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2007年12月28日 年の瀬のお芋
2007年11月6日 「流れる」
2007年9月18日 さようなら、パヴァロッティ
2007年8月17日 ギャツビーの夏
2007年7月25日 『ブラス!』
2007年6月1日 麦茶
2007年4月1日 花見
2007年2月22日 蕗を食する
2007年1月24日 真面目に食べよう
2007年12月28日 年の瀬のお芋
2007年も残り僅か、このところ、なんだか毎年、お正月からお正月にタイムワープしている感があります。その間には12ヶ月という時間があったはずなのですが、何がどうしてどうなったのか、さらっとどこかへ消えてしまいます。今年の最初に何か思うところがあったとは思うのですが、全然実行していませんし、そもそも何を思ったのかも覚えていません。こういうのってヤバイんでしょうか?まぁ、ヤバくてもどうしようもないので、心配するだけ無駄ですが。
今年は、というか、今年も、というか、偉い人が頭を下げる場面が多い年でした。社会保険庁も、食品メーカーも、建設会社も、まともに仕事をするよりも嘘で楽して稼いだ方が利口だという極道ぶりが行き詰まり、結局ツケは回ってくるもの、落とし前をつけないことには先には行けないという当たり前のことが改めて感じられた年でした。
考えれば戦後60年、築いてきた土台も、それに乗っかって作ってきた物も、システムも、運用方法も、タガが緩んでも不思議ではありません。ここいらで本腰入れて、この国の将来の形、どんな国になりたいのかという理想像を考えて良い頃だと思います。それから、手に入れることばかりで突っ走ってきたけれど、そろそろ失う技術を身につけるのも良いかも、スマートに失う人はかっこいい。人と同様に国家も年を取るならば、どうせならかっこよく年取りたい。
しかし、日々の生活にはそんなゆとりなどないし、ゆとり即ちお金という現実はいつも目の前にあって、お金というのは、あればうれしいけど、なければ、ま、適当に、というつきあい方が一番だと思うのですが、なかなかそうも行かず、お金の不自由は人の気持ちを尖らせるもので、あれこれやらかして偉い人が頭下げているのも煎じ詰めれば金のためというわけで、堂々巡りじみた有り様、何やら痛ましい年の瀬ではあります。
尖がった一年の終わり、慌しい年の瀬に丸いお芋にかぶりつく、これ、いかがです?
用意するもの、芋、ホクホク系の芋なら何でもいい、ジャガイモ、サトイモ、サツマイモ、どれでもOKです。この芋を、皮を剥いたらなるべく丸っこく形を整えます。サトイモならキヌカツギ用の小さくて丸いもの、ジャガイモなら小さめの新じゃがを使うと楽です。これを柔らかくなるまで茹でます。竹串がすーっと通って、指で押すとムニュって凹むくらいに十分茹でます。茹で上がりましたら、豚肉の薄切りスライスで芋を包みます。きっちりと包んで、最後におにぎりを握る要領でぎゅっぎゅってやります。豚肉の脂が手の温度で少しとろけるくらいにしっかりと握ります。
フライパンに少量の油(よく馴染んだものなら油なしが良し)を敷いて、芋豚ボールを焼きます。コロコロと転がしつつ、肉の表面に軽く焼き色がつくまで焼きます。肉から出た脂はキッチンペーパーでこまめに拭き取ります。さて、焼き色がついたら味付けです。酒少々、豆乳を適当に、生姜の絞り汁と砂糖をお好みの量、えー、全部適当で大丈夫です。これで豆乳の量が半分くらいになるまで煮詰めます。仕上げに醤油をささっと。丸っこい芋豚ボールをお皿に盛って千切りの紫蘇を添えます。頬張れば豚肉の旨味と脂の染みこんだ柔らかい芋に歯が食い込みます。室温の日本酒が合います。
おっと、フライパンには旨味たっぷりに煮詰まった豆乳ソースが残っています。寒くなればなるほど美味しい大根を出汁昆布で柔らかく煮ましょう。豆乳ソースには挽き肉(豚よりも鶏の方が大根には合うと思います)、あるいはカニ肉のミンチ(缶詰で可)を加えて煮込み、片栗粉でトロみをつけます。熱々の大根にかけて、ちょっと変わった風呂吹き大根、三つ葉を散らしてどうぞ。こちらは冷やした日本酒が合いますね。
あるいは、お好みのキノコとベーコンかハムの角切りを加えて煮込みます。食パンでもフランスパンでも、適当にちぎって耐熱皿に、豆乳ソースをかけてとろけるチーズを載せてオーブンで焼きます。翌日のお昼に嬉しいパングラタン、アスパラガスを加えるとよりいっそう美味です。
丸っこい芋を頬張りつつ、あぁ、掃除しないとなぁ、新聞も溜まっているんだよなぁ、そういえば最近ってちり紙交換来ないよね?どこへいったんだろ?クリーニング屋、今日出して年内に引き取れるかな?カーペットの染み抜きって家でもできるの?等々、一応、悩んではいるのですが、一向に解決に向かわない、向かう気もない。もう一つ芋を頬張ってお酒をごくり、こういう忙しい時の怠惰ってクセになる、これも人生の小さな、しかし確実なお楽しみの一つです。まぁ、さぼったツケは回ってきますけどね。
2007年11月6日 「流れる」
先日のこと、およそ私には分不相応な料理屋さんで食事する機会がありました。門から玄関まで落ち葉一つない石畳、きれいに打ち水がしてあって、玄関の前にはきっちりと円錐形の盛り塩、上がってから靴を揃えようと向き直ったところ、角刈りのおじさんが、「どうぞ、そのままで、手前にお任せ下さいまし」、すらっと言葉が出るのと同時に私の靴を手に取ると、すっと下に手を添えて、そのまま奥の下足入れへ、自分は大切に迎えられたんだって思えて、あぁ、もてなしはもうここから始まっているんだ、日本というのはこんな文化を持っているんだって、改めて感じました。
回り廊下を通って部屋に案内される途中で、芸者さんとすれ違いました。勿論私が呼んだわけじゃなく、他の部屋に呼ばれた方なのですが、すっと壁際に寄ると片膝を後ろに引いて軽く会釈して下さいまして、それがあまりに自然なのでこちらも普通に「こんばんは」。玄関を入ればそこは別世界、その別世界を演出する玄人さんたちの動作には、何気ないようでいて一つ一つにもてなす心が感じられて、この鮮やかさ、軽やかさは、どんな大企業の秘書室にお邪魔したところで絶対にないだろうなぁと感心してしまいました。
