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2002年12月28日 ポール・ラドニック 「これいただくわ」
2002年12月6日 パウロ・コエーリョ 「悪魔とプリン嬢」
2002年10月24日 デニス・レヘイン 「雨に祈りを」
2002年10月11日 ジョーエレン・ディミトリアス 「この人はなぜ自分の話ばかりするのか」
2002年9月6日 コリン・ブルース 「まただまされたな、ワトソン君!」
2002年8月16日 メアリー・H・クラーク 「君ハ僕ノモノ」
2002年7月17日 デズモンド・モリス 「裸の眼」
2002年5月31日 スティーヴ・ハミルトン 「狩りの風よ吹け」
2002年4月27日 ローレンス・ブロック 「死者との誓い」
2002年4月5日 ロバート・ゴダード 「一瞬の光のなかで」
2002年3月4日 ウォーリー・ラム 「人生におけるいくつかの過ちと選択」
2002年2月7日 ケン・フォレット 「コード・トゥ・ゼロ」
2002年1月10日 ジョージ・P・ペレケーノス 「曇りなき正義」
2002年12月28日 ポール・ラドニック 「これいただくわ」
クリスマス、そしてお正月、何かと買い物の機会が多い季節です。毎朝の新聞の折り込み広告の量に圧倒される日々、私は物欲が欠落している人間ですし、やかましいところが大嫌いときているので、この時期は極力繁華街には近寄らない主義です。ひっきりなしに人が出入りするデパートの様子をお向かいの歩道から恐々眺めると、なにやら建物全体に物欲のオーラが立ち込めているかのようで、ある種の畏敬の念すら感じます。
さて、この本のテーマはずばり「お買い物」、それも半端じゃないですよ。ニュージャージーに住んでいる専業主婦の母、マンハッタンに住むアイビーリーグ出の息子、そしてロードアイランドに住んでいる二人の伯母、中流ユダヤ人のばーさん三人と男一人が車でニューイングランドを目指します。目的は秋の紅葉を楽しむため・・・じゃなくてお買い物。
みやげ物店、アウトレットショップ、高級デパート、ブティック、ドラッグストア、モーテルの売店に次々と乗り付けては買いまくるご一行様、その様子ときたらイナゴの大群顔負けです。おまけに少々厄介な事情があります。ママは欲しいものがあると(というか、何もかも欲しいのですが)時々黙って頂いてきてしまう(要は万引き)し、息子の方は歴としたプロのスリ、そしてこの親子の最終目的地はL・L・ビーン、お買い物をするんじゃなくて、レジから売り上げを頂戴するため、つまり強盗目的の道中なのです。
車中で語られる一族の歴史、セピア色の思い出話、みんな聞き飽きているのに未だに繰り返される定番の家族ジョーク、そしてお説教と打ち明け話。チョコレートにキャンディー、手作りクッキーにコーヒーケーキをひっきりなしにパクつきながらの突っ込み同士の掛け合い漫才のようなけたたましい会話、全然緊張感がない、これで本当に強盗なんてできるの?それはラストのお楽しみです。
物欲の権化であるご一行様なのですが、なぜか憎めない。突拍子もない筋立てなのですが、なぜか身近に感じる。それは彼らにいやらしさがないからです。どこかすとんと抜けたような明るさとすっかり肌に馴染んでしまった古いソファーのようなくたびれた、でも懐かしい感覚・・・、それは家族特有の「許せるし許される」という絆の匂いです。
買い物好き、ブランド好きでは負けていない日本人ですが、その裏には愛情があるのでしょうか?愛情のない饒舌はやかましいだけ、愛情のない物欲はさもしいだけ、結局のところ、行き着く先は古くて新しい「家族」の絆・・・、この当たりの感覚がこの作品にふわりとした暖かさとしっとりとした懐かしさを与えています。
単に物欲を満たすために買い物をするんじゃダメなのです。愛情をもって選ぶべきなのです。自分の欲求のはけ口として喋るんじゃダメなのです。聞いてくれる人への愛情が必要なのです。
さて、年末です。どのお店も何とかこちらの財布のヒモを緩めようと必死になっています。ここは、この「エスカー三姉妹プラス男一人」を見習って(でも、万引きとスリはダメよ!)、どうせ出て行くお金なら楽しく使うと致しましょう。
2002年12月6日 パウロ・コエーリョ 「悪魔とプリン嬢」
おそらくポルトガルだと思われる山奥の小さな村、ヴィスコス。人口281人、若いと言えるのは村で唯一のホテルのウェイトレスであるシャンタール一人、狩猟のシーズンにわずかな観光客が訪れるだけ、後は昨日も今日も明日も何も変わらない、日溜りで昼寝をしている老犬のような村。そんな村をある日悪魔をつれた男が訪れます。もっとも、悪魔を見たのは日がな一日玄関先の椅子に座って村を眺めている少々いかれたベルタ婆さんだけですが。
男の背負ったリュックの中身は2キロの金塊が11個、村から出て行きたくてウズウズしているシャンタールに男は賭けを持ちかけます。この金塊を一つここに埋める、持ち逃げするのは君の自由だ。あとの金塊は秘密の場所に埋めておく、たった一つの条件さえクリアすれば、全部を村人に上げる・・・、たった一つの条件、簡単なことさ、3日のうちにこの村で殺人があればいいんだ、殺すのは誰でもいい、殺されるのも誰でもいい、殺人が起こりさえすれば、村人全員が何の憂いもなく暮らして行けるんだ・・・、男の願いはただ一つ、人は根本的に悪であると証明したいだけ。
あの金塊を掘り起こして村を出よう、でも、男はすぐに気づくだろう、金には刻印が押してある、現金にすればすぐに警察がやってくる・・・、じゃ、誰かを殺す?誰が誰を?私がやる?村人全員を裕福にするために殺しましたって言うの?報酬は平等に分配される以上、誰も他人のために危険を犯しはしない。この条件をクリアするは全員が共犯関係であることが必要なの。村人全員で選ばれた犠牲者を殺す必要がある、そうでなければ、いつかきっと秘密が漏れる。
