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2006年12月30日 年の瀬、雑感
2006年11月11日 NHKの「明日はどっちだ?」
2006年11月9日 普通のをお願いします
2006年8月10日 孤立するモティーフ〜モリコーネの音楽
2006年7月1日 「ペイル・コクーン」
2006年5月25日 日刊『真琴』
2006年3月31日 再び、ヴォーカリスト
2006年3月16日 毎日通る道
2006年2月20日 ヴォーカリスト
2006年1月16日 新しい町
2006年12月30日 年の瀬、雑感
2006年もいよいよ後二日を残すばかりとなりました。空は真っ青な冬空、太陽は眩しいけれど風が冷たい、こんな日は家で寝転んでDVDでも見ていたい・・・のですが、そうも言っていられないのがこの時期です。デパ地下へ出掛けます。
いつ頃からでしょうか、お節料理は作るものではなく買うものになったのは。田作り、きんとん、黒豆、伊達巻き、数の子、なます、きれいにパッキングされて並んでいます。煮物まである。大根、人参、クワイ、レンコン、ただ煮てあるだけ、要するに煮染めですが、これ、結構なお値段がついております。元々お節料理は、三が日くらい楽しようという趣旨ですから、鍋に山ほど作り置きができて、暖めなおすほどに味が染みる煮染めはうってつけ。しかし、これはどう見たって普段着の料理でしょう。お客さんが来て、お寿司や鰻重をとってもてなすことはあっても、煮染めを出すことないでしょう?だから、これくらい作りましょうよ。
和食は出汁です。出汁がちゃんと利いていれば醤油も塩も少なくて済む、出汁は煮返すほどに旨味を増しますが、醤油はどんどん辛くなってしまいますから、数日の間ラクしようと思ったら最初の出汁だけは手抜きせず、醤油に頼らないことが大切です。
出汁で味付けするというのはすばらしい知恵ですね。出汁の素はそのまま食材に使えるものばかりです。鰹節は冷や奴に乗せたり、お握りの具になったり、昆布は結んでおでんに入れれば出汁と具と両方やってくれますし、干し椎茸も出汁を取った後そのまま煮物や巻き寿司の具、しかも、どれも保存が利く、こんな便利なもの他にありません。
出汁さえ作れば後はコンロの上で自動的に出来上がる煮染め、とろ火の上でことこと言っている鍋の様子を時々見ながら、掃除もできますし、年賀状も書けます。
そういえば、この前偶然見た小学校の給食の献立なんですが、タラの西京焼き、豚コマとニラとモヤシの炒め物、わかめと麩の吸い物、ご飯・・・、で、なぜか牛乳。学校給食の世界では未だに牛乳信仰が健在なのですね。これ、日本人としてどうなのでしょうか?家で普通に和食を食べる時、牛乳を一緒に飲むっていう人、何人いるのでしょう?私は絶対にそんなことしません。乳脂肪の甘さは和食の出汁と合わない。なんだかわざわざ味覚音痴を作っているような気がしないでもありません。この前もコンビニのお握りをカフェオレと一緒に食べている高校生を見まして、それ、美味いか?とマジで思いました。和食の締めくくりはお茶以外にありません。牛乳はパンの献立の時だけで良いと思います。カルシウムが不足する?和食はカルシウム豊富なんですよ。おかか、シラス干し、桜エビ、納豆、どれか一つあれば良いんですから。
忙しい時に限って脱線したくなる、掃除の途中でネットで年末年始のテレビをチェックします。某公共放送のアレはもうどうしようもないので放置するとして、民放は格闘技ですか・・・、大晦日に一家揃って見るのが殴り合いですか。それから、アレとアレと、これ?見せる気ないでしょ?もうテレビは完全に斜陽産業なのだと実感します。おそらく多くの人がビデオやDVDで、あるいはケーブルや光を介して、好きなものを好きなように楽しんで過ごすのでしょう。
その昔、街頭に設置された一台のテレビを多くの見知らぬ人が一緒に楽しみました。やがてテレビを買った家にお邪魔してご近所同士で一緒に見ました。そして、一家に一台になって、今は一人に一台になりました。そして、このままの流れで行くと、テレビはあるけどその前には誰もいない、になりますね、当然。
テレビを見るということが半世紀の時をかけて、金持ちである証から貧乏くさいことへ緩やかに下ってきたのですね。最近はパチンコのCMが増えてきていますが、これもテレビを見ることがある種の「貧しさ」になりつつあることの表れだろうと思います。長年、娯楽の中心だったテレビが退場しようとしています。静かに退場してくれれば良いのですが、たぶん、悪あがきをすると思う、うるさいと思う。
年末年始は時代劇も多いみたいですが、もうネタの使い回し、限界に来ているような。そりゃ忠臣蔵は「良い方の人」が大勢出てくるので、ズラーッといろんな人並べて派手に作りやすいというのは分かりますが、食欲湧きません。しかし、時代劇って何で刀ブン回すものばかりなんでしょうか?いくら侍といったって、そんなに斬り合いばっかしていたわけじゃなくて、「今度の上司、すげぇイヤ、あぁ、配置転換ないかなぁ」とか、「あっ、あっ、それって新しい鍔?オシャレじゃん、どこで買った?」とか言いながら普通に暮らしていたと思うのですが。
「西行」とか作ってくれないかな、絶対に見るんだけどな。
2006年11月11日 NHKの「明日はどっちだ?」
何だか日本放送協会がおかしな方へ、おかしな方へ暴走している感じがするのは、私だけでしょうか?
「NHKが不払いの多い受信料を徴収しやすくするため、総務省が検討している放送法改正の内容が明らかになった。」(2006年11月10日朝日新聞)、その内容は、支払義務自体を放送法に明記する、テレビを見ているのに捨てたと言って支払わない場合に割増金を請求する、テレビを設置したらNHKに通知することも義務化を検討している・・・、もう、ほとんど「カフカの世界」です。
現在の放送法は、「協会(NHK)の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備又はラジオ放送若しくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については、この限りでない」(放送法第32条)としています。
電気を例に考えますと、契約の相手方を選択することはできません。東京なら東京電力としか契約できません。内容も勝手に決められません。アンペア数によって基本料金は決められており、負けてくれと言っても無理です。が・・・、電気供給契約(でいいのかな?)を締結する自由は完全に保証されています。東京電力と契約しなければ電気は来ません。冷暖房はガス、照明はロウソクという生活を選択する自由はあります。いっそのこと自家発電にしたっていい。
でも、電波はそうはいきません。勝手に届いてしまいます。要らないって言う人のところにも行ってしまいます。テレビを買うのは自由な意志決定です。その意志は「NHKを視聴したいという意思」であると無理矢理決めてしまうから話がややこしくなる。二つの意思は同一ではありません。
かつて牧歌的な時代がありました。テレビは放送を見るためだけのものであり、その放送はNHKしかなかった、だからテレビを持っている=NHKを見る、だった時代、放送法はそんな時代の産物です。ところが、今や、テレビは、タダで見られる民放が山ほどある、ビデオやDVDも繋ぐ、ゲーム機も繋ぐ、NHK視聴以外に使っている時間の方が絶対に多い。
テレビを捨てたというのがウソだとどうやって確認するのでしょうか?玄関先からちらっと居間の方を見て、テレビあるじゃん!じゃダメです。なぜならテレビを「所有」ではなく「設置」したら、ですから、NHKが受信できなければならない、あれ、壊れていますと言わればそれまでです。家に立ち入らないと確認はできません。放送局に立ち入り検査の権限を与える、たかがテレビが映るか映らないかが、火事やガス漏れと同じ次元です。うーん、すごいかも。
さらに、設置した者を特定しなければなりません。「設置した者」とは電器屋のおにーさんではありません。では、父、母、長男、長女の山田さんちの場合、「設置した者」とは誰でしょうか?設置したいと主張した長女?電器店に買いに行った長男?その代金を財布から出した母?その財布の中のお金を稼いだ父?契約の相手方は「山田さんち」じゃダメなんですよ。
受信料を支払いたくない場合にはテレビを持たなければいいわけですが、これが簡単ではありません。タダで見ていいですよという民放が見られない、ビデオやDVDも見られない、ゲームもできない。NHKだけ映らないようにテレビを加工する商売が登場しますね。で、「映りませんステッカー」をドアに貼られた場合、どう対応しますか?
