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ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 (2001年4月12日〜2001年5月7日の日記より)
潮の香りのするオペラ
最初はとっつきが悪くて好きになれなかったのに、何かのきっかけで好きになってしまったものって、とても大切なものになります。恐る恐る箸を伸ばしてみたところ、その見掛けに似合わず「おいし〜い」と感じたものは、今まで食べなくて損したと本当に悔しい。オペラにもそんな作品があります。私にとっての「食わず嫌い、その後大好物」が、この「シモン・ボッカネグラ」です。
とっつきの悪さの原因はたくさんあります。まずともかく暗い。バリトンとバスが旋律を支配し、オーケストラも何かノタノタという印象でノリが悪い。それに有名なアリアがさっぱり出てこない。「ブラーヴォ!」と声を掛け拍手パチパチというお楽しみの場面がないのです。そして話がともかく分かり難い。延々25年に及ぶ因縁のお話です。オペラの場合、短いケースでは24時間以内、長くてもせいぜい数ヶ月、数年でお話が終わりますから、この25年というのは異例の長さです。
物語の舞台は14世紀のイタリアはジェノヴァです。紀元前2世紀にローマ帝国の軍事拠点として建設されたこの町は華やかで激しい歴史を持っています。目の前にジェノヴァ湾、後ろにはリグリア・アペニノの山が迫るこの狭い港町にへばりつく格好で住み着いた人々は、10世紀には町をぐるりと囲む城壁を築いて守りを固め、海を目指します。海に出ていく他生きていく方法がなかったのです。農地に恵まれなかったジェノヴァは海に活路を求めます。ジェノヴァと共に「4つの海の共和国」と呼ばれたアマルフィ、ピサ、そしてヴェネツィアもその背景は似たり寄ったり、危険の多い船乗り稼業は、その分実入りも良かったのですが、4つの共和国が走り回るには地中海は少々狭すぎたようで、彼らは至る所で衝突を繰り返します。性懲りもなく繰り返される十字軍のたびにその拠点として、優秀な海軍を提供するスポンサーとして力をつけたジェノヴァは、毛織物の染色には欠かせなかった明礬を武器に黒海を「ジェノヴァの湖」と呼ぶまでに成長します。そのゴーマンのおかげでピサと正面衝突、ピサとの争いは1284年のメロリアの海戦で圧勝して決着を付けますが、「地中海の女王」を自認していたヴェネツィアとの争いは延々と続きました。アルプスやロンバルディア方面の通商を押さえ、スペインや北アフリカにも足がかりを作ったジェノヴァの栄光は、しかし長続きしませんでした。
国力が最高の時にいずれやって来る衰退に備えてインフラと体制を整備し、外交を駆使して外敵を排除し安定成長への移行を図る、これが政治の理想ですが、ジェノヴァにはそれができなかったのです。
イタリアがバラバラの都市国家の寄り集まりであった原因は、一つには真ん中に陣取った神様担当のはずが生臭いことの大好きなバチカンのせいですが、それに加えてどうにも共同歩調をとれないという人間性にも原因があったように思います。特にジェノヴァは「好き勝手」を旗印に個人主義路線を突っ走ります(ヴェネツィアが行政指導大好きで官僚主導型の共和制国家だったのとは正反対です)。
ジェノヴァは、長年のライバルであるヴェネツィアと延々120年にわたって戦いを続けました。力が拮抗していたので勝負がつかなかったのです。これだけでも大変なのに、それに加えてイスラム勢力と小競り合いを続け、敵以上に厄介な親切ごかしに割り込んでくる「自称味方」のミラノ、ナポリ、そしてフランスとも睨み合いました。この喧嘩相手には事欠かない状態で、この上何が不足なのか内戦まで手がけておりました。
「シモン・ボッカネグラ」の時代、ジェノヴァ人は内部抗争に明け暮れていました。一応の体裁は共和国だったジェノヴァですが、実権を握っていたのは4つの一族でした。ドーリア、スピノラ組とフィエスキ、グリマルディ組です。この4つの名門は共同統治ということは全く思いつかなかったらしく、2組で順番に実権を握っては負けた方が海外亡命するということを延々と繰り返していました。これではジェノヴァ市民は政府をアテにすることはできません。彼らは彼らで自衛のために権力抗争に参戦します。一応、貴族階級がギベリン(皇帝派)、市民階級がグエルフ(教皇派)と呼ばれましたが、この呼び名は、13世紀の神聖ローマ皇帝の座を巡るシュタウフェン家とヴェルフェン家の大喧嘩がドイツからイタリアに飛び火したもので(何もこんなもん真似しなくてもいいだろうに)、単なる派閥の呼び名でしかなく、皇帝も教皇も全然関係がありません。おまけに「あいつがあっちだから俺はこっち」式で結構入れ替わりも激しかったようです。しかも商業国家であるジェノヴァでは、身分階級は固定されても力関係は固定されません。例えばフランスのような広大な土地を有する農業国家では土地(=生産手段)を持っている人間が強いに決まっています。そしてこの土地というのは流動性がありません。隣の領地をブン取ることは可能ですが、ブン取った後その土地を維持するには膨大な守備兵力とそこから利益を上げるための農民が必要です。事がこう大掛かりでは、支配階級の交代はそうそうは起きないのです。
ところがジェノヴァは商業国家、しかも海洋貿易国家です。小さな資本で大儲けができるわけで農業経営とは格段の違いがあります。一発逆転もありますし、敗者復活ということもあります。積み荷を満載した貴族の船が沈んで没落するのも、その隙に市民が仕入れた商品が暴騰して大金持ちになるのも、一瞬の出来事なのです。こんな油断も隙もないという有様ですから、頼れるのは身内だけ。彼らはそれぞれアルベルゴという団体を作り、特定の地域に同族で巨大な館を建てて住み、植民地経営も貿易も全てを個人事業として運営しました。これでは国家としてまとまりのとれるはずがありません。周囲の国家が中央集権に移行して行く中で、この「個人主義」の「形だけの共和国」は内部抗争を繰り返し衰退して行きます。政治の不安定が致命傷でした。
