クリックして下さい。それぞれの日記にジャンプします。
HOME
徒然草トップへ
2001年12月27日 クリスマス
2001年11月8日 ルパン3世
2001年10月31日 JRさんへお願い
2001年10月2日 チャーハン
2001年9月10日 納豆
2001年8月10日 岸田森さんのことなど
2001年7月19日 素麺
2001年6月22日 エリート
2001年5月24日 タブーな人たち
2001年5月1日 枝豆
2001年4月12日 よく分からない人たち
2001年3月22日 米を研ぐ
2001年2月28日 うどん
2001年2月9日 カラス
2001年1月21日 「癒し」
2001年12月27日 クリスマス
この季節、おもちゃ屋を覗くのが楽しいです。かつて自分も遊んだレゴが未だに健在なのを発見して懐かしかったり、これ、どうやって動かすの?なんてハイテクおもちゃの値段に驚いたり、円谷プロとタイアップした怪獣のソフビ人形を眺めては、これってあの怪獣の焼き直しじゃん、ひょっとしてテレビの着ぐるみも使い回ししてる?と勘ぐったり。
私はただの一度もサンタクロースの存在を信じたことはありません。プレゼントを枕元に置いているのは両親であると知っていました。ウチの両親というのが至って現実的というか、散文的な人たちで、サンタのおじさんがやってくるなんて一度も口にしたことがないからです。それに私の育った西日本では雪も降りません。家には煙突もありません。トナカイなんて見たこともありません。情景的に不自然だってことくらい、子供でも分かっていました。それでも、「あれが欲しい」とねだった覚えはないのに、クリスマスの朝には欲しかったものがきちんと用意されているという当たり、今考えれば親の観察眼というのは大したものだったと思います。
勿論、友達の中にはサンタクロースの存在を信じている子もいました。だからといって「サンタクロースは存在するのか」と意見を戦わせた覚えもありません。よそはよそ、ウチはウチ、って割り切っていたように記憶しています。
子供というと必ず純真という言葉が登場します。極端な場合には「天使」とか言われます。この言葉を聞くたびに私は、この人、自分の子供時代のこと忘れてしまったんだろうか?って思います。私は自分が決して純真であったと思っていないからです。回りの顔色をうかがって稚拙なりに計算して行動していました。ここは押せる!と判断すればダダをこね(往々にして計算が間違っているので怒られたりしましたが)、ここは大人しくしておいた方がと読めばしおらしくもしていました。大人の目からすれば見え見えだったとは思います。それが微笑ましく写ることだってあったと思います。それは知恵が足りないからであって、決して純真であったからだとは思えません。それとも私だけ特別可愛くないガキだったのでしょうか?
子供は純真である、あるべきだと言われると、当の子供は純真さを装います。それくらいの計算と演技はできるのです。計算して泣いている自分、可愛い子ぶっている自分が自分で分かっています。それを何かの拍子に見抜かれる、見抜くのはその手のことに鈍感あるいは無関心な大人ではなくて、たいていは同じ年くらいの子供です。奇妙な連帯感と近親憎悪に似た感情、これは誰でも覚えがあると思うのですが。
いつまでサンタさんがいるって信じているフリしていればいいんだろ?と悩んでいる子だっているよな、こんな時代、親の経済状態が分かっていてわざと安いおもちゃをねだって、そしてこれって可愛くないだろうなって気に病む子だって、本当は別なものが欲しいのに、これを欲しがれば親が喜ぶって気を使ってしまう子だって、いろんな子がいるよな、どいつもこいつも天使じゃないけど、ま、頑張って、と思いつつ新しいおもちゃを見つけてはガキそっちのけでいじくってみる、そんな季節です。
2001年11月8日 ルパン3世
ってアニメがありますよね。今年でアニメ化されてから30周年なんだそうです。この作品は元々は大人向けコミック、今でこそ子供が見ても楽しめる作品になっていますが、決して甘くはない、独特の「苦み」を感じます。ハードボイルドの雰囲気もあるし、フィルム・ノワールのような毒っぽさもある、そこが魅力です。
ところで、テレビアニメのオープニング主題歌なんですが、出だしとサビの部分にキレの良い女声コーラスが登場します。あれ、「ルパン ザ・サード(Lupin The Third)」って歌っているのですが、私はいー年こいた大人になるまでこれを知りませんでした。これを最初から知っていたって人、いるのかしら?ということで手近の人に尋ねてみました。
A氏:「ルパン、ルパ〜ン」だと信じていた。正しい歌詞が分かった今でもどうしたってそう聞こえる。もう訂正できないので、ずっとこのままでいいと思っている。
この「ルパン、ルパ〜ン」っていう人は他にもおりました。一度そう思って聞いてしまうともう治らないらしいです。
B嬢:「ルパンがさぁ〜」。えっ、ルパン?そう、ルパン!で、どうしたの?それがさぁ、って感じ。夢中でテレビ見ていた時代の自分の年齢と合ってんのよ、この口調が。
なるほど、女子高校生あたりの口調ですね。
C嬢:「ルパンです〜」、えっ、違うの?