テレビを設置したらNHKに通知することも義務化・・・、誰が通知する義務を負うのでしょうか?山田さんちの誰ですか?それとも販売店でしょうか、メーカーでしょうか。「設置したら」ですからね、これまた立ち入り検査ですね。販売店もメーカーもやりたがらないことだけは間違いないです。
他人からテレビを貰った場合はどうします?上げたAさんと貰ったBさん、どっちが通知するのでしょうか。AさんとBさんと二重取りしてしまったら問題ですよ。二重取りといえば、受信契約は世帯単位でテレビ単位ではありません。これ2台目ですからといって買う人、それをどう確認しますか?おっと、ワンセグの携帯電話もあった、あれはどうしましょう?
受信料が払えないとタダの民放も見られなくなる、所得によって情報格差が生じ、台風、暴動、革命、どっかからミサイルが飛んできたとか、場合によっては生命や財産に関わります。免除が必要な人が出てきます。免除基準を設定して許可と廃止の手続をしなければなりません。
これらを全国でやってのけようというわけですか?税務署規模の組織が必要になるでしょう。そのための人件費や設備費は受信料から出ます、となると、「受信料を取っているがために受信料が必要」・・・?もう、脳ミソ煮えてきませんか?
最近は未払い者への支払督促だの、未契約者への民事訴訟を起こすだのと賑やかですが、訴訟をなめたらいかんですよ。支払督促は、異議を申し立てられたら訴訟を起こさなければなりません。そうしないと相手の異議を認めたことになります。全国に1000万世帯あるという未契約世帯を訴える、全国の地方裁判所の民事事件受付はパニック状態に陥るでしょう。印紙代、合計いくらでしょうか?期日にはちゃんと出廷しないといけませんよ。最高裁までありますよ。反訴も提起されるし、憲法論議も出てくるでしょう。そして、最高裁で負けちゃったら立ち直るの大変ですよ。
こんなリスクをNHKが考えないわけはないと思いますので、私の予想では、サクラを相手に訴訟を起こして、限りなくNHKに有利な形で途中で和解する、それを盛大に吹聴してアナウンス効果を狙う、ですね。しかし、新手の架空請求詐欺が出るんだろうなぁ(もう出ているのかも知れません)、今まで「ときめき!ラブラブねっと」とか書いていたところを「日本放送協会」にすればいいんですから。
ニュースとお年寄りにファンの多い朝の連続ドラマと相撲中継を教育テレビに移す、この費用は電気代に数パーセント上乗せすることで確保する(今のところ、ガス・テレビというのはないようですし、たくさん見た人がたくさん負担する形に近づきます)、それ以外の放送はスクランブルをかけて有料化する、非常時にはスクランブルを解除する、これでいいじゃないですか。スカパーだってWOWOWだって、これで立派に経営しています。たくさん受信料が欲しければ頑張って良い番組を作ればいい、当たり前のことです。
情報の伝わり方も放送の形も、娯楽の種類も、大きく変わりました。これからもっともっと変わるでしょう。それを無視して、ともかくみんなからお金取るの!とジタバタする日本放送協会、2011年には地上波デジタル放送が始まります。今までのテレビは映らなくなります。それを機会に人々はテレビとの関わり方を変えていくはずです。DVDやゲームなら今のアナログテレビで楽しめるから、ニュースもインターネットの方が早いから、そして、受信料は払いたくないから、もうテレビは要らない・・・。放送法を変えて受信料を義務化しても、これでは何にもなりません。
日本放送協会殿、一度立ち止まって深呼吸することをお勧めします。貴殿は今、どこへ行こうとしていますか?その先に何が見えますか?
2006年11月9日 普通のをお願いします
秋も深まり、朝晩の冷え込みが日に日に厳しさを増す今日この頃、皆様にはいかがお過ごしでございましょうか。そんなある日、私は、ガウンを買いに出掛けました。私は、どんなに寒い朝でも取り敢えず窓を全開にして、一旦空気を入れ替えないと気がすまないものですから、これからの季節、暖かいガウンは必需品です。
デパートの寝具売り場、様々なブランドショップを巡ります。1時間以上も歩き回って・・・ちょうど良いガウンがない!
フリース素材がすごく増えています。軽くて暖かくて安価で、原材料はペットボトルで地球に優しくて・・・なのでしょうが、ポリエステル100%は燃えやすい、溶けやすい。航空会社のクルーの制服が未だにウール100%なのはちゃんと理由があるのです。ウールが一番燃えにくいのです。その隣にあるのはキルティング、もこもこしていて暖かそう、でも、外はアクリルとレーヨン、中綿がこれまたポリエステル。
窓を全開にして次に私がやることは、熱い紅茶を煎れること、ともかく紅茶を一杯飲むまでは人間じゃないのです。人間じゃないので、火の点いたコンロの前で何をしでかすやら分からない、そんな状態で着火一発の石油系繊維は怖いです。で、あった、あった、ウール100%、でもカシミヤってね・・・、値札を見ると4万7千円。ガウンは毎日着るものです。カシミヤは摩擦に弱くて毛玉できやすいし、染み抜き大変だし、家で洗えないし。私が欲しいのは普通のガウン、ほら、「ガウンを羽織って」という場面を小説なんかで読むと自動的に頭に浮かぶガウンがありますよね、ガウンのイデアともいうべきもの、表はウールで裏はキュプラで、長くて地味で、そんな普通のガウンがないったらない。
じゃ、男物を探そう。あるにはありました、紺やグレーの素っ気無いウールのガウンが。でも、大きい、Sを着ても大きい。裾は踏んづけそうだし、袖は長くて手に絡まるし、余計危ない感じです。
人間未満で紅茶を煎れるような輩はオール電化にしろってことですか?頭に鈴木京香が浮かびます。ひょっとして東京電力とアパレルメーカーは、むにゃむにゃ・・・なんでしょうか。
買い物は疲れます。お腹も空きました。昼下がりのレストランに入ります。オムライスが食べたい、赤いケチャップたっぷりのチキンライス、黄色い卵焼き、ポチっと緑のグリーンピース、のんびりした休日の昼食にぴったり・・・ですが、これがない!