「玄人」と「素人」、玄人っぽい素人は不潔、素人っぽい玄人は野暮、玄人はあくまで玄人らしく、素人はどこまでも素人っぽく、どちらにもちゃんと意地とプライドがあった時代の名残、玄関の下足番のおじさんも、銀ねずに黒の流れを配した男物のような色彩の着物を、鮮やかな金と朱の帯で着こなしたお姐さんも、見事な玄人さんの系列に連なる人でした。
立ち居振る舞いから着物の襟の抜き加減まで、両者の間にきっちりと線が引かれていた時代ということで真っ先に思い出すのは、幸田文の「流れる」です。
戦後の混乱で夫と子供、そして財産をなくし、住み込み女中で転々としている梨花、彼女の新しい勤め先は柳橋の芸者置屋。赤の他人の女ばかりの寄り合い所帯、女主人はこの世界では知られた往年の名妓、その娘は器量が悪くて芸者になれず目下ニート、籍を置く芸者は、口と芸は達者だけどお茶引きが多い年増(というか初老)芸者、これもビジネスとドライに割り切った若い売れっ妓、二号さんから正妻へ一段上がろうとしているしっかり者、そして、芸もなんもないのでそれで稼ぐしかない「枕芸者」、私生児を抱えてあちこちフラフラとタダ飯たかって食い繋いでいるありがたくない親戚等々、一口に玄人といっても色々な女がいるものです。そこに飛び込んできた素人の梨花(名前が呼び難いということで「春さん」になってしまいますが)の眼に映る日々の情景、光が当たるところがあれば影ができる、使い込んだ木綿にきっちりと糊をつけたような文体と、生理に直接響くような独特の言葉遣い、幸田文の文章はキリリと男前、しかし、その視線は女っぽく意地悪。人の本質は変わらないけれど、身の処し方というか、在りようというか、それはずいぶん変わりました。米穀通帳がないと住み込みになれなくて、買い物のツケはカードじゃなくて帳面で、電話は呼び出しが当たり前だった時代、昭和はもう遠い昔だなぁ・・・。
そして、この作品は映画化されております。1956年の成瀬巳喜男監督作品「流れる」、日本映画の奇蹟の一本。女中に田中絹代、女主人に山田五十鈴、そのニートの娘が高峰秀子、年増芸者を杉村春子、若い売れっ妓を岡田茉莉子、そして、花柳界の黒幕、料亭の大女将を栗島すみ子。
山田五十鈴のふくよかな艶っぽさ、黒電話の前で壁にもたれていても、寝起きに肩をぐりぐり揉んでいても、喫茶店で座っていても、もうどこからどう見ても玄人、特に鏡の前で帯を結ぶ場面、パシパシってお太鼓を作ってシャーって帯締め通して、慣れた手付きで綺麗に仕上げる姿は男に見せるためのもの、そして、それが商売なのが玄人、男っぽい手の動きとたわわな女っぽさがこぼれる腰から下の線のアンバランス、これが日本のエロスなんだなぁ。
杉村春子の巧さ、お茶引きの上に借金で首が回らない年増芸者、ペタンと尻をつけて座り、もそもそとコロッケを食べる時の肩から背中の曲線の老い、それがお座敷着を巻きつけた途端にぱーっと芸者になってしまう。で、酔って踊って「おぇぇ」、ゲロ吐いて見る人をホロリとさせる女優、私は初めてです。
栗島すみ子、怖い、マジで怖い、特に声が怖い、どーんと性根が座った声、ばっさりと人を斬れる声、あの声で「だいたい、あんたはねぇ」とか説教されたら、もうへへーってなるくらい怖い。「そこの二人乗りのバイク、止まりなさい」とか、パトカーからこの声が聞こえてきたらどんな族も即エンジン止めると思う。
そして、田中絹代、この人の口から聞こえる日本語は、これは今の日本語とは別の言語か?といいたくなるくらいしっとりと美しい。きっちりと膝を揃えて座り、わきからすっと両手をついてまっすぐ綺麗に頭が下がる、日本のお辞儀ってこれだったんだ。半身をひねってちゃぶ台を拭いても、風呂の焚口の前でしゃがんでも、その姿勢に一本通った芯は揺らぎません。一つ一つの所作に素人というか堅気の女の清潔感がちゃんと出ています。夏の木綿のワンピースに買い物籠持って出かける、その足元が履き古しの下駄、小さな足が大きな下駄をつっかけてコトコト歩く様が、落ちぶれ女中でございと名乗っているようで少し哀しい。
華やかな女性陣に対して、枕芸者の叔父と称する強請り屋の宮口精二が良い!「七人の侍」の寡黙な使い手、あの久蔵が、金欲しさに山奥からノコノコ出てきて、東京の真ん中で居心地悪そうに、でも頑張って強請らないと、みたいな小心さと卑屈さと鈍臭さがプンプン臭う闖入者を演じて秀逸です。
しかし、一番怖いのはやっぱり幸田文さんですね。この作品は、書くことに疑問を持って休筆、作者が実際に置屋で女中をした時の体験談ですが、冷徹な観察眼は事実と虚構の間の距離を測ることを読み手に許しません。梨花と一緒にあれこれ見て聞いて、でも、梨花に感情移入することも許されません。梨花のハッピーエンドから読み手は疎外されています。読者を選ぶ作品でしょう。
映画の方は、うーんと優しい、愚かしい女ばっかりだけど、語り手の梨花は彼女たちを受け入れ、彼女たちと一緒に流れていくことを選ぶ、ゆるゆると流れていく人生があっても良いじゃないか。
この違いは、女性としての幸田文の意地の悪さと男性としての成瀬巳喜男のいい加減さ、であるかと思います。
小説と映画ではラストが正反対、小説では、にっちもさっちも行かなくなって店を手放す女主人、その後の商売を才覚を買われて任される梨花、落ちていく女と浮かび上がる女がすれ違います。映画では、梨花は大女将が長火鉢の前であの怖い声で申し渡すスカウト話をやんわりと断って、落ち目の主についていきます。心意気に饅頭を買って女たちに振舞う最後のシーンが清々しい。
時代的には「オールウェイズ/3丁目の夕日」と同じ頃、今から50年前の東京、しかし、CGを駆使してセピア色の世界を仕立てた「オールウェイズ」に対して、モノクロの「流れる」からは何故か強烈な色彩が伝わってくるのです。振り返れば思い出はセピア色、しかし、「流れる」が描くのは今、現在進行形の日本、東京、そして日常、当然に目にも鮮やかな溢れかえる色彩を持っている、夏空の青、夕焼けの赤、花火、朝顔、女たちの浴衣の白と藍、お座敷着の錦紗、モノクロ映画がここまでの色彩を持つ、持てるという意味でも希有の作品です。
2007年9月18日 さようなら、パヴァロッティ
