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2004年12月28日 素泊まり
2004年12月18日 お金が欲しい
2004年11月3日 昼下がりの蕎麦屋
2004年9月3日 書店にて
2004年7月30日 本人確認
2004年6月18日 茗荷
2004年5月14日 これでいいの?
2004年4月11日 Aの喜劇
2004年3月24日 触れる手
2004年1月28日 食い物の恨み
2004年1月11日 お正月雑感

Leaf2004年12月28日 素泊まり

 だいぶ前のことですが、お正月を温泉旅館で過ごしたいなと思ってあれこれと調べてみたことがあります。で、結局諦めました。なぜって、高い!高すぎる!
 そりゃ世間には需要と供給の関係がありますので、みんなが泊まりたい時期に料金がある程度高くなることは、いくら私がバカでも理解しています。でもね、旅館って、シーズン料金ったって、部屋が急に広くなるわけじゃなし(どころか予約が遅ければ庭も見えない配膳場の隣の部屋をあてがわれる)、温泉の効能が急に増えるわけじゃなし(どころかお風呂は混んでいてカランもシャワーも早い者勝ちの気忙しさ)、サービスが急に良くなるわけじゃなし(どころか確実に悪くなる)、何も良いことないじゃないですか、これで何で高くなるんですかぁ?
 確かにお正月料理が出ます。でも、お正月料理をアタマに浮かべて良く考えて下さい。あれは全部作り置きができるものばかりです。当然です、本来、年末にバタバタしたお母さんが三が日は台所に立たなくても良いようにと考えられた献立だからです。田作りなんて1ヶ月以上保ちます。2日前にお重に詰めて大丈夫、これをメインに出されて、冷凍モノの刺身と椀物がついて、どう見たってお正月以外の献立の方が美味しそうです。
 需要と供給よりも、取れる時に取れるヤツからぼったくる、俺たちに明日はない!ってことでないの?というのは、貧乏人の僻みですか?

 日本の温泉旅館って「囲い込み」の発想なんですね。一度チェックインした客を外に出さない、お風呂も夕食も、食後のお酒もカラオケも全部宿の中、他で金落とさせてたまるか!という発想、これで今更町が寂れたと言われても、寂れさせたのはあんたらですやん。旅館が客を「監禁」するもんだから、温泉場の裏路地は、女性や子供の眼には触れさせられないたぐいの商売、ヌード劇場や女性が隣に侍る怪しげなサービスが売り物のお店ばかり。かつて温泉場で顔をテラテラさせて歩いているのは会社の交際費を使いに来たオヤジばかり、という時代はこれで良かったでしょうが、今時、ンなことさせる企業はありません。プライベートタイムを会社に拘束されるのはイヤって人が今や多数派で、社員旅行をするところはいくらも残っていませんし、下手すると会社をセクハラ訴訟に巻き込む危険があります、お役所の場合は情報開示請求で冷や汗かく危険があります。今、かつてのオヤジたちの代わりに元気良く旅を楽しんでいるのは圧倒的におばさんたち、家族旅行の場合は、その行き先の決定権はお財布を握っていてその手の情報に敏感なママさんたちにあります。
 旅館はガラガラなのに日帰り温泉は満員というのが現実、だったら日帰り温泉の客を帰らせない工夫を凝らした「素泊まり」宿を作ればきっと人気が出ると思います。

 午後遅くにチェックイン、明るいうちに露天風呂で風景を楽しみつつ汗を流して、夕食は海の近くでしたら美味しい寿司屋で、山間の温泉場でしたらこだわりの蕎麦屋で、土地の料理と地酒を美味しく頂いて、宿に帰ってもう一風呂浴びて、ゆっくりと眠る。小さい子供連れの家族なんか、バカ高い懐石料理を食べさせたところで、ガキにその値打ちが分かるはずもなく、そのうちグズりだして、高そうな陶器や塗り物に傷を付ける、で、親が叱り飛ばして大泣きするのが落ち、子供はファミレスでハンバーグを食べる方がうれしいに決まっています。
 勿論、高価な懐石料理を楽しみたい人もいるでしょう。だから、勝手気ままな外食か部屋でのんびり懐石かを選べるようにして欲しい。

 夕食・朝食付で25000円の宿なら素泊まり10000円でいけるはずです。確かに客単価は下がります。しかし、素泊まりは「連泊」が期待できます。普通の人間(予算委員会では居眠りしてても、夜の料亭は皆勤賞だった前総理の森さんのような特異体質でない人間)は、懐石料理を二晩続けて食べることはできませんが、お寿司とラーメン、お蕎麦とファミレスなら続けたって平気です。マスコミで評判の行列のできるラーメン店を誘致すれば、くつろげる和室、露天風呂、話題のラーメンを全部こなして一晩楽しんで11000円、若い人だって払える金額です。選択肢が増えれば連泊も増えるはずです。
 誰も使わない300畳敷の宴会場はさっさと潰して、浴衣姿で楽しめるワインバーか子供も一緒に見られるラインナップのミニシアターにすれば良い。旅館が「囲い込み」を解けば客は町に繰り出します、町が女性や子供も一緒に楽しめる場所であれば、治安も良くなります、治安が良くなればリピーターも増えます、リピーターが増えれば口コミでさらに新規客が呼び込めます。大勢の客が町全体に広く薄くお金を落とせば、町に活気が戻ってくるはずです。

 「素泊まり」させてくれぃ!