タイトル・ロールのシモン・ボッカネグラは実在の人物です。本来はジェノヴァ船籍の船の航行を守る海上保安庁みたいな役目を任され、合間で海賊もやっていた(当時はライバル国の船を略奪することは、腕に自信のある船乗りにとっては当然の「手っ取り早い商売」でした)という生粋の海の男です。彼の生まれたボッカネグラ家は市民階級ではありますが裕福な名門、加えて勇敢な海での実績から市民派に押されて総督に選任されます。彼は貴族と市民の内紛をなんとか治めようと努め、なかなかしぶとい政治家ぶりを発揮して終身総督にまで選ばれます。しかし、いくら有能とはいえ一人の男の力だけでこの好き勝手な個人主義者たちの群れをまとめ上げることは不可能でした。シモン・ボッカネグラは1363年貴族派がワインに盛った毒によって暗殺されます。彼の死を境に、1380年のキオッジアの海戦でジェノヴァはヴェネツィアに敗れ、その転落の道の第一歩を踏み出すことになります。
この作品、とっつきの悪さを克服する手助けをしてくれたのは、全編を通じて感じられる潮の香りでした。貴族と市民の激しい対立、絡み合った怨念、燃え上がる愛、陰謀、権勢欲、そして死・・・。ドロドロとしたドラマを貫いて常に吹き渡る涼しい風は、塩辛い空気と一緒にどこか遠くから運ばれてきた花と果物の匂いを乗せているようです。耳を澄ませば潮騒が聞こえます。全ての生命がそこから生まれた海、命を育むことと命を奪うことを同時にやってのけ、何もかもを飲み込んでも太古以来のその姿を少しも変えることのない海、ヴェルディが本当に描きたかったのは、人間ではなく海だったのかも知れません。
愛と憎しみの四半世紀
25年にわたる波乱の物語、何しろオペラですから大河ドラマのように「続きはまた来週」とはいきません。ヴェルディは異例の長さのプロローグで25年前の出来事を一気に片づけ、第一幕で時間を飛び越すという構成をとっています。これが結構分かりづらい・・・。
【プロローグ】
14世紀半ばのジェノヴァ、貴族のフィエスコの宮殿の前で金糸職人のパオロが友人のピエトロと明日の総督選挙について密談しています。市民派は絶大な人気のある海賊のシモンを候補に立てて貴族派を駆逐する作戦です。パオロは職人ですから当然組合票を握っている、昔も今も組織票は選挙の結果を大きく左右します。
シモン登場、突然に本国に呼び戻された訳を尋ねます。総督になる気分はどうだ?躊躇うシモンですが、パオロからフィエスコ宮殿に閉じ込められているフィエスコの娘マリアの話を聞いて立候補を決意します。シモンとマリアは階級の違いを超えて愛し合い、娘までいるのですが、それに激怒したフィエスコがマリアを幽閉してしまったのです。総督になればマリアと結婚できる・・・。ピエトロと一緒に船乗りや職人が登場、シモンこそ総督に相応しい!その時フィエスコの宮殿の窓に不気味な光が走り、悲劇を告げます。
うちひしがれたフィエスコが登場、聖母マリアに祈ります。娘が、マリアがたった今息を引き取った、海賊の分際で娘を愛したあのシモンのせいだ・・・。再び登場したシモンはフィエスコにマリアとの結婚を申し入れます。海の男としての数々の栄光も全てマリアを得るため、どうか仲直りを。フィエスコは自分にとっての孫であるシモンとマリアの娘(この子の名前もマリア)を自分に寄こせと迫ります。シモンが語る悲しい出来事、預けていた老婆が死に、娘は行方不明になった。フィエスコはすがるシモンを冷たく突き放します。マリアに一目会いたい、宮殿に入ったシモンはマリアの遺体を見て愕然とします、地獄だ・・・。
民衆の叫びが聞こえます、「シモン、万歳!」、今日は良き日なのか?悪しき日なのか?
【第一幕】
25年が過ぎて、グリマルディ家の宮殿。グリマルディの娘アメリアは恋人である貴族のガブリエレを待っています。遠くから愛しいガブリエレの声、二人は恋に酔っています。
そこに総督シモンの家来となったピエトロ登場、総督閣下の来訪を告げます。シモンは腹心の部下パオロ(職人から官僚に転職した)とグリマルディ家のアメリアの結婚を望んでいます。貴族と市民の融和のための政略結婚です。総督なんかに負けるもんか、僕たちはすぐに結婚しよう、アメリアとガブリエレは愛を誓います。
アメリアの養育係アンドレア登場、これは零落したフィエスコの仮の姿。彼はガブリエレにアメリアの生い立ちを語ります。アメリアは本当はグリマルディの令嬢ではない、本当の令嬢が亡くなった時に拾われた捨て子だ、総督シモンがグリマルディの財産を狙っているのでアメリアを相続人として引き取ったのだ。「孤児を愛しているのです!」、誠実なガブリエレの言葉にフィエスコは結婚を許します。
総督シモンが登場します。市民派が実権を持つ今、亡命しているグリマルディ家の男達の赦免状を見せます。シモンは対立を治めようと懸命なのです。「私には愛している男がいます、財産目当てのパオロなんかいや!それに私は本当はこの家の娘ではありません」、アメリアはシモンに自分の生い立ちを話します。まさか・・・お前は私の娘マリアだ!25年ぶりの再会に抱き合う親子。
財産目当てのパオロに実の娘はやれない、シモンはパオロを退けます。誰のお陰で総督になった?パオロの心に悪魔が付け入ります。パオロはアメリアの誘拐を決意します。
官邸での会議中、突然騒ぎが起こります。貴族派と市民派の衝突です。剛胆なシモンは双方の言い分を聞こうと官邸の扉を開け放ちます。剣を握ったガブリエレとフィエスコが民衆に捕らえられています。ガブリエレは高利貸しのロレンツィーノを殺したと告げます。あの男が誰かに唆されてグリマルディの令嬢アメリアをさらったからだ!唆したのは誰だ?あんたさ!王冠を被った海賊め!
