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2000年12月26日 大晦日
2000年12月17日 似合わない
2000年11月15日 スーパーマーケットに行けなくなる日
2000年10月20日 お手上げだよ、ワトソンくん
2000年9月27日 秋刀魚
2000年8月28日 国勢調査
2000年8月18日 よりによって何でレストランをやる?
2000年8月10日 うるさい雑誌
2000年7月22日 暑い時はカレー
2000年7月13日 勘違い
2000年7月7日 ゲームの結末
2000年6月22日 野球の季節
2000年6月2日 憂鬱な季節
2000年5月11日 サザエさんの憂鬱
2000年5月1日 一方的な情報公開
2000年4月7日 足音
2000年4月2日 幸せのグリーンピース
2000年3月17日 包む
2000年3月4日 お醤油賛歌
2000年2月20日 プロはカッコいい
2000年2月15日 些細なことが気になって・・・
2000年2月5日 「最高のソース」を試す
2000年1月20日 哀しきトレンチコート
2000年1月10日 頑張るのも程々に



Leaf2000年12月26日 大晦日

 いつの頃からか大晦日というのが特別な日ではなくなりました。
 子供の頃の大晦日、そんなに遅くまで起きていることがないので、頭は少々ぼんやりしているのですが、深夜の静けさと暗闇が珍しくて、1年が終わってしまう、もう取り返しがつかないんだ、どうしよう・・・という喪失感と、新しい年が向こうからやって来るという期待感がごちゃ混ぜになった緊張感があったものですが。
 丁寧に掃除を済ませてさっぱりとした部屋で年越し蕎麦を食べるのは大好きです。この蕎麦の由来は色々あるみたいで、

蕎麦は細くて長いので、寿命が伸び、子供の場合背が伸びるようにと願って。
蕎麦には体内浄化作用があるので、体の中をきれいにして新年を迎えるために。
今から700年くらい前(鎌倉時代かな?)に博多に住んでいた貿易商が貧しい人たちに蕎麦がきを振る舞ったところ、翌年からみんな運が良くなったから。
江戸時代、金座の床に飛び散った金粉を集めるのに蕎麦団子を使ったので、お金が集まるようにと、等々。

 年越し蕎麦となると地方によって色々なしきたりがあるのでしょうが、私は暖かい部屋で冷たい盛り蕎麦を食べるのが好きです。

 それから一家揃ってテレビというのが普通でしょうね。恒例の某放送局の「紅白歌合戦」という番組、私はこれをちゃんと見たことがありません。第一に、出てくる歌手も歌もほとんど知らない(歌謡曲って好きじゃないんです)、第二に、何で男性と女性に分けて番組を進めるのか理解不可能(歌を歌うというケースで男女別に分けることに、いったい何の意味があるのでしょう?)、第三に、何で勝敗をつける必要があるのかも理解不可能(あらゆるジャンルがゴッタ混ぜの歌の優劣をどうやって決めるんですか?)。世の中には私には理解できないものがたくさんありますが、この番組もその一つです。
 たいていはぼんやりと好きな音楽を聴いていたり、本を読んでいたりですね。毎年同じ顔ぶれで(家族ですからそうそうはメンバー・チェンジはありませんよね)、去年と同じことをしている、多分同じようなことを喋っている、最近は「これって去年の大晦日のビデオ録画を見ているんじゃなかろうか?」と思うこともありますが、このマンネリがまた大晦日の魅力なのでしょう。



Leaf2000年12月17日 似合わない

・都営地下鉄大江戸線
 って新しい地下鉄ができました。練馬区の光が丘団地を出発して、都庁前を経由、新宿・六本木を通って一周した後、再び都庁前に戻って一旦終点、それから、都庁前で折り返して、さっきとは逆のコースを通って光が丘へ、という何かえらいややこしい路線です。路線もややこしいけど、この「大江戸線」ってネーミング、これがまたややこしい。名前からはどこを走っているのか分からないからです。
 東西線は東から西へ、西から東へ走っているであろうと想像できます。銀座線ならどこかで銀座を通過するであろうと想像できます。でも大江戸線という名前からは何の情報も伝わってきません。大江戸という駅もないし、だいたい大江戸って一体どこを指す言葉なのでしょう。
 スナックの店名じゃあるまいし、ウケを狙って変な名前をつけるのは公共の交通機関としては止めて頂きたいです。「都庁環状線」あるいは「光が丘線」でいいじゃないですか。

・ジョージ・ブッシュ
 最近よくニュースでお見かけ致します。この方、テキサス州の知事さんだったそうで、カジュアルな格好が多い。ブルー・ジーンズにワーク・シャツ、カウボーイ・ハットってスタイルを見ましたが、これが全然似合っていない。この方は、お顔を拝見する限り、とても神経質で都会的な人ではないかと思うんですね。テキサスという場所柄、地元へのアピールのためなのでしょうが、到底カウボーイというタイプには見えません。足下もブーツで固めていますが、牧場を歩いていて牛のウンチでも踏んでしまったら、すっごく嫌がるタイプに見えるんです。むしろ仕立ての良いスーツを着てニューヨークかボストン辺りを歩いている方が似合っていると思います。しかし、政治家って大変ですね。

・「AERA」の新聞広告の駄洒落
 週刊誌「AERA」の広告には、いつも必ず左端に駄洒落が書いてあります。あれ、何か意味があるのでしょうか?面白ければサービスともとれますが、これが全然面白くない。私の想像では、お堅いイメージの朝日新聞ということで、何とかソフトなイメージが欲しいということになって、日頃から駄洒落に自信ありと勘違いしている中間管理職のおじさん(このおじさんの駄洒落は非常にお寒いのですが、周りが気を使って笑って上げるものだから、本人はすごく面白いと思い込んでいる)が毎週ひねり出しては、一人で喜んでいる。周りの人間はもう止めてほしいんだけど、誰も言い出せない、という光景です。違うかな?朝日新聞は確かにお堅いイメージです。「リベラリズムの牙城」という雰囲気があります。それでいいじゃないですか。「お堅くって分からない?だったらお前らもっと勉強しろ!」、「楽してて、俺らの書く記事が分かると思うなよ」、これでいいんですよ。変におもねるのはやめて頂きたい。ジャーナリズムの衰退はおもねることから始まるからです。



Leaf2000年11月15日 スーパーマーケットに行けなくなる日
 
 私がいつも買い物に行くのは駅前の大型スーパーです。これ以外にはコンビニしかありません。ある日のこのスーパーの光景、入口のところである化粧品メーカーがワゴンセールスをやっています。新製品のCMソングがラジカセからガンガン響いています。入口を入ったところでは何やら和菓子の実演販売、トンチャカトンチャカといった感じのお囃子風の音楽が鳴り響いています。入って右手の奥にはパン屋さんがあって、そこではシャンソン風というかフランス風の音楽が鳴っています。魚売り場では「本日のお薦め」としてカキが上がっており、今夜は家族でお鍋を囲みましょう!と男性のアナウンスの声(当然BGMつき)の録音テープが回っています。その奥の肉売り場では国産和牛大安売りとかで100グラムいくらとか十勝産の牛がどうしたとか、これも音楽つきでテープが怒鳴っています。その手前には「北海道うまいもん市」という特設コーナーがあってこちらはソーラン節(だと思う)、洗剤売り場では小型のテレビデオが置かれていて、新製品の衣料用洗剤のテレビコマーシャルがエンドレスで流れています。そしてもちろん店全体に響いている音楽(この日はSMAPのヒットソングのメドレーがノンストップでした)・・・。

 何もかもが大音量でメチャクチャ、店を出るまでの間、この音の洪水を浴び続けなければなりません。例えれば、レストランに入って本日のランチを注文したところ、キノコの炊き込みご飯の上にナマクリームとイカの塩辛とチョコレートシロップをかけたものと一緒に、こしあんとキムチの味噌汁が出てきたようなもんです。生身の人間が怒鳴っているのでしたら、そのうち疲れるとか声が枯れるとかすると思うのですが、全部機械ですから全く休みなし、元気いっぱいの大音量。お店の方では売れればそれでいいのでしょうが、スーパーマーケットというのは歴とした客商売でしょう?この音の暴力のどこに「客商売」の基本である心配りがあるのでしょうか?私には「おまえ、二度と来るんじゃない!」と言われているように感じられます。事実、最近はこれが苦痛です。近い将来、私はスーパーに行けなくなるという予感がします。そうなったらどこで買い物をすればいいのでしょう?これは(私にとっては)深刻な問題です。

 
 ついでですが、窓を全開にして音楽をガンガン鳴らして走っている車というのを交差点などでよく見かけます。あれどういうわけかハードロックか例の「ンチャ、ンチャ」というリズムのレゲエ、そうでなければラップと決まっています。これが不思議ですね。たまには大音量で「トスカ」を鳴らしているホンダとか、ボリューム全開でエリントン・オーケストラの「A列車で行こう」を聴いているベンツとかに出会ってもいいと思うのですが・・・。何か私の知らない法則が働いているのでしょうか。