シャンタールは村人全員にこの賭けを打ち明けます。多少の躊躇いはありましたが、皆、金は欲しい。町長が立案し、司祭が倫理的、神学的側面を補強し、全員一致で「殺人事件」を受け入れてしまいます。選ばれた犠牲者以外は・・・。
人は善なのか、悪なのか、眩い金塊は神の教えを破らせるだけの力があるのか?結局、善も悪も勝利することはできませんでした。じゃあ何が勝ったのかって?それが分からないのです。
全員が全員、自分が可愛かった、他人は信用できなかった、非日常の富よりも、日常の平凡さを選んだ、そして、その利己性が、小心さが、悪魔を黙らせてしまうのです。人は善でもないし、悪でもない、善でもあるし、悪でもある、すべては選択に懸かっているのです、持って生まれた本性ではなく。
悪夢のような一週間が過ぎてラストシーン、シャンタールは村を出て行きます、他の若者全員がそれを選択したように。
時代も場所も不明、敢えて寓話の世界を選んだことで普遍性を狙った作品ですが、この世を善と悪の対立と捉えるキリスト教の世界観を持ち合わせていない東洋人の私には、そこがネックになりました。
「南無阿弥陀仏(阿弥陀様にお任せします、の意)」、人は善でもあり悪でもある、でも阿弥陀様がすべてを救うと誓っておられる以上、何を思い煩う?自分にできることを一生懸命やりなさい、精一杯生きなさい、この世の後のことは阿弥陀様にお任せしなさい・・・。唐突なんですが、法然がこの本を読んだとしたら、何を当たり前のことを、と一笑に付すような気がしてきました。
2002年10月24日 デニス・レヘイン 「雨に祈りを」
アンジーが帰ってきました!
レヘイン(ルヘインと表記されることもあります)の人気シリーズ、ボストンの私立探偵パトリックと相棒のアンジー、そして彼らをサポートするブッバ、第一作の「スコッチに涙を託して」以来、ここまで全5作全てK点越えです。
教会の鐘楼に事務所を構えるパトリック、軽口がお得意、喧嘩もそこそこ強い、射撃はすげぇ下手っぴい。アンジー、祖父がマフィアの大物、それを嫌って普通の男と結婚したものの今はバツイチ。ポーランド移民の武器の密売人ブッバ、地雷を仕掛けた倉庫に住み、英語は読めませんが、いざとなればグリーンベレー一小隊よりも頼りになる、貨車の上に「発狂した二歳児」の顔を乗っけたような「歩く武器庫」。
この3人組で展開してきたシリーズですが、前作の「愛しき者はすべて去りゆく」でアンジーが出ていってしまったんです。
愛らしく控えめで誰もが守って上げたくなるようなカレン、彼女の依頼はストーカーを何とかして欲しいというものでした。至って簡単な仕事、ブッバと一緒に出かけていってストーカー野郎をチビる程度に脅してやればいい。しかし、それから半年後、カレンは全裸で飛び降り自殺を遂げます。その直前、留守番電話に入っていた彼女からのメッセージをついほったらかしにしてしまったパトリックは、自責の念から調査に乗り出します。とはいえ、一人では手に余る、ブッバに任せるとボストンが廃墟と化すこと間違いなし(何しろ「話をつける」ってのはそいつの住む半径数キロを吹っ飛ばすことだと真剣に信じている)。というわけで、タフで賢くてハッと息を呑む美女(パトリックにはそう見える)アンジーがカムバック。
自殺の直前のカレンの状況は異常なものでした。フィアンセが交通事故で植物人間に、仕事を失い、アパートを追い出され、両親に助けを求めて拒絶され、挙げ句の果てには街で娼婦をやっていた・・・、あのカレンが?グレイの丸首セーターと真っ白なスニーカー、きちんとアイロンのかかった清潔なハンカチでノーメイクの唇をそっと押さえていたカレンが?
パトリックはやがて殺人という形をとらない殺人、本人に「死にたい」と思わせることで目的を達成する「殺人鬼」に行き当たります。
ブッバが彼の揺りかごである戦場で大活躍するラスト、そしてレヘインのお約束の二段落ちまで、一気に引っ張ります。この世界には病んで爛れきった精神の闇があり、そこに踏み込めばただでは済まない、生きて帰るのに必要なもの、それは自分の背中を任せられる相棒であり、自分の背中を任せる以上、自分も相棒の背中を守るという暗黙の、しかし強固な絆です。
パトリックは父親から虐待されて育ちました。アンジーの結婚生活は夫のドメスティック・ヴァイオレンスによって破綻しました。ブッバは家族すら持たず路上で育った男です。彼らは皆傷つけられ、痛めつけられ、心に鎧を着せることで生き抜いてきた人間です。個性こそ違いますが、根本にあるのは深い孤独と強烈な自負、そして偶然ではなく自分の意志で選んだ「家族」であるチームに対する信頼と忠誠。そんな彼らの関係がシリーズ中一番良く出ています。
オツムがいかれていて、パトリック曰く「単音節の単語しか知らない」ブッバが、「嘘」と「犬」について彼にしては珍しく複雑な意見を語ります。しっかりと聞いて上げて下さい。
2002年10月11日 ジョーエレン・ディミトリアス 「この人はなぜ自分の話ばかりするのか」
表題のような人っていますよね。「お元気?」「どうしてた?」で始まる会話ですが、久しぶりに会えたという高揚感をあっという間にぺしゃんこにしてしまう人たち。
「Aさんはこんなことをした、Bさんはこんな態度をとった」・・・、そのAさんもBさんも、私は一度も会ったことがなく、これからもおそらく会うことはありません。
事細かに説明されるテレビドラマの内容、私は見ていませんし、見たくもありません。1時間ドラマだとしたらその人の話の方がドラマよりも長い、ビデオを見た方が手っ取り早いのにな。
家庭内の細かな出来事、まるでビデオカメラみたいな記憶力をしているんだと感心はしますが、それと私と何の関係があるの?