きちんとした言葉遣い、お行儀が良いですね。
で、私は、というとですね(あぁ、言いたくない)、「ルパンでさぁ〜」だと思っていました。
「親分、越後屋の奥座敷から金の仏像が盗まれましたぜぃ!しかも、このまっ昼間に!」「何だって?ふてぇ盗人だ。どいつの仕業でぃ」「ルパンでさぁ」・・・、うぅ、銭形平次が入っとるやんけぇ。でも、そう聞こえたんだもん・・・。
2001年10月31日 JRさんへお願い
先日、JRの長距離特急列車に一人で乗りました。バッグの中には読みかけのデニス・ルヘインの新作、ホセ・カレーラスのベスト盤CDを入れたディスクマン、お茶のペットボトル、用意は万全、ゆっくりとくつろいで何だったら少し眠ってもいいな、線路のつなぎ目に揺られながらウトウトするのって気持ちいいんだよな・・・。私の目論見は木っ端微塵に砕けました。
お昼前の車内はとんでもないことになっておりました。私の席は禁煙席の5号車の中程だったのですが、片方の端には8名構成の酔っ払いオヤジの団体、片方の端には7名構成の恥という単語はとうに捨ててしまったオバさんの団体、この二つに挟み撃ちを食らってしまい、私の席はミッドウェイ海戦の連合艦隊みたいに騒音の十字砲火にさらされることになりました。
酔っ払ったオヤジというのは、酒乱でもない限り一人だと結構大人しいものですが、これが団体となると日光いろは坂の猿よりもタチが悪くなります。同じ会社に勤める同僚仲間の旅行らしいのですが、ビール、缶酎ハイ、カップ酒と昼間から大量のアルコールを摂取し、今夜はかあちゃんから解放されて好き放題という期待が加わり、これじゃいつ裸踊りが出ても不思議じゃないという状況です。
この手のオヤジたちには酒を飲んだ途端にその場はキャバクラであると錯覚してしまうという特徴があります。車内販売の女性に対するセクハラ言動、キャバクラのおねーちゃんがエッチな話を笑って聞いてくれるのは、あれはその分もお金を払っているからです。市価の数倍もするビール代、テーブルチャージその他、きちんと支払がなされているからこその商取引なのです。缶ビールとバターピーナッツ合計620円の支出でスケベ心を満足させようというのは厚かましいんじゃい!
オバさんの団体の特徴は、その人数に比べて遙かに大量の音声が発せられるということです。この人たちはなぜか複数人が同時に喋る。だから誰が何を喋っているのか全然分からない。分からなくてもいいんです、誰も人の話は聞いていないんです。みんな自分が喋ることに夢中、当然音量でその場を支配しようとしますから、相乗効果でどんどん大声になっていく。酔っ払いオヤジがその場を飲み屋と錯覚するように、この手のオバさんは仲間内で一度座ってしまうとその場を茶の間と錯覚してしまいます。お茶をすすって煎餅を囓ってお昼のワイドショーを見ている状態と同じ、グループ構成員以外の他人の視線を全く意識しません。
ルヘインの抑制の効いたクールな文章にオヤジたちの大声(サトウ次長の悪口と車内販売員にしつこく年齢とスリーサイズを尋ねる声)が被さります。システィーナ礼拝堂の天井画の上に公衆トイレの落書きがあるのを見ているような気分です。
カレーラスの声にオバさんのブッチャ切れの笑い声(強いて表記すれば「ブゥッヒャッヒャッヒャッ」って感じ)が被さります。キリリと冷えたフルーティーな白ワインのグラスに八丁味噌をぶち込まれたような気分です。
楽しい旅行で盛り上がるのは良く分かります。しかし、団体貸切列車でない限り、そこには必ず「関係ない人」が存在します。一人でのんびりしたいという私のような人間、手を握って見つめ合って「うふっ」なんて言いたい男女の二人連れだって存在するのです。そして、その人たちだってちゃんと同じ金額を払って乗っています。なのに、その置かれた状況は余りに不平等です。
オヤジたちはサトウ次長の悪口に飽きたのか、前回の旅行の時の下ネタ思い出話を大声で喋っています(録音しておいて奥さんに聞かせてやりたい)。オバさんたちはザクロで若返りという話題(ヒトの話は聞かないくせして、『みのもんた』の言うことは無条件に聞くんだ、これが)を喋りまくっています。私は本も読めず、音楽も聴けず、眠ることもできず、ただただ唖然としています。
JRさん、切符を販売する段階で、4名以上か4名以下かで車両を分けて頂けないでしょうか?あるいは、禁煙車があるのですから、「禁音車」を作っては頂けないでしょうか?今の時代、それくらいのサービスはしてくれてもいいと思います。
2001年10月2日 チャーハン
休日の昼食の定番、買い物に行くのが面倒な時のお約束、お金のない時の冷蔵庫棚卸しのお助けメニュー、それがチャーハンです。
ハムの切れ端、ネギの切れ端、卵が1個、そして残り物のご飯があれば出来上がり、簡単で美味しい。もちろんお店でも食べますが、これをうちのキッチンで美味しく作りたいと思い立ち、苦節数年(おーげさな)。最近になってやっと満足のいく出来上がりに到達しました。