Leaf2000年10月20日 お手上げだよ、ワトソンくん

 自信家で自己顕示欲が強く、芝居がかったことが大好きなシャーロック・ホームズは、初対面の依頼人に対して、その持ち物や身体の特徴、癖から職業や経歴をズバリと当ててみせ、相手を唖然とさせるという悪戯をよくやります。ワトソン博士との出会いにしても(「緋色の習作」)、日焼けの具合や身体の特徴から「アフガニスタンから帰還した軍医」と当ててみせます。その他にも、質屋のおやじを元々は手仕事(船大工)をしていた(「赤毛組合」、右手が左手よりも一回り大きいことから)とか、若い女性を近眼のタイピスト(「花婿失踪事件」、鼻に眼鏡の跡があり、服の袖口にタイプライターに押し当てた筋状の跡があることから)とか。持ち物からでも、忘れ物のパイプからその持ち主を裕福な男(「黄色い顔」、高いお金をかけて丁寧に修理されたパイプと高価なタバコの灰から)とか、拾った帽子からかつては羽振りの良かった、今は零落した男(「青いガーネット」、数年前に流行した型の高級品の帽子が手入れされていないことから)等々、この手の導入部分は彼のお得意です。圧巻は、「緋色の習作」の中で、通りを歩いているメッセンジャーを窓から眺め、「海兵隊の退役兵曹」と無造作に呼んでいる箇所です。この場合は、頬髭のスタイル、頭の傾げ方、杖の振り方等から推理しています。

 ヴィクトリア朝のイギリスでは服装や持ち物は階級によってしっかりと決まっていました。中産階級の場合には、男性はフロックコートに山高帽(夜の外出はシルクハット)、女性は腰にクリノリンやバッスルを入れて大きく膨らませた足首までのスカート、夏でも当然長袖で手袋は欠かせない、という具合。要するにロンドン中、皆同じ格好で歩いていたわけです。ディア・ストーカーを被りインバネスコートを羽織るというホームズのトレードマークの服装、実はホームズがこのスタイルで登場したことは一度もありません。強いて言えば「長い旅行用の外套と布製のぴったりとした帽子」という「ボスコム谷の惨劇」での装いがそれに当たると思います。でもこの服装は、彼が当時のロンドンにあって反逆児であったことを物語っていて、これも立派な彼の個性の表れでしょう。皆同じ服装にもかかわらずホームズの推理が的中するのは、この時代の個性というものが、長い時間をかけて醸し出される本当の個性であったからでしょう。

 ホームズの愛読者なら、この手の推理を一度はやってみたことがあると思います。私も何度かやってみました。これが全然ダメなんですね。眼鏡の跡がないからといって目がいいかというと、そうはいかない、コンタクトレンズというものがあります。身体にまで職業の痕跡が残るような仕事は、今日ではごく限られた職人さんの世界にしか残っていません。日焼けしているからといって野外で活動する人とは限りません。どこかの日焼けサロンで寝ころんでいた結果ということもあります。電車で見るスーツを着た多くの男性、日経新聞を読んでいるから銀行員とは限りません。オンライン・トレードをやっているフリーターかも知れません。一方で、一流銀行のバッチをつけて漫画雑誌を読みふけっている人だってたくさんいます。高価なブランド品で身を固めているからといって、お金持ちの奥さんとは言い切れません。カード破産寸前の女子大生かも知れません。
 ホームズの時代、個性というものは長い時間をかけてその人の身体や動作に染みつく、その人の身の丈に合ったものだったんですね。今では個性を手に入れることは簡単です。そして簡単に手に入るインスタントの個性には、その人の歴史は表れません。それは一種の仮面、いつでもどこでも着脱可能な個性でしかありません。
 「今度ばかりはさすがの僕も参ったね、お手上げだよ、ワトソン君」、そんな彼の声が聞こえてきそうです。


Leaf2000年9月27日 秋刀魚
 
 秋になってうれしいことがたくさんあります。私は暑いのが苦手ですので、空気がひんやりとしてくるとそれだけで十分幸せです。それに加えて、魚屋さんの店頭に秋刀魚が登場します。これはうれしい。
 魚の一番美味しい食べ方は何か?お刺身も美味しいしお寿司も美味しい。干物にすると身がきっちりと引き締まって噛み応えがあり、舌に加えて顎でも美味しい、生姜を添えた煮魚もいける。でも、一番美味しいのは何と言っても焼き魚でしょう。

 お魚の大好きな人たちの文化圏では必ず焼き魚が登場します。イタリアやギリシャではたっぷりのオリーブオイルで、あるいはさっぱりと網焼きにした魚にさっとレモンやライムを絞って食べますし、我が日本では塩を振って強火の遠火でかりっと焼き上げてお醤油をかけて食べる・・・、このシンプルな美味しさを一度知ってしまったら、テリーヌだの何とかソース添えだの、パイ包みだのフライだのは、もうあっち行ってなさいって感じです。

 たいていの魚が一年中出回っている中で、秋刀魚は秋になるときっちりと登場するというところも好きです。待ってました!って声をかけたくなりますね。銀色に真っ直ぐ伸びた姿も美しい、「秋刀魚」という漢字を当てた人は素晴らしいセンスの持ち主だと思います。この秋刀魚、家庭で焼く場合には少々長すぎるのが難点で、たいていは半分に切ってしまうのですが、これは是非一度姿のまま焼いてみたいと思っています。
 家では魚を焼かないという人が最近は多いようです。曰く、台所が匂う、煙がたくさん出る、後の掃除が面倒くさい・・・、美味しいものを食べるのですから、少々の面倒は知恵と気力で乗り切りたいと思います。匂うって、匂いも味のうちです。香ばしい焼き魚とお醤油の香りくらい食欲をそそるものはありません。煙がたくさん出る(特に秋刀魚は)ったって、焼けば煙が出るのは当然です。マンションなどでは近所迷惑になると気にする方もおられるようですが、日本人が魚を焼かなくてどうするんですか?だいたい秋刀魚が焼けないような構造の家には日本人は住んではいけないのです。マンション業界の方々は是非ともご一考下さい。
 高価な「無煙グリル」などなくても秋刀魚を焼くことはできます。私が採用している方法ですが、数枚のタオル(商店からお年賀で貰ったり、温泉旅館に置いてあるような薄い安物で十分)を濡らして軽く絞ります。これをクリーニング屋さんでもらう針金ハンガーに掛けて台所のあちこちに吊します。濡れた繊維は煙や匂いを大量に吸い込みます。これを利用するのです。窓を開けて換気扇を回して秋刀魚を焼きます。魚というのは「大名に焼かせろ」と言われるくらい、一度網に乗せてしまうとあとはすることがあまりありません。この暇な時間にですね、また別の濡れタオルを頭の上でブンブンと振り回すんです。見る見るうちに煙が消えます。匂いもかなり吸収します。美味しく食べた後はタオルはそのまま洗濯機に放り込めばお終い。是非お試し下さい。


Leaf2000年8月28日 国勢調査
 
 今年の10月1日に国勢調査が行われるそうです。確か5年に1回だったかな?私はなんでこんなもん実施するのか、未だに分かりません。
 そもそも国勢調査とは何か?統計法第4条第1項に定義されていました。「人口に関する全数調査」であると書いてあります。人口調査ならこんな面倒なことをしなくても、自治体の住民票の人数と入国管理局の外国人登録の人数を足し算すれば、それでいいんじゃないですか?防人に取られるわけじゃあるまいし、班田収授の法があるわけでもないし、今時出生と死亡を届け出ない人なんてごくごく僅かでしょう。
 調査項目も摩訶不思議なシロモノです。「氏名」「性別」「生年月日」「世帯主との続柄」「現住所の居住期間」「その前の居住地」・・・これは全部役所の住民課にデータがあります。「在学、卒業状況」・・・文部省にデータがあります。「就業状態」「事業所名」「家計の収入」・・・税務署がばっちり追いかけているはずです。「通勤・通学手段と経路」・・・運輸省の交通調査を見れば分かります。「住居の種類」「床面積」「建て方」・・・法務局へ行って登記簿見ればいいんじゃないですか?