アタマがどんどん別の思考へ流れていきます。集中力を維持することができません。ストローの袋でこよりを撚って、テーブルに溜まった水滴で落書きをして、しかし、相手の話は終わらない。話題を変えようと話を振ります。「あら、良かったわねぇ」「まあ、良いんじゃないの」・・・これは私の話に興味を持ったからではありません。さっさとその話題を終わらせて再び「自分の話」に持っていくためなのです。
「じゃ、さよなら」と別れます、一人になって時計を見ます、私の時間を返せ!
作者はアメリカでは有名な陪審コンサルタントです。12人の陪審員が評決を下すアメリカの司法制度では、陪審選びが訴訟の結果を大きく左右します。作者の仕事はクライアントに少しでも有利な陪審員を選び、不利な陪審員を排除し、訴訟を勝利に導くことです。陪審コンサルタントとは、陪審員候補一人一人の、職業、育ち、人種、性別、服装、言葉遣い・・・細かなチェック項目を瞬時に判断し、本人も知らない無意識の領域にまで踏む込む、人間観察のプロなのです。
ピアスにタトゥーという陪審員候補者がいるとします。当然、ラディカルで権威に反発する人間・・・と判断したくなるのですが、しかし、彼がロックミュージシャンであった場合には、彼は周囲に迎合する人間、当然、評決でも流れにつく人間と言えます。彼が弁護士であった場合には、敢えて少数派になりたがる人間、彼は評決でも少数意見に固執するでしょう。
言葉の言い回し、声のパターン、身のこなし、実に些細でおそらく本人も意識していないであろう部分をつなぎ合わせることで、相手の性格と行動様式を見抜くノウハウは、さすがに訴訟社会アメリカだと感心します。日本とは文化が違いますから、そのまま応用するわけにはいきませんが、アタマの隅に置いておけば役立つであろう情報が満載です。
しかし、このタイトルは「詐欺」です。私はまんまと騙されました(悔しいです)。この本には表題のような人物は一切登場しません。原題は「Reading people」、人を読む、です。「あの人も知らないあの人を読む方法」とかそれらしいタイトルはいくらでも付けられるでしょうに。精一杯うがった見方をすれば、この手の人の相手をする場合には、この本に習って相手を観察することで退屈から逃れましょう、という意味なのか?
最近この手のとんでもない邦題のついた本が多いんですよね。原作者はこのタイトルを承知しているのでしょうか?私、そんな本書いていないわよ!と怒り出すような気がするのですが。
2002年9月6日 コリン・ブルース 「まただまされたな、ワトソン君!」
前作の「ワトソン君、もっと科学に心を開きたまえ」に続く架空の(って、元々架空ですが)シャーロック・ホームズのシリーズ第二弾。前作では物理学がテーマでしたが、今回は数学、特に確率論がテーマです。
巧妙な詐欺の被害に遭う実業家、ギャンブル依存症の侯爵、聖書の中に秘められた暗号を発見してしまい火星人の襲来を恐れるエンジニア、全滅した部隊でなぜか一人だけ生き残ってしまい敵前逃亡を疑われる兵士、均衡を愛しすぎた結果として他殺体で発見されるオペラ歌手、会計士の数字のトリックに騙される経営者、ベーカー街を訪れるホームズの依頼人は例によって多種多彩。
一見公平に見えるサイコロ遊び、誰にとってもチャンスは同じ・・・はずなのですが、しかし、そこにも巧みに数学の法則が働いています。その謎を一つ一つ丁寧に解いていくホームズ。一見論理的に見える事象の落とし穴、え?何で?これで合ってるじゃない、読みながら何度そう思ったことか。私もどうやらカモの一人のようです。
前作同様、隅々まで「聖典」をなぞった文体がお見事です。それに加えて今回は「ゲスト陣」も豪華です。後に「不思議の国のアリス」を書くことになるチャールズ・ドッジスン牧師(筆名はルイス・キャロル)は、単純な「チョコレートはどの箱に?」のゲームでワトソン博士を翻弄し、本業の数学者ぶりを発揮します。
