非 色
1963年4月〜1964年6月「中央公論」

進駐軍の黒人兵士と結婚し、ハーレムで暮らすようになった日本女性の物語。
彼女の目に映る複雑な人種差別の実態。
その絶望的な状況を、彼女は乗り越えることができるのか。

感想
 「色じゃないって、どういう意味だろう?」と思いながらこの作品を最初に読んだのは、ずいぶん前だったと思う。著者が見聞した当時のハーレムと現在とでは、多少は変わって来ているのだろうか。
 人種差別が肌の色だけに拠るのであれば、白以外に生まれた人には絶望しかないが、肌の色以外に理由があるのならば、改善の余地があるとも言える。
 しかし、人種差別の根が、自分の自尊心なり、優越感を保つために、必ず他者を貶めようとする「人間の心」にあるとすると、改善への課題は実に大きい。
 でも、この作品に登場する「笑子」は負けないんだ。前向きに地道に、愛する家族のために逞しく生きる彼女には、何度読んでもエールを送りたくなる。「戦争花嫁」という存在も、この作品に教えられた。心理描写もストーリーも、読者に訴えてくる主題もすべて見事な傑作である。
あらすじ
 敗戦後の東京。進駐軍経営のニグロ専用のキャバレーでクロークとして働く笑子は、そこで知り合った支配人の一員であるトムと付き合うようになり、周囲の反対を押し切って結婚し、メアリイを産む。やがてトムは帰国し、笑子も、日本では「黒ン坊」と蔑まれ鬱屈して行く幼いメアリイの姿に、渡米を決意する。
 ハーレムの半地下のひと部屋で3人の生活は始まり、トムの収入が少ないため、笑子も日本食のレストラン等で働くようになる。アメリカには堕胎罪が存在するため、妊娠したら産むしかない。生まれた子供は、笑子が働いている間、幼いメアリイが面倒をみるようになった。
 次々生まれる4人の子供の世話と生計の維持に奮闘する笑子。彼女が目にする人種差別の実態は複雑で、肌の色のみに起因する単純なものではないことを知っていく。
 そして、なぜニグロは差別されるのかと第三者的に見て悩んでいた笑子は、やがて自分もニグロなのだと悟る。ニグロになりきらなくては、愛する家族を支えきっていけないのだと気付く。そしてニグロの世界の中で逞しく生き抜く決意をするのであった。
本文より抜粋

*笑子の心理描写*

私も、ニグロだ!
私の夫もニグロで、もっと大事なことには私の子供たちもニグロなのに、どうしてもっと早くにその考えに辿りつけなかったのだろう。レイドン夫人は日本にもニグロのような人間がいて、それがお恥ずかしい戦争花嫁だと言ったが、そんなことでもなければ、それで私が心を射抜かれたり衝撃を受けたりすることはなかったのだ。私はすでに変質している筈なのだ、ワシントンの桜のように!
私は、ニグロだ!
ハアレムの中で、どうして私だけが日本人であり得るだろう。私もニグロの一人になって、トムを力づけ、メアリイを育て、そしてサムたちの成長を見守るのでなければ、優越意識と劣等感が犇いている人間の世界を切拓いて生きることなど出来るわけがない。
ああ、私は確かにニグロなのだ!そう気付いたとき、私は私の身体の中から不思議な力が湧き出して来るのを感じた。
収録書籍*〜*〜*
『非色』中央公論社・新潮社有吉佐和子選集第1期第8巻・角川文庫
新潮日本文学57『有吉佐和子集』
参考情報*〜*〜*
「戦争花嫁」についての参考書籍

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