アメリアが割って入ります、ガブリエレを助けて!誘拐の黒幕こそが罰せられるべきです。貴族派と市民派がそれぞれに罵り合いますが、シモンの声がそれを抑えます、同胞同士で罵り合う、それでジェノヴァは立ち行くのか?ガブリエレは全てをシモンに任せ剣を差し出します。
「パオロ!」青ざめている腹心にシモンが迫ります、この部屋に卑劣な裏切り者がいる、私は誰か知っている、お前が証人だ、呪え!そのならず者を呪え!震えるパオロは自分で自分を呪います。
【第二幕】
舞台は官邸。パオロは自分に自分を呪わせたシモンの暗殺を決意します。俺が総督にしてやったのに、その俺をジェノヴァ中のさらし者にしやがった、ただで済むと思うなよ。水差しに毒を注ぎ込んだパオロは、騒動の原因として留置されているフィエスコとガブリエレを誘惑します。誇り高いフィエスコは元職人のパオロの命令など聞きませんが、恋するガブリエレは、シモンがアメリアを愛人にしてお楽しみと吹き込まれ、激怒します。アメリアが面会に現れます。あの爺が君を愛しているなんて!そう、神聖な愛で・・・、アメリアは自分の潔白を誓いますが、ガブリエレは信じません、総督をこの手で殺す!
シモンが登場します。娘や、何を泣いている?恋をしているからか?それは誰だ?ガブリエレです。あの貴族アドルノのガブリエレか?彼は私の敵だ。彼が死ぬなら私も死にます、アメリアの懇願にシモンは寛大な処置を約束します。
貴族派に慈悲をかければ市民派が怒る、総督シモンは疲れ果てています。運命の水差しから水を飲み、眠気を覚えウトウトするシモンにガブリエレが接近します。たじろぐな、この男は父の敵だ、剣を抜いたガブリエレをアメリアが止めます。目を覚ましたシモンは目の前の愛しい娘アメリアと彼女に誠実を誓うガブリエレに秘密を打ち明けます、アメリアは私の娘だ・・・。僕は恋人の父を殺そうとしたのか?打ちひしがれるガブリエレの姿にシモンが呟きます。敵に手を差し伸べるのか?それも良かろう、私の死で平和が来るなら。表がにわかに騒がしくなります。再び反総督勢力の暴動です。行け、お前の側に立て、僕があなたに弓を引くとでも?ならば、私の平和の意思を伝えてくれ、必ず伝えます・・・。
シモンは娘を指さします、褒美だ、結婚を許す。暴徒に囲まれた官邸でシモンとガブリエレが叫びます、武器をとれ!
【第三幕】
シモンは勝利しました。フィエスコは釈放されます、何て惨めな自由だ・・・そこにパオロが引き立てられてきます。反総督グループを煽った罪で死刑判決を受けたのです。俺は一人じゃ死なない、毒があいつの命を囓っているのさ。そこにアメリアとガブリエレの婚礼を祝う歌が聞こえます。あの野郎が俺のさらった女と結婚するなんて、アメリアをさらったのはお前か?フィエスコは誘拐の黒幕がシモンではなかったことを知ります。
毒が回り衰弱しきったシモンが登場します、海の風を吸いたい、海よ、俺はなぜお前を死に場所としなかったのか・・・。フィエスコがシモンに迫ります、今こそ復讐の時だ。違うな、フィエスコ、お前は平和を見るのだ。シモンが苦しい息で語ります。娘が行方不明になった時、俺は泣いた、でも娘は帰ってきた、アメリアと名乗って・・・。何だって?!あれはマリアの子、私の孫か?年老いた男ふたりはやっと和解にたどり着きました。
祝福を浴びながらアメリアとガブリエレが登場します。娘よ、このフィエスコはお前の母の父親だ。思いがけないことに喜ぶアメリアですが、傍らのシモンが呟きます、全てが終わった・・・。
シモンは残される者の平和を神に祈ります。アメリアとガブリエレが父シモンにすがり、フィエスコが運命の皮肉を嘆く中、シモンは総督の地位を娘婿となったガブリエレに託して息を引き取ります。
ガブリエレ・アドルノを総督に!フィエスコが叫びますが、広場からは「ボッカネグラ!」の声。
この最後の「ボッカネグラ!」が気になります。シモンが命と引き換えに手に入れた平和、貴族と海賊の血を引いた融和の象徴である愛しい娘アメリアと、身分を超えて一心に彼女を愛するその夫ガブリエレに託した平和は、つかの間の夢なのでしょうか?