 全部どこかにちゃんとデータがあるものばかり。こんなことを調べるのに税金が数百億円もかかるらしいですし、昼間誰もいない家や長期旅行中の人のところにせっせと何度も足を運ぶ調査員は100万人だそうです。
 まず最初に氏名と電話番号を記入する欄がありますが、これからして気に入りません。「人口調査」なんだから、私は「一人」でいいわけで名前がなぜ必要なのでしょう。電話番号なんてもっと必要ない。個人の秘密は守られるのでしょうか?統計法第15条第1項には「統計上の目的以外に使用してはならない」と書かれています。しかし、法律には必ず抜け道があります。お隣の第2項を見ると「前項の規程は総務長官の承認を得て目的を公示したものについてはこれを適用しない」・・・ほらね。昨今のお上のやっていることを見ると、これは到底信用できません。

 調査員がご近所さんというのも問題です。失業していることを内緒にしている人、一緒に住んでいるけど婚姻届は出していないカップル、養子であることを子供に告げていない親、ホントは中卒なんだけど一流大学卒って言っちゃった人、お稽古ごとと言いつつ実はパートに出ている奥さん・・・人にはそれぞれ知られたくないことってあると思うんですね。そして他人の秘密というものは、そっとしておいて上げるものだと思うのです。
 回答を拒否したりデタラメを書いた場合の罰則規定まである(第19条)のですが、デタラメだってどうして分かるのかしら?分かるくらいなら調査は必要ないでしょう。そりゃ、15人家族で、全員失業中で、学歴は幼稚園中退で、収入源は競馬とパチンコとカツアゲ、なんて書いてあればデタラメでしょうが、住所も名前もデタラメだったら誰が書いたかなんて分かりっこないでしょう?
 こんなことに使うお金があるなら、もっと他にお金を必要とすることがたくさんあると思います。


Leaf2000年8月18日 よりによって何でレストランをやる?
 
 先日、あれこれの用事をこなして町を歩いていて、気が付くと1時を回っていました。お腹が空いたので、初めて入るイタリア料理の店に入りました。まだ出来て間もない感じのお店ですが、メニューも基本的なところは押さえてあります。注文したのは「シチ」と呼ばれる牛肉の煮込みを載せた濃厚なパスタ、私は普段は魚が好きですが、このところ夏バテ気味でしたのでスタミナを付けようと思ったわけです。
 出てきたパスタが超絶的なシロモノでした。空前絶後というか天地驚愕というか・・・いったいどうやったらこんなに不味く作れるのか、一度シェフと酒でも飲みながら話を聞いてみたい、真剣にそう思いました。まずパスタは30分は茹でた(私はそんなに茹でたことないので分かりませんが)という手間のかかった逸品、フォークで巻き取るうちに千切れてしまう。上に乗った肉は逆に筋だらけ、いくら噛んでも噛みきれないという見事なアルデンテ、絡まったソースは味がまだら模様、食べる場所によって塩辛かったり甘かったりというびっくり箱のような凝った工夫、おまけに全体が出てきた時から既に冷めている(夏だから冷たくしてくれたの?)、サラダは昨年から盛ってあったみたいで、キュウリもレタスもサハラ砂漠の忘れ物のよう・・・。どうにもこうにも食べられず、途中で諦めてお勘定を頼みました。お値段1500円、大したものです。先週家が火事になって、旦那が他の女と駆け落ちして、預金していた銀行が破産して、ペットのハムスターが自殺して、自分は午前中に歯科医で歯を3本抜いてきた・・・としか思えない不機嫌のどん底の表情をしたウェイトレスに一言、「これメチャクチャ不味いですよ」と言いますと、「じゃあ、お金いいです」と来た。この「じゃあ」で私はきれいにキレました。じゃあってなんじゃい!それが客に対してきく口か?私はタダ飯たかりに来たんじゃない、まともな食事がしたかったからここに入ったんだぞ!一言「申し訳ありません」が言えないのか?どこがどう不味いのか聞こうとは思わないのか?1500円プラス消費税(ちゃんと納税しろよ!)を払って店を出ました。

 料理とは要するに「美味しいものを食べさせたい」という作り手の気持ちを頂くものです。少々不格好でも、レシピがいい加減でも、何が何でも美味しいもの作って食べさせたい、そして美味しいって言わせたい、その気合いさえあれば、材料が貧弱でも道具が安物でもちゃんと美味しいものが出来上がります。お母さんの料理が美味しいのはそこなんです。最近料理人をタレント扱いする風潮のせいか、企業のリストラのせいか、地価と金利が下がったせいか、安直にお店を出す人が増えました。何やっても勝手でしょうが、「美味しいものを食べさせたい」という愛情のない人は料理店をやってはいけません。手先の不器用な脳外科医、方向音痴のタクシードライバー、高所恐怖症の窓拭きと同じ、自分も回りも不幸になります。他の職業を探すべきです。イスラエルのモサドだって一般募集を始めたことですし、かのレストランのシェフはどこかの諜報部に毒殺要員として採用してもらえるかも知れません。


Leaf2000年8月10日 うるさい雑誌
 
 
本屋さんの店頭や新聞の広告を見て、「これ、うるさいなぁ」と感じる雑誌があります。相手は活字なので音なんて関係ないのですが、見ていると「うるさい」という表現しか出てきません。
 いつもどういうわけか並んで新聞広告が掲載される「安○」と「壮○」という健康雑誌(というジャンルがあるのでしょうか)があります。この二つ並びがうるさい。方や「かかと落としで痩せる」「焼き梅干しダイエット」「タマネギ・・・大反響」「足の裏たたき」「ズドン!と効く!野菜ジュース」、此方「・・・激減!緑茶の青汁」「プラセンタ(何だ?)美容」「爪もみ療法・・・全国騒然」「キャベツダイエット」、よくもこれだけ並べられるものです。全部を実行すれば健康な人も間違いなく病院行きになると思います。
 これも双子だと思うのですが「Big ○omorrow」(男性向け)と「SA○」(女性向け)という雑誌、これも結構うるさいです。こうすれば絶対成功する(読んだ人間全員、いえ半分がやったら絶対に成功しないと思う)とか、こうして私はビッグになった(あっそ、良かったね)とか、こうすれば彼氏をゲットできる(ライバルも同じ記事読んでたらどうなるの?)とか、彼女を突然嫌いになったわけ(そんなもん人それぞれでしょうが)とか、そんなにあくせくしなくてもいいじゃないと言いたい。だいたい、情報というのは限定された範囲で共有されるから価値があるのであって、こんなに大声(と感じられる見出し)で叫んで大勢に知らせてしまったらもう無価値なんです。それに本当にお得な情報というのは他人には教えないものでしょう。

 雑誌のタイトル自体もかなりうるさくなってきました。特に女性雑誌、英語のタイトルが出尽くしたのか、フランス語、イタリア語のタイトルがずいぶんと増えました。なぜかドイツ語は見当たらないのですが。その内にスペイン語、ポルトガル語、ロシア語と増えていって、最後にはウズベキスタン語やコンコンバ語まで行って終わるのでしょうか。

 本屋の店頭にずらりと並んだこれらの雑誌を見ていると、何だか小さな猿が大勢ひしめきあってキーキー騒いでいるようで、本当にしみじみと「うっせぇなぁ」と感じます。で、その前を力無く通り過ぎ、奥の方、辞書の棚の前辺りでホッとする・・・広辞苑、コンサイス、ずっと変わらない、いつも同じ、なんて清々しいんだろう・・・、これ、結構疲れます。


Leaf2000年7月22日 暑い時はカレー
 
 「カレーライス」と「ライスカレー」はどこが違うのか?これ、気になったことありませんか?調べてみました。PHP研究所の「違いのわかる辞典」によりますと(例によって立ち読み・・・すんません!)、カレーとご飯が別々に出てくるものがカレーライス、最初からご飯の上にカレーがかかって出てくるものがライスカレーなんだそうです。レストランで銀色をしたアラジンの魔法のランプみたいな格好の器(あれ、何ていうんでしょうね?)からルーをすくって食べる場合と、家でお皿に盛りつけて食べる場合で呼び方を使い分けるらしいです。

 本式のインドのカレーというのは専門店まで出かけないと食べられません。普通のレストランや喫茶店のメニューでお馴染みのカレー、家で作るカレーを現在の形にしたのは、インドを植民地にしていたイギリスだそうです。シャーロック・ホームズにもカレーは2回(だと思う)出てきます。「白銀号事件」では、名馬をさらった犯人が厩舎の人間を眠らせるためにカレーに鎮静剤(阿片)を入れました。ホームズは、匂いのきつい阿片を混ぜるのにうってつけのカレー料理(この時はマトンのカレーでした)、どうして犯人にはその夜の献立がカレーだと分かったんだ?というところから推理して、内部犯行を見破ります。もう一回は、「海軍条約文書事件」、事件が無事解決した後、取り戻した大切な書類を朝食のお皿に盛って出し(ホームズはこの手の悪ふざけを時々やります)、依頼人をびっくりさせるシーンでカレーが出てきます。朝食からカレー?と驚きましたが、当時のイギリスでは別に珍しくもなかったようです。事件が起きたのが夏の盛りだったというところがミソです。冷蔵庫のない時代、少々古くなった肉や野菜を何とか食べてしまうには、香りの強いカレーが最適だったというわけです。ちなみにこの時のカレーはチキン・カレーです。

