女二人のニューギニア
1968年5〜11月「週刊朝日」

有吉さんが文化人類学者の友人に誘われて、ニューギニアの奥地を訪れた折のことを描いた紀行文。
たいへんな秘境で、行くまでの苦労、現地での苦労に、抱腹絶倒間違いなしである。

感想
 とっても面白い!前半は、うっかりとんでもない所へ来てしまったことを愚痴る、愚痴る。たしかにアップダウンのきつい山道、それもジャングルの中を長時間歩くのはさぞ大変であったろうと思うが、それより、始終虫刺されに苦しめられ、痒くて我慢ができないという内容の方がおぞましい。描写力が優れているから、痒さが身に迫ってくる!
 それにしても、こんなところで研究生活を送れる、畑中幸子氏とはすごい人だ。ピジン英語も面白くて、覚えてマネしたくなった。また有吉さんが、どうやらネイティブの酋長に見初められてしまったくだりも傑作。かなり笑える一冊である。
あらすじ
 学生時代からの知り合いで、文化人類学者の畑中幸子氏の誘いに応じて、ニューギニアに行くことにした。ちょうどインドネシアへの旅行を計画していたので、ニューギニアならすぐそばだと思い、気楽に決断してしまった。現地に着き、最寄の空港からは歩いて2日、それも一日11時間歩くと聞いて初めて、大変なところに来てしまったと気付く。
 こうなったからには仕方がないと張り切って歩くことにする。目的地までは3千〜5千メートル級の山々が連なる山岳地帯。山歩きなどしたこともないので、間もなく、爪先がひどく痛み始め、2日の行程を3日に延ばしてもらったものの、3日目には体中が痛くて起き上がることもできないほどになってしまう。だいぶ歩くのに慣れたとはいえ、最後はとうとう仕留めた野ブタを運ぶかのように、2本の丸太を束ねたところに蔓で巻きつけられて、ジャングルの中を運ばれることになった。
 ようやく着いた畑中氏の家では、始終周りを飛び交う虫に刺され、痒くて仕方がない。足の爪は剥がれかけて、歩くとひどく痛み、これが治らないと帰ることもままならない。1週間の予定で来たのに、次の爪が生えるのは一月先だと言われてしまう。
 思いがけず長逗留になってしまうが、私は家事はまったくの不得手で、畑中氏の足手まといになっているのを心苦しく感じ、出来る事はないかと考えた挙句、パンツを縫うことを思いつく。ネイティブの文明人への第一歩が、草の葉や瓢箪で下半身を隠すのではなく、パンツを履くことであったのだ。結局、11枚もパンツを縫うことになった。そのパンツを与えることによって、畑中氏はネイティブの協力を取り付けることができるのであった。
 帰る日は突然やって来た。道に迷ったヘリコプターが付近に着陸したのだ。便乗させてもらい、ようやく帰国することが出来た。
 ところが帰国してからマラリアを発病してしまった。表題の女二人は、畑中氏が1.8人力、私が0.2人力のつもりで書き始めたのだが、マラリアで私の株はまた暴落し、0.001人前ぐらいのところだろう。
本文より抜粋
「ベッドを作って差上げます。それで、あなたをヨリアピまでお運びします」
 ・・・・・・・・・・
 それからのシシミンたちの働きぶりはめざましかった。ものの5分とたたないうちに、二本の手ごろの木が切って運ばれてきて、その間に私を寝かせると蔓草を器用に巻きつけて、私を縛りつけ、つまり仕留めた野豚をかつぐのと同じ要領で、彼らは私をかつぎあげたのである。バガノが私に、具合はどうかと聞いたので、ベリーグッドだと答えたら、彼は一声、雄叫びをあげた。シシミンたちが、一斉に和した。
 アイヤッ、アイヤッ、アイヤッ、アイヤッ、アイヤッ・・・・・・。
 この調子も声の高さも、活字では読者に伝えられないので残念である。それはまさしく奇声であり、音頭であり、獲物を得たときの喜びの声であった。私は仰向いた形でかつぎあげられていて、彼らの顔は見えなかったが、彼らの部落で丸焼きにされるのであったとしても、自分で歩くよりはずっとましだと思っていた。
 すぐ顔の上を、熱帯樹の枝が葉が、飛ぶように過ぎてゆく。バガノに負ぶわれていたときより更に速いスピードで、たちまち山を越え、坂を下った。やがてジャングルを出たのであろう。私の顔の上には、青い青い大空があった。その色の、なんと美しかったことだろう!
収録書籍*〜*〜*
『女二人のニューギニア』朝日新聞社・朝日文庫
新潮社有吉佐和子選集第2期第3巻『孟姜女考』
参考情報*〜*〜*
秘境パプアニューギニア 畑中幸子著『ニューギニア高地社会』

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