想像上の手紙
「ボッカネグラ様
総督ご就任おめでとうございます。ただ一つご忠告申し上げます。『大衆はつねに、外見だけを見て、また出来事の結果で判断してしまうもの』であるということを。市民は海賊としての貴方様の栄光を高く評価しておりますが、政治家としての貴方様が未知数であることには無頓着です。貴方様の総督就任は『貴族に対抗できないと見てとると、ある一人の市民の評判を高めて、その人物を君主に祭り上げ、彼の権勢のもとで庇ってもらおうとする』民衆の願望の結果に過ぎません。
敢えて申し上げます、『君主は、立派な気質をそなえていて、後生大事に守っていくというのは有害だ。そなえているように思わせること、それが有益なのだと』、そして『国を維持するためには、信義に反したり、慈悲にそむいたり、人間味を失ったり、宗教にそむく行為をも』敢えてやらなければならないのだということを。貴方様の高潔なお人柄を耳にするにつけ、将来を案じております。マキャヴェリより」
「マキャヴェリ殿
私が総督の地位を得ようとしたのは、ただ一人の女、愛するマリアのためです。裕福とはいえ庶民の家に生まれ、船乗りとして生きてきた私が、名門フィエスコ家に生まれた愛するマリアと結婚するには、総督というこの国で最高の地位を手にする以外にないと考えたからです。しかし、そのマリアは死んでしまいました。私はいったい何のために総督になったのか?分からなくなりました。しかし、私には私を支持してくれた市民がおります。彼らのためにも貴族派と和解し、この国を一つにまとめなければと思っております。ボッカネグラより」
「ボッカネグラ様
『側近が有能で誠実であれば、その君主は聡明だと評価してまちがいない』、パオロに気を付けられますように。彼は貴方様の支持をピエトロに依頼した時、金、権力、名誉を報酬として約束致しました。人間、自分が望むもので他人の望むものを判断するものです。パオロを排除すべきと進言申し上げます。『君主たる者は、冷酷だなどの悪評をなんら気にかけるべきではない』のです。マキャヴェリより」
「マキャヴェリ殿
娘が、私の娘が生きておりました!すっかり美しく成長して、我が宿敵グリマルディ家の相続人として育てられていたのです。私は一度は家臣であるパオロにグリマルディの女相続人としてのアメリアとの結婚を許しましたが、実の娘である以上、意に添わぬ結婚を強いることは到底できません。ボッカネグラより」
「ボッカネグラ様
誘拐されたお嬢様がご無事だったこと、何よりです。しかし、貴方様が何故アメリア様が娘であることを内密にされるのか、私には理解できません。貴方様の宿願である貴族と市民の融和という見地からすれば、貴族と海賊の血を引くお嬢様の存在の発表は何よりも最高の政治的効果を持つでしょうに。また貴方様は誘拐犯であるパオロをその場で処断されませんでした。これは致命的な誤りであると考えます。『加害行為は一気にやってしまわなくてはいけない』のです、相手が再び息を吹き返すことのないように。どうやら、私の恐れていた通りの展開になってしまったようです。貴方様はお嬢様への愛から優柔不断に陥っておいでです。貴方様は市民をその権力の基盤としておいでです。『民衆の支持によって君主となる者は、つねに民衆を味方につけておかなくてはならない』ということをお忘れですか?貴方様は剣を向けたガブリエレとフィエスコを許してしまわれました。この二人を寛大に扱うとすれば、民衆の怒りは行き場がなくなってしまうのです。貴方様は市民派として立たれた以上、貴族に対しては過酷でなければならないはずです。マキャヴェリより」
「マキャヴェリ殿
私の娘アメリアは、私の敵である貴族アドルノのガブリエレを愛しているようです。娘の幸せを考えれば結婚を許してやるべきなのでしょう。私自身、階級の違いからこの子の母である最愛のマリアと引き裂かれ、それが原因で彼女を失ってしまいました。同じ苦しみを娘に強いることはできません。何よりもガブリエレは立派な若者です。私は二人を結婚させるつもりです。ボッカネグラより」
「ボッカネグラ様
『君主は、狐とライオンに学ぶようにしなければならない』、貴方様はライオンではあるでしょうが、狐になることはお出来にならないようです。貴方様がアメリア様の出生を隠しておられるのは、お嬢様が原因の対立を恐れておいでだからでしょうか?貴方様はひょっとして奥様(とお呼びしてよいと思います)であったマリア様とアメリア様を混同されておられるのでは?手の届かないマリア様に焦がれておられた貴方様は、その結果として彼女を失われました。今また、アメリア様を失うことを恐れておられませんか?これは貴方様にとって非常に危険なことです。貴族と市民の融和を目指しておられたのではないのですか?その当の貴方様が実のお嬢様が体現しておられる融和を直視なされないとしたら、貴方様の寄って立つべき基盤は何なのでしょうか?手遅れにならないうちに目を覚まして下さいますように。『一つの悪徳を行使しなくては、政権の存亡にかかわる容易ならざる場合には、悪徳の評判など、かまわず受けるがよい』、お嬢様を政治の道具として使うことは必要なのです。お嬢様とパオロを結婚させれば市民は自分たちの勝利を確信し、一層貴方様への忠誠を誓うでしょう。ガブリエレと結婚させるのなら貴方様の娘であることを公表し、融和の精神を強調すべきです。貴族同士の結婚に何の政治的意味があるのですか?いったい誰を傷つけることを恐れておいでです?『運命は女神だから、彼女を征服しようとすれば、打ちのめし、突き飛ばす必要がある』、貴方様は個人的な敵であるフィエスコも、政治的な敵である貴族たちも、当面の敵であるパオロも、全てを中途半端に生かしたままにしておいでです。息の根を止めずに放置した敵はいずれ息を吹き返してしまうでしょう。マキャヴェリより」
「マキャヴェリ殿
私には到底貴殿の言われるようにことを進めることはできません。私は自分には何の責任もない出生故にマリアを失った男です。マリアの最後を思えば未だに体が震える思いです。私はもう決して誰も傷つけたくないのです。もしも誰かを傷つける必要があるとすれば、まず最初にそれは私でなければならないと思っております。このところ体調が悪く、ここで筆を置きます。ボッカネグラより」
「ボッカネグラ殿が亡くなった…。彼は腹心のパオロに毒殺されたわけだが、パオロの行動は結果でしかない。彼を殺したもの、それは愛だ。彼は一人の女性を得たいがためにおよそ不似合いな総督の地位についた。その女の父であるという理由で宿敵フィエスコを生き長らえさせた。自分の総督就任に奔走してくれたというだけで、パオロの処断を誤った。そしてその結果、彼に殺されることとなった。海賊である自分の血を半分引いている娘なのに、彼女に高貴な妻の面影を重ねてしまった。その娘の恋人がこれも階級を超えて(この場合逆であるが)娘をひたすら愛していることを知って、彼、ガブリエレにかつての自分を重ねてしまった。この男の人生を貫いたものは愛だった。そして敢えて言おう、愛に至上の価値を見出す者は政治の世界では生き残れないのだと。なぜなら愛は時に判断を誤らせるからだ。マキャヴェリ」
実在のシモンは政治の対立の結果として貴族派の手によって毒殺されました。政治的動機から暗殺されるということは一流の政治家の証明です。暗殺というのはその人間を殺せば政治の方向が変わるからこそ意味があります。殺しても何も変わらないでは仕方ない。
ヴェルディのシモンは、娘への「愛」ゆえに退けたパオロの「憎悪」によって殺されます。ヴェルディが描きたかったのは、政治家のシモンではなく父親のシモンだったのです。政治哲学の世界で何事にも囚われない自由なルネサンス精神を発揮したマキャヴェリから見れば、ヴェルディのシモンは完全に落第です。しかし、一人の女をひたすら愛し、その愛の結晶である娘の幸せのために命を落とす父の姿には、胸が痛くなるほどの美しさがあります。一国を救う政治家よりも愛を守る父が美しい、このロマンティシズムがオペラの魅力の本質です。
そして何よりも、ヴェルディに一番似合わないもの、それは「冷笑」です。彼は対象を掘り下げる努力を惜しまない作曲家でしたし、その結果の醜さも平然と受けて立ちましたし、ある時は厳しい視線も向けました。ただ一つ、ヴェルディはいつだって自分の対象を愛していたのです。ヴェルディは政治家シモンを捨てて父親シモンを選びました。なぜならシモンが愛に殉じた男だったからです。
もしもマキャヴェリがこのオペラを見ることがあったとしたら、きっとそんな「愛」に歯がみをしたことでしょう。ということで、二人の往復書簡をでっち上げてみました。
マキャヴェリの引用部分は全て「君主論」(池田廉訳・中央公論社)によります。
で、いったい何のお話なの?