 家で作るカレー、これはそれぞれの「我が家の伝統」というものがあります。たまによそでカレーをご馳走になると、ふ〜ん、こんな味かぁ、これもいけるなぁ、とても新鮮な気持ちになります。私はお醤油が好きですので、カレーの味付けにもお醤油を使います。野菜を煮込む時にお醤油を垂らすのですが、できれば前の晩から人参やマッシュルームといった味の染み込みにくい野菜をお醤油につけておくと一層美味しいと思います。味の要はやはりタマネギ。形がなくなり飴色になるまでしつこく、でも焦がさないように一生懸命大汗かいて炒めます。この苦労は後できっと報われます。カレーって不思議とお酒と合わないんですね。冷たいビールよりもロゼワインよりも、氷を入れたお水が一番美味しい。
 カレーの上に生卵の黄身を落とす人を時々見かけます。味がマイルドになるのだろうと思いますが、温度が下がってしまいませんか?私はうんと熱いカレーを、冷房を切った部屋で窓を全開にして、汗を拭き拭き食べるのが一番好きです。


Leaf2000年7月13日 勘違い

 先日友人を話をしていて、「情けは人のためならず」という諺の話題になりました。彼女はこれは「他人に親切にしておくと、いつか自分にも良いことが回ってくる」という意味だと言いますが、私は「人間、甘やかすとろくなもんにならん」という意味だと信じていました。お互いに結構しつこい性格なもので、二人でそのまま本屋に直行、辞書を立ち読みしました。彼女が正しかった・・・。「でも、それって要するに自分が得したいという利己的な意図があって他人に親切にするということでしょ?それに比べたら、相手のためを思ってつらくても冷たく突き放すという方が、人間としては高次元の行動だと思わない?」・・・これは自分が勘違いしていたことが悔しかったので、無理矢理その場ででっち上げたまったくの屁理屈です。

 童謡の『浦島太郎』、何番だったかの歌詞に「帰ってみれば、こはいかに」というのがあります。子供の頃、私はこれを「帰ってみれば、子はイカに」だと信じていました。イカは海にいる10本足のイカです。亀に乗って竜宮城へ行って遊んでいる間にですね、留守宅が怪人イカ男に襲われてですね、我が子がイカにされてしまったと。なんでこんな勘違いをしたのか今では覚えていませんが、おそらく、亀、「鯛や平目(の舞い踊り)」あたりからくる海産物つながりで勘違いをしたのだと思います。だいたい「これは何としたことだ」という意味の古語だなんて子供に分かるわけないじゃないですか。勘違いしても仕方ないと思いますね(それにしても、イカはないか・・・)。
 『故郷』、「兎追いしあの山」も「兎美味し」だと思っていました。あの山で捕まえた兎はとても美味しかった、あぁ、故郷に帰ってあの美味しい兎を食べたいものだ(野菜と一緒にバターたっぷりの煮込みかなんかにしてですね、しっかりしたボディの赤ワインと一緒に食べる、美味しそうでしょ?)・・・。子供だったので兎を食べたことがあるわけではなかったのですが、意味が通じています。フランス人だったら納得してくれそう。

 「カマイタチの夜」というファミコンのゲームがありました。私はこれも、どこでどうしてだか、「オカマタチの夜」だと勘違いしたことがあります。「カマイタチの夜」はホラーゲームでしたが、「オカマタチの夜」も(どんなゲームだか分からないけど)、きっとめちゃくちゃ怖いゲームだと思います。

 こうしてみると勘違いってどんどん出てきそうで怖いです。一度信じ込んでしまったものはなかなか自分では間違いに気づかない。人に指摘されて、「うっそー」となるパターンが多いのですが、これは結構恥ずかしい。一度総点検をした方が良いのかなぁ。面倒くさいなぁ。別に死ぬまで勘違いしていても困らないような気もするのですが・・・。


Leaf2000年7月7日 ゲームの結末
 
 先日の朝日新聞の夕刊に「ゲーム機で遊ぶ時間長い子・実世界感覚に黄信号?」という見出しの記事が出ていました。長時間ゲームをやっている子の描く絵は現実と非現実の区別が不明確で、現実感覚が育ちにくくなっている、というものでした。私自身ゲームをやりますので、その感覚は理解できます。ややこしいことになったらとりあえずリセットして翌日考えようとか、早いとこレベルを上げたいので味方同士で闘わせてみよう(うぅ、何てひどいことすんだ)とかはよくあります。私の場合はいい年こいた(こき過ぎ?)大人なので、そうそうぶっ通しで遊ぶことはしませんが、小さな子供がこの手の遊びを何時間も続けていれば、そりゃ現実感覚も薄れるだろうな、とは思います。

 ではゲーム機で遊ばない、遊んだことのない大人はどうなのか?バブルの頃には大勢の立派な大人が「マネーゲーム」に興じました。あれには現実感覚があったのでしょうか?バブル絶頂期、東京の一等地の商業地域でキオスクみたいな小さな店を買って商売をしようとすれば、50億円くらいのお金が必要でした。50億円を銀行が貸してくれたと仮定して、いったいどんな商売をすればそれを返済できるのでしょう。200円の大根をいくら売ったところで利息にもなりません。じゃ1枚1000万円くらいする古伊万里のお皿を売ればいいかというと、そんな高価なものは(大根と違って)滅多に売れません。この50億円という金額は、普通の商売をやっていては絶対に返済できない額です。唯一の返済方法は50億円の土地をさらに高額で売ることだけです。そしてその儲けで次の土地を買ってそれをまた高く売る・・・この繰り返しは「そんなに高くなっちゃ誰にも買えない」というところであっさり破綻します。その結果、つい最近できたばかりのヒトヨダケみたいな得体の知れない会社が数百億、数千億円の負債を抱えて倒産する。この一連の流れの中に現実感覚は全く見えません。現実的な人間なら、そんな天文学的数字の借金を抱え込んだら、食事も喉を通りませんし不眠症になります。マネーゲームという大人の大好きなゲームにだって、現実感覚はなかったのです。

 例えば選挙で繰り広げられる「権力ゲーム」、あの人たちには有権者はただの一枚の投票用紙にしか見えていないでしょう。「票田」という言葉にそれが表れています。票の生えた田んぼ(人間つかまえて田んぼはないだろ?)、それを端から効率よく刈り取れば良いというわけでしょう。そこには有権者一人一人にそれぞれの生活があり、意見があり、夢があるという考えは見えません。そして「地盤の相続」という何とも不快な言い回し、私たちは株券や預金通帳と同じ、相続される財産なのでしょうか?
  大人のやる「ゲーム」は後始末が大変です。マネーゲームの後始末で日本は10年間を失ったと言われています。お粗末な権力ゲームの後始末のおかげで国が傾くことは歴史が証明しています。ゲームに夢中になって現実を忘れる、何も子供に限った問題ではないと思います。


Leaf2000年6月22日 野球の季節
 
 私は野球が好きです。但し、テレビで中継しているプロ野球や高校野球ではなくて、その辺の河川敷で子供達や野球大好きお兄さん(おじさん)達がのんびりとボールを追いかけているゲームを、こちらものんびりと眺めるのが好きです。この手の野球は外野フェンスがないのでやたらとランニング・ホームランが出るのが特徴、後逸した外野手は遙か彼方までボールを追いかけ、そのうちに諦めてしまってタラタラと歩き出す・・・このあたりのいい加減さが実に楽しい。プロ野球もたまにはテレビで見ます。最近の野球中継はやたらと解説者が増えてしまって(引退したそこそこの選手がどんどん解説者になっているようですから、インフレ状態のようですね)、それがあれこれと面白くもないことを喋るのがうるさいので、テレビで見るときは音声をオフにして見ています。

 以前からの疑問なのですが、どうしてジャイアンツだけ名前が二つあるのでしょう?阪神タイガースは「阪神」または「タイガース」と表示されます。スポンサー企業名かチーム名ですね。これだとジャイアンツは「読売」または「ジャイアンツ」ということになりますが、これに「巨人」という名称が加わります。なぜこのチームだけ名前が多いのか、納得できません。「中日」「阪神」「ヤクルト」と来たら「読売」、「広島」「横浜」と来たら「東京」でないと整合性がとれません。スポーツというのは平等を根底において初めて成立するものですから(ボクシングの試合で片方の選手に金属バットを持たせたらどうなります?)、些細なことでも例外が存在し、それが受け入れられていることが、私には居心地悪く感じられます。

 高校野球もあれ、いい加減に考え直した方が良いと思います。真夏(日本の真夏は温帯、亜熱帯を通り越して熱帯状態です)の炎天下に高校生に過酷な連戦を強いるなんて、間違っています。予選から勝ち上がることを考えると、大変なハードスケジュールです。春に一回やっているのですから、何もこんなに条件の悪い時期にもう一回やる必要はないと思うんですね。イニングが9回までというのも、これは休養たっぷり、涼しい夜にゲームをするプロ野球なら分かりますが、高校野球では長すぎます。ピッチャーの投球数を考えると5回まででいいんじゃないですか?高校野球と言えば毎度お馴染みの郷土の誇りとか正々堂々とかの単語が登場しますが、強い学校の選手なんてたいてい全国区で集められた選手です。純地元産の選手なんて数えるほどでしょう。それで優勝したとしても、正々堂々と言えるのでしょうか?新聞社の演出する「青春ドラマ」も結構ですが、時代が変わればドラマだって変わると思います。