最近のオムライスは、どうしたわけか、半熟オムレツが中身を露出させて乗っているものが大部分です。私は、アレを見ると、「ギャラクシー・クエスト」でタガード船長が闘った「ブタ・トカゲ」の最後を連想してしまいます。なんでそんな余計な手間をかけるの?オムレツの腕を見せびらかしたいの?いつからオムライスはこんなあられもない格好でお皿に乗るようになったのでしょうか。オムライスとは、きっちりとアーモンドの形に包み込まれたチキンライスを、その卵焼きを剥がし剥がし食べるところが楽しいのに。
この手の「ブタ・トカゲ」オムライスは、半熟卵のびちゃびちゃ感とバランスを取るためか、チキンライスのケチャップが少なめです。逆だっつーの、チキンライスはケチャップたっぷりで真っ赤で甘くて酸っぱくて、それを卵がきりりと纏め上げる、これこそ正しいオムライスだと私は信じております。そして、「ブタ・トカゲ」オムライスのお約束、それは上にかかっているのがケチャップじゃなくてドミグラスソースだということ。秘伝だか特製だか知りませんが、これをかけられると味が複雑になってしまいます。そして、オムライスは複雑になっちゃいかんのです。なーんも考えんで大きくて重たいスプーンですくっちゃパクリ、それが似合う料理なのです。だから、中がケチャップなら外もケチャップでいいのです。
「このオムライス、半熟オムレツじゃなくて、薄焼き卵で包んで貰えませんか?」、却下・・・、「ドミグラスソースじゃなくて、ケチャップかけて貰えませんか?」、こちらはオッケーでした。普通のオムライスは既に絶滅寸前です。
ハンバーグもいつの間にか絶滅危惧種ですね。何かしら上に乗っかっています。とろけるチーズ、大根おろしとナメコ、薄切りのパイナップル、キノコのソテー、野菜のラタトゥーユ、どれもこれも好きですよ、でも、どうして「何も乗っていないハンバーグ」がないのか?普通のヤツでいいんです。かりっと焼いてあって、傍らにはレタスとキュウリ、ポテトサラダとスパゲティ・ナポリタン(いつだって足りない、そこが愛おしい付け合わせ界の二大アイドル)がちょびっと添えてあって、ケチャップかソースをかけて食べる、あの普通のハンバーグはどこへ行った・・・。
食後、コーヒー店に入りました。豆の種類はともかくとして、煎り加減、そしてミルクはファットかノン・ファットか、ソイミルクかと訊かれました。普通のをお願いします・・・。
2006年8月10日 孤立するモティーフ〜モリコーネの音楽
エンニオ・モリコーネ、1928年ローマ生まれ、彼が紡ぎ出した旋律は誰もが一度は耳にしているはず、イタリアが誇る映画音楽の巨匠です。その作品数は書きも書いたり450本以上(正確にカウントすることは多分ご本人でも無理)、多くはイタリア国内限定の映画ということで、私たちが聞くことのできるのはほんの一部なのですが、ラブロマンスから犯罪もの、ウエスタンに大河ドラマ、コメディーまで、どのジャンルであろうが全て様になっているところがすごいです。深夜放送の映画を見て、つまんねー、でも音楽は良かったなって感じたら、それがモリコーネである確率はかなり高いです。そして、ニーノ・ロータ、ジェリー・ゴールドスミス、ヘンリー・マンシーニ、ジョン・ウイリアムズ、巨匠と呼ばれる映画音楽家の中でも、はまった時に一番「深い」のもモリコーネだと思います。
モリコーネといえば映画監督セルジオ・レオーネと組んだマカロニ・ウエスタン(因みにアメリカでは「スパゲッティ・ウエスタン」だそうです)。何を演じてもクリント・イーストウッドにしか見えない偉大なる大根役者イーストウッドが、炎天下の乾ききった赤土の上、眉間に皺を寄せて眩しそうに目を細めてつっ立ち、彼に絡むのはフランコ・ネロ、リー・ヴァン・クリーフ、イーライ・ウォーラックといった濃ゆい面々、その成分は欲望100%、正義0%、時代考証はデタラメだけど暴力はやたらリアル、そんな作品の数々です。
邦題は「荒野の」「夕陽の」「続」「続々」「新」とか、もうどれがどれだかよく分からず、日本の配給会社の「どうぜパチモンだし」というやる気のなさを感じるわけですが、どっこい、名作だっていくつもあります。それにパチモンと言われますが、それらの作品の舞台は、正統派ウエスタンのようなワイオミングやモンタナではなくて、テキサスやメキシコ、つまり当時のスペイン領なわけで、ラテンっぽいマカロニのテイストはある意味正しい。
モリコーネの音楽の特徴は、「孤立するモティーフ」でしょう。いくつかのモティーフが執拗に繰り返されるのですが、発展しない、起承転結がないのです。旋律が縄のように撚り合わされて登っていくという伝統的な西洋音楽ではなく、個々の旋律はポツンポツンと間をとって並べられ、決して共鳴しない、ソリテールというピンの並んだボードゲームがありますが、絵としてはそれに近いものを感じます。
「荒野の用心棒」、口笛が奏でる主旋律、蹄鉄を打つような金属音、哀しげな笛の音、墓地の鐘の音、鞭の音、そして、修道僧たちの連祷のような男声コーラス、それらが最後までバラバラ。「夕陽のガンマン」、単調な口琴と嘆きの寡婦を連想させるソプラノの声、必要最低限の楽器が醸し出す孤独。「続・夕陽のガンマン」(これ、マカロニの最高傑作だと思います)では、モティーフの孤立はさらに進化します。中間部で突撃ラッパが響きますが、登場するのは騎兵隊ではない、死神です。「ウエスタン」、ハーモニカを持って駅に降り立った男、いきなりのガン・ファイト、荒れ果てた砂礫の大地に染み込む血、コツンコツンと繰り返される固いモティーフ、不意に現れる夢見る旋律。
モリコーネの旋律には常に「死」が漂っています。たとえば「アンタッチャブル」のようなハリウッド製正義まっしぐら映画であってさえ、誇らしげに高みを目指す主旋律がふっと停止した瞬間、通奏の低音部から伝わるのは「死」なのです。
レオーネの遺作となった「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」、ユダヤ系ギャングたちを描いた大河ドラマ、日陰だって仲間がいれば生きていけるというヌードルズと、仲間を捨てて一人で陽の当る場所を目指すマックス、裏切りと別れ、そして死。「ミッション」、神の言葉を携えて、しかし、征服と略奪の駒の一枚でしかない伝道師とアマゾンの住民の出会い、オーボエの温かい音色が次第に遠ざかって行き、緑深い楽園を静かに確実に侵食し始める死。
「ニュー・シネマ・パラダイス」では、少年トトの成長と映画技師アルフレードの老いが静かにすれ違い、モリコーネの生き生きとした旋律は、死は豊かな生が結ぶ甘い果実であると主張します。「海の上のピアニスト」では、生涯を船の上で過ごしたピアニストのちっぽけな、しかし暖かく守られた人生、スケールの大きな旋律は、そのちっぽけな人生も大きな海に抱かれたものであると囁きます。
そして、何よりもモリコーネの旋律は実に伸びやかに「歌う」のです。他の映画音楽家の作品は、それぞれ写実的であったり、メッセージを感じさせたり、非常に美しく色彩豊かなのですが、モリコーネのように歌いはしません。
「ウエスタン」のテーマは、モンセラト・カバリエの絹の光沢を放つ声が、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」のデボラのテーマは、ホセ・カレーラスの目に涙を一杯湛えて、それでもそっと微笑む声が、「ミッション」のガブリエルのオーボエは、キリ・テ・カナワの満ち足りた光に包まれた繊細な声が、聞こえてくるのです。
「荒野の用心棒」のさすらいの口笛は、サミュエル・レイミーとニコライ・ギャウロフの二重唱、「夕陽のガンマン」のガンマンの祈りは、レオ・ヌッチで聞きたい。「シシリアン」のテーマはやっぱナタリー・シュトゥッツマンの凛々しくも妖しいコントラルトでしょう、と連想は続きます。
マエストロ・モリコーネ、やっぱりオペラの国のお人なんですね。
2006年7月1日 「ペイル・コクーン」
最初にお断りしなければなりません。「ペイル・コクーン」は30分弱のアニメーションです。そして、私は全くアニメを見ません。子供の頃に「漫画」を見たことはありますが、今日、日本を飛び出して世界を席巻している「アニメーション」についてはまったくの無知、この作品のDVDを手にしたのはあるご縁があったから。ですから、以下、きっと見当違いのことを書くであろうと思います。アニメを愛する方々、その辺をご理解頂きまして、さらっと無視して下さいませ。
物語の舞台は、今から遠い未来、しかし、どれほど遠いのかは分かりません。地下深く穿たれてエレベーターで縦横に繋がれたアリの巣のような世界、しかし、それが、いつ、どのようにして成立したのかも分かりません。人類はある時点で全ての歴史を失ってしまったのです。そんな人工光に照らされた世界の一角に第92記録発掘局があります。磁気データのばらばらの断片を復元する復元課のウラ、そして、そこから何らかの情報を読みとる分析課のリコ。過去を知れば現在が、かつて地表にはどんな世界があったのかが分かるはず、なぜ人はここに到達したのかが分かるはず、そんな思いから始まった記録復元プロジェクト。しかし、少なくとも92は設けられたはずの記録発掘局ですが、既に大半が無人、この92番目の局にも局員は数人しか残っていません。人々は過去を復元することに倦んでしまったのか、地表など存在しないかのように、環境維持装置のより近くへと、さらに深い地下へと、「下」ばかり見て生きています。そんなある日、ウラは音声データのついた記録の断片を手にします。復元作業を進めていくうちに、ウラは知ってしまいます。過去に何があったのか、そして、その結果として人間がたどり着いたここがどこであるのか。ウラは「上」を目指します、たった一人で・・・。
作者の吉浦康裕氏が一人で作ったアニメだそうです。どんな作業なのか、どれほどの時間がかかるのか、私には全く分かりませんが、センスの良さは理解できます。くすんだ色に覆われた現在、眩いほど色鮮やかな復元された過去、コンピュータのインターフェイスや記録データに登場する妙に昭和初期のテイストの文字フォントが、未来でありながら既に過去のものとなっている現在を感じさせます。鳥籠のようなエレベーターの直線が押し出す無機質な冷たさ、地下で唯一の光源らしい緑色のライトを包み込む螺旋階段(DNAを連想させます)が醸し出す微かな懐かしさ。
物語自体は、往年のSF映画で散々騙されてきた疑り深い人間(私です)ですと、途中でそうなんじゃないかって分かってしまいます。ラストのどんでん返しも私の場合は「どんでん返」されませんでした。また、世界観も「ブレード・ランナー」や「サルート・オブ・ザ・ジャガー」(因みにこの作品の監督であるデヴィッド・ウェッブ・ピープルズは「ブレラン」の脚本家です)でお馴染み、その意味では、驚くところは少なかったこの作品、ですが、今までにない不思議な魅力を湛えています。その魅力は、長い歳月の間にうっすらと積もった夢の残滓とも言うべき儚さと、人として誰もが持っている、決して、捨てることも、克服することもできない哀しさ。
人はどうして過去を欲しがる?そこにあるものはもう決して触れることも変えることもできないと知っていながら、なぜ?数十年前のことを昨日のことのように再現できるのに1秒先が分からないことは嘆かないくせに、なぜ?