この悲劇は少々厄介です。そもそも悲劇なのかどうかも分かり難い、ドラマとして非常に中途半端なのです。
運命を超えて巡り会う愛の物語なのか、厳しい権力闘争の物語なのか、悲劇でありながら「融和」と「希望」の物語でもあり、聴く側の想像の世界にはほのかな明るさも見える、この多面的な構造がこの作品を少々難解なものにしています。
ヴェルディは、例えれば非常に大きな網を打ったと言えると思います。彼が海に向かって投げた網は、人間の対立のあらゆる要素を絡め取り、決して簡単には原因と結果を、悲劇と希望を区別することができなくなっているのです。この大きさを感じることができて初めて、この作品は本当の魅力を見せてくれます。
プロローグでのシモンは若き海賊、海の上では百戦錬磨の彼も陸ではいささか頼りない。彼は、総督になればきっとフィエスコに受け入れられると簡単に信じてしまいます(「栄光の翼に乗ればマリアのもとに飛んでいけると」)。フィエスコが彼を排除するのは、彼本人とは何の関係もないのだということが分からないシモン。彼には階級の対立が見えていません。自分とフィエスコという個人の対立だと思っているのです。フィエスコが問題にしているのは彼の出生であって、生まれた時から決まっているわけで、その後何になろうが、何をしようが全然関係ない、それどころか成り上がり者、簒奪者にしか見えないのだということ(「侮辱を許すことはできない、お前が玉座についたとしても」)が分からないシモンの必死の、しかし無意味な懇願と、それを冷たく拒否し、孫娘だけは手に入れようとする傲慢なフィエスコの対立。
マリアの死を知って呆然と立ち尽くすシモンに対して、市民たちが「総督」と呼びかける場面で、彼はなんと「失せろ、幽霊ども!」と彼らを拒絶します。彼には最初から政治的動機などなかったのです。
貴族アドルノ家のガブリエレ、「愛する心がないのなら、お前の望みは満たされない、金でも、権力でも、名誉でも」、彼にも政治的動機がありません。登場した途端に権力を否定し、愛をその上に置いています。彼は一応貴族ですから海賊上がりの総督に対して何やら画策している様子なのですが、今ひとつやる気が感じられません。ですからアメリアが実は賤しい身分の生まれと聞いても平気(「孤児が好きなのです」)なのです。
彼がシモンに剣を向けるのも、シモンが父の敵だからでもなければ平民上がりの総督だからでもなく、ただアメリアを誘拐したと誤解したからであって、その誤解が解けた途端にシモンに剣を差し出します。そしてシモンがアメリアの父と知っても「僕の舅は海賊だ」と嘆くこともなく、コロリと総督派(=市民派)に転身し、「(貴族派に対して)武器をとれ!」と叫ぶ始末。最後には「父上、死なないで!」と来た(シモンの死は貴族派にとって勝利のはずなのに)。
ガブリエレが激しい感情を爆発させる場面は2箇所、アメリアが誘拐された時とシモンがアメリアを愛人にしているとパオロに吹き込まれた時、この男の行動原理はアメリアへの愛だけ、他のことはどうだっていいのです。
そしてアメリア、彼女は男たちの激しいドラマの真ん中に位置していますが、全く無色透明の存在です。グリマルディの相続人として振る舞うこともなく、自分の父が実は元海賊と知っても動揺することもなく、「いつもお側でかしずくでしょう、私は王の館の優しい小鳩になるでしょう」と献身を歌います。彼女は権力者のそばにいながら、与えるだけで何も求めないのです。
ヴェルディのこの作品は表向き政治ドラマのストーリーを追いつつも、登場人物が何故か政治的動機を持っていないということになります。
このドラマで政治的動機を持っているかの如き行動をするのは、シモンを否定するフィエスコとシモンを毒殺することになるパオロです。但し、この二人にも実は政治的動機はありません。フィエスコの動機は無意識の愛であり、パオロの動機は意識された欲望です。
フィエスコ、頭ごなしにシモンを否定し娘の恋を押し潰す彼ですが、海賊が総督になったことを世も末と嘆いても後の祭り。彼が何故グリマルディ家にいるのかがよく分からないのですが(シモンに迫害された?)、グリマルディの財産保全のために捨て子のアメリアを育てます。彼は自分の娘婿には平民の海賊なんてとんでもない!と頑張ったのに、名門グリマルディの相続人はどこの馬の骨とも知れない捨て子で構わないらしい、そしてその捨て子が貴族のガブリエレと結婚するのも構わないらしい。いったい何時宗旨替えした?と言いたくなります。
この整合性のなさがフィエスコの無意識の証拠です。彼は自分では政治的動機(打倒シモン、貴族派の政権奪回)を持っているつもりなのでしょうが、彼の本当の動機は娘を海賊に渡したくないという父の愛であり、その結果として娘を失ってしまった父の嘆きなのです。これを直視することのできない彼は、全ての原因を海賊のくせして娘を愛し挙げ句に総督にまでなったシモンに転嫁します。彼の政治の本当の動機は愛なのです。