Leaf2000年6月2日 憂鬱な季節
 
 衆議院が本日解散するそうで、そうするとその後は選挙です。憂鬱な季節の始まりです。
 選挙がとても大切なものであることは理解しています。私はこれまで一度も棄権したことはありません(エヘン)。用事のある時にはきちんと(遠くの役所まで交通費かけて出かけて)不在者投票をしてきました。何しろこれをやらないことには、どんなことをされても文句が言えませんからね。
 問題は選挙運動の方法です。あの一日中町中を走り回って大音量で無意味な名前の連呼を続ける選挙カー、あれ、何とかならないのでしょうか。ただもう耳タコ状態になるまで名前をインプットしようという、一種の洗脳に近いような暴力的な行為は禁止されていいと思います。音というのは環境の大切な要因です。それを平気で無視して走り回っている車を見ると、こいつ、環境問題には全然関心ないな、と思います。いつも一番静かだった人に投票しようと思うのですが、一番静かな人というのは、たいていがとんでもない人であることが多いので(とりあえず立候補したけど、やる気も何もないって人、いわゆる泡沫候補ですね)それもできません。走り回る車から政策を訴えようとするのは土台無茶な話で(長いセンテンスを伝えることは無理でしょう)、その結果、とりあえず名前を覚えてくれということになるのでしょう。でも私は別に名前で投票するわけではありません。音環境を破壊して、排気ガスをまき散らす選挙運動の方法は、もういい加減に改めて欲しいと思います。

 改めて欲しいといえば、投票方法も少し考えた方がいいと思いますね。魅力的な候補者がいないことが(悲しいことに)多いわけで、気持ちとしてはプラス思考にはなれない選挙で、マイナス1とマイナス2からどっちか選ぶために休日に出かけていくというのは結構面倒なものでしょう。そこで提案、投票用紙を二つ用意します。一つはポジティブ票、もう一つはネガティブ票。ポジティブ票には「この人に議員になってもらいたい」という人の名前を書いて、ネガティブ票には「この人にだけは絶対に議員になってもらいたくない」という人の名前を書いてですね、最後に引き算をする、その結果で当落を決めるというのはいかがでしょう?これだと投票に行きたくなる人が多いんじゃないかな。


Leaf2000年5月11日 サザエさんの憂鬱
 
  日曜日の夕方に放送されているサザエさんですが、あれ何年目なんでしょう?ある本には「サザエさん症候群」という言葉が出てきました。日曜日の夜、あの番組の主題歌を聞くと、あぁ、お休みも終わり、明日は月曜日・・・と暗い気持ちになるというものです。こんな言葉ができるくらいですから、このサザエさん、随分長い間、同じ時間帯で放送されているのでしょうね。
 私はテレビはあまり見ませんし、サザエさんにも別に興味はありませんから、時たま、何かの弾みで見てしまう(見るというよりも眺めると言う方が適当ですね、ストーリーには全く興味がないので、画面が映っているだけです)という程度です。そして思います。これ、何曜日に放送しようが、番組自体で十分憂鬱だと。

 4コマ漫画のサザエさんを読んだことがありますか?とても面白い作品です。風刺も効いているし、あの一家も結構せこくてその割にドジで、日常生活の描写などはそのまま日本の生活史という感じでした。このサザエさんがどうするとこんな不気味なアニメーションになるのか、それが不思議です。
 まず絵が全く違っています。4コマのサザエさんは体のバランスにリアリティがあり、特に足、細くて膝小僧が丸く突き出たあの足は、日本人の貧弱な足そのものでした。そして、驚いたりした時は「ぎぇ〜!」という音がぴったりの表情を見せます。すごく生き生きしているのです。アニメのサザエさん、異常なアタマでっかちのプロポーション(こけし以上です。これじゃこけしは倒れます)、足はビリヤードのキューのように真っ直ぐ、膝小僧なんて全然ないし、あの「纏足」(全員ベビー靴を履いています)、着ている物には全く個性が無く、表情も変わらず・・・これじゃゾンビと同じじゃないですか。

 のっぺりと広い町と家の中の描写には生活の匂いが全くしません。4コマのサザエさんからは料理の匂いが漂ってくる感じで、生活の音、季節の薫りがきちんと伝わりましたが、アニメのサザエさんはまるでドライ・フラワーです。それにサザエさんって結構お洒落で、流行の服も着ていましたし、時には大きな足にハイヒールを履いてもいたはずです。波平さんもマスオさんもちゃんと満員電車に乗っていました。フネさんはよく子供たちを怒鳴りつけていました。それが、季節も個性も全くない色紙を張り付けたような服装(いつも同じデザインのパステルカラー)のサザエさん、お父さんたちの乗る電車はなぜかいつもガラガラで、フネさんときたら、これはもう千年は生きて妖怪と化したお婆という感じの枯れ具合・・・。どうしてこうなってしまったのでしょう?
 漂白されたような無味無臭の絵、生活感ゼロの道具立て、ホルマリンに浸けられたような人物像、これがあのサザエさんですか?
 4コマのサザエさんは知らずに、ずっとこれを見ているという人も多いと思います。その人たちにとっては、これが「サザエさん」なのでしょう。これは不幸です、サザエさんにとっても、見る人間にとっても・・・。


Leaf2000年5月1日 一方的な情報公開
 
 クレジットカードを使うとたいていのお店でサインと一緒に電話番号の記入を求められますが、私はあれが不快でたまりません。電話番号というのは大切な個人情報です(これさえあればかなりのところまで個人調査が可能です)。買い物の支払はカード会社が保証するわけで、何かトラブルがあればそちらに連絡するのが筋ですし、そこからさらに私に連絡する必要があればカード会社が連絡すれば済む話で、買い物をしたお店に電話番号を知らせる必要はないと思っています。だいたい現金で買った時はそんなこと言わないじゃないですか。現金払いのトラブルは放ったらかしですか?カード情報はオンラインよりもオフラインで盗まれることが多いそうですし、私は外国でカードを使って電話番号を要求されたことは一度もありません。カード会社の方に聞いてみましたら、電話番号の記入は必要ないとのこと(ほれ、みろ)でした。というわけで早速「電話番号は書きたくありません」と答えることにしました。これが結構大変なんです。あちこちのレジでバトルを要求されます。「電話番号もお願いします」「電話番号は個人情報ですから書きません」「書いて頂かないと」「カード会社の方で書かなくてもいいと言っています」「決まりですから」「このお店で勝手に作った決まりを私が守る筋合いはないでしょう」・・・これ疲れるんです。デタラメの電話番号を書いてやろうかとも思ったのですが、最近は面倒なので「電話ありません」と言うことにしています。電話もってなくても別に法律違反じゃないですからね。

 ブティックなどで買い物をすると、案内を差し上げますので住所と電話番号を、と言われることが多いです。一度これで実験してみたことがあります。電話番号を二カ所ひっくり返し、名前を同音で別の漢字に変えました。しばらくしてからあちこちから来るダイレクトメールにはこの漢字が書かれていることが多かったんです。案内を送ることには同意しましたが、住所データを他に売っ払う(タダだったかも知れないけど)ことに同意した覚えはないってば。

 話はすっ飛んで、行列というものがあります。ラーメン屋の前なんかにできる行列。あれも苦手です。ラーメンは大好きなのですが、行列するということは、近辺を行き来する人たちに、1. 私は(この店の)ラーメンが好きである、2. 目下空腹である、3. そして結構暇である、という情報が筒抜けになってしまう、これがいやなんです。一旦お店の中に入ってしまえば、そこにいるのは全員空腹状態のラーメン好きですから全く構わないのですが、外で行列している間の情報漏れがいや、これで随分美味しいラーメンを食べ損ねています。
 自分の情報を守るのって大変ですね。


Leaf2000年4月7日 足音

 少し昔の外国映画を見ると、私はたいてい足音に聞き惚れてしまいます。例えば、モノクロ画像、舞台はどこかのビルの中、深夜、暗くて長い廊下は無人。遠くから少しずつ近づいてくる足音、靴からずっと上にパンして、途中で右手に握られたリボルバーを捉えて、さらに上へ、目深に被ったソフト帽の影になって顔がよく見えない・・・。こんな場面です。
 映画の中では足音ってすごく大切な効果音だと思います。とても雄弁に人物描写をしてくれます。高いハイヒールの細いかかとが「カツッ、カツッ」と音を立てると、人物が写る先から妖艶な美人だと思ってしまいます。鋲を打った靴の重たげな足音であれば、たいていタフガイ、「ペタッ、ズー」という感じの音だったらこれはもう絶対に怪物・ゾンビ系のキャラクターです。

 古い映画ですとルイ・マルの「死刑台のエレベーター」、主人公のジャンヌ・モローが愛人を捜して(彼はエレベーターに閉じこめられています)一晩中パリを歩き回るシーンが好きです。高価な靴(不思議と足音で靴の値段が分かるんですね)の華奢なヒールが雨に濡れた石畳を打つ音、ゾクゾクするような足音でした。マイルス・デイビスのクールな音楽と一緒に、忘れられない映画です。