2007年9月6日、東京は台風9号が近づきつつあり、空はあらゆる種類のグレーのグラデーションを試そうとしているかのように、目まぐるしく色を変え、ぼってりと重たく湿っぽい風は、夏の終わりの濃い緑に分厚く塗られた木々を引っ掻くように気まぐれに吹き荒れ、日常の上に非日常が覆い被さろうとしている気配、気持ちを平らに保ち難いというか、訳もなく苛立つような、なぜか声が大きくなってしまうような、実に落ち着かない気分のその日、私はルチアーノ・パヴァロッティが故郷モデナの町で、71年の生涯を閉じたというニュースを聞きました。
ドスンとお腹に来るでもなく、ズキンと胸に来るでもなく、ストンと足から力が抜けるような気分、そして、パヴァロッティと一緒に私の夢が一つ消えました。いつか、彼がドニゼッティを歌うのを、そう、「愛の妙薬」か「連隊の娘」を歌うのを見よう、それはもう既に実現する可能性は限りなくゼロに近い夢ではありましたが、「ゼロに近い」と「ゼロ」は全く違う。そして、その日、「ゼロに近い」は、バタンと音を立ててドアを閉め、どこか知らないところに永遠に行ってしまい、私の前には「ゼロ」が残りました。
私が最後に聴いたパヴァロッティの声、それは2006年のトリノでの冬季オリンピックの開会式のテレビ中継でした。ルネサンス、バロックからロココまで、聖書からルカ・バドエルが操るフェラーリのF1マシンまで、イタリアが持てるもの全てを披露した贅沢なセレモニー、最後に登場したのが引退したと聞いていたパヴァロッティでした。この年齢にしてこの声!溜息が出るほど豊潤な「誰も寝てはならぬ」を聴きながら、改めて思い知らされました、パヴァロッティは何物にも代え難いイタリアの至宝なのだと。
そういえば、フェラーリのF1マシンのサーキットを引き裂くあのエンジン音、他のチームのマシンと較べて半音高い独特の音は、パヴァロッティの声に通じるものがありますね。トリノでもサンマリノでも、歌劇場でもサーキットでも、イタリアの空気には突き抜ける高音が似合います。
お馬鹿のネモリーノを歌ってどうしようもなく愛おしく、傲慢な女たらしのマントヴァ公爵を歌ってなぜか清潔で、究極のマザコン男マンリーコを歌ってなぜか醒めていて、甘ったれの内弁慶ロドルフォを歌ってどこか刹那的で、パヴァロッティという歌手は、どの役を歌っても役との間に独特の距離感を持った人でした。それは彼が持つパヴァロッティとしての存在感と、演じる役の存在感の間の距離感そのままだと思います。
パヴァロッティは素晴らしい表現力を持った歌手でした。しかし、それは役を表現するためのものではなくて、パヴァロッティがその役を取り込むためのもの、彼の場合、役へのアプローチの方向がいつも逆だったように感じます。パヴァがネモリーノになるのを聴くんじゃない、ネモリーノがパヴァになるのを聴くような、そんな不思議な感覚が彼の歌にはありました。パヴァロッティは何を歌ってもパヴァになってしまう、それは彼が不器用だからでもなく、役の読み方が浅いからでもなく、パヴァロッティという歌手の存在がいつだって少しだけ役より大きかったから、どっちにどっちを入れる?という選択肢が彼の場合なかったからだと思います。
何かと話題の多い人でした、悪口もたくさん言われました。口パク事件があったし、リンゴの切れ端を口に入れてステージに出てきたり、私生活の方も特に舞台から遠のいてからいっそう賑やかでした。中でも一番多く語られた悪口は、オペラをショーにしてしまった、三大テノールのリサイタル、あっちこっちからアリアを拾ってきて繋いで、適当にポップスと民謡を混ぜて、はい、マス版芸術です、そんな細切れオペラで大金を稼ぐビジネスモデルを構築し、それに味を占めてからはロックシンガーでもポップススターでも何でもありの、相手を選ばぬご乱行!それもお金が大好きだったから、というものでしょう。
「三大テノール」という巨大ビジネスがパヴァロッティなしでは成立しなかったのは事実です。ドミンゴとカレーラスはもちろん時代を代表する素晴らしい歌手ですが、この二人にあと誰か一人を連れてきても絶対に三大テノールにはならない、たとえ誰がいても、そこにパヴァのあの巨体がなければ三大も五大も十大も成立しない、これがパヴァロッティの「大きさ」なのです。
何か彼の場合、お金が好きでやっていたというよりも、人を喜ばせたいという気持ちにお金がついてきたって気がします。あの大きな身体には繊細なサービス精神が宿っていて、だから、人々が喜ぶことがなかなか止められなくなってしまって、勿論、自分だってお金が儲かって嬉しいわけですし。彼は他人を楽しませるのと同じくらい、自分が楽しむのも好きだったのでしょう。
その証拠に、やるんだ、やるんだと気を持たせたまま、とうとう引退公演をせず仕舞いでしたものね。みんなにさようならっていうのが嫌だったんでしょう?現役のままこの世から旅立ってしまった、パヴァロッティは最後までオペラ歌手でした。
パヴァロッティの悪口なら一晩中言えるというオペラ原理主義者にも、おそらく出来ないことがあります、それは、パヴァロッティを憎むこと。これはできない、できるはずがない。一声聴けば、あっ、パヴァだ!って分かるあの声、冬のイタリアの透明な青空のような、艶やかな真紅のタフタのような、滑らかな泡をかぶった甘いカプチーノのような、あの声、それは聴く人を無条件で幸せにするという希有な声だったからです。
私はおそらくとんでもないものを失ってしまい、未だ、その空白の全体を捉えることができていないのだと思います。パヴァロッティが残していった空白はあまりに大きい、彼の身体のように。そう、いつか私は彼の残した録音を聴いて、もう決してこの声を生で聴くことはないのだと思い知り、涙を流すことでしょう。その日は必ず巡ってきます。それは、パヴァロッティがいた世界に私もいたことを喜ぶために必要な痛みなのですから。
2007年8月17日 ギャツビーの夏
毎年、夏になると、なぜ本棚から引っ張り出して読み返したくなるのは、スコット・フィッツジェラルドの名作「グレート・ギャツビー」。1920年代、ジャズ・エイジのアメリカ、ニューヨーク、妙な熱気に浮かされつつも、曲がり角の先には破滅が待っている、しかし、それを知るわけもない人々は、ともかく持っているだけの金を株式市場に投資して、後は永遠に右肩上がりに上昇し続けるかのようなダウ平均株価にお任せ、空いた時間で、まるで今日で世界は終わるかのように遊び呆ける以外に何もできなかった、そんないささかタガの外れた時代が舞台、哀しいラブ・ロマンスというか、呪われたサクセス・ストーリーというか、定義を寄せ付けない作品です。