この世界の人々は記憶を持たずに生きようとして、それがいかに困難であるかを思い知り、記憶に取り憑かれるのを恐れる余り少しでも地表から遠いより深い地底を目指している、しかし、空には限界がありませんが、地底には限界があります。ウラが復元した記録に繰り返し登場する言葉、それは「忘れない」、忘れたくなかったけど忘れてしまった?本当は忘れてしまいたかった?忘れることでしか前に進めなかった?忘れれば忘れて貰えると思った?それとも、そう、忘れてしまえばなくなると思った?地表を忘れ、過去を忘れ、自らの影を恐れて光のない場所を目指す人類、人々は終わりに向かって急いでいるようです。
吹き替え、隣の部屋のテレビから聞こえてくる台詞は、画面を見なくてもアニメなのか外国ドラマなのか分かります。同じ単語でもそれぞれ雰囲気が違う、その違いをきちんと伝えるのがプロの仕事なのでしょう。この作品、目をつぶって台詞だけを聞けば、舞台劇だと感じます。アニメのようにカラフルに彩られた言葉をぱっと宙に放つわけでもなく、外国ドラマのようにキャラクターを少々押し出し気味に言葉を捏ねるわけでもなく、言葉を一つ一つ、そっと薄い板の上に「置いていく」、そんな印象。
30分弱の物語が終わって、しかし、謎はいくつも残ります。92もの記憶発掘局が稼動していながら、今まで世界の成り立ちが全く分からないのは不自然、ウラとリコが手にする記録は誰かが細心の注意を持って取捨選択したものではないのか?分厚い雲の向こうに隠されていた空、「母」を「錆付いた」ままに留めておかなければならなかったのは誰なのか?そして、その理由は?
何ものかに吸い込まれてでもいるように減っていく発掘局員たち、彼らは皆どこへいった?「上」にあるものを知ったから「下」を目指したのか?「上」にあるものを否定しようと敢えて沈黙を守ったのか?それとも、そう、ウラのように、「上」を目指して、一瞬の恍惚をその瞳に映したまま消えたのか?
ウラが最後に見た「母」、母は、自分の胸に帰ってきた子、母を忘れなかった子に、何があっても必ず報います。その報いは、「青い」・・・、ウラは初めてその目で見たのです、地下には決して存在しない色を、どこまでいっても遮られることのない無限の空間を。その瞬間、ウラの生は終わります。そして、私の目になぜか涙が浮かびます。過去を持たぬまま生きようとして結局過去に取り憑かれていくウラを、当然のように、何の疑問も呈さないままに受け止める「母」、ウラ、君は帰ったのか、母の元へ?君は与えられた時間と引き替えに一瞬の「母」との再会を選んだ、それで良かったのか?君に聞きたいことは山ほどある、でも君は決して答えないだろう。
だから、私は自分で問うしかないのです、人は過去から切り離されて生きられないのであれば、今ここにあって、いずれ消えていく私の生と私の死にも、過去から託された「意味」があると思って良いのでしょうか?・・・と。
アニメーションとしての出来不出来は私には分かりません。細かく描かれた背景や小道具に比べて人物の描写には個性がない、ウラもリコも、特に魅力的でもなし、町ですれ違って数分経てば忘れてしまう程度の容貌、その個性のなさが却ってリアルな哀しさと、ありふれたものが持つかけがえのない美しさを感じさせます。
私はウラであるだろうし、私はリコでもあった、何かよく分からないんだけど、忘れることがとても難しい、ゴリっとした核をその中心に持っている作品です。
なるほど、これが世界中で「萌え」な日本のアニメーションの実力か、ちょっと誇らしい気持ちです。
2006年5月25日 日刊『真琴』
風薫る5月、爽やかな季節、この時期、多くの人が新しい生活を始めます。そして、真新しいパソコンからインターネットの世界に足を踏み入れた人たちをカモろうと、雨後の筍の如くと言ったら筍に失礼ですが、わんさかスパマーが湧きます。その中で、日刊紙かい!というくらいしつこいバカがおります。
No.1 これから会えませんか?
真琴ですけど。前のメール見てくれたかな?(貰ってません、つーか、送ってないくせに)
よければ自己紹介がてらにHPを見てください。http://*****ブログにしようと思って作ったHPなんです
これからでも連絡貰えたら嬉しいです!
えー、アドレスが偽装してありますね、何かやましいことあるんですか、真琴さん?でもってヘッダを解析したら「CN」、中国ですね。わざわざ中国のプロバイダを使うなんて、日本のプロバイダ全部から追い出されましたか?「これから会えませんか?」ってね、タイムスタンプ23時過ぎなんですが、終電の時間なんですが、飲食店も閉店なんですが。
No.2 他人からみれば私はいやらしいのかも知れません
もちろん私はそれを否定するつもりはありません(そりゃ、詐欺師ですもん、品性下劣ないやらしい人間に決まってまんがな)
今ではそんな自分に嫌気がさします!(だったらスパム止めれ!)
私、偽ったり嘘をつけない性格なんです(アドレス偽装してますが・・・)
http://*****この掲示板で確認して欲しいんですけど(どうしてもこのURLを踏ませたいらしい)
抵抗なければ電話してください(思いっきり抵抗あります)
No.3 そろそろ本格的に会いたくなってきました
本当に今日はムリですか?(タイムスタンプ23:52、今日はあと8分しか残ってませんが)
http://*****外で待ち合わせしてもらうときは携帯に連絡ほしいのでこっちからメールでも電話でもいいので連絡ください(だーかーらー、だったらサクッと携帯番号送ってこいっての)
No.4 今どこにいますか?
会えるならもう直ぐ準備も終わるし出れるんですけど、どうですか?(今度はタイムスタンプ06:18、ゴルフにでも行くんすか?)
携帯に連絡くださいね!http://*****真琴っていう名前を探して貰えばすぐにわかるように書き込んでおきますね(あの、このURLはあなたのHPだったはずですが、自分でも忘れましたか?)
