稼業に精出しながら、地の底から指環を奪ったヴォータンのお気に入りであるヴェルズングの血統を受け継ぐ少年を育てたミーメ、しかし、ミーメはこの少年からアイデンティティを取り上げてしまい素知らぬ顔、自分が誰か分からないと少年が当然の疑問をぶつければ、自分の思惑は棚の上で恩着せがましい「養育の歌」で愚痴る有様。

 可哀想に、ジークフリートは、彼の祖父にとっても養父にとっても、ただの指環奪還のための道具に過ぎません。少年は確かに「恐れを知らぬ者」に育ちました。彼には大蛇と化したファーフナーから指環を取り返すという役目、それもご丁寧に祖父と養父両方から同じ役目を託されているわけですから、恐れを知らないのはとても大切でしょう。しかし、少年は恐れだけではなく、愛も知らなければ孤独も知りません。彼にとっての愛とは似たもの同士がつがうことでしかなく、彼にとっての孤独とは唯一の話し相手が醜い養父だということでしかありません。彼の父ジークムントが、愛する者を無惨に奪われ、魂が軋むかのような孤独を抱えて彷徨った暗い森も、少年には気楽な遊び場でしかなく、彼の母ジークリンデが、孤独のどん底から青い瞳で見据えた月明かりの中、唯一の希望として輝いた剣も、「おいらの言う通りになるかも」の鋼の欠片でしかありません。

 確かにジークフリートは(今んとこ)父や母よりはマシな運命を与えられているようです。しかし、マシな運命の代償が、何も教えて貰えない結果としての「何も恐れない」こと。何も恐れないから、ジークフリートには道徳がありません。道徳とは、他者または自己によって自分の有り様が否定されることへの恐れから生まれるものです。その道徳の欠如が、彼の両親である運命の双子が命を捨てて挑んだヴォータンの支配する世界の道徳律を無意味なものにしてしまい、結果として、ジークフリートが生まれながらに持っている天真爛漫な自由を無惨に汚している、私はそう思います。ジークフリートには構築すべき世界もなければ、依って立つべきルールもなければ、求めるべき真実もありません。「何も恐れない」とは言葉は格好良くても、実はそういうことなのです。そして、ヴォータンがそれを知らないわけがありません。何よりもヴォータン自身が指環を恐れたことから全ては始まってしまったのですから。

 ヴォータンは、支配者であるが故の掟によってジークムントとジークリンデ、そしてブリュンヒルデ、3人の我が子を失いました。神々の長は契約が彼と彼の世界に課した恐れを、既に無意味なものとして捨ててしまったのでしょうか?
 ヴォータンは、ここから先、ファーフナー(かつてヴォータンが契約を交わした勤勉な巨人)、そしてミーメ(かつてヴォータンが彼の作った隠れ頭巾によって彼の兄を欺いた、これまた勤勉な小人)の血が流れることを予見し、それをよしとしてしまったのでしょうか?

 そんなこんなのアタマの煮えくり返りそうな状況の中心にある我らが英雄ジークフリート、彼は顔を知らない両親の唯一の形見であるノートゥングをよりによって粉々に砕いてしまい、結果としてそれが斬鉄剣を蘇らせます。

 なーんも考えないこの行動によって、ジークフリートは祖父ヴォータンと養父ミーメをあっさりと見限って見せます。「父が約束してくれた」剣をあっさりと粉砕することで、自らの体内に流れるヴォータンの血筋を見限り、ミーメにできなかった仕事をド素人のくせして軽々とやってのけることで、天才鍛冶屋を毒入りスープを拵える料理番に貶め、何しろ、この英雄、何も恐れないのですから何をやっても心が痛むということがない、ある意味最強の「英雄」かも知れません・・・が、この我らが英雄ジークフリートには「意志」がありません。意志がないけど「願望」はある、こんなのに世界の運命を託していーんでしょうか?

 こちらの心配をよそに「英雄」はご機嫌、出来たてほやほやの斬鉄剣を振り振り森の奥へ・・・。


第二幕 菩提樹の下の何故か哀しい殺人者

 暗い森の奥深く、ぽっかりと口を開けた洞窟の前でぼやくのは、指環の作り手にしてかつての所有者であるアルベリヒ。見張っている、こうやってずっと見張っている、大蛇を殺してくれるヤツが現れるのを・・・、来たのか?あれがそうか?っと思えば、さすらい人!消えろ、泥棒め!お前が現れればロクなことはない、もう俺に構うな!お前は俺から取り上げた指環を巨人たちに与えた、今更取り返すことはその杖に刻まれた契約が許すまい!杖?さすらい人の隻眼が青く光ります。この杖はお前を打ちのめすためのものさ。強がり言っても無駄さ、言い返すアルベリヒ。次に指環を手にするのは誰か、それが心配で気が気じゃないんだろ?言っとくが俺はオツムの弱い巨人とは違うぜ、指環の使い方は知っている、この世界は俺が支配するのさ!「俺が」じゃない、「指環を手にした者が」だろう?さすらい人のせせら笑い、はぁ?さては貴様、首尾よく腕の立つ息子を得たな?
 私よりも弟のミーメの心配をするんだな、ミーメだと?じゃお前はお宝から手を引くと?それは彼次第、そう、一人の英雄がやってくる、二人のニーベルングが黄金を欲しがる、ファーフナーは倒れ、さて、指環は誰のものとなる?ファーフナー、起きろ、大蛇!