第一次世界大戦のさなか、ケンタッキー州ルイヴィル、町一番の美女にして、「彼女の声は金でいっぱい」なデイジー・フェイと貧しい将校ジェイ・ギャツビーは出会います。あっという間に恋に落ちる二人、しかし、ギャツビーが出征してしまうと、デイジーはその帰りを待ちきれず、これまた大金持ちのトム・ブキャナンと結婚してしまいます。
帰還したギャツビーは決意します、時計の針を元へ戻してデイジーを手に入れると。ありとあらゆる手段とあらん限りの知恵と意思を駆使し、謎めいた大富豪としてニューヨークに現れたギャッツビーは、トムとデイジーの住む高級住宅地イースト・エッグの向かい、ロング・アイランド水道を挟んだウェスト・エッグに大豪邸を購入し、その夏、夜毎、余りにも贅沢で余りにも馬鹿げたパーティーを催し続けるのです。いつかデイジーが現れるのをじっと待ちながら。そして、デイジーの親戚で物語の語り手、ニック・キャラウェイが偶然にもギャツビー邸の隣の小さな借家に引っ越してきたことで、悲劇の幕が上がります。
この本を最初に読んだとき、確か私は高校生だったと記憶しています。持たない者が持つ者を懸命に追う、手が届くはずだ、今日は届かなかったけれど、明日はきっと届くはずだ、そう信じて疾走するギャツビーと、愛を与えるすべを知らず、ただただ与えられた愛を浪費することしかできないデイジー、見えるからって手で触れるとは限らない、なんでそれが分からない?見てしまったことを忘れて生きていけばいいじゃないか、どうして他を見ようとしない?甘美で切ないストーリーだけど、どこかイラつく・・・。今読み返してやっと分かるのですが、この物語の意味が高校生に分かるわけがない。これを推薦図書のリストに載せた先生は反省していただきたい。
贅沢な暮らしの描写に圧倒されはしましたが(食べ盛りだったもので、一晩のパーティーでオレンジ何百個とかいう描写にぶっ飛びました)、ふわふわと漂っているかのようなデイジーに感情移入できず、そんな彼女を追い求めるギャツビーが理解できず、何かよく分からないけど派手な話だなぁというのが正直な感想でした。
しかし、妙に一点気にかかったことがあります。それは登場人物たちの服装なのです。
ニューヨークの夏は暑いです。作品中にも定期券に染みる車掌の汗とか、白いブラウスに汗を滲ませて貧血で倒れる女性とか、窓を全て開けても室内に居座り続ける熱気とか、夜になってやっと一息つけるとか、あー、暑いんだろうなーという箇所が多くあります。しかし、登場する男性たちは三つ揃いのスーツを着ているし、女性たちもジョーゼットなどの薄物ではありますが、ちゃんとロー・ウェストのドレスを着ている、どんな大金持ちの邸宅にもエアコンはない時代(発明されていないのですから、あるわけがない)、うわぁ、これ暑いっしょ?
この作品は何度か映像化されています。私が見たのは、1974年のジャック・クレイトン監督のもの(デイジーはミア・ファロー、ギャツビーはロバート・レッドフォード)と2001年のロバート・マーコウィッツ監督のもの(デイジーはミラ・ソルヴィノ、ギャツビーはトビー・スティーブンス)の2作品です。どちらも良い出来だと思います。
1974年の作品は脚本がフランシス・コッポラ、原作を注意深く刈り込んで見事な仕事です。ミア・ファローは現実離れしたデイジーに相応しく、レッドフォードもいささか上品すぎますが、切ないほど真摯、そして美しい。
2001年の作品、こちらは原作でも間接的にしか語られなかった二人の出会いを映像化した意欲作、スティーブンスのギャツビーはどこか胡散臭げで、どこかずれていて、レッドフォードより原作のイメージに近い。
しかし、このひと夏の暑さと全てを飲み込むべく迫ってくる世界恐慌の冷気、ぎりぎりと時を逆転させようとするギャツビーの放つ熱と、それに引き摺られつつ氷の冷たさを失わないデイジー、熱というか温度差というか、それらを具体的に映像化することに成功しているのは、断然1974年の方だと思います。
絹のシャツに絹のタイ、ダイヤモンドのタイピンにカフスボタン、三つ揃いのスーツを着込んだギャツビー、その顔には汗が光っています。真っ白なジョーゼットをふわふわと重ねて纏い、重たげな真珠を首に巻いたデイジー、その顔はあくまでもさらりとマット。首周りも手首も締め付けて汗をかいている男の前で、風を通す装いで顔にたっぷりと粉を叩いて物憂げな女、この対比が、上へ上へと懸命なギャツビーと、上にいるのが当たり前、そもそも下って何なのか想像もできないデイジーをそのまま具体化しています。
破局の直前、緊張した空気の中で一同が会するシーン、同じようにスーツを着込んで同じように汗をかいている夫とニックの前で、デイジーはギャツビーにこう囁きます、「あなたはとても涼しそうに見える」・・・。この場面では、「愛している」よりも濃厚な台詞に聞こえます。
いつの間にか、下着だったTシャツが表に出て、今どきの夏、クールビス、半そでシャツにノーネクタイのビジネスマンを多く見かけるようになりました。そういえば、日本人は昔はこうだったんですよね。その起源はウクライナの防寒着というネクタイなんてもの、夏に締める男なんていませんでした。綿の開襟シャツ、生成りのままの麻のズボン、そしてパナマ帽、小津作品の笠智衆のスタイル、涼しげでした。あの白いシャツは肌と付かず離れず、密着するTシャツよりずっと清潔感があります。
付かず離れずと言えば、最近流行の浴衣、あれもパリッと糊が利いていて袖口や身八つ口から入った風が衣文からすっと抜けていく感じが涼しい、よって、時間がたって汗を吸ってへたってしまった生地が肌にまつわりつくさまは、なんだかいっそう暑苦しい。糊を固めに利かせるのも大切ですが、肝心なのはへたってもそうは見えない色であること。これは藍と白の組み合わせ以上のものはありません。だから、最近見かけるピンクとか黄色とか、糊以前に最初から柔らかく見える色は使わなかった、何にでもちゃんと理由があるものです。
毎日暑いですね。久しぶりに白い綿のシャツ・ブラウスを糊付けしてみようと思います。ピンと固く仕上げれば、この夏のやりきれなさを跳ね返してくれるかも知れません。