 
最近だと、印象に残っているのは、「ダイ・ハード」です。主人公は裸足というわけで、彼の足音は「ペタ、ペタ」、テロリスト・グループの兵隊連中はスニーカーですから、「パシッ、パシッ」って感じ、そしてテロリストの親分は「コツ、コツ」といかにも高級そうな革靴の音、足音だけで、圧倒的に非力な主人公、有能な兵隊、冷酷な親分という性格が分かる、面白いなと思いました。

 これも足音の一種だと思うのですが、馬の蹄の音も好きです。西部劇で乾いた土や草原を叩く音も好きですが、これが最高!と思ったのは「レディー・ホーク」。中世のヨーロッパが舞台のファンタジー映画ですが、城壁に囲まれた街、迷路のような狭い道を馬が駆け抜ける時の音が最高でした。馬の足が力一杯石を叩いた音が回りの回廊に反響して高く澄んだ音が響きます。それから最後の大聖堂の中での決闘シーン、高い石の天井に響く蹄の音に剣のぶつかり合う音、それから馬具の革の軋む音が入り交じって、まるで音楽を聴いているようなんですね。

 普段はスニーカーを愛用している私ですが、こんな映画を見ると、ヒールのついた靴を履いて出かけようと思います。良い足音をたてるには、大股で一定のリズムを正確に刻んで、さっさと歩く必要があります。姿勢が崩れるとリズムも崩れますから、背筋を伸ばして顔を上げて歩くことが肝心です。そういえば最近、良い足音を聞いていません。足音に思わず振り返ると、その足音に相応しい素敵な人が・・・なんてこと、さっぱりないですね。だいたい、「ズルッ、ベタッ」じゃ、振り返る気にもなりません。哀しいです。


Leaf2000年4月2日 幸せのグリーンピース
 
 春になってうれしいなって実感するのは、八百屋さんの店先でグリーンピースを見たときです。思わず買ってしまいます。一番美味しいと思うのは、シンプルな豆ご飯。少し固めにホロッと炊けるとうれしいですね。水を少なめにして日本酒(料理酒じゃなくて、ここは奮発して大吟醸を使います。味付けは塩だけですからこれをケチってはいけません。出来上がりが全然違ってきます。)を加え、適当な塩加減で炊き上げます。グリーンピースの周りのご飯がほんのりと淡い緑色に染まって、熱々を頬張るともう春満開って気分です。冷めたのはおにぎりにしてもとっても美味しい。
 それからクリームシチューも好きです。男爵芋と鶏肉にグリーンピースだけのシチューが私のお気に入りです。鶏肉は皮と脂をとった方が美味しいと思います。皮を入れると小さな脂肪の輪が浮き出てコロコロとしたお豆さんとなんだかマッチしない風貌になりますから。面倒でしたら最初からささみを使うといいと思います。白いトロトロしたルウに浮かんだ小さなグリーンピースがとてもきれいです。
 さっと塩ゆでしたグリーンピースと缶詰のアンチョビをニンニクたっぷりのオリーブオイルで炒めます。これに細目のスパゲティを絡ませると、アンチョビの塩気の利いた美味しい早春パスタの出来上がり。アッという間に出来上がる簡単パスタですが、冷たい白ワインと合わせると小さな幸せの休日ブランチメニューです。
 少し手をかけたいときには、塩茹でしたエビとグリーンピース、それにみじん切りのネギと生姜を加えてシャッと炒めます。ブイヨンと塩を加えて煮立ったら片栗粉でとろみをつけます。何ていう名前か分かりませんが、エビの赤とお豆の緑が鮮やか、生姜の香りとぴりぴりの利いた中華の一皿になります。

 この時期、何にでもグリーンピースを乗せたくなります。親子丼やスパゲッティ・ナポリタン、朝のスクランブルエッグ、小さなグリーンピースをポチポチとあしらっただけで、春じゃ、春・・・と幸せになれますね。


Leaf2000年3月17日 包む

 今、私の前にはお煎餅があります。醤油で焼いて海苔を巻いたごく普通のお煎餅です。これを食べるには、まず大きな袋を開けて、中のトレイを引っぱり出して、一枚一枚包んだ小袋を開けて食べます。三つほど食べた時点で、テーブルの上で袋の山がガサゴソいっています。これそんな高級なお煎餅じゃないんですよ。スーパーマーケットで売っている普通の品物なのに、なんでこんなに何重にも包んであるんだろう?あなた、そんなにお煎餅が大切ですか?一枚や二枚欠けることが大問題なのですか?と言いたくなります。
 デパートの地下でお総菜を買います。例えばおから(私、おからが好きなんです)。おからなんて高くてもせいぜい300円くらいです。これを買うとですね、プラスチックの上蓋のついた容器に入れてくれます、それから輪ゴムで止めて、ビニールの袋に入れて、それを包装紙で包んで、それをデパートの名前の入ったビニール袋に入れてくれます。うちに帰ってこれを開けます。もうそこいら中袋だらけです。中味はおから200グラムなのに・・・。
 先日、デパートでマグカップを買いました。マイセンとかロイヤル・ドルトンとかじゃなくて、普通のマグカップ、厚手でちっとやそっとでは壊れない実用一点張りの品物です。値段は1200円。これをレジに持っていくとですね、薄い紙でくるんで、紙箱に入れて、それを包装紙で包んで、紙袋に入れて、なんだかプルトニウムでも買い込んだような気分になりました。

 最近では包装を断ることにしています。ゴミを増やしたくない一心です。別に地球に優しいとかエコロジーとかを考えているわけではなくて、せっせと分別してゴミを出すのが本当に面倒くさいからです。できれば1回でもゴミ出しの回数を減らしたいというのが私の希望ですから。でも「包まなくて結構です」「袋はいりません」「そのままでいいです」なんて言うと、たいていの店員さん(特にデパート)はマニュアル化された動作を中断することになるので、一瞬リズムが狂ってしまうようで、なんだか悪いことをしたのかしらと思うこともあります。切り出すタイミングも結構難しい。相手が包装紙を束の中から引き抜く前に、シェーンのアラン・ラッドよりも素早く、ドラクエの呪文(「ホイミ!」とか)のように「包まなくて結構です」を早口で正確に言わなければなりません。世の中には包むことが好きな人って多いんですね。
 包むと言えば、雨の日の電車の中、傘の柄を見ます。あの柄を包んであるプラスチックをずっとはがさない人って結構いるんですね。もう半分はがれてぼろぼろになっているのにまだはがさない、私はこれを見るともうイライラして、他人の傘ですが、ひったくってベリベリはがしてやりたくなります。傘の柄、そんなに大事ですか?


Leaf2000年3月4日 お醤油賛歌

  目の前に脂の乗ったテカテカ光るお刺身があるとします。その横には冷水を潜らせたあとの瑞々しい大根のツマがしゃきっと添えてあります。あるいは、背鰭と尾がこんがりと焦げて香ばしい焼き魚、大根下ろしとはじかみを添えられた焼き魚が美味しいワタの詰まったお腹をこちらに見せて、お皿の上でまだジュージューと音を立てています。傍らには、辛口の冷酒を注いだ大ぶりで無骨なぐい飲み(備前焼が焼き魚には似合うと思います)、あるいは、夏の夕暮れ、お風呂に入って一息ついて、冷蔵庫からよく冷えたビールを取り出して、目の前には、青い海の色そのままの琉球ガラスの鉢にきっちりと正立方体に切り揃えられたお豆腐、上にはちんまりとおろし生姜と糸鰹・・・冷えたビールをグラスに注いで首を思い切り後ろに倒して飲み干します。

 もうたまらない光景ですよね、日本人って幸せだ〜と大声で叫びだしたくなります。この光景からお醤油だけ除いてみて下さい。もう不幸のどん底です。ご馳走が全て何の意味もない生ゴミに変身してしまいます。お醤油がなければお刺身も焼き魚も豆腐も、とてもじゃないが食べられません。
 あれこれとご馳走を思い浮かべても、こと和食の場合、お醤油がないとどうしようもないものばかりです。納豆もそうですし、お寿司なんて、お醤油がなければ生臭くて、とても喉を通るシロモノではありません。日本人って要するに「お醤油料理」を食べているのではないかと思います。

 というわけで、私はお醤油が大好きです。豚カツも牡蠣フライも全部お醤油で頂きます。トンカツソースとかタルタルソースとかのお世話になることはまずありません(牡蠣フライのタルタルソースははっきり言ってお皿の上で邪魔だと思っています)。海外旅行の時は小さなお醤油の瓶を必ず持っていきます。入ったレストランで注文したお魚料理(肉よりも魚が好きなんです)にこれをこっそりとかけて頂きます。一度ロンドンのレストランでドーヴァーかれいのムニエルでこれをやった時は、本当に美味しかったですよ。ただ、トム・ベレンジャーの従兄弟みたいなごついウェイターに睨まれましたが・・・。
 お醤油は長く置いておくと確実に風味がなくなります。小さな瓶でできるだけこまめに買う方が良いようです。面倒くさい?これは偉大なお醤油に対する礼儀です。
 私の好きな「お醤油料理」ですが、少し甘めの沢庵を千切りにします。これに煎った白ゴマをたっぷりとまぶして、上からお醤油をたらり、これだけで熱々ご飯が美味しく頂けます。