Leaf2004年12月18日 お金が欲しい

 お金が欲しいなぁ・・・と深夜ボソリと呟いてしまいました。

 「ドラゴン・クエストⅧ」の話です。Ⅰから全てをプレイしているいー年こいた(こき過ぎた)私としては、やっぱりやらないわけにはいかないんです(何の根拠もない、この無駄な責任感!)。今回、画面が3D、フィールドはどこまでも広くて、しばしばの3D酔いをこらえればきれいな風景はピクニック気分、時間の経過に従って移ろう空の色も美しい。ただ、お金が貯まらないんです。
 新しい街に到着、宿屋で一休みした後、一通り街の人の話を聞いて回って、次の目的地を確認、教会で殊勝にお祈りしてデータをセーブ、有り金握り締めて武器屋と防具屋へ直行。ピカピカの鎧、名前だけでいかにも丈夫そうな盾、なにやら特別な効果のありそうな武器、全部高い、高すぎる・・・とてもじゃないけど手が出ない。実は、別に手が出なくても困らないんです。プレイヤーの何たらいうのが絶望的な方向感覚の持ち主なもんで、そのおかげでやたらと歩き回るせいで、もうレベルは十分、そこらへんのザコなんぞ1ターン未満で消滅させる凄腕チーム、さっさと次のミッションに取り組んでもまったく問題ないんです。しかし、そこは、やっぱり苦労の多い冒険の旅を共にしている以上、4人のメンバー全員に新しい装備を買ってやりたいじゃないですか。
 ザコ敵と遭遇、1ターンで軽く一蹴、手に入るお金は200ゴールド足らず、主人公に似合いそうな新しい鎧のお値段は6000ゴールド、ってことはこれを何回やりゃいいの?グラフィックに凝った作品ですので、戦闘シーンが長いんですよ。「MOTHER 2」みたいにザコは出会い頭に「YOU WIN!」で終わらせる方法はないんでしょうか?ため息交じりで広いフィールドを歩き回り、こつこつと小銭を稼ぎます。最低時給で深夜労働をやっている気分です。

 お金といえば12月はボーナスシーズンですね。今年ガッチリと国民のハートを鷲掴みにした社会保険庁の皆様にもボーナス出たのでしょうね。年金資金でマッサージチェアをお買い上げだそうで、人気ミュージカルのチケットもお買い上げだそうで、普通の会社でこれやると、即刻クビです。ボーナスどころか退職金も貰えません。下手すれば警察のご厄介になります。何億円もかけて建設した施設を10500円とかで叩き売りしておられます。普通の会社でこれやると、「辞めます」と言わざるを得ない状況に追い込まれます。役員だったりしたら、株主代表訴訟で何億円だか支払えなどと恐ろしい判決を頂いてしまいます。

 社会保険庁といえば、「業務3カ条」というのを作ったそうです。「呼び出し音(ベル)が鳴ったら、すぐに電話に出ましょう」「出るときは、所属名と自分の名前を名乗りましょう」「電話は、切るまでが会話です」の3つだそうです。わざわざ作ったくらいですから、今までは「呼び出し音が鳴っても電話に出ない」「出ても所属と名前を名乗らない」「会話の途中で電話を切る」をやっていたってことでしょうね。これで今日までやってこられたのですから、ある意味すごいです。それをわざわざプレスリリースするのもすごいです。褒めて貰えると思った・・・なんてことはいくらなんでもありませんよね。高校生のバイト君だってこれくらいのことはちゃんとできます。できないと雇って貰えません。

 高校生といえば、「振り込め詐欺」で2500万円もの大金を奪った高校生ら5人が逮捕されました。一泊4万円の高級ホテルに泊まって一食6万円のフランス料理を食べていたとか。腐れガキめらにはこれから先、刑事、そして民事(金、返さんとならんでぇ、全部つこたんか?ご愁傷様)と、楽しいことが待っていますからそちらにお任せするとして、このフランス料理店が私は気になります。十代の少年5人が一人6万円ですよ。どう見たって不自然でしょう。お金持ちのお坊ちゃんだと思った?まともな家庭では、いくらお金があっても子供だけでこんなことはさせません。必ず大人が一緒です。これが焼肉屋で骨付き上カルビ食べまくって6万円なら、ファミレスのメニューを片っ端から頼んで6万円なら納得ですが、一食6万円といったら超のつく高級店です。ゆったりと間隔をとって注意深く配置されたテーブル、弦楽四重奏の静かな調べ、控えめな照明、テーブルの上にはろうそくの灯りを跳ね返すクリスタルと暖炉の炎を鈍く映す銀器・・・、そんな店にガキばっかりの5名様が一人6万円(まさかワイン出してないだろうな?)ですよ。他のお客様に失礼でしょう。雰囲気が微妙に違ってしまいます。妙な雰囲気は食欲を減退させます。
 ここの支配人には、「誠に残念ながら、当店の料理は今のお客様方のお口には合わないかと存じます」「10年後にお美しいご婦人とご一緒においでいただけるのを楽しみにしております」と優雅に断ってもらいたかったです。お金を払えば誰にでも食べさせるというのは見上げた商売人かも知れませんが、他の客、店の雰囲気を守るというのも商売の大切な要素です。どこの何と言う店か知りませんが、私はここで食事したくありませんね(したくてもできないというツッコミはなしでお願いします)。

 おぉ、いつの間にか6000ゴールド貯まったぞ!これで主人公に新しい鎧を買って上げましょう。

 しかし、さっきニュースに出ていた自民党の亀井静香さん、この方、少し前にやたらとマスメディアに登場していた和泉何とかっていう狂言師のお母様と幼い頃生き別れになった双子・・・ってことはないですよね。

 新しい鎧を身にまとった主人公はちょっぴり打たれ強く成長しました。しかし、気のいい元山賊のお兄さんには、その豪腕に相応しい大きな斧を買って上げたい、気障な女好きの騎士殿には、その騎士団の粋な制服に似合うであろう輝く盾を買って上げたい、紅一点の気の強いお嬢さんは薄着なんで、素敵なローブを買って上げたい。