2007年7月25日 『ブラス!』
イギリスの映画には、「失業者モノ」という少々自虐的な独自のジャンルがあるように思います。例えば、「フル・モンティ」、舞台は鉄鋼の町シェフィールド、工場が閉鎖に追い込まれ、失業した男たちは、女房、子供のための生活費や養育費を稼ぎだすために男性ストリッパーになります。ダンスのレッスンを受けてもさっぱり上達しない彼らが、これはラインダンスじゃない、サッカーのオフサイド・トラップだと想定した途端にばっちり決まってしまう、エール片手にスタジアムで、テレビの前で地元チームに大声で声援を送っていたお父さんたちの生活感溢れるストリップは見物でした。例えば、「マイ・ネーム・イズ・ジョー」、失業中のジョーは、グラスゴー最低のサッカーチームの監督として、崩壊しつつある地域社会を辛うじて繋いでいます。そんな街にドラッグが入り込み・・・というやりきれないドラマでしたが。例えば、「がんばれ、リアム」、造船工場で働く父、末っ子のリアムが聖体拝領を迎えて、一家揃って晴れ着で気張ってお祝いをしたものの、造船工場が閉鎖、一家が直面する厳しい現実。カトリック信者にとって何よりも大切な初めての聖体拝領、つまり、彼らは英国国教会のイングランドでは少数派のアイリッシュ、そんな彼らの精一杯の誇りが感じられる佳作でした。
そんな「失業者モノ」の中で私が一番好きなのが「ブラス!」です。
サッチャー政権下の経済効率主義により、産業革命以来、英国の経済を支えてきた多くの炭坑が閉山になります。その最中、やはり存続か閉山かの瀬戸際に立たされているヨークシャーの鉱山町が舞台です。イギリスにはブラスバンドの伝統があります。イタリア人がオペラを、ドイツ人が交響曲を、フランス人がバレエを愛するように、イギリス人はブラスバンドを愛しています。多くの職場や学校にブラスバンドがありますが、この町の誇りは炭坑と同じ長さの歴史を誇る炭坑夫たちの「グリムリー・コリアリー・バンド」。炭塵で真っ黒けの身体を洗って、白いシャツにエンブレムのついた黒いタイ、深い紫色に金モールのジャケットを纏えば、彼らは全員音楽家。それも半端じゃありません。ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われる全英ブラスバンド選手権への出場に王手をかけるほど、一流の音楽家たちなのです。
炭坑夫たちは今、割り増し退職金を貰って閉山に賛成するか、あくまでも戦うかの選択を迫られています。こんな時に音楽?こんな時だからこそ音楽!それぞれ家庭の事情があります。もうバンド辞めると言いつつ一向にそれが言い出せない者、誰が寝返るのか疑心暗鬼に陥る者、そして、女は入れないブラスバンドに紅一点が加わって・・・、雑多なエピソードは悲惨なものばかりなのですが、何故かクスリと笑える、他人を笑うなら誰にでも出来る、自分を笑ってこそユーモア、それがイギリス流です。
映画の中で演奏されるのは、「アランフェス協奏曲」「フロレンティナ・マーチ」「ダニー・ボーイ」、そして、アルバート・ホールでの彼らの選曲は、ロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」。圧政に立ち向かい独立を手にする誇り高き人々への熱い賛歌、疾走する旋律、上昇するリズム。金管楽器だけなのに、その色彩の豊かさと表現の繊細さに驚かされます。実際に演奏しているのは、この映画のモデルとなったグライムソープ・コリアリー・バンド、閉山が決まった1992年のアルバート・ホールでの彼らの名演とぶっちぎりの優勝は、今や伝説です。
ラスト、指揮者のダニー(名優ピート・ポスルスウェイト)は聴衆に語りかけます、「皆さんはアザラシや鯨のためには立ち上がる、しかし、彼らはただの人間。そう、彼らは美しい音を出せます、しかし、それに何の意味が?」
職安の長い列に並ぶ日々が待っている町へ帰っていくグリムリー・コリアリー・バンド、バスが夜空に鈍く金色に浮かび上がるビッグベンの横に差し掛かった時、彼らは演奏します、イギリスの第二の国歌であるエルガーの「威風堂々」を、静かに、しかし、力強く。
これは映画です、作り物です、そう分かっていても、何か無性に彼らがうらやましくなるのです。彼らの仕事を奪い、コミュニティを破壊する政府、しかし、それは彼らの政府なのです。保守党は敵だ、サッチャーも敵だ、しかし、そんな敵を引っくるめて成り立っているのが祖国、そこに生まれた不幸を嘆く時もあって、そこに生まれた幸せを噛み締める時もあって、それが祖国、そんな彼らの自負が伝わってくるのです。
イギリスの歴史は褒められたもんじゃない部分もたくさんあります。そうでなければ大国にのし上がることはなかったでしょうし、国家は維持できません。現実の政治はきれい事でやっていけるほど甘いものではありません。
今週末、日本は選挙です。年金が大きな争点になっていますが、国家というのは年金を配るために存在しているわけではありません。国家の使命は、そのもう少し先のところにあると私は思います。まともに仕事ができない社会保険庁をどうするかという問題と、制度としての年金をどうするかという問題と、これから先、みんなでどんなふうに生きていこうかという問題は、全て次元が違っていると思うのです。
グリムリー・コリアリー・バンドのメンバーたちが、明日から長い長い失業生活が待っているという時、ビッグベンを臨みながら「威風堂々」を演奏するように、せっかく払った年金の掛け金がどこかへ行ってしまったか誰かが盗んでしまったかという時、私は何を歌うだろう・・・、歌うべき歌があるのか。今回の選挙は、どこかもの悲しい選挙だと感じます。
ところで、この作品、邦題は「ブラス!」となっており、いかにもブラスバンド万歳!って軽い感じですが、原題は「Brassed off」、もうウンザリという意味です。ウンザリしても祖国は祖国、だからこそ、彼らの「威風堂々」が胸に染み込みます。
「ウィリアム・テル序曲」でソロを取るトランペットの人、彼の凛々しく清潔な演奏は、この曲の本質を確実に捉えていて実に心地良いです。
2007年6月1日 麦茶