聖書には火星人襲来の予言があると駆け込んできた少々やばいエンジニア、彼の不安は、アルファベットの組み合わせと文字毎に異なる使用頻度、そして聖書という膨大な情報量があれば、どんな予言だって「発見しようと思えば」発見できるとホームズの説明によって一段落。なるほど安心しました、確率ですね。僕は墜落しない飛行機を作ろうと思っているんです。4つのエンジンを組み合わせればそれは可能でしょ?代理機能性を唱える彼に対するホームズの警告、4つのエンジンが同時に故障する可能性は君が考えているよりも遙かに高いのですよ。なぜなら同じ環境で使用されるからです。複数の現象が無関連に個別の確率で出現するなんて現実的ではありません。では、船ならどうですか?船を防水壁で細かく仕切れば一カ所が浸水しても大丈夫、僕はね、この夢の船にもう名前を付けてあるんです、「タイタニック号」ですよ!あちゃー・・・。
ラストにはマルクスとレーニンもちらっと登場します。
私たちの日常は、経験によって得られた統計値による論理的(だと本人は思っている)判断の集大成です。この道とあの道、どっちを行けばより早く目的地に着くか?今日は金曜日で自動車が多いはず、でも夏休み中だし・・・。この店とあの店、どっちで食事をするか?こっちの店はがらがらだけど、あっちの店は混んでいる、あっちの店が美味しいはず、それともこれはタダの偶然か?で、結局、最後は「一か八か」なんですよね。
この世は確率で成り立っており、そこで生きていく以外にないわけで、今から数学を勉強しても手遅れでしょうが、この本のおかげで、ちょっと待てよ、それで良いのか?と疑う技術を身につければ、少しはリスクが減るのではないかと思います。文科系の人にお勧めです。
しかし、タイトルですが、「だまされたな」じゃなくて「だまされたね」にして欲しかった。シャーロッキアンは細かいことまでうるさいんです、すみません。
2002年8月16日 メアリー・H・クラーク 「君ハ僕ノモノ」
元検事で現セラピストのスーザンがパーソナリティを務めるラジオ番組にかかってきた1本の電話、豪華客船から突然失踪した女性、彼女はその船で男と出会ったはず、そして「君は僕のもの」と彫り込んだ指輪を貰ったはず、私は知っている、私も同じ体験をしたから・・・。物語はここから始まります。
リッチな女性を次々と誘惑してはおそらく殺しているサイコパス、電話をした女性は翌日偶然にも車に跳ねられて意識不明の重体、その現場を目撃した人、同じ指輪を買って貰った人、そしてその指輪を売った人が次々と死んでいく、どこかで全てがつながっている、でも、どこで?
様々な人物が交錯し、それなりにミステリアスな雰囲気も出ています。人物の描写は丁寧ですし、心理面もそつなく書き込まれています。しかし、途中で犯人が分かります。だってリッチな船旅をするほどヒマと金のあるそれらしい男ってのが一人しか出てこないんだもん。普通の人間は何週間もかかる、何千ドル、何万ドルもかかる船旅なんてできないし、やればやったで周囲が覚えているはず、となると、コイツが犯人に決まってるじゃん。
何か読んでいていやーな気分になる本です。登場人物は全員して美男美女でリッチ、高級レストランでのデート、豪華なパーティー、ミッドタウンの高級マンション、オーダーメイドの服・・・、こういうのが好きな人には堪らないのでしょうが、私はあいにくそういうことに全然興味がない。
結構良い味を出していたのは同じ指輪をデートで買って貰って、その時に容疑者を見たと証言する安レストランのウェイトレス、そしてその指輪をせっせと手作りして売っていたインド系移民の土産物屋のオヤジなんですが、この二人は登場するなり早々に殺されてしまいまして・・・。この本では、美形でリッチでないと書いて貰えないらしい。
「君は僕のもの」、今時こんなセリフを言われてうれしい女っているんでしょうか?これって即ストーカー予備軍って感じがするし、まず間違いなく「滑る」と思うのですが。私は誰のものでもない、あなたも誰のものでもない。そこから始めないとお互いに不幸になる、だって、一人と一人で向き合わない関係から何が生まれるの?これが普通の女性の感覚だと私は思います。
そして、ラスト、このサイコパスくん、訳が分からない、これしきのダメージでサイコパスになるような人間っているんか?だったら世界中サイコパスだらけ、「あなたも私もサイコパス」でないか。
そして翻訳のまずさ、みんな口調が同じなので、誰が誰なのか分かりゃしない。親子で敬語を使い、女性の会話の語尾は今時珍しい「わ」、私もそう思いますわ、そうなさると良いですわ、後でお電話差し上げますわ・・・、これ、時代劇かい!
