| ふるあめりかに袖はぬらさじ |
| 1970年7月「婦人公論」 |
幕末の岩亀楼という遊女屋が舞台。アメリカ人の相手になるのを拒んで自殺した
「攘夷女郎」と称えられた亀遊を描いた劇作品。笑いのなかに切なさが溢れる。
同内容の短編小説に「亀遊の死」がある。
| 感想 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| シェイクスピアで懲りて、戯曲を毛嫌いしていた私であるが、これは楽しく読めた。この作品は、短編小説「亀遊の死」の劇化作品であるが、小説よりこちらの方が分りやすく面白かった。 場所柄、お客相手に事実がどんどん脚色されて、賑やかに面白おかしく語られる様子は喜劇である。が、それだけに一層、当時の世相の中で異人を恐れ、遊女である自らの身を儚んで死んでいった亀遊の悲しみ、お園の切ない思いが浮かび上がってくるようだ。舞台を見てみたかった! |
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| あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 時代は幕末。尊皇攘夷だ、開国だと世間は喧しい。横浜にある岩亀楼では、花魁の亀遊が病みついていたが、恋仲である通訳の藤吉の励ましと蘭方の薬でようやく回復する。そんな二人を亀遊の古くからの知り合い、芸者のお園は見守っていた。 ある日、薬屋の主人:大種屋が米人イルウスを伴って岩亀楼にやって来る。通訳に籐吉がつく。当時、遊女は日本口と唐人口に分けられており、なり手が少ないことから、唐人口には見栄えのしない遊女ばかりであり、その中から選べといわれたイルウスは差別だと憤慨する。そして、薬屋の主人にあてがわれた亀遊を寄越せと言う。想いを寄せる亀遊が売り買いされるのを通訳しなければならず、苦悶する藤吉。亀遊はショックのあまり倒れてしまう。結局、六百両でイルウスが亀遊を買い取ることが決まり、お園が呼びに行って、亀遊が剃刀で喉を裂いて死んでいるのを発見する。 想い合っていても、遊女の亀遊は病が癒えれば店に出ないわけにも行かず、彼女を身請けするような大金は藤吉にはない。悩んだ末だったのだと、お園と籐吉が亀遊を偲んでいると、突然、亀遊が攘夷女郎として瓦版に華々しく登場した。「異人を嫌って、父祖伝来の懐剣で喉を突いた、あっぱれ烈婦!」そして辞世の句として「露をだに厭う大和の女郎花、ふるあめりかに袖はぬらさじ」が紹介されていた。亀遊が読み書きのできないのを知っていたお園は、以前にも同じ句を聞いたことがあるのを思い出し、この話をでっち上げたのは攘夷党だと気付く。 しかし、攘夷女郎がいたとの評判で、岩亀楼には客が詰め掛け、話を聞きたがる。初めは本当のことを話そうとしていたお園であったが、楼閣の主人に客が喜ぶ話をするように言いつけられ、話はどんどん脚色されて行く。世間には瓦版の他にも「異人嫌いの亀遊、本邦婦女烈伝の一」という印刷物まで出回り、いよいよ名を馳せて行く。 ところがある時、いい気になって語っていて、ちょっとしたことから脚色したことがばれてしまい、怒った攘夷党の侍達に刃を向けられることに。散々脅かされて、お園は腰を抜かしながら、亀遊は淋しくて死んだのだと言うのであった。 |
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| 本文より抜粋 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
*イルウスが亀遊を見初めるシーン*
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| 収録書籍*〜*〜* |
| 『ふるあめりかに袖はぬらさじ』中央公論社・中公文庫 |
| 参考情報*〜*〜* |
| 「ふるあめりかに袖はぬらさじ」鑑賞の記録 |
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