今日、6月1日は衣替えの日です。私の中学校、高校時代には、きっちりと定規で線を引いたように、当日の気温とは一切関係なく、この日を境に制服が冬服から夏服に変わりました。どのクラスにもたいてい一人か二人、冬服のまま登校するウッカリ者がいて、真っ白なシャツの中にポツンポツンと黒い詰襟や紺色のジャケットが混じっているのは、6月1日この日だけの光景でした。どこもかしこも空調設備が入っているこの頃ですが、私は、やはり6月1日にささやかではありますが、自己流の衣替えをします。この日からバッグをジュートか麦わらの物に、革靴をつま先が開いていて素足で履くタイプに、スニーカーを皮製のリーボックから綿製のコンバースに変えます。そして、毎年6月1日に、その年最初の麦茶を作ります。緑茶に紅茶、烏龍茶、そして、この麦茶、あらゆるお茶がペットボトルで売られています、水出しの麦茶のティーバックも売っています。でも、薬缶をシュンシュン沸騰させて、丸粒の麦茶をザーッて注ぎ込んで、ぐらぐら煮出して、薬缶ごと水で冷やして、ガラスのポットに入れて冷蔵庫にしまう、夏の初めの儀式、6月1日には是非これをやりたい。
麦茶をちゃんと沸かすと部屋一杯に香ばしい空気が立ち込めます。少々手間がかかるからと言って、この香りを楽しまないなんて勿体ないです。プルーストの「失われた時を求めて」の第一部「スワン家のほうへ」には、主人公が紅茶に浸したマドレーヌの香り(なんか、べちゃべちゃして不味そうなんですが・・・)から幼い頃を思い出すシーンがありますが、私にとって麦茶の香りは、子供の頃の、永遠に終わらないかのように思えたのに、何故かあっという間に終わってしまう、あの夏休みの香りです。母がせっせと作っていた冷たい麦茶、毎日台所に漂っていたこの香りは、目が痛いほど鮮やかに濃く茂った木々、幹に張り付いている蝉の抜け殻、ビーチサンダルの鼻緒が食い込む感触、プールの塩素の匂い、強い日差しに乾き過ぎてゴワゴワのバスタオル、そんな夏の様々な断片を一度に引き戻す力を持っています。
最近は、麦茶には血液さらさら効果があるとか、繊維質が豊富とか聞きますが、そんな能書きがなくとも、この香り、ちょっと焦げ臭い風味、すっきりとした喉越しと微かな穀類の甘み、グラスを満たすキリリと男前な琥珀色、もう十分でしょう。
6月1日から夏の間、この麦茶をサーモスのボトルに詰めて持ち歩きます。町中めったやたらとある自動販売機の誘惑から我がお財布を守るためでもありますが、何よりも、小さく切り取った夏のかけらを一つ、バッグに入れているような気分が好きです。
暑い季節はどうしても冷たいものをガンガンとってしまいますので、お腹が・・・という時があります。そんな時は粗熱をとった温かい麦茶が優しくてうれしい。疲れている時や朝食をとれなかった時は、これに砂糖を加えます。これ、意外といけます、某メーカーの「午後の○茶」そっくりの味わいです。いろいろと自分の状態に合わせて微調整をした麦茶が手元にあるとすごく心強い。
麦茶の元はお茶じゃなくて大麦です。「茶」ってつくと誤解してしまいますよね。江戸時代から戦前までは「麦湯」と呼んだそうですが、その方が正確です。
大麦ですから、当然にお茶の持つ殺菌作用はなく、腐りやすいのでご注意を。一両日中に飲み切ることが大切です。この大麦と砂糖って良く合うんですよね。「麦焦がし」、我が家では「はったい粉」と呼んでいたのですが、大麦を炒って挽いた粉をお湯で練ったおやつ、これにも砂糖が入っていましたね。ところで、私、麦焦がしをつい最近まで「麦粉菓子」だと信じていました。甘い練り練り状態のはったい粉しか知らなかったもので。
麦茶を煮出した後の出涸らしですが、植物のための良い肥料になります。麦茶はどこまでも人に優しいのです。とことん使い切りましょう。
2007年4月1日 花見
例年になく暖かい冬が去って、戻りの寒さをやり過ごし、今年も桜が咲きました。日本人にとって春とは即ち桜です。お花見にお出かけになる方も多いことと思います。
桜は日本の国花であり、毎日必ず手にする百円硬貨の表にも、警察や自衛隊の方々の徽章にも登場します。古典文学では「花」とあればそれは桜のことと決まっています。ですから花見と言えば桜を見ること、観楓とか梅見とか言いますが、観桜とか桜見とは言わない。
古来、桜は人を狂わせると言われてきました。確かに、花の真下に立ってじーっと上を見上げていると、訳の分からないものが血管を駆け巡るのを感じます。それは美しいものを見た感動というには少々切なく、なぜか少しだけ苛立たしく、少しだけ気怠い、もう言葉にはならない何かです。「桜の下には死体が埋まっている」(梶井基次郎「桜の樹の下には」)、日本人は満開の桜に死を感じる、だとすれば、花見は、死と向き合うための宴でもあるわけです。
同様に、桜は咲き誇る美しさと同じくらいに、あっけない程の散り際の美しさが讃えられます。花が散るのを愛でるというの、桜だけではないでしょうか。
「残りなく 散るぞめでたき 桜花 ありて世の中 はての憂ければ」(詠み人知らず)、もうね、さーって散ってしまうから良いのさ、という人がいて、「待てと言ふに 散らでしとまる ものならば 何を桜に 思ひまさまし」(詠み人知らず)、散らなきゃ言うことないんだけど、この世に完璧ってあり得ないよね、という人がいて、「いざ桜 我も散りなむ ひとさかり ありなば人に うきめ見えなむ」(承均法師)、もうさ、盛りは終わっちゃったんだから、桜も俺も一緒に散っちゃお、という人がいて、桜の散り際は人を哲学者にするもののようです。そのせいか、「この花の一節(ひとよ)のうちは、百種(ももくさ)の、言(こと)持ちかねて、折らえけらずや」(藤原広嗣の娘子)、人々が込めた想いのせいで、桜の枝も折れてしまうのでしょう。
死と向き合うとなれば、当然に作法が要求されます。
昼間の花見なら、あの薄紅、白、若草の三色の花見団子と熱いお茶が理想的。お弁当だったらおなかいっぱい食べるのは似合わない、軽めに稲荷寿司を二つ、三つ葉の入った卵焼き、くらいで止めたいものです。サンドイッチは桜の下よりも芝生の上の方が似合うように思います。
枝を折るなどもってのほかです。それから根本に陣取るのも宜しくありません。根本の土が踏み固められてしまうと雨が染み込まなくなり、桜が弱ります。同様に、桜の近くの地面に酒やジュースをこぼすのもダメ、根が傷みます。タバコのポイ捨てなど天をも恐れぬ蛮行、その辺で用を足す?未来永劫呪われるがよい!!