勿論リッチな雰囲気を味わいたい方が読まれる分には結構だと思います。その方面ではなかなか良くできた作品です。しかし、私の感想は、あぁ、つまんない本読んで時間無駄にした・・・です。
2002年7月17日 デズモンド・モリス 「裸の眼」
イギリスの著名な動物行動学者モリスの一冊。40年前に書かれたベストセラー「裸のサル」がとても面白くてファンになりました。前作の「舞い上がったサル」も面白かったな。人間は墜ちた天使ではなくて、舞い上がった猿。人間と猿の遺伝子構造は98.4%は同じ、やっていることは大して変わりゃしない、ある部分では猿の方が洗練されている、という分析がとても新鮮でした。私は猿という動物が苦手で、動物園なんかでもじっと見ていることができません。猿山の前は足早に通り過ぎてしまう。これ、近親憎悪なんだなって理解したのも博士のおかげです。
今回の作品は人間がテーマです。世界一周マン・ウォッチングの旅、ジープも双眼鏡もいらない(というか、そんなもの使って観察しているとトラブルになる)、必要なのは冷静な眼だけ。マルタ島を皮切りに、ランサローテ島、ヨーロッパ、アフリカ、そして日本。モリス博士の眼は辛辣だけどユーモアたっぷりで優しい。だいたい人間観察なんて人間が嫌いじゃとてもできませんからね。身振りの境界線を探り、サッカーチームの構成に一夫多妻制を見出し、気温摂氏65度のアフリカを歩く。シチリア島では撮影隊のエキストラの人選にまでマフィアが絡む、ビヴァリーヒルズでは「プリティー・ウーマン」の舞台になったウィルシャー・ホテルに泊まってはしゃぐ。呆れるくらいタフな作者は、東京ではビジネスマンの三段ギア式のお辞儀を観察しては上下関係を見事に当てて見せ、花見の酔っ払いにつかの間の自己解放を発見し、混雑率日本一と言われるラッシュの時間帯の中央線快速電車にも突撃します。
98.4%は猿と同じ人間が猿よりも遙かに高度な発展を遂げたのは、コミュニケーション手段を飛躍的に進化させたからです。それは言語だけではありません。ちょっとした仕草、目線、実に複雑な情報網が張り巡らされているのです。向こうから歩いてきた知らない人間を見た時、人間の脳は5億もの計算をするそうです。好きな要素が2億5千プラス1であればその人を「好き」と判断するそうです。このとてつもない計算を瞬時にこなし、それが仕草や視線に表れる、考えると気が遠くなりそう。
ところが、最近、これ少し怪しくないですか?メールを打ちながら歩いている人は回りなんて全然見ていません。電車の中で化粧する女性、彼女は近くにステキな男性がいるかも知れない、自分を見ているかも知れないという可能性を全く考えず、工事中の顔をさらしています。近い将来には、カフェで向かい合って座った男女が全く相手を見ず、さっとケータイを取り出して目の前の相手とメールで会話するという状況だって生まれてきそうな現在、仕草や目線のコミュニケーションはいったいどこへ行ってしまうのでしょう?そこら辺りをモリス博士に聞いてみたいですね。博士、もうお年だし忙しいだろうけど、もう一回日本に来てくれませんか?
2002年5月31日 スティーヴ・ハミルトン 「狩りの風よ吹け」
フルタイムのロッジの管理人、パートタイムの私立探偵のアレックス・マクナイトのシリーズ、第三作です。第一作の「氷の闇を越えて」が素晴らしい出来、第二作の「ウルフ・ムーンの夜」がちょっと・・・、この第三作は勝負です。頼むから踏ん張ってくれ!願うような気持ちで手にした結果は、ハミルトン、やってくれました。お見事です。
元マイナーリーグの捕手、その後デトロイトの警官、銃撃でパートナーを失い、その時の形見の銃弾がまだ胸に埋まっているという主人公のアレックス、ミシガン州パラダイスの森の中で、僅かばかりの友人達を相手にお気に入りのカナダのエールを飲んでは暖炉の前で長い夜を過ごす孤独な男です。行きがかり上始めた探偵稼業はまるでやる気なし。ランバージャケットにブルージーンズ、フエルトの内張りのワークブーツ、愛車はオンボロのトラック、銃はどこかにしまってある、でも撃つ気もないしその自信もない。そんな彼の元を突然訪れたのはかつてバッテリーを組んでいたサウスポーの投手ランディー、人当たりが良くて誰でも虜にする魅力の持ち主、一度だけメジャーに昇格し、初回に8点を献上して再びマイナー落ち、今は不動産業を営むという彼からの奇妙な依頼、それは30年前、自分の人生が頂点にあったあのメジャー・デビューの時につかの間の恋に落ちた運命の女、マリアを捜してくれというものでした。
もう結婚しているかも知れない、いや、生きていないかも知れない、でも会いたいんだ、もう一度だけ。何ともロマンチックな依頼主、サウスポーってのはどこか狂っているとぼやきつつ捜査を始めるアレックス、かつてのバッテリーのかみ合わない、しかし信頼に支えられた珍道中は、やがて哀しい結末に到達します。
30年前の運命の女が彼らの前に現れたとき、アレックスを包んでいた思い出と友情という美しい錯覚は跡形もなく消し飛びます。長い歳月のうちに積もり積もった嘘の数々がその重さに耐えきれなくなったかのように。
お前のことなら何でも知っている、お前の知らないことだって知っている、だって俺はお前の球を受けてきたんだ・・・。お前になら何でも話せる、お前のサインには首を振らない、だって俺はお前に球を投げてきたんだ・・・。物語の伴奏を務めるのは野球です。作者の愛情たっぷりの表現が実に優しい。アメリカの国技は本当に愛されているんだって実感します。
考えてみればバッテリーって特別な関係です。二人一緒に打者に相対します。投手は守備陣に背を向けて、捕手はその全身を守備陣に晒した格好で。投手には捕手しか見えず、捕手にはナイン全員が見える。投手の投げる球は時速150キロ、まさに凶器です。それを受け止める捕手の後ろには誰もいません。
投げる者と受け止める者、この関係が皮膚感覚として感じられる細やかな描写、嘘が嘘のままで終わる結末、しかし、そこにいらだちはありません。あるのは哀しい諦観と、それでも流れ続け人をどこかへ運んでいく時間だけ。キレの良い文体とプロットの巧みさ、そしてウィットと独特の上品さ、ハミルトン、巨匠への第一歩を踏み出した予感がします。
2002年4月27日 ローレンス・ブロック 「死者との誓い」
このところスランプ気味だったマット・スカダーのシリーズ、堂々の復活です。元アル中で元警官、現在は断酒中の無免許探偵マットを主人公とするこのシリーズ、最近の数冊は、猟奇殺人だのバラバラ死体だの、ヘビーな展開の割にはマットが冴えなくて辛かったのですが、今回は違っています。
深夜のニューヨーク、公衆電話の前で一人の男が撃ち殺されます。彼は妻と二人、穏やかでリッチな生活を送っている若手弁護士、逮捕された容疑者は近所をうろつくホームレスもどきの男、彼はご丁寧にも薬莢をポケットに入れており、弾道検査の結果はビンゴ。金目当ての行きずりの犯行、警察が泣いて喜ぶ簡単な事件です。弁護士と知り合いだったマットのもとに容疑者の弟から電話がかかります。兄は確かにイカれていた、ベトナムから帰った時からずっとおかしかった、人と接触を持つことができなかったし、着たきりの薄汚れた格好で、彼にしか分からない目的のために町を徘徊していた、でも、金欲しさに人を殺しはしない、そもそも金になんか全く興味がなかったんだ・・・。無駄金使うことになるとマットが忠告しても、弟は引き下がりません。兄のことを思い出にするためにも、納得させてほしいんだ、彼がやっていないと、あるいはやってしまったとしたらなぜなのかを。
やがてマットは奇妙な事実を発見します。やり手の弁護士くん、実にしけた仕事しかしていない、親の遺産も貰っていない、ならば、マンハッタンの豪華なマンションは、金庫の中から発見された大金は、いったいどこから湧いてきた?被害者は彼が妻や回りの人間に信じさせていたような男ではなかった。だとすると、当然、裏の部分でのトラブル絡みの殺人ということに・・・、それはドラッグ?マネーロンダリング?恐喝?