私のチャーハン道の先生は町のラーメン屋さんです。立派な中華料理店と違ってこちらは厨房が丸見えです。油染みたカウンター、スポーツ新聞、サッポロビールのロゴなんかのついたコップ、天井近くのテレビではお昼のワイドショー、そんなお店で勝手に「修行」させて頂きました。こっちはタンメンなんかをフーフー食べながら、誰かがチャーハンを注文したら目線はカウンターの向こうに集中です。
まずハムとネギ、これは同じ大きさでみじん切り、卵をボールでざっと溶きます。ご飯と塩、胡椒、醤油、使用するものは全てレンジの周りに集めておきます。何しろ所要時間1分、途中であれがない!では困るのです。
中華鍋は煙が出るまで強火で熱します(ちなみに最後まで強火です)。ここに油を投入、さらに熱します。最初に炒めるのは卵です。卵が油を一度全部吸ってくれます、その後の材料を入れると適当に油を戻してくれます。仕上がりをパラパラにする第一のコツは「最初は卵」です。卵が半熟になったらハム投入、ざっとかき回すとご飯を入れます。このご飯、冷たい方が良いと聞いて以来、ずっと冷やご飯(ない時は暖かいご飯を冷蔵庫で冷やして)を使ってきました。でも、これが間違いなんですね。冷たいご飯を入れると鍋の温度が下がってしまい、調理時間が長くなる、つまりベタつくのです。コークスの強い火力を使うお店でも暖かいご飯を使っていますから、家庭のレンジの火力ではなおさらです。第二のコツは「暖かいご飯」です。
プロですとここで「あおり」ですが、そんなことすると私の場合はそこいら中にご飯粒をまき散らかすことになり、キッチンが汚れます。おたまで大きく円を描くようにかき回し、一、二度、鍋肌に軽く押しつけてひっくり返す、これで十分です。最後がネギ、ネギは最後でないと香りが飛んでしまいます。ジャカジャカ炒めつつ、塩、胡椒、最後に醤油を回し入れて香ばしい匂いがしたらすぐに火を止めます。これで完成。お店ではラードを使うところが多いようです。確かにラードの方が美味しいですね。
で、次に狙っているのは「餃子」完全制覇です。皮がパリパリしていて中のニラが緑色に透けて見えるような餃子を焼きたい!ラーメン屋通いは当分止められません。
2001年9月10日 納豆
私は関西文化圏の育ちなのですが、家族の構成及びその歴史の関係で(この辺、面倒なので省略)納豆が大好物です。関西の人って、これ見ただけで「気色わるぅ〜」って人結構多いんですよね。大学の時の友人に代々京都育ちという雅やか(?)なのがおりまして、こいつに「朝食は炊き立てご飯に納豆が最高」って言いましたら、「朝からあんなもん、よぉ食べるなぁ。それもご飯と?お抹茶となら分かるけど」と言われ、「納豆いうたらご飯やん」と話が全然噛み合わなかったことがあります。噛み合うわけがない、相手は甘納豆だと思っていました。ネバネバの納豆を知らなかったのです。そこで納豆ご飯をご馳走してやろうと用意したのですが、ヤツめ、手を触れることを拒否しました。
一番美味しいのはもちろん熱々ご飯に乗っけてかっ込むことだと思います。私はシンプルにたれと練り芥子少々だけで食べます。たまには鰹節を入れることもあります。刻みネギを入れる人が多いと思いますが、これは朝食には向きませんよね。ネギ納豆の匂いをさせて電車に乗るわけにはいきません(この辺がそこいらのオヤジと違うところ)。
ところで、朝の忙しい時間、ついつい食器を洗う手間を省こうとして納豆を小鉢ではなくて茶碗でかき回して、そこに直接ご飯をよそうことがあります。普通に食べるとネバネバ食器が二つ発生してしまいますが、これだと一つで済みます。でも、これやると何かその後が虚しいんですよね。まず姿が美しくない。真っ白なご飯の上にとろとろの納豆というあの「ニッポンの朝食」って感じの清潔感がなくて、「犬のご飯」って感じになります。下に埋もれてしまった納豆を発掘する作業もどこか寂しい。やはり食事はきちんと食べないと美味しくないですね。
他にも色々と美味しい食べ方があります。粘りを出さないままで軽く粉をまぶして唐揚げ、熱々に塩を振って食べると冷たいビールにはぴったりです。それからザク切りのネギ、ぶつ切りのイカを放り込んで醤油で味付けしてかき混ぜ、卵を割って繋ぎに少々の小麦粉を入れます。そこに大和芋をすり下ろして混ぜます。これをフライパンでお好み焼きの要領で焼きます。焼きたてに七味を振って頂きます。韓国のチヂミみたいな感じで美味しいです。ピザのトッピングにも使えます。生地は薄くてパリパリのものを、ピザソースにちょこっと赤味噌を混ぜるのがコツ。他の物と一緒に乗せる場合にはツナやイカが合います。野菜は何でも大丈夫。但しペパロニやベーコンとは全く合いません。納豆と肉類は相性が悪いようです。豆は「畑の肉」って言われているのになぜかしら?
納豆は安くて栄養があって高蛋白で低カロリー、その上とっても美味しい。関西の人も、もっと好きになったらええんとちゃう?