 洞窟の奥からおぞましい声が答えます、誰だ、俺を起こすのは?お前に危険を知らせに来た、大蛇よ、英雄がお前を倒しに来るぞ、その剣は恐ろしく鋭いぞ。さすらい人に負けじとアルベリヒも迫ります。俺に指環をくれればお前の代わりに戦ってやる、小さな体のアルベリヒの大ボラですが、大蛇のファーフナーは無関心に眠りを貪るばかり。

 アルベリヒ、お前の策はまたも失敗か?お前の相手は弟のミーメ、ヤツのやり方なら先刻承知だろう?高笑いしつつ森に消えるさすらい人。残された小人がその背中を睨みつけます。好きなだけ笑うがいいさ、俺はお前たち神々の滅亡をきっとこの目で見届ける、俺をなめるな!

 ミーメとジークフリートが登場。よう、ミーメ、ここでおいらは恐れを習うのか?そうとも、ほら、あの洞窟を見てみろよ。あの中には恐ろしく凶暴な大蛇が棲んでいる、その口はお前を一飲みにするぞ!口を塞ぎゃいーだろ、その涎はお前を溶かすぞ!よけりゃいーだろ、その尾はお前を砕くぞ!用心すりゃいーだろ、それより、教えてくれ、その大蛇に心臓はあるのか?そりゃあるさ、じゃ、その心臓にノートゥングを突き刺せばいいだけだろ?おい、ミーメ、おいら何も習ってないぞ!今に分かるさ、恐れがどんなものか、そしてこのミーメに感謝することになるさ。恩着せがましい言い草に野生児はマジ切れ。おいらに構うなと言ったろ!もうお前にはうんざりだって言ったろ!行っちまえ!いいとも、用があれば呼んどくれ、ファーフナーとジークフリート、両方ともくたばるがいいさ・・・。

 菩提樹の下に座り込んだジークフリート、何て嫌なヤツだろ、もう二度と会うもんか。ミーメに息子があればそいつはミーメそっくりで醜いに違いない。だけど、おいらの母ちゃんは・・・、きっときれいだったろうな、おいらを産んで死んじまった、母ちゃんってのは子を産むと死ぬのかな?会いたい、母ちゃんに会いたい!

 彼の頭上には軽やかに鳴き交わす小鳥たち、かわいい小鳥、お前たちはおいらの母ちゃんのことを話しているのか?葦笛でならお前たちと喋れるかい?・・・ダメだ、うまく鳴らないよ。角笛でならお前たちと仲良くなれるかい?その音色に誘われたのは小鳥ではなくて大蛇のファーフナー、やおら登場するなり大あくび。
 おいらと仲良くなりたいのかい?ふわぁー、何だ、お前は?教えておくれよ、恐れってなんだい?何だ、こいつはただの馬鹿か・・・、水を飲みに出てきて素敵な朝食を見つけた、さて、一飲みに・・・。やなこった、くたばるのはお前さ!ファーフナーの巨体の下に潜り込んだジークフリートはその心臓に真っ直ぐにノートゥングを突き立てます。
 小僧、お前は誰だ・・・?なぜこんなことを・・・?なぜって・・・、おいら自分が誰かも知らないんだ。何も知らないのなら教えてやろう、かつてファーゾルトとファーフナーという巨人の兄弟がいた。呪われた黄金を得るために弟は兄を殺した、大蛇に身を変えて黄金を守った・・・、その巨人にも死ぬ時が来た、気をつけろ、誰かがお前を殺そうと・・・、気をつけろ、ジークフリート・・・。
 死んじまった、死んだヤツは何も教えてくれない!あちっ、何て熱い血なんだ。思わず指をしゃぶったところ・・・、小鳥たち、おいらに話しているのかい?『ニーベルングの宝はジークフリートのもの、隠れ頭巾は値打ちもん、そして指環、それを手にすれば世界の支配者』・・・、ありがとう、小鳥たち、よし、この奥だな?ジークフリートは洞窟の中へ。

 ファーフナーの亡骸を怖々と覗き込むミーメ、よし、これで半分は片づいた、あのガキは?洞窟の中か?おい、ミーメ、そんなに急いでどこへ行く?くそっ、忌々しい兄貴め!俺の宝が欲しいのか?「俺の」だって?お前の方こそさっさと消えろ!指環を作ったのは俺だ!隠れ頭巾を作ったのは俺だ!能無しめ、それもこれも俺の指環のお陰じゃないか!まだ指環が自分のものだと?あれは巨人のものさ!それをお前はあの小僧っ子を使って手に入れる気か?当たり前さ、そのためにさんざ苦労してあのガキを育てたんだ!やれやれ、相変わらずのしみったれだな!
 指環は兄貴のもの、隠れ頭巾は俺のもの、これで手を打たないか?ミーメの気弱さが顔を出します。やなこった、お前がどんな弟か俺はよく知っているからな、お前には釘一本やるものか!なら、どちらも渡さない!ジークフリートを呼んで決着つけてやる!呼ぶ?もうおいでなさったよ!あれは・・・、隠れ頭巾、それに指環!