バーボンの代わりにコーヒーを飲みながら、マットは町を歩きます、電話をかけます。並行して彼を取り巻く人間たちの様子が事細かに描かれます。ストリートキッドの自称彼の弟子、元娼婦の恋人、そして癌を患って余命幾ばくもないかつての恋人、絡み合った糸は絡み合ったまま、ラストへ収束します。全てが静かで全てが悲しい、無数の孤独な人間たちの呟きが、まるで降り積もる粉雪のように街を覆っている、奇妙な静けさ。
モティーフとして一つの詩が登場します。『世を去るわれらとの誓いを君が破れば、われらは眠れないだろう、フランダースの戦場に芥子は咲こうと』、死者が残した思いがマンハッタンの町をあてもなく彷徨い、冷たい雨に濡れています。
悪人らしき人間は登場しません。但し、善人も登場しません。それぞれが秘密を持ち、孤独で、孤独であることを受け入れ、しかし、生きている以上、どこかの誰かの心に何かを残していく、たとえ行きずりの赤の他人であっても。それは影のように密やかなものですが、決して消えることはありません。たとえどんな形であっても、死は必ず何かを奪っていきます。その空白を埋めるために、生きている者達は何をすべきなのか?マットは淡々と、しかし決して妥協せずに自分の仕事をこなしていきます。これぞハードボイルドの王道です。
全編を通して静けさと力強さが感じられます。それは死者の残した静けさであり、それでもなお生きていく者の心臓の鼓動の力強さです。ブロック、完全復活・・・か。
2002年4月5日 ロバート・ゴダード 「一瞬の光のなかで」
主人公のイアンはプロの写真家、冬枯れのウィーンを撮影する中で出会った謎めいた女マリアン。イアンはかつて自動車事故で若い女性をひき殺しており、それが原因で妻との関係はギクシャク、一人娘エイミーの存在によって辛うじて維持されていた夫婦関係も、マリアンの登場によって呆気なく崩壊します。あれよ、あれよという間にベッド・インしてしまったご両人、お互いに家庭がある身、全てを清算しての再会を約束します。妻に離婚を切り出し、約束の場所でマリアンを待つイアン、マリアンは現れません。
どうしても彼女が忘れられないイアンは、あらゆる手がかりを求めてヨーロッパ中を奔走します。この男、無駄に行動力だけはある・・・。マリアンが治療を受けていたというセラピストの話から、彼女が写真技術の黎明期に生きた一人の女性と体験と記憶を共有しているというオカルトチックな事実が判明します。ここからがもうガラクタ満載のジェットコースター状態。リインカネーション体験、今では途方もない価値を持つという写真発明当時のネガを巡る争い、殺人、陰謀・・・、過去と現在が併走し、多すぎる登場人物が繰り広げる多すぎる偶然と事件、その根本にあるのは、逆恨みとしか言いようのない何とも説得力の希薄な復讐・・・。
私は本からたくさんの楽しみを貰っている人間です。だから本の悪口は言いたくないのですが、これは失敗作です、そうとしか言いようがない。家庭も仕事も失ってなお忘れられない女を追い求めるイアン、彼のやさぐれ必死男ぶりが主題のサスペンス・ロマンだったら良かったのに。突然に大昔の知らない女と人格と経験を共有するマリアン、彼女の時を超えた旅が主題のサイコ・スリラーだったら良かったのに。写真のネガという意外なものの価値を巡る騙し騙されのコン・ゲーム、金に目がくらんだ男たちの欲望が主題のトラベル・ミステリーだったら良かったのに・・・。
ストーリー・テラーとして評価の高いゴダード、確かにお話はうまいです。でも書き過ぎです。一冊の物語に3、4冊分のストーリーを詰め込んでしまいました。一つ一つの素材は最高の美味だとしても、それをごちゃまぜのチャンコ鍋にしてしまったら、本来の風味なんてもう分かりません。
文庫本で上下2冊、途中でもう読むの止めようと何度思ったことか。最後まで読んだのは、残念ながらゴダードの手腕ではなく、私が貧乏性だからに過ぎません。ところが、最後に待っていたのは、何とも後味の悪い結末・・・、せっかく無理して読んだのに、これはあんまりです。
半ば過ぎにとてもきれいなシーンが登場します。マリアンを探し求めるイアンの前を足早に通り過ぎていった少女、麦藁のカンカン帽に紺色のドレス、何とも古風な制服姿の少女がさっと振り返って彼を見つめ、そして通りの向こうに消えていきます。直後、イアンは気付きます、今はイースターの休暇中、制服を着た少女なんているはずがない、第一、あの古めかしいスタイル・・・。この少女の幽霊の場面が実に印象的で映画のワンシーンのように美しいのですが、残念ながら、この後の展開には何の関係もないただのサービスショットでした。ゴダード、名人ゆえの失敗作・・・だったようです。