 結局、ゴリゴリ歩き回ってコツコツと戦うしかないんですよね、お金が欲しけりゃ働けってか?がんばれ、私。



Leaf2004年11月3日 昼下がりの蕎麦屋

 だいぶ前から、子供の「孤食」というのが問題になっているようです。確かに子供の場合は一人で食事させるのは問題でしょう。好きなものばっかり食べそうですし、食事の席でのマナーも、会話の進め方も身に付きません。第一、様にならないし、痛々しい。しかし、ある年齢を超えてしまうと、孤食はささやかですが重要な人生の楽しみの一つになります。
 一人でのんびりとマイペースで好きなものを味わいつつ、あれこれどうでもいいことを考えるひとときが私は好きです。

 大人の孤食の場合、一番大切なのは場面の設定です。やはりフランス料理やイタリア料理なら、目の前に然るべき人に座っていて欲しいですし、焼き肉は4、5人でわいわい食べた方が絶対に美味しい。寿司屋のカウンターで一人となると板さんにいじられることが多くて、これはこれで楽しい時もありますが、やはり緊張します。ファミレスは孤食愛好家としては敬遠します。うるさすぎる、BGMも相当なものですし、いちいちイラッシャイマセェ、アリガトウゴザイマシタァと怒鳴る店員さんにも疲れます。喫茶店で軽い食事とコーヒーもいいのですが、これまた音楽がうるさいところが多いです。食事しに来たのか音楽を聞きに来たのか分からない、どんな名曲でも好みと状況に合わなければ騒音です。

 孤食愛好家としては、やはり蕎麦屋がイチオシです。お昼時はビジネスマンやOLのグループで満員、一人で入るとまず間違いなく相席になります。山菜蕎麦をたぐっている間に、○○株式会社の総務部の力関係や、女子社員の給湯室での静かなる陰謀の経過や、何とか常務のヅラ疑惑などを事細かに聞かされるというのも、楽しいよりは鬱陶しいことが多いですし、多勢に無勢の居心地の悪さはどうしようもありません。

 世の孤食愛好家が集うのは「昼下がりの蕎麦屋」です。お昼の喧噪が過ぎ去った午後2時あたり、ひっそりと暖簾をくぐる孤食愛好家たち。出来れば店内は無音であってほしい、音楽もテレビも必要ありません。蕎麦をすする音、厨房から聞こえてくる天ぷらを揚げる音や食器の触れあう音、表を通り過ぎていく足音、これが理想です。店員さんも出来れば静かな人がいい、厨房に向かって「鴨南いっちょぉ!」って怒鳴るんじゃなくて、奥でぼそっと「鴨南入ります・・・」くらいが良いな。
 蕎麦が来るまでの間、手持ちの本をめくります。大型の本は持って行くのが面倒、ミステリーは展開が気になってのんびり気分にそぐわない、新聞は大きくてテーブルの上で扱いにくい、漫画はこの場に似合わない、「サンデー毎日」当たりが似合いますね。

 ところが、たいていの蕎麦屋が2時過ぎに一度暖簾をおろしてしまうんですね。開いている蕎麦屋を見つけるのが結構大変です。一番奥のテーブルで白い割烹着の従業員の方がまとまってひっそりと遅いお昼を食べているというのも、昼下がりののんびりした雰囲気を醸し出す良い風情ですし、せめて3時くらいまでは暖簾を上げていて欲しいと思います。
 午後2時過ぎに店を開けている蕎麦屋は孤食の楽しみを知っている蕎麦屋、一人の時間を静かに過ごす人間に優しい店が多いように思います。

 一人一人の人間が何人か集まって、でもやっぱりそれぞれ一人なんですが、静かな空間に漂う密やかな連帯感は、迂闊な人間が携帯電話を使い出した時の一人一人の目線の動きでしっかりと確認されます。携帯の電源をオフにしておかない人間はこの場にお呼びではありません。昼下がりの蕎麦屋は、蕎麦もともかく、この一歩引くことを良しとする雰囲気もご馳走ですね。



Leaf2004年9月3日 書店にて

 ほぼ毎日、私はどこかの書店に立ち寄ります。立ち読みだけのこともあり(ごめんなさい)、目当ての本が店頭に出たかどうかをチェックするだけのこともありますが、一日一回、時には数回、書店に行きます。単純に本がずらーっと並んでいるのを眺めるのが好きということもありますが。

 先日、半分白髪頭でスーツ着用の中年の男性、入り口からレジに直行して伝票の整理をしていた店員に黙って紙切れを差し出します。これが銀行だったら「騒ぐな、おとなしく金を出せ」とか書いてあるメモなのか!と、どっきりモノですが、それは新聞の第一面の下にずらーっと並んでいる新刊本の広告の切り抜きでした。要するに、この本はありますか?ということらしいです。で、店員さんがレジカウンターを出て書棚に向かいます。その間、このオヤジ、なにやら憤懣やるかたない様子で爪先で床を、指先でカウンターを叩いております。要するに、俺は偉いんだぞ、だから普通は本屋なんて自分では来ないんだぞ、秘書に言いつけるんだぞ、でも今日は秘書が夏休みだから仕方なくわざわざ自分で来てやったんだぞ・・・って、そういう雰囲気を出したいらしいんですね。
 すぐに戻ってきた店員さんが「申し訳ありません、これまだ入っていません、明日には・・・」と言いかけたところで、オヤジ、その手から切り抜きをひったくって、書店に入ってから一言も発することなく外へ。
 オヤジ、あんた、店員さんの時間と労力を浪費しただけで一円も支払っておらんだろう。つまり厳密には「客」じゃない。ならば「ありがとう」くらい言え。偉かろうが偉くなかろうが、それが最低の礼儀ってもんだ。
 この手のオヤジ、結構よく見かけるんですよ。書店で自分では一切探す努力をせずにいきなり店員に頼む人。書店では本はジャンル別に並んでいます。ですから、たとえばゴルフの本だったらその書棚の前に行けば同じジャンルの他の本も見ることができます、もっと良い本に巡り会ってシングル・プレイヤーになることも可能です(このオヤジに関してはあり得ないと思うけど)。経営の本だったらお目当ての本の隣に反対の論旨の本が並んでいるかも知れません。そちらを選ぶことで会社の業績は飛躍的に伸びるかも知れません(更に、このオヤジに関してはあり得ないと思うけど)。
 書店が対面式ではなくオープン式なのは、お目当ての本以外にも良い本ありますよ、どうぞ見ていって下さいってことです。書棚の前で自分で選ぶという行為によって、そのジャンルに関して多くの情報を得ることができ、それが次の関心につながっていくものです。
 オヤジ、あんた、本当にその本、自分で読みたいと思ったんですか?実はあんた、パシリじゃないですか?