 これが何の役に立つんだ?まーいいや、ファーフナーを倒した記念になるし。隠れ頭巾を腰に、指環を指に、そして思わず小鳥のさえずりに聞き入るジークフリート。『やったね、指輪も兜もジークフリートのもんさ、ミーメを信じるな、悪党のたわごとを信じるな』。
 忍び足で近寄るミーメ、もたもたしているとあのさすらい人がやってくる、変な入れ知恵をされる前に頂くものは頂こう。やぁ、ジークフリート、恐れは習ったか?まだ先生も見つからないよ、あの大蛇は?死んじゃったよ、もっと悪いヤツが生きているってのに、そうさ、おいらにあいつを殺させたヤツが一番悪いのさ!
 まぁ、落ち着けって、しかし、お前は騙しやすいよ・・・、おいらを殺すのかい?まさか!いいか、俺がお前を育てたのはお宝のためさ、だからそれを俺に寄越さないと俺としてはちょいと厄介なことになって・・・、で、おいらを殺すのかい?じゃなくて、このスープをお前が飲むだろ?するとお前は・・・、死んじまってすべてはお前のもんかい?ちょっと待て、何だって一々ひねくれるかな?要するに俺はこのミーメ特製スープを飲んで元気になれって言っているのさ。
 飲めよ、そうすればお前はじきにぐったりして、その剣でお前の首を刎ねれば全てが俺のもの・・・。ヴェルスングの子、狼の子、さっさと飲み干せ!これでも食らえ、食らって黙れ!ジークフリートのノートゥングの一振りでミーメは呆気なく絶命します。ほらよ、穴の底でお宝を守ればいいさ!本望だろ!ミーメの死体を投げ込んでから大蛇の死体で洞窟の入り口を塞ぐジークフリート。

 再び菩提樹の下、小鳥よ、おいら、これからどうすればいい?おいらには兄弟もいない、父ちゃんも母ちゃんも死んじまった、たった一人の仲間はあの醜い小人、そいつも殺しちまった、だっておいらを騙そうとしたから・・・。おいら一人ぼっちだ、おいらの仲間はどこにいる?
 『高い岩の上、炎が燃え盛るその向こう、花嫁を起こせばブリュンヒルデは彼のもの』・・・。

 何て優しくて甘い歌だ・・・、もっと歌っておくれよ。おいら、この森を出てその岩へ登るさ!おいらに出来るかい?

 『ブリュンヒルデを目覚めさせるのは臆病者には無理な話・・・、花嫁を起こすのは恐れを知らぬ者だけさ』。

 おぉ、それっておいらじゃん、だって恐れを習おうとして先生を殺しちまったし。そのブリュン何とかちゃんはおいらに恐れを教えてくれるのかな?その岩はどっち?こっち?小鳥の後を追って森から走り去るジークフリート。

 登場人物の中でただ一人、指環の何たるかを知らない少年が指環の持ち主になってしまいます。これでヴォータンの指環奪還計画は成功・・・するわきゃありません。ジークフリートは指環ではなく父と母を欲しており、しかし、指環はその持ち主にあらゆる富と力を与えることはできても、この孤独な少年に両親を与えることはできない。小人から巨人まで、地底から天空まで、あらゆる存在を魅了した指環が、この少年には全く無意味、ただの金の輪っかとなり果てました。

 ジークフリートは満たされぬまま菩提樹の下に座ります。菩提樹(Linde)の木陰は母ジークリンデ(Sieglinde)の胎内、そう、野生のままに育った少年は、ここで再び誕生の時を迎えます。誰からも愛されず、誰も愛さない孤児から、愛する女と共に生きるために、父に、神々の長に敢然と剣を振り上げたジークムントの息子として、愛する男の忘れ形見をこの世に送り出すために命さえ代償にしたジークリンデの息子として。

 小鳥たちに母のことを尋ねようと色々な笛を試みるジークフリートですが、彼が小鳥たちのさえずりを理解するのはノートゥングから滴るファーフナーの熱い血に触れた時。「この心臓を刺したお前は誰だ?」と問いかける瀕死のファーフナーに与える答えを持たず、その手で殺した相手に問いをそのまま返すことしかできない哀しい少年、「死んだ者は教えてはくれない」、指環を手にするという本人の求めない(というか、知らない)戦いに勝利しながら、アイデンティティを手にするという本人の求めた戦いに敗北した少年を守り、指環と隠れ頭巾を与え、花嫁の元に導く小鳥たち。どうして運命はこれほどにジークフリートに優しい?
 小鳥たちは、神々によって生を受け、神々によって彷徨うことを強いられ、神々によって巡り会い、しかし、神々ではなく自らによって愛し合い、命を賭して宿命に抗った彼の両親の生まれ変わりなのかも知れません。

 しかし、この幕のスターはミーメでしょう。ゲルマン神話では「レギン」と名乗っていたこの悪役に、ワーグナーは「ミーメ」と名乗らせました。「ミーメ」はパントマイムの「マイム」、「演ずる」という意味です。様々な声を使い分けるキャラクター・テノールにはピッタリの名前ですが、ミーメの「演技」にはもう一つの意味が重ねられていると思います。