場所どうしましょうか!?(そうですね、平壌なんかどーでしょーか)
No.5 後悔したくないから
きっと私このままだと後悔すると思うんです(そりゃスパム送って引っかかったカモに架空請求してパクられれば後悔もするでしょう)
http://*****私はこれからも何も偽ったりしないので!連絡ください(これまでもこれからも全部嘘じゃないっすか)
男女の関係で割り切って求め合えるのはやっぱり体の関係だけって思ってるの!(私これでも女なんですが、そーゆーあなたは女、な訳ないですね)
http://*****ここから連絡ください(今日は2回書いてよこした、思ったほどカモいないんですか?)
No.6 来てくれなかったですよね?貴方に
会えると思ってでかけたから、、(だからどこへ?)
見つけるコトできなかったよ(そりゃそーだ、行ってない)
携帯で連絡まってたんですけど来なかったし(そりゃそーだ、かけてない)
家に来て!っていうのはわがままなお願いかもしれないけど・・・http://*****真琴っていう名前で個人boxがあるから(散々掲示板って書いておいて忘れたんかい!)
今日これからでも家に来て貰えたら嬉しいです(火炎放射器持っていってもいーですか?)
No.7 突然の出会いってどういうものなんだろう。。。もしかして
こういう事だったりしないかな??って思ってメールしました。私、真琴と言います。(この期に及んで何改まってんの)
掲示板とかつかってたので冷やかしのような人からたくさんメールが来るんです(何もしてないのにバカからたくさんスパムが来るんです)
http://*****必要ならここの掲示板に書き込んで貰えれば(また掲示板に戻っている、boxどーしたの?)
大事なコト。私は29歳です(おばさんでもなくて、多少はお金を持っていそうな年齢に設定したつもりでしょうが、文章がバカ丸出しですので逆効果です。で、あなたの大事なコトってこれですか?)
No.8 もう最後だから・・・待ってるからね
もう少しでも私と会おうって思ってくれるならお願いだよ・・・
http://*****だって友達登録だからここなら絶対すぐ見つかります!(意味不明、日本語大丈夫ですか?)
本当にもう時間がないの!(はぁ、逮捕が近いとか?中国のプロバイダからもアカウント停止喰らいそうだとか?)
変に思われてるのもうすうすわかってるの(変だとは思ってません。バカな犯罪者だと思ってます)
でも女子高育ちの私は男の人にどう接したらいいのか良くわからなくて(女子高?うぶな私ってか?「大事なコト」の「29歳」をもう忘れてますね)
No.9 お願いだよ・・・H友達になってほしいから
前に教えた携帯に直接メールくれても良いんです(教えて貰ってません)
それからhttp://*****の伝言も変えました。友達登録してくれたら受け取れます(はぁ、いつの間に「登録」に?)
会えないならせめてそう教えて下さい。。そうすれば終わる事ができるから(終わってほしいものですが、登録したらそこから本番、架空請求の始まりです)
No.10 諦めようと思ったけど・・・今夜時間空いてませんか?
やっぱり会いたいから・・・電話もらえないのは伝わらなかったからなんですか?(電話もらえないのは「犯意がきちんと伝わった」からです)
http://*****ここのアドレスわかりますか?ちゃんと話しても会ってもらえないから私ちゃんと諦めますから・・・(本当に諦めてもらいたいものです)
No.11 まだ待ってます。書いたから電話もらえますか?
お願いです!もうずっと待っているのに・・・(ハイ、「諦める」も「最後」も全部嘘でした)
もうメールできなくなっちゃいそうだから友達掲示板のhttp://*****の伝言を受け取って下さい(あなたがメールできなくなっちゃったら、こんなうれしいことはないです)
愛って名前で伝言してるからお願い!!(あのー真琴さんじゃなかったでしたっけ?)
私、ずっと待ってますから!(おぉ、ずーっと待っとれ、警察が行くのを)
No.12 これだけはどうしても伝えないといけないから
返事待ってたけど来ないし・・・もう一回メールして出発します(どこへ?ひょっとして高飛びするの?)
今日なら時間は何時でも良いから来て下さい。ずっと待ってます(来て下さいって、あなた出発するんでしょ?)
http://*****の伝言も携帯伝言できるから選んだんです!返事ももらえなくなっちゃったけど(返事出したこと一回もありませんが)
だからもう行くね・・・(おい、行くのか待つのかどっちなんや?)
No.13 まだ時間空かないかな・・・
何時までまっても無駄なのかな、、切ないよ・・・(何時まで送ってよこすのかな、、私も切ないですよ)
http://*****から友人登録ボタンでログインしてくれたら良いんです。ここに書いたら変な事になったりとかは絶対ないですから!(絶対に変なことになります)
No.14 私あなたの
言う事なんでも聞くからお願いだよ・・・(ではお言葉に甘えて、本当のところは死ね!と言いたいのですが、スパム止めろ!にしておきます)
http://*****のページって見てくれてますか?他の項目も書くようになってるのが不安なんですか?これはいたずら防止のためのちょっとした友達登録なんです(これは架空請求のためのちょっとしたカモ登録なんです)
信じてください(あなたを信じるようなら、自分のアタマが信じられなくなります)
で、今朝届いた採れたて
No.15 私とはHしてくれないの?もう今から
行きます!このままじゃ一生会えない気がするから・・・(どこへ行くのか知りませんが、ご自由に。一生会えないことは確かです)
役所の通りの公園だったら分かりますよね?(何のリアリティもないベタな場所設定ですな)先に行って待ってますから!!(はいはい、どうぞ)
もしわからなかったりしたらhttp://*****のコメントに書き込んで下さい。
本当にもうメールも出来なくなっちゃうの?(勝手に送っておいて何抜かす)
こんな終わりなんてもう私悲しくて生きていられないよ・・・(終わりって、ホントいつ終わらせてくれるんですか?悲しくて生きていられないのはあなたの親御さんだと思います)
現在、世界中を飛び交っているe-mailの8割がスパムだということです。膨大な資源と労力がバカ共のお陰で浪費されています。
誰だってスパムなど受け取りたくない、当然、法律で定められている「未承諾広告」の文字を含むものは弾くように設定しますし、偽装されていないアドレスであれば受信拒否に設定します。また送る側も、スパムと認定されたらプロバイダからアカウントを止められてしまいますし、法律に従って連絡先を明記していれば大量のクレーム、場合によっては訴訟という事態に陥り、たとえ出会い系サイトであろうが、合法的なビジネスをやっている場合は大損害になります。つまり、スパムは広告のためのツールとしては既に意味がなく、現在のスパムのほとんどは最初から犯罪を目的としたものでしょう。
そもそもインターネットは研究データをみんなで利用できれば、という「性善説」の上に立つものとして始まった世界でした。しかし今では、あらゆるものを疑ってかからなければならない世界、嘘を嘘と見抜けない人間が一人で歩いては危険な世界、「性悪説」を肝に銘じておかなければならない世界になりつつあります。
好奇心からにせよ、あるいはスケベ心からにせよ、真琴さんの口車に乗って登録してしまったら、もうお腹一杯になるくらい、使ったろ?金払え!払わねーと家まで行くぞ!という楽しいメールが届きます。携帯にもジャンジャンかかってきます。正式にカモ認定を受け、真琴さんに良く似た方々からのメールが毎日容量オーバーするまで送られてきて、自分の人気者ぶりに驚くことになります。でも、どうしても真琴さんとだけは連絡とれなくなります。
詐欺師だってそれなりの努力をするものです。偽の株券印刷したり、見せ金用意したり、中学生相手に結婚詐欺をする詐欺師はいませんし、籠脱けやる時は裏口の有無くらい調べます。それを、真琴さんと来たら、相手の性別・年齢すら調べずひたすらバカメールをばら撒いているだけ、詐欺師の「師」の字が泣きます。
支離滅裂のいかにもアタマ悪そうな文章を添削して楽しむ私のような根性曲がりは良いですが、引っかかったのが中高生だったりしたら、親や友達にも相談しづらいでしょうし、どれほど不安かと思うと笑ってはいられません。
しかし、中国からのスパム、ダントツで多いですね。NGワードの地引き網にかかったサイトを潰して回り、検索エンジンをいびり倒す前にやるべきことをやって欲しいものです。
書いている端からまた来た・・・。
No.16 ちゃんと伝えます
言い残した事ないように最後まで頑張って待ちます(あなた、URLクリックして登録しろ以外に何か言いましたっけ?)