 これまたある書店で。文庫本の棚の前で推理小説を物色中の60歳くらいのこれまたオヤジ。本の扱いが非常に乱暴で私までハラハラしてしまいます。背表紙の上端のカバーと本体の間に指を引っかけて(これをやるとカバーがささくれてしまいます)一冊引き抜いては、指先を舐めて湿らせて数ページをガシャガシャめくり、そのまま適当なところに押し込む、これを繰り返しています。私は文庫本はさっさと読んでさっさと処分する人間ですので少々の傷みは気にしませんが、それでも他人の唾液が付着した本はイヤです。で、オヤジ、平積みの方に気に入った本を発見したらしく、一番上の本を避けてその下の本を手にレジへ。ほらね、みんな値段が同じならきれいな方を選ぶんです。ならばどうしてもう少し注意して扱わないかな?支払い前の本の所有権は書店にあります。オヤジのやっていることは器物損壊に近いです。
 デタラメに棚に突っ込まれた本はいずれ店員さんが整理しなければなりません。本屋ってのは薄利多売、店員さんはレジ打ちはもちろんのこと、納品の確認、棚出し、返本の伝票整理、電話の応答、万引き防止、忙しいんですよ。不必要な仕事を増やしてどうするんですか。

 ある雨の日、コンビニのビニール袋を持って書店に入ってきた若い男性、お目当ての本を発見し立ち読みを始めたところ、その濡れたビニール袋はというと、平積みの本の上。あのね、平積みってことは売れ筋ってこと、お店にとっては大切な商品です。それが濡れてしまうじゃないですか。紙は濡れて乾くと伸びてしまって型が崩れます。その濡れた本はもう売れないんですよ。何しろみんな買う段になるときれいな方を選ぶんだから。

 別に本と添い寝しろって言うんじゃないんです。誰かに何かをして貰ったらありがとうと言う、他人の所有物は大切に扱う、自分の所有物が大切であるように、当たり前のことだと思います。



Leaf2004年7月30日 本人確認

 先日、某レンタルビデオ店で会員カードを作ろうと思いました。本人確認のできるものを求められたので持参したパスポートを提示したところ、パスポートだけじゃダメなんだそうです。パスポートや健康保険証は住所欄が本人の手書きなので、本人確認には住所が手書きじゃないもの(住民票とか公共料金の領収証とか)が必要なんだそうです。私は運転免許証を持っていないし(車というのは人が運転してくれるものと信じています)、発行から3ヶ月以内の住民票なんてもの持ち歩く奇癖もありませんし、公共料金の領収書も持っていなかったので、そのまま帰ってきました。
 確かにパスポートの住所欄は手書きです。しかし、住所以外は氏名も年齢も本籍地もばっちり印刷されています。何より写真が貼ってあります。つまりウソを書けるのは現住所だけです。それに公共料金の領収証なんて郵便受けで簡単に手に入りますし、コンビニで支払った後店の前のゴミ箱にポイって人も結構見かけます。
 写真を貼り替えて偽造パスポートを作ることは可能です。しかし、これすごく大変だと思うのです。映画では犯罪者やスパイが怪しげな倉庫とか酒場の地下室で偽造屋とコンタクトをとる場面が登場しますが、たいてい多額の報酬がやりとりされています。第一、これで本人確認をして騙されたとしても、レンタルビデオ店の場合、DVDかビデオを何点か貸し出したところばっくれられた・・・ってことだけでしょう。そのDVDなりビデオなりを詐取した犯人は、せいぜいがとこ中古屋に二束三文で売り払うくらいしかできません。こんな割の合わない犯罪をやる人間、いるんでしょうか?

 これが銀行だとパスポートでも健康保険証でも本人確認がオッケーなんです。銀行の場合、なりすまされた時の被害はレンタルビデオ店の比じゃありません。偽造した保険証で架空名義の口座を作って盗んだ通帳の口座から振り込むなんていう手口もあるようですが、銀行の本人確認がレンタルビデオ店よりも甘いというのはちょっと驚きです。ビデオ屋は少々やりすぎですし(偽造パスポートによる被害よりも万引きの被害の方が絶対に多いと思う)、銀行は少々どころか、かなり抜けてます。

 こうなってくると、やがて本人確認は「生体認証」に移行していくのでしょうね。指紋や目の光彩や手の甲の静脈で本人を確認する方法です。しかし、近未来もののサスペンス小説や映画ではこれも既に無力化しています。「チャーリーズ・エンジェル」ではビール瓶から採取した指紋で片手を偽造するシーンがありましたし、ダン・ブラウンの「天使と悪魔」では目玉をくり抜く(ぞぞっ)ことをやってのける連中も登場しています。指も目も手の甲も偽造可能となるであろう未来、最期に残るのは絶対に偽造が不可能な臓器、脳ですね。
 しかし、これから先、医学が進んで脳移植が可能になったとすると、脳を入れ替えた場合、「私」というのは脳サイドの私なのでしょうか?身体サイドの私なのでしょうか?私は脳サイドの私が「私」だと主張するでしょう。だって私を私と認識しているのはその脳なのですから。しかし、私以外の人は全員身体サイドの私を「私」だと思うでしょうね。

 脳が「本人」だと主張するのが「本人」であるとすれば、生体認証よりもウソ発見機の方が安上がりのような気もしますね。「あなたは○○○○さんですか?『はい』か『いいえ』でお答え下さい」で済みます。

 しかし、記憶を偽造することができるとすれば?脳に偽の「私」を信じこませることができるとすれば?