 「ラインの黄金」で兄アルベリヒに散々虐められ、メソメソ泣いていたこの男は、ここでも恩知らずの養子ジークフリートにどやしつけられ、さすらい人には首を締め上げられ、もう踏んだり蹴ったりの玄関マット状態です。しかし、ミーメはめげません。かつて指環を手にした兄が振り回していた権力を手に入れるためにあらゆる手段を尽くします。
 ノートゥングの完成が自分の首とのお別れというジレンマを抱え、アルベリヒには本気か嘘か、妥協案を提示して丸め込みにかかり、しかし、野望の実現を前に早々と指環の呪いを受けたのか、歓喜のあまり正気を失ったのか、自分の本音をボロボロと喋って、殺すつもりの養子に殺される養父。この厄介な設定がこの役に実に魅力的な陰影を与えています。
 ある面から見れば、ミーメの死は、自分の孫を彼に「託卵」しておいて、その成果だけ頂こうというヴォータンの強欲の犠牲です。ある面から見れば、ミーメの死は、恩知らずの「英雄」が水面に映した自分の美貌に酔った挙げ句の「人種差別」です。ある面から見れば、ミーメの死は、彼が故意に無知のままに放置し、欲しがる情報を与えなかった養子に対する虐待のツケです。そして、ある面から見れば、ミーメの死は、深い森の奥でたった一人で初産を迎えた若い女を力ずくで・・・。まるでラッキョウの皮むき、この知恵者は聴く者、見る者にとって、取り扱い注意の劇薬の魅力を持っています。

 そんな知恵者の奸計からジークフリートを守ったもの、それはファーフナーの血、アルベリヒが指環を作ったばっかりに兄を殺し、大蛇と化し、せっかくのお宝もその上で惰眠を貪るための寝床でしかなかった哀れな巨人、最後の巨人の血です。
 あるいは、ジークフリートを守ったもの、それは父ジークムントが一度もその腕に抱くことのなかった我が子に残したノートゥング、愛する者を守るために振り上げ、愛を契約の代価としてしまった神々の長によって砕かれた剣です。
 あるいは、ジークフリートを守ったもの、それは母ジークリンデが命と引き替えにこの世に送り出しながら、無知と孤独の中に打ち捨てられてしまった我が子を抱きしめるかのような菩提樹の木陰、誰にも、神々の長にも奪えない母の両手です。

 行き当たりばったりに剣を振り回す殺人者がなぜこれほどに愛される?それはジークフリートが死者たちの唯一の希望だからです。死者たちが彼に託すもの、それは愛を否定した結果の指環を超えて、再び愛を取り戻す力、その力は、今、あの岩山に、神々の長が自らの愛を自らの手で炎の奥に封じ込めた岩山に迫りつつあります。



第三幕 炎の山の頂のマザコン童貞と盾持つ処女

 闇夜を引き裂く稲妻、さすらい人登場。起きろ、エルダ!出て来い、エルダ!全てを知る女、永遠の女!青い光をまとって大地の女神エルダが登場します。私を起こすのは誰?深き眠りを破るのはこのさすらい人、お前は全てを知っている、だから教えて貰わねばならない。
 ノルンたちが起きて運命を紡いでいるというのに、なぜ私を起こすのです?ノルンたちは運命を紡ぐのみ、その運命について考えることはしない、だからお前が必要なのだ。ヴォータンのために私が産んだあの大胆で賢い戦乙女に訊ねればよいでしょう?ヴァルキューレ?ブリュンヒルデ?あの反抗的な娘は私に逆らった、父は娘を眠りで覆い、聖なる乙女はただの女として目覚める時を待つのみ。
 エルダの娘が眠っていると?反抗することを教えた父が反抗した娘を罰したと?正義も誓いも地に堕ちたもの、このエルダは眠って全ての知恵を閉じ込めましょう・・・。そうはいかん、神々の終焉を予言してこのヴォータンに不安を与えた女よ、その不安を神々はどうやって拭えばよい?あぁ、うるさい男だこと。私の意志はお前の知恵を凌ぐと知らないのか?神々などどうとでもなればよい!かつてあのニーベルングに譲った世界を素晴らしいヴェルスングが、狼の子が取り返すのだ。一人の勇者が今や指環を手にしている、恐れも妬みも野心も知らない純粋な勇者が。お前が産んでくれたブリュンヒルデはこの英雄によって目覚める、そして二人は世界を救う!もう良い、眠れ、エルダ!眠って我が最後を見届けよ、永遠の若者が神々の世界を受け継ぐ時を!エルダは沈黙を守ったまま闇に沈みます。
 月が澄み切った光を投げかけ、希望の到来を告げます。ジークフリートがやって来る・・・。