2002年3月4日 ウォーリー・ラム 「人生におけるいくつかの過ちと選択」
100%幸せな人なんていません。100%幸せであるということだって、考えようによってはとてつもない不幸です。主人公ドロレス(悲しみという意味)の人生は小さな不幸がたくさん詰まっています。誰にとってもそうであるように。
一面で優しくはあるけれど、根本的に無責任でいい加減な父は、お金持ちの未亡人と不倫した挙げ句に家を出てしまいます。生活力のない母は、信仰でガチガチ、独善的な祖母の「抑圧の家」に転がりこんで、女3人の貧しい生活が始まります。不器用な性格のせいか、転校した先で虐めにあうドロレス、失った時間を取り戻そうとするかのように突っ走った挙げ句に精神の均衡を失って正気をなくし入院する母、テレビの前なら安全とばかりに外の世界を拒絶する祖母、そして閉じこもる自分に嫌気がさして何とか外の世界と接触を持ちたいと一歩踏み出した13歳のドロレスをレイプする間借り人。ドロレスはあらゆる種類のジャンクフードを詰め込みます。大量の脂肪を蓄えます、厚い脂肪の壁が自分を守ってくれると信じているかのように。
母が交通事故で死にます。ドロレスは思い切って「抑圧の家」を出て大学に入ります。そこでもやはり孤独、脂肪の壁は彼女を守っているのか、閉じこめているのか・・・。太っているというだけで自分を軽蔑するルームメイト、そんな彼女の恋人からの手紙を盗むことで復讐するドロレス。やがて脂肪の壁から抜け出ることに成功し、痩せた彼女は、恋をし、結婚をし、しかし、離婚し、職を失い、彷徨い・・・。再び自分を奮い立たせて夜学へ通い、絵を描き、本を読み、また新たに恋をし、しかし・・・、延々と続く何でもない日常の底の知れない恐ろしさ。
再生しては(破壊されるではなくて)破壊するを繰り返すドロレスは、決して犠牲者ではありません。彼女は加害者でもあります。効果を計算した上で人を傷つけることも、盗むことも、騙すこともやってのけます。その動機が自己を守るためであっても、いくらでも言い訳ができるとしても、ドロレス自身が傷つける者であることには変わりがない、その加害者性によって犠牲者という仮面すら危うくなっていく。では、自分とは何者なのか?
重たいテーマを、細やかな描写と時代を切り取る様々な小道具(音楽、テレビ番組、ニュース等々)で包み込んだ文章の巧みさがお見事です。私だってこんなことやったことがある、こんな気持ちになったことがある、誰の中にも眠っている小さな傷の一つ一つを優しく覚醒させる手腕、この作者は、見たこと、感じたことを決して忘れず、その時の感情と共に再現することができるという、希有の記憶力の持ち主のようです。
人生をやり直せたらと思ったことがない人はいないと思います。でもやり直せたところで、また同じことをやるのが人間であるような気もします。モティーフとしてクジラが登場します、何度も何度も。海から進化し、ほ乳類として存在しながら、結局、生命の源である海へ帰っていったクジラ、回帰することの安らぎと哀しさの象徴としてのクジラ・・・、ラストでドロレスはそのクジラに遭遇します。「わたしは叫ぶ。『見たわよ!』」・・・
800ページ超という大作です、簡単に読み通せる内容でも分量でもありません。有無を言わせずに時間をかけて読むことを要求される、そしてそういう読み方が相応しい作品です。
2002年2月7日 ケン・フォレット 「コード・トゥ・ゼロ」
愛があって、裏切りがあって、陰謀があって、使命があって、そして何よりも国家という人間が作り上げた組織の非人間性がある、例によって欲張りなフォレットの新作です。
ボロをまとって公衆トイレで目を覚ました主人公、二日酔いらしく頭がガンガン、気持ちが悪くて足元フラフラ。鏡を見ればどう見たってホームレス・・・参った、飲み過ぎたらしい、トイレで寝込むなんて・・・。飲み過ぎた?飲んだ記憶がない、俺の名前は?俺は誰だ?何も思い出せない・・・。一気に引き込まれる幕開きです。ホームレス仲間らしい男が自分をルークと呼ぶ、じゃ、俺はルークか?教会で無料の食事にありついた主人公は、そこで1958年の日付の新聞を見つけます。一面のトップ記事は、米ソの宇宙開発競争に関するもの、なぜかそれが心に引っかかる。クロスワードパズルに挑戦すればすらすらと解ける。俺は教育があるらしい。ヒントを求めて町を歩くと尾行されていることに気付きます。誰かが俺を見張っている、いや、なぜ俺は尾行を見破ることができた?俺はこの手の知識をどこで得た?
