『新女大学』の原作はエッセイであり、それをどんな具合に映画化したのか興味があった。『新女大学』の主張は「女は女らしく男性を立てることが、うまくやっていく秘訣である」といった、一見、古臭いものである。しかし著者はそこに、昔とは異なる新しい意義を見出しているのだ。原作は全12講の内容だが、映画はその中でも「第1講 男性を尊敬すべし」「第2講 愚かなるを以って本分とすべし」「第12講 常に母たるべし」あたりを主に描かれたように感じる。
映画は尾崎家の4人の兄妹たちを中心に描かれる。こんな人たち、もちろんエッセイには出てこない。主役の次女カスミは司葉子、次に出番の多い長女コズエは草笛光子が演じていた。
尾崎家の3姉妹は皆気が強く、男を馬鹿にしたところがある。なかでも長女コズエは、大きな美容院を経営する有名人でもあり、表面的には夫を立てていて賢妻のつもり。しかし自分の方が上と思っている本音が見え見えで、夫は不満をくすぶらせている。次女カスミは専業主婦だが、夫の給料が少ないと文句ばかり言っていて、そんなことから喧嘩になり、夫は出て行ってしまう。どうしたよいかと悩むカスミに、自分のやり方を見習えとコズエは言うが、彼女自身の夫もついに家出してしまい、離婚に至る。
一方、常に自分は間抜けで・・・と苦笑している兄嫁(乙羽信子)は、映画の前半では、誰が見ても抜けていて、少々ウンザリさせられるような女性。夫である尾崎家の長男にいつも、馬鹿だ、間抜けだ「俺がついてやんなきゃ、何一つまともなことできないんだから!」と貶されているが、いつもニコニコ「すみません」と笑っている。しかし夫は文句を言いつつも、気分よく、威張っている。
そんな兄嫁が映画の終盤で、夫の浮気をうまく封じ込める。声を荒げることもなく、誰も恥をかくこともない。上手に夫を立てている兄嫁の姿に、カスミは自分の夫への態度を大いに反省することになる。末娘のミドリも、恋人への態度を改める。
コズエは離婚しても、宗旨替えをしていないようで、周囲をあきれ返らせているが、カスミたち夫婦は妻が心を入れ替えたことで仲睦まじい生活となった。
舞台は東京のどこかなのだが、近所中で大掃除をしているシーンから始まる。時期は初夏という感じ。昔は大晦日以外に、日本中大掃除をするような日が他にあったのだろうか?その掃除もまるで引越しのようで、家具も畳も庭に出す。道路がまったく舗装されていないのにもビックリ。昭和35年って、まだそんな時代だったのだろうか。
服装も時代を反映していて興味深かったが、なんと言っても傑作だったのは、コズエの経営する美容院のシーン。ここで描かれるヘアスタイルの決め方なのだが、白い板の中央に穴が開いている。そこに顔を突っ込み、ヘアスタイルを紙に描いて切り抜いたものを顔の上、頭の部分に当てて、似合うかどうか検討するのだ。こんなこと実際にあったのか?
他にも、カスミが夫を「ボク」と呼んでいるのが笑えた。「あなた」じゃなくて「ボク」。そんな、子供じゃないんだし・・・こんな人、いたんだろうか?
小説でもないものを元にして、どんな映画になるのかと思ったが、意外にも原作のエッセンスを上手に伝えていて感心した。表面上のワザではなく、心が大事なんだということもキッチリ描かれていたように思う。私も精々、乙羽信子扮する兄嫁を見習うことにしたいものだ。 |