番号はhttp://*****私の事信じてくれてなくてかけたくない気持ちだとしたら・・・非通知でも良いし公衆電話からの電話でも出るから(かけたくない気持ちでもかけろと?何様ですか?)
どうしてこうなっちゃったんだろ。。泣きそうだよ(お前が言うな!)
2006年3月31日 再び、ヴォーカリスト
それはいきなりでした。友人と一杯やりに出掛けた居酒屋、彼女がトイレに立ってテーブルで一人、小鉢の中のイカの沖作りを突っついていた時、その声が聞こえたのです。「沖のカモメと飛行機乗りはよ、どこで散るやらね、果てるやら、ダンチョネ」、それはダンチョネ節の一節でした。深みのある低音の女声、美声というには少々ハスキー、その声はカモメが舞っている波の下、ずっとずっと海の一番深いところから響いてくるようでした。そして何よりもビックリしたのは、白い絹を喉元に巻いて両切り煙草をくわえたヤサグレ飛行機乗りが「見えた」ってことです。熟れた女っぽさが滴るような声であるにも関わらず、無精ヒゲを残したガッチリした顎とアイロン台みたいに平らな頬を持った四十がらみの飛行機乗りがちゃんと見えたのです。
これはえらいこっちゃ、冷酒のお代わりを持って来てくれたジーンズにハッピがやたら良く似合うおねーちゃんに「これ歌っているの誰ですか?」と尋ねると、親切な彼女はわざわざ店の奥まで往復して「これ、『ちあみなおみ』だそうです」と教えてくれました。翌日私は早速CD店に足を運び、「ちあきなおみ and ダンチョネ」で店内を捜索、手に入れたCDが「ちあきなおみ VIRTUAL CONCERT 2003 朝日のあたる家」です。
私はもともと日本の歌謡曲が生理的に苦手です。半音のずり上がり、ずり下がり、喉の奥でこねるような発声、その甘ったるい世界観、全部ダメ。ですから、ちあきなおみさんの歌も聞いたことがあるのは「喝采」だけ、それも通しで聞いた記憶はありません。
19曲収められたCD、圧巻はアニマルズの伝説のヒット曲「朝日のあたる家」です。オリジナルは、お針子を母に、バクチ打ちを父を持つやくざ男が、娼家に入り浸ったことから狂い始めたどうしようもない過去を嘆くものですが、このアルバムでは男に逃げられて故郷を捨てた挙句に「朝日楼」という娼家に流れ着いた女の歌。あたしが着いたのはニューオーリンズの朝日楼という名の女郎屋だった・・・、ソウルフルなシャウトから伝わる光景、色ガラスのはまった飾り窓から外の通りを見下ろす女、黒いスリップの肩紐がだらしなく引っかかった汗ばんだ腕、いい加減に結った髪にまつわりつく煙草とバーボンの匂い、夕立で濡れた路面に原色のけばけばしいネオンサインが滲む蒸し暑い夜。
「祭りの花を買いに行く」、鈴木商店に花を買いに行く、ただそれだけの少々シュールな歌なんですが、ここでも彼女の声はある光景を見せてくれます。花を買いに村の道を歩く女、少々男にだらしがなくてあれこれと悪い噂のある女が、今日ばかりは糊の効いた浴衣の襟をきちんと合わせて歩く、でも、その妙に青白い足につっかけた下駄は塗りがところどころ剥げていて、歯は歪に磨り減っているんです。
「東京の花売り娘」の軽いスイング感、しかし、街頭で花を売っている娘が幸せなわけもなく、そんな娘に目もくれず雑踏を構成する幸せな人たち、声をかけては無視されることを繰り返している少女の孤独がくっきりと見えて、この子、あとちょっと年がいったなら花じゃなくて自分を売るようになるんじゃあるまいかっていう苦さが漂います。
「酒と泪と男と女」、男と女とで声質まで違うその声で囁くように歌われるのは、圧倒的な無力感とそれを受け入れる代償として手に入る薄っぺらい安らぎ、酔い潰れて寝たところでいつか必ず目は覚める・・・、それでも、いえ、だからこそ人は酒を飲む。
「アコーディオン弾き」はエディット・ピアフの歌、恋した男の命と一緒に、夢も若さも美貌もなくしてしまった街娼を救えるのは狂気以外にない、クルクルと弧を描くジャバのリズム、その中心の空白に一人佇む女の長い影。
私が歌謡曲が嫌いなのは、たいていが恋の歌で、歌われている人物はたいていが不幸なわけですが、その不幸に何か、甘えというか、厚かましさを感じてしまうからです。私は不幸なんだから、それも恋をして不幸なんだから、皆同情してくれなきゃ、泣いてくれなきゃダメっていう感じ。あの「あなた死んでもいいですか」なんてもう大嫌い、アテツケがましい、死なないでくれって言われることを期待していて、でもそれを面と向かって言うことをしない怠惰な自己正当化とそんな私って健気っていう自己憐憫、何ちゅー鬱陶しい世界じゃ(むちゃくちゃ書いてますが、これが正直な感想です。お許しを)。
でも、ちあきなおみの歌は違う。彼女の歌う女たちは、誰でも幸せを受け入れる時にそうするように、不幸をそのまま受け入れて泣き言なんざ言わないのです。豊満な女でありながら実にきりりと男前なのです。「あなた死んでもいいですか」なんて絶対に言わない、死ぬと決めたら一人で死ぬ、それも男には悟られないように事故を装って死ぬ、彼女が歌うと「北の宿から」も全然別の歌になるに違いないのです。
5分の曲を心地よく聞かせる歌手ならいくらでもいます、しかし、映画一本に匹敵するドラマを「見せる」ことのできる歌手がどれくらいいるでしょう。人間の声の持つ可能性をここまでフルに出し切れる歌手は滅多にいるものではありません。ちあきなおみは男にも女にも、少女にも娼婦にも、自由自在に声を変えますが、その芯の部分には決して変わらない誠実さを抱えており、どん底を歌ってなお希望を感じさせ、歓喜を歌ってなお無常を感じさせるという多重の世界を展開しながら、その抜群の安定感を失わない、稀有の歌唱力だと思います。
ばらばらに収録されていた音源を仮想コンサートとして一つにまとめたこのCD、音質もきっちりと均一に仕上がっており、エンジニアの腕と熱意、何よりもこの歌姫に対する一途な尊敬が感じられます。お勧めです。
2006年3月16日 毎日通る道
先週、数ヶ月前まで住んでいた町に用事があって出掛けました。その帰り道、以前から気になっていたのですが、この町の駅前にはパチンコ店が4つもあって、そのうちの一つは小学校の通学路上にあるんです。その店のドアの横に客寄せのためのサンプルなのかパチスロ台が一台置いてあり、その日もランドセルを背負った男の子が二人、あーだこーだと真剣にボタンを押しているのです。ドアが開く度に中から派手な電子音と煙草の煙が外に流れ出し、男の子たちの目には店の中にはこれと同じような機械がずらーっと並んでいるのが見えるのです。これ、まずいでしょ?ご縁があって暮らした町、ささやかだけど役に立つことをしよう、というわけで、私はその店の電話番号を調べて電話をしました。録音していたわけではないので大雑把なものですが、話の内容は以下の通り。
「そちらのお店の前にサンプルみたいなスロット台が置いてありますね」
「あー、はいはい」
「あの道は○○小学校の通学路なんです。すぐ近くには学習塾もあります。子供はゲーム機の類に興味を持ちます。現にさっきも二人台を触っていました。子供に悪影響を与えると思いますので撤去して頂けませんか」
「はぁー、何かあったんすか?」
「ですから、子供にパチスロ台を触らせるのは問題だと、店の中ならともかく路上に台を置くのを辞めて欲しいと言っているんです」
「あれ、うちの台だけど、オタクが何で?なんか迷惑かけたんすか?」
(このあと同じようなやりとりを繰り返す)