Leaf2000年2月20日 プロはカッコいい

 たまにお寿司屋さんに出かけるのは、私にとっては贅沢なことです。お寿司屋さんではカウンターに座って、ご主人の仕事ぶりをちらちらと眺めるのが楽しい。あれこれ食べた後に、もう少しなんか食べたいなぁというとき、巻物を頼みます。私は納豆巻きが大好きです。この巻物なんですが、これを手巻きで出すお寿司屋というのがありますが、これをやられると本当にがっくり来ます。手巻きなら私にだって作れます。せっかく高いお金を払って贅沢な気分で食事をしているわけですから、ここはきちんと簾で巻いて、それをよ〜く切れる包丁でお米の粒が立ったままでかっきりと切りそろえたものを食べたいと思います。バブルのころに赤坂、六本木辺りにわらわらと生えていた得体の知れない寿司バーの中には全品手巻きという店までありました。これでは寿司屋とは言えないでしょう。私が厨房に立っても同じじゃないですか。幸か不幸か、バブルがはじけるのと一緒にこれらのお店もきれいさっぱり消えてくれましたが。納豆巻きはそれを切ると包丁が汚れるので嫌がられると聞いたことがあります。これは変な理屈ですよね。汚れた包丁は洗えば良いわけですし、それくらい商売だったら当然でしょう。原価に比べて数段高い納豆を食べるわけですから、少しの手間くらい当たり前だと思いますし、本当にイヤならメニューに載せなければいいのですから。

 プロというのは、普通の人間にはできないことを涼しい顔してやってのける人たち、別にそれがどうだからといって大した違いのないような細部にこだわりを見せる人たちだと思います。中の具を潰さないように、口の中でお米と具がぱらりと崩れるようにふんわりと巻いたお寿司を、角がきちんと角張ったままできっちりと同じ長さに切り分けられたものが、お皿の上にきれいな切り口を見せて並んでいるのを見ると、あぁ、これがプロだなぁと思います。こういうお寿司屋さんに出会うとうれしくなります。
 プロっていう言葉には、どこか潔さ、プライドの高さが感じられます。何かの折りに「私、プロですので・・・」と言われると、こちらは、それじゃお手並み拝見と思いますし、それを分かっていてそう言ってのけることは、自分の仕事に自信とプライドがなければとてもできないことです。

 そのプロが少なくなったと思います。銀行はあれだけ巨額の公的資金を入れてもらっても、未だに不良債権の処理ができません。だいたい金貸しが貸した金を取りっぱぐれるなんて、これは恥以外の何物でもないでしょう。どっかの商工ローンのように脅かして取り立てるというのは論外ですが(これなら誰だってできます)、貸した金にきちんと利息を乗せて回収できないようでは、プロとは言えません。プロの金貸しというのは、相手の事業を冷静に見据えて(当人は新しい計画なんかにたいてい舞い上がっていますから)、それが果たして儲かるのかをあらゆる要素を計算に入れて金を貸すものですから、取りっぱぐれたりしないものでしょう。バブルの時代には時価いくらの土地がいくらあるから、これだけ貸すという金貸しばかりでした。これなら電卓をあてがっておけば中学生にだってできるでしょう。関西では、大きな事件の重要参考人が警官たちを振り切って逃げてしまいました。たった一人の人間に複数の警官がいながら逃げられる(相手は武装もしていないし、徒歩で逃げたそうです)なんて、こんなことができるのは、映画の中のシュワちゃんかスティーブン・セガールだけだと思っていましたけど。

 子供の頃、商店街のクリーニング屋さんが、開けっ放しの店の奥で大きな業務用のアイロンを汗まみれで動かしているのが通りから見えました。大工さんは更地の上に材木を運び込んで、みんなが見ている前で鉋をかけていました。自分の仕事を開けっぴろげに公開するというのは、腕に自信がないとできることではありません。あの人たち、みんなプロだったんだな。
 などと友人と話しつつ、納豆巻きを頼みます。きれいに細身に巻かれて切りそろえられた納豆巻きが、四角いお皿の上に90度ずらした四角い形で盛られたものが出てきました。見ていても楽しい美しさです。それを一つつまんでぱくり、お茶をすすります。しあわせ・・・。


Leaf2000年2月15日 些細なことが気になって・・・

 山の手線に乗っていて(東京以外の方、失礼します)、ドアの上に張ってある路線図をぼんやりと見ていました。山の手線の駅名をすらすら言える人というのは結構多いようですが、私はそんなことできませんので、自分の乗った渋谷から順番に駅名を眺めていて、ふっと気になりました。目黒と目白です。黒と白があるのになぜ赤や青がないのかしら?気になると結構しつこい性格ですので、自宅に帰ってから東京の地図を調べてみました。あるんですね、これが。地名としてはありませんが、板橋に目赤不動尊、中野に目青不動尊という神社がありました。これで四色そろいました。目黒には目黄不動というものあるんですね。昔の中国では方角に色と動物が振り分けられていたと、どこかで読んだ記憶があります。北が黒(玄武・・・ってこれ亀のことだったと思うのですが)、南が赤(朱雀)、東が青(青龍)、西が白(白虎)だったと曖昧に記憶しています(黄色は何だ?)が、自信は全くありません。青が東、白が西とすると、中野の目青不動尊と目白の中間地点がこの色分けの基準なのでしょうか?中野と目白の真ん中あたりは高田馬場・・・なんか変ですね。真ん中というのは東京の場合、千代田区あたりにある方が自然だと思うのですが、よく分かりません。それに、北が黒、南が赤とすると、目黒と板橋は位置が反対(目黒は南、板橋はそれよりも北です)です。それに色の前についている「目」はいったい何を意味するのでしょうか?どなたかご存知の方がおられましたら、ぜひとも教えて下さい、気になって仕方ないんです。

 業務用の車のボディーに書かれている文字、これも気になります。左側はいいのですが、問題は右側です。日本語というのは、そりゃどちら側からも読めますが、ボディーの右側に反対(右から左)に書かれた文字というのが、すごくイヤなんです。車の先頭から後ろに向かって書こうということなのでしょうが、たいていの人が最初は反対に読んでしまうのではないですか?語尾が「ン」の単語が出てくると、なんだか「ぎゃっ」と声を出したくなります。コンクリートミキサーの右ボディーで「何とかレミコン」が逆向きに「ンコミレ」になっているんですよ。頭が「ン」なんて言葉、日本語にはありません。最近になってようやく歌手の「ユッスー・ンドゥール」に慣れたばかりの私としては、「やめてくれ〜」といいたくなります。それから詰まる音も厄介です。「何とかショップ」が「プッョシ」になります。これどうやって発音するんですか?あと最後が「ー」で終わる言葉もイヤです。「クリーナー」が「ーナーリク」、これもどうやって読んだらいいのか分かりません。今日は交差点で「イラプサンネリ」というのを見てしまいました。「リネンサプライ」です・・・。どこか遠い国の地名にありそうですね。「インディ・ジョーンズ イラプサンネリの秘宝」とか・・・。この手の文字を見るたびに一瞬ぎょっとして、コンマ何秒か後に、あっそうか、と思います。このコンマ何秒の間がすごく気持ちが悪いのです。前から後ろという形式にこだわる気持ちは理解ができるのですが、文字に関しては左から右でいいと思うのです。最近になって少しずつ車の後ろから前に文字が書かれているのを見かけるようになりました。早く全部この方式にならないかなぁ、と楽しみにしています。


Leaf2000年2月5日 「最高のソース」を試す

 「空腹は最高のソース」と言ったのは、グルメのフランス人だったでしょうか?お腹が空いて、空いて、もうどうにも我慢できないという体験をしたことがありますか?そんな時にはきっと何を食べても美味しくて、胃袋がぷるぷる震えることでしょう。
 考えてみれば、私は生まれてこの方飢えたことがありません。お腹が空いた〜と感じることはあっても、口に入るものだったら何でもいい、今食べられるんだったら何でもいい、というようなせっぱ詰まった空腹感は体験したことがないのです。いつだって冷蔵庫の中にはたいてい何か入っていますし、テーブルの上にはスナックや果物が置いてあります。あれが食べたい、これはイヤというように我が儘が出るうちは、飢えているとは言えないでしょう。そうすると、この「最高のソース」を味わうことはできないのでしょうか?