 「ブレードランナー」、人造人間のレプリカントと彼らを「廃棄」することが使命のブレードランナーの死闘を描いた傑作SF映画です。この映画、劇場公開版と最終版があるのですが、私はディレクターズカットの最終版(ナレーションのないヤツ)の方が好きです。この映画について書くと膨大なことになってしまうのでごく簡単に書きますと、レプリカントは人間そっくりで見分けがつきませんが、成人として製造され数年分の記憶しかないので情緒が不安定です。ブレードランナーはいくつかの質問をして瞳孔の反応で彼らを見抜きます。ところが実験段階の改良型レプリカントは記憶を持っている、他人の記憶を移植されているんです。最終版では主人公のブレードランナー、デッカードは、ピアノの前に座って鍵盤を悪戯しながら真っ白いユニコーンの夢を見ます。ラストシーンでは警官のガフが折ったユニコーンの折り紙が登場します。
 なぜガフにはユニコーンのイメージがあった?デッカードが見た夢を知っていたのか?デッカードの記憶はガフの記憶なのか?デッカードもレプリカントなのか?いえ、ガフも同じ「型式」のやはりレプリカントなのか?このラストシーンは見ているこちらまで不安に陥れます。

 本人確認って何だろ?結局ビデオを借りられないままの帰り道でそんなことを考えました。



Leaf2004年6月18日 茗荷

 暑くなってくると無性に恋しくなるもの、それは茗荷(みょうが)です。これを食べると物忘れするとか言いますが、いーんです、忘れたいことばっかなんだから。

 まず茗荷ご飯、研いだお米に日本酒を加えて普通に炊いて下さい。茗荷はみじん切りして軽く塩を振っておきます。炊きあがったアツアツご飯に茗荷をまぶしてそのまま蒸らします。微かな塩気がおかずです。丼一杯軽くいけますよ。
 茄子を焼いて皮を剥きます。そこに千切り茗荷を乗せて上から醤油多めの出し汁を注いで、とどめは白ごまをたっぷり。これ、冷蔵庫で冷やしても美味しいです。
 そうめんを固めに茹でます。一度冷水にとって締めます。で、めんつゆを薄めたものを鍋で沸かして、茗荷の千切りを加えて軽く加熱、最後に溶き卵を加えてかき卵汁にします。
 茗荷は癖が強いので、鰻とも張り合えます。鰻の蒲焼きと茗荷で柳川風、牛蒡を使うよりスッキリと食べやすいです。山椒は香りが合いませんので、七味がお薦めです。
 お刺身とだって相性抜群です。やはり癖の強いもん同士ということで鰹で行きましょう。鰹の刺身に茗荷のみじん切りを山ほど乗せまして、ここまでやっちまったんだから白髪ネギと生姜のすり下ろしも加えます。上から酢醤油(鍋物用のポン酢醤油でオッケー)をたっぷりかけて、そのまま冷蔵庫へ。2時間後くらいが食べ頃です。
 鯵のたたきを用意して下さい。これにみじん切り茗荷と味噌を加えてぐっちゃぐっちゃにかき混ぜます。見た目は思わず引いてしまいますが、ご飯に乗せて食べればもう見た目なんかどうだって良くなるはず。
 一番簡単なのはサラダです。マヨネーズに醤油とコチジャンを混ぜたものを用意して、丸ごとの茗荷になすりつけてバリバリいっちゃって下さい。
 少々面倒ですが、かき揚げもいけます。エビと小柱、三つ葉に茗荷の千切りを合わせて揚げましょう。塩が合います。エビと小柱の代わりに納豆でも美味しいです。納豆はかき混ぜないで下さいね、粘ると美味しくないんで。
 イタリアンだってやっちゃいます。細めのパスタを茹でて流水で冷やします。缶詰のアンチョビと茗荷を叩いて絡めます。

 お釈迦様の弟子の中に、熱心なのはいいけど物忘れがひどくて、自分の名前も忘れてしまうという男がおりました。お釈迦様は首から名札をぶら下げさせました。彼の死後、その墓から奇妙な草が生えました。名札を首から下げていた男に因んで、人々はこの草を「茗荷」(荷札がついている)と名付けたそうです。
 爽やかな香りとシャキシャキの歯応え、荷札を付けられちゃった彼にはお気の毒ですが、蒸し暑い時期に幸せな贈り物です。


Leaf2004年5月14日 これでいいの?

 いつの頃からか、エスカレーターの片側を歩く人たちのために明ける習慣が定着しました。朝晩のラッシュ時には、片側にぎっしりと停止した人たち、その横を次から次へと駆け上る人たち、比較的空いている時間帯でも片側にずらっと人の列、その隣は空っぽです。私は機械工学に詳しいわけではないのですが、機械って歪みに弱いと思うんです。片側にだけ重量がかかる、片側にだけ衝撃が加わるというの、機械にとっては良くないんじゃないでしょうか?この習慣、ややこしいことに東京と大阪では立ち位置が逆なんだそうです(名古屋はどぎゃだろーか?)。片側にだけ重量がかかる、衝撃がかかるということになると、東京と大阪では機械の仕様が違うのでしょうか?エスカレーター、止まっていたところで歩いたところで、10秒くらいしか違いません。どうせ人生の3分の1は寝ているわけでして、せっかく電気使って機械が体を運んでくれるのですから、機械の負担も考えて優しく静かに乗れば良いのではないでしょうか?

 いつの頃からか、テレビ番組で、「さぁ、どうなるぅ?」の後にCMが入るようになりました。見る人間の興味を引っ張ることでCMの間にチャンネルを変えられないようにする工夫のようです。ところが、CMの流れるタイミングはどのテレビ局も同じようなものですから、これですと他の局からやって来た人が何の話か分かりません。「さぁ、どうなるぅ?」を見ないままに「こうなりました」を見せられるわけですから当然です。で、テレビ局は時間を遡って「さぁ、どうなるぅ?」を再放送してくれるわけですね。しかし、こうなると見ている方は、そろそろ「どうなるぅ?」が出るなと思えば心おきなくチャンネルを変えることができます。CM時間を少々オーバーして戻ってきてもちゃんと再放送してくれるんですから。で、これから先、これどうなっていくんでしょ?