桜は決して強い木ではないのです。実は染井吉野に代表される里桜、自分で増えることができません。接ぎ木以外では増えない、つまり人間が100年ほど放置してしまうと、この世からなくなってしまう木なのだそうです。その魔性は、人を虜にして己に仕えさせるための戦略、なのかも知れません。
最近は花見の席で焼き肉やバーベキューをする人たちもいるようですが、火気厳禁の場所でなくても、これもダメです。煙が花の間を流れる様は非常に見苦しい、愛でる対象の花を燻してどうする?それに肉の焼けるあの匂い、あれほど桜に似合わない匂いもありません。第一、死者と向き合うのですから、精進が基本と心得ていただきたい。
カラオケ、ダメです。歌うのは良い、しかし、桜の下での歌はアカペラです。電気的に増幅された音など使わずに静かにゆったりと歌われるがよろしい。生身の桜には生身で対峙するのが礼儀でしょう。
桜の下を覆い尽くすあの青い工事用のビニールシート、あれ何とかなりませんか?ゴザが理想的ですが昨今では結構お高いのが残念。しかし、あのビニールシートの何の衒いも含羞もないあからさまな青、アレは興ざめです。かといって新聞紙や段ボールでは、マジでホームレスの宴会状態になってしまいます。控えめな色彩(滅多にお目にかかりませんが)のレジャーシートも芝生の上ならともかく、むき出しの地面の上では何となく侘びしい。この際のお勧めは毛布です。アクリルの毛布を畳んで持って行く、ちょうど季節の変わり目ですから、持って帰ってそのまま洗ってしまえばよろしい。
夜桜の場合、相手は人を狂わせる魔性の花です、心して参りましょう。ビールはこの時期は身体が冷えるので、やはり酒(花といえば桜であるように、古来、酒といえば日本酒です)、もうちょっと飲みたいなってくらいでなくなる量を持参しましょう。あればどうしたって飲み過ぎてしまい、魔性の餌食になってしまうので。弁当はやはりあっさり控えめに。巻き寿司、空豆の塩茹で、蒲鉾、高野豆腐と野菜の炊き合わせ(できれば菜の花入り)くらいがちょうど良いですね。フライドチキン?宅配ピザ?たわけ!
そして一番大切なこと、それはわずかな狂気とわずかな死を心に留めておくことです。来年の今頃、自分はまだこの世にいるのだろうか?この桜をもう一度見ることがあるのだろうか?ずーっとこんなことを考える花見は全く楽しくありませんが、全然考えない花見も邪道です。ちらっと一回か二回、心の中で自分に尋ねましょう。
「願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃」(西行)、ほろ酔いで立ち上がり、駅に向かって歩き始めたら、一度だけ振り返りましょう。そして、あー、この春も行ってしまうなぁ・・・などと少しだけ考えたら、はい、あとは二次会でドンチャン飲み直すもよし、カラオケボックスで絶叫するもよし、桜の下で想ったことことは全て桜の下に置いてきましょう。家まで持って帰るには、来年まで持っているには、些か重すぎますから。
2007年2月22日 蕗を食する
この季節の楽しみの一つ、それは八百屋の店頭に蕗が出回ること。数少ない日本原産の野菜です。カットされてトレイに乗ったものはつまらない、長くて葉のついたものをフニャフニャと捧げ持ったり、肩に担いだりして帰ります。鍋に入る長さに包丁を入れます。途端に広がる春の野の香りがたまりません。ちょっと薬臭くて、ちょっと青臭くて、ちょっと日陰臭くて、でも、肺の奥まですーっと透き通るような清々しい香りです。塩茹でしたら冷水で締めて皮をむきます。筋にそってすーっとむくと、穏やかな緑色、いえ、蕗色と言いたい独特の色、指先まで春の色に染まりそうです。このまま放置すると色が変わってしまいます。すぐに食べる分を取ったらきっちりとラップして冷蔵庫へ。冷蔵庫にこれが入っていると何となくソワソワしてうれしい。
出汁、醤油、酒、砂糖でグツグツ煮含めるのが普通でしょうが、新鮮なものはちらし寿司にしたい。油揚げ、人参と一緒に甘辛く煮付けて、酢飯に合わせます。錦糸卵よりも、酒を振ってレンジでチンしたシラス干しのさっぱり感が似合います。でも人参の赤と蕗の緑に黄色を合わせたいという「印象派」の方は、菊の花のおひたしなどいかがでしょう。一段と「野山度」もアップします。
この手の長い野菜はどうしたって何かで巻きたくなります。穴子で巻くのも、油揚げで巻くのも、湯葉で巻くのも美味しいですが、日本人が巻くといえば当然に海苔なわけでして、蕗の海苔巻きも美味しいです。山葵を使うと蕗の苦みが飛んでしまいますので、ここは山葵の代わりに梅干しの叩きで。
牛肉の薄切りで巻いてカラリと炒める、肉には胡椒が定番ですが、胡椒と蕗は相性が今ひとつよろしくありません。胡椒の代わりに肉に粉チーズを振ると美味しいです。
チーズつながりで意外といけるのがグラタンです。炒めたタマネギ、白身魚や鶏のささみと一緒にホワイトソースで焼き上げます。白いソースから顔を出す緑色の蕗、同じ緑色でもブロッコリーやほうれん草みたいな夏の緑じゃないので、まさに雪解けの野原の光景です。
砂糖、出汁、酒、そして蕗、そこにどーんと味噌を投入します。木べらで適当に捏ねたら器にとって冷まします。ご飯が進むこと、おそらく最強の蕗味噌、そもそもは蕗のご幼少のみぎりのフキノトウで作るものですが、蕗で作ってもやっぱり最強です。仕上げにちょっと牛乳を入れるとマイルドになります。でも、お酒にはワイルドな方が合いますね。ちょっと甘口の日本酒を室温でやりたい。
残った分は定番の煮物に。タケノコや厚揚げと一緒に鰹節どっさりで煮る、あるいはこの季節に美味しくなるアサリと一緒に甘辛くして、里芋も捨てがたい、なまり節と一緒に炊き合わせるとそのほろ苦さが魚臭さをきれいに消し去ってくれる、ちょっと贅沢だけど干し貝柱も良い、独特の存在感があるのに何にでも寄り添うこの性格の良さ。