「あの、私の話、理解できていますか?」
「(態度豹変)うちの前に何置こうとうちの勝手だろ?」
「いいえ、そちらのお店の前は公道です。ですから何を置こうがそちらの勝手ではありません」
「うるせぇんだよ、ごちゃごちゃと。営業妨害で訴えんぞ(テレビ番組のせいか、訴えると簡単に言う人間が増えたのは困りものです)」
「私がお店の前でこの台どけろと長時間演説し客の出入りを邪魔すれば、それは営業妨害です。私は電話で撤去してくれとお願いしているだけです。これのどこが営業妨害ですか?」
「あぁ?」
「どうやって訴えるんですか?私の名前と住所は?被告人誰にするか分かってるんですか?」
「・・・」
「訴える意思もないのに『訴える』と言うのは脅迫罪だってご存知ですか?」
(ガチャ切り)
パチンコ業界、そしてそこを最大の天下り先にしている警察は、いわゆる三店方式、パチンコ店は客の玉を特殊景品(ペン先とかライターの着火石とか)と交換する、客はそれを景品交換所で現金にする、景品交換所は特殊景品を景品問屋に売り、問屋がそれをパチンコ屋に卸す、このパチンコ店と景品交換所と景品問屋は全く別の経営主体なのでパチンコは賭博ではないと主張します。
しかし、調べてみますと、2005年5月16日、「景品交換所」に持ち込まれた万年筆のペン先が偽造品で詐欺にあったとして、「パチンコ店」が被害届を出しています。別の経営主体であるのに警察はその被害届を受理しています。Aさんが殴られたからといってBさんが被害届を出すことはできません。つまり、被害届を受理した段階で警察は同じ経営主体であると認めたことになり、同時に三店方式が崩れ賭博罪が成立するはずなのですが、なぜかそっちはお構いなし。また、同じ三店方式を採用してカジノを開いた人物が賭博罪で摘発された事例もあります。これ、どう説明するのでしょうか?警察の偉いヒト、教えて下さい。
昔のパチンコは指で弾くのんびりしたものでした。1000円くらいの元手でうまく入れば、お父さんは少しばかりの暇つぶしができて、お母さんに鮭缶と醤油、子供にチョコレートやキャンディーを持って家に帰ることができる、そんな程度のものでした。今の機械は違います。何万円、何十万円のお金が動きます。三店方式だろうが四店方式だろうが、紛れもない賭博です。しかも、確率収束が通用しない、外からデータをインプットできる、蓄積されたデータをリセットできる、そんなシステムに確率論が成り立つわけありません。実態は限りなくインチキに近い賭博です。
そんな私設賭博場が全国至る所の駅前に国道沿いに並んでいる、そのマーケット規模は年間30兆円だそうで自動車産業よりも大きい、我が国の第一位の産業は車でも電機でもない、賭博です。
自殺や犯罪に関わった人のうち、どれほどの人がパチンコが原因でそうなったのか、テレビゲームを模した犯罪が起こればゲームメーカーを、出会い系サイトが元で犯罪が起こればネット社会を執拗に叩くマスコミが、景品交換所に強盗が入っても、車に放置された子供が熱中症で死んでも、パチンコ業界を叩くことはしません。景気低迷の折から広告を出してくれれば何でもいいのでしょうか。
パチンコのせいで消費者金融や闇金にお金を借りて多重債務に陥った人がどれほどいるのか、親がパチンコ狂いのせいで、駐車場の車の中で熱死させられないまでもネグレクトされている子供がどれほどいるのか、ギャンブル依存症に陥って仕事や学業を放棄した人やその予備軍がどれほどいるのか。30兆円という規模から想像してみて下さい。それに、あのケバケバしいネオンサインはこの国の景観を大きく損ねています。
毎日通る道ですから、その風景とそこを歩く子供たちを大切にしたいです。というわけで、ガチャ切り男、私はあの台がなくなるまで何度でも電話しますので、よろしく。
2006年2月20日 ヴォーカリスト
私の前に一枚のCDがあります。ジャケットからブロンドのアフロヘアでじっとこちらを見つめているのは、Simon & Garfunkelのアート・ガーファンクル(背の高い方)です。シャツの右の肩山が2センチばかり綻びています。普通なら演出なのでしょうが、彼の場合は天然の可能性が高いです。
30年ほど前、スーパースターで大金持ちのガーファンクル氏は突然、そうだ、京都へ行こう!とJR東海のCMみたいなことを思い立ち、なぜか貨物船に乗って10日かけて神戸に到着、神戸から京都、福井まで4日かけて徒歩で旅行、福井で買った自転車で京都へ戻り、自転車ごと新幹線に乗ろうとして止められ(ヨーロッパではたいていの列車は自転車ごと乗れます)、京都駅前で自転車を通行人に売ろうとして売れず、そのまま東京へ。その夜のジャイアンツ対スワローズ戦のネット裏に登場、発見した日本のテレビ局から「ポール・サイモンさんです」と紹介されたという、訳の分かんないエピソードがある人でして。
日本では「天使の歌声」なる珍妙なタイトルがつけられましたが、このCDのタイトルは「Angel Clare」、これはトマス・ハーディーの悲劇「テス」のエンジェル・クレアですね。極貧の家庭に生まれた美しいテスと結婚した牧師の息子エンジェル、彼は新婚の夜、テスが告白した農園の主人に犯されたという過去を受け入れることができず、彼女の元を去ります。残されたテスは生きるために金持ちの囲い者となり、再会したエンジェルとの結婚を全うするためにパトロンを殺します。殺人者となったテスと絶望的な逃避行を続け、最後まで寄り添うのがエンジェル・クレアです。
「青春の旅路」、本当の愛は永遠ではないんだと去っていく若者、その後ろ姿にエゴとプライドと気弱さがごちゃ混ぜに乗っかっていて、彼の行く末は困難なもの、絶望に満ちたものであることが見えていて、でもそこに向かって歩いていく彼の痩せた背中は眩しいくらい美しくて、その美しさは彼の言葉と同様一瞬でしかなくて・・・。
「悲しみのウィロー・ガーデン」、一緒に飲もうとワインを持ってデートに出掛けたのに彼女はそれに気付いてくれなくて、だから彼女を殺した。淡々と語る若者の狂気、訳も分からず死んでいった少女、一人息子を死刑台に送る父の嘆き、それらを無表情に見ている若者の、明るく澄んだ自分以外の何者をも映さない瞳。
「老人」、死んでいく老人に語りかける若者、みんな死んでいくんだよ、僕もね。もう誰もあなたを必要としないし、あなたも誰も必要じゃない、旅立って、大丈夫、みんな、そこに行くんだ。この透徹した視線の先の虚無とそれを知りつつ生きていく意志。
「木の葉は落ちて/魂は何処へ」、フランス語の調子よい歌の途中で突然登場するバッハの旋律、そして神学的考察に耽る庭師という不思議な世界。
「友に捧げる賛歌」、終わりは必ずやってくるし、終わりがなければ全ては無意味だ、でも詩人が去っても歌は残るんだ。だから一瞬だって力を抜かずに君を愛する・・・、甘い青春、その傲慢さと純粋さ、いずれ苦い倦怠に変わることが約束されている愛の言葉の今この瞬間の美しさ。
「バーバラ・アレンの伝説」、かつてただ一度自分を無視した男を許せない女、そんな女に恋い焦がれたまま死んでいく男、その死を知って初めてどれほど彼を愛していたかを悟って後を追う女、まさに「トリスタンとイゾルデ」、古い教会の墓地で抱きしめ合う赤い薔薇と緑の荊。
「もうひとつの子守歌」、幼い子に、美しい妹に、聡明な母に、もうお休み、僕がここにいるからね、と歌うのは誰?誰でもいい、その歌声はそっと、しかし強固に愛する人の眠りを守る、冷たい風から、忘れたい過去から、不安な未来から、そして、いつもそこでみんなを見ている死から、一晩中愛する人を守る、たとえ自分は眠らずとも・・・。