 住宅控除がどうしたこうしたで、またまたマンション業者からの電話が増えております。最近は決めぜりふが少し変わりました。以前は「今が底値です!」だったんですが、この底値、バブル崩壊以来ずーっと言われておりますので、つまり今までずーっとウソだったってことで、さすがに使えなくなったのでしょう。最近の決めぜりふは「金利が上がります」です。確かに金利はこれ以上下げようがありませんが、金利が上がれば不動産価格は下がるでしょう。だって、リスクが大きくて所有コストが高い不動産に投資しなくても金融市場で運用していれば良いわけですから。電話セールスの儲け話は「あなたが儲かる」じゃなくて「自分が儲かる」です。もっと謙虚に「お願いです、買って下さいよぉ」ってのがあっても良いんじゃないでしょうか?でも、私は買わないけど。

 某消費者金融のCM、あのおっさんは借金してチワワを買いました。その後借金してチワワにモーニングを着せ、借金してチワワにスキーウェアを着せてスノボに乗せました。で、そのチワワが家出したらしく(モーニング着せられたりスノボやらされたりすれば、そりゃ家出もしたくなるでしょう)意気消沈していたのですが、そのチワワが奥さんと山ほどのガキだか親戚だかを連れて帰ってきたらしいです。あのおっさん、また借金してチワワ一族を養うのでしょうか?借金は私にはよく分かりませんが(今まで借金したことないので)、犬のコトは少しは分かります。犬は犬らしくしているのが一番幸せだと思います。次のCMではウェットスーツか宇宙服を着せられそうになったチワワがとうとうキレておっさんに噛みつき、おっさんは借金して治療費を支払う・・・かな?



Leaf2004年4月11日 Aの喜劇

 AAAアーアーヴェル、AAA東京都民調査、アーアーウェイ、アーアーズ、アーアイ、アーあすか、アーアス、アーアック、アーイ、アーヴェント、アーガス、アーク、アーサー、アースト、アーネット、アクティブリサーチ、A全日本・・・、これなんだと思います?タウンページの「興信・探偵」のページに掲載されている探偵事務所の名前です。アーアーアーって、なんかみんなして口開けてヨダレ垂らしているみたい。ここに至るまでの各社のイエローページ頂上作戦、題して「プロジェクトA」を想像してみました。

 昔、平和な時代がありました。「相川興信所」が最初で「渡辺調査」が静かにどん尻に座っていた牧歌的時代です。そして、ある日、どこかの会社の切れ者が「あ」を付ければ先頭に躍り出ることが可能であるという大発見をします。どこかの会社は、社名を無理矢理何の来歴もない「あいかわ興信社」に変えることによって、「相川興信所」の前に出ます。「ひらがな時代」の到来です。
 失意の相川興信所は考えました。そして「ア」を付ければ、あいかわ興信社を再び頂上から追い落とすことができると気づいたのです。かくして「アイカワ興信所」が誕生しました。「カタカナ時代」です。この時代の闘いは長く激しいものでした。それぞれが「ア」を縦横無尽に駆使してしのぎを削り、「アア」で決着が付いたかに見えたその時、「アア」よりも「アー」が前に出るという新事実が発見され、その激闘の痕跡が今日の「アー」の行列に刻まれています。
 アー、アーアー、アーアーアー、アーアーアーアー、どこまで行くのか先行きの見えなかった「アー」ですが、アルファベットの名前がどんどん増えていくご時世、ここで「ア」よりも「A」が前という新法則がタウンページに導入されます。「A全日本」が登場するや否や、「東京都民調査」というタ行の終わりで不遇をかこっていた会社が、その名前の前に何の脈絡もなく「A」を、それもすぐさま登場するであろう「AA」を牽制すべく「AAA」と3つもつなげるといういきなりの離れ業を見せます。この結果、「ABC」とか「AIKAWA」とかは全く出番のないまま、どこまでAをつなげるかという不毛な「A時代」が訪れます。カタカナ時代の覇者「アーアーヴェル」は頂上を奪還すべく、すかさず「AAA」で応戦し、タ行の分際で束の間トップに躍り出ていた東京都民を追い落としたのです。
 しかし、「AAAアーアーヴェル」の天下も、アーアーウェイが「AAAアーアーウェイ」に変身するまでのうたかたのものでしょう、そして「AAAアーアーウェイ」もいつの日か「0(ゼロ)リサーチ」が登場したら・・・。

 しかし、探偵を雇おうと考える人がタウンページの一番最初の会社にまず電話するという統計でもあるのかどうかは知りませんが、アーばっかりでどれがどの会社やら区別もつきません。ここまで来ると「綿貫源右衛門萬(よろず)内偵承り所」とかの方が目立つんじゃないかな。この作戦、既に無意味なんじゃないでしょうか?
 もちろん、私はいつの日か「AAAアーアーアー」と「000(ゼロゼロゼロ)AAA」の頂上決戦を見てみたいとは思っていますが。


Leaf2004年3月24日 触れる手

 私は子供の頃の数年間を東北の街で過ごしました。我が家が生活していたのは県庁所在地で一応はその辺りでは一番の都会だったのですが、少し歩けば折り重なる山の合間に田んぼと畑が広がっているのどかな城下町、学校の裏手の小川はオタマジャクシでいっぱいで、秋には空一面に赤とんぼが舞う、そんな場所、そんな時代でした。