 小鳥たちはいなくなっちまった、甘い歌がおいらに教えてくれた場所はどこだ?おいら、自分で見つけるさ。お若いの、どこへいく?さすらい人が彼の行く手を遮ります。おいら、炎に包まれた岩山を探してる、そこに女の人がいて、おいら、その人を起こすのさ。誰がお前にそんなことを教えたのか?森の小鳥さ、小鳥たちはおいらにいろんなこと教えてくれたさ。小鳥の言うことがどうしてお前に分かるのか?洞窟の大蛇を殺したらそいつの血がかかったからさ。誰がお前に大蛇を殺せと告げたのか?ミーメっていうやな小人さ、恐れを教えてくれるって言ったのにさ。そんな大蛇を倒す剣は誰が作ったのか?おいらが自分でやったさ。その剣はそもそも誰が作ったのか?知るもんか、折れて役に立たないからおいらが鍛えたのさ。なるほど・・・お前の言う通りだ、思わず笑い出すさすらい人。

 しつこいジジイだな、おいらに道を教えるか、さもなきゃ黙ってろ!おいおい、年寄りは敬うものだぞ。おいらの知っているただ一人の年寄りをおいらは殺した、お前もそうなりたいか?変な帽子被りやがって、片目のジジイ、残った目が大事ならここから失せろ!そう、私は片目しかない、なぜならそれを見ているお前の目が私の失くした目なのだから・・・。何わけ分かんないことをゴチャゴチャと。
 大胆な若者よ、私が誰か知れば後悔するぞ、気高い子、可愛い子、私を怒らせるな、私の怒りはお前を、そして私を滅ぼす・・・。おいら、眠っている女の人のところへ行くのさ!小鳥がいなくなったのはカラスどもの主がここにいるからだ。眠れる乙女を閉じ込めたのは私、彼女を起こす者は私を超える者。炎が花嫁を取り巻いているのが見えるか?あの光が見えるか?あの炎はお前を焼き尽くす、だから下がれ、愚か者!おいら、あそこへ行くんだ!この槍を越えてか?お前のその剣はかつてこの槍が砕いた、そして今、再び砕ける!ってことは、お前、父ちゃんの仇だな?その槍が父ちゃんを!ノートゥングの一撃がさすらい人の槍を真っ二つに折ってしまいます。

 行くがよい、私にお前を止めることはできない・・・、静かに消えるさすらい人。行くとも、あの炎の中においらの花嫁がいるんだ、ホーホー、ハーハイ!

 岩山の頂、炎が消えて現れたのは輝く甲冑に身を包んで昏々と眠るブリュンヒルデ。その体を覆う盾と兜をそろそろと持ち上げるジークフリート、あぁ、何てきれいな・・・。何かどきどきしてきた、この鎧をとって・・・、女・・・、女だ!おいら、どうしたらいいんだ?母ちゃん!ブリュンヒルデの豊かな胸に顔を埋める少年。どうしよう、この女の人が起きるだろ、んで、おいらを見るだろ、おいら耐えられないよ。だってもう目が回っているんだもん、手が震えているんだもん、これが恐れ?母ちゃん、この女の人がおいらに恐れを教えてくれたの?どうしたらいいんだ、花びらみたいな目元、甘い息、起きて、美しい人、この唇・・・、ブリュンヒルデに口づけするジークフリート。

 誰?私を起こしたあなたは誰?ゆっくりと体を起こすブリュンヒルデの美しい姿にジークフリートは感激で一杯、炎を超えてあなたを起こしたのは、おいら、じゃなくて、僕、ジークフリート・・・。神々に、この世界に、大地に祝福を、目覚めを喜ぶブリュンヒルデ。僕を産んだ母ちゃん、じゃなくて母上に祝福を!ジークフリート、私はあなたを愛していました、あなたが生まれるその前から・・・。では、僕の母上は死ななかったと?眠っていただけだと?あなたの母上は戻らない、でも大丈夫、あなたに必要なことは全て私が知っている、なぜならヴォータンの心を知っているから。私が戦い、私が罰に甘んじたのは全てあなたを愛していたから。その声は僕の心をとろかしてしまうけど、その言葉は僕にはさっぱり分からない。僕に分かるのは、僕はあなたに捕らえられ、あなたを恐れているということ。
 あれはグラニ、私の愛馬ね・・・、そしてあれはかつて英雄を守った盾、あれは兜、今の私は・・・。僕の心はあなたによって串刺しにされて・・・。鎧があそこに、あなたは私からすべてを剥ぎ取ってしまったのね。僕だって無防備のままここまで来た、そして今、炎が僕の心を焼いている、どうかこの炎を消して!ブリュンヒルデを力一杯抱きしめるジークフリートですが、初めて丸腰で男の前に立ったブリュンヒルデは彼を突き飛ばします。神さえも、英雄さえも、この私を恐れたのに!何てこと、私はもう神聖な戦乙女ではないのね。そう、そんなものではなく僕の妻になって欲しい・・・。私は知恵さえ失ったの?愛があればそんなもの要らないさ!怖い・・・、ジークフリート、私は怖いの。私から離れて、私に近づかないで!澄み切った水面に映ったものも一度のさざなみで消えてしまうわ。だから私に触れないで!僕はその澄み切った水面に飛び込んで波に飲み込まれてしまいたい。ブリュンヒルデ、起きて、生きて、笑って、そして僕のものになって!ジークフリート、私はずっと前からあなたのものよ。今も僕のもの?永遠にあなたのもの・・・。