 というわけで、トライしてみました、「最高のソース」に。48時間絶食をしました。世界にはもっともっと飢えている人たちがたくさんいることでしょうが、飽食ニッポンの住人である私には、48時間が限界です。何も口に入れないというわけにもいかないので、水分は自由にというルールを設定しました。48時間で口に入れたものは、5杯のミルクティーとミネラル・ウォーターです。まず最初の夜、寝入りは良かったのですが、変な夢を見ました。お腹が空いて、ピザのデリバリーを頼もうと思うのですが、電話機のボタンが異常に小さくて、どうやっても(小指の先を使っても)二つのボタンを一緒に押してしまうのです。何度も何度も電話をかけるのですが、どうしてもうまくいかない・・・夢の中とはいえ、これはかなりイライラしました。
 次の日の夜には、自動販売機にどうしてもコインが入らないという夢を見ました。何の自動販売機なのか分からないのですが、コインを入れようとすると必ず邪魔が入るのです。急に手が動かなくなったり、誰か分からない人間に話しかけられたり、コインを落としてしまってそれが見つからなかったり・・・二夜連続のイライラ夢で、目が覚めた時には、疲れたーって気分です。眠っていて疲れるんですから、これはたまりませんね。
 さて、いよいよ48時間ぶりの食事です。何を食べようか?あれこれと思い浮かべるのですが、不思議なことに普段食べたいなぁと思っているものは全然浮かびませんでした。お寿司の大トロ、脂がプチプチと浮かんでいる大トロをぱくり、とも思いませんでしたし、車エビの天ぷらとか、フィレ・ステーキとか、要するに上等な食べ物は全然お呼びでないんです。では、普段の好物のラーメンは?というと、これも余り気が進まない。カレーライスも大好物なのですが、これも欲しくない、匂いを連想してみたのですが、絶対にカレーライス!とは思わないのです。

 私の頭に浮かんだ食べ物は、何と生卵をかけた熱いご飯・・・でした。なんだか無性に卵かけご飯が食べたくなりました。貧乏くさいですね。でもこれがどうしても食べたいんですから仕方ありません。ご飯を少し堅めに炊きます。それから白ゴマを少しだけ煎ってご飯に振りかけます。卵は普通のスーパーで売っている卵ですが、冷蔵庫から出したばかりだとご飯と温度差があり過ぎてあまり美味しくありませんから、室温に近くなるまで待ちます(この間がつらかった)。卵を割ってお醤油を垂らして、丁寧に丁寧にかき混ぜます。それをご飯の上にたっぷりとかけて、お箸の先で少しずつこねては口に運ぶ・・・。卵の滑らかさとご飯の甘さ、お醤油の薫りとゴマの香ばしさが一度に舌に感じられます。食道を降りていったご飯が胃の中に届いていく過程、胃袋の形まではっきりと感じられます。私の胃はここにあったのかとしっかり実感しました。

 空腹は確かに「最高のソース」でした。美味しかった!


Leaf2000年1月20日 哀しきトレンチコート

 冬になるといろいろなコートが街に登場します。最近はさすがに毛皮はあまり見かけなくなりましたが、トレンチコートはすっかりお馴染みです。あれが最近ちょっと哀しいんですね。
 あのコートは、本来は第一次世界大戦から採用された英国陸軍の軍服です。トレンチとは塹壕のこと。寒いヨーロッパの戦線で湿気の多い塹壕にこもるのは大変だったと思います。ナポレオン以来、軍服は派手なデザインが主流でした。高い帽子に羽飾り、軍服も鮮やかな色彩の燕尾服型で金のモールを飾ったもの、要するにおもちゃの兵隊のスタイルです。戦闘が原則として接近戦だった時代には、目立つ軍服の方が味方を認識しやすいですし、キンキラの飾りは敵に威圧感を与えただろうと思います。第一次世界大戦あたりから、戦闘は接近戦ではなく距離を置いてにらみ合うものに変わりました。銃の射程距離が伸びたことで、原色キラキラでは目立ってしまい、かえって狙い撃ちの的になってしまいます。この時に登場したのがトレンチコートです。色はカーキ色で目立ちません。肩は二重のケープ・バックで暖かく、蒸れないように下は開いています。大きな襟にはこれを立てて止めるチン・ウォーマーがついています。両肩のエポレットはヘルメットを被るときに帽子(この時代にはソフトな生地の帽子が主流になっていました)を挟むためのもの。ポケットには水が入らないように蓋がつき、後ろの長いセンターベンツは真ん中にボタンがついています。これは裾の開きを歩幅に合わせるためのものです。そして、ベルトには金具がついていますが、ここに手榴弾をぶら下げました。何もかもが軍服としての機能を考えて作られています。

 軍服を含めた制服関係の服装は、きちんと着てこそ初めてその機能が発揮できるようにできています。例えば戦争映画の監督になったと思って下さい。片方は勝った軍隊、片方は敗残兵というシーンを撮影するとして、一番簡単な演出は、勝った方のエキストラにはきちんと制服を着せ、負けた方のエキストラには、ボタンを外し襟をゆるめて、だらしなく着せることです。もうこれで誰が見ても、どっちがどっちかすぐにわかります。
 冬の定番であるトレンチコートですが、これをきれいに着ているヒトって少ないですね。勿論、市街戦をやっているわけではありませんから、それで実際に問題はないのですが、研ぎ澄まされた機能というものには、一種の美しさがあります。それが損なわれているのは、見ていて少し哀しいですね。トレンチコートは、ボタンをとめ、ベルトをきつく締めてこそ初めてその美しさが出てくるのだと思います。
 一番多いのは、前を開けてベルトは適当に後ろで結ぶかポケットに突っ込んでしまっているスタイル、中にはベルトを外してしまって(タンスの中にベルトだけしまってあるのでしょうか?)いるスタイルも見かけます。これならトレンチコートを着る意味がありません。確かにこのコートをきちんと着てしまうと、乗り物の中などで少し暑いなという時には面倒くさいかも知れません。そんな人にお勧めなのは、ダッフルコートです。これは若い人専用と思っている人も多いと思いますが、グレーのような地味な色合いでしたら、誰にでも似合います。裏のタータンチェックがちらりと見えるところもお洒落ですし、オトナが着ても素敵だと思いますよ。哀しきトレンチコートよりも楽しいダッフルコートの方が数段かっこいいと思います。


Leaf2000年1月10日 頑張るのも程々に

 年末年始になると急に増えるのが風邪薬と胃腸薬のコマーシャルです。私は、滅多に薬を飲まない人間なので、どれがどんなものなのか良く分からないのですが、この手のコマーシャルには共通項があります。「頑張る」です。
 風邪薬の場合、風邪をひいてしまった人がとてもつらそうにしていて、でも、その薬を飲むと元気になって仕事をするというパターンです。胃腸薬の場合は、食べ過ぎたり飲み過ぎたりした人(なぜかたいてい男性ビジネスマンなんですね、女性や自営業者はご馳走なんて関係ないのですか?)が顔をしかめて胃のあたりを押さえているのですが、薬を飲むと元気になって、また宴会に元気に出かけていくというパターンです。 共通項は「風邪や暴飲暴食なんかに負けないで頑張る」です。
 風邪をひいてしまった場合一番有効なのは安静です。暖かいものを食べてぐっすり眠れば、たいていの場合は一晩でかなり良くなります。それから風邪の場合の一番のタブーは人混みです。人混みの空気が喉や鼻には一番悪いのです(オペラ歌手の中には、絶対に人混みに出ないという人だっています)。ですから、仕事を休んで(満員電車なんてとんでもない)、鍋焼きうどんかネギ入りの雑炊でも食べて、布団を被って寝てしまう、これが一番の薬です。胃腸の場合には、もっと簡単です。食べ過ぎたら食べなければいいし、飲み過ぎたらお酒を飲まなければいいのです。人間一日くらい何も食べなくてもどうということありません。白湯か番茶でも飲んで、食欲が出てくるまで待っていればそれでいいんです。簡単でしょ?薬なんて必要ありません。

 風邪をひいたら休めばいいんです。そこで薬を飲んでまで「頑張る」と、いつまでたっても直りませんよ。こう言うと、どうしても休めないという声が出てくると思いますが、本当にどうしても休めないなんてこと、滅多にあるものではないと思います。誰かが一日休んだくらいでは別に何も起こりません。そんな不安定な社会だったら今日まで維持できているわけがありません。休めないのではなくて休めないと思いこんでいるのではないですか?食べ過ぎ、飲み過ぎで胃腸の調子が悪ければ、宴会はパスすればいいんです。宴会が主業務の会社なんてこの世にありません。出席したとしても、軽いものだけ食べて、水を飲んでいればいいんです。回りの人にはちゃんと「調子が悪くて食べられない(飲めない)」と説明すれば、まさか、他人を抑えつけて口にものを押し込むなんて人はいません(もしいたら、それは暴力行為ですから、警察に通報しましょう)。
 頑張ること、元気がいいことに価値が偏りすぎているように思うのです。全員が頑張るとろくなことになりません。人がみんな元気だったら、これはもううるさくてたまらないだろうと思います。元気な人もいる、元気じゃない人もいる、これでバランスがとれるのではないでしょうか?薬を飲んで頑張るのではなくて、無理をしないで少し休むことを選択する方が、はるかに自然ですし、健康にもいいと思います。
 頑張るのは調子のいい時だけで十分です。元気のある時には頑張って、元気のない時には頑張らない、それでいいと思うのですが。

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