パオロ、プロローグでピエトロとシモンの総督就任を画策する場面での彼は、「恐れ多い貴族たち、お前らの誇る頂きに蔑まれる平民の俺だって登りたいさ」と語ります。彼にとって政治は欲望のための手段です。ピエトロが報酬を求めたところ、パオロは「金も、権力も、富も」と答えます。彼は目的のためには買収も辞さない。そしてアメリアとの結婚は金目当て、シモンに裏切られた彼は誘拐という手段に出ます。それも一度は総督の座を狙っていたロレンツィーノを操る、「魚は食いたし、足は濡らしたくなしの猫」ですね。さらにそれが発覚して追い詰められた彼は、水差しに毒を注ぎ、その上フィエスコとガブリエレにシモン殺害を持ちかけます。絶対に仕損じたくないというわけです。彼の誤算はシモンとアメリアが親子と知ったガブリエレがあっさりと立場を変えてしまい、蜂起した貴族派が敗北してしまったことです。まさか愛が理由で貴族の身分を捨てるなんて想像できなかったのでしょう。欲望という計算できる要素で行動したパオロには計算できない愛という要素が致命的でした。
このオペラは、政治的動機のない人物たちが愛だけを頼りに手探りでお互いを求める状況を、これまた政治的動機のない人物がその意に反して助けてしまう「政治ドラマ」という厄介な構造になっています。パオロの欲望がシモンとアメリアを再会させ、その愛が緊張を生む、フィエスコの財産保全政策がアメリアとガブリエレの愛を生み、その愛が今度は緊張を解く・・・。このパズルボックスのような構造がこの作品をとっつきの悪いものにしているのは間違いありませんね。そこがまた他の作品には決してない魅力なのですが。
陸に上がった海賊の悲劇
歳月は、経験は、人を変えるのか、変えないのか…、ある部分は変わるし、ある面は決して変わらない、結局のところ、これが真実だと思います。この作品の場合、シモンの激動の半生が主題なのですが、ヴェルディは決して変わらないシモンその人をくっきりと描いています。
プロローグ、25年後の悲劇は全てここから始まります。若きシモンは余りに単純です。パオロから総督就任をほのめかされ、愛する女のために受け入れてしまう。内紛を繰り返すジェノヴァの総督がどういうものであるのかを全く考えません。そして自分を激しく罵るフィエスコに対しても何とも幼い。「こうしてあなたの足下に平伏して慈悲を乞う、許してやってほしいのです」とすがり、「俺の血で気が済むか?刺すがいい」と逆ギレ。
ここでのシモンは完全に「海賊」です。彼は娘をピサに預けていました。当時のピサはジェノヴァと戦争状態にありました。そこにいる娘に一人で会いに行ったという大胆な行動、怖い者知らずの正に海の男です。
海で生きる男にとっての人間を隔てる壁は、陸の人間よりもずっと低いであろうと思います。当時の地中海は一種の交差点、金になるものを運ぶ人間とそれを奪う人間が入り乱れ、そこには各人の力の差はあっても、運の良し悪しはあっても、階級や人種の差なんてありません。海は誰に対しても平等なのです。第一、海の上には国境もない、風に任せてどこまでだって行ける、自分の力さえ信じられれば大冒険だって夢じゃない、そして敵は人間ではなく自然です。
シモンは総督の地位を手に入れると同時にその動機であるマリアを失ってしまいます。嵐の海に漕ぎ出していく孤独な船乗り、帰るべき港はもうありません…。
第一幕の主題は「潮風」だと思います。シモンは25年間総督の地位にあり、厳しい政治の現実と闘ってきた男の威厳が感じられます。ところがアメリアが娘と知った時、シモンの心は一気に25年前に戻ってしまいます。マリアを失い、娘を失い、男泣きに泣いた若い海賊の姿が一瞬鮮やかに蘇ります。
パオロを容赦なく否定するシモン、彼は、職人であったパオロにとっての富と海賊であった自分にとっての富は、全く意味するものが違うということを見逃してしまったのです。海賊だったら襲った船がお宝を満載していれば一夜で億万長者ということもあるでしょう。そしてたった数時間の嵐で全てを失うこともあるでしょう。シモンにとって富とは自分の勇気と力量で奪うものなのです。コツコツと働いてきた職人であるパオロには一攫千金のチャンスはこれを逃せばもう巡って来ない、パオロがアメリアに執着するのは当然です。海と陸の経済の違い、老練な政治家シモンがこれを見誤るとも思えません。なぜパオロに代替案を提示しなかったのか、パオロが欲しいのは金であってアメリアではない、金なら他にいくらだってあるのに。シモンの心に一瞬吹いた潮風が判断を誤らせたような気がしてなりません。
そして官邸、会議を進めるシモンは貫禄たっぷり。しかし血気にはやったガブリエレの登場、ロレンツィーノを殺したと告白する彼を助けてとすがるアメリア、ここでまたシモンの心に潮風が吹きます。「あの娘の苦しみを聞けば、俺の心が語るのは愛だけ」、法律で裁かなければならないガブリエレをシモンは愛で裁いてしまいます。お互いに罵り合う貴族と市民を一喝するシモン、「俺は叫びたい、平和を!俺は叫びたい、愛を!」、シモンの言葉は人々に一時の感動を与えます。「海を爽やかにする優しい風」、シモンの呼びかけは他の人間の心にまで潮風を感じさせたようですが、群衆というものはその場の雰囲気で動くこと、やたらと移り気であることを忘れてはならないのに。そしてパオロに自分を呪うことを強いるシモン、パオロがシモンを総督にしたのは経済的利益のためです。彼はシモンに総督の座を「買ってやった」のです。投資に見合う利益を求めるのは当然で、彼には愛なんてありません(彼は一度もアメリアを愛しているとは言っていません)。それに対して倫理で迫る見当違い、「市民の名誉はお前の忠誠に迎えられている」、名誉だの忠誠だの、そんな腹の足しにならないものがパオロの心にあるわけはありません。ここでも潮風がシモンを誤らせました。