2001年8月10日 岸田森さんのことなど
ずっとウォルフ・フェラーリの「スライ」を聴いていました。そして、突然に、岸田森さんという俳優さんのことを思い出しました。「スライ」のウェストモーランド伯爵になぜか彼が被ってしまうのです。頭に浮かぶのはぼんやりした映像でしかないのですが、シェリル・ミルンズの声に彼の顔が重なるのです。私の持っている岸田さんの記憶って、大昔、あの懐かしい「帰ってきたウルトラマン」で見たことがある、というだけです。確かに見た、どんな話かも忘れたけど、表情だけは覚えている・・・、その表情が伯爵と重なって見えるのです。もともとテレビや日本の映画は滅多に見ない人間ですので、それ以外は全く分かりません。というわけで、取り敢えずレンタル・ビデオ屋で「帰ってきたウルトラマン」の1話と2話を借りてきました(ちょっと恥ずかしかった・・・)。幸いにも私の覚えている彼の表情が第一話で登場しました。彼の役は事故で引退したカー・レーサーだったんですね。不自由になった足を引きずっているんです。燃えさかるレース・カーを見つめるシーン、ここで私の記憶にある表情を発見することができました。ともかく凄い。何かにとり憑かれているようでもあり、全くの無のようでもあり、見ているこちらの背筋が寒くなります。子供が見ても到底理解できないだろうと思いますが、今になって見るとものすごい表情なんです。冷たくて、でも熱くて、苦痛に陶酔しているような、この世のすべてを恨んでいるような、この世のすべてを受け入れているような・・・。そして、どうやらバカなお子様だった私の脳は、理解できないくせに強い印象を受けたらしくて、このときの表情だけを大切に保存していたようです。それがミルンズの声に被って突然出てきたのでしょう。
そう言えば最近お見かけしないと思って調べてみましたら、もう大分以前に43歳の若さで亡くなっていたのですね。とても残念です。でも奇妙な再会を果たすことができて、これで良かったような気もします。
今、R・シュトラウスの「サロメ」を聴いています。ヨカナーンにまたまた岸田さんが被ってしまいます。私の頭の中の岸田森さんって、美形で少々異常、あっち側にイッてしまっているバリトン・キャラに被る人、ということのようです。
逆の場合もあるんですよね。テレビでF1のグランプリを見ているとき、フェラーリの一際高いエンジン音を聞くとパヴァロッティの声(「リゴレット」の「彼女がさらわれた!」)が被りますし、窓から外の雨を見ていると、フィッシャー=ディスカウの声が被ります。そして、なぜか葡萄を見るとカレーラスの声が聞こえるような気がします。私の脳の配線図はいったいどうなっているんでしょう?
ウルトラマンと言えば、地上に3分間しかいられない彼にはカップラーメンが食べられないというコマーシャルがありましたが、ハヤタがラーメン食べたんじゃダメなんでしょうか?だってラーメン食べたいって思ってお湯を沸かして用意をしたのはハヤタのはずなのですが・・・。あぁ、例によって下らないことに引っかかっています。
2001年7月19日 素麺
こうも暑くなってくると、冷たいものをツルツル食べる、そうでもしないととてもじゃないが何も喉を通らないって感じです。というわけで専ら素麺のお世話になります。大量の水をじゃぶじゃぶ消費するという製作過程も涼しいし、短時間で茹で上がるのでキッチンの温度もさほど上昇しません(この時期、コトコトと煮るとか、蒸し上げるなんて料理は絶対にできません)。
素麺のたれに少々凝っています。いつも同じだとさすがに飽きてしまうおそれがありますが、何しろ素麺に飽きてしまったら食べるものがありません。但し、手がかかるものと火を使うものはこの際ダメ、市販の麺つゆプラスアルファでできる範囲でないとイヤ。
まずは一番オーソドックスにおろし生姜と万能ネギのみじん切り、これで最初の一杯。次に種を取って包丁で叩いた梅干しと紫蘇の千切りをつゆに入れたもの、これで二杯目。次は瓶詰めのタケノコの煮物(中華惣菜の棚で売っているもの)、但し、これはラベルをよく見て下さい。ニンニクが入っているものは絶対にダメ。素麺とニンニクは絶望的なまでに合いません。これに戻したワカメ、ごま油ひとたらし、七味唐辛子少々、これだけをつゆに放り込んで中華風で三杯目。次はとろろをつゆで伸ばしてこれに海苔をたっぷりといれて四杯目。そろそろお腹がきつくなってきました。というわけで、最後のとどめは、缶詰のオイルサーディンをボールでぐっちゃぐっちゃにほぐしまして、これにキュウリを賽の目に切って加え、マヨネーズを加えて醤油を垂らしてさらにぐっちゃぐっちゃにします。これを素麺と和えて冷たいパスタ風に。この分の素麺は最初から別に分けておいてオイルサーディンの缶の油を混ぜておくといいですよ。これで都合五杯の素麺フルコース。
但し、最後のオイルサーディンは、お客様の時はやらないでくださいね。まるで生ゴミを食べているかのようで、見た目が非常によろしくないので。
この際見た目なんてどうだっていいの、ともかく食べないと死んじゃうんだから、という食欲がない時にでも、お一人でこっそりとお試し下さい。
2001年6月22日 エリート
「エリートの子供を殺せば死刑になると思った」・・・あまりに痛ましい事件の容疑者のコメントです。私は、最初これが正確に理解できませんでした。「エリートの子供」が分からなかったのです。子供がエリートのわけはない、まだ何者になるとも分からないのだし、何の影響力も持っていないのだから、これはきっとエリートの親の子供という意味だ、こう解釈したのです。その後の報道で、この「エリート」は子供たちそのものを意味するのだと分かりました。
この容疑者の頭の中では、偏差値の高い小学校→偏差値の高い中学校→偏差値の高い高校→偏差値の高い大学→偏差値の高い大学出身者しか採用しない企業(もしくは官庁)という図式が出来上がってしまっていたようです。そして、それが「エリート」なのだと・・・。
エリートとは何なのでしょうか?たとえば相撲の世界の横綱、彼らは間違いなくエリートです。野球の世界のイチロー、彼も文句なしにエリートです。アインシュタインは科学の世界でのエリートでしたし、ピカソは絵画の世界でのエリートでした。では彼らに共通するものは何か?それは「何かに秀でている」「ある分野で努力した」ということです。
お相撲さんの勝利インタビューを見れば、「はぁ、はぁ、はぁ」と「そーっすね」だけです。普通に聞いていればこいつアホかと思います。それを誰もアホと言わないのは、彼らの脳は言語能力では劣っていても(だいたい、力一杯闘った後で華麗な言葉で勝利を語れるわけがない)、運動能力に優れているからです。反対にアインシュタインが格闘技に弱かったとしても誰も彼を劣った存在とは思わなかったでしょう。彼の頭脳は運動能力ではなくて計算と論理の能力に優れていたからです。
エリートというのは、そこいら中にたくさんいるんです。腕が良くて、俺の建てた家は大地震でも台風でも一軒も倒れないという大工さん、愛想が良くて、毎朝そこで新聞を買うのが楽しみになってしまうようなキオスクのおばちゃん、最短距離でぴたりと目的地に着くタクシーの運転手さん、みんなその道のエリートです。
要するにエリートというのは、その能力を発揮することによって他人を幸せにできる人のことなのです。そのために努力した人なのです。一流大学を出たところで、一流企業に就職したところで、その能力で他人を幸せにできなければ、それはただの落ちこぼれなのです。某一流官庁で業者の接待でノーパンしゃぶしゃぶに通っていた官僚がエリートですか?彼らは人を幸せにしましたか?