 僕の腕に抱かせて、目と目を、胸と胸を、口と口を・・・、永遠に僕のもの。私の中から天から授けられた知恵は消えてしまって、今、歓びが燃え上がっているわ、ジークフリート!この愛に荒れ狂う女が怖くはないの?あなたが教えてくれた恐れを僕は馬鹿だから忘れてしまったよ。
 何て素晴らしい英雄!私はあなたを愛するわ、ヴァルハラもこの世界も砕ければいい、神々よ、さらば!その黄昏に沈むがいい!今、輝くのはジークフリートのみ!それは唯一にして全て、輝く愛にして哄笑する死!美しい人、ブリュンヒルデ、生きている、笑っている、僕に輝く星!それは唯一にして全て、輝く愛にして哄笑する死!

 上昇を繰り返す「自然の生成の動機」が大きくのたうち全てを渦に巻き込んでいきます。この後何がどうなろうと、運命は決してしまった、それは決して逃れることのできない破滅であり、もう残り時間は少ない、ヴォータンとエルダの決裂の前に、聴く人間はそれを知ってしまいます。

 得意げに孫であるジークフリートへの期待を語るヴォータンですが、エルダは既に輝きを失っています。『ラインの黄金』で呪われた指環から神々を一度は守った大地の女神ですが、尊大なヴォータンは守られることに飽きたらず、全てを知ろうとエルダに迫り、とうとう彼女にブリュンヒルデを産ませてしまいました。その娘を母エルダから奪い、愛を知らない死人運搬人として育てた挙げ句、愛を知ったからといって追放しておいて、その母の元にしゃーしゃーと登場、いい度胸しています。ヴォータンを迎えるエルダは疲れ果て、ただ眠ることを望むばかり。アルベリヒの強欲によって傷つけられた大地は、回復する間もなく、神々の長によって陵辱され、既に老いさらばえております。黙りを決め込むエルダに焦れてしまったヴォータンは、一人で勝手に、ヴェルスング一族の英雄である彼の孫ジークフリートと、エルダの叡智を受け継ぐ彼の娘ブリュンヒルデが彼の世界を相続すると決めつけ、エルダに永遠の眠りを命じます。無言のまま地の底へ消えていくエルダ、大地の女神は老いたりとはいえ惚けたわけじゃない、エルダの沈黙、それはヴォータンの楽観主義を無惨に砕きます。私は大地を守り、お前に警告したはず、お前はその私を愛を騙った強欲で犯し、全てを私の叡智の向こう側にまで押し出してしまった、私が眠る時、お前とて眠らずにおられるものか・・・。エルダの怨念は彼女の娘に受け継がれます。

 剣を振り振り岩山を目指すジークフリートの前に立ちはだかるヴォータン、彼の計画では、ある意味勇敢、ある意味バカなこの孫は、このままブリュンヒルデと結ばれて世界を統べるはず・・・なのですが、何故か執拗に行く手を阻む神々の長。久々の炎の山を前にして「花嫁の父」になっちゃったのか?急に隠居するのがイヤになったのか?それとも・・・。私は、ヴォータンはエルダによって植え付けられた不安を試さずにはおられなかったのだと思います。彼から世界を承継し、神々の世界を危険に陥れるであろう指環をラインの乙女たちに素直に返すはずの無垢な若者ジークフリート、しかし、ヴォータンは彼を知らないし、ジークフリートもヴォータンを知らない、何しろ宿敵アルベリヒの弟ミーメのところに放置してきた。エルダは言った、「畏れ謹んでとくと考えよ」と。そうとも、ここはこの若者に一部始終を教えて、私の権威を叩き込まねば。ところが、どっこい、恐れ入らせようにもこの若者は恐れを知らない、そう仕向けたのは当のヴォータンなのです。ヴォータンの構想は、恐るべき孫によって無惨に断罪されます。何が無惨って、当の孫がその構想を知ろうとすらしないのです。
 契約で世界を治める神々の長の孫は、愛で世界に立ち向かった両親の忘れ形見は、ただただ本能の命じるままに片割れを求めて山を登ります。そこには契約もなく(この若者は養父を殺した)、愛もなく(この若者は愛したことも愛されたこともない)、ただ渇きのみがあります。ヴォータンが神々と共に培ってきた豊穣な世界は、今、その孫によってリセットされてしまいました。ヴォータンはその後の再構築される世界を見ることもなく、舞台から消えていきます。

 岩山の頂上で、ヴォータンの孫と娘(というか甥と叔母)は出会ってしまいます。恐れを知らぬ英雄は、生まれて初めて出会った胸の膨らんだ生き物に恐れを知り、神馬に跨る盾持つ乙女は、生まれて初めて出会った死人にならない男に恐れを知り、恐れつつも惹かれ合う二人の長大な二重唱。ここまで歌いっぱなしのジークフリートに対して満を持して登場のブリュンヒルデ、テノールには酷な場面ですが、片や大地の女神の叡智を継ぐ処女、こっちはオッパイ=ママ、初対面の女性の胸にもスリスリしてしまうマザコンの童貞です。テノールが少々押され加減の方がドラマ的には正しいと思います。

 失った神性を嘆きつつ、生まれる前からあなたを愛していましたと熱く歌う花嫁、その喪失感と高揚感に全く無頓着、ひたすら押しの一手の花婿、ワーグナーの旋律は初々しい男女の官能を鮮やかに描き出します。絡み合う声と声は、絡み合う胸と胸、腕と腕をストレートに想起させ、しかし、童貞と処女がこんなに興奮しちゃって、今宵の首尾は大丈夫なのでしょうか?