私はオペラが好きですので、人間の声に興味があります。例えば、マリア・カラス、その声は圧倒的な存在感を持っています、何を疑ってもカラスの声を疑うことは難しい、自分の足の下の地面を疑うのと同じくらい難しい。ルチアーノ・パヴァロッティの声、この声を聴いて幸せを感じない人はいない、イタリアの青い空の下、目映い太陽を浴びて育った甘い果実。ホセ・カレーラスの声、自分の胸の一番奥に仕舞ってある大切なものを惜しげもなく分け与える情熱。プラシド・ドミンゴの声、スペイン流の白と黒の鮮やかなコントラストにイタリアの色彩を織り込み、その混沌を完全にコントロールする知性。エットレ・バスティアニーニの声、天使のように我が儘で、悪魔のように誇り高く、彼が歌えばどんな男も輝かしい騎士となる・・・。
そして、アート・ガーファンクル、彼が歌う歌はどれもシンプルでその旋律は二、三度聴けば覚えられるものばかり、音域も大して広くありません。昨今の日本のポップスはカラオケで歌えることを前提に作られるそうで(カラオケが売り上げを左右するらしいです)、素人にも歌いやすいように作ってあるらしいのですが、アートの歌は更に簡単です。でも、絶対に歌えない、カラオケで「青春の旅路」?止めときなさい。すごくシンプルなのですが、その間の取り方、リズムのつなぎ方が、誰にもできそうで実は誰にもできない、彼にしかできないのです。
その音域は非常に高いのですが、決して女性的ではありません。旋律の芯をがっちり掴む手は節くれ立った成熟した男のものです。その色彩は透明なのですが、決して少年のものではありません。どこかに悲しい諦めを秘めた大人のものです。その歌唱法は素朴なものなのですが、決して単純ではありません。ぶっきらぼうに聞こえるブレスですら、きちんと計算されていることが聴いているうちに分かります。何よりも、その曲を思い浮かべる時、旋律でもなく、詩でもなく、リズムでもなく、彼の声以外ではどうしても再現できなくなってしまうのです。
その声は、夏の終わりにいつもの喫茶店に入って、「アイスティー」って言おうとしたのになぜか「コーヒー、ホットで」と言ってしまって、そうか、もうそんな季節なんだって感じた時のあの一瞬の言うに言われぬ儚い感覚なのです。
世界には沢山のアーティストが、ロック・シンガーが、ポップ・スターがいます。しかし、「ヴォーカリスト」は数えるほどしかいません。アート・ガーファンクルは間違いなくその貴重な一人です。誰でも歌える歌を彼にしか歌えない歌に塗り替えていく個性、物語を的確に声に変換することができる表現力、声が消えていく瞬間の「聞こえない部分」の美しさ、そして、その余韻を維持する意外な力強さ。
最近のポップスはキレの良いサビとリズムで主張するものが多いように思います。アート・ガーファンクルの歌はその対極にあります。そもそも、どこがサビなのか、サビがあるのかどうかも分からないし。作曲家と作詞家がイメージした世界が彼の歌唱によって何倍にも広がり、何層にも重なり合い、それは歌が上手いとか下手とかいう次元でも、声が良いとか悪いとかいう次元でもなく、声で世界を構築できるかできないか、真のヴォーカリストかそうではないのかという次元なのです。
で、アート・ガーファンクル氏ですが、本当に歩くのが好きらしくて、その後は北米とヨーロッパを徒歩で横断し、つい先日64歳にして父親になって大はしゃぎ、はしゃぎすぎたのかマリファナ所持で逮捕され、相変わらずの天然ぶりです。このCD、録音は1973年、なんと30年以上も前のものなのですが、色褪せるどころか、「ひとりぼっちのメリー」にあるようにfive-and-dime store(雑貨屋)の宝石、発見した人間を確実に幸せにしていくでしょう。
ヴォーカリスト、どこか潔い響きの言葉です。
2006年1月16日 新しい町
昨年末に引っ越しをしました。何だって暮れの忙しい時期にこんなことすんだ、私、って少々凹む気分でもあったのですが、業者さんのお話ですと、年末の引っ越しってすごく多くて、応援を頼んでも追いつかないこともあるそうで、少々日程がきつくても新しい年を新しい住まいで迎えたい、という日本ならではのものらしいです。ずいぶん前ですが、アメリカ人に日本では1月1日の日出を拝むって言ったら、太陽はずっと大昔から同じものが昇って沈んでいるのに、何で1月1日の太陽だけ拝むんだ?とか何とか理屈抜かしやがって、非常にめんどくさかったことがありました。
週末、新しい町を歩きます。まず、お店のチェック。私には必要不可欠な酒屋は、駅のデパ地下がワイン、その近くのスーパーでビール、商店街の中程の酒屋で全国の地酒、非常に充実していて幸せ。蕎麦屋と寿司屋も高水準で合格。クリーニング店は、大手チェーンで何度かひどい目に遭ったので(プレスで背中のジッパーを潰されてドレス一枚おじゃん、コートの特殊なボタンが全部取れて返ってきたこともある)、地元の小さな店、できれば店の奥で旦那さんがアイロンかけていてくれるような店が良いのですが、これは今時ちょっと贅沢でしょうか?
店の奥から香ばしい匂いが漂ってくるパン屋、若い女性パティシエがそれこそ生クリームみたいな白くて柔らかい手でチョコレートを削っているケーキ屋、丸いカウンターをぐるっと囲んだ男ばっかりの客、水を自分で汲んで、コートを自分で壁のハンガーに掛けて、黙りこくって頬杖をついているラーメン屋、そんな店を確かめつつ、途中の雑貨店でコップを買います。無印良品で洗濯ばさみと掃除用スポンジと洗面器を買います。買い物袋をガサガサ鳴らしつつ更に歩きます。
大きな公園に行き当たります。裸の木々に囲まれた広場では子供たちが凧揚げに興じています。池にはアヒルとカモ、カモ、美味そう・・・。お腹が空いてきました。公園を見渡せる店で熱い鴨南蛮で暖まります。合鴨の脂が美味しい、許せ、カモちゃん・・・。
歩いているとスーパーの前に出ました。そうか、ここにもスーパーあるんだ。これはうれしい発見です。普段は駅前で、お休みの日は公園を通ってここに買い物に来よう。じゃ、挨拶代わりに・・・ということで納豆とトマトを買います。荷物増えたし、帰りますか。
新しい町を歩くのは楽しい、でも歩くことは新しい町を古い町に変えていく作業でもあります。そういえば、この冬の大雪に埋もれつつじっと耐えている人たちが沢山います。あの人たちはずっとそこに留まることを選んだ人、選ばざるを得なかった人たち、あんなに沢山雪が降ったら、私はその町を離れるでしょう。今までずっとそうしてきたように。そうすることで私が得てきたものと私が失ったものを思います。雪に埋もれた町で生き続けることで何が得られるのか・・・、残念ながら遊牧民のように生きてきた私には想像ができません。そういえばこれまでの人生のいったいどこで移動し続ける生き方を選択したんだろう・・・、それは正しかった?多分正しかった、そして多分間違っていたのでしょう。今、雪に埋もれている人たちだって、時にはそんなことを考えるのでしょうか。
でも、二者択一を後悔することくらい無意味な行為はない、それに選択できるということ自体、とてつもなく大きな幸運でもあります。幸運に後悔は似合いません。
コートのポケットの中で真新しい鍵をまさぐります。しばらくの間、この町で生きていこうと思います。