エリートであることは大変な苦労です。持って生まれた才能をさらに磨き上げて、毎日苦労しないといけません。それを承知でなお自分はエリートであろうと思ったとき、人はエリートと呼ばれるのです。別に難しいことじゃありません。才能があればそれを使えばいいのですし、面倒だと思ったら止めればいい、それだけのことです。
この容疑者が今日に至るまで、誰もそんな簡単なことを教えなかったのか?私はこれが一番悲しいです。
2001年5月24日 タブーな人たち
某日、ある郵便局で・・・私は外国為替を組みに行ったんですね。その郵便局は窓口によっては番号札を引いて呼出を待つという形ですので、札を引いて待っていたところ、年の頃60歳台前半というおじさんがやって来て、番号無視で書留の窓口に手紙を差し出しました。それも全くの無言「・・・」で親指と人差し指で摘んだ封筒(その封筒、汚いのか?)をぐいっと差し出す。余りに横柄な態度なので、これは「ヤクザ屋」さんかと思いましたが、スーツの襟には某大企業のバッジが・・・。
「番号札?どこだ?」「これか?」といういちいち威張ったやりとりの後、ソファーにふんぞり返って座って両腕を背もたれに回し、優に3人分のスペースを占拠。コンピュータの合成音で女性の声が「何番の番号札をお持ちのお客様、お待たせ致しました」(こんなオヤジに敬語使わなくてもいいって)と告げて、おじさん窓口に再突入、手続をした局員が「これ、料金が不足しています。あと20円お願いします」と言うと「なに?そんなはずない!」「もう一回測ってみろ」、おじさん、あなたはたいそうご立派な企業にお勤めです。ひょっとすると高い地位にあるのかも知れません。会社の人は皆あなたにヘーコラしているかも知れません。でもね、ここでは偉くないのです。
某日、繁華街の路上で・・・いきなり後ろから「ねぇ、ねぇ、ねぇ」と若い女性の声、振り返ると「あのさ、この辺にケンタない〜?」、「ケンタ」が「ケンタッキーフライドチキン」の略語であることくらい私だって知っています(しかし、何でもかんでも略すなよなー)。ただ、私はこういうものの言い方をされると途端にひねくれてしまう人間ですので、「ケンタとは何でしょうか?」と尋ねました。「えぇ〜、それってさぁ、ケンタッキー?」(質問しているのは私だ!)、はぁ、ここでさらにひねくれた私、こういう時の癖で言葉遣いが急に丁寧になる、「ここはこの通りの繁華街ですからケンタッキーフライドチキンは数カ所にあります。あなたがどこでも良いからお食事をなさりたいのか、それとも特定のお店でお約束でもあるのかで違ってくると思うのですが」、「っていうかぁ、トリしたくってぇ」(これは鶏肉を食べたいという意味らしい)、「そういうことでしたら、あなたのすぐ後ろにありますが」、(実は最初から気づいていました。私って性格悪い・・・)、「え〜、あるじゃん、うっそー、分っかんねぇ〜」、えーい、私にはお前が分からん!