 輝く愛にして哄笑する死!ブリュンヒルデの脳裏には、愛ゆえに死を受容したジークムントと愛ゆえに生を受容したジークリンデが浮かんだはず、そして、自分とジークフリートは、「幸せなジークムントとジークリンデ」になるのだと確信したはずです。しかし、ヴォータンが手塩にかけたジークムントと違って、ジークフリートを育てたのはミーメ、彼女の花婿は愛はオッパイだと思っている、愛は美しい者同士が番うことだと思っている、愛はママのように限りなく与えてくれ、決して奪わないと思っている。新婚の花嫁と花婿は共に愛と死を歌いますが、その同じ言葉が何と違って聞こえることか。

 そして、指環です。死の呪いを受け、ここに至るまで全ての持ち主を殺してきた指環が、ジークフリートだけは見逃すと?己の与える力を知らず、欲することもしない無礼者を許すと?指環の否定する愛によって恐れを知った英雄、彼の運命は決まりました・・・。


傷ついた世界を相続する者

 この第二夜で姿を消すヴォータン、延々と20分以上も続くミーメとの掛け合い(これまでの粗筋の復習で少々退屈ですが、音楽的には非常に充実しています)、アルベリヒとの噛み合わない会話(音楽は平凡ですが、言葉の豊かさを味わいましょう)、エルダ相手の一方的な自画自賛と脳天気さの陰の不安(神々の長と大地の女神に相応しい荘重さ)。来るべき破滅を回避するため、あらゆる手段を探るべく悲壮な覚悟で地上を放浪・・・なのでしょうが、何か楽しそうなんですよね、ヴォータン。口うるさい女房殿のフリッカ、忠義面の下に何を隠しているやら得体の知れないローゲ、愛すべき男ではありますが単純なドンナー、屈託のない色男フローもフライア拉致未遂の顛末を考えれば、今では気楽な友人というわけでもないでしょう。そんな天界よりは、こうやって古ぼけたマントと帽子を纏って下界を彷徨っている方が楽しいか・・・。

 ヴォータンの思惑通りに指環と隠れ頭巾を手に入れて、ブリュンヒルデの眠る山頂を目指すジークフリート、そして、何故かその行く手を阻むヴォータン。自分の計画を自分で邪魔してどうする?愛娘を嫁にやるのが急に寂しくなった?ヴォータンはそんなまともな父ではありません。孫にこの世を統べる「会長職」を譲るのが惜しくなった?ヴォータンはそんなケチな支配者ではありません。あまりに野放図なジークフリートの若々しさ、荒々しさに不安を感じた?ヴォータンはそんなヤワな男ではありません。

 ジークフリートをブリュンヒルデの元に導いたのは小鳥たち、つまり、母ジークリンデの意志です。事の次第を傍観していた神々の長ですが、ここは、未来を託す孫を何としても愛という母性原理から引き離し、契約という父性原理を叩き込まねばなりません。さもないと、この荒っぽい無垢な若者は、今手にしている指環を何に使うやら分かったもんじゃない。
 孫の前で指環がこの世界に登場して以来の己の仕業を一つ一つなぞっていくヴォータン、彼はジークフリートに引き渡す世界の有り様に、はたと気付いてしまいました。その世界は既に無惨に損なわれており、汚れており、損なったのは、汚したのは、他ならぬヴォータンなのだと。

 ヴォータンは、指環を己のものにしようとしてラインの乙女を裏切った、愛を捨てて指環を得たアルベリヒを裏切った、エルダを犯し大地を傷つけた、我が子に死の運命を与え、孝行娘を命令違反で断罪し、孫を孤独という揺りかごに放置した。己の権力の基盤である契約を守るために、指環から世界を守るために、ヴォータンは、大地と自然と、そして愛まで犠牲にしました。しかし、傷つけられた大地、奪われた自然の上に広がる愛のない世界に果たして意味があるのか?そんな世界が、この片目に映る世界が、守るに、支配するに値するのか?

 アルベリヒはひたすら富を増殖させるだけの欲惚け資本家、ミーメは富と権力に取り憑かれつつ搾取(労働力どころか命までも)されただけ、ファーフナーは結局死によって解放されるまで指環の番人でしかなかった、そんな彼らを、指環は平然と裏切り続け、まだ裏切り足りない。
 ヴォータンは指環を無力化しようとして、エルダを裏切り(同時にフリッカを裏切り)、双子の我が子を裏切り、盾持つ娘を裏切り、挙げ句にあれほど待望した英雄ですら、いざ対面してみれば彼の渇きを満たしてはくれない。指環とヴォータン、同じではないですか。
 ヴォータンは、それに今頃気付いた自分を嘲笑います。この世界など、私の世界など、譲られてうれしいものか?譲って誇らしいものか?奪ってどうする?奪われたからどうだというのだ?

