「ふるあめりかに袖はぬらさじ」松竹新派特別公演
2002年9月14日 塩尻市レザンホールにて観劇
配役 お園:水谷八重子 亀遊:大場久美子 通訳の藤吉:内海光司 イルウス:若林豪
 チケットの購入が遅れたせいで、S席とはいえ、前から19列目の中央よりの席になってしまった。幕が上がってみると、私より後ろの席はほとんど空いている状態で、これならもっと小さな劇場でやれば良かったのにと思う。目が悪い私には黒目と白目の区別がつかないほどで、表情が分かりにくいことも残念であった。S席でもオペラグラスが必要なのか・・・。

 まず最初に気づいたことは、この作品はかなり地味な劇だということであった。主要な登場人物が少ないし、はっきり言って、お園役水谷八重子の一人舞台である。彼女のファンには、こたえられない演目だったかと思うが、いったい彼女のファンがどれくらい集まっていたことか・・・。水谷八重子の演技は良かったと思うが、彼女ばかりを見ていてもつまらない。戯曲に詳しくない私には、原作を読むだけではこうしたことは想像がつき難いことであり、とても勉強になった。


 最初のシーンは舞台中央に床が延べられ、亀遊が寝ているというもの。広い舞台にポツンと座敷がこしらえられていて何とも寂しい。そこへお園が見舞いに訪れる。水谷八重子の台詞はメリハリがきいているのだが、小さい声を後ろ向きで発せられると、かなり聞き取り難い。その上、役者が出てくる度に拍手が起きるので台詞が消されてしまう。音響が不味かったのかもしれないが、これにはかなりウンザリさせられた。その後のシーンになると、もっと座敷が広く贅沢にしつらえられ、芸者なども出てきて音曲を奏でて賑やかになったのだが、やはり全般的に地味な印象が拭い切れない。道具も少なく、安上がりな舞台だなと感じた。


 次に思ったのは「古臭い」ということ。たとえば、通訳の藤吉の台詞「私には志がある」というのを聞いて、驚いたお園が「ジョーイなの?それともサバクなの?」と質すシーンがあるが、それが「尊皇攘夷派」か「佐幕派」かを聞いているのだと即座に分かる観衆が、今時、どれほどいるものだろう?有吉さんがこの作品を杉村春子さんに書き下ろした当時とは、時代が変わっているのだ。有吉さんの作品は、潔い女性の生き様が描かれることが多く、しかも着物を着て演じられることもあって、ベテラン女優に好まれている様子。だが、そろそろ大幅なアレンジを加えないと、観衆を楽しませることは難しいのではないか。
 これまで観た数少ない劇の中で、最も好印象だったのは「悪女について」だったが、それはやはり大胆に脚色されていたことが大きいと思う。あの時は、昭和から平成への社会状況の変化を映像と寸劇で見せ、時代背景の基本知識を観衆に与える工夫があった。今回もそういう幕末の状況の紹介などがあれば、かなり違ったのになと残念至極。


 また予想通りだったのは、偽者外人の若林豪日本人通訳より背の低い外人なんて迫力なし。あれでは亀遊が恐れた理由が実感できない。演技力なんて要らないから、図体のデカイ外人が良かったのに。英語も聞き取り辛く、英文を舞台上部にでも電光掲示するとか、何かやりようがあると思うが、原作が頭に入っていなければ、まったくつまらないものだったと思う。

 有吉さんの戯曲では最も好きな作品で舞台を楽しみにしていたのだが、かなりガッカリさせられた、というか現実を目の当たりにさせられた。読書では、自分の現在のイメージで如何様にも脚色できるので「古臭い」と感じるようなことはないが、演劇やTVドラマ化というのは原作に忠実すぎると古臭くなってしまうものなのだろう。その時代にあった斬新な脚色が必要なのだ。

 舞台の最後に水谷八重子が「塩尻って、あったかいところなんですねえ」と拍手に応えて言ったが、当日は急激に冷え込んで、土地の者でも「寒い」と思った日なのに、もっと暖かい土地から来たに違いない人から、意外に暖かいという趣旨の言葉を聞くとは予想もしなかった。言おうとしたことはわかっているが、白々しかったなあ・・・。



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