Asahi.comのニュース、相模原市の市民グループが市議会で居眠りしている議員を調べたんだそうです。45日の会期中37日居眠りしているところを目撃された市議さんのコメント、「居眠りくらいする」・・・しねーよ。
2001年5月1日 枝豆
今の時期、枝豆が出回り始めます。なんたって冷たいビールにはこれが一番美味しい。栄養もあるしカロリーも低いから、最高のおつまみです。
お店でお酒を飲む時も「とりあえずビールと枝豆」というパターンが多いです。ところが、美味しい枝豆を出してくれるお店って意外と見つけるのが難しいんです。というわけで、家で自分で茹でる、これが一番美味しいです。
鍋にたっぷりのお湯を沸かして塩を入れます。調味料は塩だけですから、できるだけ良い塩を使いたいですね。枝豆はざるに入れて水で洗った後、これも塩をまぶして「これでもか!」って感じで擦り合わせます。気分はほとんどアライグマ。よく塩もみした枝豆は色鮮やかに茹で上がりますし、莢に味がよく浸みます。美味しく仕上げるにはここで手抜きをしてはいけません。沸騰した鍋に枝豆を放り込んだら鍋のそばを離れてはいけません。そんな時間ありませんから。お箸でゆっくりと丁寧にかき回して一つ二つ莢がはじけたら、すぐに火から下ろします。ここでの数秒の遅れは味に大きく響きます。ざるに空けたら風通しのいいところに置いて冷まします。このときの余熱でかなりしっかりと火が通りますから、火から上げるのが遅れると柔らかくなりすぎます。
冷めたところでよく冷えたビールと一緒に頂きます。もう、至福の時ですね。枝豆は手で摘んで食べるのが一番美味しいと思います。莢にしっかりと染み込んだ塩味が肝心なので、莢に口が当たらないと美味しくありません。試しにお皿に出してお箸で食べてみて下さい。全然美味しくないですから。
茹で上がった枝豆は冷蔵庫にしまってはいけません。莢が乾燥して塩気がなくなります。ラップをしてしまうと、今度は莢が湿気を吸って柔らかくなってしまいます。というわけで、茹でたら全部食べる、これが正しい。
その辺がよく分かっているお店では、室温に冷えた色鮮やかで歯ごたえのある枝豆を出してくれます。室温以下に冷えていて莢が水っぽくなっているものは数時間前、下手すると前日に茹でたものを冷蔵庫で保管していたものですから、これはもう、プロとしては失格だと思います。美味しい枝豆を出してくれるお店は他の献立も絶対に美味しい、これはまずハズレのない法則です。
「とりあえずビールと枝豆」、安直なようですが、実はこれ、正しいオーダーだと思います。
2001年4月12日 よく分からない人たち
・歩道でベルを鳴らす自転車
って、あれいったい何を望んで鳴らすのでしょうか?進路を明けろってことですか?歩行者にはバックミラーはついていないので、進路を確認するためには振り返らなければなりません。かえって危なくないですか?
「道路交通法」では、自転車は「歩道の中央から車道寄りの部分を徐行」し、「歩行者の通行を妨げることとなるときは、一時停止」しなければならないとされています。徐行しないで普通の速度で走るのも、邪魔だからってベルを鳴らして歩行者に道を空けさせるのも、立派な法律違反です。前に人がいて走れないと思ったら自転車を降りなさい。危険回避義務はこの場合、速度が速くて衝突した場合により大きなダメージを与える自転車にあるのです。歩くというもっとも優雅な移動方法をとっている人間に対して失礼というものです。
・違法駐車しているベンツ
ご近所で時々見かけるんですよね、3ナンバーの紺色のベンツ。近くの有料駐車場が空いていても、パーキングメーターの前が空いていても毎度堂々と違法駐車。ベンツが買えるくらいなんだから、数百円の駐車場料金くらい払ったらいかがでしょう?お金がないならカローラに買い換えたらいいのではないでしょうか?(カローラさん、ごめんなさい)、その方が税金も安いですし。ベンツに乗っていて貧乏くさく見えるって、なんかすごいですよね。
・公園でゴルフクラブを振り回す人
もしもすっぽ抜けたら、自分の死角を小さな子供が走り抜けたら・・・と考えるとぞっとしませんか?謝って済む問題ではありませんよ。何のためにゴルフ練習場(あの緑色のネットを被った醜い造作物が私は嫌いですが)があるのでしょう。趣味というものは、それなりのお金を使って初めて身に付きますし、楽しいものです。小さな子供が遊ぶ公園で素振りするような人間は、家のプレステで「みんなのゴルフ」をやっていればいいのです。
・キューブ型洗濯洗剤を考えた人
洗濯する時って、その状況によって洗剤の量を調整しています。洗濯物の量が少しで殆ど汚れていないからほんのちょっぴりとか、油汚れがあるから普段より多めにとか、いつも同じ洗剤の量ってわけではないんです。キューブでどうやって調整するのでしょうか?二つに割れ?かえって不便ですよね。洗濯物の量や汚れに一切関係なくいつも同じ量の洗剤を放り込んでいるという人がいるならば、それは洗剤以前の問題ですが。
・森喜朗さん