 毎週一回卵を売りに来るお婆さんがおりました。背中に背負った籠に卵を詰めて、手ぬぐいの姉さん被り、もんぺにゴム長という絵に描いたような農家のお婆さんスタイルで、えっちらおっちらと歩いてくるのです。お婆さんは我が家の玄関で背中の籠を下ろしてどっこいしょって感じで腰を掛け、母が台所からザルを持ってきて、その中に5個か6個の卵が入れられていくらかの小銭がやりとりされる、そんな商売でした。籠の中の卵は全部で30個ほどでしたから、専業の鶏卵農家ではなくて、庭先で野菜の屑で飼っている鶏が産んだ卵をそのまま売っていたのでしょう。

 私はそのお婆さんの名前も知りませんし、顔も全く思い出せません。そもそも顔を見ていなかったのです。幼い私の目はお婆さんの手に釘付けでした。籠の中の卵は大きさも色もてんでバラバラで、お婆さんはその中から母の注文に合った大きさの卵を一つ一つ選り分け、表面に付いている土や羽毛を指の腹でそっと払ってはザルに移していくのです。その手は皺だらけ、節だらけで木の根っこみたいでしたが、その手が卵に触れた途端、魔法が起こってしまうのです。日に焼けたごつくて太い指の動作が何とも美しくて、それはまるで絵本に出てくる知らない国の王妃様が宝石箱の中の大粒の真珠に触れるかのよう、優雅に上品に慈しむ手、私もあの卵になって触れて貰いたい、毎週一回、玄関先にぺたんと座り込んでそんなことを思っていた私は、お婆さんの手から目を逸らすことができませんでした。
 今になってやっと分かります。あの手には愛があった、お婆さんは自分の卵が本当に大好きで、一つ一つ優しく触れることに喜びを感じていたのだと。好きだから優しく触れるのか、優しく触れるから好きになるのか、お婆さんの手にはそんな密やかな雰囲気がありました。

 スーパーマーケットの卵売り場、棚に積まれた卵は1ダースずつプラスチックのケースに押し込められ、触れることすらできません。それは商品でしかありません。この卵はここに来るまでに誰かに優しく触れてもらったことあるのかな?

 たくさんの卵が段ボール箱のまま倉庫に詰め込まれる映像が繰り返しテレビで流されました。私はあのお婆さんの手を思い出しました。


Leaf2004年1月28日 食い物の恨み

 私はひよこ饅頭が嫌いです。これは銘菓ひよこさんのせいじゃなくて100%私のせいです。小さい頃、ひよこ饅頭を貰ったんですね。で、私は中の黄色いあんこを最後にゆっくり食べようと思って、縁側に座って足をぶらぶらさせながら皮をちびちびと剥いては口に入れ、あんこを見事に取り出したんですよ。うふふ、全部あんこ、うれしいなーって食べようとした途端にそれを落っことしてしまい、落っことしたところには雨上がりの水たまりがありまして、私の100%あんこはそのまま泥水を吸い込んで溶けてなくなりました・・・。それ以来、ひよこ饅頭を見ると胸の奥が酸っぱくなります。

 中学校の遠足の時、一人だけお弁当を持ってこなかった男の子がおりました。彼の家は裕福で、ご近所でも一番の豪邸に住んでおり、聞くところではお父さんは国際線のパイロット、お母さんは大変な美人で元スッチーとのことでした。彼はお弁当の代わりに親から渡されたという千円札(当時のガキどもには大金でした)を持って来ていました。これで何でも好きなモノを買って食べなさいということだったのでしょう。しかし、遠足の目的地は山の上、お店なんてどこにもありません。お昼、みんなでお弁当を開いた時の異様な緊張感は忘れられません。結局、担任の女性教師が、先生、お弁当作りすぎちゃった、お腹空いているとたくさん拵えちゃうのよね、○○くん、ちょっと助けてくれない?だって余ると持って帰るのも重いし、先生、また太っちゃうし、と自分のお弁当を半分彼に与えました。黙りこくっておにぎりをぎゅうぎゅう口に押し込む彼の剃刀みたいに固くて冷たい表情は、誰かがちょこんと突けば泣き顔に変わるのがはっきりと伝わってきて、誰も何も言えませんでした。彼、今頃どうしているんだろ?

 小学校の時、クラスに一人だけ給食費を払わない女の子がおりました。彼女が学校をお休みした時(よく休む子でした)、担任の先生から渡されたパンを帰り道に彼女の家まで届けるのがその日の当番の役目でした。おかずはタッパーがないと届けられませんから、丸いパンを二つ、紙袋に入れて届けるのです。彼女の家は大人たちによれば生活保護家庭だったのですが、その意味すら私にはよく理解できず、しかし、斜めに傾いた平屋建ての家と割れたガラスの代わりにボール紙が貼り付けてある窓から、その困窮は十分理解できました。引き戸の玄関の前で名前を呼ぶと、彼女はぬっと白くて細い腕だけを戸の隙間から突き出し、パンの袋を受け取るとありがとうも言わずにガタンと音を立てて戸を締めました。パンを届けた私に対する憎悪が感じられましたが、それを怒ることもできないほど、戸の隙間から伸びた彼女のか細い腕の存在感は圧倒的でした。その後まもなく彼女は転校して行きました。

 食い物の恨みは怖いです。私のひよこ饅頭トラウマはお笑いのネタでしかありませんが、一人だけお弁当を持たずに遠足に来た彼の、一人だけ給食費を払えなかった彼女の心のうちを想像すると、今でもどうしていいのか分からずオロオロしてしまいます。子供は食べることが大好きです。ダイエットなんて関係なくお腹一杯食べることが大好きです。その食べることが苦痛になってしまった時、その苦痛を他人に気取られまいと無表情に自分を押し殺す、その痛みは空腹の比ではないと思います。空腹は身体を痛めつけますが、自分の痛みを押し潰すことは心を痛めつけます。

 大阪で両親から食事を与えられず衰弱しきった中学生が保護されました。学校関係者は今になってこう言います、悩みを打ち明けてくれたなら・・・。他人に打ち明けられるような悩みなら少年はここまで追い詰められませんでした。自分に食事を与えないのが他ならぬ自分の親であるから、彼は誰にも何も言えなかったのです。親から千円札を持たされたあの子は、最後まで一言も親の不注意あるいは悪意を口にしませんでした。

 仙台市では給食費不払い家庭が増えて給食事業に支障を来しているそうです。払いたいけど払えないんじゃない、払えるけど払いたくないんだそうで。不払い家庭の子供たちも今のところ毎日給食を食べています。代価を支払わずに食事をする、これがどれほど辛いことか。不払いの親たちは、戸から腕だけを突き出してパンを受け取る少女の痛みを想像する頭すら持ち合わせていないのでしょうか?