第二幕の主題は「憎悪」です。一つはパオロの憎悪と殺意、彼のモノローグの凄まじさ、彼には反省も後悔もありません。「俺のお陰で王座についた貴様」を殺してやる…、彼は自分の「作品」である総督シモンを葬ろうとします。しかも、ここでも彼は直接手を汚すことはしません。毒を注いだ後はフィエスコとガブリエレに殺人を教唆する。トコトン汚い悪党ぶりの影に隠れているのは、軽蔑と嫉妬です。職人であった彼は海賊シモンを本当は軽蔑している、軽蔑している男が絶大な人気を持つ英雄であることに嫉妬しているのです。軽蔑と嫉妬という感情は、自分の不正を正当化するには最高の理由になります。所詮海賊じゃないか、殺して何が悪い?、元は海賊の総督じゃないか、俺の手を血で汚すまでもない…。
もう一つはガブリエレの憎悪と殺意、シモンがアメリアとお楽しみと吹き込まれた彼は激しく怒りを燃やしますが、その言葉とは裏腹にアメリアへの愛をどうしても否定できません。愛が怒りを鈍らせてしまうことを無意識に恐れる彼は、さらに「一族の恨み」で怒りを強化します。剣を握りしめシモンに迫るガブリエレですが、アメリアの父と知って今度は「僕を死刑にして下さい」と激しい自己嫌悪。それに対して、娘を奪う若者を許し、救うことで自分の中の憎悪を黙らせるシモン。この対立から和解の構図はヴェルディお得意の場面です。立ちはだかる強大な父とそれを超えようと全力で立ち向かう息子、厳しい緊張はそれを乗り越えた時、強い絆に変化します。
シモンにはガブリエレが娘への愛ゆえに自分に挑んでいることが分かっているはずです。愛のために闘う若者、25年前のシモンは愛のために闘うことはせず、和解を乞うことを選んでしまいました。現在のガブリエレはかつてのシモンよりも強いのです。今や親子になった二人の男が叫びます、「武器をとれ!」、父は息子を男として認め、息子は父を超えていきます。
第三幕の主題は「和解」と「喪失」です。反総督の容疑で処刑されるパオロに対して釈放されたフィエスコが厳しく報います。「剣では惜しい、斧で死ね」、軽蔑からシモン殺害を他人に教唆したパオロに対して、フィエスコの明確な軽蔑が決着をつけます。最後まで後悔の言葉を口にしないパオロ、彼の処刑は反乱容疑であって総督殺害ではない、意図しなかった政治的動機によって殺され、意図していた個人的憎悪では殺されないパオロの姿には、どこか悲しいものがあります。
「海よ、どうして俺は海を死に場所にしなかったのか」、意識も朦朧としているシモンにフィエスコが迫ります。手をかけるまでもない、毒が殺してくれる。シモンの語る真実にフィエスコの憎悪が溶けていきます。あれほど手に入れたかった孫娘を俺はずっと大切に育ててきたのだ…、シモンの総督就任がなければ捨て子のアメリアがフィエスコの元に来ることはなかった、彼にアメリアを与えたのはシモンだったのです。プロローグでのフィエスコの要求にシモンは応えていたのです。母と同じマリアという名を持つアメリアは、25年もの間、憎み合う二人の男をしっかりと繋いでいたのです。ここでアメリアはマリアになります。シモンにとって愛する妻の面影を残す美しい娘として、フィエスコにとって魂の痛みを伴った大切な娘の形見として。
そのアメリアを祝福してシモンは息を引き取ります。「ガブリエレ・アドルノ!」の声に民衆は「ボッカネグラ!」と答えます。シモンの死は家族の和解をもたらしました。では、ジェノヴァの和解は?答えは見つかりません。
ヴェルディは要所要所で巧みに潮騒を織り込んでいます、シモンが海の男であることを決して忘れさせないために…。この潮騒を聞き分けた時、シモンの本当の悲劇がきちんと伝わってくるのです。
「マリア…」、シモンが最後に呼んだのは娘ではなく母のマリアでしょう。25年の時を経てシモンはやっとマリアと結ばれます。天国のマリアは若く美しいままの姿でシモンに手を差し伸べます。天に昇るシモンはきっと、豊かな黒髪を海の風がもみくちゃにするのに任せ、日焼けした顔に溌剌とした笑みを浮かべた逞しい海の男のはずです。和解に至るまでの長くてつらい25年間に、神様はきっと報いて下さるはずですから。
素っ気ない旋律が「男のドラマ」を引き立てる
プロローグ、前奏曲も序曲もなしでいきなり始まります。凪いだ海の鏡のような滑らかさを感じさせる短い導入部からパオロとピエトロの密談へ、低音の二重唱、というよりレチタティーボは、これからの物語が男の物語であると簡潔に告げます。パオロがフィエスコ宮殿を指さして民衆をアジる「あの陰気な屋敷を見よ」、マリアの身の上に同情する言葉とは裏腹に彼の野心が透けて見える重たい旋律です。パオロには「陰気な屋敷」に見えるのでしょうが、当のフィエスコには「誇り高き宮殿」というわけですが、たった今息を引き取った娘マリアを嘆く「哀れな父の苦悩する心」、ぶっきらぼうな一本調子のバスのアリアに死者を弔う合唱が重なり、フィエスコのため息のような長い長いオーケストラが続きます。
シモンとフィエスコの二重唱「あの可愛い娘は海辺の見知らぬ人の間で」、孫娘を渡せと迫るフィエスコの憎悪といきさつを語るシモンの戸惑い、シモンはマリアの死をまだ知らないわけで、何故ここまで厳しく拒絶されるかが理解できないのです。憎悪は憎悪を呼び、厳しい対立の旋律、この部分は第三幕ラストでの二人の和解の二重唱「神の声に涙する」と対をなして、この作品をブックエンドのようにしっかりとまとめ上げる役目を負っています。