なんで総理大臣になったのかサッパリ分からない人でしたが、分からないまま、今度は何で辞めるのかも分からないうちに辞めてしまわれるようです。この方、いったい何だったんでしょうか?この人が一番分からない・・・。
2001年3月22日 米を研ぐ
「無洗米」というのをスーパーマーケットで見つけました。これ、既に研いであるので自分で研がなくていいんですね。これは便利、うれしいと思いました。冬の間、お米を研ぐのはかなり憂鬱な作業です。何しろお湯を使うわけにいかないし、ゴム手袋をするわけにもいかないし(構わないのかも知れませんが、ご飯がゴム臭くなりそうで、私はいやです)、手が冷たいといったらもう勘弁してって感じです。
で、これを購入してご飯を炊いてみました。何か違う、美味しくないんです。味が悪いというわけではなくて、炊きあがったご飯に対するこちらの執着が違うというか、ご飯がご飯らしくないというか。
米を研ぐ、これが似合うのはどんな人間か?たとえば、舞台は昭和初期、お座敷の座布団の上に座った姑さんが若いお嫁さん(年は21歳くらい)を叱っています。まったく、こんなこともわきまえていないなんて、お里の方ではいったいどんな躾をされていたんでしょうね、だから私は○○(若いお嫁さんの旦那でこの家の長男)に、釣り合わないお相手じゃ何かと困ったことになるって言ったんですよ、ほれ、言わんこっちゃない・・・云々。廊下で正座しているお嫁さんは、一言も言い返すこともなく木綿の割烹着の端を握りしめて俯いているんですね。で、外は夕焼けで晩御飯の支度。お勝手の御影石の流し台でお嫁さんがお釜に入れた米を黙って研いでいる。ジャキッジャキッって音が勝手口から西日が射すだけのほの暗い台所に響いている。時々ポタって涙が落ちて、それがお米に混じります。
たとえば、25歳の営業マン、新規顧客を捕まえ損ねてしまいました。それは自分の見積もりに難癖つけて書き直させた営業課長のせいなのですが、当の課長は本日支店長の前で「私の知らないうちに、コイツ、先走ってしまいましてね。近頃の若いモンは何て言うか・・・」と、全部自分のせいにして涼しい顔。どうにもこうにも収まらないので、帰宅途中に居酒屋へ寄って、アタマに血が上った状態で空腹なんて感じられなかったので、生ビールと酎ハイ煽って、するめを囓って鬱々と一人酒、で、夜11時過ぎに一人暮らしのアパートに帰ってきたところ。シャワーを浴びると急にお腹が空いて、このところ残業続きでまともに買い物もしていないので、冷蔵庫は空っぽ。ピザのデリバリーを頼もうかと思ったけど、どうしてもご飯が食べたい。かといって駅前の定食屋はもう閉まっている。というわけで、シンクの下から米を取り出して電気炊飯器の内釜で研ぐ。ジョリッジョリッって音が明るい無機質な蛍光灯の下で響いている。いい加減にまくり上げたパジャマの袖がすっかりびしょぬれですが、彼は気づかない。
炊きあがったご飯を、若いお嫁さんが木のしゃもじでかき回しておひつに移します。湯気がモワッと上がって、ほつれた髪に絡みつきます。なんだか無性に腹が立って、お焦げのところを手ですくい取って口に入れます。さっきまで泣いていたから口の中がほのかにしょっぱくて切ない。
炊きあがったご飯に、生卵を割って醤油をかけ回して、若い営業マンが掻き込みます。暖かい炊き立てのご飯がアルコールしか入っていない空っぽの胃袋に落ちていきます。あの野郎、辞めるとなったら絶対にお前だけはブン殴ってやっからな。
日本人がいつからご飯を炊いているのかよく知りませんが、きっと何千年って時間、同じことをやってきたに違いないと思うのです。米は「洗う」と言わないで「研ぐ」と言います。研ぐ、刃物を研ぐ、爪を研ぐ、感覚を研ぎすます・・・。お米を研ぐという作業には、長い長い間に染みついた何やら表現のしようのない何かがあるような気がします。そして日本人はお米と一緒に何か別のものを一緒に研いできたような気がします。かのお嫁さんが、かの営業マンが炊いたご飯は、なぜだかよく分からないけど、きっと美味しいだろうなって思います。
お米はやっぱり冷たい水で研いだ方がいいようです。
2001年2月28日 うどん
私はお蕎麦も好きですが、うどんも大好きです(それを言うならスパゲッティもラーメンも焼きそばもビーフンも好き、要するに麺類だったら何でも好きなんですが)。特に寒い冬の熱いうどんは美味しい!
蕎麦ですと冷たいせいろが一番好きなのですが、うどんは熱いのが好きです。今、一生懸命考えたのですが、冷たいざるうどんというのを食べた記憶がないんですね、う〜ん、本当に一回もないのかなぁ?思い出せない・・・。
うどんは麺がうんと太くて、これでもかってくらい腰のあるのが美味しいです。割烹料理屋などでお酒を飲んだ後に軽くって感じで出てくる稲庭うどんは、美味しいと思うけど上品すぎて、うどん食った!っていう感じがしません。
この腰の強さは粉を踏んづけて出すのだそうですが、体重との関係はどうなっているのでしょう?太ったご主人のお店のうどんは美味しいということになるのでしょうか?