 「おいらの邪魔をするな!爺さん、片目がないな?誰かの邪魔をして抉られたのか?」「その目は今、お前の頭に収まって私を見ている」

 ヴォータンの片目、それはフリッカとの結婚の犠牲、知恵の犠牲です。その目が今ジークフリートのものとなった・・・、ジークフリートは結婚という契約に巧妙に仕組まれた罠に絡み取られる、彼に恐れを教えた知恵に裏切られる、そう、祖父と同じように。つまり、ジークフリート、このヴォータンの孫には物語を次へ繋ぐ資格はないのです。

 「光り輝く愛、微笑む死!」、愛と死は同一のものとなりました。愛は人を完全に満たし、愛ゆえの死は至福のものだから?死は燃え盛る愛を完全なまま永遠に留める至高のものだから?
 いいえ、生命は愛も死も乗り越える、乗り越えなければならない、それが生命の本質なのです。生命の前には愛も死も同じ、乗り越えられるために存在するだけのものなのです。そんな生命が無限の上昇を目指す世界は、今や無駄飯食いの神々のために天上に居場所を用意するほど甘っちょろくはありません。
 「反抗することを教えた者が反抗したことを罰するのか」、「そう仕向けたものがそうしたことを怒るのか」、アルベリヒの強欲によって、ヴォータンの野心によって傷つけられたエルダ。決められた掟に抗い、未知を己で切り開くことを禁じたことで、彼の世界を守ると同時に、彼の世界を硬直させ、彼自身を閉じ込めてしまった愚かなヴォータン。かつてエルダを強引に抱いた男は、不安と可能性に溢れた未来を見ることを拒み、過去に引き籠もります。彼が残した荒涼たる世界を相続する英雄に対して、神々の長は最後の契約の槍を折らせるだけで、何の約束も与えません。こんな神に「反抗」すること、それこそがエルダが持つ「知恵」だったのではないでしょうか?

 物語は、指環の体現する権力とヴォータンの体現する秩序の対立から始まり、指環も、ヴォータンも、勝利のために、その縁のある者全てを裏切り、その触れるもの全てを傷つけてきました。世界は汚され、輝きを失いました。その世界を守ろうとしてその世界を犠牲にするヴォータンの愚かさによって、世界は無惨に荒れ果てています。そこにあるのは、既に敗北した愛ではなく、生命。世界がどうであろうが、何度裏切られようが、どれほど傷つけられようが、決して立ち止まらず、前へ進む生命です。

 さて、どれを聴くべきか、難しい作品です。最大のポイントは勿論タイトルロールのジークフリート。バカがつくほどイノセントとは言っても、いくらウザイからって育ての親ミーメを躊躇いもなく一刀両断にする場面といい、ヴォータンの槍を真っ二つに折る場面といい、血生臭い荒々しさと残虐さは必要です。古い世界を破壊する新しい世界の希望を担ったアナキストとは言っても、肝心の世界観が彼にはない、ないから聴かせられないのがちょっと残念。おっぱい恋しさのただのマザコン野生児とは言っても、ラストのブリュンヒルデとの熱い絡みでは押しの一手で元戦乙女を陥落させるだけの力強さが欲しい。登場してからずっと歌いっぱなし、ここまで、ミーメを相手に家庭内暴力、トンカチを振るって素人天才鍛冶屋、菩提樹の下でしっとりと母恋しを歌い上げ、大蛇と大立ち回り、育ての親を真っ二つ、初対面の神々の長を跳ね飛ばし、炎の壁を飛び越えて、盾と鎧を取っ払って熱烈な愛の告白、そして不吉な未来を暗示する官能の叫び・・・、もう書いているこっちがくたびれてしまいます。理想のジークフリートを探すのは聖杯探しと同じ、限りなく不可能に近いと私は思います。

 最近の歌手はあまり知らないのですが、1966年のバイロイト、ベーム盤のヴィントガッセン、艶やかなリリック・テノール、養父殺しの野生児というより、地上に堕ちた戦乙女を抱きしめる二枚目の印象、カッコイイです。1989年のバイエルン歌劇場、サヴァリッシュ盤のルネ・コロ、美しい声と力強い響き、これだけでも大したものだと思いますが、彼にはどこか少年の雰囲気があって、母なるものを慕って母にはなれない戦乙女に出会ってしまったジークフリート、これからの悲劇を既に感じさせる歌唱が秀逸。1992年のバイロイト、バレンボイム盤のイェルザレム、ちょっとこじんまりとまとまり過ぎている気もしますが、この大役を破綻なく歌いきっているだけでもすごいこと、健闘しています。

 養子に殺される養父、子飼いのヒットマンに裏切られる策士、道具に見放されるガテンな職人、腹黒くて、でもちょっと切なくて、神々をあざ笑うほどの切れ者で、でも肝心なところで抜けていて、そんなミーメ。1982年、ドレスデン国立劇場、ヤノフスキー盤のシュライアーは華麗なるテクニックを駆使した達者な演技派ぶりが楽しい、でも・・・あまり怖くない。




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