1928年4月12日東京都麹町生まれ/旧制高女卒
52年横浜で知り合い/57年10月東京で結婚/60年横浜から渡米
夫と二人の女の子と暮らしている
東京の麹町生まれです。空襲で家が焼けたとき、千葉県の鹿島に疎開してました。終戦後すぐに東京に戻りましたが、父が病弱だったし、きょうだいが八人もいましたから、生活が大変でした。
朝鮮戦争のころ、横浜に外人さんと結婚していた友だちがいて、主人はそこで紹介されたんです。その日暮らしだったし、すぐに同棲しちゃったんです。主人は、エアホース(空軍)の情報部にいて、シークレットの仕事をしてましたから、結婚が難しくって、許可がおりるまでずいぷん時間がかかりました。結婚してから、主人は、アメリカへ戻ったり、朝鮮へ出かけたりしましたが、わたしは、横浜の元町に三年ほど住みました。コロラドの転任のとき、はじめて日本を離れましたが、一年半くらいしてまた日本勤務。このときも横浜に住みましたが、主人は、お洒飲む人でしたから、車運転してよくトラブル起こすんです。もうしょっちゅう呼び出されて・・・。警察へ行くと、顔覚えられちゃっていて「またか奥さん…」って。
ベトナムへは七〇年の終わりごろから一年ぐらい。一番ひどいときでしたから心配しました。「どうしてアメリカ人と?」って言われてもね…。時代じゃないですか。当時の世の中がね。仕事がなかったし、生活ができなかったんだから…。兵隊さん金回りよかったし・・・。みんなが好んでしたわけじゃない。でも仕方がなかった。みんな精いっぱい生きたんだから・・・・・・。
アメリカに来てからも、いやなことありました。たまに子供連れて、リトル東京(ロサンゼルス)なんかに行きますね。そんなとき、やっぱり「黒人と…」っていう目でみられる。ウエートレスしてたときも、日本人同士なのに白人の旦那さん持ってる人同士は親しいんですが、わたしにはよそよそしくって。寂しくないと言えば嘘になりますが、でも人種の違いっていうのは、どうしようもないのかもね。でもね、あんまりひどいときは「同じ人間じゃ!」って開き直ってやるんです。
日本へもずうっと帰ってないし、わたしのふる里どこかしらって考えるんですね。でも、やっぱり日本がいい。来世はやっぱり日本人。日本人同士ですと、言葉の機微がわかって安心します。主人と何年生活していても、わからない部分があって・・・・・・。やっぱり寂しいです。
*最も短い談話を、そっくりそのまま紹介しました(管理人)
| HOME | 戻る |