見失ってしまった自分を探して主人公が彷徨する現在、それと同時進行で1940年代が舞台の過去の青春ドラマが被ります。愛があって、友情があって、希望があって、失意があって、せっかちな理想がある、そんな眩しい世界。
冷戦の真っ直中、米ソはそれぞれ国家の威信を懸けて必死に宇宙を目指しています。ソヴィエトはさっさと人工衛星の打ち上げに成功、人間を宇宙へ飛ばす前段階として犬を乗せたロケットの打ち上げにも成功。焦るアメリカは最初の人工衛星打ち上げに失敗、もう後がない、もう失敗は許されない、そんな時代が舞台です。地球の至る所で覇権争いを繰り広げた挙げ句に、宇宙にまで覇権を求める国家のエゴ、そのお先棒を担ぐCIAとKGBの血に染まった手、同じ大学で学んだ親友たち、恋人たちがその手に絡め取られていきます。アメリカのロケット打ち上げまでタイム・リミットは48時間、厳戒態勢のケープ・カナベラルを中心点として、内部にいる裏切り者とそれを追う主人公、そして、フォレットの作品のお約束、タフでクールな女性たちがジェットコースター状態で疾走します。そのスピード感は最後まで失われません。反面、ラストの甘さというか、ご都合主義はいささかつらいです。これだけ複雑に絡み合った人間関係において、人が無傷でいられるはずはないと私は思うのですが。
一番面白いのは、失われた記憶を求めて町をうろつく主人公の細やかな描写です。アル中のホームレスらしい、そう見える、でももう午後なのに酒を欲しいとは思わない、じゃ、俺はアル中じゃないんだ。必要にかられて鮮やかな手口で他人のスーツケースをかっぱらう、キーなしで車のエンジンをかける、こんなことどこで習った?図書館で片っ端から本をめくります。数学の本では整数論が理解できる、物理の専門書はとても面白い、一つ一つの可能性を試しつつ自分を探していく過程が実にスリリングです。記憶を失った場合の実践的なマニュアルになっています。もしも、あなたが記憶を失ってしまった場合には、これ、絶対に役に立ちますよ。ま、そんなこと、まずないでしょうが・・・。
ところで、私がどうにも気になったのは、ロケットに乗せられた犬のことなんですね。あの犬、回収されたとは聞いていません。あのまま宇宙を彷徨い続けているのでしょうか?真っ暗な宇宙で死ぬまでたった独りぼっちだった犬のことを考えると、涙が出てきます。
2002年1月10日 ジョージ・P・ペレケーノス 「曇りなき正義」
大好きなペレケーノスの待望の新作です。ワシントン・サーガと呼ばれた4部作、ワシントンDCを舞台にギリシャ系移民の男たちの織りなすハードボイルドの世界が完結し、いよいよ新シリーズ(になるんだと思う)の登場です。
パトロール中の白人警官テリーは、白人男性に銃を突きつけている黒人の男に発砲し、殺してしまいます。男は非番の警官クリスでした。ワシントン市警は人種絡みのスキャンダルを恐れ、原因はクリスの理由不明の暴力、それに反応したテリーの行為は警官として正当な行為であると結論を出し、事件に蓋をしてしまいます。殺されたクリスの母は黒人私立探偵デレク・ストレンジに息子の名誉回復を依頼します、あの子は訳もなく暴力を振るう子じゃなかったの・・・クリスが白人だったらテリーはあの子を撃ったと思う?事件後、警察を辞めて今では中古の本とレコードを扱う店の店員(レジに座って一日中大好きな西部劇を読んでいるらしい)をしているテリーを訪ねたデレクは、テリーの中に無意識の人種差別が巣くっていること、それにもかかわらず彼の行為は警官として間違っていなかったことを確信します。行きがかり上一緒に調査を進めることになったデレクとテリーは、クリスがドラッグにどっぷり浸かった挙げ句に行方不明になった妹を捜していたことを知ります。この事件と並行して麻薬組織の犯罪が同時に進行します。二つの事件はやがて重なり合い、意外な結末へ。
全編を通してぴりぴりした緊張感が続きます。デレクとテリーはお互いに些細なことで肌の色が違うことを意識します。車の中で聞く音楽のテープ、行きつけのバー、ちょっとした言葉遣い・・・もう、これしんどいなぁと感じる反面、差別の問題がいかに根深いものであるかをひしひしと感じます。この作品のテーマは麻薬でも警察の腐敗でもなく、差別なのです。デレクとテリーの二人は年格好といい雰囲気といい、「リーサル・ウェポン」のダニー・グローバーとメル・ギブソンって感じなのですが、脳天気なハリウッド映画と違ってその印象はずっしりと重たい。
ワシントンDCというペレケーノスのお約束の場所設定ですが、ニューヨークやLAと違って、首都であるというか、首都でしかないこの町のある種の田舎臭い雰囲気も相変わらず良く出ています。ホワイトハウスがあり、連邦議会があり、最高裁がある町、政治家とお役人がうじゃっと住んでいる町は、同時に人種差別と麻薬汚染の町でもある、そんな町が大好きで離れられない、大嫌いだけど離れられない、ほんのチョイ役にまでペレケーノスの細かい目配りが光ります。
テリーと魅力的な黒人女性との恋の行方、デレクとバツイチ子持ちのジャニーンの思いやりに溢れる大人の関係の行く末、シリーズが進むにつれて明らかになっていくのでしょうが、ペレケーノス一流の優しさと哀しみがしっかりと伴奏を務めています。
しかし、裏表紙の紹介文がひどすぎる。「欲望が渦巻き、銃弾が飛び交う町」ってどこが?「正義を貫く男の挽歌」って誰が?これ書いた人、あなた、この本読んでないでしょ?