私は薄味が好みですから、うどんの出汁も金色に澄んでいるもので、これを最後にゴクゴクって飲み干すのがいい。東京風の黒い出汁では最後まで飲むことができないのでつまらないですね。
その出汁ですが、あれこれ試してみたのですが、昆布や鰹節だと出汁が勝ってしまってうどんには合わないように感じます。イリコ出汁が一番、少し魚臭いかなってくらいでちょうど良いと思います。甘い油揚げを入れてきつねで食べる場合には、これに(鰹じゃなくて)鯖節をプラスするとより魚臭くなって油揚げの醤油と砂糖に負けない出汁ができます。逆にエビの天ぷらなんか乗せる時は鰹節をプラスすると少々上品に仕上がります。
薬味は普通はネギか七味唐辛子なのでしょうが、私のお気に入りは「おろし生姜」、アツアツのかけうどんにこれを入れると、ネギや七味のように癖がない分、あっさりと引き締まった感じで美味しいです。
うどんというと「きつね問題」があります。私は関西文化圏の育ちなので、油揚げの入ったうどんが「きつね」、蕎麦が「たぬき」だと信じていました。関東地方では油揚げ入りはうどんもそばも「きつね」で揚げ玉の入ったのが「たぬき」だと理解するまで結構時間かかりましたね。隣の席の人が「きつねそば」なんて注文すると「そんなもんあらへん」と思い、「たぬきうどん」と聞けば「それ、何やの?」と思っていました。この「きつね問題」の境界線はどの辺りなんでしょうね?中にある名古屋はきしめんと味噌煮込みうどんだから、きつね問題には関心なさそうだし・・・。「きつね問題検討委員会・東海道線査察部会」というのはどうでしょう?胃袋自慢が大阪から東京方面へ各駅停車に乗って、駅一つ一つに降りては駅前で一番最初に目に入ったうどん屋に入り、「きつね!」とだけ注文する、で、お店のおばちゃんが「うどん?そば?」と聞き返す最初の駅を探すのです。
2001年2月9日 カラス
えっと、カラスっていってもマリア・カラスじゃなくて鳥の方のカラスです。最近「サムソンとデリラ」を聴いている関係で旧約聖書を読んでいます。新約聖書は何かお説教ぽい(聖書だから当たり前か)のですが、旧約はお伽話として読んでも面白いと思います。
例の有名なノアの箱船のお話なんですが、洪水が40日間全ての地上を覆って、やがて水が引き始めて(レオナルド・ダ・ヴィンチは「地表全てが水に覆われたとしたら、その水はいったいどこへ引いたのか?」ともっともな疑問を書いています。バスタブのお湯だって栓を抜かないことにはなくなりませんものね)から40日経った時、ノアは鳩を放した、そしてその鳩はオリーブの枝をくわえて帰ってきたので、ノアは水が引いたことを知った、となっています。
実は鳩の前にカラスが飛んでいたんですね。そのカラスは地上のどこにも降りることができなくて途方に暮れて帰ってきてしまったんですね。この順番が逆で、カラスがオリーブの枝をくわえて帰ってきたのだとしたら、カラスは今日の鳩のように「平和のシンボル」になったのかなぁ?オリンピックの開会式でたくさんのカラスを飛ばす、世界何とか年間のポスターにはオリーブの枝と一緒にカラスが描かれる、鎌倉の名物は「カラスサブレー」・・・。
カラスって何かと嫌われているようです。黒一色で不吉だとか、ゴミを漁って散らかすとか。人間の黒一色の装いはシックだって言われるのに、何でカラスはダメなのか?
カラスは元々は森に住んでいて、雑食性なので木の実なんかも食べるそうですが、一番の好物は肉なんだそうで、動物の死骸を片付けてくれるそうです。ゴミ袋の中に肉の切れ端やらが詰まっているという状況は、カラスから見れば動物の皮の中に肉があるのと構造は全く同じです。食べるなっていう方が無理ですよね。
私は別にカラスは好きでも嫌いでもありません。向こうは向こうで存在しているし、私も私で存在している、というだけ。ペットにしたいとは思いませんが、いなくなれとも思いません。
イギリスの「ネイチャー」誌によると、カラスは石器人よりも頭が良いらしい。ニューカレドニア島のカラスは、木の枝から葉をむしって先細りの形にしたものを道具に使って虫を捕ることができるんだそうです。
先日見たある光景、ゴミ置き場のカラス避けネットの上にぽんとゴミ袋を置いてそのまま行っちゃった人がいて、一分もしたらカラスが数羽登場して、ゴミを漁り始めました。ネットが何のためにあるのか理解できなかったこの人は石器人並みの知能で、カラスの方が賢かったみたいですね。情けなくないかぁ?
2001年1月21日 「癒し」
癒しという言葉を最近やたらと目にします。癒し系グッズというのもたくさん売っています。ハーブ、匂いのするロウソク、自然の音を集めたCD、果てはロボット犬のアイボ・・・。
私は言葉の使い方にかなり神経質な人間で、この「癒し」という言葉に少々抵抗があります。これは「癒す」という動詞の名詞形として使われているようですが、私の持っている広辞苑には出ていません。「癒す」は動詞ですから、能動態としての「癒す」と受動態としての「癒される」に使い分けられます。では名詞の「癒し」はどちらなのか?
普通なら両方なのでしょうが、こと「癒し」に関してはまず100%癒されるという意味で使われているようです。要するに受けるばっかりというわけ。
みんな、みんな、癒されたがっているのは分かりますが、癒す人が皆無だったらどうなるんでしょうか?ある時は癒され、ある時は癒すこともある、というのが自然だと思うのです。
例えば道がゴミだらけだったらいやですよね、ですからゴミを捨てないということは他の人を癒すことになります。電車の中でお年寄りに席を譲れば、そのお年寄りは癒されるでしょう。迷惑駐車をやめれば、その近所に住んでいる人、街を歩く人は癒されるでしょう。人にぶつかった時に「ごめんなさい」と謝れば相手は癒されるでしょう。サービスを提供してくれた店員さんに「お世話様でした」と言えば、彼は彼女は、いい仕事して良かったと癒されるでしょう。人を癒すことも「癒し」だと思うのですが、こちらの方は最近激減しており、もはや絶滅寸前かも知れません。
というわけで、最近では癒すのは道具か機械の専門ということになっているようです。求めるだけで与えないという一方的な関係は、どんな関係にせよいずれ摩擦の元になると思います。相手が何も言わない物だから、「癒しを求める」という行為はどんどんエスカレートしていくでしょう。癒されることばかり求めていると、癒すことを忘れてしまうような気がするのです。
一方的にガツガツ求めるだけで、自分からは与えない、これは「癒し」ではなくて「卑し」なんじゃないかな。