 食い物の恨みは命の恨みです。


Leaf2004年1月11日 お正月雑感

 年の瀬、母と一緒にお節料理のための買い出しに出かけます。数の子は「子孫繁栄」、田作りは「勤勉」、レンコンは「見通しが良い」、クワイは「芽が出る」・・・、これ、もう全部ダジャレの世界です。数の子は「大部分は報われない」、田作りは「群れてもたれ合う」、レンコンは「穴だらけ」、クワイは「芽が出たところをちょん切られる」・・・、ととれないこともないような気がするのですが。
 久しぶりに母と買い物をして、その見立ての確かさに驚かされます。私が選んだゴボウを手に取るなり、これは鬆が入っているとダメ出し、ブリの切り身の脂の乗り具合を一目で見抜きます(私には全部同じに見えました)。帰宅して台所で下拵えを始めれば、塩数の子の端っこをちょっと口に含んだだけで塩抜きにかかる時間を割り出し、水に浸した黒豆の具合を見るだけで加熱時間がぴたりと分かる・・・。料理に関しては私の方が上手だと自惚れていたのですが、こと、お節料理となると、まだまだ母にはかないません。
 思えば、昔の人は、賞味期限なんてラベルが貼っていなくても鮮度をきちんと見分けられ、キッチンタイマーがなくても素材の状態と火加減で出来上がりが分かったのでしょうね。あれこれと情報が多くなればなるほど、自分の五官だけで判断するという高度な技術は廃れていくような気がします。

 某テレビ局のお正月恒例の長時間時代劇、今年の主人公は坂本龍馬、10時間もテレビの前に座る人ってどんな人なんよ?と笑いつつ、ついついラストだけは見入ってしまいました。そして、既に龍馬に感情移入ができなくなっている自分に唖然としました。その昔、原作を夢中になって読み、龍馬こそ理想の男だと思ったこともあったのに・・・。今では、時代を駆け抜けて33歳の若さで世を去った龍馬よりも、大政奉還を為した後もひっそりと生き続けた徳川慶喜の方に気持ちが動いてしまうのです。
 そういえば、新成人に対するアンケートの結果が新聞に出ていました。女性は30歳からおばさん、男性は40歳からおじさんなんだそうで、そのイメージは、「人目を気にしない」「厚かましい」「ギャグが寒い」「体型が崩れてる」等々。「包容力がある」「知的である」「頼りがいがある」「成熟している」というプラスのイメージが皆無。この国では30歳以上の女性、40歳以上の男性はネガティブなイメージでしかなく、つまり、おじさん・おばさんは蔑称であるわけですね。道理で、大人になることを嫌がるいー年こいた「お子様」が多いわけです。誰だってそんな「おぞましい」もんにはなりたくない。ここいらで頑張って素敵な大人を増やしておかないと、今にこの国は、実年齢はともかく精神構造的にはガキと老人だけの二極構造になってしまいます。
 しかし、おじさん・おばさんは本来は血縁関係にある人の呼称、そして、今や蔑称です。英語の「Sir」や「Madam」に対応する日本語がないのは何かと不自由だと感じることが多いです。

 横綱のA氏が決められた行事をすっぽかすとかで問題になっているというニュースを見ました。私は普段はテレビをほとんど見ないので、お正月の休みにこの手のニュース番組を見ると妙に新鮮です。さて、そのA横綱には「品位」が欠けているのだそうで。品位=人の自然に備わっている人格的価値(広辞苑)・・・、弱冠23歳、外国から日本にやって来て、その生活の大部分を相撲の稽古に明け暮れているであろう若者にそんなもん、あるわけないじゃないですか。「品位」を育むには時間がかかる、時には何十年もかかるのです。何が何でも横綱には「品位」が不可欠であるとするならば、23歳の若者を責める前に「品位」に欠けている彼を横綱に選んだ自分たちをまず反省することが「品位」ある行動でしょう。で、テレビカメラに向かってやたら怒っていた老紳士ですが、Y新聞の偉いヒトでGというプロ野球チームのオーナーでもある方です。札びら切って4番打者ばっかり集めている、自分とこさえ強ければ他はどうだっていいというオーナーさんです。気に入らないチームや選手を恫喝することも平気なオーナーさんです。ほらね、人間、70年以上生きていたって「品位」が身に付くとは限らないんですよ。

 品位といえば、某芸能プロダクションでは500万円の札束を積み上げて、そこから剥き出しの一万円札を「お年玉」と称して配っているというニュースもありました。お金を剥き出しでやりとりするのは商行為だけだと思っていました。小さな子供にあげるお年玉も、旅館の仲居さんに渡す心付けも、お札剥き出しってことはしません。袋の持ち合わせがなければ、紙ナプキンやメモ帳の破ったページででも、ともかくお金を包むのが礼儀でしょう。ここでも「品位」はないがしろにされているようです。

 仕事始め、お休みの前と全く同じ満員の電車、網棚の上にちらほら見えるのは仕事場へのお土産なのでしょう、各地の名産品の包み紙。あの人は秋田か、雪、大変だったでしょ?あの人は山口出身なんだ、山口ってやっぱお正月にはフグ食べるんですか?そのお土産の包みもすぐに姿を消し、新しい年が、日常が始まりました。


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