あーっと、葉っぱを忘れていました。こちらは塩茹でして、冷水にとって、みじん切りにして、さらに塩もみして、菜飯です。残念なことに、海苔や紫蘇みたいにお握りに巻くには少々固い。やっぱりお握りに巻くものは、歯で噛んでプって切れるくらい、お握り本体の堅さとのバランスが大切ですよね。
俳句では、フキノトウが春、蕗は夏の季語だそうです。秋田で言うところの「ばっけ」、秋田音頭で「秋田の国では雨が降っても唐傘などいらぬ、手頃な蕗の葉さらりとさしかけサッサと出て行くかえ」、「秋田のおばこ蕗刈る姿、みんなさ見ひでもだ、赤い襷にあねさん被り、本当に惚れ惚れす」の秋田蕗なら、確かに夏の夕立の光景が良く似合います。でも、もっと細い蕗はそこら辺にいくらでも自生していたものです。蕗を摘んで歩く春、しかし、最近は自生の蕗は滅多に見かけなくなりました。
蕗やサンマのワタなどの苦みが美味しいものを食べる機会が減っているように思います。苦みは毒の味でもありますので、人の脳に非常に強い印象を与えます。その刺激で舌の味蕾の機能が向上するそうです。甘い、辛い、酸っぱい、渋い、苦いに加えて、「旨い」を感じることができるのは日本人だけだと言われています。何の味付けもされていない出汁の旨味が分かる、それどころか合わせ出汁でそれらの順列組み合わせまでやってのける、そんな日本人の舌は色々な苦みによって鍛えられたものなのでしょう。
蕗の苦みは、やっと暖かくなって、日差しが伸びて、光が増えて、冬と春が伏し目がちにそっとすれ違う、そんな優しさと戸惑いを感じさせる苦みです。
2007年1月24日 真面目に食べよう
ある日、スーパーの陳列棚から忽然と納豆が消えてしまいました。納豆が好きで2日に1パックのペースで消費する私は焦りました。あんなに賑やかに並んでいたのに、全部ない、大粒も小粒もひき割りも黒豆も、全部ないったらない。いったい納豆の身に何が起こったのか?新種のウイルスが取り付いたのか?健康被害が発覚したのか?あの匂いのせいでアメリカから外圧がかかって弾圧が始まったのか?
私は知らなかったのですが、あるテレビ局が納豆がダイエットに効くという情報番組を放送したせいで、痩せたい人たちが納豆に殺到(おぉ、韻を踏んでいる)した結果、巷の納豆が払拭してしまったのが真相でした。しかし、皆さん、素直というか、純情というか、そんな話を信じる人たちが全国の小売店で納豆の品不足を招くほどの数、存在することの方に私は驚きました。だって、どう考えたって変だからです。納豆大好きで太っている人を知っています、水戸にだって太っている人はいます、納豆はカロリーゼロではありません、何よりも自分で食べていますから知っています。
結局、この情報番組は捏造だということが発覚し、例によってエライ人が頭を下げて、番組は打ち切りになるとか。やれやれ、これで納豆が戻ってくる・・・、なのですが、何でしょう、このイヤな後味は。
痩せるためにモノを食べるって根本的に間違っています。食べるとは栄養を摂取することであり、栄養は体を動かし、体を作り、体を守るものであって、ですから、「食べる」をどこからどう眺めても「痩せる」が入る余地はありません。そもそも、生物はそういう具合にはできていないのです。
私たちが毎日口にする食品は、動物、植物の命の変わり果てた姿です。私たちはそれを食べることによって身体を維持しないことには生きていけません。食べることは、ある命を犠牲にするによってある命を守ること、生と死に直接関わること、どこか少し切なくて、なぜか少し滑稽で、そして死ぬまで逃れることのできない宿命です。だから、人は食べることを大切にしてきました。命に関わること、他者の命を奪って己の命につぎ込む作業なのですから、当然です。
美味しく食べれば幸せになれます。だから美味しく作るためにあれこれ頑張ってきました。しっかり食べれば元気になります。だから何とか必要なだけ食べられるように踏ん張ってきました。それが食べるという行為の正しいあり方です。痩せるために食べる・・・、馬鹿げています。
あのね、入ったカロリーから使ったカロリーを引いて赤字になれば人は痩せるの、ただそれだけの簡単なことなの。だから痩せたかったら食べなきゃいいの。それが難しいことは知っています。でもそれ以外に方法はないし、そもそも生物としての本能の逆を行く行為なのですから、難しいのは当たり前です。少し食べて普通に動くか、普通に食べて沢山動くか、沢山食べてもっと沢山動くか、痩せる方法は三通りしかない、この単純な仕組み、もういー加減に理解したらどうでしょう。
○○を食べれば痩せる、今までに何度同じことありました?この先、何度同じことします?そのたびに、食べるという行為の本来の意味が少しずつ傷つけられ、人の生物としての有り様が少しずつ崩れていくのです。
食べて痩せれば、それは毒であって食べ物ではありません。どんな食べ物だって食べ過ぎれば毒になります。それは食べ物のせいではなくて、食べる人間のせいです。納豆は適量を食べれば栄養豊かで素晴らしい食品です。納豆を作る人だって、これ食べて痩せろとは思っていないはずです。食事を作る時、それを食卓に乗せる時、そんなことを考える人はいないのです。焦げちゃった方を下にして皿に盛る、崩れちゃった方を自分の皿に取る、それは料理人の本能、たくさん食べて元気になって、という本能なのです。
美味しそうって笑って「いただきます」、美味しかったって笑って「ごちそうさまでした」、それはとっても幸せなことで、とっても大切なことで、痩せるとか太るとかとは別の次元の出来事なのです。
その食べ物は命です、真面目に食べましょう。