シモンはマリアの死を知ります。「憎むべきフィエスキ家」、嘆くシモンに遠くからだんだんと強く民衆の「シモン万歳!」の合唱が重なります。しかし、その声はマリアを失ったシモンには何の意味も持ちません。途中で長調に振れて軽やかに響く合唱が何故か上滑り、軽薄な群集心理がかえってシモンの悲嘆とフィエスコの憎悪を浮き彫りにします。
第一幕、美しく成長したアメリアに泡立つような海の調べが重なります。ボッティチェリの「ビーナスの誕生」を思わせる柔らかい木管と弦。アメリアが「暁に星と海は微笑んで」と歌えば、ガブリエレがそれに応えて「星のない空」と韻を踏んで歌います。そして二重唱「空の青さをご覧になって」、永遠の愛を歌う旋律は古風な響きを持ち、二人の若さとのコントラストが面白い。
フィエスコとガブリエレの真摯な対話「私のところに来なさい」、ガブリエレの誠実を知ったフィエスコは二人の結婚を許しますが、ここでのフィエスコの旋律は実に優しい。プロローグと比べれば彼が本当は優しい男であることが伝わります。
シモンとアメリアの「貧しい一人の女に」、親子と知って驚き喜ぶ二人の二重唱は、熟したバリトンと初々しいソプラノが絡み合うヴェルディお得意の場面、「父上」「娘よ」と呼び交わす声には歓喜よりも25年という歳月の重さが感じられます。
パオロを退けたシモン、続いて旋律は一気に緊張します。悲劇が頭をもたげます。官邸の会議室でのシモンには甘さは微塵もありません。厳しい舵取りを迫られる権力者の孤独。アメリア誘拐、激怒して怒鳴り込んできたガブリエレ、罵り合う貴族と市民、「平民よ、貴族よ!」と呼びかけるシモンには有無を言わせぬ強さがあります。それに力を得たかのようにそれぞれが強く自分を主張し声が絡み合います、つかの間の融和の喜び…。強烈な低音がその喜びをあっさりと押し潰します。「呪いあれ!」、この呪いはシモンの上にも降りかかることになります。不協和音の厳しい響きは、そのままジェノヴァの苦悩です。
第二幕、ここも前奏なし。パオロの陰謀が繰り広げられます。フィエスコとの対話、フィエスコはパオロへの嫌悪感を隠しません。続いてガブリエレとの対話、「心に炎が燃える!」殺してやる!と一気に熱くなった彼ですが、後半の穏やかな旋律は「あんな女二度と見たくない」という彼の激しい言葉を裏切り、ガブリエレの優しさが感じられます。従来の「カヴァティーナ・カバレッタ」がひっくり返った「カバレッタ・カヴァティーナ」という構成が新鮮です。アメリアとの二重唱「話して、君の汚れなき心を」で彼の優しさは怒りに打ち勝ちます。娘が敵を愛していると知って苦しむシモン、水差しの水を飲んだ彼に覆い被さる不安な緊張感に第一幕のアメリアとの二重唱の旋律が絡み、夢うつつのシモンが娘に寄せる愛が暗示されます。
全てを知ったガブリエレ、そして目の前の美しい二人をシモンが苦い思いで祝福します。三重唱「あなたは彼女の父上」、アメリアを介してシモンとガブリエレは階級の対立を超えて調和に至ります。そして激しい合唱が反乱を伝え、それに呼応するシモンとガブリエレの「武器を!」。
第三幕、第二幕の最後での反乱を表す旋律が改めて響きますが、それを打ち消すのは「グロリア!」の叫び。パオロとフィエスコというシモンを憎悪する二人の男の対話にアメリアとガブリエレの婚礼の旋律が重なります。憎悪に必死で抵抗する愛…。死期の迫ったシモンは「慰めてくれ、海の風よ」と過去に思いを馳せます。なぜ海を捨てた?そこにいるのは威厳に満ちた総督ではなく、海で死ぬはずだったのに、その海から切り離されてしまった孤独な老いた船乗りです。実にシンプルな旋律だからこそ、海で死ねないシモンの哀しみが伝わります。フィエスコが登場、二重唱「神の声に涙する」、遅すぎた和解にたどり着いた男二人の苦い涙。アメリアとガブリエレが加わって、最初で最後、たった1回きりの「家族」の場面、四重唱に合唱が参加しフィナーレ、シモンたちの平和がジェノヴァという国家の平和であるかのような幸せな錯覚は、鐘の音によって打ち消されます。弔いの鐘はシモンへのものであると同時にジェノヴァのこれからを嘆いて響きます。
この作品はオーケストラと歌手のバランスが非常に重要です。旋律は至って素っ気なく、ところによっては効果音に近い。潮騒、足音、群衆のざわめき、そんなものの一つ一つをヴェルディは丁寧にシンプルに旋律に織り込んでいます。ですから、オーケストラが「歌う」と脂っこさが出てしまう、絶妙のさじ加減が要求されます。
決定版と言えるのは1977年のスカラ座、指揮はアバド、シモンをカップッチッリ、フィエスコをギャウロフ、パオロをヴァン・ダム、アメリアをフレーニ、ガブリエレをカレーラス、実に豪華な布陣です。アバドは細かいニュアンスを丁寧に与えつつも決してやりすぎないという理想的な音に仕上げています。カップッチッリのタイトルロールは3人のシモン、父、政治家、海賊をそれぞれくっきりと彫り上げ、ギャウロフのフィエスコの深くて豊かな低音は、傲慢さと悲しさを同時に歌い上げることに成功していると思います。
1988年のMET、指揮はレヴァイン、タイトルロールのミルンズには独特の艶っぽさが感じられます。
同じく88年のスカラ座、指揮はショルティ、シモンはヌッチ(少々もたれます)。ここではフィエスコのスカンディウッツィがスケールの大きな歌唱で実に良いです。
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